鷹羽十九哉『虹へ、アヴァンチュール』(文春文庫)

 第一回サントリーミステリー大賞受賞作。史上初の公開選考会で、小松左京・開高健委員から「はじけるような遊び心」を高く評価された話題の作品。殺された美女の仇討と事件解決を悲願に奮起した青年カメラマンと熟年塾講師の探偵コンビ! 全国を駆けめぐるスリルと躍動感にあふれた、軽快タッチの長篇推理。(粗筋紹介より引用)
 1984年6月、文藝春秋より刊行。1986年5月、文庫化。

 栄えある第1回の大賞受賞作。青年カメラマンが事件解決のためにバイクに乗って全国を駆けめぐるのだが、無駄にスケールを大きくしただけで、話にまとまりがなくなっている。事件自体のスケールはでかいが、書き方が軽すぎて、読者に全く響いてこない。若者を主人公とし、当時の赤川次郎的なユーモアミステリを念頭に置いた文体だと思うのだが、年寄りが無理して若者言葉を使って書いている感がありありで、読んでいて苦痛。場面の切り替えも唐突だし、途中で無駄に古い知識が延々と語られたりと、ちぐはぐさが目立つ。事件を解決する熟年塾講師って、多分作者本人を念頭に置いているのだろう。あわよくばシリーズ化、も考えていたのではないか。
 なぜこれが大賞なのか、選考評を読んでもわからなかった。テレビ映えはするだろうが、ミステリとしては今一つ。




麗羅『桜子は帰ってきたか』(文春文庫)

 敗戦の満洲から桜子は脱出できたのだろうか。一人だけ帰ってきた女性の正体は? 中国残留孤児の張国勇はなぜ殺された? 桜子の足跡を執拗に追い求めるクレの身辺に次々と死の危険が迫る。史上初の読者による選考で、クレの無償献身の愛が圧倒的支持を読んだ第一回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1983年6月、文藝春秋より刊行。1986年5月文庫化。

 終戦三日前、満州の鉱山でスパイ容疑を掛けられた三十余名の中国人や朝鮮人、ロシア人の囚人が処刑されるのを停めようとして、安東真琴は逆に憲兵中尉に殺された。朝鮮人であり、かつて徴兵された日本軍から脱走したところを真琴に助けられた19歳(数え年)のクレは遺言に従い、真琴の妻桜子を日本に連れて帰るべく、満州三江省の大帽子から朝鮮の漁大津まで約1000qの長い旅路を徒歩で横断した。途中、三人の女性と同行することになり、小さな船を買ってようやく日本へ向かうことができるとなった直前でクレは桜子と離れ離れになってしまう。36年後、クレは日本を訪れたが、桜子が帰国していなかった。しかしクレが調べたところ、乗船した4人のうち1人だけ、日本へ帰国していたという。真人がその話を聞いたころ、中国残留孤児として日本へ肉親を捜しに来ていた張国勇が殺害された。
 終戦前後における中国残留孤児の問題を背景にした作品。一部識者は、国民を見殺しにして自分だけ日本へ脱出した軍人たちのことについて全く触れようとしていないらしいが、この問題だけでも日本の戦争を美化する要素はないと思っている。
 ミステリの公募作品で、初めて読者から選ばれた作品。ストーリーだけを追っていけば、多分事件の真相は容易に気づくだろう。それでもこの作品が感動を呼ぶのは、クレの桜子に対する献身的な愛情である。北朝鮮で長年重労働に課せられていても、桜子に対する思慕の念を持ち続けるクレの純粋な心には涙が出てくる。解説で田辺聖子が語るようにごつごつとした文章だが、このような作品には却ってその文体が似合っているといえよう。この作品でやや残念なところは、結末が駆け足気味になっているところか。ページ数があれば、もう少し心情を掘り下げることができたかと思うし、最後の展開も違ったものになっていたのではないだろうか。
 題材、仕上がり、感動などすべての面で、大賞作品『虹へ、アヴァンチュール』より上。選考委員がなぜこの作品を選ばなかったのか、首をひねるところである。ミステリ史に残る作品の一つであり、中国残留孤児を取り扱った作品としても記憶に残すべきである。




黒川博行『二度のお別れ』(文春文庫)

 新大阪の銀行に押し入った強盗は居合せた客の一人を人質にとって逃走した。まもなく犯人から一億円を要求する脅迫状が届く。その指示は、徹底的に巧緻で悪意に満ちたものだった……
 黒田・亀田両刑事、通称クロマメ・コンビに出番が来た。軽快なテンポと秀抜なトリックで描く本格長篇ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 1984年9月、文藝春秋より刊行。1987年6月、文庫化。

 第1回サントリーミステリー大賞佳作。黒川はその後第2回でも佳作を受賞し、第4回でようやく大賞を受賞する。
 大阪府警捜査一課第六係の刑事である黒田と亀田淳也が、銀行強盗事件から派生した誘拐事件に挑む。長編というにはボリュームがやや少なく、登場人物も少ないことから、事件の真相についてはおぼろげでもわかる人は多いと思う。とはいえ、身代金の受け渡しや犯人隠しなどのトリックなどはなかなか巧妙に仕組まれており、誘拐もののミステリとしてはなかなかの仕上がり。黒田と亀田のコンビによる掛け合いも、大阪人らしいユーモアが楽しい。ただ、先にも書いた通りボリュームが少ないことと、犯人の告白というラスト、さらに犯罪に対する報いとはいえ、後味の悪い点は正直マイナス。佳作止まりだったことも仕方がないところだろうか。もし作家として円熟した今だったら、もっと登場人物や伏線を増やした作品に仕上げていたところだろう。
 黒川はこの後も、大阪府警捜査一課の刑事たちを主人公にした作品を描き続けている。




由良三郎『運命交響曲殺人事件』(文春文庫)

 その高名な指揮者の右手が力強く振りおろされて、"運命"の冒頭が会場に鳴り響いた。ダ、ダ、ダ、ダン! 瞬間、指揮台が爆発し、指揮者の身体がふっ飛んだ……。事件を追う白河警視と甥の鉄平の前で、謎は思わぬ展開を始める。作者が元東大教授で話題を呼んだ第二回サントリーミステリー大賞受賞の本格推理。(粗筋紹介より引用)
 1984年6月、文藝春秋より刊行。1987年6月、文庫化。

 第2回サントリーミステリー大賞受賞作。市民福祉会館のこけら落としで、地元アマチュアオーケストラによる演奏のイベント開始時における爆発事件。日本で最高と謳われる指揮者を含む3人が死亡するという大事件。クラシックファンで、事件時にも会場に来ていた白河警視による必死の捜査も功を奏さず、事件は迷宮入りかと思われたが、白河警視の甥である鉄平が事件のビデオを見て爆発事件のトリックに気がつく……という展開。作品の前半は警察による捜査、中盤で爆発事件のトリックがあっさりと解き明かされ、後半は事件の動機を追いかける。文章はかなり硬いが、小説の流れはそれなりにスムーズ。とはいえ前半が警察の捜査がもたもたしている分、後半の流れは都合よすぎだろうなんて思ってしまうし、犯人逮捕に至る手順に至ってはさすがに警察がまずいだろうと思わせる展開。メインの謎がどこにあったのかも、今一つ絞りきれないまま終わっているのも難点。鉄平という解決役も、とりあえず解決するために出てきました、程度の存在であり、これだったら別に刑事でもよかったんじゃないのと思ってしまう。
 そういえばこの爆破トリックについて、佐野洋が疑問を投げかけていたね。所々はイチャモンをつけているだけじゃないの、と思ってしまう佐野洋だが、この作品に関しては珍しく正論だったと思った。
 元大学教授が退官して余裕ができたので、趣味であるミステリを書いてみました、というところがピッタリくる作品。ドラマ化しやすいから選びました、という気がしなくもないし、手堅くまとまっているから大賞になりました、と思われても仕方がない。まあ、悪くはない出来だけどね。




