馳星周『漂流街』(徳間書店)

 日系ブラジル人マーリオ。反対する祖父を殴り倒して出稼ぎにきた日本。たどり着いた自動車工場。過酷な労働、安い賃金。クソのような日々。今は、ヤクザがらみの風俗の下働き。店の女ケイがそそる。ケイの客。関西ヤクザの大物。チャンスだった。奪った。金とヤク!逃げた。殺した。追われている…警察に、中国人に、ヤクザに。マーリオのたった一人の闘い!怒りと絶望を道づれに暗黒小説が疾走する。 (粗筋紹介より引用)

 日系ブラジル人の孤独な戦い。希望に満ちたはずの日本は実は地獄。第1回大藪春彦賞受賞作となった。
 「『漂流街』の深い絶望に比べれば、『不夜城』の暴力はまるでメルヘンだった。」と書いているのは中条省平だが、確かに暴力度は作品ごとに高くなっている。と同時に、救いのなさという点でもどんどん拡大している。それだけ絶望の世界を書ききっているという証拠でもあるわけだが。しかし、ここまで救いがなくなると、読者が引いていくんじゃないだろうかという危惧もある。元々、明るさのかけらもない小説を書く人だが、少しは光があったっていいんじゃないかと思う。




五條瑛『スリー・アゲーツ 三つの瑪瑙』(集英社)

 復権を果たした金達玄。しかし、改革解放派の彼の地位はまだ危うい。特に、金正日の側近であり、対南・対日工作の元締めである国家保安部――三号庁舎を仕切る金容淳との関係は悪化する一方であった。折しも、北朝鮮のミサイル発射事件を巡り、日本国内では北朝鮮に対する感情的世論が沸き起こっていた。そんな時、三号庁舎の工作員で、スーパーK(北朝鮮製の偽ドル札)工作にかかわっていた男が、ソウルでの壮絶な銃撃戦の末、逃亡する。男には任務のため潜入していた日本と、祖国である北朝鮮にそれぞれ妻子がいた。アメリカ国防省の情報組織、通称“会社”は人的情報収集活動(ヒューミント)のプロ葉山を男と接触させ、司法取引をさせようともくろむ。ふたつの家族のどちらかを選べば、もうひとつは破滅する。苦悩する男の下した究極の選択とは!?(粗筋紹介より引用)
 1999年12月、単行本刊行。2001年、第3回大藪春彦賞受賞。

 処女作『プラチナ・ビーズ』が出版された時は大物新人作家誕生みたいなことが書かれていたような記憶がある。経歴を見ると防衛庁で極東の軍事情報及び国内情報の分析を担当していたとのことだから、本作のような朝鮮状況なんかはお手の物だっただろう。本作は作者の第二作であり、処女作に続く鉱物シリーズとのこと。事件を解決しようとする葉山隆や、在日米軍横須賀基地の海軍調査軍に勤務する坂下冬樹は、前作に引き続いての登場となる。
 本作は、スーパーK工作に携わっていた北朝鮮の工作員、チョンの物語と言ってよい。今まではひっそりと作戦に携わってきたが、今回だけはある特殊任務を成功させるために派手に動き回ることとなる。はっきり言って敵役なのに、なぜか感情移入してしまうのは、家族に対する思いがとても強いからか。北朝鮮と、日本と、それぞれに妻と子供がおり、そしてどちらも大切にしている。よくよく見れば二股かけている男なんだが。工作員ならではの苦悩、北朝鮮という祖国ならではの苦悩、そして家族を大切にしたくてもなかなかそばにいることができない苦悩。そんな思いがひしひしと伝わってくるから、読者もチョンという男に惹かれていく。
 執筆当時は北朝鮮という国の幻想がはがれてきたころだっただろうか。少なくとも赤軍派のメンバーが憧れていた国の姿とは全く別のものであることは、知れ渡っていたような気がする。それでもまだまだ北朝鮮という国にベールがかかっていただろう。だからこそ、本作のリアルさが伝わってくる気がした。
 人への思いが強すぎて、大藪春彦の世界観とは少々異なる気がするものの、面白い作品であることに間違いはない。子どもたちに罪はないから、幸せになってくれよと祈ってしまうラストが印象的だ。




