吉岡忍『墜落の夏 日航123便事故全記録』(新潮文庫)

 1985年8月12日日曜日18時12分、羽田空港から飛び立った大阪行き日航123便ボーイング757型機は、32分間の迷走のうえ、群馬県御巣鷹山付近に墜落し、乗客、乗組員ら520名が死亡した。世界一安全といわれたジャンボ機に、いったい何があったのか。墜落までの32分間の再現、墜落後の遺体収容・身元確認、警察などの捜査、事件を取り上げるマスコミ、そして対応に追われる日航。さらには被害者遺族への補償問題、国やメーカーなどを巻きこんだ原因追及。克明な描写と丹念な取材により、墜落事故の全概要を明らかにしたノンフィクションの傑作。1987年講談社ノンフィクション賞受賞。

 副題にある「日航123便事故全記録」とあるとおり、本書は国内最大の航空機事故である日航123便墜落事故の事故発生からその後にいたるまでを、二百人以上の関係者のインタビューから築き上げたものである。奇跡的に生き残った被害者。決して癒されることのない遺族。不眠不休で身元確認に取り組んだ医者や歯科医、看護士などの関係者。事故原因を追及する群馬県警や運輸省(当時)の関係者。さらに事故補償に取りかかる保険会社の関係者。そして、自己の当事者といえる日航の職員。もちろん匿名がほとんどであるが、これだけのインタビューを粘り強く続けていき、事故そのもの、そして事故の後日談までの全てを明らかにしていくその作業は大変なものであっただろう。もちろん、全てが明らかになったわけではない。なぜこのような事故が起きたのか。筆者は、ジャンボというシステムから現在の社会のシステムそのものにまでメスをあてる。
 渾身のルポとはこういう作品のことをいうのだろう。被害者遺族にスポットを当て、日航側をただ糾弾するのは簡単にできる。しかし筆者はそんな単純なルポを選ばなかった。筆者の筆はその後の補償問題、事故調査にまで及び、現代の巨大システムの本質にまで迫る。もはや変えようのない、歯車のような巨大システムに対しては、520名が死亡した事故でさえ、小さな異物でしかなく、歯車は歯車としていつまでも回り続けている。
 本書を読んで驚いたことのひとつは、「お宅はええわねえ、ご主人が亡くなって、いっぱい補償金がはいるんでしょう? 子どもの教育も心配ないやんか。住宅ローンかて、生命保険つきやったら、もう払う必要がないしィ」などと遺族に向かって堂々と言い切る近所の奥さんである。本人に向かってこう言い切る人は稀だろうが、陰ではこう噂している人も多いのだろう。葬式の時には同情しても、結局は他人事。これが今の日本の姿なのだろう。
 他にも驚かされたことは色々あったが、それについては自分の目で確かめていただきたい。いずれにしても巨大システムが金属疲労を起こしながらも回り続けている現代にとっては、一人の人間の悲しみなどどこにも届かないのである。本書はそんな哀しい事実を教えてくれた。




夏樹静子『風の扉』(角川文庫)

 島尾丈己はかつての師匠である百合沢錬平に、破門の取り消しと再指導を願い出るために、屈辱感をこらえて百合沢の工房に押し掛けた。しかし百合沢に冷たく却下されたため島尾は逆上。工房からナイフを取り出し、散歩中の百合沢をメッタ突きに刺した。さらに倒れた百合沢の両手をズダズタに切り裂き、家に逃げ帰った。それから1週間、島尾はいつ逮捕されるかと気が気でなかったが、報道すらされていない。不思議に思った島尾が百合沢の家で見たものは、いつもの場所に置いてある、あのとき履いていた愛用の下駄とステッキだった。そして数ヶ月後に島尾が見たのは、生きている百合沢だった。
 殺されたはずの伝統工芸家の巨匠が生きていた。癌で余命わずかのはずの社長が手術で助かった。その謎の陰には、二つの遺体の行方に不審な事実があった。医学の進歩がもたらした恐怖を描いた医学ミステリ。