井上淳『懐かしき友へ―オールド・フレンズ―』(新潮文庫)

 一年後にアメリカ大統領選挙をひかえ、ゴードン大統領とハミルトン上院議員は激しい選挙戦を繰り広げていた。そんなおりロボトミー手術の専門家がハミルトンと接触をはかった。なぜか彼を消そうとするゴードン。その一方、元大統領のシンクレアはランナーと呼ばれる元CIA工作員と接触していた……。第2回サントリーミステリー大賞読者賞受賞の本格ポリティカル・サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1984年、第2回サントリーミステリー大賞読者賞受賞。1984年6月、文藝春秋より単行本化。1988年1月、新潮文庫化。

 作者名は「きよし」と読む。単なる自分の覚書用。なぜこの作品だけが文春ではなくて新潮から文庫化されたんだろう。
 日本人が書いた国際ポリティカル・サスペンス。アメリカ大統領選を背景に、現職のゴードン大統領が共産主義革命者と独裁政権が内戦を続けている中央アメリカの小国へ介入を行おうとしていた。もしアメリカが手を出したとなると、ソ連が黙っていない。それは第三次世界大戦への引鉄になる可能性があった。在職中に射殺されたマクミラン元大統領の妹ルイザを妻に持つハミルトンは、ロボトミー手術の権威ブラヴォ博士を探していた。逆にゴードンは博士を消そうと躍起になっていた。CIAのレイカー長官はゴードンの企みに抵抗し、シンクレア元大統領は元CIAエージェントであるランナーことケン・スパナーと接触する。いやあ、これだけのストーリーを当時の日本人が書いたなんて信じられない。なかなかスケールの大きい作品であるし、裏に隠された謀略と陰謀、そして意外な真相と結末には脱帽する。ベトナム戦争の犠牲者ともいえるユーイング刑事の配置もなかなかうまい。その圧倒的な筆力には感心した。
 ただこの作品の弱点は、主人公が誰なのかわからないことだ。あえていうなら、この舞台(陰謀?)そのものが主人公なのかもしれないが。タイトルに出てくる「友」とは誰なのかもいまひとつわからない。そういった焦点のぼけた部分が、本作品が大賞を取れなかった大きな要因ではないか。個人的にはそのような弱点を踏まえても、大賞作品『運命交響曲殺人事件』より内容も面白さも上だとは思うのだが、これが大賞になってしまうと間違いなく映像化できないので、選ぶ方にもブレーキが働いたんじゃないかと邪推してしまう。
 もう少しスパナーを主人公らしく動かしていれば、この作品は間違いなく傑作になっていただろう。その点がとても残念ではある。しかし読みごたえがある作品であり、サンミスでなければ本にはなっていなかっただろう。




黒川博行『雨に殺せば』(文春文庫)

 大阪湾にかかる巨大な港大橋の上で現金輸送車が襲われ、二人が射殺された。しかしこの事件は、奸智に満ちた連続殺人の予告編にすぎなかった……。黒木・亀田両刑事、通称クロマメコンビにまた出番が来た。二人は銀行と悪徳美術商の壁を突破できるか。大阪と京都の息吹きが伝わる傑作長篇ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 1985年6月、文藝春秋より刊行。1988年5月、文庫化。

 第2回サントリーミステリー大賞佳作。黒川は前年度に引き続いての佳作である。
 前作『二度のお別れ』に引き続いてのクロマメ・コンビが登場するが、クロの方は黒田ではなくて黒木と別人。黒田は既婚者だが、黒木は38歳、独身という設定である。前作が本になっているのに、このようなややこしい設定変更は正直マイナスだと思うのだが、実際はどうだったのだろうか。
 銀行輸送車襲撃事件を取扱いつつも、途中から経済犯罪の要素も交じってくるため、クロマメコンビにもわかるようにやさしく説明されているとはいえ、読む方としてはなんとなくテンポを変えさせられた戸惑いを感じてしまった。書き方がどうもこの作品のために勉強しました、という感じも受けるため、ここまで凝らなくてもよかったんじゃないの、という気がしないでもない。テンポの良い会話は相変わらずであるが、説明調の部分が多いため、前作ほどの軽快さは感じられない。




土井行夫『名なし鳥飛んだ』(文春文庫)

 新制高校の新任教師、小谷真紀(オタヤン)が日直の日、校長(ホトケ)が青酸カリで毒殺される。数日後、書道教師(ラッコ)が水死体で発見され、続いて社会科教師(マムシ)が絞殺された。戦後間もない学園を舞台に起こる連続殺人事件をユーモア・タッチで描く第3回サントリーミステリー大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1985年6月単行本。1988年5月、文庫化。

 舞台は学制改革の実施が決まっている昭和22年。2年後には廃校となる澪標(みおつくし)高校にて校長が青酸カリを呑んで死亡する。遺書と思われた自由律俳句に不審を抱いたオタヤンが調べると、その俳句は同人誌『みみずく』へ投稿された「名なし鳥」の俳句と似ていることに気付く。
 戦後の混乱期らしい題材を使っているが、文体や大阪弁の会話がどことなくほのぼのとした雰囲気を醸し出している。オタヤンと、理科担当でロクロこと丹波とのロマンスも、微笑ましいものを感じさせる。ユーモアミステリとまではいかないが、ユーモア溢れるミステリとは言えるだろうか。その分緊張感に欠けており、その淡々とした調子は読者によっては退屈と感じてしまうだろう。ただし事件の決着は、戦後すぐという動機も含め、かなり苦いものとなっている。この結末に至る伏線をもう少し早く出していたら、小説の雰囲気ももう少し緊迫感のあるものになっていたかと思うと、ちょっと惜しい。
 もともと作者が脚本家ということもあるのか、伏線の張り方や見せ方など、ドラマ化を前提に置いたような作品の作り方になっているのが正直マイナスに働いていると思う。生徒会長のダンプや、美人女生徒小林肇子など、もう少し動かしようがあったと思うが。
 作者は大賞受賞を前に急逝してしまったとのこと。文章や構成は手堅いものがあったので、もう少し別系統の作品を読んでみたかった気もする。




保田良雄『カフカズに星墜ちて』(文春文庫)

 ジュネーブに“大日本帝国造幣局製”の白金の延べ板を持つ男が現れた。その延べ板には第2次大戦混乱期の意外な事実が隠されていた。謎を追ってアムステルダム、パリ、イスタンブール……と、世界各地を駆けめぐる外務省調査官・江木順介の推理と冒険。第3回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。
 1985年6月、文藝春秋より単行本化。1989年6月文庫化。

