小沢信男『犯罪紳士録』(講談社文庫)


発行:1984.9.15



 一九六〇年代の後半から、生起する犯罪のいくつかを追ってルポを書いた。おりしも昭和元禄の高度経済成長期。そのはなばなしさの裏側のくらい軋みに、じかに向きあう思いがした。(中略)
 この間に、明治百年祭などということもあり、そこでその“栄光”の百年を、犯罪の側からみればどうなるか。とは類推おのずから至るわけで、日本近代の諸問題、とまで大きく出なくとも、現にわれわれの“先進国”的生活の足許が、おもいがけず透視されるかもしれないのだ。
 という宿題をかかえて、何年かがすぎた。それは、いうなら近代日本犯罪大全集となるようで、ひとりの非力のとてもおよびがたくも思えたのだ。だが、そのアウト・ラインぐらいなら、やってやれないこともなかろう。それが本書を編む動機である。

(単行本あとがきより)
【目 次】
 底辺−人非人吹上佐太郎伝
 村落−狂恋鬼熊事件
 美談−天国に結ぶ恋の顛末
 蒸発−女子高生籠の鳥事件
 差別−何が彼女を嬰児殺し
 家族−マイホーム合戦姑殺し
 権力−競争社会弟殺し
 財産−勤倹貯蓄双監
 景気−詐欺師自転車操業
 崩壊−天城山子連れ心中
 犯罪紳士録 明治大正昭和
 単行本あとがき
 文庫本あとがき

 大正、昭和の重大犯罪事件のルポルタージュ。重大犯罪というほどではないものもあるかもしれないが、当事者からみればやはり重大犯罪だろう。どんな事件にも表と裏があり、盗人にも三分の理があるのである。犯人を責めることは簡単だが、事件の全貌を知らずに責めるのは無責任すぎる。犯罪を風化させないためにも、このような本は必要なのである。

 収録されている事件の簡単な概要をここで示す。

<底辺>
 1923年6月、群馬県の桑畑で農家の娘H子(12)が手拭いで絞殺され、犯されていた。二ヶ月後、長野県の駅前でM子(15)が男性に声を掛けられ連れて行かれて絞殺、犯されていた。一週間後、群馬の竹藪の中で少女K子(11)が暴行され、手拭いで絞殺されていた。1924年6月、指名手配されていた早川こと吹上佐太郎が逮捕された。自白によると、11〜15歳の少女16人を犯し、4人を殺害。16歳以上の少女11人をおかし、二人を殺害。立証されたのは上記三件で、1926年死刑確定、執行された。

<鬼熊事件>
 1926年8月、恋愛関係のもつれから岩淵熊次郎は千葉県において殺人放火傷害事件を引き起こし、森林に逃げ込んだ。それから42日間、警察当局ののべ36000人を繰り出した山狩りにも捕まらず、国民の人気が沸いた。新聞記者と面会の後、自殺。

<美談>
 1932年5月、神奈川県坂田山で若い男女の死体が発見された。男性は慶応大学生、女性は素封家の令嬢であり、既に付き合って3年経っていた。が、女性が胸を病んでいたことや他の男性との縁談があったことから悲観的になり、心中したものであった。ところが、両家の家族が駆けつけたはいいが、仮埋葬したはずの女性の死体が消えていた。翌日になって大磯海岸から死体が発見。陵辱目当てと思われたが、検視の結果女性が処女であったことが判明。そのことがよけい世間を沸かせる結果となり、流行歌ともなった。火葬場人夫の頭が10日目に自供。執行猶予付きの刑を受けた。

<蒸発>
 1965年11月25日、東京都に住む女子高校三年生A子(17)は、学校からの帰り、自宅から30mほど手前の路地で無職S(39)に誘拐、監禁された。Sは以前から誘拐すべき対象の若い女性を求めてさまよい歩いていた。SはA子を裸にして自宅に監禁、ナイフで脅して関係を持とうとしたが出来ず、口淫をさせた。そのような生活は12月3日まで続き、A子は悲観し、家族に迷惑を掛けるよりは自分が犠牲になればいいと逃亡を諦めた。逆にA子はSに奇妙な愛情を持つようになり、以後、二人の同棲生活はママゴトのように続いたが、5月18日、知人に目撃されたA子は警察に保護され、Sは逮捕された。Sは誘拐、監禁などで懲役6年の刑が確定した。

<差別>
 1968年9月5日、大阪府でメリヤス加工業者Nさん(33)の赤ちゃん(生後一ヶ月)が、母親(27)が風呂に入っている間に誘拐された。警察の取調中、Nさんの愛人で従業員K子(33)が容疑者に浮上。K子は8日に自白、逮捕された。赤ちゃんは近くの神社の境内に埋められていた。K子は韓国籍で悲惨な状況の中で育ってきて、苦労も多かった。K子は愛するNさんの子供を産むつもりで、Nさんもそれを望んでいたが、K子は過去の中絶手術で子供が産めない体になっていた。さらに子供が産まれたため、Nさんの心はK子から離れていった。K子はNさんを探している途中赤ちゃんを見て逆上し、殺したものだった。一審は求刑懲役13年に対し、情状を酌量され懲役6年。検察、弁護側ともに控訴し、二審判決は懲役8年。ともに上告せず、刑は確定した。

