川崎卓志『長い腕』(角川書店)

 ゲーム会社で起こった無理心中事件と四国の田舎町で起こった中学生の射殺事件。これらの事件には意外な関係が!人間の深層心理を左右する「歪み」を描く驚天動地のミステリ大作!(粗筋紹介より引用)

 第21回横溝正史ミステリ大賞作品。評判が良かったということで期待値は高かったが、結果から言えば、普通の新人賞受賞作と同レベル。インターネット犯罪と家を結びつけて、そこに元天領というプライドだけの閉塞した町と開かれた外の世界を対比させて物語を作り上げた発想には感心する。ところが、犯人像に迫るまでの過程があまりにもまどろっこしい。起承転結の承の部分が長すぎる。そのため、クライマックスへの盛り上がりが半減している。場面の切り替え、思考の変換なども唐突すぎて、細切れの紙芝居を見せられているようだ。
 さらに難を言えば、主人公の魅力が乏しい。犯人像と対比する形で、主人公は強烈に、そして鮮烈なイメージを持たなければ、サスペンスの興味は薄れてくる。自立しているように書かれているが、世間をかじっているだけにしか見えない。この書き方では、ただのお転婆だ。事件の解決役の登場にも、空いているコマを動かしてきただけという印象は拭えない。
 創造力は認めるものの、それを生かし切る構成力、筆がまだ伴っていない。新人だから仕方のない欠点だが、自分の職業・知識をフルに活用して第1作を書いてしまうと、次の作品を書くのに苦労するのではないだろうか。




鳥飼否宇『中空』(角川文庫)

 何十年に一度、開花するという竹の花。その撮影のために鳶山と猫田は、大隅半島の南端に近い竹茂村を訪れた。そこは老荘思想を規範に暮らすひなびた七世帯の村だった。村人は二十年前に起きた連続殺人事件の、再来におびえながら過ごしていた。そして、怖れていた忌まわしい殺人事件が次々と起こる!! 閉鎖された村の異質な人間関係の中に潜む犯人とは!? 横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞の本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2001年、第21回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞。同年5月、単行本で発売。2004年5月、文庫化。

 横溝賞優秀賞で、そのときの大賞は川崎草志『長い腕』。本格ミステリファンからの評判は、『長い腕』よりも『中空』の方がよかったように覚えている。
 観察者の鳶山久志が名探偵で、写真家の猫田夏海がワトソン役という、本格ミステリの王道スタイル。舞台は竹に囲まれた、七世帯の村。しかも20年前に連続殺人事件が起きており、今回新たに連続殺人が発生するという、これまた本格ミステリファンが喜びそうな話。横溝正史のようなおどろおどろしい部分が無いのはちょっと残念だが、竹に関する描写が非常に魅力的である。これだけでも一読の価値はある。もうちょっと現想定な風景の描写が欲しかったと思うが、仕方ないか。
 鳶山、猫田と村人とのやり取り、特に老荘思想に関する部分については、個人的な好みでいってしまうと退屈。この部分は読者の好みが分かれそう。
 本格ミステリとしての謎は、今一つか。伏線が張られているとはいえ、名探偵がワトソン役に情報を隠しているというのはちょっと拍子抜けであった。そのせいか、結末の驚きという点は欠けていたのが残念。
 設定はいいのだが、小説としての面白さは今一つ。その点が、『長い腕』に負けた点ではないか。
 このコンビは、観察者シリーズと名付けられて続いているとのこと。もうちょっと魅力的な造形にしてほしかったな。




初野晴『水の時計』(角川書店)

 集団暴走族「ルート・ゼロ」の幹部であった高村昴は、因縁を付けてきた大学生たちを返り討ちにし、さらに一人の学生の家で窃盗を犯した次の日、芥圭一郎という男と出会う。芥は17日間、彼を監視していた。芥が連れて行った先は既に閉鎖された病院であった。そこにいたのは、脳死状態ながらも複数の生命維持装置によって生きている少女、葉月だった。しかし、そこに奇跡があった。月が差す夜に限り、意思伝達装置を使って話をすることが出来るのだ。葉月は自分の臓器全てを必要とする人たちに分け与えたいと願った。そしてその運搬を昴にお願いしたのだ。1千万円という報酬と、どん底の状態からの脱出のため、昴はその願いを引き受けた。そして昴は必要とする臓器を届ける。
 第22回横溝正史ミステリ大賞受賞作

 オスカー・ワイルド『幸福の王子』をモチーフに取った移植、じゃない異色ファンタジー。日本の臓器移植問題を中心に幅広く問題点を指摘していく趣向は悪くない。ただ、未来や展望が見えない書き方ってどうだろう? 書くだけ書いて放置している気がする。まあ、この辺は好みの問題かも知れないが。ただ、昴が一つ一つのエピソードの裏側を、人物の内面までも把握しているというのは難しいことではないだろうか。
 小説の描写はなかなかいいものがあると思う。ただ、登場人物がみな同じ人形に見えてくるのは問題かも。童話の世界を現代に移し替えただけで終わっている。
 臓器移植問題と、救いを与えられた人間にスポットを当てるべき物語と思うが、テーマに振り回されて終わってしまった作品。材料がいいから読めるものには仕上がっているが、もう少し料理を勉強するべきか。




村崎友『風の歌、星の口笛』(角川書店)