奥田英朗『邪魔』(講談社)

 及川恭子、34歳。サラリーマンの夫、子供2人と東京郊外の建売り住宅に住む。スーパーのパート歴1年。平凡だが幸福な生活が、夫の勤務先の放火事件を機に足元から揺らぎ始める。恭子の心に夫への疑惑が兆し、不信は波紋のように広がる。九野薫、36歳。本庁勤務を経て、現在警部補として、所轄勤務。7年前に最愛の妻を事故でなくして以来、義母を心の支えとしている。不眠。同僚・花村の素行調査を担当し、逆恨みされる。放火事件では、経理課長・及川に疑念を抱く。日常に潜む悪夢、やりきれない思いを疾走するドラマに織りこんだみ、ずかな契機で変貌していく人間たちを絶妙の筆致で描きあげる犯罪小説の白眉。(粗筋紹介より引用)

 話の組立等は前作『最悪』より上だと思うが、小説的爽快感はかなり落ちる。小説の爽快感は、物語とは別。結末の付け方に釈然としない部分があるところで引っかかるのだ。読み終わっても割り切れなさが残る。クライムノベルとしては、ちょっとまずい部分ではないだろうか。前作の小説的爽快感が高かったため、読者はそれ以上のものを期待していたと思う。
 物語自体もかなり陰鬱。もう少し救いの部分があっても良いだろうにと思う。そう思わせること自体、話に力があるわけであり、力作として評価できる部分でもあるわけだが。
 物語を読んで明るくなりたいという人には、ちょっとお薦めできないかも。気分がダークになることは、間違いなし。




打海文三『ハルビン・カフェ』(角川書店)

 面白いぞー。
 福井県の西端にある海市。蜃気楼の意味を持つその市は、新興の港湾都市である。そのためか、マフィアの犯罪組織が多く、凶悪犯罪が多発している。警察内では権力闘争が激化し、本来の役割を果たしていない。そして警官の殉職率が東京を遙かに凌駕するレベルに達したとき、下級警察官の一部が地下組織を作り、マフィアに報復テロルを宣言した。そんな彼らは、「P」と呼ばれた。
 日本海に面したホテル、「ハルビン・カフェ」は、男と女の運命が交錯する場所だった。
 新宿で、福井県警の警察官が殺された。警察庁の監察課はこれを機会とばかり、刑事を海市に送り込む。しかし、刑事には刑事の思惑があった。

 過去と現実が交錯し、視点が章ごとに替わるから、物語の内容を把握するのにとても時間がかかる。しかも内容は入り組んでおり、誰が敵で誰が味方かさっぱりわからない。各人の思惑が複雑に交差し、敵と味方がいつの間にか入れ替わるものだから、対立構造も複雑。ゆっくりと読めば、物語が見えてくる。とにかく根気よく読むこと。それが第一条件。
 そこさえ突破してしまえば、面白さの波が押し寄せてくる。ノワールものの傑作。男の思惑、女の報復。過去の清算。そこに善悪はない。いや、自分の信じるものこそが正義だった。いずれも自分のけりを付けるために、行動する。
 多分、格好良さなんて考えずに書いたと思う。そこが格好良い。近未来を舞台としたことで、現実の制約が外され、自由な行動を書くことが出来た。だが、登場人物の血が通っている。リアリティがある。
 今年のベスト10候補、間違いなし。久々に骨太のノワールを読んだ気がする。




垣根涼介『ワイルド・ソウル』上下(幻冬舎文庫)

