隆慶一郎『花と火の帝』上下(講談社文庫)

 後水尾天皇は16歳の若さで即位するが、徳川幕府の圧力で二代将軍秀忠の娘、和子(まさこ)を皇后とすることを余儀なくされる。「鬼の子孫」八瀬童子の流れをくむ岩介ら"天皇の隠密"とともに、帝は権力に屈せず、自由を求めて、幕府の強大な権力と闘う決意をする……著者の絶筆となった、構想宏大な伝奇ロマン大作。(上巻粗筋より引用)
 徳川家康、秀忠の朝廷に対する姿勢は禁裏のもつ無形の力を衰弱させ、やがて無にしてしまうことだった。「禁中並公家諸法度」の制定や「紫衣事件」などの朝廷蔑視にあって、帝は幕府に反抗し、女帝に譲位し、自らは院政を敷くことにする……波瀾万丈の生を歩まれる後水尾天皇を描く、未完の伝奇ロマン。(下巻粗筋より引用)
 「日本経済新聞」昭和63年2月16日~平成元年9月21日連載。平成元年11月4日に急逝した作者の絶筆。連載中断後に執筆した1話を加え、1990年1月、日本経済新聞社より刊行。1993年9月、講談社文庫化。

 わずか5年の間に数々の時代小説の傑作を残してきた隆慶一郎の絶筆作品。徳川幕府に対抗し続けた後水尾天皇の戦いと苦悩を描いた作品。処女作『吉原御免状』の主人公・松永誠一郎は後水尾天皇の隠し子であり、『影武者徳川家康』でもキーポイントで登場させてきた作者だから、後水尾天皇を主人公にすることはまさに満を持してというところであろう。ただし、天皇自身が表だって動くことは許されていない。そこで登場するのは、天皇の輿を担ぐ駕輿丁として禁裏に勤め、「天皇の隠密」としても働いた八瀬童子の棟梁格である岩兵衛の息子、岩介である。5歳で「天狗」の弟子となり、親に隠れて半年間の修行後、「天狗」とともに「冥府」(実際は朝鮮)へ旅立ち、11年後に帰ってきた。後水尾天皇の「友人」となり、後に仲間となる忍者・猿飛佐助、切支丹忍者の霧隠才蔵、京都所司代に仕えている朝比奈兵左衛門らとともに後水尾天皇をお守りする。
 隆慶一郎作品の他の作品と同様、徳川秀忠と柳生宗矩が敵役。ただし本作品は、今まで影武者ばかりが出てきた徳川家康ではなく本物の家康が出てくる(何だかややこしい書き方)ので、さらに事態は複雑。呪術や忍術、剣術などによる闘いが繰り広げられ、異界(士農工商に属さない身分)の人物たちが多数登場し、さらに今までと異なった天皇という存在の立ち位置を書くことにより、隆慶一郎の総決算ともいえる作品になっている。
 しかし残念なことに、本作品は未完である。正直言うとそれが嫌で、今まで手を付けなかった。面白いことは保障されているのに、未完で終わってしまっては身悶えてしまう。しかしとうとう手を付けてしまった。そして予想通り、身悶えてしまう結果となった。それもよりによって、秀忠がシャムから呼んだ刺客の白玄理と岩介らが対決する寸前で中断するとは……。
 『影武者徳川家康』などの歴史観からさらに一歩進んだと言える本作。なぜ未完なんだと叫びたい。もし完結していれば、隆作品の最高傑作と呼ばれていただろう。




別冊宝島編集部編『プロレス 悪のアングル』(別冊宝島 2431)

 毎度おなじみのプロレス舞台裏を追求するシリーズ。まあ、ただのスキャンダル追いなだけなのだが、なんだかんだ言って買ってしまう。
 巻頭はブシロード「2億円の赤字決算」と1.4ドーム大会集客激減の話。そして中邑真輔移籍の話。好調な時はほとんど取り上げなかったのに、ちょっと調子が悪くなると早速叩きはじめるところが、らしいというかなんというか。中身自体は大したことないが。
 NOAHについては落ちるところまで落ちたというところ。西永秀一レフェリー失踪の真相を書けるのは宝島ぐらい。それだけでも価値はある。しかし全日本プロレスについてはもっと書くことがあるんじゃないだろうか。あまりにも落ちすぎて、逆に書きようがないということだろうか。
 吉原達夫、ああ、いたなあ。RIZINや桜庭和志はどうでもいいよ、今更。魔裟斗が試合をしていたなんて知らなかった。所詮その程度。
 あとは例によって大きな写真でページ稼ぎ。半年ぶりに出てこの程度のネタしかないのか、宝島。ドラゴンゲートやDDT、大日本をもっと扱ったらどうなんだ。引退したプロレスラーへのインタビューでもしてみたらどうなんだ。




高木彬光『邪馬台国の秘密 新装版』(光文社文庫)

