貴志裕介『硝子のハンマー』(角川文庫)

 日曜日の昼下がり、株式上場を間近に控えた介護サービス会社で、社長の撲殺死体が発見された。エレベーターには暗証番号、廊下には監視カメラ、窓には防弾ガラス。オフィスは厳重なセキュリティを誇っていた。監視カメラには誰も映っておらず、続き扉の向こう側で仮眠をとっていた専務が逮捕されて……。弁護士・青砥純子と防犯コンサルタント・榎本径のコンビが、難攻不落の密室の謎に挑む。日本推理作家協会賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2004年4月、角川書店より単行本刊行。2007年10月、文庫化。

 貴志裕介が初めて本格ミステリに挑んだ一作。まさに難攻不落と言える密室トリックであり、それでいてトリックに使ってくださいと言わんばかりの介護ロボットが部屋の中に控えているのだから、本格ミステリファンなら思わず挑もうと思ってしまうもの。とはいえ、このトリックは非常に難解であり、さらに言えば動機の方から解き明かすのはまず不可能。解決のトリック以外に捨てトリックも複数用意するあたりも、作者は用意周到。どこまで作者は調べたのだろうと、本当に感心する。
 それに探偵役の設定も秀逸。特に防犯コンサルタント、榎本径のキャラクターは面白い。正義感溢れる青砥純子とのやり取りが際立っている。
 本作品は「I 見えない殺人者」と「Ⅱ 死のコンビネーション」の二部に分かれており、Ⅱでは犯人側の視点より生い立ちから犯行に手を染め、犯行が榎本たちにばれるまでが描かれている。社会的問題も含まれており、前半の介護の話も含め、社会派ミステリの要素も含まれているのも面白い。ただその分、非常に話が長くなってだれてしまった感は否めない。特に榎本がトリックに思いついた後、二部で犯人の話に移ってしまうのだから、気になって仕方がなかった。もちろん二部も読める内容なのだが、ちょっと勿体ない気がする。
 ホラーやSF、サスペンスなど多彩な作風の作者だが、本格ミステリも書けることを示した一作。シリーズとして続いているのは、非常に楽しみである。




大倉崇裕『福家警部補の再訪』(東京創元社 創元クライムクラブ)

 鑑識不在の状況下、警備会社社長と真っ向勝負(「マックス号事件」)、売れっ子脚本家の自作自演を阻む決め手は(「失われた灯」)、斜陽の漫才コンビ解消、片翼飛行計画に待ったをかける(「相棒」)、フィギュアに絡む虚虚実実の駆け引き(「プロジェクトブルー」)……好評『福家警部補の挨拶』に続く、倒叙形式の本格ミステリ第二集。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』に2006~2007年、掲載。2009年5月、刊行。

 テレビでも売れている警備会社社長・原田明博は、私立探偵会社経営の頃、強請屋をしていた。当時の仲間だった川上直巳が過去をばらすと金を要求し続けてきたのも限界となり、豪華クルーズ船マックス号内にて金を渡すと嘘をついて呼び寄せ、船内で殺人。直巳の債権者の部下も乗客におり、計画は完璧に見えた。しかし、別の事件で船内を捜査し、そのまま船を降り損なった福家警部補が、事件に乗り出す。「マックス号事件」。
 人気脚本家の藤堂昌也は、デビュー作が盗作であると突き止め、金を要求してきた古物商の辻伸彦を殺害する計画を立てる。アリバイとして、藤堂のファンである俳優志望の三室勘司をだまし、自信が誘拐されていたように見せかけた。辻を予定通り殺害し家を全焼させ、三室は正当防衛に見せかけて殺害した。計画は完璧に見えたが、誘拐事件の捜査に乗り出していた福家警部補は、辻殺害事件との関連を探し当てる。「失われた灯」。
 落ち目の漫才コンビ、山の手のぼり・くだりののぼりこと立石浩二は、最近ミスが多い相棒のくだりこと内海珠雄と別れて独立し、ピンで活動するように勧められていた。立石は乗り気だったが、内海は師匠の命日である半年後まで解散を待ってほしいと訴える。立石はかつて稽古を重ねていた別荘で、内海を事故に見せかけて転落死させた。「相棒」。
 玩具企画専門会社スワンプ・インプの社長である新井信宏に、自称造形家の西村博が脅迫してきた。新井は学生時代、当時大人気のミリバール人形の贋物を作って売っていいた。そのことを嗅ぎ付けて金を要求してきた西村を、新井は殺害する。捜査で訪れた福家警部補に対し、事件当日は発表されたばかりの新ブルーマンのフィギュアを造っていたと主張した。「プロジェクトブルー」。