 一九六一年、衛藤一家は希望を胸にアマゾンへ渡った。しかし、彼らがその大地に降り立った時、夢にまで見た楽園はどこにもなかった。戦後最大級の愚政<棄民政策>。その四十数年後、三人の男が東京にいた。衛藤の息子ケイ、松尾、山本――彼らの周到な計画は、テレビ局記者の貴子をも巻き込み、歴史の闇に葬られた過去の扉をこじ開けようとする。(上巻粗筋紹介より引用)
 呪われた過去と訣別するため、ケイたち三人は日本国政府に宣戦布告する。外務省襲撃、元官僚の誘拐劇、そして警察との息詰まる頭脳戦。ケイに翻弄され、葛藤する貴子だったが、やがては事件に毅然と対峙していく。未曽有の犯罪計画の末に、彼らがそれぞれ手にしたものとは――? 史上初の三賞受賞を果たし、各紙誌の絶賛を浴びた不朽の名作。(下巻粗筋より引用)
 2003年8月、幻冬舎より書き下ろし刊行。2004年、第25回吉川英治文学新人賞受賞、第6回大藪春彦賞受賞、第57回日本推理作家協会賞受賞。2006年4月、幻冬舎文庫化。

 史上初三冠受賞……確か『カディスの赤い星』は直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞していたような、なんてことを最初に思い出したのだが、まあ野暮なことを言うのはやめよう。傑作であることに間違いはないのだから。
 上巻第一章は、外務省移民課、そして下部組織の海外協会連合会(現在のJICA)主導によるブラジルへの移民政策。それは戦後日本の食糧難時代を乗り切るために、人口を口減らしするための棄民政策に過ぎなかった。そうとも知らず、開墾した土地、灌漑用水、入植者の家などがすでに準備され、土地が無償で配分されるという外務省の言葉に騙され、夢を見てアマゾンへ渡った日本人たち。実際にあったのは、酸性が強くてコメなど育たない、未開のジャングルでしかなかった。さらに代表者がベレンの領事館へ行っても、門前払いにさせられた。入植者が逃げ出さないよう、ブラジル政府の国立植民農地改革院(INCRA)によるパスポート没収も容認した。そんなことも知らず、夢を見て渡った衛藤は現実に絶望しつつも必死に生き抜くが、地獄は地獄でしかなく、やがて一緒に渡った妻や弟は黄熱病で亡くなる。衛藤はその土地を捨て、必死で生き抜く。
 第二章以降は、三人の男による外務省、そして日本への復讐劇が静かに準備される。衛藤をかつて助けた同じ入植者である野口夫妻の息子であり、後に衛藤の養子となった野口・カルロス・啓一、通称ケイ。かつて衛藤と一緒に仕事をしたことのある同じ移民者である山本正仁。ケイの幼なじみであり、その後コロンビアの麻薬シンジケートのドン、アンドレス・パストラーナ・バルカスに拾われ、いまでは宝飾品小売業の社長という表の顔と、麻薬売買のトップという裏の顔を持つ松尾。計画が進行する中、ケイはテレビのニュース番組の落ちこぼれディレクターである井上貴子と深い関係になる。最初は貴子を利用するために近づいたケイであったが、いつしかケイは貴子に惚れ込んでしまう。
 そして下巻に入り、遂に事件は動き出す。
 単純に言えば、国に騙された男たちやその子供たちによる復讐譚である。確かに非合法な復讐ではある。外務省仮庁舎の屋上からの巨大な垂れ幕による宣戦布告。そしてマシンガンによるビルへの掃射。さらには当時の総領事館を初めとする関係者3人の誘拐劇。しかし死者は出ない。だからこそ、読者は喝采の声を上げる。日本国の闇を抉り出す彼らに。闇が深ければ深いほど、その闇を表にさらけ出す彼らはヒーローとなる。
 やっていることは犯罪なのに、それでも爽やかな風が吹いたような爽快さを感じるのは、ケイという人物の、南米育ちならではの陽気さである。呆れながらも、結局は彼の考えを追認する松尾。利用されたことを恨みながらも、いまだ惹かれている貴子。そんな形の楽天振りと爽快さは、読者をも爽やかな気分にさせる。
 また、視聴率という実態の知れない物に一喜一憂するテレビ局の中で、必死にもがく貴子の姿も美しい。一つの事をきっかけに、生き方が変わる。人は誰しも、生まれ変わることができるのだ。
 いざとなれば民を簡単に捨て去る日本国への憎悪があふれかえっていた、初期の大藪春彦を彷彿させるような復讐譚。大藪賞の名に相応しい傑作。しかし、大藪ほどの闇を感じさせない爽快さもここにある。第一級のエンターテイメントがここにある。




