地裁で二度死刑判決を受けた被告人
地裁で二度死刑判決を受けるケースには、以下がある。
- 連続する事件の途中で確定判決を挟んだ場合、併合罪(刑法45条)が適用されず、確定判決の前の事件とあとの事件で別々に起訴される。このようなケースで、それぞれ死刑判決を受けた場合。
- 先の事件で一審死刑判決だったものの、二審以降で減刑され無期懲役判決が確定し、服役、仮出所後、別の事件を起こして死刑判決を受けた場合。
- 先の事件で一審死刑判決が審理中(もしくは確定後)、別の事件で起訴されて死刑判決を受けた場合。
- 先の事件で一審死刑判決だったものの、二審以降で減刑され無期懲役判決が確定し、服役中、別の事件で起訴されて死刑判決を受けた場合。
- 一審死刑判決後、高裁、もしくは最高裁で差し戻し判決を受け地裁で再度審理され、再度一審死刑判決を受けた場合。
ケース1のように同じ裁判で二度死刑判決を受けるのはまだダメージが少ないのだろうが(というとちょっと変か)、別々の裁判で死刑判決を受けるというのは相当にダメージが大きいのではないだろうか。もっとも2や4のケースなら、また二審以降で無期懲役判決に減刑されるだろうと夢見てしまうのだろうか。
なお、ケース5の地裁が高裁の場合、すなわち二審で死刑判決を受け、最高裁で差し戻し、高裁で再度審理されやはり死刑判決を受けたケースでは、八海事件のA元被告のケースがある。ちなみに一審死刑→控訴棄却→最高裁差し戻し→二審無罪→最高裁差し戻し→二審死刑→最高裁無罪判決(確定)、である。それ以外にも、最高裁で差し戻され、高裁で再度死刑を受けたケースは、旧刑訴法では数件ある。
では以下、判明分を記す。戦前のケースは除きます。その他の元被告人がいましたら、ご教授いただけると幸いです。
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おせんころがし事件等で有名な栗田源蔵死刑囚。1952年1月に千葉県で起こした2名に対する強姦殺人事件で1952年8月13日、栗田は千葉地裁で求刑通り死刑判決。その後余罪が発覚し、1948年~1951年の3件5名(1名については起訴されていない)に対する強盗強姦殺人事件他で1953年12月21日、宇都宮地裁で求刑通り死刑判決(本来だったら途中で確定判決を含んでいるので、1件と2件に別れて判決が出るはずなのだが、この裁判ではもう1件の死刑判決は免除されている)。両件とも栗田は控訴したが、拘禁ノイローゼの影響で、1954年10月21日、控訴取り下げ、死刑確定。1959年10月14日執行。33歳没。
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群馬県で1963年3月、1964年2月に連続強盗殺人事件を起こしたK・N元被告。1963(昭和38)年3月30日夕方、身の上相談をされていた姪(当時26)を勤め先から河原に連れ出し、乱暴した後金を借りようとし、断られたので絞殺。河原に遺体を埋め、現金や腕時計を奪った。1964年2月25日夕方、知人女性(当時35)を騙して近くの山頂まで連れ出し、乱暴した後「家族に話す」などと脅し「金を貸せ」と迫ったが、断られたので絞殺。現金や所持品を奪った。この間に、道交法違反で罰金4千円の確定判決があったため、別々に起訴された。1965年3月29日、前橋地裁で求刑通り死刑+死刑判決。しかし1967年6月26日、被告の情状を酌み、東京高裁で無期懲役+無期懲役判決。上告せず確定。1970年の改正で、併合罪の不適用は禁固刑以上とされた。
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愛媛県伊予郡で1971年1月に実母を殺害し保険金を搾取、さらに1972年6月に口封じのため妻を殺害したとして起訴された立川修二郎死刑囚。1971年4月に横領罪で執行猶予付有罪判決を受けているため、併合罪が適用されず、別々に起訴された。1976年2月18日、松山地裁で求刑通り死刑+死刑判決。しかし1979年12月18日、高松高裁で一審破棄、死刑(保険金殺人)+無期懲役(妻殺害)判決。1981年6月26日、最高裁で上告棄却、確定。1993年3月26日、執行。62歳没。
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1972~1980年の7件7名に対する強盗殺人事件他と、1982年10月~1983年1月の警察庁広域重要指定113号事件(1件1名に対する殺人罪、強盗事件他)で起訴された勝田清孝死刑囚。1981年に窃盗罪で執行猶予付の有罪判決を受けているため併合罪が適用されず、1980年までの事件と1982年以降の事件の別々で起訴された。1986年3月24日、名古屋地裁で求刑通り死刑+死刑判決。1988年2月19日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。1994年1月17日、最高裁で被告側上告棄却、確定。2000年11月30日、執行。52歳没。