 前半は若き外務省調査官が、1944年に作られたプラチナの延べ板の謎を追うストーリー。国内で当時の関係者へ聞き込みに回り、大日本帝国陸軍がドイツから技術を導入して新型戦闘機を開発する計画を立て、その見返りとして提供するべく作られたのが、今回発見されたプラチナの延べ板であったことを突き止める。そのプラチナをベルリンまで無給油で運ぼうと、陸軍の試作機であるキー74で日本を飛び立ったが、到着せずに行方不明となった事実が判明。プラチナが立て続けに爆発事件を引き起こしていた「1944年のルドルフ」というテログループの資金源となっていることを知った日本政府は、江木にその回収を命ずる。
 後半はその回収に乗り出した江木と、CIA、KGB、SISなど各国のスパイ組織が「1944年のルドルフ」の正体を追い続ける。日本で知り合った元イタリア留学生のソフィアと共に江木は、ヨーロッパからトルコ、イラク、そしてアルメニアまでプラチナを追い続ける。
 とまあ、道具立てを見ると実に面白そうな冒険小説なのだが、読んでみるとこれがまたスイスイと進む。ただしそれは、ご都合主義の固まりだから。いくら何でもこれはないでしょう、というぐらいトントン拍子で物事が運ぶ。会う人会う人皆が簡単に当時の事を話してくれるというのはどうかと思うし、当時の軍人なら少しぐらい口が堅くてもよさそうなもの。プロが瞬時に解いてしまうぐらい簡単すぎる暗号もどうかと思う。それでもまだ日本での捜査は許せるが、ヨーロッパに出てからは唖然とする展開。プロのスパイ集団を敵に回し、素人が八面六臂の活躍をするのだから、違和感を覚えない人は多いだろう。
 ただ、そういった不自然さ、荒唐無稽さに目をつぶることができる人であれば、ロマン有り、恋有り、涙有り、手に汗握る冒険小説として楽しむことができるのではないだろうか。当時の軍用機に関する蘊蓄の部分は、素人でもわかりやすい書き方となっており、作者の傾倒ぶりを味わえる。




深谷忠記『一万分の一ミリの殺人』(講談社文庫)

 致命率70パーセント、エイズよりも恐ろしいという国際伝染病“エボラ出血熱”の男性の真性患者が東京で発見された。さらに疑似患者も次々に出た。第一次感染者と思われる女は行方不明。国立微生物医学研究所内部の人間によるウイルス漏出説を探る新聞記者は殺されてしまう。綿密な取材と完壁なデータに裏打ちされた俊英の都会派ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 1985年、第3回サントリーミステリー大賞佳作『殺人ウイルスを追え』を改題し、廣済堂ノベルスから1987年6月に出版。1989年10月文庫化。

 深谷忠記は1982年に『ハーメルンの笛を聴け』で江戸川乱歩賞最終候補に選ばれている。本作で佳作を受賞後、作品を多数発表するようになったため、世に出るきっかけとなった作品といえよう。
 エボラ出血熱伝染の謎と、新聞記者殺人事件の謎が交互に絡み合い、研究所における人間関係と出世が複雑に関連してさらに混迷を深めるという展開。解説でも書かれているが、確かに取材力はすごい。エボラ出血熱に関して丹念に取材を行い、データをそろえ、事件を組み立てる構成力には感心した。しかしその構成に力を注ぎすぎたか、事件を取り巻く登場人物の描写がさっぱりであるため、誰が誰だかわからないままページばかりが進んでしまっているのがマイナス。登場人物の多さが、わかりにくさに拍車をかける始末。第一次感染者と思われる女性の謎などの取扱いなどはうまかったのだから、人物と背景の説明のみで事件が始まって終わったのが非常に残念。人物を取り巻くドラマなどをもう少し絞っていれば、大賞を取っていたかもしれない。
 新人に有りがちの、力を入れすぎてしまった作品。勿体ないな。




黒川博行『キャッツアイころがった』(文春文庫)

 殺された三人の男たちは、なぜ同じようにキャッツアイを呑みこんでいたのか。第二の被害者村山光行と共に、京都府立美術大学に学ぶ啓子と弘美は、村山の旅行体験から「事件の鍵はインドにあり」と睨んで一路カルカッタへ。そこで2人が掴んだ真実とは――。サントリーミステリー大賞に輝く傑作長編推理。(粗筋紹介より引用)
 1986年8月、文藝春秋より刊行。1989年9月、文庫化。

 第1、2回では佳作に終わった黒川博行が、ついに第4回大賞に輝いた作品。過去二作の大阪府警ものとはちょっと色を変え、警察側の捜査とは並行して河野啓子と羽田弘美の女子美大生コンビが事件の謎を解き明かすべく動き回る。主人公に女子美大生を設定したため、物語の雰囲気は華やかになったが、被害者の結びつきすらわからない3人連続殺人+キャッツアイの謎解きが軽くなってしまっている。二人が警察を出し抜いてすんなりと事件の一つの謎に辿り着くのも、いくら被害者の一人をよく知っているとはいえ、ややご都合主義な流れ。こういう難解に見える事件こそ、警察の動きをじっくり書いてほしかった。
 関西弁を基調としたテンポの良さは健在。美術や宝石の蘊蓄部分については、テンポを損なわない程度に巧く差し込まれている。こういう小説のうまさは過去の二作品より向上しているが、物語の作り方や謎解きの楽しさという点では過去二作の方がよかったと思える。まあ、女子美大生コンビを主人公に据え、テレビドラマにしやすい作り方にしたのも勝因だろう。ニーズに応えるというのも、小説家として必要な要素だと思うから。




長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』(文春文庫)

 光源氏の生母、桐壺が殺されたのに始まり、奇妙な殺人事件が相次ぐ。夕顔の死も、葵の上の死も、どれも変死であった。不審に思った紫式部はその解明にいどみ、ついにみごとな推理で真犯人をつきとめる。『源氏物語』の世界を舞台に、奇想天外な発想で描かれた異色ミステリー。第四回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作品。(粗筋紹介より引用)
 1986年8月、文藝春秋より刊行。1989年8月、文庫化。

 『源氏物語』の世界を舞台にしたミステリといえばまず『薫大将と匂の宮』が思い浮かぶが、この作品にはそこまでの気品などは見られない。とはいえ、新人の受賞作にそこまで求めるのは酷というもの。光源氏の周囲で起きた殺人事件を、作者である紫式部が解き明かすという趣向に挑み、原作の展開を絡めながらもミステリとして完成させた腕は褒められてもよい。まあ後半のドタバタぶりにはがっかりする人がいるかもしれないが。




ラルフ・ヤング『クロスファイア』(文藝春秋)

 何げなくかけた一本の電話が、平凡な助教授だったクリストファー・ベントンの人生を大きく狂わせることになった。彼は交通事故で死んだ友人の勤め先に電話した途端、いきなり殺し屋に襲われる。かろうじて身をかわした彼に、徐々に事態がのみ込めてくる。彼は秘密を知る男と勘違いされたのだ、過激派にNATOの核ミサイルを奪う計画があり、それにNATOの大物がからんでいるという……。彼らの狙いは何か? 本当にそれは核装備されているのか? なぜNATOが手を貸すのか?
 謎は次第に深まり、ベントンはすさまじい状況に追い込まれてゆく。(帯より引用)
 1986年、第4回サントリーミステリー大賞佳作賞受賞。11月単行本化。海外から初入選を果たした話題作。

