澤地和夫『東京拘置所 死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(彩流社)


発行:2006.3.31



「死刑囚が「死刑」について語る…希有な書!/「『死刑囚物語』には、現代における拘置所の内部の限界状況における生活が、著者の軽やかな筆致で、ときとしてユーモラスに、ときとして悲惨に描き出されている。」(加賀 乙彦・序文より)(帯より引用)

【目 次】
 第1章 ただいま「再審請求中」
 第2章 わが死生観と獄中座禅20年
 第3章 東京拘置所の死刑囚の仲間たち(1)
 第4章 東京拘置所の死刑囚の仲間たち(2)
 死刑確定者一覧表

 作者は後藤田正晴元法相による死刑執行の再開を批判し、『週刊アサヒ芸能』1993年4月16日号に詳しく書いた。そして同誌に1993年6月より「死刑囚・澤地和夫 わが遺言」と題して連載した。しかし遺言を書いたくせに、再審請求を行って生き残る。当時の編集長であった秋本一より、その後の生活を書いたらどうかという誘いを2004年3月に受け、5月に執筆した。しかし原稿は連載されなかった。本書はその原型である。

 以下に記載するのは、04年の連載用に予定していた秋本による「死刑囚・澤地和夫」の紹介原稿であり、その後の状況については一部を修正している。

 澤地和夫は1939年(昭和14)4月生まれ。18歳で警視庁に入り、大森署勤務を経て機動隊に所属。65年(昭和40)から75年(同50)の10年間は、デモの規制や首相官邸、国会警備、各国大使館等の警備に明け暮れる日々を送っている。80年(昭和55)、22年間務めた警視庁を退官し、新宿西口で居酒屋を経営するが失敗して多額の借金を背負う。
 その借金の保証人の多くがかつての職場の同僚や後輩らであったため、彼らを裏切ることはできないとする、澤地流の男気が犯行の引き金となる。84年(昭和59)10月、いかさま品を扱う宝石ブローカーと、悪辣な女性金融業者とを相次いで殺害し、一か月後の同年11月23日、強盗殺人罪で逮捕される。裁判では、一、二審とも死刑判決を受けるが、93年7月、当時の後藤田法相による3年ぶり、3人の死刑執行に抗議して上告を取り下げ、みずから死刑を確定させる。
 その直前の93年6月より『週刊アサヒ芸能』誌上にて、16回の連載記事を公表している。内容は、獄中における死刑囚処遇の実態や同房者らとの拘留状況、死刑制度の問題点などを死刑囚の立場から論じ、また、獄中での性などを赤裸々に告白している。
 また、右同誌の連載のほか、彩流社より『殺意の時』『監獄日記』『拝啓 江副さん』の三冊を上梓するなど、執筆活動も旺盛な死刑囚のひとりである。
 その後2000年9月、人権派の弁護士の協力を得て再審を請求。しかし、03年3月、第一次再審請求棄却。同年4月、東京高裁に即時抗告の申立をなし、05年12月現在に至っている。

 第1章で澤地は、死刑執行の何の意味がない、と言っている。理由として、「死刑が凶悪犯罪の防止に役立っているという証拠は、古今東西の歴史上からも存在しない」「一年間で殺人事件は約千件強発生するのに、死刑が確定するのはせいぜい10人前後でしかない。死刑で被害者が慰謝されるのならば、それはわずか1%の人にすぎず、99%の遺族は全く慰謝されない」を挙げている。もっともこれらは古くから言われている事であり、反論はいかにでも可能。もっとも澤地も、そうした現実を承知の上で死刑存置が支持されるのであれば、何も言うつもりはないと言っている。
 だからといって、「「犯人の死刑は当然」という世間一般の気持と、自分の目的実現のためには、もはや人を殺すこともしかたがないとする犯人の気持とは、その根本においてどこか心情的につながっているように思われる」というのは、自らを肯定し死刑を否定しようとする暴論だろう。また、終身刑については「自分なりの生きる価値を見出すことが可能ゆえに、少なくとも私は、終身刑にもそれなりの意義がある」としている。
 さらに再審請求の内容についても触れられている。マルヨ無線強盗殺人放火事件の第五次再審請求棄却における最高裁判決において、「確定判決において科刑上一罪と認定されたうちの一部の罪について無罪とすべき明らかな証拠を新たに発見した場合は、その罪が最も重い罪でないときであっても、主文において無罪の言い渡しをすべき場合に準じて、刑訴法四三五条六号の再審事由に当たると解するのが相当」に照らし合わせ、自分の詐欺事件が無罪であると訴えて再審請求を起こしたものである。確かに頭がいいと云えるが、こういう法律の悪用は許されるべきものではない。
 他にも新東京拘置所についても触れられているが、それについては省略する。

 第2章は、自らの「死生観」について語ったもの。とはいえ、「稀代の強姦殺人魔といわれた小平義雄やあの大久保清と自分は、決して同類の人間ではない」と言っても、同じ死刑囚でしかなく、しかも人を殺したという事実については何の変りもない。どのような理由であれ、金を奪ったという点については小平や大久保とは別種の悪人であるとしか言いようがない。他にもいろいろ書いているが、ここに記すような内容はない。

