早瀬乱『レテの支流』(角川ホラー文庫)

 その水を飲むと過去を忘れてしまう忘却の川・レテ。怜治はS大医学部で脳を研究している友人山村が記憶を消去する装置を開発中だと知り、自分の記憶を消す決意をする。それは一世を風靡したバンド「レテ」のボーカルとして活躍した栄光の二年間の記憶だった。だが、過去と決別した怜治に連鎖するように、次々と奇妙な出来事が起きる! 前代未聞のアイデアと圧倒的なストーリーテリングで読者を魅了する驚愕の記憶ホラー。第十一回日本ホラー小説大賞長編賞佳作。(粗筋紹介より引用)
 2004年、第11回日本ホラー小説大賞長編賞佳作。

 作者は2005年に『通過人の31』が第51回江戸川乱歩賞最終候補となり、翌年に『三年坂 火の夢』で第52回江戸川乱歩賞を受賞している。この受賞作は題材こそ面白かったが、物語の面白さが今一つだった。本作品もそうなのかなと思っていたが、逆に物語の方が途中まで面白かったが、設定に説得力が欠けている気がした。
 記憶を無くす装置という設定自体は割に見られるし、無くしたい記憶というのは誰にでもあるのでそのこと自体は目新しい設定というわけではない。ただ、記憶を無くした主人公が高校時代に自殺したはずの人物を見掛け、そこから過去を探るうちに高校時代の同級生たちが次々と変死を遂げ、そして話がトンデモな世界(ここでは褒め言葉)に進んでいくのは逆に凄い。死者の復活や多重世界を、記憶の消去という脳生理学方面からのアプローチで絡めていくというのは、確かに斬新なアイデアかも知れない(SF方面はよく知らないので推測だけど)。ただ正直なところを言うと、いくらでも突っ込みが可能と思われるような「理論」になっているのが残念。例えば、一人の人間の生を正とするために多数の命を奪うというのなら、復活する一人の人間の生を奪った方が社会に対する影響がよっぽど小さいと思うし、バグの修正もごくわずかだと思うのだが。それに葬式で本人だけどうやって生き残らせようとしたのだろう。そもそもこの理論にどうやって最初に辿り着いたのかがわからないのは片手落ちじゃないか。
 選評を読んでいないのでわからないが、佳作に終わったのは結局大風呂敷のたたみ方が穴だらけだったところにあるのだろうと思う。ホラーと言うよりはSFに近いので、むしろそちらを意識して最後まで持っていた方が、もっと自由に結末を付けることができたのではないだろうか。あっ、自殺した同級生の父親から来る陰湿な手紙は、十分ホラーだったし、ろくに関係も無いのにあんな手紙が来たら一通だけでもおかしくなりそうだ。




森山東『お見世出し』(角川ホラー文庫)

「お見世出し」とは花街で修業を積んできた少女が舞妓としてデビューする晴れ舞台のこと。お見世出しの日を夢見て稽古に励む綾乃だったが、舞の稽古の時、師匠に「幸恵」という少女と間違われる。三十年前に死んだ舞子見習いの少女・幸恵と自分が瓜二つだと知り、綾乃は愕然とするが――。
 千二百年の都・京都を舞台に繰り広げられる、雅な恐怖譚。第11回日本ホラー小説大賞短編賞受賞の表題作に二編を加えた珠玉の短編集。(粗筋紹介より引用)
「お見世出し」で2004年、第11回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。同年11月、表題作を含めた本書を角川ホラー文庫で刊行。

 京都のホームバースタイルのお茶屋で、見世にいる小梅が「お見世出し」の話を始める。30年前、幸恵という天才少女がいたのだが、周囲に妬まれ、最後は奸計にはまって自殺してしまう。小梅は幸恵と瓜二つであり、才能もあった。そして修行に耐えて舞妓になった小梅は、お見世出しを行うことになったが。「お見世出し」。
 普通のOLだった主人公は、舞妓を目指すため「伝之家」に入る。年下の春紅と、霊感の強い春雪に世話になりつつ、彼女は無事に舞妓・弥千華となることができた。そして新たに入ってきた真奈を、春紅は徹底的にしごく。京都の節分に花街で行われる芸舞妓を題材にした「お化け」。
 扇子屋「杉一」に養子に入った要三は、周囲の職人に技を仕込まれる。そして無事に後を継ぐことができたが、先代から「大呪扇」の話を聞かされた。それは百年に一度だけ作られるもので、災いを吸う力があるという。先代が日露戦争の時に作らされたというその話は。「呪扇」。
 いずれも京都を舞台とし、語り手が体験した話を語る形式となっている。京都弁と古都という舞台が怪しい雰囲気を醸し出すことに成功してはいる。「お見世出し」と「お化け」はともに舞妓を主人公としているが、作品としては圧倒的に前者の方が良い。というか、後者の方が今一つという感が強い。短編で同じような世界を並べられるのもどうかと思うし、まとまりにも欠けていた。逆に受賞作となる「お見世出し」の世界観は見事と言える。できればこれ1作だけで読んでみたかった。
 「呪扇」については、グロテスクな描写が好きになれない。何もここまで丁寧に書かなくても、と思ってしまったが、これは好みの問題だろう。古都である京都ならそのような扇子が作られていてもおかしくはないと思わせるところは、作者の描写力が上手いところではある。異様な迫力があったことは、認めざるを得ない。
 実力はあるのだろうけれど、気のせいか書ける世界が狭いのではないかと思ってしまう。普通の題材を使った時、どれぐらい書けるかが勝負だろう。




福島サトル『とくさ』(角川ホラー文庫)

 神経を病んで事件を起こした男から送られてきた1編の小説。少年は母親とともに花火大会を見に来たが、母親は用事があるからとつつじ園へ行ってしまう。待つようにと言われた少年だったが、トイレに行きたくなり、母親の後を追ってしまった。「ナイヤガラ」。
 中学生の少年は、小学生時代に療養していた叔父が住む村へ一人で行く。当時の記憶を無くしていた少年は、左手を閉じたまま決して開こうとしない少女と出会う。「掌」。
 新聞社に届いた手紙を元に取材に出かけた私だが、取材先の人物は悪戯だと取り合わない。帰る途中、私は道の真ん中で死んだ犬をなでている少女と出会った。私は少女と犬を乗せ、埋める場所を探す。「犬ヲ埋メル」。
 新聞記者を辞めた「私」は、御溝と名乗る奇妙な男から秘薬ニスイについて執筆を依頼されるが、取材相手の死など不吉な体験をする。実は、御溝は死者の言葉を呼び返そうとしていたのだ。庭を覆い隠す木賊のように「私」の不安は増殖してゆく。言葉の呪術的な力を駆使した「とくさ」(粗筋紹介より引用)。
「とくさ」で2004年、第11回日本ホラー小説大賞佳作受賞。同年11月、表題作を含めた本書を角川ホラー文庫で刊行。作者は同年、「はいけい、たべちゃうぞ」で第20回ニッサン童話と絵本のグランプリにおいて童話部門最優秀作品賞を受賞している。

 ホラーと言うよりは幻想小説に近い作風。解説で内田百閧ノ触れられているのだが、さすがにそこまでの文学性はない(文学性って何といわれても困るけれど)。言いたいことはわからないでもないが。
「ナイヤガラ」は少年の視点ということがあるのかも知れないが、読みづらい。「掌」「犬ヲ埋メル」については、内容の把握に手間がかかった。「とくさ」についても、なんだか読者を置いてけぼりにしているかのような、描写不足な世界観の文章が続く。これは暗喩が多いせいだろうか。
 独特の世界観があることは認めるが、物語として楽しめるかとなると別問題。なんかもやもやとしたまま読み終わってしまった。