 サントリーミステリー大賞の特徴には、海外からの公募があった。このミスのどこかに書かれていた記憶があるのだが、年間4〜5作程度の応募があったらしい。正確にはエージェントに手配して作品を募ったようだが。本作品は初めて入選した作品。
 作者は1942年ニューヨーク生まれ。1971年にミシガン州立大学博士課程卒。専攻は歴史学、政治学、地理学。その後、ロンドン大学、ブレーメン大学での講師を経て、執筆当時はフィラデルフィアで古書、稀観本を扱う書籍商を営んでいる。本作品が処女作。
 フィラデルフィアで事件は始まり、その後はニューヨーク、ロンドン、ハンブルク、ウェッツェン、ブレーメン、ワシントン、コペンハーゲンなどアメリカ・ヨーロッパを巻き込んだ大事件に発展する。過激派と帯の粗筋には書かれているが、一応核非装備、反核を掲げている団体である。核の恐ろしさを知らしめ、核を無くすために核ミサイルを奪うという計画は、執筆当時の時代性を感じさせるところがある。今だったらここまでの過激な作戦を立てずとも、ホームページなどで舞台裏をさらせば十分目的を達成させられそうなのでやや違和感が残るが、それは仕方がないか。
 ということで舞台や背景だけを考えれば「大型サスペンス」となるのだが、その内容はあまりにも素人くさい。何の取り柄もない平凡な助教授であるベントンがプロの殺し屋は集団の手から逃れ続けるくだりは、はっきり言ってご都合主義を超えた情けなさがある。その後の追う側と追われる側のドタバタぶりも、裏に隠された壮大な計画と比較すればあまりにもお粗末。一歩間違えば、世界は破滅している。当然シミュレーションは繰り返したんだろうが、得られた成果と比較すれば危険度が高すぎると思うのだが。その辺に説得力を感じさせることができれば、もう少し評価は異なったかもしれない。
 サントリーミステリー大賞といえば都筑道夫が選評で、国内作品と比べて海外作品が大人の作品であるといったようなことを毎回のように書いていた記憶があるが、この作品に限っていえばその評は的外れ。いや、本作品でそのようなことを言ったかどうかは覚えていないけれど。グダグダ感の強いサスペンスであり、佳作どころかよく最終選考まで残ったと思わせた作品。まさか翻訳料と公募依頼料を稼ぐために単行本で出したわけじゃないだろうな。




典厩五郎『土壇場でハリー・ライム』(文春文庫)

 1967年、東京六本木に近い雑居ビルの屋上から、一人の男が飛び降り自殺した。東都新聞文化部長の月田春之。しかしその部下の真木光雄には、それが自殺とはとても思えない。月田が死の直前、ゾルゲ関係史料を読み漁っていたのを知った真木は、和歌山県のアメリカ村に向かった。予想もしない事実が待ちうけているとも知らずに。

 第5回サントリーミステリー大賞で、では初めて大賞と読者賞のW受賞に輝いた作品。とはいえ、選評やこの作品の出来を見る限り、他に選択肢はなかったのだろうと思わせるぐらい低調だったのではと思わせる。
 太平洋戦争で日本が真珠湾を攻撃したのはゾルゲによる誘導だった、さらに真珠湾攻撃の"奇襲"は、ゾルゲから報告を受けていたソ連がアメリカへ事前に知らせていた、という秘密文書にまつわる事件……とくれば面白そうな作品に仕上がりそうなのだが、この地味な展開と終わり方はないだろう、と言いたくなってくるぐらい勿体ない使い方である。冒頭に出てくる自殺にまつわるパラソルの謎にしても、使い方によってはもっと面白くなりそうなのだが。複数の事件がまとまらずに終わってしまう展開はどうにかならなかったのだろうか。タイトルの付け方も今一つ。タイトルそのものは悪くないと思うのだが、ハリー・ライムなんてほとんど関係ないし。
 選評で、「昭和42年という舞台設定をヒットソングの羅列で逃げている」というのがあったが、それは的確な意見だと思った。時代設定を感じさせるのはヒットソングと映画ぐらいのものであり、他に関しては昭和のいつなのだかわからないというぐらい描写が薄い。
 読ませる力はあると思うが、題材の調理方法を間違えた作品。




笹倉明『漂流裁判』(文春文庫)

 レイプを主張する女。否定する男。女には他の愛人がおり、男には婦女暴行の前科があった。過去が、現在が、ふたりの証言を転々とさせる。法廷での事実は、果たして“真実”を追求しきれるのか。裁判という熱い人間ドラマを舞台に、人間心理の深い綾をえがきとる、サントリーミステリー大賞受賞の滋味豊かなる長編。(粗筋紹介より引用)

 第6回サントリーミステリー大賞受賞作。強姦致傷、強姦で起訴され、一審で懲役3年6月の実刑判決を受けた男の控訴審から弁護を担当することとなった弁護士深水耕介が主人公。和姦を訴える被告紺野喜一と、強姦を訴える中山知子。本人や関係者の証言が二転三転し、一審で認定された起訴事実が少しずつ崩されていく。
 裁判をテーマとするとどうしても地味な展開になるのは仕方がないところだが、味わい深い趣のある作品。男と女の微妙な心理は難しい。大賞にふさわしい作品ではある。ただ、個人的には『ぼくと、ぼくらの夏』の方がちょっとだけ上かな、好みの問題だけど。




樋口有介『ぼくと、ぼくらの夏』(文春文庫)

 高校二年の気だるい夏休み、万年平刑事の親父が言った。「お前の同級生の女の子が死んだぞ」偶然のことでお通夜へ出かけたが、どうもおかしい。そして数日もしないうちに、また一人。ぼくと親しい娘ではなかったけれど、可愛い子たちがこうも次々と殺されては……。開高健氏絶賛の都会派青春小説。(粗筋紹介より引用)

 第6回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。年上の彼女と別れたばかりのちょっとひねくれた高校二年生戸川春一が主人公。同級生岩沢訓子が自殺。しかも妊娠していたという。教室の日常からはとてもそう思えない女の子であった。中学時代の友人であるというクラスメイト酒井麻子とともに自殺の謎を探り始めるのだが、さらにクラスメイトの新井恵子までが自動車事故に遭う。どことなくハードボイルドで、やっぱり青春小説で……。高校生をハードボイルドの主人公に据えたらこうなるんだろうな、と思わせた作品。戸川の洒脱な会話と行動が何とも言えないいい味を出しているし、父親である刑事も中年の割に息子よりもかわいい性格。麻子を初めとする女性陣もひねくれているようでやっぱり純情で。今時(当時の基準)の味付けをしながらも、本音のところでは変わらない高校生を書けたところが、この作品の勝因かな。




岩木章太郎『新古今殺人草紙』(文藝春秋)

 国立大学国文科の講師、藤原定夫は読書好きで酔うと話題が豊富。しかし普段は暗く、付き合いも悪いため、三十五歳の今でも独身のまま。酒に酔うと「天才」と言ってもいいほど頭脳明晰となるのだが、酔いがさめると全く覚えていないため、何の役にも立たない。そんな藤原を含む高校時代の同級生五人は、かつての恩師松村万太郎の山荘に招かれる。大地主の兄が亡くなり、今では資産家となった松村は妻も亡くなって一人暮らしをしていたが、親不孝のまま死んだ一人息子に娘がいたことが半年前に発覚。その美しい孫娘である浅香繭子も加わって楽しい時を過ごすが、二日目の夜半過ぎ、不気味な犬の遠吠えを前触れに殺人事件が発生。仲間の一人である新聞記者の本多俊輔が殺害された。
 ……犯人はあがらず、事件は謎を深めるなか、今度は松村が邸の図書室に閉じ込められて衰弱死する。現場に残された唯一の手懸りは三十二冊の書物。藤原定家の研究家で、言葉遊びが趣味だった松村は、本のタイトルに犯人を指し示すメッセージを隠したのだ――。(一部帯より引用)
 第6回サントリーミステリー大賞佳作。1988年11月、ソフトカバーで刊行。

