中村光至 『殉職 外山警部補殺害事件』




 1967年1月5日午後11時10分頃鹿児島県川内市隈之城のたんぼで、ひったくり犯人を追跡中の川内署外勤係外山輝宣巡査(19)は、犯人から刃物で胸、頭、左モモなどをめった突きにされ、6日午前2時25分頃死んだ。
 外山巡査は、隣接の阿久根市内で発生したひったくり事件捜査のため緊急配備につき、川内市太平橋派出所前国道で検問中、鹿児島方面へ向かう乗用車が猛スピードで検問を突破したため同署パトカー(松元節二巡査運転)に同乗、約4キロ離れた同市隈之城町の国道三号線で追いついた。犯人は車を捨てて、国道から約30メートル離れたたんぼに逃げた。外山巡査は追跡、格闘中に刃物で刺されたもの。
 川内署の調べでは、同巡査は短銃を持っていなかった。現場のたんぼは踏み荒らされ、激しい格闘の跡を物語っていた。この間パトカーの松元巡査は本署と無線連絡中で現場に駆けつけたときは、すでに犯人は逃走したあとだった。
 ひったくり事件は同日午後十時三十五分頃、阿久根市牛之浜の道路上で、帰宅途中の阿久根市大川、朝日生命外交員久松千代さん(36)が保険証書と現金2300円入りのハンドバックをひったくられたもの。
 犯人が乗り捨てた車は4日夜から5日朝にかけ川内市西向田町で盗まれた車である。

 本書は1968年、『墨の儀式』(講談社)として発行されたノンフィクションの文庫化として、1987年1月、ケイブンシャ文庫から出版された。文庫化に当たっては、大幅に加筆したとあとがきで書かれている。
 事件そのものについては、上記の文で一目瞭然だろう。上記は作品の冒頭に載せられている、西日本新聞1967年1月6日付朝刊の記事をそのまま転記したものである。
 付け加えるなら、警察による必死の捜査の結果、2月22日に24歳の男性が逮捕された。殺人他の罪で起訴された彼は、12月5日に鹿児島地裁で懲役15年の刑を言い渡され、控訴せずそのまま服役した。

 本書について作者は、「外山警部補(殉職後二階級特進)殺害事件にまつわる記録」と書いている。福岡県警察本部に勤めている作者からしたら、本書はあくまで記録だったのだろう。しかし、実際に本書で書かれているのは小説と変わらない。事件から解決まで、警察の、そして刑事たちの動きが克明に記載されている。刑事同士の会話。聞き込みや事情聴取。会話の中からあふれ出てくる感情。そして事件が起きた現場、さらに川内市の描写など、いずれもが小説と呼ぶにふさわしい内容である。実際に起きた事件を記録していくのだからノンフィクションであることに間違いないだろうが、刑事同士の会話が全て事実であったとは思えない。また、小説的な味付けをしたルポルタージュとも異なる。本書はただの記録ではない。仲間を殺害された刑事たちの想いがここにはある。
 あくまでノンフィクションとは書かれているが、分類するならやはりノンフィクション・ノベルである。本書は、昭和50年代にジャンルとして確立されたノンフィクション・ノベル史の前史に位置する作品なのである。
 そしてまた、生きた警察捜査・組織について書かれた本書は、日本における警察小説の祖といってもいいだろう。

 中村光至は1932年熊本県生まれ。大東文化大学日本文学科卒。高校教師や大学事務職員などをへて、1950年頃から福岡県警察本部に勤務して機関誌や県警職員雑誌「暁鐘」の編集に従う。その後は警察本部教養科調査官として永年活躍する。
 1948年「九州文学」に処女作「米五勺」を発表。1960年、「白い紐」でオール読物新人賞受賞。1965年、長編『氷の庭』で直木賞候補となる。1988年3月、福岡県警退職。1993年、福岡市文化賞を受賞。1983年、『捜査』を18年ぶりに書き下ろし、その後はノンフィクション・ノベル、アクション小説などを執筆。1998年11月3日没。脳内出血のため死去。76歳。



【参考資料】
 中村光至『殉職 外山警部補殺害事件』(ケイブンシャ文庫)
 権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー辞典』(新潮社)


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