 神さまそのものであるマムが築き上げたこの星は、既に寿命が近づいているようだった。電気回路の一部はダウンし、ウェザーシステムは壊れている。マムと組織マミーズは他の星へ移住するための船を造っていた。探偵事務所を開いているトッド・マルーンはふとしたことから、マミーズが入っているビルへ潜入することになる。
 外宇宙探査船クピドに載っているのは地質学者のジョーと植物学者のクレイン。人類が五百年近くも前に二十五光年離れた宇宙に浮かべた星プシュケを調査し、地球再生のヒントとするため、宇宙歴七百年代にこの船に乗り込んだのだ。そして二百五十年経った今、地球の兄弟星であるプシュケに到達した。しかしプシュケは既に砂漠化しており、生命反応が何もなかった。砂漠の中に箱形の建物があった。その建物には入り口も窓も見あたらなかった。そして室内に残されている人間のミイラは、天井に張り付いていた。
 二十二世紀の地球。交通事故で入院していたマツザキ・センマは、半年ぶりに退院することができた。早速恋人スウのテラスハウスへ行くが、彼女はそこにいなかった。家族も、スウの母親も彼女を知らない。大学にもデータは残されていない。事故で記憶がおかしくなったのか、それとも何か深いわけがあるのか。
 第24回横溝正史ミステリ大賞受賞作。選考委員は綾辻行人、内田康夫、北村薫、坂東眞砂子。作者は前回、『夕暮れ密室』という学園ミステリで選考作に残っているらしい。

 読んでいる途中はそれなりに面白かったのだが、読み終わって釈然としないものが残った。確かに謎も解決もあるし、綾辻曰く“前人未踏のトリック”もあることにはあるのだが。ただ、それはこの作品において中心に据えられるべき要素なのだろうか。はっきり言ってしまえば、付け足しでしかない。トッドを主人公としたマムの話、ジョーとクレインが調査する兄弟星プシュケの話、そしてセンマがスウを探し求める話の3つが結末にていかに結びつくか。それが主眼だろう。運命の歯車はなぜ哀しい方向に回りだしたか。結局はセンチメンタルな恋物語じゃないだろうか。この物語に流れるリリシズムは、坂東評にもあるとおり、確かに魅力的である。
 この小説は、ジャンル的にいえばミステリ要素のあるSFとしか言い様がない。北村薫が「この話をSFの視点から云々するのは、野球選手の動きに相撲の評を与えるような勘違い」であると書いているが、舞台が土俵なら相撲の評を与えるのは当然であるように、この作品はSFの視点から評されるべきであるだろう。奇妙な死体なんか、些細な謎でしかない。
 そのSFの視点云々を語る前に物語として言いたいのは、選考委員も書いているとおり、設定が曖昧・ディティールの消化不良・行動心理や動機の不可解さが目に付くことだ。それがこの物語そのものを曖昧なものにしている。多分作者の頭の中でも、設計図が完全に描かれていないままなのだろう。
 綾辻行人の「突っ込みどころ満載」とはうまい評だ。ただ突っ込みたいのは作品ばかりでなく、選考委員(特に綾辻、北村)の評にもだ。内田康夫の言うとおり、これが横溝賞の大賞として相応しい作品だろうか。横溝賞は昔から異色作に与えられることが多かったから、こういうジャンルの作品に与えられても不思議ではないが、この作品の完成度が高いとはとても思えない。ただ、タイトルは好きだな。




射逆裕二『みんな誰かを殺したい』(角川書店)

 相馬文彦は奥多摩の峠道で殺人事件を目撃した。三十歳くらいの小柄な痩せた男が、小太りの中年男を細長い棒で殴り殺したのだ。殺人を犯した男は車で逃走。町村寄子は運転中、男が運転する車とすれ違った。二人の目撃者がいたこと、さらに犯人の似顔絵があることから、事件は簡単に解決するかと思われたが、事件は思わぬ方向へ迷い込んでいく。
 第24回横溝正史ミステリ大賞優秀賞+テレビ東京賞受賞作。

 読み終わってよくできたパズルだと感じた。一件関係がないと思われる複数の殺人事件が、最後には余すところなくピタッとおさまる。ただ、パズルのピースが綺麗におさまったとしても、パズル全体に描かれている絵が稚拙だったら評価はガクッと落ちる。とにかく設定のみを考えてできた作品のようで、趣向には感心するが物語としては面白くない。
 古典的なトリック、趣向を組み合わせたプロットは、ご都合主義なところがあるとはいえうまい。ただ、せっかくのテーマなのだから、もっと社会派的な要素を絡めてみてもよかったのではないだろうか。この作品のままでは、登場人物がすべてゲームの駒でしかない。名前を出さなくても、男A・B、女A・Bといった記号で十分通用する作品だ。視点や章によって登場人物のイメージが異なるというのも問題だろう。人物像をはっきりさせた上で、各登場人物の内面に迫る描写がしっかりしていれば、社会派スリリングサスペンスとして上出来な作品に仕上がったと思う。
 もうちょっと交通整理して、きちっとした脚本さえあれば、映像に向いた作品だと思う。そういう意味では、テレビ東京賞というのは妥当なところだろうか。




伊岡瞬『いつか、虹の向こうへ』(角川文庫)

 尾木遼平、46歳、元刑事。ある事件がきっかけで職も妻も失ってしまった彼は、売りに出している家で、3人の居候と奇妙な同居生活を送っている。そんな彼のところに、家出中の少女が新たな居候として転がり込んできた。彼女は、皆を和ます陽気さと厄介ごとを併せて持ち込んでくれたのだった……。優しくも悲しき負け犬たちが起こす、ひとつの奇蹟。第25回横溝正史ミステリ大賞&テレビ東京賞、W受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2005年5月、角川書店より刊行。応募時タイトル『約束』。

