大藪春彦『長く熱い復讐(ころし)』上下(徳間文庫)

 韮釜刑務所に収監されて三年が経つ鷲尾進。彼は暴力団員十人を殺害した殺人罪で、無期懲役判決を受けていた。しかし彼には過去がなかった。暴力団員を殺害した際、頭部に銃弾を受け、記憶の全てを喪失していた。一体俺は何者なのか。ある日、元暴力団組長の脱走計画に参加することになった鷲尾は、“黄金の指”を持つ金庫破りのプロ武山とともに脱獄に成功する。武山といっしょに農協を襲い、軍資金を得た鷲尾は立ち上がった。過去を探すために。肉体に染みついた殺人の腕を頼りに。

 大藪有名長編で読んでいなかった、数少ない作品の一つ。ようやく読むことが出来たが、ストーリーは大藪復讐もののパターンから一歩も抜け出していない。もっとも、大藪長編でそんなことを言っても始まらない。どの小説を読んでも、読者を爽快な気分にさせるからだ。あらが多いとか、拳銃と車しかないなどという評は的はずれである。読者の指示を受けるものが勝ちなのだ。
 とはいえ、読み終わってみると荒唐無稽な部分が目立つという評は正しい。主人公のスーパーマン、ご都合主義な展開、さらに今回は都合のよい部分で記憶が戻るのだ。大藪小説ではよくあることだが、寂しさを覚えるのも事実である。




宮崎哲弥編著『人権を疑え!』(洋泉社 新書y)

 アメリカ独立宣言、フランス人権宣言……人権という言葉は自由の獲得の歴史であり、長い年月を掛けて人類が得た権利であった。しかし、本当に「人権」というのは存在するのか。評論家、大学教授、ノンフィクション作家などが、「人権」の光と影、真実と虚偽を論じた1冊。
 「人権」という言葉さえ出せばなんでもまかり通る。今の世の中はそういうところがある。しかし、実際に「人権」とはなんなのか。それを論じた本は少ないと思う。本書は平易な言葉で「人権」とは蜃気楼のようなものであると色々な角度から訴えている。反発する「人権擁護者」もいるだろう。しかし、ただ反発するのではなく、一度は耳を傾けてみてほしい。我々が「人権」という名の下に蹂躙されている現実を見据える度胸があるだろうか。
 「死刑問題」を考察すると、かならず出てくるのが「人権」という言葉である。「死刑」は「基本的人権」を損なう行為であるから、反対すべきだという意見も多い。しかし「人権」とは何だ? という問いにはなかなか答えていない書が多いのも事実。少なくとも「人類一人ひとりが永久に持ち合わせている権利」ではない。「公共の福祉」「法律」「殺人」……、ちょっとしたことで簡単に「権利」は奪われてしまう。本書に載っている意見には首をひねる部分もあるが、「人権」という権利を見直すには格好の著ではないだろうか。少なくともむやみやたらに「人権」を振り回すエセ人権論者よりは、よっぽどましなことを書いている。




向井敏『探偵日和』(毎日新聞社)

 書評家として有名な著者による、初のミステリ・エッセイ集。毎日新聞に連載したミステリ書評を中心に、各雑誌・新聞に載せた海外ミステリに関する書評、エッセイを収録。ちなみにタイトルは『フロスト日和』から来ている。
 帯に有名なとあるんですが、私、まったく知らないんです。本当に有名なんですか?
 そのことはともかく、“書評家”によるエッセイとなると堅苦しい印象を受けるが、本書に限っていえばそんなことは全くない。時々、先人の書評を引用しすぎるのが引っかかるが、面白いミステリを「本当に面白いんだ」という書き方をしている。ただ、「面白い」「凄い」「傑作」といった単純な言葉を使用するのではなく、平易な文章で面白いんだよと語りかけてくる。訴えるのではなく、語りかけてくるのだ。押しつけることなく、本当に「私は面白かったんだ」という喜びが伝わってくる。だから読者を、「ああ、読んでみたいな」という気持にさせる。こういうエッセイは久しぶりに読んだ。紹介するのではなく、論じるのでもなく、ただ本を持って「これはねえ」と語りかけられる心地よさがここにある。
 ここしばらく、日本ミステリの新刊を追うのに忙しく、なかなか海外ミステリまで手が回らなかったが、久しぶりに海外ミステリを読みたくなった。面白い海外ミステリをお求めの方、お薦めします。古本屋でなんとなく買ったのですが、意外な拾いものでした。