笹本稜平『太平洋の薔薇』上下(中央公論新社)

 老船長柚木静一郎は40年近い船員生活の掉尾を飾る航海に出ていた。最後の伴侶、パシフィックローズは船齢24年、1万総トンの不定期貨物船。柚木が初めて船長として乗った船でもあった。しかしパシフィックローズは、シンガポール沖でハイジャックされた。一味の司令官である『アララト』は、船舶追跡システムなどをすべて取り払って追っ手を攪乱し、南下へと指示を出していた。
 柚木の一人娘である夏海は公務員I種試験に合格後、海上保安庁に就職し、昨年からICC(国際商工会議所)の下部組織IMB(国際海事局)が運営するクアラルンプールの海賊情報センターに出向していた。ハイジャックの一報は、夏海にもすぐに知らされた。夏海は、パシフィックローズの持船会社と日本の海上保安庁との連絡を担当することになった。海上保安庁も、緊急対策本部を立ち上げ、パシフィックローズの行く先を必死に追う。
 豪華客船の船医である藤井慎也は、老アルメニア系アメリカ人、レオン・ザガリアンから奇妙な依頼を受けていた。ザガリアンは冷戦さなかに旧ソ連からアメリカへ亡命した天才科学者であり、ワクチンや免疫抑制剤の特許収入でアメリカを代表する富豪でもあった。
 ロシアでは、旧ソ連時代に作られた生物兵器が盗まれ、FSB(連邦保安局)が必死に行く先を追っていた。その生物兵器を作り出したのは、アメリカへ亡命したレオン・ザガリアンだった。
 NSA(国家安全保障局)西アジア担当情報分析官ロナルド・フィルモアは、永年追い続けていた旧ASALA(アルメニア解放秘密軍)過激派グループの大物、ティグラネスの足取りを捕まえた。ティグラネスは、世界を危機に陥れかねない危険な計画を立てていた。フィルモアは、ホワイトハウスにその情報をレポートした。
 アララトの命令を受け、老船長柚木の下、船員一同の必死の操舵により。パシフィックローズは大嵐の海を突き進み、北へ向かっていった。海上保安庁巡視船かいもんの船長矢吹は、そのあとを必死に追いかける。

 千二百枚書き下ろし、明日のことも考えず、一気に読んだ。すごい、すごいぞ。笹本稜平、この作品で一気に冒険小説界のトップに駆け上った。
 大嵐と台風で猛る海原、そしてテロリスト。二つの敵に敢然と立ちむかう老船長柚木静一郎。言葉も出ないくらい格好いい。この男の勇気と行動に涙が出てくる。柚木を信じ、ともに闘い、ともに死を賭けた山根やヤンたちクルー。彼らもまたプロフェッショナルであり、海の男たちだった。南シナ海の台風と、低気圧に荒れ狂う日本海を走破したパシフィックローズ。まさに“太平洋の薔薇”であり、永遠の海の貴婦人であった。
 迫力ある自然描写、海のプロフェッショナルたちによる闘いは、『女王陛下のユリシーズ号』などの海洋冒険小説の名作と比べても引けを取らない。さらにオスマントルコによるアルメニア人大虐殺を背景にした国際テロリストたちの活動と、冷戦時代の亡霊である生物兵器をめぐるロシア、アメリカの暗躍など、本作はスケールの大きい国際謀略小説でもある。そんな二つの要素を分裂させることなく、融合した壮大な冒険小説に仕上げた作者の腕には脱帽するしかない。特に第二十章以降は、ただただ感動である。
 言いたいことはいっぱいあるんだけど、感動が強すぎてうまく書けない。小説の面白さを十分に満喫し、男たちの闘いに胸を打たれ、涙した一冊。これ以外の作品が今年のトップをとるなんて考えられない。とにかく読むべし。