 うらぶれた元刑事が巻き込まれて事件の真相を追いかけるというのは、割と古くさいハードボイルドの設定なのだが、3人の居候と同居生活を送っているというところがやや目新しい設定か。その3人に触れられたくない過去があり、捜査の途中で少しずつ語られていくところも、物語が単調にならないアクセントの働きを果たしている。尾木が見かけによらず意外と頭の回転が速いところをみせるところなども、定番とはいえ面白い。暴力団との駆け引きをするところも、人情味があるのか義理堅いのか相手を認めているのかわからないが、裏の冷酷な計算も含めて楽しく読める。いかにもテレビドラマっぽい安っぽさがあるのは否定しないが、童話を絡めるエピソードも含め、いかにもといいつつも面白いハードボイルド作品として完成されていることは間違いないだろう。タイトルも、改題後の方がうまく決まっている。できれば石渡とかはもう少し動かしてみてもよかったと思うが。
 手堅い作品を書ける人なので、それなりにがんばってほしいとは思う。あとは、定番の世界からいかに抜け出すことができるどうかだな。




桂木希『ユグドラジルの覇者』(角川書店)

 世界中を放浪し、今はリオデジャネイロに居る矢野健介は、逮捕された友人を釈放させるための金が必要であった。そんな健介の前に現れた知人のトレーダー、"ラタトスク"は、「世界を賭けた戦い」を始めようと告げた。数年後の200X年、インターネットの発達に伴い、世界標準となる電子取引を導入しようとする動きがG8での宣言を機に決定した。その裏に居るのは、欧州貴族が支配する某財閥ネットワークと、アメリカ最大IT企業を作り上げたブライアン・フォッシー。巨大ネットワークによるネットバンクを構築し、世界中の資本を寡占しようとしていた。そんなとき、シンガポールで異常な取引が発生した。
 華僑の若き総帥となった趙文濤、娼街育ちのEU経済界の女帝ハンナ・ベルカンツなども巻き込み、新たなる時代に入った経済界を制しようと火花を散らす。
 2006年、第26回横溝正史ミステリ大賞受賞。応募時名義橋本希蘭、応募時タイトル「世界樹の枝で」。改名、改題の上、同年6月、単行本発売。

 世界金融経済謀略小説、とでも言えばいいのだろうか。確かに「世界規模のコンゲーム」と言ってよい内容となっている。
 主人公といってよい矢野健介が序章で消えてから、しばらくは電子取引の話が続く。専門用語が続く場所もあり、内容を理解するのにちょっと苦労したが、それらに関わる人物たちの心理戦が何とも楽しい作品とはなっている。アジア、欧州、アメリカと世界経済の主導権を握ろうとする地域のトップがそれぞれ登場するなど、スケールは格段に大きい。綾辻行人の「大風呂敷の広げ方が、とにかくまず巧い」という選評に納得してしまう。
 さて、問題はそこからか。この作品、結末が今一つ、いや、今三つぐらい言ってもよいだろう。ここまでやって最後はそれかいと言いたくなるぐらい、静かすぎる終わり方だった。作品の性格上、派手なドンパチは不要だが、もう少し爽快感のある終わり方は出来なかっただろうか。"ラタトスク"の正体もつまらなかったし。
 趙文濤やハンナ・ベルカンツなど、脇を固める登場人物たちがあまりにも魅力的で、主人公の矢野健介に感情移入できなかったのは残念。というか、ハンナ・ベルカンツを主役に小説を書いてほしいぐらい、脇で終わらせるのは勿体なかった。ハンナが関わる心理戦も非常に面白いものであったし、シンガポールでの取引の謎もなかなかのものだった。
 結末を読む前だったら「傑作」と言い切るところだろうが、この結末で評価はワンランク落ちてしまう。それでも充分楽しめる作品ではある。動きの少ない取引を舞台にして、これだけ面白い小説を構成できる作者の腕は大したものである。
 なおユグドラジルとは北欧神話に登場し、世界の中心に座り全てを支える世界樹のことである。




大石直紀『夢のすべて』(角川文庫)

 幼い頃、記憶を失った中学生・梓は、出生に疑いを抱く。自分の父は、妻を殺した男・信彦なのか? 一方、香港での潜伏生活に疲弊した信彦は、けして帰るまいと思っていた祖国アルゼンチンへ向かう。二度と出会うはずのない父と娘。運命の絆は、二人を再会へと導くのか? 家族と殺人の忌まわしい記憶、ふり捨てても湧き起こる激しい郷愁。失われた記憶に沈む、驚愕の真相。横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞受賞、愛と官能のサスペンスミステリー!(粗筋紹介より引用)
 2006年、『オブリビオン〜忘却』のタイトルで第26回横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞受賞。2006年5月、単行本刊行。2011年2月、改題して文庫化。

 殺人事件を機に逃亡する岸田信彦と、記憶を無くした娘の梓。二人のそれからと、二人や取り巻く人々の苦悩を描いた作品。視点は二人と、梓の兄となる水沢良彦の視点で進む。梓が幼いころから事件が終わるまで15年以上。話の都合上、どうしても所々で時間が飛ぶ。1度や2℃ならまだしも、何回も続けられると読む方の緊張感を削いでしまうのでどううまく書けるか、というところだが、やはり途中でのぶつ切り感が強い。
 いちばんの問題は、主人公である信彦の存在感が薄い点である。最後まで読んでも、信彦がどういう人物かを思い浮かべることはできなかった。最もそれは、他の人物でも同様。兄妹の成長する姿も思い浮かべることができなかった。その点が、物語のぶつ切り感につながっているのだと思う。アルゼンチンなどの海外が出てくるが、こちらも背景描写はおざなりだった。そもそも、信彦、香港でよく殺されなかったなと思ってしまう。その方があとくされないだろうに。
 内容からすると、一介のジャーナリストが思いついてしまう真相を、組織力を持つ警察がなぜ検討しなかったのかが疑問。最低でも背景ぐらいは、簡単に調べられたはず。そもそも娘は定期的にマークされているのべきではないのか。警察の姿がほとんど出てこないのは違和感があった。
 事件の真相と、それに振り回される周囲の動きについては手堅くまとまっている。ただし作者は第2回日本ミステリー文学大賞新人賞、第3回小学館文庫小説賞とミステリ関連の賞を2度受賞しており、すでに10冊近くの著書があるプロである。これぐらいはできて当たり前。それを超える鮮烈なイメージがほしかったが、小さくまとまったままで終わってしまった。出版はまだしも、よく受賞できたものだと思ってしまう。
 原題の『オブリビオン〜忘却』は、バンドネオン奏者、作曲家であるアストル・ピアソラの代表作とのこと。ミルバという歌手がフランス語で歌って有名になったらしい。信彦もバンドネオン弾きであり、どうせならもっと詳しく描いてほしかったところ。事件の鍵としてだけで終わってしまうには惜しい設定だった。文庫化に当たり、なぜこのようなチープなタイトルに改題したのだろう。これでは誰の印象にも残らないだろうし、そもそも手にとってもくれない。たまたま手に取ってみなければ、受賞作だなんて気づかなかった。
 作者はこれで3度目の受賞。受賞できるということは、それなりに作家としての腕はあるということだが、3回も受賞してしまうということは逆に過去2回は受賞後に売れなくて切られたということ。よくここまで作家の道を目指そうとするなあ、というその執念には感心してしまうが、それが作品に生かされないのはどうか。いっそのこと、3回も受賞しつつ切られまくるその人生を作家を目指す人に描いた方が売れると思うのだが。最近は映画やドラマのノベライズで定期的に書いているようだが、食べていくことができているのだろうか、と余計な心配をしてしまう。




