戸梶圭太『the TWELVE FORCES 海と大地をてなずけた偉大なる俺たちの優雅な暮らしぶりに嫉妬しろ!』(角川書店)

 200X年、地球の温暖化はついに危機的状況を迎えていた。二酸化炭素を減らすため、ある古文書からオルキーディアという物質の存在を知った大富豪ランドルフは、専門家を集め調査を開始させる。ジャングルの中から発見されたオルキーディア。この物質の正体は何なのか。ジャングルの中に研究機関が設けられ、様々な分野のスペシャリストが集められる。化学者、科学者、傭兵、冒険家、カメラマン……。そしてついにこの物質が動き出すキーワードが発見される。特殊な波動、コカイン、そして前衛音楽であった。地球を救うため、オルキーディアを発動させるため、12人の力が今結集される。

 『溺れる魚』(新潮文庫)の映画化で載っている戸梶圭太の最新作は、何でもありハチャメチャB級娯楽SF小説。現代の作家でこの人ほどB級の似合う作家はいないだろう。
 先にも書いたが、とにかく何でもあり。不都合が生じる部分は強引にねじ伏せ、時には勝手な発明品を作り上げ、物語は着々と進んでゆく。面白いと思う要素は無理にでも話に取り入れる。地球温暖化などの硬い話題から、無修正インターネット画像、現実事件をモデル化した配信アダルトゲームなど、硬軟織り交ぜ、やりたい放題。ハイテク最前線から滅びつつある少数民族までジャンルなどお構いなし。真偽などはどうでもよく、とにかく話につじつまを合わせ、娯楽に昇華させる。その腕には脱帽。風呂敷を広げるだけ広げ、全くまとめようとしない終わり方も、慣れてしまえば全く気にならない。
 「バカミス」などと己の作品を卑下している作家たちよ。この馬鹿馬鹿しさを見よ。これだけのおおぼらが吹けるか! 大風呂敷を広げることが出来るか!




辻真先『悪魔は天使である』(東京創元社)

 戦前探偵小説界の巨匠・天城俊策の幻の作品がある。そう聞いた編集者は生き残っている孫の小夜子の所へ訪れる。そして物語は昭和18年にさかのぼる。
 太平洋大戦の劣勢が次第に深まりつつある頃、天城俊策は従軍記者になることを拒んだために執筆の機会を全て失った。俊策は食い繋ぐために嫁の明子、孫の佳樹と小夜子を連れて名古屋へ転居する。佳樹はその地で旧友・五百村と再会、また小夜子も隣家の娘・瑠璃子と仲良くなり、彼らは不穏な空気の中でも穏やかな日々を過ごしていた。しかし、俊策が反軍部、反政府の知人の選挙応援に関わったことから一家の周囲には不穏な空気が立ちこめるようになった。嫌がらせ、脅迫、あげくに暴行が彼らを襲う。そしてついに死体が。戦争で隻腕になっていた青年刑事・五百村は上司の妨害にもめげず、謎に立ち向かうことを決意する。
 これは本格ミステリである。謎そのものは単純であり、「犯人」や「動機」「トリック」は多分容易にわかるであろう。しかし、必ずしも「本格ミステリ」=「複雑な謎を解くミステリ」であるとは限らない。イコールである場合もあるが、ノットイコールである場合があることを忘れてはいけない。その点を忘れると、この小説の面白さが見えなくなってくる。「本格ミステリ」では謎が論理的に解かれなければならないが、必ずしも難易度を争うものではないのである。