 邪馬台国はどこにあったか? 君臨した女王・卑弥呼とは何者か? この日本史最大の謎に、入院加療中の名探偵・神津恭介と友人の推理作家・松下研三が挑戦する。一切の詭弁、妥協を許さず、二人が辿りつく「真の邪馬台国」とは? 発表当時、様々な論争を巻き起こした歴史推理の一大野心作。論拠を示したエッセイを併せて収録。(粗筋紹介より引用)
 1972年11月より刊行された「高木彬光長編推理小説全集」全16巻・別巻1(光文社)のうち、第15巻『都会の狼』とともに収録される『新作B』として書き下ろされたもの(ちなみに『新作A』は『新曲地獄篇』)。1973年12月、カッパ・ノベルス(光文社)より先行発売。1974年1月、全集版刊行。その後、初歩的なミスの修正や指摘に対する大幅な加筆改稿がなされ420枚から600枚になった改稿新版が1976年9月、東京文藝社より刊行。その後、さまざまな媒体で出版。本文庫は2006年10月刊行。高木彬光コレクション最後の作品。

 久しぶりに神津恭介が登場し、『成吉思汗の秘密』以来の歴史の謎に対するベッド・ディテクティヴに挑む。カッパ・ノベルス版は半年で35万部となるベストセラーとなった。1974年には『小説推理』紙上で松本清張との「論争」が交わされるなど、話題に事欠かない作品である。古田武彦の『「邪馬台国」はなかった』との類似も色々と指摘されている。
 本作品は、急性肝炎で入院した神津と、友人の松下研三が邪馬台国の謎を解く話である。登場人物は二人だけ。本作品では松下研三が博覧強記ぶりを発揮し、調べたことを逐一覚えているという状況。そしてそれを基に神津が推理によって邪馬台国の位置を特定するのだが、この手の歴史の謎に興味が無い人にとっては少々退屈。読んでいて、はー、なるほどね、とは思うものの、これが「真実」かどうかは誰にもわからないし、「推理」に都合の悪い部分を載せていなくても気付かない。そして最大の難点は、邪馬台国らしき遺跡が見当たらないこと。どこか、本格推理小説の欠点らしきところが本作にも表れていると思う。小説なら「推理」で恐れ入るのだが、現実なら「証拠」が必要。小説ではそこまで書かれていないことが多い。そして本作も、推理が正しいと言える証拠が無いのである。だから、どことなく胡散臭さを感じてしまう。だから、数多とある邪馬台国物の一つと思えば、それでいいと思う。
 本作品が退屈と思える部分の一つに、『成吉思汗の秘密』にはあった人間ドラマがない点がある。本作品は純粋に邪馬台国の謎を解く話しかない。まあ、神津と松下のやり取りにくすっと笑うところはあるが、それだけ。昔馴染みである彼らの絆の深さが偶に見えるのだが、そのあたりをもっと書いてほしかったというのは二人のファンだからだろうか。




エドマンド・クリスピン『大聖堂は大騒ぎ』(国書刊行会 世界探偵小説全集39)

 オルガン奏者が何者かに襲撃され、不穏な空気が漂うトールンブリッジの大聖堂で、巨大な石の墓碑に押し潰された聖歌隊長の死体が発見される。しかも事件当時、現場は密室状況にあった。この地方では18世紀に魔女狩りが行なわれた暗い歴史があり、その最中に奇怪な死を遂げた主教の幽霊が聖堂内に出没するとも噂されていた。ディクスン・カーばりの不可能犯罪に、M・R・ジェイムズ風の怪奇趣味、マルクス兄弟のスラップスティックをミックスしたと評される、ジャーヴァス・フェン教授登場のヴィンテージ・ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 1945年発表。クリスピンの第二長編。2004年5月、翻訳、刊行。

 クリスピンは苦手な作家のひとり。英国風の本格ミステリがあまり好きになれないということもあるが、それ以上にあのユーモアが付いていけない。クリスピンはアマチュア作家だったかもしれない(本業は作曲家)が、戦後の英国本格ミステリを代表する作家だったと思う。
 それにしても、ヴィントナーとフィールディングの補虫網をめぐるドタバタぶりには頭を抱えるしかなかった。ああいうドタバタは映像ならまだ楽しめるのだろうが、文章で読むと興醒めしてしまう。
 巨大な墓碑に押しつぶされるトリックについても、謎自体はワクワクしたが、種明かしをされると本当に可能なのかと首をひねってしまう。それを受けいれたとしても、背景も含め不自然であることは否めない。
 とってつけたようなロマンスも含め、何から何まで楽しめなかったのは事実。うーん、やっぱり肌に合わないとしか言いようがない。犯人を突き止めるロジックには、らしさを感じたけれど。




斎藤純『海へ、そして土曜日』(講談社文庫)

 70年代に作られたという"幻の映画"が、蒸発した夫の部屋から出てきたので見てくれないかと人妻から誘われたぼくは、一夜を共にしてしまった。それが彼女との最後になった。ぼくは幻のフィルムを作った男たちを、女子大生・初美と共にバイクを駆って探し回り、1人の美女を巡る深い疑惑の淵に飛び込んだ。(粗筋紹介より引用)
 1989年11月、『ダークネス、ダークネス』のタイトルで刊行。1993年7月、大幅に加筆改稿の上、改題して文庫化。