桂美人『ロスト・チャイルド』(角川文庫)

 法医学教室の助教授・神ヒカルは、監察医務院で外国人グループの襲撃に遭う。次々と犠牲者が発生する中、襲撃犯の目的は解剖室に運ばれた女性国際スパイ《ジュリエット》と判明、その死体にはある機密が隠されているという。しかも彼らはヒカルのことを知っていた。誰にも触れられたくない<あの忌まわしき過去>のことも…。襲撃犯の真の目的は? そしてヒカルにまつわる驚愕の秘密とは――? 横溝正史ミステリ大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2007年、第27回横溝正史ミステリ大賞受賞作。2007年6月に単行本として刊行。大幅な加筆訂正の上、2009年9月文庫化。

 出だしから東京都監察医務院の解剖室へ3人の外国人が襲撃。大崎署から立会に来た警部や職員が死亡。警視庁公安部外事一課管理官のエリートである速水優人警視が重体。襲撃犯からの命令を受けた慶應大学法医学教室助教授のヒカルは、解剖補佐の小野悟とともに死体を解剖。襲撃犯の1人マリーは、その後仲間を撃ち逃亡。その後、黒須隼人警視が率いるSAT第三小隊が突入。襲撃犯は死亡し、ヒカル達は救出される。重体だったはずの速水は、ヒカルの不思議な力で助かった。
 最初から息もつかせぬ派手な展開なのだが、その後はヒカルの過去や悲劇に触れられ、さらに続いて別の殺人事件が発生。藤村悠一カ厚生労働大臣の失言も含めた不妊治療や代理出産等の社会問題が絡むかと思えば、ヒカルを巡る速水と黒須の恋愛話、さらに兄タツミへのヒカルの想い、ヒカルの従姉である水野智子の双子達や優人の息子春斗なども物語に複雑に絡んでくる。最先端の医学や海外の企業スパイなども出てきて、最後には盛り沢山すぎて何が何だかわからなくなるところを、強引すぎる作者の筆が無理矢理物語を進めていく。その強引さには感心してしまうが、どんな物語だったのかと言われて簡単に纏められる人は少ないのではないだろうか。はっきり言ってしまうと、事件の背景なんかどうでもよく思えてきて、最後ヒカルはどうなるんだろう、といった点に意識が流れてしまった。まとまりのかけらもない作品だが、書ききったという点を考えると、サスペンスとしては一応成功しているのだろう。その大きな要因は、劇画チックではあるが登場人物のキャラが立っているところにある。
 ただ、これが横溝正史ミステリ大賞に相応しいかどうかと聞かれると疑問。逆に言うと、選考委員もよくこれを大賞に選んだな、と感心してしまった。同時受賞に、この賞らしい『首挽村の殺人』があるのにもかかわらずである。完成度が高いとは言えないが、それだけの魅力がある作品だったのだろう。




大村友貴美『首挽村の殺人』(角川書店)

 岩手県の雪深い村・鷲尻村。無医村の状態が続いていたこの村に、東京から待望の医師・滝本志門がやってきた。しかし、滝本の着任以後、村では謎の変死が立て続けに起こる。それは、殺害後の遺体を異様な形で人目に触れさせるという、前代未聞の連続猟奇殺人事件だった。
 この村が「首挽村」という不吉な名前で呼ばれる理由とは? 村人すら忘れかけていた忌まわしい過去が、事件の真相を浮かび上がらせる――。(帯より引用)
 綾辻行人絶賛、第27回横溝正史ミステリ大賞受賞作。