 作者は1953年生まれの読売新聞記者。新聞記者らしいテンポの良い文章ではあるが、中身まで軽いのは問題。多分二番目の殺人にある書物の並び替えによるダイイング・メッセージを思いついてからこの作品を書き上げたと想像するが、そのメッセージの謎自体が面白いものではない。並び替えれば何かのメッセージが出てくるなとわかってしまうと、たとえそこに何かの仕掛けがあったとしてもあとはただのパズルと化してしまう。さらに言えば、犯人にはいくらでもこのメッセージを隠す手段があった(一例で言えば、百冊ぐらい抜き出して置いておけばいい。犯人の仕掛けたトリックはこの場合でも有効)わけであり、わざわざ残してしまうあたりに作者側のご都合主義が見えてしまうともう駄目である。
 酒に酔うと頭脳が明晰になるというパターンもそれほど面白いものではないし、主人公に魅力はなく、他の登場人物も類型的。犯人もミステリ慣れした人ならすぐわかってしまうし、そこに至るまでの被害者の行動も不自然。「県内では大久保清以来の大ニュース」というような目を疑いたくなるような文章もいくつか見られる。よく最終選考まで残ったと不思議に思うくらいだ。
 ダイイング・メッセージだけ考えましたね、お疲れ様でしたというだけの作品。ミステリは単なるパズルじゃないんだよ。




ベゴーニャ・ロペス『死がお待ちかね』(文藝春秋)

 6か月前にこの街へ越してきたソニアは、計画通りに男をひっかけ妊娠した。老婆のテレサは、他の老婆たちとの集まりでその事を言いふらした。ソニアが付き合っていた相手は、病理学者で妻持ちのファニート・マリブラン、建築家で妻持ちのエンリケ・ガルバン、そしてTVデイレクターで独身のビクトル・ポンセ。そしてテレサが絞殺され、警察は先に死んでいたソニアを見つけた。さらに大女優ビビアーナが自殺に見せかけて殺害された。誰もが知り合いであるような小さな待ちで起きた殺人事件の犯人は誰か。マリブラン家の次女で、生物学者のアドリアーナは事件を冷静に見ていた。
 1989年、第7回サントリーミステリー大賞受賞作。同年7月、単行本刊行。

 作者はキューバ大学で心理学の教授を務めていた女姓。スペイン語で執筆し、最終候補に残った知らせを受けた1月に急死。その後、大賞を受賞した。
 キューバを舞台としており、選評では「ディティールの描写が素晴らしく」(田辺聖子)、「土地のにおいがする」(田中小実昌)、「人間たちには、新鮮な個性がある」「背景も濃密」「小説としての貫録がちがう」(いずれも都筑道夫)、「キューバの風土色が豊か」(開高健)と書かれているのだが、そのような雰囲気は全く伝わってこなかった。内容自体も結局は単純な殺人事件でしかなく、新味のないありきたりなミステリであり、退屈なものでしかなかった。括弧が多用された文章は読みづらい。これは翻訳が悪いのかも知れないが、冒頭で語り手のアドリアーナが「恐ろしい文体」と書いているのだから、実際に文章が悪いのだろうと思う。アドリアーナの一人称による手記の合間に、警察による捜査の進捗状況が三人称で語られ、その切替も唐突なものだから、読みづらいったらありゃしない。しかも合間で犯人の独白らしき文章も入るのだから、ごちゃごちゃし過ぎ。選評の人たちはどこが良くて選んだのだろうと、不思議で仕方がなかった。ところがちょっと検索してみると、好評の感想ばかりであることに驚いた。ここまで自分の読み方と異なる感想ばかりだと、自分の読み方が悪いのかと思って凹んでしまうね。文庫化されなかった時点で、売れなかったのだろうなあとは思うのだが。
 これをどうやってドラマ化したのだろうと思って調べてみると、舞台を函館に移して作ったらしい。しかしタイトルが『死がお待ちかね グルメ・不倫・女の愛憎 函館殺人夜景』というのはあまりにもチープすぎる。もうちょい何とかならなかったのか。




黒崎緑『ワイングラスは殺意に満ちて』(文春文庫)

 食都・大阪。ミナミのフランス料理店は大騒ぎ。酒庫からグルメ評論家の変死体が発見された。そして次々に起こる殺人事件…。なぜか死体の脇にはいつもワインが。若き女性ソムリエ富田香の推理は冴える。食前のキールから食後のカルヴァドスまで、軽快なテンポて重厚な構成を心ゆくまでご賞味ください。(粗筋紹介より引用)

 第7回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。フランス料理レストランという舞台はうまく活用されているし、登場人物もいきいきと描かれている。テンポの良さはデビュー作とは思えないぐらい。これで謎そのものがもう少し複雑であったなら、傑作になっただろう。トリック、犯人どちらも簡単にわかってしまい、しかも読む意欲を削いでしまっているのが欠点。




中川裕朗『猟人の眠り』(文藝春秋)

 保険会社のエリート会社員がアメリカで銃撃され、記憶を失って帰国。郷里の倉敷で治療を受けるうちに、彼の過去を知る美しい婦人とめぐり合い、やがて夫殺害の企みに引き込まれるのだが、その後に待ち受けるものは怪事件の連続だった。アメリカ・フィリピン・日本と、めまぐるしく舞台は移り、事件は意外な方向に展開。そして戦慄の結末が……。一体、彼の過去には何があったのか?(帯より引用)
 1989年、第7回サントリーミステリー大賞佳作受賞作。1989年9月、単行本で発売。

 中川裕朗(ゆうろう)は、憲法学者である中川剛のペンネーム。ただし、1968年に『昨日と明日のエバ』を書いて以来、ポツポツとではあるがミステリなども書いている。シャーロッキアンとしても名を馳せた。そんな作者が書いた作品は、意外にも記憶喪失サスペンスであった。
 記憶を失った記憶した北ノ薗が、郷里の倉敷で治療中に新島陽子から誘いを受けて、引きこもりの娘・あや子の相手をしている内に関係ができてしまい、夫を殺す企みに乗ったら逆に見破られてしまうという展開。過去に何らかの関係があるとわかっていながら殺人の相談に乗ってしまうあたり、あまりにも単純すぎるというか、安易すぎる設定に見えてしまう。逆に弁護士の夫がその関係をあっさりと見破っていたり、殺人の容疑者になっているのに海外へ家出した娘を追って簡単に外国へ行ったりと、ご都合主義じゃないかと思える展開が目白押し。しかも背景の説明や心理描写が不足しているので、いずれの登場人物の行動も唐突に見えて仕方がない。
 読み終わってみても、結局何がやりたかったのかわからなかった。ただこれは再読なのだが、昔はもうちょっと面白く読んだ記憶があったので、なぜ今回これほどつまらなく思ってしまったのかがわからない。いずれにせよ、佳作止まりだったのも仕方がないだろう。




モリー・マキタリック『TVレポーター殺人事件』(文藝春秋)