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大阪市内で1985~87年に女性3人、1993~94年に女性2人(身代金要求1件含む)を殺害して起訴された鎌田安利死刑囚。間に二度の窃盗罪で服役していたため、別々で起訴された。1999年3月24日、大阪地裁で求刑通り死刑+死刑判決。2001年3月27日、一審では認めなかった身代金要求についても認め、大阪高裁で一審破棄の上、改めて死刑+死刑判決。2005年7月8日、最高裁で被告側上告棄却、確定。2016年3月25日、執行。75歳没。
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1994年4月に四日市市で強盗事件の仲間を殺害し、さらに1995年3月に四日市市で古美術商を襲った強盗殺人事件で、共犯の山口益生死刑囚とともに起訴されたN・S元被告。1997年3月28日、津地裁四日市支部で両被告に求刑通り死刑判決。ところが1997年9月28日、名古屋高裁で一審破棄、地裁差戻判決。極めて重い刑が予想される場合で、両被告の利害が対立するのに、弁護人が一人では十分な弁護活動ができないとして、国選弁護人の選任権を持つ裁判所の訴訟手続きの違法性を指摘し、津地裁へ差し戻した。1999年6月23日、津地裁でN・S元被告に死刑判決、山口死刑囚に無期懲役判決。ところが2001年6月14日、名古屋高裁で両被告に死刑判決。2002年7月2日、N・S元被告は病死した。63歳没。7月19日、最高裁で公訴棄却決定。山口死刑囚は2006年2月24日、最高裁で死刑確定。2016年現在、再審請求中。
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1969年3月16日、高知県でライフル銃を用いて銀行警備員を射殺した強盗殺人事件を起こした中山進死刑囚。1970年3月30日、高知地裁で求刑通り一審死刑判決。1973年3月29日、高松高裁で一審破棄、無期懲役判決。上告せず、そのまま確定して服役。1991年に岡山刑務所を仮出所した。1998年2月19日午前1時半頃、中山進被告は豊中市内の路上で、当時付き合っていた女性の夫である建設業の男性と交際相手を殺害し、起訴された。2001年11月20日、大阪地裁で求刑通り死刑+死刑判決。2003年10月27日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2006年6月13日、最高裁で被告側上告棄却、確定。再審請求にて執行を免れ、2014年5月15日、食道がんのため死亡。66歳没。
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2007年8月の名古屋闇サイト殺人事件で神田司元死刑囚らとともに起訴された堀慶末被告。2009年3月18日、名古屋地裁で神田元死刑囚、堀慶末被告に求刑通り一審死刑判決、K・K元被告に求刑死刑に対し一審無期懲役判決。神田元死刑囚は控訴取り下げ、確定。2011年4月12日、名古屋高裁で堀被告の一審判決を破棄、無期懲役判決。同日、K・K元被告に対し、検察・被告側控訴棄却。検察及びK・K元被告は上告せず、無期懲役判決が確定。2012年7月11日、最高裁第二小法廷で検察側上告棄却、堀被告の無期懲役判決が確定した。神田司元死刑囚は2015年6月25日、死刑執行。44歳没。その後、堀慶末被告が他2被告と共謀し、1998年6月28日に愛知県碧南市でパチンコ店責任者宅に押し入り、夫婦を殺害して現金を奪ったとして2012年8月3日、堀被告ら3人が逮捕された。2015年12月15日、名古屋地裁で求刑通り死刑判決。2016年11月8日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。2019年7月19日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
けい様から多くの情報をいただきました。有難うございました。
【参考文献】
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞、北海道新聞、中日新聞、西日本新聞の記事から多くを参考にした。
(2016年9月26日記/2016年9月28日一部追記/2016年10月23日、前橋の事件概要を追加)
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