光原百合『遠い約束』(創元推理文庫)

 駅からキャンパスまでの通学途上にあるミステリの始祖に関係した名前の喫茶店で、毎週土曜二時から例会―謎かけ風のポスターに導かれて浪速大学ミステリ研究会の一員となった吉野桜子。三者三様の個性を誇る先輩たちとの出会い、新刊の品定めや読書会をする例会、合宿、関ミス連、遺言捜し…多事多端なキャンパスライフを謳歌する桜子が語り手を務める、文庫オリジナル作品集。(粗筋紹介より引用)
「残月」「天清和―消えた指環」「早苗月―遠い約束1」「白南風―「無理」な事件 関ミス連始末記」「風待月―遠い約束2」「夏見舞―忘レナイデ…」「文披月―遠い約束3」を収録。作者のデビュー作、吉野桜子シリーズ。

 いきなりだが、読み終わった感想を書かせてもらう。
「ああ、また書いたな」
 この“また”という意味は何か?「一服の清涼剤みたいなミステリ」である。

 多分この作品の面白さは他の方が書いてくれるだろうから、私はあえて苦言を書かせてもらおう。もちろん、私の意見に異論のある方も多いと思うので、できれば反論を期待したい。私の固定概念を崩してほしいと思う。
 ここで書いておくが、私はこの作品、面白く読むことが出来た。ただし、読んでいる最中である。読み終わってから残るものはほとんどない。作者ご自身を知っているのでこういう書き方は心苦しいが、あえてそう言おう。この小説は予定調和の世界である。

 登場人物のいずれもが善人で(違うという人もいるだろうが、某人物の言動は、人間として当然の反応の一つと考えている。少なくともそこに“悪意”といえるものは見当たらない)、恥ずかしくなるぐらい物語が“いい”方向へ進む。自分の周りが、そして今の世の中が悪意で満ちているので、善人ばかりの話は心が和む。一部で“癒し系”(この表現、いつまで通用するのでしょうね)と書かれているのも納得出来る。だから「一服の清涼剤」と感じたのである。
 しかし、同じ清涼剤ばかりを飲まされても、飽きが来るのである。話の中身もモチーフも全然違うのだが、『時計を忘れて森へいこう』(東京創元社)も清涼剤みたいな物語である。それも「オレンジ」と「グレープ」みたいな明確な違いは見当たらない。せいぜい「コカ・コーラ」と「ペプシ・コーラ」の違いくらいでしかない。どんなに設定が違っても、受ける印象が一緒であれば、読後感は変わらない。読者に“また”と言われてしまうような物語を書くことは、作者にとって損であろう。
 「ワンパターンの面白さ」というものがあるのも事実である。同一主人公で、似たような作品を書き続けている作家も存在する。時々“金太郎飴”と揶揄されることもある。ところが何冊読んでも飽きが来ることはない。それは、予定調和の世界を崩さないで、かつ違う面白さを付加させるテクニックがあるからだ。この読者を飽きさせないテクニックがなんなのか、まだ発見していないのが悔しい。残念ながら、『時計を忘れて森へいこう』『遠い約束』にそれは見受けられない。先にも書いたが、設定が違うのにまったく同じ印象を与える。読後に何も残らないのは、現実には考えられない善人ばかりの物語だからだ。付け加えたいのは、そんな印象を吹き払うだけの謎がないことだ。私は謎の難易度でミステリを計るつもりはないし、計るべきではないと思っている。しかし、難易度と軽重は別である。ミステリの謎が軽ければ、物語全体も軽いものになってしまう。その点が余計に作品の清涼度をアップさせているのは皮肉かもしれない。

