矢野龍王『極限推理コロシアム』(講談社ノベルス 第30回メフィスト賞受賞作)

 夏の館、冬の館にそれぞれ見ず知らずの7人が集められた。彼らを「プレイヤー」と呼ぶ姿を見せぬ「主催者」は宣言した。これから殺人事件が次々と起こる。殺されるのはプレイヤー。その謎を解くのは、残されたプレイヤーである。夏の館、冬の館、それぞれに同じような殺人事件が起きる。館は二つ。犯人は二人。夏の館、冬の館それぞれのメンバーはチームを組み、二つの館で起きる殺人事件の犯人役を同時に当てなければならない。首尾良く犯人を当てたときは、メンバー全員に1000万円が手に入る。しかし、犯人を間違えた場合は、そして相手の館が先に犯人を当てた場合は、全員に死が待っている。もちろん、犯人を当てる前に殺される可能性がある。相手の館との連絡はパソコンのみ。この推理ゲームに生き残ることはできるか。

 見知らぬ場所に連れ去られ、生死を賭けたゲームに強制的に参加させられるというパターンは、貴志祐介『クリムゾンの迷宮』を思い起こさせるが、残念ながら『クリムゾンの迷宮』と比べて出来は数段落ちる。
 いつ自分が殺されるかもしれないというのに、何の対策も立てようともせず、ただおとなしく殺されるだけ。これでは物語からの緊迫感が全く伝わってこない。
 そもそも推理ゲームと名付けられているのに、推理そのものが皆無というのもおかしな話。推理するデータはほとんど与えられないので、推理しようがない。
 一番呆れたのは解決。どうやって結末まで持っていき、推理するのだろうかと思ったら、これですか。これのどこが推理なの?

 メフィスト賞ということでやや不安があったものの、「生命」を賭けたリアル推理ゲームという惹句や、デビューと同時にドラマ化決定ということでかなり期待していたのだが、ここまで外されるのも珍しい。いやはや、とんだいっぱい食わせ物だった。




小野不由美『くらのかみ』(講談社 ミステリーランド)

 小学六年生の耕介はハンコ屋の父と二人暮らし。夏休みの八月、父と一緒に死んだ母の実家の、そのさらに親戚の家に行くことになった。耕介の祖父の兄は具合が悪くなったため、親戚全員と会いたいと言いだしたのだ。「本家」とよばれるその家は、見ず知らずの遠い土地にある、立派なお屋敷だった。会ったことのない親戚ばかりだったが、その子供たちとはすぐに仲良くなった。ある夜、大学生の三郎から教えられた「四人ゲーム」をやってみようと蔵座敷に入った4人だったが、電気をつけるとそこにいたのは5人だった。一人は座敷童子? とまどう子供たちだったが、そのとき表座敷では大勢の急病人が出ていた。食あたりかと思ったら、毒草が食事の中に混じっていたらしい。何かのまちがいか、それとも故意か。「本家」の跡継ぎ問題が動機にあるのか。子供たちは犯人さがしに駆けずり回るのだが、不思議な出来事や事件が続いた。

 「かつて子どもだったあなたと少年少女のための“ミステリーランド”」の第一回配本。子どもが読むというよりは、大人が子どもの頃を思い出しながら読む本と行った方が正しいんじゃないかと思う作りと値段、それに中身なんだが。大人が読むにはなんとなくくすぐったく、子どもが読むにはちょっと古臭い。
 一応本格ミステリの仕上がりなんだけど、これってフェアなのかな。本格ミステリの舞台の上で演じられたお伽話という仕上がりの感触。これはこれでいいんだろうけれどね。別に本格ミステリということにこだわらずに読めば、楽しい一冊。忘れかけた何かを思い出させてくれる。
 これが本格ミステリ大賞ノミネート作品と思って読んでしまうと、違和感があるのは仕方がないことか。結局、本格ミステリの要素を借りたファンタジーなんだから。




小林信也『消えた天才ライダー 伊藤史朗の謎』(CBSソニー出版)

