長沢樹『消失グラデーション』(角川書店)

 私立藤野学院高校のバスケ部員椎名康は、ある日、少女が校舎の屋上から転落する場面に遭遇する。康は血を流し地面に横たわる少女を助けようとするが、少女は目の前から忽然と消えた。監視された空間で起こった目撃者不在の"少女消失"事件。複雑に絡み合う謎に、多感な若き探偵たちが挑む。繊細かつ大胆な展開、"真相"の波状攻撃、そして驚愕の結末。(帯より引用)
 2011年、眼鏡もじゅ名義の『リストカット/グラデーション』で第31回横溝正史ミステリ大賞を受賞。改名、改題、加筆修正のうえ2011年9月、刊行。2012年版の『このミステリーがすごい!』と『本格ミステリ・ベスト10』の両方で第6位に選ばれた。

 まず帯の言葉をここに書き出す。

・歴代受賞作の中でも三本の指に入る一品――綾辻行人
・誤りなく組み上げられた建築である。感心した。――北村薫
・間違いなく、私が読んだ中で最高の傑作である。――馳星周

 ここまで書けばたいていの人は騙されるだろう。もしくは敬遠するだろう。私は後者だった。読み終わって敬遠したことを非常に後悔したのだが、それはさておき。折り返しには三氏の選評の抜粋が記されている。はっきり言おう。帯では人をだましている。正確に書くとこうなるのだ。

・(横溝賞の選考に関わって長いが、その間に読んだ原稿)歴代受賞作の中でも三本の指に入る一品――綾辻往人
・(ひとつ取れば崩れるようなブロックが、)誤りなく組み上げられた建築である。感心した。――北村薫
・(この賞の選考委員を務めるよう之なって三年になるが、)間違いなく、私が読んだ中で最高の傑作である。――馳星周

 いやはや、これでは詐欺といっていいだろう。帯に騙されたという読者は、この三氏に怒らないでほしい。明らかに非は角川にある。
 とまあ、角川には怒りまくったが、歴代受賞作と比較してみても、三本の指に入るかどうかはわからない(全部読んでいないし、今度考えてみよう)が、五本の指には間違いなく入る……んじゃないかな。
 女子バスケ部のエース、網川緑が屋上から転落し、助けに行こうとした男子バスケ部の素行不良の問題児、椎名康が助けに行こうとすると何者かに絞め落とされ、気がついたときにはなぜか緑が消えていたという消失事件。康と、放送部の友人でクラスメイトの樋口真由が事件の謎を解き明かすため、調査を続けるストーリー。序盤はやや冗長でまだるっこしい展開が続くが、そこさえ過ぎてしまえば色々な人間模様が渦巻いて非常に面白い。ややドライすぎる気もするのだが、今時の高校生に近いものはあるのだろう。
 トリック自体はミステリファンなら想像付きそうなものである。とはいえ、なんとなくこうだろうなあ、と思う程度のものであり、作者の全ての狙いを見破るのは難しいだろう。北村薫の選評がいちばん的を射ているのではないだろうか。確かに読んでいて危なっかしいところはある。首をひねる部分もある。今にもぐらついて倒れてしまいそうだ。そのギリギリの部分で作品が成り立っているのは素晴らしい。とはいえ、これは読者を選びそう。過程の部分を楽しもうとする人には、その危なっかしさが目についてどうにもならなくなるだろう。
 これ、帯の宣伝文句で損をしている部分があると思う。だいたい綾辻行人が誉める時点で、一般受けしないことは保障されているようなものだからなあ(ものすごい偏見)。はまる人にははまるのだろうとは思うし、そういう人は高く評価するのだろう。癖のある作品だが、個人的には嫌いじゃない。ただ、主人公がモテる理由はさっぱりわからない(苦笑)。
 まさかとは思ったが、探偵役の樋口真由は2作目にも登場する。どんな内容になっているのか気にはなるのだが、読むのは怖い感もある。




菅原和也『さあ、地獄へ堕ちよう』(角川書店)

 主人公のミチはSMバー「ロマンチック・アゴニー」でM嬢として働きながら、精神安定剤とアルコールに溺れる日々を送っていた。そんなある日、幼馴染みのタミーと偶然再会する。タミーは同居していた女性を殺害したばかりだった。ミチはタミーから「地獄へ堕ちよう」というwebサイトを教えられる。そのサイトに登録し、指定された相手を殺害すると報酬が得られるという。ある夜、客とトラブルを起こしたミチは、久しぶりに出勤してトラブルの基となったリストの部屋に泊まる。リストは自らの体を傷つけ、装飾することに情熱を傾けていた。後日、タミーとリストの死に遭遇したミチは、「地獄へ堕ちよう」の正体を探り始めた。
 2012年、第32回横溝正史ミステリ大賞受賞。応募時名菅原蛹。加筆のうえ、同年9月、刊行。