恒川光太郎『夜市』(角川書店)

 大学生のいずみは、高校時代の同級生・祐司から「夜市にいかないか」と誘われた。祐司に連れられて出かけた岬の森では、妖怪たちがさまざまな品物を売る、この夜ならぬ不思議な市場が開かれていた。
 夜市では望むものが何でも手に入る。小学生のころに夜市に迷い込んだ祐司は、自分の幼い弟と引き換えに「野球の才能」を買ったのだという。野球部のヒーローとして成長し、甲子園にも出場した祐司だが、弟を売ったことにずっと罪悪感を抱いていた。
 そして今夜、弟を買い戻すために夜市を訪れたというのだが――。(帯より引用)
 荒俣宏、高橋克彦、林真理子の全選考委員が激賞した、第12回日本ホラー小説大賞受賞作「夜市」と、人間が通ってはいけない「古道」に入ってしまった二人の少年の物語「風の古道」を収録。

 偶数回の日本ホラー大賞には傑作が多いし、「夜市」の評判は色々なところから聞こえていたので、楽しみにしていた。大抵このような期待は裏切られることが多いのだが、本書は期待通りの作品だったので、とても嬉しい。
 妖怪たちが品物を売る市場といういにしえの日本で語られたような舞台設定から、ホラーというよりも幻想小説という言葉がしっくり来る展開が続く。まあ、この夜市という舞台だけで終わってしまえば、よくある物語という言葉で終わってしまうのだが、老紳士とともに人攫いの店に行ってからの展開は完全な予想外。こんな哀しい物語を、この舞台と融合させた、というだけで凄い。
 しかも情景描写や登場人物が目をつぶると浮かんでくる。何もかもが、フィルターのかかったような幻想世界の中で、鮮やかに映し出されるのだ。見事というしかないね、これは。
 「夜市」の方はすばらしい出来映えなのだが、「風の古道」は残念ながら少々落ちる。こちらも「古道」という民族学で取り上げられているような舞台を用意しているし、導入部からふたたび「古道」に入るまでの展開はいいのだが、その後の展開がややありきたり。普通だったらこれでも満足しているのだろうが、やはり「夜市」を読んだ後のインパクトには欠けてしまう。
 短編2作を読んだだけだが、凄い才能の持ち主に見える。長編を書いたら、どれだけ凄いものを書いてくれるのだろうか。それともこの作品はただのフロックなのだろうか。第2作が楽しみだ。




大山尚利『チューイングボーン』(角川ホラー文庫)

 “ロマンスカーの展望車から三度、外の風景を撮ってください――”原戸登は大学の同窓生・嶋田里美から奇妙なビデオ撮影を依頼された。だが、登は一度ならず二度までも、人身事故の瞬間を撮影してしまう。そして最後の三回目。登のビデオには列車に飛び込む里美の姿が……。死の連環に秘められた恐るべき真相とは? 第12回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2005年、第12回日本ホラー小説大賞長編賞受賞。同年11月、角川ホラー文庫より刊行。

 主人公の原戸登は大学卒業後、居酒屋チェーン店で昼から夜中までバイトをしている就職浪人。父親と二人暮らしで母親は死亡、犬のサリーを飼っている。友だちもなく、冴えない男。そんな男が、大学の同窓生から頼まれてロマンスカーから撮影中、人身事故に遭遇。これが中盤まで3回続くのだが、同じパターンの内容が繰り返されるだけで、読んでいても退屈。心理描写や生活風景がやけに細かく書き込まれており、苛立ちだけが募ってくる。もうちょっとテンポよく描けなかったかな。
 後半で撮影の理由が明かされるのだが、はっきり言ってつまらない。作者が描写しようとした「怖さ」はそこではなく、それに携わろうとする主人公の心理だったのだろうが、はっきり言って不快感しかない。多分作者が狙った方向とは別の不快感だろう。言っちゃ悪いが、短編に仕上げた方が良かったと思う。歯医者のシーンとか、はっきり言って不要。
 描写だけはうまいと思ったけれど、ホラーとは思えなかった。選評で林真理子が「純文学系の新人賞に応募しても、高い評価を得られるに違いない」と書いているが、つまらないと言われるだけだろう。荒俣宏が「カメラを向けると事故がおきるというパターンが何度も同じ調子では、飽きる」と評したのが最も的確だと思った。
 この年の大賞受賞は恒川光太郎「夜市」。そりゃ、格が違うわ。




あせごのまん『余は如何にして服部ヒロシとなりしか』(角川ホラー文庫)

 クリクリとよく動く尻に目を射られ、そっと後をつけた女は、同級生服部ヒロシの姉、サトさんだった。ヒロシなら、すぐ帰ってくるよ――。風呂に入っていけと勧められた鍵和田の見たものは、緑色の張りぼての風呂桶。そこに裸のサトさんが入ってきて……。
 ゆっくりと自分が失われていく恐怖を描く、第12回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2005年、「余は如何にして服部ヒロシとなりしか」で第12回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。「浅水瀬」「克美さんがいる」「あせごのまん」を収録し、2005年11月、角川ホラー文庫より刊行。

 作者だが“あせごの”が姓で、“まん”が名前。最後の作品で由来が出てくるが、阿波と土佐の堺にある阿瀬郷という土地に生まれた男の子の名まえが“まん”というところから来ている。
 「余は如何にして服部ヒロシとなりしか」は短編賞受賞作。奇妙と言ったら奇妙だし、異様と言ったら異様。バカバカしいと言ってしまえばそれまでだが、その一言で捨て去るには惜しい作品。“如何にして”ではなく“なぜ”の部分がもっと欲しかったかな。あまり好きにはなれない作品ではあったが。
 遅刻して大学院試験に落ちた米田健一。バイクに乗っている途中事故を起こし、目を覚ますと怪我人の健一の横で怪談噺を始める男たち。「浅水瀬」。まあタイトル自体がネタバレだと思うので備忘録の意味で書いてしまうが、“浅水瀬”とは仏教用語で三途の川にある渡し場の一つ。オチが見え見えなのでそこまでをどう持っていくかにかかっているが、ありきたりすぎて楽しめなかった。
 ICUに入っていたあの女がとうとう亡くなった。葬儀もあるしと通帳などを探し始めるが、慎治は色々と煮え切らないし、中三の桃子は亡くなったばかりで金の話をするなんてと怒って家を飛び出してしまう。「克美さんがいる」。読んでいて違和感があることから話の落ちは見えてくるが、それでも結末までのストーリーの運び方は秀逸。身につまされる人も多いのではないか。本作品中のベスト。推理作家協会賞の短編賞の候補になったのも納得の出来である。
 なかなか子供ができなかった炭焼きの夫婦だったが、里のものから子授け地蔵の事を聞き、毎日お参りしていたらとうとう男の子が生まれた。夫婦はその子供に「万」と名付けたが、半年で歩き出し、川の石は飛び跳ね、大きな木にすたすた上るなど、地蔵の申し子らしい育ち方をした。「あせごのまん」。全編土佐弁で読みにくいのだが、迫力があるのはわかる。ただ、この趣向は失敗だったと思うけれどね。
 デビューから全作とも作風が異なるというのは珍しい。作品に出来不出来があるのは仕方がないが、作風を変えてくるのは器用さを見せつける半面、作者の個性が見えてこないという欠点があると思う。とはいえ、表題作みたいな作品を何作も読まされるのは正直言ってきついのだが(苦笑)、せっかくの独特な作風だったのだから、そろえるべきだっただろう。少なくとも作者には、その実力があるように見えたから。