 『ブラックジャック』などであるネタを、夏樹静子が描いたらどうなるか。そんな感じの医学サスペンスミステリ。1980年に出版されているから、作者の脂がのりきった頃の作品だ。読者を物語に引きずり込む力はあるものの、結末を読むと少々肩すかしを食らってしまう。最後の医学的な説明などはもっともらしく書いているのだが、やはり説得力には欠ける。タイトルは物語とずれているし、ラストシーンなんかもとってつけたような感じだ。
 どんな食材でも、一応の料理を作ることはできる作者だが、今回の作品はあくまで食べることができる程度の作品でしかない。




笹沢左保『悪魔岬』(光文社 カッパ・ノベルス)

 家庭電器製品メーカーのトップの座にあるオーシャン電機工業の会長小此木剛一の次女美紗は、三条特殊印刷という小さな印刷会社の社長であり、妻がいる三条雄介と不倫の恋に陥っていた。そのことが耳に入った瞬間、剛一は血相を変えて激怒した。三条と別れさせるため、形式的な婚約を結ばせ、雄介を忘れさせることにした。そのために選ばれたのが、オーシャン電機工業の社員だった松平大二郎だった。しかし美紗は三条と別れることができず、最後の一線を越えてしまった。そして二人は8月4日、邪恋を清算するために軽井沢へ向かった。
 美紗は翌日に家へ戻ってきたが、三条は失踪したままだった。警察は美紗を疑うが、大社長の娘のため思い切った捜査ができない。そして一年後、美紗は再び軽井沢へ向かう。松平は三条の妻八千代とともに追いかけ、さらに警察が後を付けていた。美紗が向かったのは心中を図って死んだ三条の墓標だった。美紗は自殺関与と死体遺棄の罪により懲役3年執行猶予2年の判決を受ける。
 松平は心中未遂という結果に疑問を持ち、八千代とともに事件の謎を追う。ところが1年後の三条の命日、美紗は十和田湖で不審な死を遂げる。さらに不思議なことに、沖縄で美紗のサングラスを持った中年女性が殺されていた。

 多作家笹沢左保の昭和50年代を代表する岬シリーズ、悪魔シリーズの完結編。ただの心中未遂と思われた事件が思いも寄らぬ方向へ進んでいくまでの前半部分がやや長く感じられるが、美紗、中年女性が殺された事件の後は結末まで一気にスピードアップする。頂上までゆっくりと進んだジェットコースターが、頂上から下りた瞬間あっという間に急展開や宙返りなどを続け、一気にスタート地点まで戻るスリルと快感。途中まで作者にじらされまくった読者は、後半における作者のハンドルさばきに酔いしれるだろう。
 小説中に挟まれる官能シーンは、このシリーズのお約束。物語の流れから見たら不必要と思う読者もいるだろうが、これもまたアクセントのひとつなのだろう。読み方次第でどうとも取れるシーンかもしれない。
 最後まで読みすすめていくと、作者の仕掛けに驚かされる。こんな思い切ったことを考えるのは、笹沢左保ぐらいなものだろう。デビュー当時新本格派と呼ばれていた笹沢らしい、本格ミステリの佳作である。
 サスペンスを主体とした岬シリーズ、官能描写を主体とした悪魔シリーズに、本格ミステリの面白さが加わった一冊。読んでみて損はない。




笹沢左保『悪魔岬』(光文社 カッパ・ノベルス)

 家庭電器製品メーカーのトップの座にあるオーシャン電機工業の会長小此木剛一の次女美紗は、三条特殊印刷という小さな印刷会社の社長であり、妻がいる三条雄介と不倫の恋に陥っていた。そのことが耳に入った瞬間、剛一は血相を変えて激怒した。三条と別れさせるため、形式的な婚約を結ばせ、雄介を忘れさせることにした。そのために選ばれたのが、オーシャン電機工業の社員だった松平大二郎だった。しかし美紗は三条と別れることができず、最後の一線を越えてしまった。そして二人は8月4日、邪恋を清算するために軽井沢へ向かった。
 美紗は翌日に家へ戻ってきたが、三条は失踪したままだった。警察は美紗を疑うが、大社長の娘のため思い切った捜査ができない。そして一年後、美紗は再び軽井沢へ向かう。松平は三条の妻八千代とともに追いかけ、さらに警察が後を付けていた。美紗が向かったのは心中を図って死んだ三条の墓標だった。美紗は自殺関与と死体遺棄の罪により懲役3年執行猶予2年の判決を受ける。
 松平は心中未遂という結果に疑問を持ち、八千代とともに事件の謎を追う。ところが1年後の三条の命日、美紗は十和田湖で不審な死を遂げる。さらに不思議なことに、沖縄で美紗のサングラスを持った中年女性が殺されていた。