 著者は高校中退後、和食料理店、ピアノバーのバーテンダー、キャバクラのボーイとして働いていた。受賞時は24歳と、横溝賞最年少。
 読み終わって、どう感想を書けばよいか迷った。はっきり言って、チャラい23歳(執筆当時)の若造が描き散らかしただけの作品。登場人物たちの行動は無茶苦茶。身体改造の人たちのパーティーって、本当にあるんだね、びっくりした。一から十まで共感できない人たちばかり出てくる。特に主人公であるミチの行動原理がよくわからない。人生にやる気のない女性が、真実を探るためにどうしてここまでアクティブになれるんだ? 
 内容はあるのだか無いのだかさっぱりわからない。グロい描写が多い割にそれほど気持ち悪くないのは、作者の筆が良いのか、単に描写力が無いだけかがわからない。わからないことだらけだが、一部の読者を惹き付ける力はありそう。だから受賞したのだろう。多分大部分の読者は嫌悪するだろうが(苦笑)。事件の真相を追いかけるのは後半からなのだが、面白かったのはむしろ異端な人たちが出まくる前半の方だったりもする。真相も今一つだったし。
 ただ、こういうわけのわからない作品を受賞させるのが横溝賞だったよな、と昔を思い出し懐かしくなった。




河合莞爾『デッドマン』(角川書店)

 頭のない死体、胴体のない死体……身体の一部が持ち去られた6つの死体が都内で次々と発見される連続猟奇殺人事件が発生。鏑木鉄生率いる個性派揃いの特別捜査班4人が捜査に当たる中、一通の奇妙なメールが届く。差出人は「デッドマン」。彼は6つの死体のパーツを繋ぎ合わされて蘇った死人であると言い、自分たちを殺した犯人を暴くために協力したいというのだが……。(帯より引用)
 2012年、第32回横溝正史ミステリ大賞受賞。応募時タイトル『DEAD MAN』。同年9月、改題の上刊行。

 6人の身体の一部を切り取り、つなぎ合わせて甦らせるなんて、『バビル2世』のヨミ(私は先にこっちが来る)かよとか、『占星術殺人事件』かよ(小説内でも「アゾート殺人事件」という言葉が出てくる)などと思って読み始めたが、実は骨格のしっかりした警察小説だった。
 警視庁刑事部捜査第一課・第四強行犯捜査・殺人犯捜査第十三係で、本事件のヘッドとなるバツ1の中年警部補鏑木、同期で熱血系の正木、鏑木とペアを組んでいるお坊ちゃま育ちで優秀な刑事オタクの姫野、プロファイリングの専門家で神経質かつちょっとネガティブな澤田の4人が中心となって事件に挑む。彼らのやり取りが昔の刑事ドラマ風味なのはちょっと笑えるが、作品によいテンポを与えているのは事実。ただ、バラバラ連続殺人や医療事故といった重いテーマの割に作品が軽く感じられてしまうところがあった。まあこれは痛し痒しといったところか。
 一方で「デッドマン」の誕生から動けるようになり、入院患者との交流を経て警察にメールを出すまでの出来事が語られる。読む方は当然「デッドマン」なんて有り得ないと思いながら読み進めるわけだが、意外なところに伏線が仕掛けられているところはちょっと驚いた。
 両者の接触から動き出す物語は怒濤の展開。よく読むと都合良すぎる部分はあるのだが、作品に勢いがあるから一気に読めてしまう。リーダビリティは本当に抜群。キャラクター造形も脇役にいたるまでよくできている。鏑木の師匠ともいえる元刑事の中山なんて、いい味出しているよなあ(逆に刑事の悲哀も感じたけれど)。小説の傾向は違うけれど、戸梶圭太のデビューを思い出した。
 いわゆるベストには選ばれないが、記憶に残る面白い作品である。




伊兼源太郎『見えざる網』(角川書店)

 テレビの街頭インタビューで、インターネット上の希薄な繋がりに異論を呈した今光。放送直後、混雑した駅のホームから、何者かにおされて落ちかけた。 昼には車にも轢かれそうになり、植木鉢が鼻先に落ちてきた。その夜、中学時代の友人で警察官となった千春と七年ぶりに再会。行く先々で危険な目に遭うのは偶然ではないと千春が断言、 彼らを尾行してきた少年は気をつけた方がいいと忠告するが……。 新宿駅で起きた群衆雪崩事故、個人情報漏洩と迫る危険。得体の知れない悪意にどう立ち向かうか? 圧倒的リーダビリティで日本の闇をあぶりだす!(帯より引用)
 2013年、第33回横溝正史ミステリ大賞受賞。応募時タイトル『アンフォゲッタブル』。加筆修正の上、改題して2013年10月刊行。

