高齢死刑囚




 タイトル通りです。なんとなくの覚書でしかありません。今回はALL実名でいかせていただきます。
 高齢死刑囚と聞くと、まず第一に思いつくのが帝銀事件の平沢貞道元死刑囚。冤罪かどうかと騒がれていたこともあり、定期的にマスコミを賑わせていました。そのせいか、他の高齢死刑囚について触れた記事を見かけたことがほとんどありません。せいぜい、牟礼事件の佐藤誠元死刑囚ぐらいですか。
 そもそも冤罪だと騒がれていた事件(免田事件とか)を除くと、たいていは早期に執行されていたこともあり、高齢という言葉自体が他に表に出てこなかったということもあります。
 病死した死刑囚もいますが、誰が病死したかもわからないケースが多いため、なんともはや。
 執行された死刑囚となると、古谷惣吉元死刑囚が1985年5月に71歳で執行されたのが、当時戦後最高齢でした。ただ、当時の朝日新聞の記事を読んだ限りでは、「戦後最高齢」については触れられていませんでした。となると、どこでそのことについて読んだんだろう……。そもそも、それ以前の最高齢を私は知りません(苦笑)。1967年11月に68歳で執行された岩崎治一郎元死刑囚ではないかと思われます。
 近年は再審請求を連発して執行逃れを続けたせいか、寿命を全うして病死した死刑囚も結構多いです。冤罪を訴えるのならまだしも、微細な内容で再審請求を受け付けるというのもどうかと思いますし、10年以上も執行を逃れ続ける死刑囚が増えている現状はどうにかしてほしいもの。それこそ、権利の濫用だと思います。
 以上、いろいろ書いてみましたが、とりあえず高齢死刑囚について調べてみましたので以下に並べてみます。敬称……とは違いますが、“死刑囚”などの表記は略します。また、本来なら最高裁で上告が棄却されたのち、判決訂正申立が棄却、もしくは申立せずに期限がきた日にちが死刑囚として確定したことになるのですが、そこまでは調べきれないので、上告審等で結果が出た日を死刑囚として確定した日としてみています。2週間~1ヶ月程度のずれなので、その点はご了承ください。現在も収容中の死刑囚の年齢は、2024年1月1日時点でのものとなります。リストには、76歳以上の死刑囚を載せています(山崎小太郎元死刑囚を基準としたため)。逮捕後の期間、死刑確定後の期間も併せて記載しています。
 こうして見てみると、死刑制度の矛盾を感じるのは私だけでしょうか。


1.大濱松三 95歳6月 東京拘置所収容中 (逮捕後49年4月、確定後46年8月)
 ピアノ騒音殺人事件で家族3人を殺害し、一審で死刑、二審の途中となる1977年4月16日に控訴を取り下げ、確定。本人が死刑を望む一方で、「騒音被害者の会」が嘆願書を提出しようとするなど、本人と周囲で温度差があるのが印象強い。控訴審における精神鑑定でパラノイアに罹患しているとの結果が出て減軽の可能性が出るも、本人は死刑を望んで控訴を取下げ。その後は生きていること以外の情報が全くない。皮肉なことに未だ執行されていないし、今後の執行もまず不可能。本人が正気なのかすら疑問だが。そしてついに平沢貞道の年齢を超えてしまった。


2.平沢貞道 95歳2月 病死 (逮捕後38年8月、確定後32年0月)
 帝銀事件で12人を殺害し、現金等を奪った強盗殺人の罪で死刑判決を受けた平沢貞道。1955年5月7日に最高裁で上告が棄却され、1987年5月10日に病死するまで32年間、死刑囚として獄に繋がれていた。生前に十八回の再審請求と三回の恩赦願を提出。死後も二回再審請求が提出されており、現在は第二十次再審請求中である。
 根強い冤罪説があり、支援者も多かったため、執行自体が難しかった。それでも法務省は執行を諦めていなかったらしく、宮城に押送された1962年11月、そして1971年7月、1974年11月に執行の可能性があったとされる。また、1967年に23人分の死刑執行命令書に署名した田中伊三次法相が、平沢の名前を見つけた際に「これは冤罪だろ」といって執行対象から外した、という話もある。30年経ったら時効という当時の法律により、死刑確定から30年経ったら時効になって釈放される、などという騒ぎもあったが、結局釈放されなかった。法務省から見たら、死刑制度のとげと言うべき存在だっただろう。まさかここまで長命だったとは思わなかったに違いない。