 名古屋という舞台、戦争という状況下。そして戦争下であるからこその謎と解決。そこから生まれる感動。それがこの「本格ミステリ」の面白さである。
 淡々とした文章で書かれるからこそ、より真に迫ってくる戦争というものの恐怖。その中で天皇や軍隊という絶対的存在、実はまがい物を信じ、必死に生きる一般市民。逆に時代を利用して利益をむさぼりまくる軍人、政治家、御用商人。そんな状況下を嘆く刑事たち。真実をねじ曲げ、嘘と地獄を美談に書き換える時代。そんな時代だからこそ鮮やかに浮かび上がる事件であり、哀しい事件なのである。辻真先でしか書くことの出来ない「本格ミステリ」である。
 時代の悪・背後・背景などを書き込み、ミステリに仕立て上げ、読者に返球する“鏡”のようなミステリが「社会派ミステリ」であるならば、これは戦時下の「社会派ミステリ」といってもよいかも知れない。必ずしも「社会派ミステリ」が「現代」という時間軸である必要はないはずだ。
 この作品が傑作かと聞かれると答えることは出来ない。しかし、「読まれ、語り継がれるべき本格ミステリ」であると答えることは出来る。我々が忘れたり、隠したり、ねじ曲げたりしてはいけない時代を背景にした本格ミステリの最高作品の一つである。これはそんな小説である。
 なお、最後の“蛇足”というべき辻真先の「名古屋論」であるが、これは傑作。ミステリとは全く関係がないのだが、作品とはまた別の輝きを放っている。抜粋ながらも、キャラクター別にまとめられた作品リストも嬉しい。いずれにしても、買って損のない作品である。




氷川透『最後から二番目の真実』(講談社ノベルス)

 作家希望の氷川透は、東大時代の先輩で、名門女子大学文学部哲学科講師である住吉に依頼され、大学に来ることになった。それは、法月倫太郎の「初期クイーン論」や笠井潔の『探偵小説論』に刺激を受けた住吉が、ミステリにおけるゲーデル問題について氷川のご高説を聞かせてほしいということであった。ところがそこへ女子大生三人が乱入。住吉は女子大生の一人に二人で話をしたいと誘われ、ゼミ室に行くが、途中で呼び止められたため、女子大生一人だけがゼミ室に入る。ところがそのゼミ室から学生は消え、代わりに警備員の死体があった。しかもその女子大生は屋上から逆さ吊りになっていた。建物出入り口はビデオに撮られており、大学内の全てのドアは開閉記録が保存される仕掛けになっている。犯行すら不可能と思われる状況で、いかにして犯人と被害者は厳重な管理体制の裏をかいたのか。氷川と女子大生が推理合戦を繰り広げる。

 設定だけ見ると面白そうなのだが、最初からよけいな描写が多くうんざり。例えば19P。たかが外来者ノートに記帳するのに、過去に大学に訪れたときの経験とか「お嬢様大学」であるCIとか虚偽申告とか外商部員も書いたんだろうなどという思考が、小説のどこに必要があるのだ? この後もくだらない思考がえんえん続く。ノートに名前を書くという行為に1ページ丸々使っているわけだ。こういうのをページの無駄という。謎解きにまったく関係のないことは明らかだし、なぜこんな事を書かなければならない。こんな事を喜んで書いているようでは、まだまだ未熟である。
 その後のゲーデル理論や後期クイーン問題などに関しても、本来なら面白く書かれるべきものであるはずなのに、氷川のよけいな思考が災いして、退屈で不愉快な問答に終わっている。このミステリの主眼の一つなのだから、もっとスマートにまとめるべきであった。語りたいことが多いのであろうが、これは新本格作家共通の悪い癖。それをどこまで抑制でき、読者にそっぽ向かれることなく読ませるかがテクニックである。この点に関しても作者はまだまだ甘い。
 ただ、事件が起きてからの展開はスムーズである。回りくどい描写・思考が推理に取って代わるので、読んでいて退屈しない。事件そのものも魅力的であり、不可能設定の作り方もなかなかうまくできている。やや冗長だが、論理の展開も悪くはない。真相に「大きな穴」があるが、目を瞑る気になれば瞑れるであろう。
 結局、前半のくどさ、退屈さがこの作品の謎・推理の魅力を半減している。勿体ないと言えば勿体ない。
 最後に苦言を一つ。氷川透に限ったことではないが、「本格ミステリファン」のみを対象にしたミステリが多い。マニアならではの約束事・用語が考えなしにポンポン出てきている。乱歩、正史、高木から泡坂、島荘に至るまで、誰もが「一般読者の目」を意識して本格ミステリを書いていたことを、もう一度考え直すべき、最近の新本格作家は。読者限定のミステリでも構わないが、もっと一般の読者を対象にし、本格の面白さを伝える努力をしてみてもよいのではないだろうか。




カービン銃ギャング事件主犯 元死刑囚K・O『実録・大物死刑囚たち さらばわが友』(徳間書店)