<蛇足>
 つまらないことだけど、船でもハイジャックっていうんだね。シージャックかと思っていた。




雫井脩介『犯人に告ぐ』上下(双葉文庫)

 闇に身を潜め続ける犯人。川崎市で起きた連続児童殺害事件の捜査は行き詰まりを見せ、ついに神奈川県警は現役捜査官をテレビニュースに出演させるという荒技に踏み切る。白羽の矢が立ったのは、6年前に誘拐事件の捜査に失敗、記者会見でも大失態を演じた巻島史彦警視だった――史上初の劇場型捜査が幕を開ける。第7回大藪春彦賞を受賞し、「週刊文春ミステリーベストテン」第1位に輝くなど、2004年のミステリーシーンを席巻した警察小説の傑作。(上巻粗筋紹介より引用)
 犯人=〔バットマン〕を名乗る手紙が、捜査本部に届き始めた。巻島史彦は捜査責任者としてニュース番組に定期的に出演し、犯人に「もっと話を聞かせて欲しい」と呼びかけ続ける。その殺人犯寄りの姿勢に、世間および警察内部からも非難の声が上がり、いつしか巻島は孤独な戦いを強いられていた――。犯人に"勝利宣言"するクライマックスは圧巻。「普段ミステリーや警察小説を読まない人をも虜にする」と絶賛された、世紀の快作。(下巻粗筋より引用)
『小説推理』(双葉社)2003年2月号〜2004年2月号まで連載。2004年7月単行本化。2005年、第7回大藪春彦賞受賞。2007年9月、文庫化。

 ベストセラーとなり、映画化もされた作品。文春1位ということもあり、内容は色々と聞いていたのだが、どうも処女作や二作目の印象が悪かったせいか、手に取ろうと思わなかった作品。何となく手に取ってみたら、意外に面白かった。6年前の誘拐事件について少々長いことと、特に結末におけるご都合主義には引っかかるところがあるものの、テンポよく読むことが出来る。事件そのものよりも、事件を巡る人間関係が中心となっており、官僚と叩き上げの差なども過不足なく描かれている。ニュース番組の視聴率合戦の下りにはなるほどと思わせるものがある。巻島や津田の台詞には泣けるものがあるし、最後に巻島が「〔バットマン〕に告ぐ」と勝利宣言をするシーンはぞくぞくっと来るものがあった。
 これだけ世間を騒がせた事件の割には最後が呆気ないのは少々残念。まあ、現実の犯人も似たようなものと思われるから仕方が無いか。
 ただ、子供の連続殺人という題材は、個人的に苦手。こういうときは、記号的な人物の描き方をしてくれてもいいのに、と思ってしまった。




ヒキタクニオ『遠くて浅い海』(文春文庫)

 殺すだけでなく、その人物の生きて来た痕跡までも消してしまう「消し屋」。仕事を一つ終え、オカマの蘭子とともに沖縄へ向かった消し屋のもとに、若き天才を自殺させてほしいという依頼が舞いこんだ。どうやって天才を追い詰めるのか。沖縄の地に忌まわしくも哀しい記憶が蘇る。大藪春彦賞受賞の傑作。(粗筋紹介より引用)
 2005年9月、文藝春秋より単行本で刊行。翌年、第8回大藪春彦賞を受賞。2008年11月、文庫化。