<家族>
 法務省役人Kさんの妻H子(29)は、同居していた姑のSさん(77)が常日頃から家のトイレではなく空き地などで用を足すことが不快だったが、1969年6月10日、とうとう怒りが爆発。取っ組み合いになり、手近にあった風呂敷で絞め殺してしまった。我に返ったH子は強盗に入られたように見せかけて警察に通報したが、簡単に嘘はバレ、逮捕された。まだ存在していた尊属殺人罪で起訴された。一審求刑は懲役10年だった。

<権力>
 自民党の現役代議士、H(55)の息子である京都大学四年生A(24)と、早稲田大学三年生のB(22)は、小さい頃から仲が悪かった。兄は何事も従順な優等生タイプ、弟は運動神経の塊みたいな腕白坊主であった。二人の仲の悪さは、大人になっても続いた。1968年春にも、二人は空手で決闘しており、そのときは勝負が付かなかったらしい。特に目上の者を何とも思わない態度をとる弟に、兄はいらだちを隠せなく、家庭の平穏を乱す元凶だと思った。そして4月13日、新幹線で京都から上京した兄は、弟と決着を付けようと、弟宛に電報を送った。場所は学園紛争で廃墟と化した東大安田講堂だった。しかしこの日、弟は疲れていたため、延期を申し出た。そこで兄は弟を連れて、宿泊している旅館に戻り、酒を飲み始めた。このとき、兄は決闘を止めようと思い直していた。ところが弟が「いつやる」などと挑発してきたため、決心。帰ろうとしていた弟の不意を襲い、背中に隠し持っていた日本の登山ナイフを突き立てた。
 1971年3月3日、東京地裁は兄に対し、「心神耗弱であったが刑事責任はある」と懲役6年の実刑判決を下した。
 なおH代議士には、地元で同情する声が起こり、次期出馬を促す署名運動で二万人を突破。立候補し、見事三選を果たした。

<財産>
 1970年1月、25,6歳の若者がたばこ屋や酒屋などで千円札10枚を一万円札に両替してくれと言った。どの店も両替したが、よく見るとその千円札は、全てセロテープで張り合わせており、合わせ目が何ミリか寸詰まりだった。警察が調べた結果、それは本物の千円札19枚を切り張りして20枚にした変造紙幣だった。1月14日、新聞が報道。その結果、都内や神奈川、群馬などから立て続けに届け出があり、合計97枚となった。31日、元会社員Y(25)が警察に自首、228枚の千円札を240枚にしたことを自供した。奇妙なことに、彼の家には節約して貯めた260万円の貯金があり、警察の首を傾げさせた。通貨偽造などの罪で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の刑を受けた。
 1970年1月30日、熊谷駅はずれにある旅館で、電気代の集金人があるじであるO(55)の死体を発見。栄養失調による病死だった。ところが冷蔵庫には缶詰がぎっしり詰まっており、資産は預金だけで500万円もあり、謎だけが残った。

<景気>
 1971年1月24日、岡山空港のロビーで女子高生を無理矢理口説いていた男性が現行犯逮捕された。よど号ハイジャック事件があったため、空港は私服刑事のパトロールが強化されていた。最初はただの迷惑犯かと思われたが、男性が持っていたアタッシュケースの中からは、ヌード写真や陰毛コレクション、さらに複数の婚約した女性からのラブレターなどが入っていた。警察の追求に男は自白。結婚詐欺の常習犯I(45)は既婚で、しかも赤毛の髪はカツラだった。1969年夏以降、Iがやった結婚詐欺は39件、被害者27名、せしめた金額は420万円に上った。

<崩壊>
 1976年2月19日、伊豆天城山麓の湯ヶ島の林道で、止まっている車の中に若い男性と30代の女性、二人の子供が死んでいるのを営林所員が発見した。調査の結果、ガス心中と判明した。女性はY江(31)、子供は長男と長女、若い男性はK(24)であった。KはY江の別れた夫であり、長女の実父でもあるT(32)の弟であった。長男はY江の最初の夫の子供だった。さらにKの自宅で、Y江がいた別棟をこじ開けて入ってみると、大柄な若い男が頭を割られて殺されていた。大宮の会社員N(22)で、Y江と付き合ってる相手だった。そばにあった凶器であるバットからはKの指紋が残っており、首に巻かれてあった紐はY江のものだった。そばに遺書があり、N殺しはY江とKの共謀による殺害と判定された。


 本書はもともと1980年2月、筑摩書房より単行本として出版された。

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