 帯に「これが、21世紀の横溝正史だ」「横溝正史ファン必読! 横溝世界を見事に現代に蘇らせた本格推理小説の誕生!」とまで書かれると、横溝ファンだった自分としては手に取りたくなるのは当然のこと。とはいえ、こういう帯の惹句は、100%大当たりか、大外れかのどちらかなのだが、残念ながら大外れだったようだ。
 忌まわしい過去のある村での猟奇連続見立て殺人という横溝的設定に、無医村、過疎、少子高齢化、自然破壊、町村合併などの社会的キーワードが重なり合うところが、“21世紀の横溝正史”なのかもしれないが、前者の要素と後者の要素がうまく結びついていない。それぞれのキーワードが話の一場面で大きく浮かび上がっては、他の場面であっさりと沈んでいくので、話として融合せずにバラバラなままで物語が終わっている。特に赤熊のエピソードは物語を煩雑にし、連続殺人の部分をぼかす結果となっているので不要だったのではないか。これが犯人のトリックにおける目眩ましとなっていれば良かったのだが。
 選考委員の多くが指摘しているとおり、人物の描き分けができていない。主要人物の女性たちは、誰が誰だかさっぱりわからないし、端役の人物に至っては名前が出されないと全くといっていいほど誰だかわからない。主役級である滝本にしろ、彼の本当の姿を見せるような描き方ができていないから、最後で語られる真実の姿が唐突な結果になっている。視点の人物がころころ変わるのもマイナス。こういう作品の場合、読者が感情移入できる人物を一人でも作るべきだろう。
 そして疑問に思うのだが、この作品は本当に本格ミステリとしてのロジックが書かれているのだろうか。推理らしい推理がほとんどなく、最後は残っていたピースを適当に当てはめたら完成してしまった、という程度の解決しか書かれていないのだ。これっていったい、なんなんだろう。少なくとも、推理する条件はほとんど与えられていないね。推理ではなく、想像するだけ。
 作者の言葉がないのでわからないのだが、本当に横溝正史の世界を現代に蘇らせたかったのだろうか。賞を狙うために、横溝正史の世界を借りただけじゃないのだろうか。まあそれでも別に構わないのだが。
 これが横溝正史ミステリ大賞ではなく、そして帯に変な惹句が書かれていなかったら……それでも評価は変わらないか。現代社会が抱える要素を横溝的世界に融合させようとした努力は買えるけれど、それだけだね。全体的に力不足。坂東眞砂子の選評が、一番的を射ていると思う。書きたいことを無理に詰め込むのではなく、整理することを覚えてほしい。




松下麻理緒『誤算』(角川文庫)

 貧乏くじを引き続けた女に、一発逆転のチャンス到来か? 前夫のためにすべてを失った川村奈緒は、大資産家で重い病気を患う鬼沢丈太郎の住み込み看護師として働き始める。鬼沢を取り巻く家族は、莫大な財産を狙って欲をむき出しにする者ばかり。呆れる奈緒だったが、彼女にも遺産相続のチャンスが訪れる。しかし、それは罠かもしれなかった----
。  第27回横溝正史ミステリ大賞・テレビ東京賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
 2007年、第27回横溝正史ミステリ大賞・テレビ東京賞受賞。同年10月、角川文庫より刊行。

 作者は50代の主婦二人組のペンネーム。東京女子大学心理学科の同期卒業。2006年には松下麻利緒名義の『毒殺倶楽部(ポイズンくらぶ)』で第16回鮎川哲也賞佳作を受賞しているが、こちらは未刊行である。
 主人公の川村奈緒は35歳。5年前、バイクで転倒して足を複雑骨折したフリーターの敏也に同情を誘われるうちに恋心に落ち、退院後アパートに転がり込んできた敏也と結婚。ただし敏也はただのヒモでしかなく、貯金を食いつぶされたうえに部屋にあった金目のものをすべて売り払って逃げていった。奈緒は看護師を辞めて部屋を払い、一代で20億の資産を築いた鬼沢丈太郎の住み込み看護師となる。長女・田上京子はブランドやホストに金をつぎ込んで借金をしており、次女・鬼沢洋子は独身で売れない絵描き、同居する長男・淳一は気が弱くて優柔不断なため会社の跡継ぎ候補からは外され、妻の美恵子はおどおどするばかり、しかも高校生の一人息子・宏は引きこもりといった状態。さらに妾の息子でほとんど遊び人の西山恵太も家に出入りする。古くからいる家政婦・浜田よし子はおしゃべり好き。融通効かない性格の奈緒はワンマンで我儘な丈太郎の反論にも耳を貸さず、一途に丈太郎の病気を治そうとする。いつしか丈太郎は奈緒の言うことを聞くようになり、そして結婚を申し込む。
 いやー、どこにでもあるような設定といってしまっても言い過ぎではないだろう(こういう時にパッとそのような小説のタイトルが出てこないところに、自分が年を取ったなあと思ってしまうのだけれども)。ただまあ、登場人物の心情はそれなり細かく書かれているので、読んでいて退屈はしない。人物像が浮かんでこない点については困ったものだったが。それにしても、物語の展開もテンプレート過ぎるというのはどうにかならなかったのだろうか。それなりの完成度とはいえるだろうが、新人賞の応募作品としてはあまりにも弱いだろう。テレビドラマ化するにはちょうど良い内容と登場人物数だったのかもしれないが。奈緒の結婚をめぐる最後の話だが、本当に可能なのだろうか。普通は受け付けてくれないと思うのだが。
 奈緒の異常なまでの綺麗好きという設定や奈緒と恵太の契約など、うまく使われていなかった箇所が一部あったのは残念。
 物語の最後の方は丈太郎が花見の席で奈緒を妻として紹介する前に死亡し、警察が介入する。落ち着くところへ落ち着いたのはよいのだが、もう少し書き込むことも可能だっただろう。他の人間の心情が曖昧になったのはもったいなかった。
 現代的な味付けはされているものの、ミステリのストーリーとしては恐ろしく古い。その後の伸び代が期待できない作家の誕生、というイメージの作品だった。




望月武『テネシー・ワルツ』(角川書店)

 塾講師の川村孝之の友人・馬渕が用水路で死体となって発見された。孝之は一週間前に馬渕と自宅で会っており、『テネシー・ワルツ』という古いレコードと8ミリフィルムを彼が大事そうに持ち歩いていたことを思い出す。孝之は事件の真相がそこに隠されているのではないかと独自に調査を始め、終戦間際にアメリカ兵を匿った母子の悲劇を知る…。六十年に亘る愛憎劇と親子の絆をテーマに描いた社会派ミステリ。(帯より引用)
 2008年、第28回横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞受賞。2010年1月、加筆改稿の上、ソフトカバーにて刊行。