3.石田富蔵 92歳5月 病死 (逮捕後39年2月、確定後24年10月)
 1973年の殺人事件と1974年の強盗殺人で、1989年6月13日に最高裁で上告が棄却されている。2014年4月19日、病死。強盗殺人は無罪、殺人事件は自供したもので傷害致死だったと主張し、再審請求。被害者遺族には申し訳ないが、あまり騒がれないままひっそりと生き延びた印象が強い。


4.浜田武重 90歳3月 病死 (逮捕後37年8月、確定後29年3月)
 3連続保険金殺人事件で3人を殺害し保険金を奪った罪で、1988年3月8日に最高裁で上告が棄却されている。2017年6月26日病死。事件前の1946年10月~1974年10月までの間に10回に渡り懲役刑に処せられ、計23年10か月服している。逮捕時は犯行を認めるものの、一緒に逮捕された内妻が病死した後は、2件について無罪、残り1件について内妻が主犯と主張。以後、同様の内容で五度再審請求するも全て棄却されている。
 本事件の前ですら人生の半分以上が刑務所or拘置所という、懲役太郎。実際にどうだったかはわからないが、内妻に責任をかぶせた印象が強い。逆に、内妻に操られていただけ、という印象もあるが。内妻が病死しなかったら、一緒に執行されていたかもしれない。


5.奥西勝 89歳8月 病死 (逮捕後49年10月(一審判決から二審判決までの釈放期間を除く)、確定後43年3月)
 名張毒ぶどう酒事件で5人を殺害した罪で、1972年6月15日に最高裁で上告が棄却されている。第九次再審請求中の2015年10月4日、病死。一審無罪判決後、二審で逆転死刑判決を受けて最高裁で確定したのは、戦後では奥西だけである。
 しかも2005年4月5日には第七次再審請求で名古屋高裁が再審開始を決定するも、後に異議が通って取り消され、さらに最高裁で一度高裁へ差し戻されるも、結局は請求棄却が確定。死刑囚の再審開始決定が取り消されて確定したのは、1956年8月10日に免田事件の第三次再審請求が決定し、後に取り消されて以来である。死刑確定から亡くなるまでは43年3月(再審開始決定から取り消しまでの死刑執行停止仮処分1年8月を含む)で、尾田信夫死刑囚、大濱松三死刑囚に続く歴代3位。
 ここまで数奇な運命をたどった死刑囚も珍しい(という言い方は失礼だろうが)。八王子医療刑務所に入ってからは、執念といった感じで生き続けていた。本人にとっては無念であっただろう。遺族によって第十次再審請求中が申し立てられたが、2024年1月29日付で棄却が最高裁で確定。しかし最高裁では1人の裁判官が再審開始すべきと反対意見を述べている。裁判官によって判断がここまで揺れているのも、この事件ぐらいだろう。


6.高田和三郎 88歳2月 病死 (逮捕後45年、確定後21年7月)
 友人3人殺人事件で3人を殺害した殺人及び強盗殺人の罪で、1999年2月25日に最高裁で上告が棄却されている。2020年10月17日、病死。逮捕当初は犯行を供述するも、裁判の途中から否認。裁判では、1件目は強盗部分が無罪、2件目は遺体も凶器も見つかってなく無罪、3件目は遺体を運ぶのを手伝っただけ、と主張。さらに、上司が主犯であると訴えた。この上司は一審途中の保釈後に自殺している。三度の再審請求棄却。
 主犯が死亡した別人であり自分は手助けしただけと訴えるのは、浜田武重と同じ。こういうパターンで再審請求をされると、検察や裁判所も完全に否定するのは難しいのかもしれない。それが執行されなかった要因だろうか。