 セントルイスにあるKYYYテレビの人気ニュース番組「ニュースショー五時」でローレル・マイケルズは、“だまされない消費者(コーシャス・コンシュマー)”のレポートを担当していた。そして今回、セントルイスの政界と社交界の背後にいる愛人女性たちについての衝撃的な真実を暴く"愛人たち―怪しい存在あるいは哀れな女"を五回にわたって放送することとなった。セントルイスで人気ナンバーワンのアンカーマンであるウィリアム・ヘクルペックは、もともと野心的な彼女の行動を苦々しく思っていたが、今回の内容についてはゴシップ的すぎると大反対。しかしプロデューサーのリチャード・マーコウィッツは、放送を決定した。放送当日、ヘクルペックはCM前の次のコーナー紹介をしゃべらず、10数秒間黙るという抗議に出たが、マイケルズのコーナーは予定通り第1回が放送された。
 しかし次の日、第2回は放送されなかった。番組放送直前になってもマイケルズは現れず、コーナーは別の物が放映された。そして中継放送用のバンの中で、マイケルズの死体が発見された。ヘクルペックは事件の謎を追う。
 1990年、第8回サントリーミステリー大賞受賞作。同年7月刊行。

 いくら1990年でも陳腐なタイトルだが、英題はThe Medium is Murderとなっているので、これは翻訳者か編集のセンスが悪すぎたのだろう。このタイトルだけで間違いなく読者を3割減らしていると思うし、読者の3割は評価を落としているだろう。選評委員の都筑道夫からすら疑問が出ているのだから、改題すればよかったのに。ついでにテレビドラマ化タイトルは『女性TVリポーター殺人事件 追跡!!未放送テープの愛人たち』だと。英国では1991年に発表されている。作者にとってはデビュー作で、その後も数冊出版しているようだ。
 一言で書くと、テレビ局を舞台に殺人事件が起きて解決しました、というだけの話。ミステリなのだから、その部分にきちんと肉付けしてほしかったのだが、展開が非常に地味で全く盛り上がらない。何も最後、関係者を集めて謎ときなんかしなくてもよいと思うのだが。選評では人物や風俗、テレビ局の描写を褒めているのだが、少なくとも読んでいて面白い、というものではない。会話に含まれているユーモアも、笑えるようなものではなかった。
 最初に読んだ時の印象が悪すぎたので再読してみたのだが、やっぱり退屈だった。これで大賞かよ、と言いたくはなるが、この年の読者賞も酷かったので、相対的には良く見えたのかも知れない(苦笑)。




関口ふさえ『蜂の殺意』(文藝春秋)

 喫茶店を経営していた笠井幸枝が、鈍器で殴られて殺された。店の売り上げや財布などが盗まれていないこと、暴行の痕がないことなどから、顔見知りのものによる犯行と思われた。不可解な点といえば、真冬なのに蜂の死骸が髪の毛の中から出てきたところであった。旦那の淳吉とも仲がよく、争いごとも好まないため、殺害される理由は見当たらなく、捜査は難航した。
 中野林子は、大学生である。半年前に、父娘家庭の野沢家のベビーシッターを引き受けた。林子は父親の野沢真司のことが好きであったが、まだ打ち明けられずにいた。
 青野あざみは中絶を専門にしている産婦人科の看護婦である。親に捨てられた彼女は養護施設で育った。笠井淳吉は、養護施設時代、一緒に過ごした関係であった。蜂の羽音が頭の中に響くとき、蜂はあざみにあれをやらせる。あざみは過去の四年間、あれの代わりに夥しい蜂を殺していた。しかしそんな我慢はもう止めていた。あざみの心を踏みにじり、捨てた奴らに復讐するときがきた。あざみは次々と殺害を続ける。最後の標的は、あれだった。
 第8回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。現在は関口芙沙恵名義で執筆している作者のデビュー作である。

 狂気の連続殺人事件、父娘家庭の父親に惚れる女子大生、捜査が難航して暴走してしまう警部。いかにもという設定ではあるが、サスペンスとホームドラマがうまくミックスされ、楽しんで読むことができる。ただ、あまりにも軽い。異常犯罪を扱いながら、犯人の心理も事件の描写もあっさりしすぎ。とりあえず言葉を並べれば、事件の出来上がり、という作り方に見えた。犯人の内面を突っ込んで書いていない(書くことが出来なかった?)ため、サスペンス感が全然伝わってこないのは残念である。大賞作品がドラマ化される点を狙ったのだろうか、改行も多く、安っぽいドラマの脚本を見ているようであった。
 これで第8回のサントリーは三作とも読み終わったのだが、いちばん印象に残るのが佳作作品というのには笑える。ちなみに大賞はモリー・マキタリック『TVレポーター殺人事件』、佳作はふゆきたかし『暗示の壁』である。隙のないという構成という部分からみると大賞に『TVレポーター殺人事件』が選ばれるというのはわかるのだが、この作品についていえば、ミステリの面白さという点は皆無に等しかった。キズはあるけれども、面白いというのが『暗示の壁』であった。
 ミステリの賞を選ぶとき、どの点を重視するか、選考委員によって異なると、読者にとって悲劇かもしれない。それ以上に、この作品でウン百万や一千万を持って行かれるとなあ、という思いも強い。納得できる選考を、望みたいものだ。




ふゆきたかし『暗示の壁』(文藝春秋)

 私立探偵の獅子井昌平は、近江食品を経営する松岡清四郎の妻・長沢和子と友人である彫金家・松岡重子を客に迎えた。重子の二男、弘道が学校の帰り道に誘拐されたのだ。警察にすぐ連絡し、捜査も始まったが、10日経っても手がかりはない。なぜ自分を頼るのかが分からないまま、獅子井は捜査陣に加わる。手がかりの見つからない状況で、ようやく犯人から身代金要求の電話がかかってくる。22カラットのルビーレッドのダイヤモンド「クレオパトラの涙」、時価5億1千万円だった。警察の裏を描き、鳩を使ってダイヤモンドの奪取に成功した犯人。そして、さらに身代金要求の電話がかかってきた。
 1990年9月、文藝春秋より刊行。

 第8回サントリーミステリー大賞佳作賞受賞作。元刑事の私立探偵が、誘拐された子供の行方を追うハードボイルドもの。作者には児童文学「黄泉の湯」「さよなら妖精」、SF「エピソード1イロル」などの作品がある。
 いやあ、懐かしい。何がって、小説の作りそのものが。現在完了形が続く一人称の文体。皮肉とユーモア溢れる会話。脈絡も推理もなく先を見通す展開。海外ミステリを読み始めた頃、翻訳で読んだハードボイルドそのもの。こういうハードボイルドを読むのは久しぶりなだけに、今読むとかえって新鮮である。
 この作品が佳作で終わった原因は、結末に問題があるからだろう。本格ではないのでアンフェアとは言えないが、やはりこの手(タイトルで想像つきます)をミステリに使うのは減点材料である。無駄な犯行が一つあるのもやはり減点材料。この犯行は、本当に意味がない。
 その点を抜きにしても、大賞や読者賞より面白かったと思う。




ドナ・M. レオン『死のフェニーチェ劇場』(文藝春秋)

 イタリア・ベニスのオペラ座、フェニーチェ劇場で、世界的なドイツ人指揮者のヘルムート・ヴェルアウアーが、オペラ「椿姫」の終幕直前、楽屋で毒殺されていた。ベニス警察のブルネッティ副署長が捜査に乗り出すが、ヴェルアウアーには、過去の言動や行動から色々なトラブルがあったことがわかった。関係者に聞き込みを続けるブルネッティは、やがて犯人に辿り着く。
 第9回サントリーミステリー大賞受賞作。1991年7月刊行。