 第3章は、東京拘置所で出逢った他の死刑囚について書かれている。
 田中重穂死刑囚の事件当時、澤地は事件が起きた東村山署の警ら係長(警部補)であった。もっとも田中は、澤地のことを覚えていなかったという。
 野口悟死刑囚はよくあっていたが、平田光成死刑囚は顔を合わせたことが無かったという。逆に平田は澤地の共犯者である猪熊武夫死刑囚と親しかったらしく、澤地への平田からの唯一の手紙には、天皇崩御に伴う恩赦は必ずあると信じて、上告を取り下げたことが書いてあった。もちろん恩赦は無く、上告を取り下げなかった野口は平田に引きずられる形で、当時としては早い段階で執行された。
 永山則夫死刑囚とも手紙のやり取りがあったという。書いてある内容が長く、哲学的で何が何だかわからなかったという。書き写されていた一部を読んだが、確かに訳が分からなかった。
 朝倉幸治郎死刑囚については、死刑囚の「心情の安定」と外部交通の制限の見本ともいえる例があるといっている。当局は、死刑廃止の会のメンバーなどと交流することは君のためにならない、などといって説得し、朝倉はそれに従ったと非難している。また、朝倉はいつも「ありがとうございました」と大きな声でお礼を述べる、夕方点検後の挨拶時に点検官に向かって「お休みなさい」と大きな声を掛ける、など、職員には絶対たてつくことがないゴマすり野郎であったとも非難している。そんなことは個々の勝手であり、別に他人の行状を告げ口するわけでもないのだから、何の問題もないと思うのだが。一度ひねくれてしまうと、こうなってしまうのかという見本かもしれない。

 第4章も、東京拘置所で出逢った他の死刑囚について書かれている。
 袴田巌死刑囚とは個人的交流は無かったが、目に輝きが無く、戸外運動に出ることもなく、一日の大半を自房で歩き回っていたという。また入浴は一番最後で、2,3か月に一度は自房から引きずり出されて仰向けにされ、両手足を職員にもたれて保安房の方に連行されていたとのこと。精神を病んで、もはやまともな状況でなかったという。また澤地は、袴田や荒井政男死刑囚は、このまま東京拘置所において人生を終えるのが良いと思うと書いている。もう死刑を執行されることはほぼ有り得ず、もちろん無罪を勝ち取ってほしいが、無罪を勝ち取った後、再審弁護人や支援者らがその後もずっと面倒を見てくれるのか、それだったら永久に衣食住の心配が不要な拘置所にいた方が良いと断じている。もっとも澤地は知らないが、袴田さんは再審請求が認められ、釈放された(現在、即時抗告中)。現在は姉と共に暮らしているが、多分支援者か人権団体の誰かが一生世話をしてくれるだろう。
 荒井政男死刑囚は目が見えず、足が不自由で移動は車椅子の状態であったため、食事以外は独房の畳の上にうずくまるような恰好で座り続けているだけであったという。
 益永利明死刑囚については、法務官僚のだれよりも、日本の悪しき監獄組織・監獄行政の改革に取り組んでいる人間だと評している。益永が起こした三菱重工爆破事件の時、澤地は警視庁第八機動隊に所属しており、現場に出動したものの、事件から30分以上経っても窓ガラスの破片が花吹雪のように散って落ちてくる状況であり、その時の出動は防弾チョッキを着た出動衣ではなく制服であったことから、第二次災害の可能性があったため、近づくことができなかったという。
 最後に自らのことについて語っている。死刑囚が規則正しい生活を送っているとか、法制審議会監獄法改正部会で提出された資料にある一週間の平均的な日課などは誤りだと言っている。また、現役の死刑囚から見て、死刑制度、死刑囚、死刑執行の問題について知ったかぶりをして本などに書いているジャーナリストが多いと非難している。
 澤地は東京拘置所における死刑囚の日常についてこう書いている。東京拘置所には特別な死刑囚舎房はなく、刑事被告人である他の一般在監者と基本的に同じ生活様式である。ただし、死刑確定者として特別優遇されていることに以下がある。

 顔そり(ひげそり)、入浴、運動、コーヒータイム、自由時間、面会、発信回数、発信部数等は、一般の刑事被告人とまったく同じ扱い。担当区長の面接指導や、教育課長面接指導等は、少なくとも東京拘置所ではない。

 最後に自分について、「死刑囚であるのに、未だ死刑囚になり切っていない男」であるといっている。自分が「殺人者」「死刑囚」であることに馴染みきれていないと自己分析している。さらに、本来の自分は、殺人者や死刑囚になるよな人物ではない、事件のことは何かの間違いだ、と思っている。


 本書は先に記した通り、2004年5月に執筆したものである。それを2005年9月に行われた第一回大道寺幸子基金による「死刑囚の表現展」に応募し、優秀作品に選ばれ、10月8日の「世界死刑廃止デーの特別企画 響かせあおう 死刑廃止の声」の集会で発表され、それがインパクト出版会を通して彩流社の目にとまり、出版となったものである。
 澤地和夫が結構頭のよい人物だったのだと思う。しかし自信過剰なところが裏目に出て、多額の借金を抱える羽目になり、しかも警察時代の仲間から金を借りまくっていたことから犯罪に手を染めてしまう。
 死刑判決の上告中、後藤田法相が3年ぶりに死刑執行を再開したことに抗議し、自ら上告を取り下げて死刑が確定。もっとも、上告を取り下げた方が執行までの期間が長くなるという狙いがあったことを後に告白している。最もそのようなデータは無いので、見栄っ張りな性格が表に出た結果だけのような気もするが。
 死刑囚との接点などは興味深かったが、ほとんどの文章で己が正しいという感覚で書いていることから、読んでいて不快になる部分も多い。朝倉幸治郎元死刑囚のことをゴマすり、佐川和夫元死刑囚のことを小心者と揶揄する点については、もはや呆れるとしか言いようがない。自らの犯した罪について未だに他人事である点については、怒りすら覚える。借金を抱えた原因は自分にあるという肝心なところについては全く触れようともせず。
 結局澤地は、自らに自惚れるタイプだったのだろう。自意識過剰ともいえる内容の一冊だが、一応は東京拘置所の状態や死刑囚の生活などについても書かれているので、その点を知りたいという人については、我慢しながら読んだ方がいいよという注釈つきでお勧めする。

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