 1960年代、まだまだ日本のバイクが発展途上だった頃、世界のサーキットを華やかに疾走した男。しかし、彼はピストル密輸に絡む暴力団とのトラブルでサーキットを追われ、愛人と逃げるようにアメリカに渡った。そして彼は“伝説”のまま、行方がわからなくなった。
 本書は、そんな悲運の天才ライダー、伊藤史朗の1960年代における栄光と挫折、そしてノンフィクションライターである小林信也がアメリカにて伊藤史朗の行方を探し当て、伊藤史朗とのインタビューから“真実”を描き出すまでのノンフィクションである。帯には伊藤史朗の親友でもあった石原慎太郎が推薦文を書いている。月刊「サイクルワールド」に1983年〜1985年に断続的に渡って掲載された文章を補筆、訂正。

 大藪春彦『汚れた英雄』を読んで、伊藤史朗という天才ライダーがいたことを知った。主人公北野晶夫のライヴァルとして、伊藤史朗は登場する。
 正直なところをいうと、二輪・四輪ともにほとんど興味がない。しかし、『汚れた英雄』という名作を読んで、伊藤史朗という男に興味は持っていた。しかし、ほとんどの本を読んでも、伊藤史朗はアメリカに渡ったまま行方不明になっていたのだ。そのまま名前が消えてしまうのかなと思って10数年。この本を見付けてびっくりしたものだ。そこに書かれていたものは、天才ライダーの伝説と悲劇、そして生き様とどうしようもなさであった。天才であるがゆえの孤独、我が儘、そしていい加減さ。人一倍弱い人間でありながらも、強がってみせるその姿。本書で明らかにされたのは、伊藤史朗が北野晶夫のような絶対的なヒーローではなかったことだった。
 エピローグがいい。最後の言葉を口にしたとき、幻だった天才は、生身の人間に戻ったのかもしれない。それはまた、一つの伝説の終わりを告げたときでもあった。




横溝正史『探偵小説五十年』(講談社)

 1972年に出版された横溝正史初エッセイ集の復刻版。「途切れ途切れの記」「続・途切れ途切れの記」その他エッセイを収録。
 帯には「横溝正史が軽妙洒脱な筆で綴った郷愁の自伝的エッセイ集!」とある。これに付け加えることはないな。それなりに面白いが、あくまで横溝正史の自伝、付き合いのあった作家の思い出話程度のものであり、特に刺激を受けた部分はなかった。その辺が常に何らかの刺激と毒を含んでいた乱歩との違いか。自伝的エッセイだから、これでいいのだろうけれど。




樋口有介『枯葉色グッドバイ』(文藝春秋)

 椎葉明郎はホームレスである。かつては捜査一課の敏腕警部補だったが、自動車事故で娘を死なせてしない、妻と離婚をして1年前に廃品回収業のトメさんに拾われてからは、代々木公園に住むようになった。
 吹石夕子は、大田区本羽田のマンションで親子三人が殺された殺人事件を追っていた。事件が起きて既に半年、捜査は膠着し、捜査本部も13人だけの体制に縮小されていた。被害者である両親を恨むような人はなく、12歳の娘にもトラブルはなかった。夕子は当日外泊していて難を逃れた16歳の長女、美亜が事件に何らかの関係があるのではと疑っていたが、捜査本部では取り上げてくれなかった。そんなある日、美亜の友人で、当日の美亜のアリバイを証明してくれた女子高生、大間幹江が暴行の末扼殺された。何らかの関係があるのではと疑った夕子は現場である代々木公園に行き、そこで椎葉を見かける。警察学校時代にお世話になり、憧れの存在でもあった椎葉がホームレスにまで落ちぶれていたことに驚きながらも、うやむやのうちに捜査に引きずり込む。美亜と接触した椎葉であったが、逆に美亜から依頼を受ける。

