中薗英助『拉致―小説・金大中事件の全貌』(カッパ・ノベルス)




 韓国の大統領候補が、都心のホテルから何者かによって白昼公然と連行されたのは、一九七三年八月のことである。爾後、政治決着を持って事件には一応の終止符が打たれ、獄にあった金大中氏も釈放された……。
 が、事件にはまだ未解明の部分も多い。また、その背後には身を挺して氏を守ろうとした五人の男たちがいたことも知られてはいない。金大中事件は、この男たち(ボディ・ガード)と国家機関(KCIA)との虚々実々の戦いのドラマでもあった!
 わが国スパイ小説の記念碑的名作『密書』の著者が、幾多の証言と膨大な資料を駆使して、一大政治犯罪事件の俯瞰図を描く!(粗筋紹介より引用)
 1983年4月、カッパ・ノベルスより刊行。

 1973年8月8日に東京で起きた金大中事件(金大中氏拉致事件)の全貌を書いたノンフィクション・ノベル。事件の全容は下記である。

 韓国の有力政治家で大統領候補でもあった金大中氏は、1973年8月8日、東京飯田橋のホテルで会談後、廊下を出たところで屈強な男たちに拉致され、近くの部屋に連れ込まれた。そこで睡眠薬をかがせられ、地下駐車場に乗せられた。車は大津インター近くのアジトに入り、その後車で海岸に連れられ、モーターボートで1時間後、大きな船(後に韓国船と判明)に移される。9日の午前、船室で寝入っていた金氏は体をロープ、包帯等でグルグル巻きにされ、右腕、左手首に40kgぐらいのおもりをつけられる。このとき、飛行機が飛んできて照明弾を落とした。船は約30分間全速で航行するが、その後巡航速度に戻る。しばらくして金氏の元に一人の男がやってきて「助かりましたよ」と囁いた。
 後に事件は、韓国中央情報部により実行されたことが判明。飛行機は、アメリカの要請により日本国が飛ばしたものであった。

 当時の朴正煕大統領がライバルでもある金大中を抹殺しようとした意を韓国中央情報部(KCIA)が汲み取り、実行した拉致事件。その前の大統領選直後には、KCIAによって大型トラックが金大中の車に突っ込み3人が死亡し、金大中は腰と股関節の障害を負った事件も起きている。
 他国である日本で、国の命を受けた組織が堂々と拉致事件を起こしたものであり、日本政府や世論の衝撃は大きかったと思われる(さすがに当時のことは全く知らない)。それが有耶無耶のまま終わってしまったのは、当時の利権に絡む日韓ラインの強固さを物語るものであったのだろう。

 本書は金大中事件の計画から実行に至るまでの細かい経緯、そして実際の犯行から釈放、そして事件後までを取材に基づき、詳細に書いた作品である。当時の金大中を取り巻く状況、韓国側の事情、そして日本におけるKCIAの活動状況や結びつき、さらにはCIAや在日韓国朝鮮人ヤクザなどの利害関係が緻密に書かれている。さすがは日本スパイ小説の礎とも言える中薗英助ならではである。
 これだけのことが平然と日本で行われていたことに驚くのだが、金さえ絡めば何でもありな当時の自民党政権や、スパイ天国と呼ばれるほど防諜活動に無知な日本ならではの事件であったのかも知れない。
 それにしても当時この本を読んだ時、金大中が韓国大統領になるとは夢にも思わなかった。ましてや、ノーベル平和賞を受賞するとは。

 なおこの事件、日本政府は主権侵害に対する韓国政府の謝罪と、日本捜査当局による調査を要求していたが、11月に金鍾泌首相が来日して政治決着を図り、有耶無耶のまま終わっている。韓国政府もKCIAの関与を全面否定し、捜査を打ち切った。なお当時の田中角栄首相は朴正煕大統領側から4億円を受け取っていたとされる。
 2006年7月、韓国政府はKCIAによる組織的犯行であったことを初めて認めた。そして10月に報告書を発表している。

 本作品、阪本順治監督によって2002年に『KT』というタイトルで映画化されている。


【参考資料】
 中薗英助『拉致―小説・金大中事件の全貌』(カッパ・ノベルス)

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