7.高橋和利 87歳5月 病死 (逮捕後33年3月、確定後15年6月)
 鶴見事件で2人を殺害し金を奪った強盗殺人の罪で、2006年3月28日に最高裁で上告が棄却されている。2021年10月8日、病死。逮捕から一審判決まで7年。二審判決までさらに7年という長期裁判。弁護士がかなり細かい点まで矛盾を追及し、無罪判決が出るのではとマスコミが騒ぐも、結局は死刑判決だった。訪れたらすでに死んでいて、金を奪って逃げた、という主張は普通に考えたら信じ難い部分もある。その点と、逮捕当初に殺人を自白したことが、最後まで響いている。
 日弁連が再審請求を支援するようになり、遺族が再審請求を引き継いでいるが、よほどの物証が出ないと再審の決定が出るのは困難だろう。金を奪ったという事実は、それぐらい印象が悪い。


8.富山常喜 86歳4月 病死 (逮捕後39年10月、確定後27年5月)
 波崎事件で1人を殺害した罪で、1976年4月1日に最高裁で上告が棄却されている。2003年9月3日、病死。自白も物証もなく、そもそも事件すら本当にあったのかと思われるレベル。司法解剖では「青酸中毒死の疑いを抱く」程度のものでしかなく、毒物を飲ませるところを見た人もなく、毒物の入手方法も処分方法も不明。この事件についての詳しい資料を読んでいるわけではないのであくまで想像だが、死刑どころか有罪判決でさえ疑わしい。
 第二次再審請求は棄却。第三次再審請求準備中の病死。最後の方は目もほとんど見えなくなり、拘置所内の病棟でベッドに寝たきり状態だったとされる。


9.山野静二郎 85歳5月 大阪拘置所収容中 (逮捕後41年9月、確定後27年2月)
 不動産会社連続殺人事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、1996年10月25日に最高裁で上告が棄却されている。捜査段階で犯行を自供するも、裁判では1人目については口論になって殴りかかってきたのを反撃しただけで殺意を否認、2人目は正当防衛を主張。少なくとも三度の再審請求が確認されている。
 新聞記事を読む限りでは、山野の主張は不自然。動機も機会もあるし、これで再審が認められるとは到底思えないのだが、それでも執行されずここまで来ている。法務省がタイミングを逸したとしか思えない。


10.片岡清 84歳7月 病死 (逮捕後11年2月、確定後4年10月)
 広島・岡山独居老人強盗殺人事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2011年3月24日に最高裁で上告が棄却されている。死刑確定時79歳は、現在でも戦後最高齢。2016年2月14日、病死。一審では1件について強盗致死が適用され無期懲役判決だったが、二審で逆転死刑判決を受けている。一審では74歳という年齢を考えて無理矢理無期懲役に持っていた感がある。
 確定時すでに死刑執行最高齢を超えていたため、執行はほぼ考えられなかったが、それでも再審請求を行っている。やはり死刑は怖かったのだろうか。


11.坂本春野 83歳7月 病死 (逮捕後17年7月、確定後6年2月)
 高知連続保険金殺人事件で2人を殺害した殺人の罪で、2004年11月19日に最高裁で上告が棄却されている。確定時年齢77歳は、当時の戦後最高齢。2011年1月27日、病死。一審の初公判では罪を認めるも、途中から1件について無罪を主張。さらに二審からは2件目も無罪を主張するも、認められず。当時70歳以上で死刑判決を受けた被告はいなかったので、最後まで罪を認めていれば、高齢を理由に無期懲役判決が出ていたかもしれない。


12.大橋健治 83歳0月 大阪拘置所収容中 (逮捕後18年4月、確定後13年11月)
 大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2010年1月29日に最高裁で上告が棄却されている。確定時69歳。再審請求を行ったかどうかは不明だが、裁判では殺意があったかどうかが焦点ということもあり、請求したとしてもほぼ門前払いだろう。上が詰まっていて執行の機会を法務省が逃した感もあるが、既に闘病中の可能性もある。