 樋口有介が書く作品は、いずれも大人の男のメルヘンとして仕上がっている。それは本作品でも変わらない。元名刑事のホームレス。現役の女性刑事(しかも28歳のいちおう美人刑事)が捜査協力を秘密裏に依頼し、接触した16歳の娘もまた彼に惹かれていく。もちろんいい男はホームレスになってもいい男なんだろうし、人間は見た目じゃないのも確かなのだが、やはりこの設定はメルヘン以外の何ものでもないだろう。それも男にとって都合のよいメルヘンである。しかし、それがたまらなくいい。男として憧れてしまう。とはいえ、ホームレスになりたいとは思わないが。
 事件そのものの謎はそれほど難しいものではない。ただちょっと、捜査の向きがずれていただけのことであった。本作品で語られるべきなのは、椎葉を取り巻く人たちの心の動きである。誰もが心に傷を持ち、それを隠して生きている。その生き方が、表現方法が人によって違うだけだ。そんなことを教えてくれる。作者の視点は、全ての登場人物に注がれている。読者は登場人物の動きをただ追えばいい。いつの間にか物語に引きずり込まれ、自分も登場人物の一員になっているだろう。
 何度も書くが、樋口有介の作品は、大人の男のメルヘンであり、それは本作でも変わらない。もちろん、いい意味である。




山上たつひこ『追憶の夜』(マガジンハウス)

 金沢市で探偵事務所を開いている成瀬智久のところに倉根唯志と名乗る依頼人が現れた。23年前、唯志の兄、亮が誘拐され、殺された。唯志の父、義一は富山市で外科医を開業していた。昭和52年5月中旬、そこへ菊池俊昭という男が訪れ診察を受けた。菊池は胃癌で、すでに深刻な状況にまで進行していた。病院のベッドは満員だったため、他の病院で治療を受けることをすすめ、紹介状を書いた。ところが菊池は逆恨みし、6月5日、義一の病院に押し入り、妻の貴子に重傷を負わせた上、7歳の唯志の兄を誘拐。「俺に謝罪しろ。全国の癌患者に土下座せよ。お前が自分の全財産を投げ出して罪をあがなうまで子供は預かる」と言い残した。兄の死体は見つからず、菊池は捕らえられたが、癌で死亡した。唯志は依頼する。久岡文子、亜希子母娘の行動について。彼女たちは菊池の妻、娘であった。彼女たちに、『苗の会』という死刑制度廃止グループが接触していた。成瀬はその依頼を引き受ける。
 数日後、成瀬の自宅に久岡亜希子が訪れる。亜希子は、母の恋人で父の刑務所仲間だった露木善三という男を捜して欲しいと依頼する。このとき、成瀬は文子が死んだことを知った。成瀬は亜希子の依頼を引き受けることにする。
 二つの依頼を追いかけるうちに、23年前の誘拐事件の真相が見えてきた。事件の裏側には、あまりにも暗く悲しい真実があった。しかし、成瀬は追求を続ける。

 山上たつひこといえば、『光る風』『喜劇新思想体系』『がきデカ』などの作品で知られる漫画家だが、1990年に筆を折り、小説家に転向。ハードボイルド作品は初めてだろうか。
 本書はハードボイルドに真っ向から挑んだ正統派作品である。探偵が追うのは心の闇。一つの事件に隠された暗く悲しい現実、そして影。真相を追い求めることは、それぞれの心の闇と影を表にさらすことになるのに、それでも真相を追い求めることしかできない。そして探偵の目の前に突きつけられる真実と新たなる悲劇。真実とはこれほど残酷なものなのだろうか。
 本書は事件の加害者・被害者遺族の苦悩に挑んでいる。そしてまた、死刑制度存廃にも言及している。文中に出てくる死刑確定囚はモデルがすぐに推定できる(しかも一人は出版後に執行されている)のは難点かもしれないが、それでもどちらに与することなく、平等に両者の苦悩を書き記しているところには好感が持てる。
 真相はまさかという方向に流れていく。成瀬が一つずつ隠れた事実を引きずり出していく、その過程が巧みだ。920枚という重厚な作品だが、読者はいつしか物語に引きずり込まれるだろう。
 近年、どちらかといえばスタンダードな作品よりも変化球の方が注目を浴び、かつ面白いことが多いミステリ界であったが、本書は正調ハードボイルドの秀作である。これほど端正な作品が評判にならなかったことが信じられない。