矢部嵩『紗央里ちゃんの家』(角川ホラー文庫)

 叔母からの突然の電話で、祖母が風邪をこじらせて死んだと聞かされた。小学5年生の僕と父親を家に招き入れた叔母の腕は真っ赤に染まり、祖母のことも、急にいなくなったという従姉の紗央里ちゃんのことも、叔母夫婦には何を聞いてもはぐらかされるばかり。洗面所の床からひからびた指の欠片を見つけた僕はこっそり捜索を始めたが……。新鋭が描いた恐ろしき「家族」の姿。第13回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作、待望の文庫化。 (粗筋紹介より引用)
 2006年、第13回日本ホラー小説大賞長編賞受賞。同年11月、単行本刊行。2008年9月、文庫化。

 応募時、作者は武蔵野大学在学中。ページ数は160ページ。長編賞を受賞してはいるものの、どちらかと言えば中編と言ってよい長さである。もちろん、小説の出来に長さは関係ないが。
 ということで薄いからあっと言う間に読み終えたのだが、文章が下手なのはさておいて(問題だらけだけど)、中身は首をひねることばかりでさっぱりわからなかった。祖母(父親から見たら母親)が死んで数ヶ月経ってようやく連絡をもらう時点でおかしい。従姉が行方不明になっているのに両親が平然としていたら少しは脅えろよと言いたいし、殺されるかも知れないのにまだ泊まろうとしているのも不思議。バラバラ死体を見つけたら逃げ出せよ。電話に出た刑事も意味不明。食事に虫が入っていたら、食欲なんて失せるだろう。
 この作品にストーリーを求めちゃいけないし、内容に突っ込みを入れても無意味である。登場人物が皆異常なのだから。ただ、世界観を全く作れないまま物語が終わってしまうのでは小説として問題。異常なら異常なりの納得できる小説世界を作者が作れなければ、ただの落書きである。グロテスクな場面を継ぎ接ぎするだけでは、何も面白くないのだ。それもグロテスクなだけで、恐怖感は全く伝わってこないし。腐った指を口の中に隠すというのは本来ならショッキングな内容であるはずなのに、読んでいても何とも思えないというのは、ある意味凄い書き方である(当然褒め言葉ではない)。
 文章も問題だらけ。小学生が主人公だからといって、中身を低レベルの小学生のような稚拙な文章にする必要はない。いきなり漢字の全てにふりがなが付いたり、句読点がなくなったり、効果的ではない擬音語を使ったり。
 文章もダメ、世界観もダメ。内容は全く理解できない。なぜこれが受賞できたのか、選評を読んでもさっぱりわからない。昔の同人誌を思い出しますね、自分の気に入った場面だけを延々と描き続けるような作品を。




吉岡暁『サンマイ崩れ』(角川ホラー文庫)

 熊野山地の集落で台風による山崩れが起こった。パニック障害と離人症性障害のため入院中だった僕は、いてもたってもいられなくて、病院を抜け出した。現地対策本部で出会った不思議な老人ワタナベさんと二人の消防団員とともに、土砂崩れで流された墓地の応急処置に向かうが……。第13回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した表題作のほか、書き下ろし中編「ウスサマ明王」を併せて収録する。(粗筋紹介より引用)
 2006年、「サンマイ崩れ」で第13回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。応募時名義平松次郎。書下ろし中編「ウスサマ明王」を加え、2008年7月、刊行。

 短編賞受賞作でも受賞時と同年に出版されることが多いのだが、本作は受賞から約2年後の出版。書下ろしに時間がかかったのだろう。
 短編賞を受賞した表題作「サンマイ崩れ」は、精神科に入院している学生が主人公。その時点でこれは肌に合わないかなと思ったが、筆致がいやに落ち着いているので、何とか最後まで読み終わることができた。病状について語られるところなどははっきり言って迷惑でしかないのだが、それを除けばありきたりな部分があるとはいえ、旨く構成されていると思う。独りよがりにならず、大人の鑑賞に耐えうる作品といったところだろうか。
 「ウスサマ明王」は一転して明治中期の貧困にあえぐ家族を題材にした作品かと思ったら、次の章で平成の戦闘部隊ものになっているから眼が点になった。読んでいくうちに、対ユーマル(未特定鳥類様擬態生物)戦闘部隊がユーマルを退治するために探し回るという話だということが分かる。ホラーという気はしないのだが、本来科学的な怪物と対峙するイメージの強い戦闘部隊が日本古来の怨念と絡み合うところは、なかなかのアイディアかもしれない。残念ながら文章の描写力が追い付いていない気がしないでもないが、力の入った作品であることはわかる。
 書下ろしに時間をかけただけの作品であることはわかった。ただ、時機を逸した感がある。やはり短編の方は受賞してすぐに短編集を出せるように準備しておくべきだっただろうし、「ウスサマ明王」は長編にすべき題材だったと思う。




曽根圭介『鼻』(角川ホラー文庫)

 人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。(粗筋紹介より引用)
 2007年、「鼻」で第14回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞(この年の受賞作はこれのみ)。作者は同年、『沈底魚』で第53回江戸川乱歩賞を受賞している。本作品は書き下ろし2編を含み、2007年に刊行。

 個人が全て株式上場され、学歴や経歴、日頃の行いだけではなく、家族や友人の優劣も含めて全てが評価される世界。平凡な家庭に生まれた主人公は努力でエリートクラスまで評価を上げ、結婚まで決まっていたが、兄の逮捕をきっかけにどんどん株価が落ちていった。「暴落」。
 目を覚ますと、なぜかビルとビルの間の路地に手錠で繋がれていた主人公。呼べど叫べど、誰も助けが来ない。飢えと渇きに悩む主人公の所へ現れる3人がそれぞれ現れた。当然助けを求めるが、全く役に立たない。「受難」。
 この2編はどちらも一人称で書かれるホラー作品。「暴落」は近未来の日常、「受難」は現代の非日常と舞台こそ違うが、異常な状況設定であることに変わりはない。世界観を詳細に説明することなく、読者を作品世界に引きずり込むその筆力はかなり高い。
「暴落」はその転落振りのすさまじさも見事だが、結末にいたる展開についてはもう唸るしかない。絵を浮かべるととてもおぞましいのだが、どことなくユーモラスな流れに読めてしまうのは、作者の筆の巧さだろう。個人的には一番評価が高い。
「受難」は、主人公を全く助けようとしない3人の姿がユーモラスでかつ恐ろしい。彼らの言動だけを取りあげるとどことなく笑えてしまうのだが、対する主人公の切実さと比較してしまうと、そこに背中が震えるような恐怖が漂ってくる。
 そして受賞作となった「鼻」。テングとブタに二分されている社会が書かれ、ああ、また異常な状況設定が書かれるのかと思いきや、自己臭症に悩む刑事によるモノローグが随所で挟まれる。なんだこれはと思いながらも読み進めていくと、最後でその仕掛けがわかる仕組みになっている。状況を把握しづらいという欠点を感じたが、そのトリッキーな仕掛けに気付いた時の恐怖感は相当なもの。これは解説を読んでからもう1度読んでみると、別の面白さを見つけることができるかも知れない。
 それにしてもこの短編集、ホラーならではの恐怖も存分に描かれているし、リーダビリティも非常に高い。少なくとも乱歩賞受賞作『沈底魚』よりずっと面白い。発表当時、なんでもっと話題にならなかったんだ? ランキングに入ってもおかしくない作品集と思える。