 小柄でとても刑事には見えない福家警部補シリーズの、『福家警部補の挨拶』に続く第2作。例によって、買うだけ買って忙しくしているうちに、いつの間にかダンボールの奥底に眠っていた。
 著者が大ファンである『刑事コロンボ』を受け継ぐかのような、倒叙もの。犯人の小さなミスを手がかりに、事件の真相を暴き立てるのは、全作変わらない。とはいえ、4作読んでしまうと、同じパターンでは飽きが来てしまうことも事実。となると、事件自体で何らかの違いを見せなければいけないところだが、4作中3作が脅迫されて殺人を実行するというのは、少々安易ではないか。確かに殺人はそう簡単に手を出せないだろうが、もう少し"悪"を強調した犯人がいてもいいだろうにとは思った。
 「マックス号事件」は犯人のミスから真相が露呈するが、そもそも福家警部補がこの犯人に目を付けた理由が書かれていたっけ? そこが非常に気になった。
 「失われた灯」はアリバイトリックがかなり強烈なもの。とはいえ、「頭のいい」犯人なら、殺人を2件犯すことでミスを犯す確率が2倍以上になりやすいことに気づきそうなものだが。脚本家なら、俳優が自らの脚本に忠実に動くかどうかすらわからないことに気づいてほしい。まあ、余計な話ではある。
 「相棒」は、実は証拠がないんじゃないか。心理的な追い詰めはわからないでもないが、かなり危ない綱渡りだったと思う。警察がそのようなことをしていいのだろうか、という気もする。それと、師匠の名前がこだま・ひかり、というのは、いくら屋号が違うとはいえ実在した漫才コンビだったから、これは止めてほしかった。
 「プロジェクトブルー」は思わぬところから犯行が露呈するところがなかなかいい。ラストの印象度も高く、本作品中のベスト。
 作者の趣味を十分に生かした設定が面白いのは事実だが、パターン化によるマンネリは避けてほしいと思う。




別冊宝島『プロレス 真昼の暗黒』(宝島社 別冊宝島2494)

 毎度おなじみのプロレス暴露本。今回は中村WWF移籍に伴う年俸、丸藤・杉浦が取締役を辞退したノア、ノアの「ファン暴走事件」と平柳玄藩引退劇、親会社と縁が切れた秋山全日本、秋風が吹いている曙と馬場元子、大仁田厚の鳩山邦夫への借金2000万円踏み倒し、WWE集団訴訟、日ハム斎藤祐樹への利益供与が暴かれたベースボール・マガジン社社長、プロレス団体がつぶれる瞬間を語ったマイティ井上のインタビュー。そして目玉は、主要プロレスラー知名度調査。
 主要プロレスラー知名度調査は調査会社に協力を仰いで行ったというけれど、せめてその調査会社ぐらい書けないものだろうか。氏名だけではなく、写真もみせたら、少しはランキングも変わるだろうと思うけれどね。もっとも、テレビ離れ、活字離れの時代に知名度云々を言っても難しいとは思うが。
 他の記事は、ほとんどが後追いか、2chレベルの噂話をまとめたもの。毎回同じ話題を繰り返すのもいつものことだし、千代の富士が亡くなったからと言って幻のプロレス団体の話を再録するなど、手抜き感満載。一応本らしいことをしているなと思えるのは、マイティ井上のインタビューくらいだが、これだってその気になればもっともっとネタがあるだろうに、宝島が出し惜しみしているのか、井上が出し惜しみしているのかわからないが、内容はスッカスカ。
 なんとなく惰性で買っているけれど、立ち読みレベルで十分な内容。本屋のためには、立ち読みなんてやめてほしいけれど。