13.荒井政男 82歳6月 病死 (逮捕後37年8月、確定後18年10月)
 三崎事件で3人を殺害した殺人の罪で、1990年10月16日に最高裁で上告が棄却されている。2009年9月3日、病死。高血圧と糖尿病で歩くこともできず、目も見えなくなったとされる。
 自白のみで物的証拠はほとんどなし。被害者遺族には申し訳ないが、有罪と思わせる印象が弱いというのが本当のところ。再審請求も1991年に提出後、亡くなる2009年まで一審が終わらなかったという引き延ばし作戦にあっている。現在も遺族が再審請求中である。


14.藤井政安 81歳10月 東京拘置所収容中 (逮捕後50年4月、確定後34年2月)
 「殺し屋」連続殺人事件で3人を殺害した殺人の罪で、1989年10月13日に最高裁で上告が棄却されている。旧姓関口。殺害の実行犯のうち2人は一審死刑判決を受けるも、二審で無期懲役に減軽され、確定している。東京高裁の裁判長は、永山則夫に無期懲役判決を言い渡した船田三雄であり、高裁判決でも永山裁判を引き合いに出しながら藤井の死刑判決を維持している。
 他に恐喝や放火などの余罪もある。一部無罪を主張して、再審請求中。執行されないまま、ずるずるここまで来ている。


15.佐藤誠 81歳9月 病死 (逮捕後37年0月、確定後31年2月)
 牟礼事件で1人を殺害した強盗殺人の罪で、1958年8月5日に最高裁で上告が棄却されている。1989年10月27日、病死。自白、物的証拠は無く、「共犯者」の証言により主犯とされた。主犯、共犯の構図が八海事件と似ている。八度の再審請求はすべて棄却。自分は無罪であると、恩赦は一度も出願しなかった。歌人としても有名。
 帝銀事件の陰に隠れた印象はあるが、冤罪の可能性が非常に高い事件。証拠がほとんど無くても一度有罪判決が出てしまうと、ひっくり返すのは非常に難しい。帝銀事件ばかりでなく、こちらの方も検証が必要だろう。


16.大城英明 81歳9月 福岡拘置所収容中 (逮捕後47年6月、確定後26年3月)
 内妻一家4人殺人事件で4人を殺害した殺人の罪で、1997年9月11日に最高裁で上告が棄却されている。旧姓秋好。
 4人のうち3人は内妻が殺害したとして再審請求中。島田荘司が支援をしており、『秋好事件』『死刑囚・秋好英明との書簡集』の著書もある。『秋好事件』を読むと、内妻が関与したかのように見えるが、こればかりは神様でなければ分からない。


17.江東恒 81歳5月 大阪拘置所収容中 (逮捕後26年2月、確定後17年3月)
 堺夫婦殺人事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2006年9月7日に最高裁で上告が棄却されている。共犯3人のうち2人は有期懲役が確定しているが、残り1人(名前不明)は今も逃亡中。
 再審請求中だが、年齢のことも考えるとまず執行されることはないだろう。


18.長谷川静央 81歳4月 東京拘置所収容中 (逮捕後18年4月、確定後15年9月)
 宇都宮実弟殺人事件で1人を殺害した殺人他の罪で、2008年3月19日に上告を取下げ、死刑が確定している。無期懲役の仮出所中の事件であるし、事件自体認めているし、動機は身勝手だし、上告を自ら取下げている。再審請求をしているが、いったい何を訴えているのか不思議なくらい争うところが見当たらない。執行されても何の不思議もないのだが、確定からすでに15年以上が過ぎている。年齢的に執行は難しいだろう。