真藤順丈『庵堂三兄弟の聖職』(角川書店)

 庵堂家は代々、遺体から箸や孫の手、バッグから花火まで、あらゆる製品を作り出す「遺工」を家業としてきた。長男の正太郎は父の跡を継いだが、能力の限界を感じつつある。次男の久就は都会生活で生きる実感を失いつつあり、三男の毅巳は暴走しがちな自分をやや持て余しながら長兄を手伝っている。父親の七回忌を目前に久就が帰省し、久しぶりに三兄弟が集まった。かつてなく難しい依頼も舞い込み、ますます騒がしくなった工房、それぞれの思いを抱く三兄弟の行方は?第15回日本ホラー小説大賞大賞受賞作。(「BOOK」データベースより引用)
 2008年、第15回日本ホラー小説大賞受賞作。2008年10月、単行本刊行。


 作者は2008年に『地図男』で第3回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞してデビュー。その後本作で第15回日本ホラー小説大賞大賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞を受賞。2008年に一挙新人賞四賞受賞という快挙を成し遂げている。
 2007年、2006年とホラー小説大賞は出ていなかったので3年ぶり。この年は他に長編賞1作、短編賞2作が受賞しており、豊作であったとはいえる。
 最初から死体を見渡すシーンが出てくるので嫌になりかけたが、よくよく読んでみるとそれは遺体を加工して家具や食器などを作り出す「遺工師」という職業だとわかる。遺工師の長男正太郎、父親の七回忌のために東京から帰ってきた二男久就、汚言症であり暴力衝動が激しい三男の毅巳。いずれも常人とは異なるキャラクターがはっきりしており、読んでいてわかりやすい。「遺工師」の仕事を取りまとめている彼らの叔父や、毅巳の恋人であるホステスの美也子なども、色々な意味でトンデモな人たちである。
 キャラクター設定は際立っており、「遺工師」という設定もなかなかの物。私だったら遺体を加工した食器や家具、石鹸なんかを使いたいとは思わないが、それは人によって違うのだろう。
 前半は三兄弟の生ぬるいやり取りが続くので、まさかこれだけで終わるのかと危惧していたら、三男毅巳の美也子をめぐる暴走や、暴力団組長夫婦が事故で亡くなった9歳の娘の剥製を頼むなど、事態は急展開。最後に結構ショッキングな内容はあるものの、実は三兄弟のヒューマンストーリーに落ち着くのだ。
 ということで、これをホラーとして読んだら期待外れに終わるだろう。グロテスクな表現こそあるものの、ホラーとしての恐ろしさは皆無といっていい。しかし、林真理子の言う「さわやかな読後感」というのは納得する選評だ。ただ、これが「大賞」かと言われるとちょっと首をひねるところがあるのも確か。特にこの年の長編賞が『粘膜人間』だったことを考えると、どちらがホラー大賞にふさわしいかという点でこの作品はアドバンテージにさらされたことが少々残念である。




飴村行『粘膜人間』(角川ホラー文庫)

「弟を殺そう」――身長195cm、体重105kgという異形な巨体を持つ小学生の雷太。その暴力に脅える長兄の利一と次兄の祐太は、弟の殺害を計画した。だが圧倒的な体力差に為すすべもない二人は、父親までも蹂躙されるにいたり、村のはずれに棲むある男たちに依頼することにした。グロテスクな容貌を持つ彼らは何者なのか? そして待ち受ける凄絶な運命とは……。
 第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した衝撃の問題作。(粗筋紹介より引用)
 2008年、第15回日本ホラー小説大賞の長編賞受賞作『粘膜人間の見る夢』を改題・改稿。2008年10月、角川ホラー文庫より刊行。

 舞台はどうやら太平洋戦争あたり。巨体な小学生の弟を殺害する依頼先は河童の三兄弟。小学生対河童の血みどろの戦いが「第壱章 殺戮遊戯」。そして、殺人の依頼の報酬として勝手に差し出された清美が、徴兵を拒否して行方不明になった兄の居所を捜す憲兵によって幻覚剤「髑髏」を飲まされるのが「第弐章 虐殺幻視」。脳を半分失って記憶も失くした雷太は、行方不明になった二人の弟を捜す河童三兄弟の長兄モモ太に助けられ、森に棲むキチタロウに脳と記憶を取り戻す方法を教えられる。モモ太と雷太は友人である鉄砲持ちのベカやんを殺し、鉄砲を奪って村に行き、新鮮なガキの脳みそを手に入れるのが「第参章 怪童咆哮」。
 戦時中の世界観に民話や妖怪の世界が混じり合う不思議な空間。登場人物(人物じゃないのもいるな)は皆身勝手でおかしなところがあるし、繰り広げられる物語は異様だし、ある意味支離滅裂でもあるのだが、圧倒的なパワーは本物。そのせいで、残虐なシーンは寒気がするし、拷問シーンはおぞましい。グロやスプラッタが好きな人にはたまらないでしょうね。正直言ってこの手の描写は苦手なのだが、それでも読むのを止められない、麻薬みたいな妖しさがある長編。
 選考委員は、この作品の受賞や出版によく賛成したものだ。そのことに関しては素直に感心した。




田辺青蛙『生き屏風』(角川ホラー文庫)

 村はずれで暮らす妖鬼の皐月に、奇妙な依頼が持ち込まれた。病で死んだ酒屋の奥方の霊が屏風に宿り、夏になると屏風が喋るのだという。屏風の奥方はわがままで、家中が手を焼いている。そこで皐月に屏風の話相手をしてほしいというのだ。嫌々ながら出かけた皐月だが、次第に屏風の奥方と打ち解けるようになっていき――。しみじみと心に染みる、不思議な魅力の幻妖小説。第15回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2008年、「生き屏風」で第15回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。皐月シリーズ「猫雪」「狐妖の宴」を加え、2008年10月刊行。

 作者は2006年、「薫糖」で第4回ビーケーワン怪談大賞佳作受賞するなどの活躍がある。過去にどういう作品を書いていたのかは知らないが、本作は妖怪たちが出てくる「昔話」である。主人公は、県境で里の守り神として暮らしている妖鬼の皐月。とはいえ第1話はまだしも、残り2話については狂言廻しに過ぎない。話の中心となっているのは、「生き屏風」なら屏風に宿った霊の奥方であるし、「猫雪」なら楽隠居の次郎と猫であり、「狐妖の宴」なら惚れ薬を作ってくれと頼む娘と狐妖と皐月の前任者である猫先生だ。
 内容としては、いずれも妖の者が登場するとはいえ、ほのぼのとする「昔話」である。その短さも含め、お伽噺に近い味わいがある。はっきり言ってしまえば、全く怖くない。それでも短編賞を受賞させてしまうのだから、選ぶ方も懐が深いというか。ただ、ホラー小説大賞というくくりを外してみてみる分には、結構おもしろい作品である。これでもう少し描写が巧いと、もっと味わい深くなるのだが。




雀野日名子『トンコ』(角川ホラー文庫)

 高速道路で運搬トラックが横転し、一匹の豚、トンコが脱走した。先に運び出された兄弟たちの匂いに導かれてさまようが、なぜか会うことはできない。彼らとの楽しい思い出を胸に、トンコはさまよい続ける……。日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した表題作をはじめ、親の愛情に飢えた少女の物語「ぞんび団地」、究極の兄妹愛を描いた「黙契」を収録。人間の心の底の闇と哀しみを描くホラーの新旗手誕生。(粗筋紹介より引用)
 2008年、「トンコ」で第15回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。同年10月、「ぞんび団地」と「黙契」を収録して角川ホラー文庫より刊行。