 多作家笹沢左保の昭和50年代を代表する岬シリーズ、悪魔シリーズの完結編。ただの心中未遂と思われた事件が思いも寄らぬ方向へ進んでいくまでの前半部分がやや長く感じられるが、美紗、中年女性が殺された事件の後は結末まで一気にスピードアップする。頂上までゆっくりと進んだジェットコースターが、頂上から下りた瞬間あっという間に急展開や宙返りなどを続け、一気にスタート地点まで戻るスリルと快感。途中まで作者にじらされまくった読者は、後半における作者のハンドルさばきに酔いしれるだろう。
 小説中に挟まれる官能シーンは、このシリーズのお約束。物語の流れから見たら不必要と思う読者もいるだろうが、これもまたアクセントのひとつなのだろう。読み方次第でどうとも取れるシーンかもしれない。
 最後まで読みすすめていくと、作者の仕掛けに驚かされる。こんな思い切ったことを考えるのは、笹沢左保ぐらいなものだろう。デビュー当時新本格派と呼ばれていた笹沢らしい、本格ミステリの佳作である。
 サスペンスを主体とした岬シリーズ、官能描写を主体とした悪魔シリーズに、本格ミステリの面白さが加わった一冊。読んでみて損はない。




夏樹静子『Mの悲劇』(角川文庫)

 北海道東南の釧路から約50km離れた厚岸町。陶芸家の真淵洋造と妻で元女優の早奈美がこの海沿いの町に移り住んで7年が経過した。海霧がかかる5月の季節、早奈美は思うのであった。夫と二人だけ、満ち足りているはずの、でもあまりにも平和で怠惰な日々を打ち崩すようなものが飛び込んでくるかもしれない。そして7月、早奈美の予感は的中した。早奈美が車で買い出しに行く途中、道路に倒れていたのは強盗に襲われた中沢一弘という青年であった。洋造の弟子になりたいと訪れてきた一弘は、手伝いという形で真淵の家に住み込む。
 化学工業会社の副社長をつとめていた池見敦人は、理由もなく失踪していた。それから7年後、腕利きの泥棒が捕まった。隠していた盗品の中に、池見の財布やカフスボタンなどが出てきた。警察は泥棒を追求する。早奈美は7年前、池見の愛人だった。

 名作『Wの悲劇』がWOMAN、女性の悲劇であるとしたら、本作はMAN、男性の悲劇。早奈美を軸に、洋造、一弘二人、いや、池見を入れたら三人の男の葛藤劇が主眼となっている。徐々に秘密が明らかになる恐怖と、生死を賭けたやり取りといったサスペンスはさすがにうまい。合間合間に挟まれる警察の進捗状況も、絶妙なアクセントとなっている。読みすすめるうちに、力任せでなくただ自然に、しかし強く引きずり込む手腕はお見事といえる。
 ただ、肝心の謎解きの部分が弱い。一応アリバイトリックらしきものもあるが、ちょっと本気になって捜査すれば簡単に見破れるものであるし、事件の全体像もミステリ慣れしている人だったら簡単にわかってしまうだろう。本格ミステリを求める読者からしたら、物足りなさを感じるかもしれない。しかし本書は、そういった部分をわかった上で、男女の葛藤劇を楽しむ作品だと思われる。筋書きは全てわかっていて、あとは俳優の演技力に酔いしれる演劇のようなミステリが本書であるといえよう。



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