 登場人物のブルネッティってなんとなく聞き覚えがあったのだが、調べてみるとシリーズものになっていた。『異国に死す』(文春文庫)、『ヴェネツィア殺人事件』(講談社文庫、CWA賞受賞)、『ヴェネツィア刑事はランチに帰宅する』(講談社文庫)が邦訳されており、本作は初登場作品である。
 殺人事件が起きて、生粋のベニス人であるブルネッティがローマから来た署長のイヤミを聞き流しながら、事件関係者に聞き込みを続けて真相に辿り着く。申し訳ないがそれだけ。続けて殺人事件が起きるわけでもなし、犯人逃亡などのサスペンスもなし。イタリアの警察って、こんなに単独で動いても許されるのかね、よくわからないけれど。他の刑事もほとんど出てこないし。ブルネッティの家族想いらしいエピソードが所々挟まれるのは微笑ましいが、ストーリーの退屈さを補うには至らず。本来だったら、主人公が出会う人々とのやり取りを楽しむところなんだろうけれど。それとなく伏線は張られているので、早々に真相に辿り着く人がいるかも知れない。というか、捜査の最初で検討すべき内容じゃないか。
 イーデス・ハンソンの選評だとベニスの風景や描写がよいと書かれているのだが、読んでいてもどことなく平板的で、ピンと来るものはなかった。これは文章、というより訳の方に問題があったのかも知れない。




今井泉『碇泊なき海図』(文藝春秋)

 JR四国の屋島駅で、40半ばの男が4人組の若者に禁煙車両での喫煙を注意。下車後、男は4人組の1人・吉峰洋一の名前を確認した後拳銃を突きつけ、「闇夜に霜の降るごとく」と唱えてから射殺した。
 高松港署の古溝、門田が捜査を始めると、神戸から津村警部補が合流した。実は、同じ男によるものと思われる同じ手口の事件が他にも起きていた。神戸で暴力バーの店主が、小樽でスーパーの店主が射殺されていた。
 捜査を進めていくうちに、「闇夜に霜の降るごとく」という言葉つながりで、ある男が容疑者として浮かび上がる。青函連絡船で一等航海士をしていた坂本。坂本は青函連絡船が廃止後、別の会社に勤めていたが、彼を知る誰もが信じられないと述べた。殺された3人につながりは無く、坂本との接点も見つからない。坂本を追い、北海道まで飛ぶ津村と古溝。そこで知ったのは、坂本と交際していた女性の失踪事件だった。
 1991年、第9回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作。1991年7月刊行。

 作者の今井泉は、坂本と同じく元青函連絡船航海士。宇高航路連絡船廃止を機に国鉄を退社して、執筆活動に移行した。国鉄勤務中に函館市民文芸賞、国鉄文芸年度賞、香川菊池寛賞を受賞。1984年には「溟い海峡」で直木賞候補にもなっていた。
 ということで、受賞時点では既にキャリアのあるプロだったわけだ。読んでいてずいぶん達者だなあと思っていたが、経歴をみて納得。
 社会派推理小説というのが売りであったようだし、青函連絡船などに携わった男たちの矜持は伝わってくるのだが、それと事件の動機に関わりが無い点は大きなマイナスポイント。容疑者や背景に船を使うのであれば、事件の動機ももう少し考えた方がよかった。
 ミステリとしての面白さは、はっきり言って無いに等しい。二人の刑事が容疑者らしい人物を追うだけで、事件の動機や背景は簡単に見つかってしまう。警察ならもう少しチームで行動しろよといいたくなるぐらい、犯人には簡単に逃げられてしまうし、南から北へ簡単に出張してしまうのもどうか。動機はどうであれ、ピストルを持って3人を殺害した凶悪犯なのだから、もう少し警察側もまともな捜査をしてほしいものだ。
 船にまつわる部分の描写はさすがに迫力があるし、連絡船の情景や船員たちの心情はよく描けている。だけれどもそれだけ。まあ、ドラマにすれば多少なりとも受けるかなと思う程度で、大賞が取れなかったのは仕方が無い結果か。
 作者はこの後、土曜ワイド劇場の「高橋英樹の船長シリーズ」「船越英一郎の新船長の航海事件日誌」の原作にも携わる。本作は、専門知識にちょこっと謎を足せば、推理小説は書けますよという見本かも知れない。




醍醐麻沙夫『ヴィナスの濡れ衣―南紀殺人事件』(文藝春秋)

 和歌山県南紀白浜の沖磯で釣りをしていた運送会社社長の崎山真一郎が刺殺された。周りには複数の漁船があり、それぞれが磯に近づいていないと証言。唯一近づくチャンスがあったのは、近くで海底生物の観察をしていた、海洋研究所の助手、江口繁之。江口はダイビングを通じ、崎山の妻絵里子と知り合いであった。絵里子は再婚であり夫婦仲はあまりよくない。警察は江口を重要容疑者と位置付けた。一方、江口は絵里子のことが好きであったが、まだ告白すらしていない状況だった。江口は自らの濡れ衣を晴らすため、研究所の仲間たちとともに自ら犯人探しに乗り出す。
 1991年、第9回サントリーミステリー大賞佳作受賞作。1991年10月刊行。

 作者は大学卒業後ブラジルへ移住。第1回サンパウロ新聞文学賞を受賞。1974年、「『銀座』と南十字星」で第45回オール讀物新人賞受賞。1975年には『夜の標的』で下半期直木賞候補となっており、すでにアマゾンの釣り小説やミステリの著書を何冊も出版していた。
 ということで、すでに何冊もミステリを書いている作家が改めて応募してきた作品であったが、読んでみるとよくありがちがな2時間ドラマミステリ。濡れ衣を着せられた主人公が、心を通わせている被害者の妻や頼れる仲間たちと一緒に事件の謎を追いかける話。最有力容疑者なのに、絵里子と会って情を通わせるなどの軽率な行動は有り得ないと思うし、犯人と被害者の関係ぐらいもっと早く見つけられるんじゃないのとも思ったが、気が付いたら警察が仲間になっているようなご都合主義な部分がなかったのは好感が持てる。
 一応開かれた密室状態の殺人事件だが、謎そのものはそれほど面白いものではなく、やはり人間関係のドラマが中心。文章も展開も手慣れた感じの描き方なので、プロの作品をそのまま読まされているとしか思えなかった。退屈はしなかったが、公募でアマチュアらしい情熱が感じられないのはやはりマイナス。良くも悪くもベテランの作品だった。
 1992年6月にはテレビ朝日の土曜ワイド劇場でドラマ化されている。主演は三浦友和と佳奈晃子。それにしてもタイトルが「南紀釣り人殺人事件」ってのはどうにかしてほしかった。




横山秀夫『ルパンの消息』(光文社 カッパ・ノベルス)

 平成2年12月、警視庁にもたらされた一本のタレ込み情報。15年前に自殺として処理された女性教師の墜落死は、実は殺人事件だった――しかも犯人は、教え子の男子高校生3人だという。時効まで24時間。事件解明に総力を挙げる捜査陣は、女性教師の死と絡み合う15年前の「ルパン作戦」に遡っていく。
 「ルパン作戦」――3人のツッパリ高校生が決行した破天荒な期末テスト奪取計画には、時を越えた驚愕の結末が待っていた……。(粗筋紹介より引用)
 1991年、第9回サントリーミステリー大賞佳作受賞作。幻の処女作といわれていた作品が、加筆されここに蘇る。

