奥泉光『葦と百合』(集英社文庫)

 現代文明を捨て、自然との共生をめざしたコミューン運動「葦の会」。学生時代に参加し、十五年ぶりに再訪した医師・式根を待っていたのは、ブナの森深く、荒廃した無人の入植地跡だった―。理想社会を夢見て残ったはずの恋人と友人はどこへ消えたのか?そこで起こった怪死事件は果たして事故か。それとも森に潜む「誰か」が殺したのか?ミステリーとメタフィクションの完全なる融合。(粗筋紹介より引用)
 1991年1月〜3月号「すばる」掲載。1991年10月、集英社より刊行された著者初の長編小説。

 素人探偵たちによる推理合戦、横溝正史や中井英夫などのパロディを奥泉流に租借した謎と舞台(解説本を読むと大江健三郎、半村良、五木寛之などのパロディやオマージュもあるらしいが私にはわからない)、コミューン活動家の発言を通した文明批判、主人公の青春物語と軌跡探しなど、様々な要素を含みながら自分の世界に全てを取り込んでしまうその腕はすごいと思うのだが……。
 はっきり言います。2,3年ぐらい前(もっと前かも?)から、メタフィクション、メタミステリーにはまともな評価ができません。個々の物語は面白いのに、それをわざわざ入れ子構造にするメリットというものが、私には思いつかないのです。私には、読者を混乱させるだけとしか思えません。小説世界そのものが虚の世界なのに、虚の世界の中にさらに虚の世界を組み込み、さらに虚の世界を組み込んで……といったような無限連鎖から何が生み出されるのでしょうか。一部作者や評論家は、その様な構造から生み出される混乱を“驚き”と評し、それを本格ミステリの“驚愕の結末”と同一視しているようにしか見えない(具体例を出せといわないように。今更古い本をひっくり返す元気はない)のですが、私には別物としか思えません。
 上記感想は、あくまで私一人の考えだし、日頃思っていることをとりあえず言葉にしてみただけである。批判があるのなら受け付けるが、読む力が足りないだけという批判は受け付けない。ここでいう「力が足りない」とは、単なる排除の論理でしかないからである。自分がわかるものを別の人がわからないのは、“そいつが馬鹿だからだ”と自分を一つ上のランクに置こうとしている優越感でしかなく、実際は他人に納得のいく説明が全くできないことをすり替えているに過ぎないからである。




夏樹静子『白愁のとき』(角川文庫)

 アルツハイマー病。精神余命1年。働き盛りの造園設計家・恵門潤一郎を突然襲ったそれは、自分が病気であるという意識さえ彼から奪いながら、ゆるやかに、しかし確実に、心と体を冒してゆく。生への執着と死への誘惑の間で揺れ動く男の絶望と救済を、精妙で叙情あふれる筆致で描いて、新境地を拓く長編小説。(粗筋紹介より引用)
 1992年、角川書店より出版された作品の文庫化。

 アルツハイマー病といえばロス・マクドナルドかレーガン元大統領の名前が浮かぶ程度で、あとはせいぜいゆっくり惚けていくというイメージしかなかった。本書を読み、アルツハイマー病の恐ろしさについて、考えさせられる。主人公が生と死の間で揺れ動く様や、徐々に病魔が進行していることに気付く恐怖などの描写はさすが。若い女性とのロマンスも、男としてはわかります。妻や子供の方から見たら勝手な行動なんだが。
 女性の家族にまつわる疑惑部分あたりにミステリっぽい仕掛けがほんのちょっと用意されているが、そこを除けば作者のきめ細やかな描写が際だつ普通小説。アルツハイマー病という病気そのものではなく、病気にまつわる行動原理をわかりやすく知るには、ちょうどいい本ではないかと思う。わかりやすい描写が、病気を知る人から見たらかえって軽いイメージを持ってしまうのではないかと危惧してしまうが。




松村比呂美『女たちの殺意』(新風舎文庫)

 夫の姉、久里子がまた家に転がり込んできた。無神経でルーズな九里子の行動が、時子には目障りで仕方がない。解き子のストレスは、いつしか殺意に変わっていくのだが。オール読物推理小説新人賞最終候補作、「暖かい殺意」。
 いつも男を連れ込み、部屋の掃除もせず、酒ばかり飲んでいるエリコ。整理整頓が大好きで、いつもエリコの部屋を掃除し、食事を作ってくれる節子。全く接点が見当たらない二人の大学生。「茶箱―渇いた殺意」。
 異常なほど潔癖症で、押し付けがましいほど世話をやく育美。ある日、育美の夫である聡が失踪した。真面目に仕事をし、ギャンブルなど一切やらず、女性にもてるとはとても思えない容姿の聡は、500万円の定期預金を解約してどこへ行ったのか。気になる姉は定期的に育美のところを訪れるが、育美が作って渡してくれる卵の殻で作った粉末がどうしても気になる。オール読物推理小説新人賞最終候補作、「カルシウム―白い殺意」。
 すぐにアレルギーにかかってしまう咲子。異物に反応しすぎる体質で、体に入る精子すらも殺してしまう。結婚前はこんなことはなかったのに、なぜか。「アレルギー―溢れ出る殺意」。  美智子はホームレスの男性を探していた。彼女は同窓会に出るため、どうしても適当な男を探し出す必要があった。「どうしても―ふりむいた殺意」。
 第4回新風舎文庫大賞。