 作者は2006年に「機械じかけのアン・シャーリィ」でジャイブ小説大賞入選(すずめの日名子名義)。2007年に「あちん」で『幽』怪談文学賞短編部門大賞を受賞し、08年に同作でデビューしている。
「トンコ」の主人公は豚。養豚場で育ち、食肉加工場に連れて行かれる途中で事故に遭い、トラックから逃げ出して兄弟たちを探し回る冒険短編小説。ええっと、冒険小説といっていいのだろうか。食料にされてしまう家畜を描いた小説はあっただろうが、家畜そのものを主人公にしたのは珍しいと思う。よくぞまあ、こんな設定の小説を考え出したものだと、素直に感心した。当てもなく彷徨い、コンビニ弁当の生姜焼きを臭いから兄弟だと訴えるトンコの心情がとてつもなく哀しい。一人称にせず、三人称視点にしたことため、もの哀しさがより伝わってきた。脱走した豚にパニックになる市民の姿はよく描けていたが、放屁や脱糞といった描写がしつこかったのは残念である。食の残酷さを描いたものではあってもこれのどこがホラーなのかわからないが、よくぞ受賞させた。
 「ぞんび団地」は、両親に虐待される小学生が主人公。虐待ものは生理的に苦手で、読んでいて悲しくなるのだが、最後の展開は意外だった。これも一応、ハッピーエンドといっていいだろうか。
 「黙契」は、警察官になった兄と、東京の専門学校に通うも挫折し最後は自殺してしまった妹の兄妹愛を描いた作品。兄と妹の視点が交互に描かれるものだから、もしかしたら叙述トリックが挟まれているのでは、などと勘繰ってしまった。悪い癖だ。妹が少しずつ挫折していくところが哀しくなってくる。妹の「声」が兄の心に徐々に伝わっていくところが見事だ。結末が何とも哀しく、そしてよかったと思わせる描写と展開は素晴らしい。
 順位を付けるなら「黙契」「ぞんび団地」「トンコ」だろうか。一応家族愛がいずれもテーマとはなっているものの、これだけ毛色の違う作品を書ける実力は大したものである。恐いホラーを求める読者には不満が残るかも知れないが。




宮ノ川顕『化身』(角川書店)

 まさかこんなことになるとは思わなかった――。一週間の休暇を南の島で過ごそうと旅に出た男は、軽い気持ちで密林へと分け入り、池に落ちて出られなくなってしまう。耐え難い空腹と絶望感、死の恐怖と闘いながら、なんとかして生き延びようとする彼は、食料を採ることを覚え、酒を醸造することを覚え、やがて身体が変化し始め、そして……。端正な文体で完璧な世界を生みだした、日本ホラー小説大賞史上最高の奇跡「化身」に、書き下ろし「雷魚」「幸せという名のインコ」を収録。(粗筋紹介より引用)
 2009年、「化身」で第16回日本ホラー小説大賞受賞。応募時タイトル「ヤゴ」。2作を書き下ろし、2009年10月、単行本発売。

 受賞作「化身」は、いわゆる変態ものファンタジー。ホラーではないが、もうその辺はあまり考慮しない方がいいのだろう。密林の池に落ちて外に出られなくなった男が、環境に合わせて徐々に変態していく姿は、実に面白い。カフカ『変身』とは全く別の面白さだ。手塚治虫『メタモルフォーゼ』の一編だと言われても全く違和感がない。こんなストーリー、よく考え出したものだと感心。徐々に変態するだけでなく、その後もあるところが秀逸。オチの弱さが若干残念だが、それは些細なキズだろう。これは傑作だと思った。
 残念ながら、残り2編はつまらない。「雷魚」は、釣り好きの少年が池で偶然見かけた雷魚を釣ろうとしていると、女性が現れる話。小学生らしい視点はわかるのだが、結末までのストーリーは平凡かつ平坦で盛り上がりに欠ける。「幸せという名のインコ」は、個人デザイナーの夫が娘にねだられてインコを買い、ハッピーと名付けるが、夜中にいつもと違う声で予言をするという話。これも平凡すぎて、読後感も悪い。
 結局「化身」だけの一発屋で終わりなのだろうか。時間があればもう少し変わった作品が書けるのかもしれない。




三田村志郎『嘘神』(角川ホラー文庫)

 愛する弟を失ったコーイチは失意の日々を送っていたが、高校で初めて友達と呼べる仲間たちと出会った。しかし、ある朝目覚めると、5人の仲間と出口のない部屋にいた。「嘘神」の声が非情なゲームの始まりを告げる。ルールは7つ。しかし、嘘神の言葉にはひとつだけ嘘がある。与えられた水と食料はわずか。仲間の命を奪って脱出するのか、それとも……。若き新鋭、驚愕のデビュー作! 第16回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2009年、第16回日本ホラー小説大賞長編賞受賞。応募時ペンネームてえし。加筆修正のうえ、同年10月、角川ホラー文庫より刊行。

 出口のない部屋に閉じ込められた高校生6人が、生き残りをかけて争うゲーム小説。登場人物もテンプレートだし、結末までの展開も含めよくある小説、と言ってしまえばそれまで。だが、テンポよく書けているし、大学生という若さのせいか、何とも言えないパワーが感じられる。問題は、ゲームに引きずり込む理由が全然ないところ。もう少し意味づけをしてほしかったな。
 読んでいる途中はそれなりに面白いものの、読み終わってしまうとがっかり感がある。はっきり言ってしまえば、勢いだけで書いた小説。もうちょっとプラスアルファがあればな、と思ってしまうが、新人作家にそれを求めるのは無いものねだりだろうか。
 それでも、悪くは無いなと思った一冊。一応は楽しんだし。




朱雀門出『今昔奇怪録』(角川ホラー文庫)

 町会館の清掃中に本棚で見つけた『今昔奇怪録』という2冊の本。地域の怪異を集めた本のようだが、暇を持て余した私は何気なくそれを手に取り読んでしまう。その帰り、妙につるんとした、顔の殆どが黒目になっている奇怪な子供に遭遇する。そして気がつくと、記憶の一部が抜け落ちているのだった――。第16回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した表題作を含む5編を収録。新たな怪談の名手が紡ぎだす、珠玉の怪異短編集。(粗筋紹介より引用)
 2009年、「寅淡語怪録」で第16回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。「今昔奇怪録」と改題、改稿。他に書下ろし4編を加え、2009年10月、書き下ろし刊行。

 ホラーというより怪談という言葉がふさわしい表題作。じわじわと恐怖にまきこまれていく筆致が美しい。ただ、結末の弱さを感じた。ここでスパッと切れれば、大賞も可能性があった。
 流行が過ぎ去った疱瘡で三人の娘を失った摂津屋。さらに娘の一人の墓も荒らされた。死体を食いたいがために疱瘡をまき散らす、疱瘡婆の仕業か。「疱瘡婆」。こちらは江戸時代を舞台とした正統派怪談。ただ、新味はない。
 超大型力士、釋迦ヶ嶽は贔屓の男・藤兵衛に25歳で殺された。ところが男藤兵衛は自分が殺したことを認めず、町の者のせいにして多数殺害。獄門となった。入れ込み過ぎることの戒めとして、「釈迦狂い」という言葉が生まれた。その事件をモチーフにしたお化け屋敷に入った男の災難。「釋迦狂い」。釋迦ヶ嶽のエピソードの方が迫力があり、肝心のお化け屋敷に入ってからの展開は定型過ぎて楽しめない。
 培養用恒温器に「Yamaki HepG2」と書かれた、見慣れないプラスチックシャーレが入っていた。HepG2は幹細胞だが、Yamakiという名前については指導教員も先輩も教えてくれなかった。シャーレは捨てたが、翌日、別のシャーレが入っていた。そして先輩が死亡した。「きも」。一気に現代的な内容となったが、研究の部分の話が長すぎて恐怖の割合が薄れている。
 被験者、干渉者、観察者、統括者。何かの実験についての4人の記録が書かれる「狂覚(ポンドゥス・アニマエ)」。実験的な作品であることは認めるが、正直言ってわかりにくい。
 5つとも毛色の違う内容の作品を用意することは、作者の守備範囲の広さを物語っているかのようである。出来不出来はあるが、恐怖を提供するという点については、どれも考えられた作品だ。ただ、これだけ振り幅が広い作品を並べるのは、印象が散漫になってしまい、作者にとってもあまりプラスにならないと思う。やはり、第1話の路線を並べたような作品集にすべきじゃなかっただろうか。
 とはいえ、作者には可能性を感じさせる何かがある。まだまだ隠し玉がありそうだ。