 光原百合という人は、ミステリがとても好きな作家である。だからこそ、もっと謎の重い、そして善意と悪意が同居したミステリを書くことの出来る作家と信じたい。闇があるからこそ光のすばらしさがある。世の中の悪意と暗さを名探偵が吹き払い、ハッピーエンドで物語が終わる。勧善懲悪を信じるつもりはないが、黄金時代までのミステリは勧善懲悪のミステリでもあった。そのようなミステリを作者に求めたい。

 光原百合という作家が書く作品が好きなゆえに、あえてこのようなことを書かせてもらった。読者に“また”と思わせないような、あっと驚かせるようなミステリを読ませてもらいたい。“清涼剤”も時々味わう分にはスキッとするから。




古処誠二『未完成』(講談社ノベルス)

 朝鮮半島に近い過疎の島にある自衛隊基地。基地トップの方針で、自衛官と村民との風通しはよい。そんな基地の射撃練習場での射撃練習中、小銃が一丁消失した。三重、四重に囲まれた練習場で、いかにして小銃を盗むことが出来たか。そしてその犯人は誰か。朝霞・野上コンビが事件の謎を追う。

 デビュー作『UNKNOWN』に続く自衛隊もの。この作家はどんどん実力を上げていると思う。一作目より二作目、二作目より三作目とだんだん面白くなっている。ただ本作品の場合、この面白さが異世界(自衛隊)への招待状があるからこその面白さなのか、小説そのものの面白さなのか、ちょっと判別が付きにくい。もちろん、小説の腕がなかったら、いくら異世界のことを書いたって面白くないのだが。
 練習場から小銃が消失するという謎そのものは強烈に刺激的なのだが、こと謎解きとなるとあまりにも単純である。物質的な壁よりも、心理的な壁の方が手強いが、それらを無視して絵を描いてみれば、犯行の機会があった人物を特定するのは容易い。ただ、本格ミステリの面白さは謎の難易度ではない。謎の演出であり、それらを取り巻く人間模様が面白さを倍増させる。古処誠二はそのあたりを書くのが実にうまい。
 この面白さは、松本清張の社会派推理小説に通じるものがある。そう、私は古処こそ、松本清張が書いた正調社会派推理小説を継ぐことの出来る推理小説作家だと考えている。取り上げている社会問題が他人からの受け売りなのか、付け焼き刃なのか、私にはわからない。ただ、例え付け焼き刃だとしても、充分自分の世界に取り込んでいる。そして謎との絡め方もうまい。古処誠二の作品は、優れた社会派推理小説である。
 ただ、タイトル通り、まだ“未完成”な部分があるのも事実である。謎の軽さ(難易度とは別である)、見分けの付かない登場人物、資料に寄りかかった設定などだが、これらの欠点は作品を重ねるうちに解消されるだろう。とにかく、この作家は伸びる。いずれ日本ミステリのトップに立つだろう。断言する。ただし、朝霞・野上コンビのキャラクターに頼らないという条件付きだが。




南條範夫『からみあい』(徳間文庫)

 大会社社長が癌にかかり余命半年。若いが体だけの関係でしかない妻に全財産を譲るのは腹立たしい。会社の方でも、自分が社長になろうと画策している重役がいるのも腹立たしい。そちらの方は対策を立てたが、財産の方だけは法律上、どうにもならない。そこで思い出したのが、昔四人の女に産ませた子供四人。もし生きているのなら、そして立派な人間に育っているのなら財産を譲りたい。顧問弁護士や秘書たちに子供の行方を捜させる。しかし、彼らにも色々な思惑があった。そして若い妻にも……。
 まさに思惑の“からみあい”。“金”という、本来全く無価値なれど、生きるためには絶対必要な魔物を廻っての汚い、しかし人間の本性を映し出したともいえる争い。今から見たら中編に分類されるかも知れない分量の中で、人の醜さが実に“生き生きと”描かれている。多分、同じ立場に立ったなら、少しでも自分に有利になるような行動を取ってしまうだろう。最後までうまく立ち回るのは誰か? それを推理するのも一興だし、財産争いのドラマを楽しむのも一興である。色々な読み方が出来るだろう。状況設定こそ単純だが、面白い推理小説である。