東野圭吾『予知夢』(文藝春秋)

 27歳の坂木信彦は、世田谷に住む16歳の女子高生、森崎礼美につきまとうようになり、とうとう深夜、家に忍び込む。しかし異変を察した母親の由美子が、近くにあった猟銃を発砲。坂木は車に乗って逃げ出したが、ひき逃げ死亡事故を起こし、逮捕される。坂木は、17年前からモリサキレミと結ばれる運命にあったと供述。実際に小学校時代の文集にもそのことを書いていた。当然、礼美は生まれていないし、由美子も坂木も互いのことを知らないと供述した。「第一章・夢想る(ゆめみる)」。
 細谷忠夫はクラブのホステス、長井清美と交際していた。清美はフリースポーツライターの小杉浩一につきまとわれており、友人である細谷は止めさせようと部屋に電話するも本人はおらず、共通の友人である山下恒彦が小杉の依頼で猫の世話を含む留守番をしていた。山下に誘われ、細谷は小杉の部屋で飲み明かすこととする。深夜、細谷は窓の外から清美の姿を見かける。びっくりした細谷は清美の携帯電話に掛けるも、つながらない。実は清美は同時刻、小杉に殺害されていた。細谷が見たのは幽霊だったのか。「第二章・霊視る(みえる)」。
 草薙は、姉の森下百合からの依頼で、友人の妹である神崎弥生の夫・俊之が5日前から行方不明となっている話を聞く。俊之が通っていた高野ヒデの家を弥生が訪ねてみると、ヒデは病死し、甥夫婦と他の夫婦が共同で生活していた。草薙自身は動くことができないため、弥生が高野家を見張っていると、二組の夫婦は毎日午後8時に家を出ていることがわかった。再度の弥生の依頼で、草薙が高野家から出てきた二組の夫婦を尾行するも、何事もなく家に帰ってきた。一方、家を見張っていた弥生は、家の中から物音が聞こえると話した。草薙たちは翌日、夜8時に家へ無断で入り込むと、部屋の中が振動し始めた。「第三章・騒霊ぐ(さわぐ)」。
 ヤジマ工業の社長である矢島忠昭は、ホテルで死体となって発見された。事件当日、矢島は以前に貸した金を返してもらえると家を出ていた。紐の絞め跡があったことから絞殺とみて捜査を始めるも、工場が火の車で、しかもここ数ヶ月で多数の生命保険に入っていたことから、草薙は妻の矢島貴子の犯行ではないかと疑う。貴子は死亡時刻の前後にこそアリバイはあったが、死亡時刻近辺のアリバイはなかった。「第四章・絞殺る(しめる)」。
 広告代理店に勤める瀬戸富由子は、不倫相手の菅原直樹の向いにあるマンションの、直樹の部屋の向かいに引っ越していた。妻の静子と別れる気配のない直樹に業を煮やした富由子はその夜、直樹に電話を掛け、別れなければ覚悟があると言い残し、自分の部屋でパイプハンガーから首を吊って自殺した。遊びに来ていた後輩の峰村英和も、それを目撃していた。不倫のもつれによる自殺と思われたが、菅原家の隣に住む少女が、2日前の深夜にも富由子が首を吊るのを見て気を失ったが、翌日には富由子が話をしていたと語った。少女は富由子の自殺を予言していたのか。「第五章・予知る(しる)」。
 『オール讀物』1999年~2000年掲載。2000年6月、単行本刊行。

 『探偵ガリレオ』は読んでいたが、こちらは読んでいなかったなと思い手に取った。湯川が科学知識を用いて事件の不可解な現象を解き明かす(科学とは違う話もあるが……)のは、前作と変わらない。
 ただ、後の作品と違うのは、不可解な事件を解き明かして終わってしまうところだ。ある意味、機械的に事件を解決するばかりであり、その後の余韻が何もない。そのためどれも似たような話となっており、読んでいる時はまあまあ面白く、トリックに驚嘆しても、それだけ、という結果になっている。湯川や草薙に人間味が感じられないところが、物語を無味乾燥なものにしている。「第三章・騒霊ぐ(さわぐ)」などは、後日談をもうちょっと書くだけで、もっと余韻残る話になると思うのだが。それに近いことをしているのは、「第五章・予知る(しる)」である。
 面白いんだけどねえ、という頃の東野圭吾の作品、と言えるだろう。達者なのだが、何か一つ足りない。




