先崎学『フフフの歩』(講談社文庫)

 将棋という厳しい勝負の世界に身を置く著者が、少年の頃から慣れ親しんだ酒、麻雀、競馬の話や、先輩後輩棋士との抱腹絶倒の交友録などを、軽妙洒脱な文章で綴った青春エッセイ。単行本で収録しきれなかった、アマチュア競合相手の真剣対局記を大幅に追加。『世界は右に回る 将棋指しの優雅な日々』改題(粗筋紹介より引用)
 「将棋世界」に連載されたエッセイをまとめた単行本『世界は右に回る 将棋指しの優雅な日々』(日本将棋連盟 1997)に、「将棋世界」1997年9月号〜1998年8月号に掲載された「先崎学の気楽にいこう」、「将棋世界」に1992年に掲載された「先チャンにおまかせ」を加えて2001年に刊行。

 将棋界が誇る元・天才、先崎学のエッセイ集。谷川浩司が名人で、羽生善治や佐藤康光などがまだ若かった頃。河口俊彦が「対局日誌」で、昔に比べ棋士がつまらなくなったと言われた世代なれど、こうして読めばやはり棋士という人たちは、一般の人たちと違うんだなあと思わせるものがある。逆に普通の青年と変わらないじゃん、といいたくなるような話もあり、等身大の棋士の姿を見ることができる貴重なエッセイである。
 考えてみれば、「将棋世界」で全部読んでいるんだよね。買うまで忘れていたけれど。先崎学の文章は楽しいわ。ただ、この人はこういうことをしなければ、もっと酒を飲まなければ、もっと遊ばなければ、もっと棋士として活躍できたんじゃないかと思ってしまうのも事実。才能があふれすぎた人の悲劇というべきかな。芹沢博文みたいに。




法月綸太郎『犯罪ホロスコープ1 六人の女王の問題』(光文社 カッパ・ノベルス)

 フリージャーナリストの飯田才蔵が取材中、若い男女二人によるホームレス殺害の場面に遭遇し、自らも軽傷を負った。残された証拠から容疑者の範囲は狭まったが、該当する人物がいない。「【牡牛座】ギリシャ羊の秘密」。
 売れっ子ライターが36歳の若さでマンションから転落死。事件の背景にあったのは、彼がかつて所属していた劇団の再演を揉める騒動にあるのか。「【牡牛座】六人の女王の問題」。
 綸太郎がカンヅメにされた山中湖畔のリゾートホテルで、ルポライターもどきのプロの恐喝屋が殺された。彼が脅していたのは、ホテルのオーナーだったらしい。「【双子座】ゼウスの息子たち」。
 殺された男性が探していたのは、妹を妊娠させ自殺まで追い込んだ、不倫相手の男。男性はすでに残り3人まで候補者を絞り込み、接触していたという。「【蟹座】ヒュドラ第十の首」。
 人気女優が殺された。久能警部は交際していた新進脚本家を、物証も見つけたので重要参考人として連れていったまではよかった。しかし、脚本家のアリバイを証言したのは身内であるはずの警察だった。「【獅子座】鏡の中のライオン」。
 飯田が綸太郎に見せたのは、最近ネットや携帯で広まっている、水中毒で植物状態になった女性に関する一文。しかし、飯田によると、ここに出てくる彼女は実在の人物であった。「【乙女座】冥府に囚われた娘」。
 2004〜2007年、「ジャーロ」「ミステリーズ」「夕刊フジ」に掲載された「星座シリーズ」の短編を集めたもの。クイーン『犯罪カレンダー』を意識して構成された短編集。

 法月久しぶりの新作は、どちらかといえば軽いタッチで書かれた短編集。本人曰く“プロフェッショナルな仕事”だが、下手に力を入れすぎる作品に比べると、こういうものの方が面白くなることは意外にある。
 短編としての本格ミステリを楽しむには充分な作品集ではないだろうか。星座等に関するちょっとした蘊蓄があって、事件があって、手掛かりが提示され、推理によって犯人が見つけられるという、定式通りの構成と仕上がりである。謎の設定はそれなりにヴァラエティになるようにしているため、ワンパターン化は免れている。
 まあ、これを推理クイズの短編小説化と揶揄する向きもあるだろうが、それを承知の上で推理の過程を楽しむのが、本格ミステリファンなのだと思う。
 手軽に本格ミステリを楽しむのなら、まずまず良質な作品集。法月も長編で悩みまくるぐらいなら、こういう短編で肩の力を抜いた方が、いい結果が得られるんじゃないだろうか。
 どうでもいいことだが、私としては図書館シリーズの沢田穂波が好みなので、そちらの方を頑張ってほしいと思うところだが。別に図書館にこだわらなくてもいいから、穂波を出せということだ。もっとも、法月ファンからしたら、穂波はニッキーレベルに痛い人物と見られているのだろうか。