折原一『倒錯のオブジェ 天井男の奇想』(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ)

 都会の場末の住宅地の中に、建築五十年以上はたっていそうな木造の二階家がある。そこで飯塚時子という80過ぎの老女が一人暮らしをしていた。わけのわからないことをつぶやいたり、ゴミを家の廻りに放置しているという近所からの訴えで、区の福祉課でカウンセラーをしている小野寺伸介はその家を訪れた。時子は伸介に訴える。天井裏から天井男が時子を監視していると。伸介が屋根裏を覗いてみても、そこには誰もいなかった。
 白瀬直美は暴力を振るう亭主から、百万円を持ち出して逃げ出した。身分証明書を持たない彼女には、部屋を借りるあてがなかった。そこへ「貸間あります」との看板が。飯塚時子という老女の家の二階に住み、一人暮らしを楽しむが、天井から不審な音が聞こえだした。
 天井男は時子を天井裏から監視する。いつか、時子を殺すために。

 乱歩「屋根裏の散歩者」に触発されたらしい“天井男”。こんな発想から一本の長編ミステリを書き上げてしまうのだから、すごいといえばすごいし、へんてこりんといえばへんてこりんな作家である。さらに密室のナゾを解こうと一から勉強する時子というキャラクターも秀逸。これに暴力夫から逃げ出した直美と、彼女を追いかける夫、さらに直美と恋愛関係になる男とのサスペンス。これらがうまく絡み合い、読み応えのある一冊に仕上がっている。ただ、折原一だから何かの仕掛けがあるだろうと、どうしても身構えて読んでしまうので、せっかくの物語の魅力が今ひとつ読者に伝わりにくいところがとても残念である。折原一という作家を知らない読者の方が、もっと素直に面白く読めるかもしれない。叙述トリックという折原ブランドが反作用の方向に働いた一冊といえるだろう。




kashiba@猟奇の鉄人『あなたは古本がやめられる』(本の雑誌社)

 超人気ミステリ系HP「猟奇の鉄人」の管理人、kashiba氏が「本の雑誌」に連載した「血風堂奇譚」、HPに掲載された日記より1999年8月〜10月の日記を纏めた「古本血風録日記」、2002年8月〜10月の日記を纏めた「あなたは古本がやめられる日記」、さらに「瑣末の研究」「「猟奇の鉄人」年間購読ベスト本」「あとがき」を収録した処女単行本。

 「血風堂奇譚」「瑣末の研究」といった古本にまつわるエッセイは面白い、ミステリ好きなら。ミステリが好きでない人にとっては、何なのこの人と冷たい視線を浴びせることだろう。それぐらい、どうでもいい話ばかり並んでいる。しかし、そのどうでもいい話というのが好きなんだな、こちらとしては。こんなことまで知っているのかよ、この人はと尊敬してしまうし、その知識をひけらかさずに面白おかしく紹介してしまうその才能が羨ましい。
 ただ、日記を収録したことについては疑問。HP「猟奇の鉄人」を見てきた人じゃないと、さっぱりわからない内容の文章ばかりである。いっそのこと、購入した本ばかりを並べてくれた方がよかったんじゃないだろうか。もう一つ書けば、「あなたは古本がやめられる日記」を読んでも、全然古本をやめている気配が感じられない。まあ帯に「……でも私は無理、やっぱり」と書かれているところを見ると、わかっているんだよな、ご本人が。さっさと諦めればいいのに。

 本の雑誌社HPからの注文ということでサイン付き。この本の購買層って、HPを読んだ人ぐらいじゃないかと心配してしまうのだが、実際の所どうなんだろう?




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