新堂冬樹『銀行籠城』(幻冬舎文庫)




 うだるような猛暑の七月十五日午後三時、あさがお銀行中野支店で惨劇は起こった。閉店寸前の行内に押し入った男が、男性客と案内係を次々に射殺。人質にとった行員と客を全裸にし籠城した。何ら具体的な要求をせず、阿鼻叫喚の行内で残虐な行為を繰り返す男。その真の目的とは何なのか?現代社会の歪みを描ききったクライムノベルの最高傑作。(粗筋紹介より引用)
 『ポンツーン』連載に加筆修正、2004年3月に幻冬舎から単行本刊行。2007年3月、文庫化。

 作者は1966年生まれ。金融会社勤務を経て、現在は都内各所でコンサルタント業を営む。第7回メフィスト賞受賞作『血塗られた神話』でデビュー。


 「銀行籠城」といえば、すぐに思いつくのは「三菱銀行猟銃立てこもり事件」。犯人の梅川昭美は、今も犯罪史に名を残す存在だ。この小説でも、梅川の名前が出てくる。いや、梅川の事件を元に計画を立てている。
 「三菱銀行猟銃立てこもり事件」は1979年1月26日に発生。梅川が猟銃を取り出して金を要求するも、行員が警察に電話通報しようとしていたため射殺。さらにカウンター内でしゃがみ込んでいた行員男性(26)にも散弾を発砲。約8ヶ月の重傷を負わせた。梅川は支店課長代理から現金283万3000円をリュック作に詰め込めさせ、さらにカウンター上の現金12万円を強奪。しかし銀行に警邏中の警官が銀行に駆けつけてきた。警官は威嚇射撃をすると、梅川は容赦なく猟銃で警部補(52)を射殺。さらにパトカーで駆けつけてきた二人の警官にも発砲。巡査(29)は死亡、警部補(37)は防弾チョッキで命拾いをし、逃げ出した。
 その後も続々とパトカーが到着。梅川は支店長ら行員31人と客9人を人質として立て籠もった。立て籠もり中、すぐに金を払わなかったと支店長(47)を射殺している。支店の建物は武装警官隊や報道陣によって包囲され、推移はテレビで現場中継された。大金庫の前に陣取った梅川は、行員たちを出入口などに並ばせ、人間バリケードを築いて狙撃を警戒。さらに「ソドムの市を味あわせてやる」と女子行員20名中19名を全裸にして扇形に並べ、警察側の動きがある度に自分は要の位置に移動し、楯代わりに使った。途中、態度が悪いと難癖を付けて男性行員(47)に発砲し、全治6ヶ月の重傷を追わせている。また威嚇射撃中、散弾の一部が男性行員(54)及び男性客(57)に軽傷を負わせた。さらに重傷で呻いている男性行員がうるさいと、そばに立っていた行員にナイフを渡し、耳を切り取れと命令。さらに別の行員には501万円を用意させ、自分の借金を払いに行かせた。
 27日、食事などの差し入れと交換に、4名の死者、重傷者、客を次々と解放。警察は徹夜で電話交渉を続けた。
 28日午前8時。説得は不可能、人質の体力が限界に来ていると判断した大阪府警は、7名の狙撃班に突入命令を出した。7名は死角の位置から拳銃を発射、3発が梅川に命中した。人質は無事に解放されたが、梅川は運ばれた病院で死亡した。
 梅川は強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷、建造物侵入、公務執行妨害、傷害、逮捕監禁、威力業務妨害、窃盗、銃刀法違反、火薬取締法違反の容疑で大阪地方検察庁に送られた。大阪地検は窃盗と傷害を除く9つの罪を認定。1979年5月4日、犯人の梅川昭美に対して大阪地検は被疑者死亡による不起訴処分を決定。同時に梅川を射殺した大阪府警機動隊員7人を職務上の正当行為を理由に不起訴処分とした。
 梅川は1963年12月16日、結婚したばかりの人妻女性(23)を殺害。現金19604円や株券、通帳などが入った金庫を奪った。当時15歳だった梅川は、中等少年院に送致された。

 梅川は銀行強盗をしたはいいが、警察が駆けつけてきたので結果的に籠城する形となっている。はっきり言えば行き当たりばったりだ。本作の主人公であり、犯人でもある五十嵐は、綿密な計画を立てる。それは初めから籠城することが目的であった。金を要求するわけでもなく、政治的目的もない。しかし愉快犯でもない。自ら名前を明かし、顔をテレビにさらけ出す。プロである警察側も、今までの立てこもり犯とは異なる姿に翻弄されるばかり。
 五十嵐は銀行の中で籠城し、人質たちを一人だけ除いて裸にし、名前を胸にマジックで書かせ、見張りに立たせ、バリケードとする。行員の人間関係の裏側が浮き彫りになり、鬱屈した気持ちが表に出る。自らの生のため、愛する者のため、様々な人間模様が浮かび上がる。そんな局限化でのドラマを冷酷に楽しむ五十嵐。
 一方警察側でも、SITやSATといった組織の対立、キャリアとノンキャリアの醜い争いなどが繰り広げられる。
 死の恐怖の中で生き残るために犯人の言いなりになる者、抵抗する者、刃向かう者、殺される者。籠城下の銀行でも、一人一人のドラマが繰り広げられる。そして最後に五十嵐は、ある人物との面会を求める。それは、既に別の男性と結婚していた自分の母親であった。

 犯人側と警察側の視点が速いテンポで切り替わるのだが、それが逆に、人間ドラマを薄っぺらいものにしている。本来ならそれぞれの心情を深く書くべきではなかったか。五十嵐の行動を別にすると、そこで描かれるドラマはあまりにも定型的である(書かれている内容はえげつないが)。特に警察側の主導権争いなんて、必要なかっただろう。 更に最後が問題。五十嵐の動機があまりにも馬鹿馬鹿しすぎる。これだけのために、こんなことをしでかしたのか。残された者の苦しみ、苦悩という者は、五十嵐自らが一番知っているのではないか。壊れている人間が、いきなり子供に戻る瞬間。そこにあるのは、ただのエゴイズムでしかない。それも安っぽい。

 梅川事件を下敷きに、最初から逃げることを考えない籠城犯という設定は悪くなかった。だったらもう少し、その点に絞ったドラマを描いてほしかったと思う。いずれにせよ、この作品の終わりのがっかり感は大きい。籠城の緊迫したドラマを読みたいのであれば、梅川事件のノンフィクションを読んだ方がいい。


【参考資料】
 新堂冬樹『銀行籠城』(幻冬舎文庫)

【「事実は小説の元なり」に戻る】