 情けないことながら、ヒキタクニオという作家を本作で初めて知った。大藪賞を受賞していなかったら、手に取ることもなかっただろう。読み終わってみると、どことなく奇妙な感じの小説だった。これのどこが大藪賞なのだろう。ただ、途中まで面白かったことは間違いない。
 天才・天願圭一郎を、プロである「消し屋」将司がいかにして自殺まで追い込むか。肉体的暴力を取るのでは無く、あくまで心理的に相手を追い詰めていく。その駆け引きは非情で、読んでいてどうなるのだろうと思わせる。しかし、最初に語られた、厳重に警護されている中で将司がどのようにしてヤクザ総長を殺害するのか、そして遺体をどのように処分するのかという展開が面白く、それでいて圭一郎との話とほとんど関連がないため、どこかぶつ切りな物語を二つ見せられた印象を与えているところは残念。
 さらに、途中で挟まれる天願の生まれから成長までのストーリーがかなり長く、かつこれもまた面白いので、自殺に追い込むまでの駆け引きがぼけてしまった印象を受ける。これだったら、天願圭一郎を主人公にした物語を一冊書いた方が良かったのではないか。
 この「消し屋」は、過去作品『凶気の桜』『消し屋A』にそれぞれ別名で登場しているという。さらに蘭子も登場しているらしい。もし過去作品を読んでいれば、評価はもう少し違ったのかも知れない。
 それぞれの場面は面白いのだが、つながりが悪く、本筋よりも脇道ばかりが目立つ作品。うーん、これがどうして大藪賞だったのだろう。当時の選評を読んでみたい。




北重人『蒼火』(文藝春秋)

 妾腹の子であるために家を出て、今では刀剣の仲介と道場の師範代、そして知り合いの承認から受けた依頼の礼金で暮らしている立原周乃介は、相次いでいる商人殺しの謎を追う。調べていくうちに、芸人たちも辻斬りに合っていることがわかった。調査を続けるうちに浮かび上がる犯人の一味。そこにいた冷酷な殺人者が、周乃介の過去の"蒼火"を呼び起こすこととなった。
 2005年11月、文藝春秋より刊行。2007年、第9回大藪春彦賞受賞。

 作者は一級建築士の資格を持っているという。1999年、「超高層に懸かる月と、骨と」で第38回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2001年、『蒼火』で第8回松本清張賞の最終候補に残る。2004年、『天明、彦十店始末』で第11回松本清張賞の最終候補に残るが惜しくも受賞を逃す。しかし、選考委員の大沢在昌と伊集院静の強い推薦により、『夏の椿』と改題して12月に出版。『夏の椿』も立原周乃介が登場しており、本作はその前日譚となっている。
 大藪賞を受賞していなかったら、まず手に取ることがなかっただろうけれど、読んでみたら非常に面白かった。思わぬ拾い物をした感じ。
 若い頃に色々やって、今は浪人状態なれど事件が起きたら動き出す、という設定は数多くあるだろうし、辻斬りと出会って自らの「暗い血」が騒ぎ立てるというのはありがちだが、それでいて面白いというのは、当時の江戸の風景や登場人物の心理描写も含めて、非常に丁寧に書かれているからであろう。人を斬りまくって刀をどう研いだのか、などというあたりは非常に説得力のある話である。
 前半は非常にゆったりとしたペースだが、周乃介を取り巻く人々とのふれあいが心地よい。特に既に亡くなった友人の妹で、当時はほのかに思いを通わせていた元芸者の市弥との再会後のやりとりは、お互いにいい大人なれど、だからこそ非常に周囲がじれったくなるほどのもどかしさが読者を引きつける。
 後半、謎が解けてからの展開は非常にスピーディー。特に辻斬りと接してからの周乃介の苦悩や孤独感が心に染みてくる。二人の「暗い血」の描写が秀逸。まさに「蒼火」が燃えさかり、狂わせる。このあたりの描写が、大藪春彦賞を受賞できた要因だろう。時代小説なれど、殺人者の衝動という点では似通ったところがある。
 時代小説はあまり読んでいないが、素直に楽しむことができた。傑作である。何で今まで手に取らなかったのだろう。非常に勿体ない。『夏の椿』も読んでみようと思う。




柴田哲孝『TENGU』(祥伝社)