 「暖かい殺意」:やっかいな義姉に殺意を覚え、ストレスがたまってとうとう実行する……というありきたりな設定ではあるが、登場人物の心理描写がよく描かれていて、これはなかなかやるなと思っていたら、最後のせりふにやられました。どんでん返しとはちょっと違うが、これはうまい終わり方。余韻が残ります。
 「茶箱」:これはさすがにパターンが読めてしまった。なかなか描けているとは思うが、もうワンクッション、何かあったほうがよかったか。
 「カルシウム」:こういうタイプの女性、いるね。うん、わかる、わかるというか。夫の行動も納得できるし。男女ともに、登場人物の心理描写が結構巧み。ただ、最後のほうはちょっとひねりすぎたか。かえってややこしくなった感がある。
 「アレルギー」:これは何というか。ちょっとピンと来なかった。アレルギーという症状と夫婦間をうまくからめている気はするが、やや唐突な終わり方というか。もうワンステップあってもよかったのでは。
 「どうしても」:主人公の感情は、女性でなければわからないもの。ただ描写がうまいので、納得させられます。最後の落ちもうまく決まっている。
 女性の視点から見たサスペンス作品は数多くあるが、恋愛感情の絡まないサスペンスは珍しいのでは。読んでいてわかるわかる、と思わせておいて、最後にぞくっとさせると感触が薄気味悪い。描き方がリアルなので、大受けしにくいかもしれないが、一つヒットを打てば定期的な読者がつくような作風である。次作(できれば長編)を読んでみたい。




夏樹静子『人を呑むホテル』(光文社文庫)

 クローズの晩に泊まると誰かが行方不明になる」という奇怪な噂が伝わるホテル精進湖。赤司行彦の恩師・坪坂教授と夫人が、その日に宿泊し、行方不明になった。行彦は、婚約者の畑野テオリとともに、閉鎖中のホテルへ忍び込むが収穫はない。その後、坪坂の首吊り死体が山中で発見されるが、夫人は…。死体移動の謎と愛憎の揺れ動きを描く、恐怖サスペンス巨編。(粗筋紹介より引用)
 週刊誌「女性自身」に1982年4月29日号〜1983年6月2日号まで「人をよぶホテル」の名前で連載。文庫オリジナル。

 週刊誌連載ということで、短い間隔でサスペンスを盛り上げているのはさすがの腕というべきだが、そのせいで主人公の女性のイメージがなんとなく不安定なものになっている気もする。二組の夫婦、それから一組のカップルにおける男女の愛情の対比は面白いところであるが、サスペンスを盛り上げているかどうかは疑問。
 せっかくの“人を呑むホテル”という設定が、あまり生かされていないのは残念。物語の最初と、途中で舞台とはなるが、あとは別の場所が舞台となっているので、わざわざホテルをタイトルにする必要はなかったのではないかと思ってしまう。
 週刊誌連載作品ならではの、それなりの長編作品という程度か。職人の腕で書かれたという程度の作品。




恩田陸『ドミノ』(角川文庫)

 一億円の契約書を待つ、締切直前のオフィス。オーディション中、下剤を盛られた子役の少女。推理力を競い合う大学生。別れを画策する青年実業家。待ち合わせ場所に行き着けない老人。老人の句会仲間の警察OBたち。真夏の東京駅、二七人と一匹の登場人物はそれぞれに、何かが起こる瞬間を待っていた。迫りくるタイムリミット。もつれ合う人々、見知らぬ者同士がすれ違うその一瞬、運命のドミノが次々と倒れてゆく!抱腹絶倒、スピード感溢れるパニックコメディの大傑作。(粗筋紹介より引用)
 月刊誌「KADOKAWAミステリ」に2000年5月号〜2001年5月号まで連載。2001年7月に単行本化された作品の文庫化。

 最初の人物紹介や、東京駅の地図にちょっとひいてしまったが、読み始めてすぐ物語にのめり込んだ。27人+1匹の登場人物を過不足なく、しかも短い文章で書き分けるその腕に脱帽。生保会社や子役のオーディションなどのリアリティも十分。まさにドミノ倒しのように事態がばたばた進み、結末までいきなりのフル回転。これは確かに面白い。恩田陸って、こういうコメディも書ける人だったんだ。読まず嫌いだったけれど、他の本も読んでみようかな。



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