一路晃司『お初の繭』(角川ホラー文庫)

 家計を助けるため12歳で製糸工場に働きに出ることになった少女・お初。被傭期間は3年。期間中は会社の命令に逆らうことはできない。身体検査や全裸になっての虫干しから始まった奇妙な工女生活は、予想に反し快適だったが、それもつかの間、次第に逃れられない恐怖の惨劇に変貌してゆく……。煮繭の臭いでむせ返る製糸工場にうごめく淫靡な恐怖を描く、とてつもなく怖いお伽噺。選考委員をうならせたホラー小説大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2010年、第17回日本ホラー小説大賞受賞。応募時タイトル「あゝ人不着紬」、応募時名「ふりーくかな」。同年10月、単行本刊行。2012年9月、文庫化。

 粗筋を読むと『あゝ野麦峠』に篠田節子『絹の変容』を混ぜたような内容。少しは新しい要素があるかと思ったら、全くなし。読者が思い浮かべたような内容がそのまま小説上で展開されていき、結末まで流される。おまけに「淫靡」じゃなく、「悪趣味」な展開も足されているし。これが作者の性癖だったら、と思うとその方がぞっとする(苦笑)。展開も内容も古くさい、つまらない小説。これはホラーじゃないでしょう。文庫本で選評は載っていないためわからないのだが、なぜこれを大賞に選んだのかが理解できない。褒めるところは、読みやすい文章ということぐらいか。戦前らしい時代背景に冷凍保存とか出てくるとか、ごちゃ混ぜになっているところも首をひねる。
 男性のネーミングは、寒すぎて鳥肌が立ってくる。ここまで下ネタ満載にする理由がさっぱりわからない。タイトルからネタがバレバレだと思うのだが、なぜこんなタイトルに改題したのだろう。


法条遥『バイロケーション』(角川ホラー文庫)

 画家を志す忍は、ある日スーパーで偽札の使用を疑われる。10分前に「自分」が同じ番号のお札を使い、買物をしたというのだ。混乱する忍は、現れた警察官・加納に連行されてしまう。だが、連れられた場所には「自分」と同じ容姿・同じ行動をとる奇怪な存在に苦悩する人々が集っていた。彼らはその存在を「バイロケーション」と呼んでいた…。ドッペルゲンガーとは異なる新たな二重存在を提示した、新感覚ホラーワールド。(粗筋紹介より引用)
 2010年、第17回日本ホラー小説大賞長編賞受賞。応募時タイトル「同時両所存在に見るゾンビ的哲学考」。2010年10月、角川ホラー文庫より刊行。

 「バイロケーション」とは何かと思ってWikipediaを見ると、超常現象の一つで、同一の人間が同時に複数の場所で目撃される現象、またはその現象を自ら発現させる能力を指す、そうだ。聞いたことは無かったが、19世紀から研究されているらしい。なお本作品は、2014年、安里麻里監督・脚本、水川あさみ主演で映画化されている。
 もう一人の自分が、自分とは違う行動を身近で取っている。確かに考えたら怖い設定。苦悩するのもわからないでもない。ドッペルゲンガーとは異なるという点で、設定が巧いとは思った。ただ、それを生かし切る筆力があったかと言われたら疑問。何より、場面の切り替えが下手でわかりにくい。細かいところを突っ込んだら、いくらでも疑問が出てくる。たとえば、「バイロケーション」が食べたものはどうなるのだろう。一緒に消えるのは変じゃないか。だいたい、鏡に映らないという明確な違うがあるのなら、すぐにばれるのではないだろうか。過去にそれだけのバイロケーション被害者がいるのなら、むしろ学会等に訴えて調べてもらった方がよっぽどわかりやすいのではないか。なんか、考えれば考えるほど矛盾が出てくる。
 ストーリーもご都合主義なところが多い。「もう一人の自分であるバイロケーションを何とかする会」の会長である飯塚が色々と権力があるものだから、設定に無理がありそうなところは全部こいつに押し付けて乗り切っている。しかも飯塚が「今は言えない」を連呼するものだから、登場人物の忍のみならず、読者の方も苛立って仕方がない。昔の「もし私が知っていたならば」派を思い出してしまった。それに門倉の殺人事件は不要だっただろう。
 そして残念なのは、オチが想像付くところ。忍の心情はうまく書かれていたと思うけれど、それでも設定を生かし切るような驚きは欲しかった。
 結論としては、アイディアは面白かったが、それを生かし切るだけの実力がまだ足りなかった、という点に尽きる。まあ、リーダビリティはそこそこあると思ったが、設定にしろ人物にしろ、もっと中身を練ってほしい。あと半年は推敲すべきだった。




伴名練『少女禁区』(角川ホラー文庫)

 15歳の「私」の主人は、数百年に1度といわれる呪詛の才を持つ、驕慢な美少女。「お前が私の玩具になれ。死ぬまで私を楽しませろ」親殺しの噂もあるその少女は、彼のひとがたに釘を打ち、あらゆる呪詛を用いて、少年を玩具のように扱うが…!? 死をこえてなお「私」を縛りつけるものとは――。哀切な痛みに満ちた、珠玉の2編を収録。瑞々しい感性がえがきだす、死と少女たちの物語。第17回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。(粗筋紹介より引用)
 2010年、「遠呪」で第17回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。タイトルを「少女禁区」と改題し、他1編を収録し、2010年10月刊行。

 作者は京都大学SF研究会出身。在学中に応募した作品とのこと。
 受賞作「少女禁区」なのだが、世界観の説明がほとんどないので、作品背景を把握するのに手間がかかる。というか、説明を無視して話が進むので、作品に没頭することができない。雰囲気自体は悪くないのにもったいない。それでも、異世界に行った少女とのやり取りというのは結構良いアイディアだと思った。キャラクター設定もよい。二人のつながりもよく描けている。「呪詛の才」をもっと生かしてほしかったところ。あえて短い枚数でまとめたから、舞台の説明が不足しているのだろう。タイトルについてはあまりにも陳腐だと思った。原題の「遠呪」の方がまだよい。ただ、「ホラー」を期待すると思い切りすかされる。
 たった20年で小さな会社から世界を牛耳る大財閥を作りあげた鏑木陶彌。娘の夕乃と息子の相馬は小さいころから屋敷に閉じ込められ教育を徹底的に施された。2年前に父は死んだが、14歳の姉と跡取りである12歳の弟は今も父に縛り付けられている。そんな姉弟が、専属医師の宮腰の手により、屋敷から逃走。鏑木に対抗できる企業を作りあげるための資金稼ぎとして、自らの過去の体験をサイネットに配信することとしたが、それはだんだんエスカレートしていった。「chocolate blood, biscuit hearts.」。
 サイネットとは、他人の体験を五感のうち四感まで疑似体験できるネットワークシステム。こちらも世界観の説明が不足しており、把握するのに一苦労。逃亡から先の姉弟のやり取りやオチは、既視感バリバリ。最後はダラダラとなりそうなところを何とか踏みとどまっているが。
 どちらも同人誌の影響が強いんじゃないだろうか。最近の同人誌はよく知らないが、昔はこんな感じだった記憶がある。歪んだ愛情の描き方は、一つ間違えるとエロ小説に堕落する。その一歩手前で立ち止まっており、妖しい世界観は良くできている。次はもう少しオリジナリティのある話を読んでみたい。