 前者は大物死刑囚たちの思い出を書いたもの。いっしょに拘置所にいただけあって、普通のライターから比べると真実度が全然違うね。もっとも、何が真実かは誰にもわからないのだけれども。




柄刀一『殺意は砂糖の右側に』(祥伝社 ノン・ノベル)

 祖父と二人で小笠原諸島の小島で生活をしていた天地龍之介。知識はきわめて豊富、IQは190だが、生活能力はまるでゼロ。祖父が亡くなり、約束していた祖父の旧友のところへ行くはずだったが、当の相手は8年も前に職場を退職していて、今はフィリピンにいるという。仕方がないので従兄弟の光章が世話をすることになった。もうすぐ恋人かもという一美の存在がいるのに龍之介は邪魔な存在。早く旧友とやらを見つけださないと……。金策にかけずりまわると、なぜか事件に巻き込まれ、知識だけは豊富な龍之介が謎を解いていく連作短編集。
「エデンは月の裏側に」「殺意は砂糖の右側に」「凶器は死角の奥底に」「銀河はコップの内側に」「夕日はマラッカの海原に」「ダイヤモンドは永遠に」「あかずの扉は潮風に」の7編を収録。

 雑誌連載でページ数が限られているせいか、いつもの冗長な文章が影を潜め、とても読みやすい。ところがその分、内容まで軽くなっているのはちょっと問題。赤川次郎あたりはいくらユーモアがあっても密度は濃いものなあ。まだそこまで求めるのは無理な話か。
 理化学トリック、いかにも萌え萌え設定キャラクター、ライトすぎる文章、次作へのわざとらしい引き。今時の小説家がよく書きそうな連作短編集。型にはまりすぎ。書き下ろし長編では羽目を外しすぎるぐらい外すくせに、なぜこのようなプロトタイプ的短編を書くのだろう。もう少しブレンドするコツを覚えた方がよさそう。
 手軽に読む分には面白いかもしれません。まだこのシリーズは続くようなので、どこまで書き手が成長するかが鍵。




七北数人編『猟奇文学館3 人肉嗜食』(ちくま文庫)

 なぜ人の肉を食ってはいけないのだ!?人肉のうまさに取り憑かれてしまった人間たちの狂気と悦楽。そして、わが肉を捧げる愛。高橋克彦、夢枕獏、筒井康隆、宇能鴻一郎、山田正紀ら現代作家から、村山槐多、中島敦まで、カニバリズム傑作小説11篇を厳選。人肉嗜食魔たちが味わった天国の至福と地獄の業苦をとくと御賞味あれ。(粗筋紹介より引用)
 村山槐多「悪魔の舌」、中島敦「狐憑」、生島治郎「香肉(シャンロウ)」、小松左京「秘密(タプ)」、杉本苑子「夜叉神堂の男」、高橋克彦「子をとろ子とろ」、夢枕獏「ことろの首」、牧逸馬「肉屋に化けた人鬼」、筒井康隆「血と肉の愛情」、山田正紀「薫煙肉(ハム)のなかの鉄」、宇能鴻一郎「姫君を喰う話」を収録。

 感想はいずれ別コーナーにて。とにかくお薦めなんだって、このシリーズ。




結城惺『MIND SCREEN5』(新書館 ウィングス文庫)

 サイオンの出発点となったライブハウス「モノクローム」閉店の知らせが俊一や友藤の処に届いた。ショックを受けた俊一だったが、久しぶりに「モノクローム」でライブをやりたいと言い出した。そしてサイオンのメンバーは函館へ向かった。「モノクローム」最後のライブをやるために、懐かしい友人たちだけを呼んで。勿論客席には、久志も香奈里もいた。「あの空を忘れない」。
 孝充は、自分をサイオンのボーカルとして最初に迎えてくれた俊一のことが好きだった。俊一のためだけに孝充は歌う。俊一のためなら、どんなことでもできると思っていた。ある日、昔のバンドメンバーでADをやっている嶋田から、プロデューサーである飯坂肇が孝充に興味を持ち、一緒にバンドをやりたいと伝えられた。サイオンが好きな孝充はその話を断る。ある日、孝充は俊一と一緒に酒を飲み、思わず口づけをして告白してしまった。久志がいるため、孝充の思いを拒否する俊一。そして孝充は飯坂の申し出を受け入れてしまう。「加速された景色」。
 1996〜1997年、「小説WINGS」に掲載された作品を加筆及び改稿。