坂東眞砂子『狗神』(角川書店)

 過去の辛い思い出に縛られた美希は、四十路の今日まで恋も人生も諦め、高知の山里で和紙を漉く日々を送ってきた。そして美希の一族は村人から「狗神筋」と忌み嫌われながらも、平穏な日々が続いてゆくはずだった。そんな時、一陣の風の様に現れた青年・晃。互いの心の中に同じ孤独を見出し惹かれ合った二人が結ばれた時、「血」の悲劇が幕をあける!不気味な胎動を始める狗神。村人を襲う漆黒の闇と悪夢。土佐の犬神伝承をもとに、人々の心の深淵に忍び込む恐怖を嫋やかな筆致で描き切った傑作伝奇小説。(「Bookデータサービス」より引用)
 1993年11月刊行、書き下ろし。

 『死国』とともに坂東眞砂子の名前を一躍広めることとなった作品だが、例によって例のごとく積みっぱなしにしていた。『死国』が自分と波長が合わなかったことが、手に取る気分にさせなかった大きな理由だと思う。
 しかしこちらは面白かった。最初は美希の寂しい日常が淡々と続くだけで盛り上がりに欠けたが、晃が登場してからの美希の心の揺らぎ、少しずつ迫ってくる破滅の足音、悲劇へと導く冷たい視線と言動等、読者に降りかかってくるおぞましさが急スピードで加速してくる。これは素直に、してやられたというしかない。
 何で今まで読まなかったんだろう、と後悔した作品。坂東眞砂子の入門書としても最適な一冊かも。




野口文雄『手塚治虫の『新宝島』 その伝説と真実』(小学館)

 旧来の漫画の常識、構成、画風に対する、手塚の習作長編の映画的手法、アニメのコマ送り的な破天荒な描法、荒々しいタッチからディズニーふうに完成しかけた絵、そのせめぎあいに、手塚は苦闘した。――『新宝島』の功績は誰に帰すべきものなのか、真実は謎のままだが、最後にこれだけは判然としている。『新宝島』に驚嘆した人たちはその後も手塚を追い続け、酒井は『新宝島』との係わりにおいてのみ、その名を残した。(本書より)
 2002年に『手塚治虫の奇妙な資料』という労作を書いた、手塚治虫資料研究者の第一人者である作者が、40年の研究成果の全てを注いだ、注目の書!(一部帯より引用)

 原案構成酒井七馬、作画手塚治虫として、育英出版株式会社から出版された『新宝島』は、「漫画の神様」手塚治虫の単行本デビュー作であり、その斬新な手法と構成によって今までの漫画を大きく変えることとなった歴史的作品である。そして藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫(全部当時の名前)など後に大家となる漫画家をはじめ数多くの読者の道標ともなった作品でもある。
 しかし、原案である酒井七馬と手塚治虫との役割分担はどうだったのかなどといった、肝心な部分においては隠されたままになっている。手塚治虫本人は色々と語っているが、それに対して疑問を投げかけたのが、中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房)であり、本書はそれに対する反論書にもなっている。
 すでに酒井も手塚も亡くなっており、中野も本書も手塚死後に書かれた作品であるから、どれが答えかというものはなかなか見つからない。読者は両方を読んで判断するしかないのだ。
 本書は、当時の描き版(漫画家が描いた作品をトレースして出版する方法。当時としては当たり前だった)と残された原稿等を比較し、『新宝島』の謎に迫るとともに、当時の手塚がいかに革新的だったかを探る研究書である。ただ、問題は肝心の野口の文章がわかりづらい。何を言いたいのか、わからない部分が結構多いのだ。そのため、この研究書が中途半端な形で終わってしまっており、とても残念である。
 資料そのものとしては第一級品だろう。当時の未発表原稿や、あまり残されていない描き版時代の原稿に色のきれいな表紙など、手塚ファンなら喜びそうなものがこれでもかとばかりに並んでいる。そういう方面が好きな方には、まさにお薦めである。でもどうせなら、当時の手塚作品そのものを、当時の形で復刻してくれた方が嬉しいけれどね。手塚全集自体は素晴らしい業績だと思うけれど、貸本時代の装丁で復刻をしてほしいものである。ついでに足塚の『最後の世界大戦』も。




