山川健一『安息の地』(幻冬舎)




 何故、両親は23歳の息子を殺さなければならなかったのか。どこにでもある高校教師一家に芽生えた小さな憎悪は、やがて世間を揺るがす惨劇となって結実する。平凡な幸福を願いし者の失意と再生。血を分かちし者の天国と地獄。圧倒的心理描写で神なき現代に挑む長編ノンフィクション・ノヴェル727枚。(帯より引用)
 1994年9月、幻冬舎より書き下ろし刊行。

【目次】
 一章 誕生
 二章 覚醒
 三章 犠牲
 四章 腐食
 五章 犯行
 六章 結末


 1992年6月4日、埼玉県浦和市の高校教師の夫(54)と妻(49)が、息子(23)の家庭内暴力に困り果てた上、自室で寝ていた息子を出刃包丁などで約10回刺すなどして殺害した。息子は4日午前8時前、アルバイト先から帰宅。ビールを飲んで暴れ出したため、妻が近くの実家に避難。電話で高校にいた夫を呼び出した。二人は連れたって帰宅したが、家庭が滅茶苦茶になると、夫が息子を刺し、妻が抵抗する息子の頭をモデルガンで殴った。
 二人はその後、自宅から110番通報。駆けつけた浦和署員が現行犯で逮捕した。
 息子は県立高校を中退した後、大学入学資格検定に合格して都内の私立大学に進んだが、中退。その後、アルバイトをしていたが、女性との交際がうまくいかないことから1991年の夏頃から酒を飲むと暴れ出すようになった。夫と妻は粗暴な言動に戸惑いながら、自立させようとしたが、家庭内暴力はひどくなるばかりで「万策尽きた」と殺害を決意したものだった。
 父親はまじめな高校教師で信望も厚く、教え子を中心に85000通近くの減刑嘆願書が浦和地裁に提出された。
 1993年3月4日、浦和地裁は「長男の甘えが事件の第一の要因だった」と弁護側主張を全面的に認め、夫に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役7年)、妻に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役6年)の有罪判決を言い渡した。事件後、すぐに自首しており、社会的制裁も受けていることや、残された二人の子供への責務が残っていることを指摘し、「もはや実刑をもって臨むことを考慮する余地はなく、社会生活の中で長男のめい福を祈りつつ余生を誠実に歩むことが最良」と、弁護側の主張を全面的に認めた。
 量刑不当と検察側は控訴した。1994年2月2日、東京高裁は夫の一審判決を破棄、懲役4年の実刑判決を言い渡した。妻については検察側の控訴を棄却した。判決で裁判長は「長男の精神的な症状は、一審判決の言うように回復不可能な状態ではなく、治ったり軽くなる可能性が十分あった。親としてもっと忍耐強く、対話・交流を試みるべきだった」と指摘した。また「長男の家庭内暴力に対し、尽くすべき手立ては残されており、殺すまでのことはなかった。また、犯行の責任の大半は夫が負うべきだ」と述べた。
 検察側、被告側は上告せず、確定した。

 本書は1992年6月4日に発生した、浦和市の高校教諭による息子殺人事件を題材としたノンフィクション・ノベルである。小説家である山川健一の転機となった作品らしいが、著書の作品を他に読んだことがないので、その辺についてはよく分からない。
 帯のあらすじにもあるとおり、「何故、両親は23歳の息子を殺さなければならなかったのか」という疑問点に対し、殺された息子の高校生の頃からを克明に記すことで、真相の一端に迫ろうとした作品である。特に息子と父親、母親の内面を中心に描き、さらに周囲の人物の内面も描くことで彼らの対立を浮かび上がらせていく手法は、物語に深みを与えるとともに、事件の真相がより根深いところにあることを浮かび上がらせる。
 ただ、それでもこの事件の場合、親が過度の期待をしていたとはいえ、息子が己に才能があると思い込んで甘えてしまった結果にしか見えない。実際のところ、殺された息子にロックの才能があったかどうかは全く分からない。ロック・ヴォーカリストとして同じロックにたずさわった山川健一であったが、実際の作品は多分聞いたことがないのだろう。周囲の人物たちの証言だけでは、そこに迫ることができなかったと思われる。もし彼が実際に音楽を聴いていたら、この作品により一層の深みを与えることができたに違いない。
 この作品では裁判については一章分しか取り上げていない。この事件が世間に与えた衝撃というのは相当に大きかったと思われるが、そこについて触れないのは、あくまでこの作品は家庭内の天国と地獄を描きたかったからに違いない。
 とはいえ、この事件の裁判後は非常に興味深い。一審判決までに集まった減刑嘆願署名は85,000人。しかし一審で両親に執行猶予判決が出ると、今度は「家庭内暴力をふるう子殺しは正当化されるのか」という議論が巻き起こった。世間というものは非常に勝手である。
 暴力の痛みは、暴力を受けた者しか分からない。家庭内が暴力によって崩壊していたとしても、周囲で簡単に「説得を続けるべき」などと言えることの方が不思議だ。人殺しを簡単に肯定するわけではないが、どうすればよかったという疑問に簡単に答えられる人物がいる方が不思議だ。そういう人物こそ、立場を入れ替わって、自分が同じ経験に遭うべきだと考える。

 山川健一は1953年千葉市生まれ。早稲田大学商学部卒。1977年、『鏡の中のガラスの船』で群像新人賞優秀作受賞。ロック・ヴォーカリストとして7枚のCDも発表している。(執筆当時のプロフィール)

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