 斎藤純の長編2作目。主人公は前作『テニス、そして殺人者のタンゴ』とは異なるものの、造形自体はそれほど変わらない。職業はラジオ制作の音楽ディレクターで、元人気ロックバンドのベーシスト。バイク乗りでジャズが好きで酒を飲み、どことなく無頼だが女にモテ、女子大生の恋人が居る。
 幻の映画『ダークネス、ダークネス』を巡り、主人公は関わった人物たちを探し回るのだが、その肝心の映画の魅力がもう一つ伝わってこない部分があるのは残念。それとも自分の感受性が悪いのだろうか。事件の動機も今一つだった。この程度で殺人に手を染めるだろうか。
 どうでもいいが、粗筋の「バイクを駆って探し回り」は誤り。初美と一緒に動くのは小説の最後の方だし、しかも初美の車の運転だ。
 事件の謎自体は単純なのだが、ジャズが流れる大人のハードボイルドな雰囲気を楽しむ作品、という仕上がりになっている。前作の方がもう少しミステリの味付けがあった。音楽やバイク、車や酒などへのこだわり、洒落た会話などが好きな人なら楽しめるだろう。「新感覚ハードボイルド」と銘打たれているが、本作品は片岡義樹の作風に近いところを感じた。お洒落な作品、大人なムードを楽しみたい人にはお勧め。




横溝正史『横溝正史探偵小説選I』(論創ミステリ叢書)

 2008年8月刊行。収録作品は以下。まずは創作・翻案編。
「霧の夜の出来事」「ルパン大盗伝」「海底水晶宮」「恐ろしきエイプリル・フール」「化学教室の怪火」「卵と結婚」「十二時前後」「橋場仙吉の結婚」「恐ろしき馬券」「悲しき暗号」「宝玉的道話集」「お尻を叩く話」「首を抜く話」「博士昇天」「足の裏 共犯野原達男の告白」「五つの踊子」「妻は売れッ子 甘辛夫婦喧嘩抄」「黄色い手袋」「五万円の万年筆」「ドラ吉の新商売」「コント・むつごと集」「陽気な夢遊病者」「堀見先生の推理」「榧の木の恐怖」
 評論・随筆・読物編は以下。
「ビーストンの面白さ」「創作集『心理試験』」「幽霊屋敷」「私の死ぬる日」「ビーストンに現れる探偵」「探偵小説講座」「処女作云々」「いろいろ」「探偵映画蝙蝠を観る」「無題」「酔中語」「「ユリエ殺し」の記」「恋愛曲線を称ふ」「銀座小景 或は、貧しきクリスマス・プレゼント」「散歩の事から」「不吉な数」「陰獣縁起」「トーキーと探偵物」「思ひ出の断片」「グリーンの作品」「フアーガス・ヒユーム」「ビーステンドサム」「パリのなぞ」「くすり屋の抽斗から」「探偵・猟奇・ナンセンス」「探偵小説講座」「光る石」「クロスワード式探偵小説」「彼の精神力」「現実派探偵小説」「浮気な妻故」「東京パンの思い出」「カミ礼讃!」「探偵小説壇の展望」「江戸川乱歩へ」「槿槿先生夢物語」「探偵小説の簡便化」「クレオパトラと蚤」「続槿槿先生夢物語」「私の探偵小説論」「上諏訪三界」「アンケートほか」

 横溝正史の単行本未収録作品を集めた作品・随筆集。全3巻のうち第1巻は主に戦前の作品を集めている。
 2006年に旧宅で発見された「霧の夜の出来事」が目玉と言うことだろう。多くがユーモアやナンセンスな作品に仕上がっているのは、この頃の横溝の作風ならではと言ったところである。「ルパン大盗伝」「海底水晶宮」はルパンの翻案もの。「水晶の栓」「奇岩城」が下敷きとはなっているが設定を除くとほぼ別物で、この時代ならではの大胆な料理方法ではあった。残りは掌編が中心であり、今まで単行本に収録されなかったのも仕方が無いと納得するしかないものばかりである。それでも「首を抜く話」は乱歩「ぺてん師と空気男」の1エピソードと同じネタを扱っており、興味深い。「妻は売れッ子―甘辛夫婦喧嘩抄」は「夫婦書簡文」の改稿バージョン。
 評論・随筆・読物編はそれほど見るべきものはなかったが、ビーストン礼讃が多いのは、当時の横溝の趣味が見えて面白い。乱歩が『悪霊』の連載を休載し続けることに対する怒りの文書はなかなか興味深かった。
 横溝ファンなら中身はどうあれ、読んだことがない作品ばかりなので思わず手を出すことになるのだろう(まあ、自分もその一人だったが)。そりゃ部数が出ないだろうからこの値段も仕方が無いだろうが、それでも高いなあとは感じてしまった。解説はなかなかよかったが。



【元に戻る】