19.神宮雅晴 80歳11月 大阪拘置所収容中 (逮捕後39年3月、確定後26年0月)
 警察庁広域重要指定115号事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、1997年12月19日に最高裁で上告が棄却されている。事件当時の姓は「廣田」。元京都府警の巡査部長だったが、1978年に同僚の拳銃を盗んで郵便局強盗をし、懲役7年の刑を受け、事件は仮出所の5日後だった。凶器の包丁や拳銃が見つかっておらず、公判では警察のでっち上げであると無罪を主張。逮捕当時の自白、多数の目撃証言や事件現場近くの飲食店などに残された指紋などの間接証拠から有罪とされた。現在の姓は結婚前のもので、元に戻した。
 少なくとも9回の再審請求が行われているとされる。自白を否定するも状況証拠から冤罪はありえないと思われるし、前科や現職警察官殺害という内容の悪さから執行されても何ら問題ないと思われるが、ここまで来ている。


20.北村実雄 79歳11月 広島拘置所収容中 (逮捕後19年2月、確定後12年2月)
 大牟田市4人連続殺害事件で3人を殺害した強盗殺人の罪で、2011年10月17日に最高裁で上告が棄却されている。妻、長男、次男も同時に死刑判決が出ている(長男、次男は4人殺害)。一家4人に死刑判決が出されたのは戦後初めて。確定時67歳。妻と次男は罪を認めるも、本人は単独犯行を当初主張、長男は無罪を主張していたから、妻・次男と本人・長男で公判は分離されていた。
 長男が再審請求を出しているからか、現時点でまだ執行されていない。長男はおそらく再審でも無罪を主張しているのだろう。ただ他の3人が立場はどうであれ認めていることもあり、無罪が認められるとは思えない。再審請求中の執行も増えつつある現状では、執行の候補に上っていたとしてもおかしくはなかっただろうが、すでに秋山元死刑囚の年齢を超えた現状、執行はないだろう。となると、北村実雄死刑囚が生き続ける限り、残り3人の執行は行われない可能性が高い。


21.豊田義己 79歳11月 名古屋拘置所収容中 (逮捕後26年3月、確定後17年9月)
 静岡、愛知2女性殺害事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2006年3月2日に最高裁で上告が棄却されている。裁判では静岡の事件の殺人について無罪を主張している。おそらく再審請求も同様の主張をしている。一時期、向井伸二元死刑囚と養子縁組をした女性と養子縁組をし向井姓となっていたが、後に豊田姓に戻っている。
 静岡の事件は愛知の事件逮捕後に自供したものだが、その後取り調べで暴行を受けて嘘の自供をしたと主張。遺体のほとんどが発見されなかったこともあり、殺害方法の立証が本人の自供頼りだからか、執行されないままここまで来ている。


22.窪田勇次 78歳8月 病死 (逮捕後20年9月、確定後13年9月)
 北見市資産家夫婦殺人事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2009年12月4日に最高裁で上告が棄却されている。事件から約1年後、任意で事情聴取を受けている途中、港に乗用車を転落させ自殺を装い行方をくらます。捜査本部は最新のDNA鑑定で、現場に残されていた血痕と一致したことから逮捕状を請求し、その2か月後に逃亡先の横浜市で逮捕。事項の10か月前だった。初公判では罪を認めるも、途中から否認。現場の血痕は病院で採決されたものを誰かにばらまかれたと訴えたが、退けられた。再審請求中。
 血痕はばらまかれたという主張は荒唐無稽。動機もあるし、偽装自殺による逃亡もある。しかし再審請求が続いていたからか、執行されないまま病死した。