西澤保彦『謎亭論処』(祥伝社 ノン・ノベル)

 女子高教師の辺見祐輔は、忘れ物を取りに戻った夜の職員室で、怪しい人影に遭遇した。その直後、採点したばかりの答案用紙と愛車が消失。だが二つとも翌朝までには戻された…。誰が?なぜこんなことを?やがて辺見の親友タックこと、匠千暁が看破した意外な真相とは?続発する奇妙な事件の数々。めくるめく本格推理の快感。そして呑むほどに酔うほどに冴える酩酊探偵タック!日本ミステリ史上屈指の作中酒量を誇る、著者人気シリーズ、待望の最新傑作、書下ろしオマケ作品付き。(粗筋紹介より引用)
「盗まれる答案用紙の問題」「見知らぬ督促状の問題」「消えた上履きの問題」「呼び出された婚約者の問題」「懲りない無礼者の問題」「閉じ込められる容疑者の問題」「印字された不幸の手紙の問題」「新・麦酒の家の問題」の8編を収録。

 タックシリーズ短編集。学生時代の話からボアンが女子校教師の時の事件までと、時間軸は広い。さらに主人公(語り手)もタック、ボアン、タカチ、ウサコと入れ替わる。『依存』以降のタックとタカチの関係や、ボアンの高校教師像、ウサコの結婚生活の様子など、ファンにとってはたまらない1冊。
 酩酊推理といわれて久しいタックシリーズだが、推理というより連想ゲームと言った方がピンと来るようになってきたのは少々寂しい。しかし、一つの謎を廻ってあれこれ議論する姿や、発想がとんでもない方向に飛躍する展開は健在。この論理展開を楽しまないと、タックシリーズは始まらない。キャラクター小説と化した巻はあるが、ファンからすればそこが面白いところ。西澤保彦は、軽めの路線が似合う作家である。
 このシリーズ、時間軸がバラバラなので、いつか時系列に事件をまとめてきたいと思っているのだけども、読み返す暇がないんだよね。




結城惺『MIND SCREEN6』(新書館 ウィングス文庫)

 祖父がオーナーのホテル完成レセプションに出るため、渡米することとなった久志。よく出張でアメリカに行っていた久志だったが、一週間以上行くのは初めてだ。そこで祖父は、ある女性を紹介する。祖父は彼女と久志を結婚させたいと思っていることが明らかだった。そしてレセプション当日、祖父を狙ったテロリストの銃弾が、祖父をかばった久志に当たった……。「FADE AWAY」。
 銃弾の傷がある程度癒え、日本に戻ってきた久志と俊一。まだあまり動き回ることができない久志を家に残し、俊一はサイオンとしての仕事を続ける。ある日、サイオンのメンバーが久志の見舞いを口実として家に全員集まった。楽しいひとときを過ごす久志と俊一だったが。「おなじ星」。
 久志が撃たれたことを知らず、それでもサイオンの一員として動いていた俊一の不調にも気付かなかったことで、機嫌の悪い久住。しかも孝充は俊一の不調に気付いていたという事実も、余計彼を苛つかせていた。そんなときにかかってきた電話。それは恋人である千鶴美からだった。「to Heart」。
 1998〜1999年、「小説WINGS」に掲載された作品に、書き下ろしを収録。

 すでに各メンバーの恋模様も決着していた頃の久志と俊一の話。強い絆と信頼で結ばれている、ということを再認識させる一巻である。
 ようやく連載再開、新刊も出たので頑張ってほしい、と思っていたのだが、本巻以降の新刊は出ていない。雑誌の方も中断したままである。



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