堀井拓馬『なまづま』(角川ホラー文庫)

 激臭を放つ粘液に覆われた醜悪な生物ヌメリヒトモドキ。日本中に蔓延するその生物を研究している私は、それが人間の記憶や感情を習得する能力を持つことを知る。他人とうまく関われない私にとって、世界とつながる唯一の窓口は死んだ妻だった。私は最愛の妻を蘇らせるため、ヌメリヒトモドキの密かな飼育に熱中していく。悲劇的な結末に向かって……。選考委員絶賛、若き鬼才の誕生! 第18回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2011年、第18回日本ホラー小説大賞長編賞受賞。同年10月、ホラー文庫より発行。

 死んだ愛妻を甦らせるというのは、それこそ神話の時代からあった話でありきたり。それを「ヌメリヒトモドキ」というグロテスクな生物から生み出そうという発想は結構凄い。ヌメリヒトモドキに恐怖感はないけれど、文体から滲み出てくる不快感は相当なものである。それと、イイジマ個体への拷問……もとい、実験は非道かったな。
 日記の記述みたいな書き方も、終わってみるとそれほど読みづらくはなかった。最初は非道い文章だと思っていたが、読んでいる途中で慣れる文章だったのだろう。とはいえ、選評で言う「読みにくい」という指摘もわからないではない。応募作品を加筆修正しているとあるから、それなりに書き直しているのだろうが。
 ただ、主人公と妻の距離感が今一つわかりにくい。一人語りだから仕方がないが、それでも後半の展開は違和感が残るし、結末のドンデン返しが今一つ盛り上がらない理由にもなっている。それと、カンナミ研究員が主人公に惚れている理由もよくわからない(まあ、これはどうでもいいか)。ヌメリヒトモドキという存在が出てくるのに、結局一個人の話で物語が終わってしまうのは残念。地球への影響をもうちょっと書いてほしかったところである。
 執筆時23歳という若さには驚いた。筆力はある。次に何を書いてくれるのか、楽しみな作家である。




国広正人『穴らしきものに入る』(角川ホラー文庫)

 ホースの穴に指を突っ込んだら、全身がするりと中に入ってしまった。それからというもの、ソバを食べる同僚の口の中、ドーナツ、つり革など、穴に入れば入るほど充実感にあふれ、仕事ははかどり、みんなから明るくなったと言われるようになった。だが、ある一つの穴に執着したことから、彼の人生は転機を迎えることになる――。卓抜したユーモアセンスが高く評価された第18回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作に他4編を収録。(粗筋紹介より引用)
 2011年、「穴らしきものに入る」で第18回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。書き下ろし4編を加え、2011年10月、刊行。

 粗筋紹介通りの作品「穴らしきものに入る」。
 父親・金造の葬式に参加した息子の七鉄。火葬場で焼かれた金造の骨は、全て金だった。集まった親戚たちの醜い争いが始まる。「金骨」。
 日光と日焼けが嫌いで、肌は全て隠し、徹底して日陰を歩いて日常を過ごすヤクルトンレディ。「よだれが出そうなほどいい日陰」。
 朝、起きてみると顔にプロレスラーのようなマスクが張り付いていた。1枚外しても、また別のマスクが張り付いている。仕方なくそのまま出社したが。「エムエーエスケー」。
 若い夫婦が通りがかりに見たジュースの自動販売機には、当たりが出れば赤ちゃんが出てくると書いてあった。まさかと思っていたら、ジュースを何本も買っているおばあさんは、昔赤ちゃんを当てたことがあるという。「赤子が一本」。

 「穴らしきものに入る」は馬鹿馬鹿しいけれど、発想は面白い。ナンセンスSFの作品で、なぜホラー小説大賞に送ったのかはわからない。ただ、選評でも指摘されているとおり、オチが弱すぎる。
 「金骨」も発想は面白いし、その後のやり取りも笑える。ただ、オチが弱すぎる。
 「よだれが出そうなほどいい日陰」は発想がいいけれど、物語の展開は大して面白くもない。
 「エムエーエスケー」は頭の中で思い浮かべてみると結構シュールだが、これも話の展開がだんだんつまらなくなっていくので残念。
 「赤子が一本」はアイディアだけ。その後の夫婦のやり取りは一体何だと言いたくなるぐらいつまらない。
 発端は面白いのだが、その後の展開は当たり外れの差が大きい。さらにオチはどれも今一つ。結局、アイディア一発だけである。それ以上、言い様がない。小説も着地が悪いと、すべてが台無しになってしまう。もっと精進しないとだめだろう。




小杉英了『先導者』(角川書店)

 名も無き15歳の少女は「先導者」として認可された。地位や金を持った人物が亡くなった後、再び地位や金を持つ家計に生まれ変わらせるために魂を導く役割を持っている。生と死の世界を行き来するためには相当の体力を必要とし、時には肉体の一部を犠牲にすることもある。認可された少女は北國の人里離れた山間の地のコテージに移り住んだ。自立した生活が困難な彼女のために、三十半ばの曾祢茂が世話人として就いた。
 2012年、第19回日本ホラー小説大賞受賞。応募時タイトル『御役』。改題、加筆修正の上、同年10月、単行本刊行。

 作者は第14、15、18回と最終候補に選ばれるも落選。4回目となる第19回で見事大賞を受賞した。
 死者を導くという設定は目新しいものではないが、主人公の少女の一人称視点で話を進め、体感する内容を事細かに書いていくというのはあまりないのではないか。死者の世界に入り込むまでの描写が何ともリアルで、作者自身が本当に経験したのではないかと思わせるほど優れている。
 ただ、本書の良いところはここまで。「先導者」としての仕事を当たり前と思っている少女が主人公でかつ一人称なので、背景が全くわからないまま事が進んでいく。誰がこのようなシステムを作り上げたのか、対抗するのはどのような相手なのか、などといった点が全く不明なのは、やはり物足りない。逆に言えば、何も知らない少女を主人公にしたため、その辺の設定をあえて曖昧にしたまま物語を進めてしまう、という荒技ができるわけで、しかも実際に進めてしまっているのだから、良い意味でも悪い意味でも恐れ入ってしまう。いっそのこと短編で終わらせてしまうという選択肢もあったような気がするが。
 読める作品には仕上がっているけれど、もっと書き込みがほしかった。途中から三人称にすれば、もっと違った展開も作ることができたんじゃないだろうか。




櫛木理宇『ホーンテッド・キャンパス』(角川ホラー文庫)