23.袴田巌 78歳0月 釈放中 (逮捕後47年7月、確定後33年3月)
 袴田事件で4人を殺害した強盗殺人の罪で、1980年11月19日に最高裁で上告が棄却されている。捜査段階で犯行を自供するも、裁判では否認。「自白調書」が45通も作られながら、裁判では44通について任意性がないとして証拠採用されず、1通のみ採用されるという不思議な展開があった。物的証拠とされる血の付いたズボンなど5点の衣類が、事件から1年2か月後に発見されるなど、証拠の捏造の可能性も指摘されている。
 死刑存置派でも、この事件についてはほとんどの人が無罪を指摘するだろう、というぐらいおかしな点が多い事件。自白を迫る拷問はさすが静岡県警、と思わせるものがあるぐらい。第一次再審請求では認められる可能性が高いとされながらも、棄却された。だから、2014年3月27日に静岡地裁で再審請求が決定したときは驚いたし、さらに釈放されたというのにはもっと驚いた。裁判所にも見る目がある人がいるものだと思ったものだ。
 78歳という年齢は、釈放時点の年齢。執行停止されているだけで、現状ではまだ「死刑囚」である。2018年6月11日、東京高裁は再審開始決定を取り消すも、死刑と拘置の執行停止は取り消さなかった。再審は許さないが、今更拘置をすると世界中から叩かれるだろうからそれは避けたいという日和見の決定である。2020年12月22日、最高裁は審理を高裁に差し戻した。2023年3月13日、東京高裁は検察側の即時抗告を棄却。物的証拠となった5点の衣類について、捜査側の捏造の可能性も示唆するものであった。検察側は特別抗告を断念し、再審開始が決定した。2024年中には判決が出る予定である。


24.宮崎知子 77歳10月 名古屋拘置所収容中 (逮捕後43年9月、確定後25年3月)
 富山・長野2女性誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定111号事件)で2人を殺害した殺人他の罪で、1998年9月4日に最高裁で上告が棄却されている。初公判から4年半後の公判で検察側が冒頭陳述を変えるなどの波乱の展開を経て、判決では宮崎の単独犯行と認定され、共犯者とされていた愛人男性は無罪となった。二審で宮崎死刑囚は初めて殺人を認めるものの、男性との共謀であると主張。しかし控訴が棄却されて、愛人男性の無罪が確定。最高裁で死刑が確定した。
 事件の内容、そして裁判の経緯についても色々と注目を浴びていたが、他にも遺品の返還問題、事件を取り上げた作家や出版社への民事訴訟などでもマスコミに取り上げられている。愛人男性との共謀であると再審請求を続けているため、執行されないままここまで来ている。


25.秋山芳光 77歳4月 執行 (逮捕後31年3月、確定後19年5月)
 秋山兄弟事件で1人を殺害した強盗殺人の罪で、1987年7月17日に最高裁で上告が棄却されている。他に保険金殺人未遂が1件ある。2006年12月25日執行。77歳の執行は戦後最高齢。確定から19年5ヶ月後の執行も史上最長である。裁判では「共犯」の兄とどちらが主犯かを争った。兄は無期懲役が確定している。
 この年齢で執行されるとは、本人も周囲も想像すらしていなかったに違いない。そういう意味ではインパクトのある執行だった。


26.尾田信夫 77歳3月 福岡拘置所収容中 (逮捕後57年0月、確定後53年1月)
 マルヨ無線強盗殺人放火事件で1人を殺害した強盗殺人の罪で、1970年11月12日に最高裁で上告が棄却されている。強盗は認めているが、控訴審から放火を否認している。
 再審請求でも放火を否認。第七次再審請求中である。事件当時は20歳2か月。死刑確定から50年以上経過。尾田死刑囚の後に死刑が確定した人数は300人以上となる。
 気が遠くなるような年月である。これだけの期間、執行におびえながら生き続けるその執念は、どこから来るのであろうか。この処遇に関しては、世界中の人権団体から非難を浴びても仕方がないと思う。個人的には、恩赦、無期懲役減刑でもいいんじゃないかと思うのだが。


27.坂口弘 77歳1月 東京拘置所収容中 (逮捕後51年10月、確定後30年10月)
 一連の連合赤軍事件で17人を殺害した殺人の罪で、1993年2月19日に最高裁で上告が棄却されている。一部、殺意はなかったと再審請求中である。
 裁判が長期化したこともあってあまり目立たないが、逮捕からはすでに50年以上が経過している。共犯者が超法規的措置で釈放、出国中ということもあり、ほぼ執行はない。その共犯者も、生きているかどうかすら不明な状態である。別事件の仮釈放中に連合赤軍事件を起こしているが、仮釈放にならなければと悔やんだことはあるだろうか。もしくは、出国を拒否しなければよかったと思っているだろうか。