 二六年前の捜査資料が、中央通信記者・道平慶一の目の前にあった。巨大な手で握りつぶされた頭骨、食いちぎられた顔面など人間業とは思えない他殺体の写真。そして、唯一の犯人の物証である体毛。当時はまだなかったDNA解析を行うと、意外な事実が明らかになる。犯人は、人類にはあり得ない遺伝子を持っていたのだ……。一九七四年秋、群馬県の寒村で起こった凄惨な連続殺人事件は、いったい何者の仕業だったのか?
 七〇年代の世界情勢、さらに二〇〇一年九・一一米同時多発テロ事件にまで連関する壮大なミステリーが今、ルポルタージュの迫真を越える!(粗筋紹介より引用)
 『下山事件 最後の証言』で2006年、第五九回日本推理作家協会賞(評論その他部門)、日本冒険小説協会大賞(実録賞)を受賞した作者が2006年に書き下ろした長編。第9回大藪春彦賞受賞作。

 『下山事件 最後の証言』で気になっていた作者が大藪賞を受賞したということで、とりあえず一気読み。帯にあるお薦め文を読んで、結構期待していたのだが。結論から書いてしまうと、題材はいいのに勿体ない。
 場面の切り替えが下手というか、過去の部分と現在の部分の見分けがつきにくいという欠点が気になり、第一章の途中までは今ひとつのれなかった。しかし、文章の癖に慣れ、第二章に入って事件が徐々に核心に触れていくにつれ、物語の面白さに没頭できるようになった。場面場面のシーンの書き方はうまい。ノンフィクション作家らしく、事実を細部まで書き込んでいるから、細かい部分まで情景が目に浮かんでくる。そこへ、連続殺人事件における犯人「天狗」?の謎、さらにその「天狗」の影で暗躍する米軍人の謎などが絶妙に絡みあう。さらに現在における道平と千鶴との心の触れあいが心地よいアクセントとなり、話のボルテージは一気に上昇する。
 そこまではよいのだが、問題はその先。
 同時多発テロ事件をきっかけに、謎のままで終わるかに見えた連続殺人事件は、一気に解決を迎える。問題はここ。まず、あっさりと解決を迎えること自体がどうかと思う。あれだけ苦労している割に、関係者の告白だけで謎が全て解けてしまうというのは、せっかくの盛り上がりに水を差す結果となっている。このあたりは、ノンフィクション作家らしいミスだと思う。
 さらにこの解決自体、呆気にとられる人も多いんじゃないだろうか。解き明かされる謎が、あまりにも予想外の方向というか、想像外の方向に流れていく。DNA解析の結果から、勘のいい人なら予想がつくかもしれないが。なんかこううまく言えないのだが、小説として求められている結末とは別の方向を向いたまま終わっちゃっているんじゃないの、というようなもどかしさがあるのだ。伏線も張らずにこの結末を迎えるのは、唐突すぎる気がする。
 もっとページを使い、伏線をきちっと張れば、傑作と呼ばれる作品に仕上がったのではないだろうか。重要登場人物である彩恵子や千鶴、大貫あたりはもっと書き込んで欲しかったと思うし、謎の米人ケント・リグビーも正体の明かし方が下手。日刊群馬の松井だって、書き方次第ではもっと活躍させることができたと思う。有賀雄二郎なんてすごく面白いキャラクターなのに、活躍する場面が少なすぎる。結末ももっと書き足すべき。あれで終わりなんて、尻切れトンボだ。
 最初にも書いたが、題材は最高。ただ、料理の腕が今ひとつ。小説の中で出てくるダッチオーブンみたいに、最高の料理には仕上げられなかったようだ。今の倍ぐらいは、ページを使ってもいいと思うね。それぐらい、内容自体は濃い。ただ、味付けが今ひとつだから、淡泊な作品で終わってしまっている。本当に勿体ない。




近藤史恵『サクリファイス』(新潮社)