 八神森司は、幽霊なんて見たくもないのに、「視えてしまう」体質の大学生。片思いの美少女こよみのために、いやいやながらオカルト研究会に入ることに。ある日、オカ研に悩める男が現れた。その悩みとは、「部屋の壁に浮き出た女の顔の染みが、引っ越しても追ってくる」というもので……。次々もたらされる怪奇現象のお悩みに、個性的なオカ研メンバーが大活躍。第19回日本ホラー小説大賞・読者賞受賞の青春オカルトミステリ。 (粗筋紹介より引用)
 2012年、日本ホラー小説大賞読者賞受賞。同年10月、角川ホラー文庫より刊行。

 作者は2012年、本作でデビュー。読者賞受賞後、「赤と白」で第25回小説すばる新人賞も受賞している。
 本作品はまさかの連作短編集。「プロローグ」「壁にいる顔」「ホワイトノイズ」「南向き3LDK幽霊付き」「雑踏の背中」「秋の夜長とウイジャ盤」「エピローグ」を収録。  一浪して大学に入った八神森司と、高校時代の後輩で大学では同級生となった片想いの相手である灘こよみが中心。幽霊が視える体質でへたり草食系の八神は、こよみがいるオカルト研究会に入部する。他にいるのは部長で大学四年の黒沼。彼を本家と呼び、分家筋で彼を守る立場にある黒沼泉水、兄貴肌の先輩、三田村藍。こよみは美少女だが、偏頭痛持ちで近視なため、目つきは鋭く眉間にしわを寄せていることから、近づこうとする男は居なかった。
 大学の研究会が中心で、主人公は情けない草食系。片想いの相手は同じ研究会で、しかも美少女。ライトノベルの設定と言われても仕方が無い。おまけに会話をしてから2年、大学に入ってから半年経ってやっとメールを交わす。なんてどこまでへたれなんだ、この主人公は。
 ありがちな設定で、しかも内容は研究会に持ち込まれる事件をいつのまにか解決しているだけ。その解決も特に超能力や呪文などを使うというわけではなく、ホラー要素はかなり薄い。言ってしまえば、何も怖くはない。今までのホラー大賞とは全く傾向の違う作品。よく応募する気になったな、と感心してしまうが、中身が面白いかどうかと言われると話は別。ホラー要素はほとんど無いし、ミステリ要素もあまりない。結局、キャンパスライフにおける草食系男子の片想いが成立するかどうか、というライトノベル風味恋愛小説であり、ホラーはあくまで味付けに過ぎない。それを面白がるかどうかは、読む人によって異なるだろう。少なくとも、今までのホラー大賞受賞作のような小説を求めている読者からしたら、期待を裏切られるに違いない。
 逆に言うと、こういう小説が好みな読者を最初からターゲットにしていたとしたならば、作者は相当計算している。いかにも続編を作りやすそうな作りにしており、その狙いは当たっていつの間にか人気シリーズとなっている。2016年には映画化もされる。少なくとも、量産の利くタイプなのだろう。
 ただなあ、イラストがヤマウチシズで、物語とマッチしたから売れたんじゃないかという気もする。イラストが別の人だったら、ここまで売れなかったに違いない。




倉狩聡『かにみそ』(角川ホラー文庫)

 全てに無気力な20代無職の「私」は、ある日海岸で小さな蟹を拾う。それはなんと人の言葉を話し、体の割に何でも食べる。奇妙で楽しい暮らしの中、私は彼の食事代のため働き始めることに。しかし私は、職場でできた彼女を衝動的に殺してしまう。そしてふと思いついた。「蟹……食べるかな、これ」。すると蟹は言った。「じゃ、遠慮なく……」。捕食者と「餌」が逆転する時、生まれた恐怖と奇妙な友情とは。話題をさらった「泣けるホラー」。第20回日本ホラー小説大賞優秀賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2013年、「かにみそ」で第20回日本ホラー小説大賞優秀賞受賞。短編「百合の火葬」を加え、同年10月、角川書店より単行本刊行。2015年9月、文庫化。

 タイトルがタイトルなので、一体どういう話かと思ったら、意外と友情物語だった。「泣ける」かと聞かれればやや微妙だが。
 無気力な20代無職の青年が拾った蟹は何でも食べ、気が付いたら主人公と喋るようになり、テレビも見るようになる。蟹の餌のために働き出した青年は、職場でできた彼女を殺してしまうが、蟹は遠慮なく食べてしまう。
 まあ、正直言ってホラー要素はあまりない。いや、蟹が喋るだけでも不気味だし、死体を食べるようになるところも不気味なのだが、ユーモアのある文体と、蟹が喋ったり死体を食べたりすることに大した違和感を抱かない主人公のおかげで、本来そこにあるはずの恐怖感が全くないところが、逆に面白い。
 それにしても物語の最後はひどい。まあタイトルからだいたい予想つくだろうが、何もかも運命と思って全てを受け容れる蟹が何とも哀れで、それでいて可愛らしいから不思議だ。変な言い方だが、男にとって都合のいいセックスフレンドみたいな存在が、この蟹なのだ(考えてみると、名前すらないのか……)。本来ありえない姿であるのはこの蟹なのに、不気味なのは人間である青年の方だというのは、よく考えられた構成である。これだったら優秀賞でなくも、大賞でもよかったと思うのだが。
 同時収録の「百合の火葬」は、女癖の悪い父親が死んで独りぼっちとなった大学生の家に、昔関係のあった女性が訪れて住むようになる話。この女性が裏庭に百合を植えるあたりからどんどん恐怖感が増していく、正統派ホラーである。ただ、「かにみそ」のユーモアを読んだ後ではあまりにもスタンダードすぎ、物足りなかったことも仕方のないことか。
 「かにみそ」の路線で長編を書ければ、結構売れるかも。頑張ってほしいものである。




佐島佑『ウラミズ』(角川ホラー文庫)

 怪しい健康食品会社に勤める真城は霊が視えてしまう特殊体質。気味の悪い霊の出現と毎日の仕事にウンザリしていた。そんなある日に出会った早音は、なんと霊を水入りのペットボトルに封じる不思議な力を持っていた。その水から強力な霊を発生させる「ウラミズ」を作りだした2人は、新たなビジネスを始めようとするが、思わぬ邪魔者や真城に接近する妖艶な美女・狐寝子が現れ……。第20回日本ホラー小説大賞読者賞受賞作! (粗筋紹介より引用)
 2013年、第20回日本ホラー小説大賞読者賞受賞。改稿の上、2013年9月、角川ホラー文庫より発売。

 著者は劇団を立ち上げ、放送作家やシナリオライターとして活動していたとのこと。やや軽めながらも読みやすい文章やテンポの良い展開はそのお陰だろうか。
 霊を水入りのペットボトルに詰めて売り出すというアイディアは面白かったが、評判になる前にヤクザが出てくる展開は安易すぎて残念。除霊の部分などもっとふくらませてもよかったと思う。
 作品の問題点としては、中心人物が誰かよくわからないところ。中盤までは真城と早音にウェイトが置かれていたのに、それ以降は狐寝子の比重が大きくなるも、最後は誰がヒロインかわからなくなる。早音は途中から影が薄くなるし、狐寝子はいったい何をやりたかったのかよくわからない。真城はただふらふらしているだけだし……。作者が一体何をやりたかったのかが分からない、というのが正直なところである。安っぽいメロドラマで終わってしまったのが勿体ない。「ウラミズ」そのものも、もっとうまく使うことができたんじゃないかなあ。
 結局、アイディア倒れで終わってしまった作品。題材はよかったので、料理の腕さえよければもっと面白くなっただろう。ただそういう不満点こそあるものの、そこそこ面白く読むことはできる。つまり、作者にはそれだけの腕があるのだ。面白い題材と調理法さえ見つければ、書き続けることができる作家だとは思う。量産ができるタイプに見えるし。



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