 第9回サントリーミステリー大賞は、大賞がドナ・M・レオン『死のフェニーチェ劇場』、読者賞が今井泉『碇泊(とまり)なき海図』、そして佳作賞は本作と醍醐麻沙夫『ヴィナスの濡れ衣』であった。ドナ・M・レオンと醍醐麻沙夫は持っているが読んでいない。今井泉は持ってすらいない。なので、本作と比較しようがないのだが、これだけの作品が出版されなかったというのは腑に落ちない。それとも加筆前はよほどひどかったのだろうか。手元に本がないので、選評を確認することができないのは残念だ。
 いくら加筆されたとはいえ、結局は出版されなかった佳作作品だからどうかな、だけどサントリーだから見る目のない選考委員も多かったしな、などと思いながら読んでみたら、どうして、どうして。面白いじゃない、これ。
 やっぱり横山秀夫なんだな、と思わせる警察小説であるし、横山らしくないといってしまえば失礼だが、青春群像物語でもある。導入部から過去の事件へと持っていく手順もうまいし、登場人物の心理描写も巧みだ。15年という歳月の遠さと残酷さ、そしてまた想い出の美しさ、変わらない心情など様々な要素が絡み合い、結末できれいに収束されていく。自白や関係者の割り出しなど、少々都合がよすぎるなと思わせる部分もあるが、些細な傷だろう。結末の美しさは、近年の作品の中でも上位に位置されるものだ。そしてまたエンディングがいい。最後までやられたと思わせる作品である。
 もしこの形で応募されていたとしたら、当然のごとく大賞、読者賞を取っていただろう。佳作を受賞してから15年。まさに、時効寸前で世の中に出てきた本作品は、今年のベスト候補となるに違いない。




花木深『B29の行方』(文藝春秋)

 キャバレー経営から出発して成功し、近年は金融、不動産業などに手を伸ばし、新興財閥の名も高い金英興産の会長、金森英二郎の孫が誘拐された。警察の包囲網の中、犯人は簡単な手口で身代金一億円を奪い取る。孫は無事に保護され血は流れなかったことや、とかく黒い噂のある金森会長がしてやられたことから、犯人は世間の喝采を浴びた。身代金を奪う手口は、15年前に秩父で起きた誘拐事件に似ていた。しかし犯人を特定する手掛かりは得られず、捜査本部は徐々に縮小されていった。
 警視庁捜査一課から誘拐事件の捜査本部に回された宮脇幸治は、今回の事件のように捜査が難航し、迷宮入りが予想される事件になると本庁から応援に回されるため、“お宮さん”という有難くない渾名が付いていた。
 井上真人は一流新聞社の遊軍記者である。彼は、金森がはじめて乗り出したゴルフ場建設現場の公害問題をレポートし続けていたが、金森の罠にはまって女性問題を引き起こし、記事の連載を止められていた。その恨みを晴らすべく、彼はこの誘拐事件を追うことにした。
 15年前に起きた誘拐事件は、井上が最初に取材を行った事件だった。彼は、当時の担当だった刑事の下へ訪れ、詳細を聞いて驚く。当時報道されなかった部分や犯人の台詞まで含め、誘拐された子供が殺されたことを除き、当時の事件と今回の事件は驚くほど一致していたのだ。そのことを知った井上は宮脇と密約し、スクープを条件に情報を交換しあい、調査を続けた。そんなとき、金森が立てたリゾートホテルで無理心中事件があった。その女性は、15年前に誘拐された子供の母親だった。

 第10回サントリーミステリー大賞・読者賞ダブル受賞作。現在の事件、15年前の事件、さらに戦時中の疎開先の事件と、かなり盛りだくさんの内容である。読者を惹き付けるプロットはあるのだが、いかんせん文章につたなさが残る。本格作品ではないのだからとは思いながらも、事件の関係者と刑事が戦時中の疎開先の幼馴染みだったなど、“偶然”が多用されているのは、捜査小説としても弱すぎる。トリックといえない程度の密室トリックまで登場しているが、プロットにはほとんど関係ないので、無駄な謎を増やすだけで逆効果である。
 選評でも指摘されていたため、多分書き直されているとは思うのだが、それでも疑問点は多い。特に警察の捜査は穴だらけである。15年後に調査してわかることを、当時の警察は何の捜査もしなかったのだろうか。いくら小説とはいえ、お粗末すぎる。捜査がお粗末であるということを、読者に気付かせてはいけない。
 素材はいいのだが、盛り込みすぎ。さらに料理の腕が今ひとつ。これが受賞作、しかもダブル受賞とは、と不満が残った。




マーガレット・P・ブリッジズ『わが愛しのワトスン』(文藝春秋)

 わたしはシャーロック・ホームズとして世間に知られているが、実はルーシーという名前の女である。すでに学究と養蜂に費やされている毎日だが、平凡な生活の倦怠感に囚われた私は、ワトスンが記録し得なくなった最後の事件簿をここに記すことにした。それは1903年12月、ワトスンの3度目の妻が亡くなり、ホームズが住む下宿に戻った時だった。ホームズとワトスンのもとに訪れたのは、ロンドンの女優、コンスタンス・モリアーティといった。そう、あのモリアーティ教授の娘だった。
 1992年、第10回サントリーミステリー大賞特別佳作賞受賞。同年9月、刊行。

 作者は1957年4月、ニューヨーク生まれ。執筆当時はボストンの広告代理店のエディター。本作が初めての小説らしい。その後は絵本作家になったようで、『いつまでもすきでいてくれる?』という絵本が1999年に翻訳されている。
 ホームズが実は女だったという設定はありそうで思いつかない(子孫ならいくらかあったが)。だいたい、身長6フィート(183cm)以上、鷲鼻で角ばった顎の「女性」なんか想像もつかない。いくら部屋が別室だからといって、同居しているワトスンにばれない方が不思議だ。1903年が最後の事件といったら、「最後の挨拶」はどうなるのだ。まあ、ホームズファンでもない私ですら突っ込みどころがいくらでも出てくるのだから、シャーロキアンが見たら怒りだすか呆れるかのどちらかだろう。
 ストーリーとしては、ホームズことルーシーがコンスタンスに翻弄されて殺人事件の容疑者としてスコットランド・ヤードのトビアス・グレグスン主任警部(『緋色の研究』から登場("トバイアス"表記)しており、レストレード警部とともに「ましな方」と言われている)に追われ、ワトスンはコンスタンスに惚れてしまい婚約してしまい、しかもホームズとは絶縁してしまうといった話。そしてルーシーは女の姿に戻ってコンスタンスの衣装係として潜入してしまう。
 普通のミステリとして見たらそれなりに伏線も張っているし、完成度自体も悪くはないと思うのだが、やっぱり原典があってのストーリーと言わざるを得ないし、その捻じ曲げ方がトンデモ方向に向かっているのはやっぱり問題だろう。発想自体に無理があったとしか言いようがない。どうせならもっと徹底したパロディにしてくれれば、笑うだけで済んだのに。単純な恋愛物語にするのなら、恋心をワトスンの1度目の結婚の時点で気づけよと言いたい。
 今までの佳作ではなく特別佳作賞という賞自体もよくわからないし、海外作品はとりあえず一冊でも訳してくれというエージェントからの依頼でもあったのかと思うぐらい、発刊されたのが不思議なく作品。まあ、珍品として読むのなら悪くはないか。
 本作品は原題の『My Dear Watson』として2011年12月にMX Publishingから出版されている。



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