高木彬光『白昼の死角 新装版』(光文社文庫)

 明晰な頭脳にものをいわせ、巧みに法の網の目をくぐる。ありとあらゆる手口で完全犯罪を繰り返す"天才的知能犯"鶴岡七郎。最後まで警察の追及をかわしきった"神の如き"犯罪者の視点から、その悪行の数々を冷徹に描く。日本の推理文壇において、ひと際、異彩を放つ悪党小説。主人公のモデルとなった人物を語った秘話を収録。(粗筋紹介より引用)

 「週刊スリラー」1959年5月1日〜1960年4月22日まで「黄金の死角」というタイトルで連載。1960年6月にカッパ・ノベルスから出版された。

 高木彬光はミステリの様々なジャンルにおいて代表作といえる作品を次々と書いていったが、本書は悪党犯罪小説のジャンルに燦然と輝き、50年近く経った今でも全く色褪せずに光っている一冊である。
 戦後の光クラブ事件をモデルにした舞台から始まっているから、時代背景としては相当古いものであるが、この現代で読んでみても、古いと感じさせる部分は全くない面白さである。
 冷徹な頭脳と、法律の知識を駆使し、次々と完全犯罪を成し遂げていく鶴岡七郎。警察や検察、さらには暴力組織と対峙しても堂々と渡り合うその姿に、読者は拍手喝采を送るだろう。
 まあ、今更ここにくどくど書かなくても、誰もが知っている名作だし、自分もいったい何回読んだかわからないぐらい面白い作品なのであるが、本書は鶴岡七郎のモデルになった人物を語ったエッセイが収録されているので、興味のある方はぜひ読んでほしい。

 HPを初めてすぐの頃だが、『白昼の死角』のモデルが実在するという話は本当か、というメールを頂いたことがあった。自分は一介の素人だし、特に経済事件がらみはほとんど知らない。何人かに訪ねてみたのだが、そうらしい、という程度のことしかわからなかった。モデルが実在するということがわかったのはとても嬉しいが、調べようにも名前がわからないので調べられないというのがとても残念である。時間ができたら、一度追ってみたい人物である。




石持浅海『君の望む死に方』(祥伝社 ノンノベル)

 膵臓ガンで余命6ヶ月――。
(生きているうちにしかできないことは何か)
 死を告知されたソル電機の創業社長日向貞則は社員の梶間晴征に、自分を殺させる最期を選んだ。
 彼には自分を殺す動機がある。
 殺人を遂行させた後、殺人犯とさせない形で――。
 幹部候補を対象にした、保養所での“お見合い研修”に梶間以下、4人の若手社員を召集。
 日向の思惑通り、舞台と仕掛けは整った。
 あとは、梶間が動いてくれるのを待つだけだった。
 だが、ゲストとして招いた一人の女性の出現が、「計画」に微妙な齟齬をきたしはじめた……。(粗筋紹介より引用)
 2008年、書き下ろし。

 <著者のことば>にある通り、事件が「起きるまで」を丁寧に書いた話。
 日向には殺される理由があり、梶間に殺されたいと思って準備する。
 梶間は殺す理由があり、日向を殺そうと思ってチャンスを窺う。
 意志疎通がなくとも、被害者と加害者の思惑が一致していれば、殺人なんて簡単に起きるだろうし、完全犯罪も難しいことではない。
 しかしゲストとして登場する女性の何気ない言動が、少しずつ歯車を狂わせていく。その女性の名は、碓氷優佳。『扉は閉ざされたまま』に出てきたヒロインである。
 彼女の考え方は、論理的推理というよりは、まず発想ありきのものであり、あとは正しいかどうかを周囲の状況から組み立てていくものである。一見突飛なように思えるが、やや露骨とはいえ昔からある手法であり、特に珍しいものでもない。確かに発想はぶっ飛んでいるところがあるが、そこから先の組み立て方は、本格ミステリファンを満足させてくれるもの。もっとも、読者には解きようがないものであるが。
 その“推理”は最後に明かされるため、登場人物や読者は、優佳が何を考えているのかさっぱりわからない。この研修中における優佳のコントロールぶりが実に面白い。
 日向や梶間だけではなく、研修に参加するメンバーや、ゲストとして参加する日向の甥・安東章吾(こちらも『扉は閉ざされたまま』の登場人物)と婚約者の真理子といった登場人物のキャラクター造形も、なかなか考えて配置されたものである。真意を隠したままの研修や、ソル電機という会社の成長の歴史など、舞台についてもきっちりと練られており、事件とはあまり関係のない部分でも十分楽しい。
 日向と梶間がまず殺人を第一前提に置いてしまうという短絡思考がちょっと気に入らないが、作者としては会心の仕上がりではないだろうか。今年の当たりをようやく引いた気がする。
 『扉は閉ざされたまま』に出てきた優佳、安東が出てくるものの、特に前作とのつながりはないので、前作を読んでいない人でも気にすることはない。ただ、ちょっとにやっとする所はあるので、できれば前作を読んでからにしてほしい。それに前作も、十分読者を満足させるものだろうし。