 作者は元新聞社勤務。2009年から2011年には江戸川乱歩賞最終候補、2010年には松本清張賞の最終候補に残っている。本作は当初応募を予定していた賞より原稿枚数がオーバーしたから、横溝賞に矛先を変えたものだそうだ。
 選評では全員が前半良くて後半が今一つと書かれているのだが、私自身の感想もそのまま。テレビの街頭インタビューで異論を言ったら、命を狙われるようになったという展開は面白い。しかもバックにあるのが、流行のSNSサイト。ポイントに踊らされる若者という設定が非常に良い。ここまでは面白かったんだけどなあ(どうでもいいけれど、本当に実行したかどうか誰が確認するのだろう)。
 主人公が寺の息子というキャラクターは良かったのだが、少林寺拳法の達人で、天才ハッカーが友人にいて、幼馴染みの親友が美人の女性刑事というのはさすがに都合良すぎ。しかも一人でどんどん突っ走ってしまうし。もう少し弱点がないと、全く感情移入できない。おまけに登場人物が少ないから、事件の黒幕がすぐにわかる。それだけならまだ許せるが、事件の動機が首をひねるしかない。結末直前の無駄なアクションシーン、最後に繰り広げられる一昔前の大演説青春物語はなんなんだ、一体。せっかくの世界の広がりが、なぜここまでチープな展開で閉じなければいけないのか。前半と後半の落差がこれだけ大きいのも珍しい。
 ヒロインの千春も、結局は今光の小間使いで終わっている。千春が悩むシーンなんて、不要だったじゃないか。他の人たちも含め、もう少し登場人物を活かすということを考えるべきだった。そもそも主人公自体、うまく描けていないし。最初は若年寄かと思っていた。それと他のシーンでは無駄な部分が多い。やはり削ることをもっと考えるべき。あと、無駄な殺人も多かったな。
 選評でも結構苦しいものが多い。将来性を買っての受賞なのだろうが、広げた風呂敷を畳めないようでは、今後も苦しいか。化けることを期待する。




藤崎翔『神様の裏の顔』(KADOKAWA)

 神様のような清廉潔白な教師、坪井誠造が逝去した。その通夜は悲しみに包まれ、誰もが涙した―と思いきや、年齢も職業も多様な参列者たちが彼を思い返すうち、とんでもない犯罪者であった疑惑が持ち上がり……。聖職者か、それとも稀代の犯罪者か――驚愕のラストを誰かと共有したくなる、読後感強烈ミステリ! !(帯より引用)
 2014年、第34回横溝正史ミステリ大賞受賞。同年9月、単行本発売。

 作者は高校卒業後、東京アナウンス学院在学中にお笑いコンビ「セーフティ番頭」を結成。6年活動後の2010年にコンビ解消。アルバイトをしながら小説を書き続け、初めて書いたミステリの本作でプロデビュー。なお当時の相方は、現在もピン芸人として活動しているとのこと。残念ながらコンビ名は全く知らなかった。
 神様のような教師だった坪井誠造の通夜に来た元同僚の体育教師、教え子で坪井の娘の元同級生、同じく元教え子で坪井のアパートに住む女、同じく坪井のアパートに住むお笑い芸人の男、隣に住む主婦。接点らしい接点もない(体育教師が元同級生の教師だったぐらい)人たちだったが、通夜ぶるまいの席で話が進むうちに、それぞれの過去に起きた事件や不幸な出来事に坪井が関わっていたのではないかという疑惑が持ち上がる。清廉潔白な教師の裏の顔は殺人鬼だったのか。喪主である坪井の娘やその妹も含め、話は進んでいく。
 生前はよい人に見えていたが、実は……という展開はありきたり。多重視点による小説の展開もよくある話。見知らぬ人たちが集まってわいわいがやがやと進めるのもよくある話。どこかで見たことがあるなあ、という既視感は誰もが抱くだろう。とはいえテンポはよいし、元お笑い芸人らしいユーモアも悪くない。それぞれの描き分けもよくできているし、描き方も柔らかく、読んでいて嫌味に感じるところが無い。まあ逆の見方をすれば薄いという風になるかもしれないが、読後感は悪くない。結末には文句を言う人も多いだろうが、現実味としてはともかく、ミステリとしては悪くない着地点だと思う。新人でこれだけ書ければ十分だろう。受賞そのものには納得できる。ただ選評にもある通り、もう少し話は整理できたと思うが。
 問題は、新鮮味がない、オリジナリティに欠けるところか。元お笑い芸人だったとのことで、本作品の構成もアンジャッシュのコントを思わせるところがある。ただそれがストレートに出過ぎている。それと、山場のつくり方が今一つ。コントで言うドカンと笑いが取れるピークを、本作にも入れてほしかった。
 この作者ならでは、というものを一つ持ってほしいと思う。キャリアは珍しい方なのだから、もっとその特色を生かしてほしい。