28.筧千佐子 77歳1月 大阪拘置所収容中 (逮捕後9年1月、確定後2年6月)
 青酸連続殺人事件で3人を殺害した殺人の罪で、2021年6月29日に最高裁で上告が棄却されている。無罪を主張し、再審請求中である。
 確定時年齢74歳7月。直接証拠がないこともあり、再審請求をすればまず執行はないだろうと思われる。


29.山崎小太郎 76歳11月 恩赦 (逮捕後22年、確定後18年3月)
 市川博徒仲間殺人事件で1人を殺害した強盗殺人の罪で、1952年3月28日に最高裁で上告が棄却されている。1970年7月17日、個別恩赦で無期懲役に減刑。11か月後に病死している。上記年齢は、恩赦時点での年齢。
 高血圧、重度の糖尿病で執行できなかったと言われている。1968年、野党が再審窓口を広げよと国会に「死刑囚再審法案」を提出した。与党はこれを拒否したが、その見返りとして西郷吉之助法務大臣は「GHQ占領下の死刑確定囚は、積極的に恩謝する」と声明、明治百年記念恩赦を宣言した。そして山本宏子死刑囚に続く第2号として、山崎が選ばれた。寝たきりでいつ死んでもおかしくなかったのに、恩赦が実現したと聞いていつか娑婆に出ると生きる気力を取り戻したという話があるが、本当だろうか。


30.岩森稔 76歳7月 病死 (逮捕後14年9月、確定後9年9月)
 本庄夫婦殺害事件で2人を殺害した強盗殺人の罪で、2012年3月2日に最高裁で上告が棄却されている。一審では緻密さや周到さに欠けていたとして、計画的な強盗殺人を否定して判決は無期懲役。ところが二審では、計画性を認めて死刑判決となった。
 一審では初公判、結審時に極刑を望むと発言しながら、確定後は再審請求をしている。再審請求のおかげか、上が詰まっているからか、執行されないまま逃げ切った。


31.中原澄男 76歳6月 福岡拘置所収容中 (逮捕後23年5月、確定後16年6月)
 太州会内部抗争連続殺人事件で2人を殺害した殺人の罪で、2007年6月12日に最高裁で上告が棄却されている。殺害の指示はしていないと無罪を主張。確定後の2009年二再審請求を行っている。
 現在はどうなっているのかわからないが、再審請求のおかげか、執行はされていない。


32.外尾計夫 76歳5月 福岡拘置所収容中 (逮捕後24年4月、確定後15年11月)
 父子連続保険金殺人事件で2人を殺害した殺人の罪で、2008年1月31日に最高裁で上告が棄却されている。共犯者は二審で無期懲役に減軽。共犯と比べて量刑が重いと最高裁では訴えた。
 再審請求を行ったという情報は今のところ出ていない。犯行そのものは認めているし、なぜ執行されずにいるのか不思議である。






 なお、執行だけに限ると、以下となる(70歳以上)。
  1. 秋山芳光 77歳4月
  2. 鎌田安利 75歳8月
  3. 藤波芳夫 75歳7月
  4. 池本 登 74歳11月
  5. 熊谷徳久 73歳4月
  6. 山崎義雄 73歳0月
  7. 古谷惣吉 71歳3月
  8. 久間三千年 70歳9月
  9. 出口秀夫 70歳7月
  10. 田中重穂 70歳3月


【参考文献】
村野薫『戦後死刑囚列伝』(洋泉社)
HP【折原臨也リサーチエージェンシー】
その他、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、東京新聞、北海道新聞、中日新聞、西日本新聞の記事他から多くを参考にした。



けい様、情報ありがとうございました。
(2018年5月7日記)
(2019年1月1日 年齢更新)
(2020年6月14日 年齢更新)
(2020年10月17日 獄死者が出たので更新)
(2021年10月8日 獄死者が出たので更新、逮捕後・確定後期間記載)
(2021年12月12日 獄死者が出たので更新)



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