 第28回の大賞は受賞作無し。発表されたのが2008年1月、本書の発売は2010年1月。次の回である、第29回大賞『雪冤』と優秀賞『僕と『彼女』の首なし死体』は2009年5月刊行。……となると、本書の出来がどういうものか、おおよそわかるであろう。相当苦労して加筆したのか、ドラマ化に合わせて出版したのかはわからないが、はっきり言って面白くない。
 友人でコンビニ経営者の馬渕が殺害された理由を追う塾講師の川村孝之。終戦間際に墜落した米軍機のアメリカ兵を匿う母子。二つの物語が平行で進められ(ウェイトとしては現代の謎がやや重い)、馬渕が誰かを恐喝していたこと、恐喝の材料にある女性が絡んでいたことがわかってくる。
 物語としては一応まとまっている。ただそれだけ。孝之の父親は妻の不倫相手を殺害しようとして懲役刑を受けて入所中。母親は実家に逃げ帰り、妹は父を庇おうとしなかった孝之を恨んで家出中。そんな孝之の所へたまに訪れてくるのは、元々父親の友人だった馬渕。そんな馬渕が殺害され、孝之は父の事件を扱った篠原刑事にアリバイを聞かれる。そのまま孝之は江利チエミ「テネシー・ワルツ」のレコードと8ミリフィルムを大事そうに持っていたことを思い出し、事件の真相を探るという展開。友人がほとんど無い孝之とはいえ、馬渕殺害の謎を追いかけるという展開がまず疑問。そこまでの深い付き合いとは思えない相手の謎を追いかけようという必然性に乏しいし、その心情は全然書かれていない。おまけに謎の相手に追いかけられるは、怪我を負うはで、いいところは何もない。父親の取り調べを行った刑事と手を組む展開というのも首をひねる。調べていくと簡単に謎に手が届くというのはどうかと思うし、警察ももうちょっとがんばれよと言いたい。追及の手がなくなると都合良く手掛かりや証拠の品は出てくるし、追われる方はどんどんぼろを出してくる。恐喝のネタについても、何も殺人までといいたくなるようなもので説得力に乏しい。犯人の正体に至ってはあまりにも唐突。
 結局、安っぽい2時間ドラマを見せられているとしか思えなかった。作者はシナリオライターで、場面の切替が唐突かつ描写不足なのもなるほどと思った次第。「テネシー・ワルツ」のレコードも、別にこのタイトルでなくても良かったし、離散した孝之の家族の再会という隠れたテーマも物語にほとんど溶けこんでいない。
 テレビ東京賞は、一次選考通過作品の中から映像化にふさわしい作品が選ばれるわけであり、これだったら確かにドラマを作りやすかったのだろう。
ドラマの方は、テレビ東京系で『水曜シアター9 横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞受賞作「テネシーワルツ〜甦る昭和の名曲に隠された愛と憎しみの殺意! 二つの戦争に翻弄された母と子の驚愕真実」』というタイトルで、2010年2月17日に放送されている。主人公の尋子役は高島礼子で、孝之の義理の母親かつ馬渕の婚約者という設定である。粗筋を書いているところがあったので見てみたが、原作から設定を借りているだけで、中身は大きく異なっている。結局安いシナリオに箔を付けたかっただけで終わっていた。




大門剛明『雪冤』(角川書店)

 平成5年初夏―京都で残虐な事件が発生した。被害者はあおぞら合唱団に所属する長尾靖之と沢井恵美。二人は刃物で刺され、恵美には百箇所以上もの傷が……。容疑者として逮捕されたのは合唱団の指揮者・八木沼慎一だった。慎一は一貫して容疑を否認するも死刑が確定してしまう。だが事件発生から15年後、慎一の手記が公開された直後に事態が急展開する。息子の無実を訴える父、八木沼悦史のもとに、「メロス」と名乗る人物から自首したいと連絡が入り、自分は共犯で真犯人は「ディオニス」だと告白される。果たして「メロス」の目的は? そして「ディオニス」とは? 被害者遺族と加害者家族の視点をちりばめ、死刑制度と冤罪という問題に深く踏み込んだ衝撃の社会派ミステリ、ここに誕生!(帯より引用)
 2009年、第29回横溝正史ミステリ大賞、ならびにテレビ東京賞をW受賞。応募時タイトル「ディオニス死すべし」を改題、加筆修正。

 テーマが死刑制度と冤罪と書いてあったので、とりあえず読んでみたけれど、首をひねるところが多かった。
 作者が本当に死刑制度問題他に取り組んでみたかったのか、単にネタとして旬だから使ったのかはわからないが、情報量が多すぎてこなれておらず、詰め込みすぎによる消化不良を起こしている印象。被害者遺族と加害者遺族の視点、死刑存続および廃止の主張について一方的に偏らず、両方の主張をそれなりに対比させて書いたことは評価できるけれど、逆に作者が訴えたかったことがまるで伝わらない結果になっている。
 さらに問題なのは、これでもかとばかりにどんでん返しが結末で続くこと。ただでさえ登場人物の描写不足、背景の説明不足が続くのに、さらにこんがらがるようなことを書いてどうするのと言いたい。真相がめまぐるしく変わる内に、作者自身が目を回して倒れてしまったまま終わったような結末である。
 小説だから問題ないだろうと周囲は言うだろうが、余計なツッコミをする。35年ぐらい前に神谷実という人物が求刑死刑で懲役15年判決が出ているが、この時期にこんなことはまずあり得ない。例え親の虐待が遠因にあったとしても、せいぜい無期懲役判決だろう。求刑死刑で有期懲役判決なんて、起訴事実そのものに誤りがあったとかじゃないとしか考えられない。もっとも、35年前に殺人被害者1名+屍姦で求刑死刑という方が信じられないのだが。
 良かったなと思えるのは、黒人霊歌の使い方ぐらいかな。そこだけは読み終わってお見事と言いたくなった。
 いずれにしても、未熟な新人が分不相応なテーマに挑んだが調理しきれずに失敗したという印象しかない。第2作でどこまで成長できるかがカギである。