ヒラリー・ウォー『冷えきった週末』(創元推理文庫)

 2月29日、深夜。彼女はパーティの席を立ち、そのまま姿を消した。そして翌朝、彼女は川べりで見つかった……殴殺され、雪に半ば埋もれて。同時に、プレイボーイの富豪が新妻を残して失踪。ふたりを結ぶものは何か? ニューヨークから来た名士たちの華やかな宴席の蔭でもつれあう、愛憎、打算、そして策謀。それを解きほぐさんと、ストックフォード署の警察官たちの捜査はつづく。パズルの一片一片のように小さな手懸かりをもとめて……。フェローズ署長の捜査メモを掲載、105項目にわたるデータと29の疑問点を提出。綿密な伏線と徹底したフェアプレイで読者に挑戦する、警察小説の巨匠ウォー屈指の本格ミステリ、本邦初訳!(粗筋紹介より引用)
 1965年の作品、翻訳は2000年。

 瀬戸川猛資に影響された人が東京創元社に入社したのかと思わせるぐらい、一時期多くの作品が翻訳されていたウォー。これも新刊で買ったのだが、読むのは今頃である。
 ひとことで言ってしまうと、ウォーらしい警察小説、で終わってしまう。もちろん、レベルは高いのだが。殺人事件が起きて、さらにひとりが失踪。事件関係者となってしまったパーティーの出席者たちの、様々な思惑や右往左往振りを楽しみ、捜査の進展が全く見られず後手ばかりを引いてしまうフェローズ署長以下の警察側の動きの悪さに苛立ちながら、読者は誰が犯人なのだろうかとジリジリさせられながらページをめくることになる。
 本格ミステリとして楽しめる警察小説を読みたい、いう人には満足できる仕上がりになっていると思う。
 ただウォーを始めて読む人なら、『失踪当時の服装は』とか『事件当夜は雨』を先に読んだ方がいい。登場人物が多いので事件の背後関係を把握するのが少々手間であり、また警察の捜査が遅すぎるので、読んでいてちょっとまどろっこしいと感じる人がいると思う。




パーシヴァル・ワイルド『検死審問―インクエスト』(創元推理文庫)

 これより読者諸氏に披露いたすのは、尊敬すべき検死官リー・スローカム閣下による、はじめての検死審問の記録である。コネチカットの平和な小村トーントンにある、女流作家ミセス・ベネットの屋敷で起きた死亡事件の真相とは? 陪審員諸君と同じく、証人たちの語る一言一句に注意して、真実を見破られたい――達意の文章からにじむ上質のユーモアと、鮮やかな謎解きを同時に味わえる本書は、著名な劇作家のワイルドが、余技にものした長編ミステリである。江戸川乱歩が激賞し、探偵小説ぎらいだったチャンドラーをも魅了した幻の傑作、待望の新訳。(粗筋紹介より引用)
 1940年に書かれ、日本には1951年に初めて紹介された作品の新訳版。

 乱歩の随筆によく挙げられていながら、中々手に取ることができなかった作品群の中でも、上位に挙がるであろう一冊。持っていたような気がしつつも買ったのだが、持っていたのは『ベラミ裁判』の方だった(苦笑)。
 せっかくの新訳が出たということで期待して読んでみたのだが、苦手な系列の方の作品だった。この手のそこはかとなく漂ってくるユーモアというのが、自分にはどうも理解できないのだ。事件に関係がないような話まで延々としゃべる登場人物に辟易しながら苦労して読み続けていったら、終わってみるとあれが伏線だったのねと驚く結果に。解説にも書かれていたが、確かにこれは再読が必要な長編である。
 とはいえ、個人的にはそれほど感心しなかった。原文はどうだかわからないが、いかにも劇作家が書きそうな小説であり、作品のリズムがどうも戯曲に近い感じがする。それが自分には合わないのかもしれない。再読すればもっと違った評価があるのだとは思うが。
 この作品を正しく評価するのなら、最低二回は読んだ方がいい。一回しか読んでいない自分には、この作品について語る資格はないのだろう。



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