逸木裕『虹を待つ彼女』(角川文庫)

 2020年、研究者の工藤賢は死者を人工知能化するプロジェクトに参加する。モデルは美貌のゲームクリエイター、水科(みずしな)(はる)。晴は“ゾンビを撃ち殺す”ゲームのなかで、自らを標的にすることで自殺していた。人工知能の完成に向け調べていくうちに、工藤は彼女に共鳴し、惹かれていく。晴に“雨”という恋人がいたことを突き止めるが、何者かから調査を止めなければ殺す、という脅迫を受けて――。第36回横溝正史ミステリ大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2016年、第36回横溝正史ミステリ大賞を受賞。応募時タイトル『虹になるのを待て』。応募時ペンネーム木逸裕。改題、加筆のうえ、2016年9月、KADOKAWAより単行本刊行。2019年5月、文庫化。

 作者はフリーランスのウェブエンジニア業の傍ら、小説を執筆。本作受賞後もコンスタントに執筆し、2022年には「スケーターズ・ワルツ」で第75回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞している。
 主人公の工藤賢は京大卒。優秀すぎて、自分の実力と予想できる限界点に虚しさと退屈を覚える毎日。女性すらサプリメントと変わらない。現在はフリーランスの人工知能研究家で、今は友人が経営するシステム会社モンスターブレイン社と契約している。暇つぶしに作って会社に売った囲碁ソフト「スーパーパンダ」は、すでにプロを上回っている。恋愛AIアプリ「クリフト」を共同開発し、破竹の勢いで伸びている。工藤はCTOの柳田からの提案で、死者の人工知能化というプロジェクトに参加する。モデルである水科晴は、若くして癌で余命いくばくもなかった6年前、自ら作ったゾンビを撃ち殺すというオンラインゲームで、特定のプレイヤーに黙ってドローンを実際に動かせるプログラムに切り替え、自ら標的となって自殺した。今でもカルト的な人気のある水科晴を人工知能として甦らせようとするが、調べていくうちに工藤は晴に惹かれていく。一方ネット上で調べて言ううちに晴は、HALという人物から脅迫を受ける。
 工藤の経歴を並べていくだけで腹が立ってくる(苦笑)。成功者に有りがちな経歴ではあるが。そんな三十代のおじさんによる死者へのボーイ・ミーツ・ガールではあるが、やっていることはストーカーと変わらない。ここまで粘着質に追いかけられては、周りの人も敬遠するだろう。脅迫を受けても仕方ないんじゃない、というぐらい主人公に感銘を受けなかった。「自分は他人と違う」と人を見下してばかりいるのだが失敗も多く、頭がよいけれど単に生き方が下手な人物にしか見えない。「クリフト」の問題点なんて、最初から予想できていたことだと思うし、そんなリスクも考えない開発者はいないだろう。
 それよりも、周囲の人物が共感を持てるし、描き方も巧い。特に大学時代からの友人である探偵事務所のオーナーの娘、森田みどりはもっと活躍させてほしかったところだ。モンスターブレイン社の面々も面白いし、囲碁棋士の目黒隆則ももうちょっとストーリーに絡めてほしかった。主人公や重要人物より脇役の方が光ってみえるのだから、もう少し人物描写を考えてほしかった。
 一方、ストーリーの方は今一つ。展開の盛り上げ方は悪くないのだが、ミステリとしては非常に弱い。犯人の動機の点について特に弱さを感じるのは2022年に読んでいるからかもしれないが、それを抜きにしても、犯人が動いたからかえって話が進んでしまったという内容になっているのが非常に残念。工藤にも犯人にも、どっちにも共感できないまま物語が進んでいるから、先が気になる割には面白さに欠けてしまう。それと、肝心の水科晴の魅力がわからない。だから工藤や犯人に共感が持てない。こここそ、もっと筆を費やすべきでなかったか。変な言い方だが、味はまずいがとりあえず完食させてしまうような作品であった。作者の力があることは感じ取れた。
 文庫版の表紙がとても綺麗だし、タイトルからしても非常に爽やかな青春ミステリを予想したのだが、全然違っていた。せめて主人公たちの年齢を二十代にすべきじゃなかったのだろうか。そうすれば、もうちょっと印象が違っていたと思うのだが。



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