 白石誓は高校時代に陸上の中距離走でインターハイ1位となったが、期待が重荷となって大学でロードレースに転向。卒業後、プロロードレースチーム「チーム・オッジ」にスカウトされた。山登りを得意とし、サポートを担当している。今年、白石はエースの石尾豪、アシストの赤城、同期で期待のホープ伊庭和実とともにツール・ド・ジャポンの参加メンバーに選ばれた。3日目の南信州ステージで白石は大番狂わせの優勝。このレースに参加していたマルケス・イグナシオより、スペインのプロチーム、サントス・カンタンが日本人選手を探していることを伝えられる。
 5つ目の伊豆ステージまでは総合1位だったが、このステージで石尾の自転車がパンク。石尾は「来い」とサインを出す。無視すれば総合1位も夢ではなかったが、白石はアシストに徹して石尾の元に行く。そして最終ステージも終わり、チーム・オッジが総合優勝、石尾が1位。白石も総合10位に入ったため、リエージュ・ルクセンブルクのレースに参加することとなった。そこで悲劇が起きる。
 2007年8月刊行。2008年、第10回大藪春彦賞受賞。第5回本屋大賞では惜しくも2位だった。

 周囲の評判はよかったし、大藪賞を取っていたことも知っていたが、買うだけ買ってそのままにしていた1冊。まあ、素直に評判を信じるんだったね、と少々後悔。
 ロードレースを舞台にしたミステリ兼青春小説。長大化している今日からしたらちょっと短いけれど、内容はとても濃い。
 エースとして冷酷であり、かつては期待のホープだったチームの後輩を故意の事故で下半身不随にしたとの噂がある石尾、チーム最年長であり石尾の影として7年間サポートに徹してきた赤城、次期エースを目指す伊庭、石尾に潰されて今は車椅子でのラグビー選手である袴田、白石のかつての恋人初野香乃など、登場人物も多種多彩。特に、石尾や赤城のプロ意識が恐ろしい。勝利のためにここまですることができるのかと思ってしまった。そして、このメンバーの中では一見地味に見える白石の芯の強さが、物語を通じてより一層鮮やかに照らし出される。
 それにしても、本のタイトルであり、最終章の「サクリファイス」(生け贄を意味する)は非常に深い言葉である。
 続編『エデン』、『サヴァイヴ』、『キアズマ』があるそうだが、手に取ってみるか。




福澤徹三『すじぼり』(角川文庫)

 ひょんなことからやくざの組事務所に出入りすることになった大学生の亮。そこは個性豊かな面々がとぐろをまく強烈な世界だった。就職先もなく、将来が見えないことに苛立ちを感じていた亮は、アウトローの男たちに少しずつ心ひかれていく。しかし、時代に取り残された昔ながらの組には、最大の危機が訪れようとしていた。人生をドロップアウトしかけた青年の一夏の熱くたぎる成長ドラマを描いた第10回大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
『野性時代』2006年3月号〜7月号連載。2006年11月、角川書店より刊行。2008年、第10回大藪春彦賞受賞。2009年7月、角川文庫化。

 北九州市でタクシー運転手の父親と二人暮らしの私立大学4年生、滝川亮が2人の友人と繁華街のクラブで大麻を盗もうとし、見つかって逃げ込んだバーで速水総業の組長・速水晃一に助けられる。速水から19歳の組員松原正太にパソコンを教えるアルバイトをもらった亮は、彼らに魅かれていく。
 何も努力をしないでただ不平不満を言い、就職の時期になってもろくに活動をしない若者である亮に苛立ちながら読み進めた。昔気質のやくざと触れ合った若者の成長物語かもしれない。古いやくざが終わる姿の一つを描いた作品といってもいいかも。一応、父と子の対立も書かれている。色々な要素がミックスされながらも、物語は小石が坂道を転げ落ちるかのようにどんどん悪い方向へ流れていく。
 個人的には一昔前の任侠小説に若者を絡めた話にしか思えなかった。暴力団の組長だったら、厄介事などサッサと切り捨てるだろうし、組に入れるつもりのない素人を通わせるという神経が今でもわからない。亮や友人の和也、翔平の考えや行動も首をひねることばかりだ。平気でデリヘルの面接を受ける菜奈に至っては理解不能。それでも事態がエスカレートしていく描き方は、なぜか知らないが妙な迫力がある。読み始めたらやめられない麻薬のような魅力がここにある。
 結末のあっけなさも含め、不満点は多いのだが、何だか妙に印象に残る作品。亮がその後どうなったのかは、非常に気になる。読者にそう思わせるということは、この作品は成功しているのだろう。



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