 それとものすごく納得いかなかったことがあったので、反転して記載する。
 八木沼慎一は死刑確定からすでに4年以上経っており、さらに再審請求を提出していない。2008年の死刑を巡る情勢で、確定4年以上で再審請求を出していない死刑囚なんて、執行サイン目前だということは素人でもわかる話。法務省に再審請求準備中だなんて書類を出したって何の効力もないことは、2008年6月に執行された宮崎勤元死刑囚の例を見てもわかずはず。証拠が無くても、100箇所以上のメッタ刺しなんてまともな精神状態じゃあり得ないから、犯行時の精神状態でも争えばとりあえず請求そのものは可能だろう。自分だったらまず弁護士を疑うね。
 それと、あの程度の証拠で判決がひっくり返すことができるとは思えない。ナイフに八木沼の指紋が付いているわけだろう? 八木沼が共犯者に渡したやつだろう、と検察や裁判所が言ったらそれでおしまいになる話。むしろ証拠が出てきて、八木沼犯行説の補強になってしまう。のこのこ凶器を持って出てきた人が、証拠隠滅容疑あたりで調べられるだけ(時効だから捕まることはない)。
 そもそも、平成5年の頃にお金や強姦などが絡まない2人殺人で、死刑判決が出るだろうか。この頃は今より無期懲役判決が出やすい時代だったはず。
 もっとも説明がなかったと思ったのは、八木沼が一度自白して、裁判で無罪を主張した理由は何なんだ? 動機が沢井恵美の犯行を隠すためだったら、無罪を主張する理由が全くわからない。しかも控訴、上告する理由も不明だ。そもそも、死刑判決を望む気持ちが分からない。無期懲役でも十分じゃないか。
このあたり、作者は全く説明していないぞ。




白石かおる『僕と『彼女』の首なし死体』(角川書店)

 僕=白石かおるは商社勤めのサラリーマン。自宅で切り落とした女性の首を渋谷の街に置き、ある「知らせ」を待っている。だが進展がないまま、自宅に何者かが侵入し、保管してある遺体から指を切り取って公園に遺棄した。不気味な模倣犯の目的は……? そして数日後、東京を襲った地震が事態を一気に加速させ――この謎はとても切なく、震えるほどに新しい。横溝正史ミステリ大賞の新しい地平をひらいた異色ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2009年、第29回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞。同年6月、刊行。

 作者は白石かおる名義で2000年に第5回スニーカー大賞奨励賞を受賞しデビューし、計2冊刊行。2004年に福田政雄名義で第3回スーパーダッシュ小説新人賞佳作を受賞し再デビューし、3冊刊行している。
 主人公と作者の名前が同じだし、冒頭から生首を持って渋谷の街を歩くという異常な行動から異常心理ものかなと思ったら全然違った。主人公は一流総合商社に勤める若手サラリーマンで、合理的な思考能力、そしてピンチに対する大胆なアイディアとそれを実行できる行動力を持ち合わせたホープ。そんな彼がなぜ生首を公園に置いていったのか。そして自宅に侵入したものはいったいだれか。一応ミステリらしい謎はあるものの、後者については割と簡単に想像できる(機会を考えたらこいつしかいないのだが、こいつが犯人だったらつまらないなあ、と思った人物が犯人だった)。ということで結局どんな分野かというと……なんだろう。青春小説の味に近い気がする。表紙のイラストも、多分それを狙っているのだろうなあ、と思った次第。
 嫌な描き方をするが、キャラクター小説でしかなかった。そのキャラクターを好きになれるか、嫌いになれるかでこの小説の評価が変わるだろう。選評における坂東眞砂子の酷評もわからないではない。ただ、作者にとっては少々荷が重すぎると思われるキャラクターをがんばって使おうという姿勢は結構好きだ。
 2013年3月には、主人公が探偵役となる短編集『誰もが僕に『探偵』をやらせたがる』が刊行されている。気が向いたら読んでみよう。




伊与原新『お台場アイランドベイビー』(角川書店)

 東京を壊滅寸前まで追いやった大震災から4年後、息子を喪った刑事くずれのヤクザ巽丑寅は、不思議な魅力を持った少年、丈太と出会う。彼の背後に浮かび上がるいくつもの謎――消えていく子供たち、埋蔵金伝説、姿なきアナーキスト、不気味に姿を変えつつあるこの街――すべての鍵は封鎖された「島」、お台場に―!?震えるほどリアルな「明日」の世界に、守るべきもののため全力で挑む人々の姿を描いた、フルスケールの感動ミステリ!(帯より引用)
 2010年、第30回横溝正史ミステリ大賞受賞作。

 近未来、大震災後の東京を舞台にした社会派サスペンス。流動化現象で地盤沈下し、陸の孤島となったお台場。震災後に消えたはずのチルドレン。荒廃した東京都。絶対的権力を持つ東京都知事。コミュニティ。埋蔵金伝説。お膳立てはばっちりであり、なかなか魅力的な設定。しかしここまで風呂敷を拡げて物語を終わらせることが出来るだろうかと心配にすらなったが、何はともあれ畳むことが出来た力業には感心した。その分、登場人物、特に主人公である巽丑寅、鴻池みどりたちの魅力が欠ける結果となってしまい、ダイナミックな物語を楽しむまで行かなかったのは残念。舞台や背景の紹介が説明調になっているところも、わかりやすく咀嚼されてはいるが、科学的なネタが好きな人にはともかく、物語の興味を削ぐ結果になっているところも残念。はっきり言ってしまえば、設定に物語が負けてしまっている。まあ、新人にそこまでを求めるのは酷か。
 帯に「泣ける」などと書いているが、ありきたりの終わり方であり、そこまで感動できるほどのものではなかった。むしろ「泣けた」のは○○が××を犯そうとして、結局勃たずにできなかったシーンだな。あれは男として「泣けてくる」よ、本当に。その行為に至るまでの是非は間違っているが。
 同じ舞台で、今度はストリートたちの痛快な犯罪小説を書いてくれればよかったのに、とも思ってしまう。この手の設定なら、いくらでも悪役は作れそうだから。