 まさか1年3ヶ月ぶりに新刊が出ているとは、夢にも思わなかった。新刊チェックがまだまだ甘いと痛感する。当然すぐに読了。
 『リセット』あたりを読むより、こういう本を読んだ方がピュアなラブストーリーだと感じる。そりゃ、ボーイズラブ系だけどさ。
 男性が書く恋愛小説(漫画でもそうだけど)って、なんとなく女性を美化している部分があるんだよね。そこが嫌(そのあたり、H系出身の漫画家の方がストレートに女性を描いている)。逆に女性が書く男性像は、美化していると分かり切っていても全然嫌みじゃない。それは、自分が男性だからだろうか。ボーイズラブ系の漫画や小説のイラストを見て、こんな綺麗な裸をした男なんていないよ、なんて思ってしまいながらものめりこんでしまう。うーん、怖い。もちろん、絵の好みにもよりますが。
 一度、美少年同士のHビデオを見たことがありますが(そんなのを買う友人がいたんです)、あれはさすがに気持ち悪かった。美少女同士(これも買う友人がいたんです)でも面白くないですね。やっぱり実物はそんなに美しくないって事か。




牧野修『偏執の芳香』(アスペクト)

 十七年前、パリで猟奇的な連続殺人事件が発生した。その残虐な手口から「パリの切り裂きジャック」と恐れられた犯人は、実は日本人だった―。ノンフィクションライターの八辻由紀子は、犯人が殺人を告白した限定本『レビアタンの顎』を手に入れた。彼は人並み外れた嗅覚を持ち、「血の芳香」に魅せられて殺人を繰り返していたのだという。この本を手にした時から、由紀子の周りでは不可解な出来事が続発するようになっていくが―。読者の五感を激しく揺さぶる、超感覚ホラー小説。(粗筋紹介より引用)

 匂い(香り)と世紀末思想および我哉神思想を絡めたホラーサスペンス。うーん、生理的に苦手な類の話であることを差し引いても、今ひとつ。それぞれの要素があまり絡み合っていないというのがその原因。特に匂いという重要なキーワードがありながら、それを生かし切れていない。結局、不気味さだけを前面に押し出すことになり、平凡なホラーの枠から出ることのない作品に終わっている。ホラー作家にありがちな変な文章の癖もなく、妙な蘊蓄もたれず、読みやすい分、よけいにその欠点が目に付いた。結末がありきたりなのも減点材料。ワンパターンな終結は、ホラーとしての恐ろしさを削ぐ結果にしかならない。
 多作家として一定基準の作品は書き続けていけそうだが、これぞという作品を生み出すのはちょっと厳しそう。そんなイメージを持った。




檀一雄『夕日と拳銃』上下(河出文庫)

 伊達伯爵家の三男坊に生まれながら、何を考えているのか暇さえあればピストルばかり撃っている万事にケタはずれの少年。この麟之介がふとしたことから人を殺し、一丁の拳銃を懐に満州に追放される羽目になった。つき従うは、柔道七段逸見六郎、馬賊の群に身を投じた麟之介を慕って後を追う山岡綾子とおこう……。
 それから三年、鴨緑江の流れを見ながら朝と夕、きまって悠々と馬を進める伊達麟之介の姿が見られた。逸見六郎、チチクと三人、どうやら平穏に暮らしている様子だ。――しかし突然の銃声がふたたび麟之介を修羅の巷に追いやろうとしていた。
 生命の完全燃焼を求めて、満州の曠野を疾駆した豪放凛冽な魂に、自らの浪曼精神を托した檀一雄の代表作。(粗筋紹介より引用)

 再読です。これだけの雄大な冒険小説は、中国大陸だから成立するんだろうなあ。そういえばこの作品、セレクションの方に入れていなかったな。入れたい作品も何作かあるので、そろそろ見直しをします。
 そういえば馬賊ものだと、漫画になるけれど、横山光輝『狼の星座』(講談社漫画文庫)もお薦め。一介の少年から馬賊のトップにまで登り詰める分、こちらの方が面白かったりするのだ。豊臣秀吉じゃないけれど、ただの人からの立身出世物語は、本当に面白い。



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