蓮見恭子『女騎手』(角川書店)

 阪神競馬場で一頭の馬が暴れ、レース中に起きた不自然な落馬事故。勝利した女性騎手・夏海は、重傷を負った幼馴染み・陽介のため、事故を調べ始める。優勝は自分。八百長であったはずはない。しかし、馬の所属する厩舎は経済的に困窮、馬主と調教師が対立していた。折しも陽介の父が、厩舎で何者かに殴られた。親子を狙った犯罪か? 厩舎で何が? 夏海は、トレーニングセンターや競馬場へと赴き、元同僚や新人騎手に会ううちに、ある疑いを抱き――。第30回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞作。(帯より引用)
 2010年、第30回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞。応募時タイトル「薔薇という名の馬」。同年9月、単行本化。

 競馬ミステリと言えば第一にディック・フランシスが思い浮かぶ。もちろん新人作家にそこまでの面白さを求めるのは無理だとわかっているが、どこまでできるかという点で楽しみだった。しかし読み終わってみると、設定を生かし切れていない感がある。
 問題かなと思われた一点目は、登場人物が序盤から多すぎて、誰が誰だかわからないこと。二点目は、競馬の世界や用語の説明が、妙に詳しいものと、ほとんど説明していないものが混在しており、結局何が何だかよくわからなかったこと。そして三点目で最も問題なのは、主人公の紺野夏海に魅力が乏しく、そもそもなぜ事件の謎を解こうとしているのかがわからないこと。幾ら落馬事故の被害者が幼馴染みだとはいえ、恋愛関係にあるわけでもなく、また殴打事件の容疑者が動機の元女騎手だからだとしても必然性に乏しい。夏海の動機が書かれていないから、違和感を抱きながら読み進めたまま終わってしまった。名騎手の娘という設定も、ほとんど活かされていない。馬の描写は結構よかったのに、肝心の人の描写がダメというのは本末転倒である。
 事件のトリックは小粒なものだが、競馬の世界という舞台設定にはよく合っているとは思った。推理が全然無いのは少し気になる。また、事件の背景については、説明を聞いてもよくわからなかった。あと、幾ら馬を守るためとはいえ、あんな調教をするかな。虐待になっているとしか思えない。
 競馬の世界を知っている人なら楽しめるのかも知れない。重賞といわれてもさっぱりわからない私のような競馬オンチにとっては、何が何だかわからないまま終わってしまった。舞台も登場人物も背景も、もう少し整理してほしかった。女性騎手が主人公でなかったら、受賞できなかっただろう。少なくともフランシスは、競馬の世界を知らなくても楽しめる巧さがある。そこをまず目指さないと、このまま競馬ミステリを書き続けようとするならかなり厳しい。続編はあるらしいが、読む気にはならなかった。
 どうでもいいけれど、フランシスを目指すならタイトルも二文字にすればよかったのに。




佐倉淳一『ボクら星屑のダンス』(角川文庫)

 借金で浜名湖に入水しようとしていた浅井久平は、同じく自殺を図る不思議な子供ヒカリと出会った。ヒカリは最先端科学センターから逃げ出してきた天才だという。半信半疑ながらも一緒に逃避行を始めた久平。一方、内閣官房から指令を受けた警察はヒカリの捜索を開始。だが、ヒカリはネットを駆使して逆に自ら誘拐を装い、100億円を要求した。はたしてヒカリたちは現金を奪取し、偽装誘拐を完遂できるのか?(粗筋紹介より引用)
 2010年、第30回横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞受賞。加筆訂正の上、2011年7月、角川文庫より刊行。

 誘拐された本人が100億円を要求するという展開は『大誘拐』を彷彿させる。ユーモアあり、感動ありといった展開も、似ている。読んでいて面白かったことは事実。とはいえ、設定の甘さは最初から多々ある。選評で「設定が甘すぎる」「過程が杜撰すぎる」「突っ込みどころ満載」などと評されながらも、そのアイディアは高く評価され、修正の上での刊行が認められたものだ。作者は応募原稿を三回書き直したという。おそらく、応募当初はもっと杜撰だったのだろう。しかし書き直してこれでは、まだまだ書き直しさせるべきではなかったか。
 天才少女という設定はありがち。その少女を取り巻く科学センターの立ち位置や日本国の反応は分からないでもない。しかしそれだけの人物を狙っているのがロシアのみ、それも一人しかいないというのは腑に落ちない。誘拐にあったからと言って、内閣官房から来たのも一人であり、事件に対応したのも県警というのは、事の重大さと比較しても物足りない。誘拐のアイディア、100億円という身代金の奪い方は面白いが、肝心の個所が綱渡りにしか見えない。小説そのものを見ても、前半部は肝心なところを飛ばしながらの描き方になっており、作者が独りで先走った内容になっている。
 それでも先に書いた通り誘拐のアイディアは面白いし、それ以上に「星屑のダンス」が意味するところはなかなか感動できる。これを勿体ないと思った選評委員の気持ちもよくわかる。
 作者は第25回、第27回にも最終候補作に名を連ねている。テーマは全く異なったものならしい。過去の選評にあった「作者には、これを書きたい、という情熱がある」というのはよくわかった。しかし、その情熱に小説の書き方が追い付いていない。そのことが残念である。



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