ピエール・ルメートル『悲しみのイレーヌ』(文春文庫)

 異様な手口で斬殺された二人の女。カミーユ・ヴェルーヴェン警部は部下たちと捜査を開始するが、やがて第二の事件が発生。カミーユは事件の恐るべき共通点を発見する……。『その女アレックス』の著者が放つミステリ賞4巻に輝く衝撃作。あまりに悪意に満ちた犯罪計画――あなたも犯人の悪意から逃れられない。(粗筋紹介より引用)
 2006年、フランスで発表。コニャック・ミステリ大賞他4つのミステリ賞を受賞した。2015年10月、翻訳刊行。

 『その女アレックス』が大評判となった作者の処女作、かつシリーズ第1作。いわゆる謎の犯人による連続殺人事件にフランス司法警察のカミーユ警部チームが立ち向かうが、ル・マタン紙の記者であるフィリップ・ビュイッソンが捜査の内情をことごとくスクープし、カミーユ達を悩ませる。連続殺人事件のつながりがようやく明らかになり、しかも過去にも殺人事件を起こしていたことが判明。必死の捜査で犯人にたどり着くカミーユだったが、悲劇が待ち受けていた。
 ということで、前作を読んだ人ならどういう悲劇かはわかっている。なんでシリーズ2作目から訳すかなあ……と言いたくなる。それにしても、この邦題はないだろう。原題はTravail soigne。日本語のタイトルとは別の物だ。多分出版社主導で付けたのだろうが、ここまでひどいタイトルも初めてだ(こう書く理由は、読めばわかる……って、バレバレだが)。あと解説だが、4つの賞を受賞したというのなら全部記載してほしいものだ。
 出版社の悪口はここまでにして中身の方だが、これがまた面白い。カミーユ警部チームの刑事たちのキャラクターは際立っているため、警察小説としての面白さがある。また、謎の犯人による連続殺人の見立てがいい。これはミステリファンならもっと喜ぶんじゃないだろうか。ストーリーもいいし、テンポもいい。殺害方法がかなり残酷なので、読んでいて不快に感じる人がいるかもしれないが、正直言って私はその辺は多少読み飛ばしながら読んでいたので、そこまでの嫌悪感はなかった。
それにしても、最後の後味の悪さは強烈。被害者がどうなるかわかっていたから、この程度の衝撃で済んだが、何も知らずに読んだら投げつけていたかもしれないなあ。そういう意味では、読者のトラウマを抑えるために、先に二作目を訳したのか? まあ、さすがに勘ぐりすぎだが。
 『その女アレックス』よりもまずはこちらを先に読むべき。連続猟奇殺人を扱っているから、そういうものが嫌いな人には飛ばし読みをすることをお勧めする。ただ、読んで損はしない。




ジョルジュ・シムノン『死んだギャレ氏』(創元推理文庫)

 ロアール河の避暑地のホテルで、セールスマンのギャレ氏が死んでいた。弾丸に顔の半分を吹きとばされ、その上、心臓をナイフで一突きにされて。弾丸は道路をへだてた隣家の庭園のほうから飛んで来たのだった。一見、単純な事件のようだが、捜査に乗り出したメグレ警部の前には、つぎつぎと不審な事実が暴露される。ギャレ氏とは何者か? 殺人の動機は? 犯人は? 偉大なるメグレ警部の生みの親、シムノンの輝かしい処女作!(粗筋紹介より引用)
 1931年発表。1961年7月、創元推理文庫版邦訳刊行。

 1937年に『ロアール館』のタイトルで、春秋社より刊行されているらしい。メグレ警部の処女作とあるが、実際のメグレ警部の処女作は『怪盗レトン』。単に間違えたのか、『怪盗レトン』が当初他の名義で出版されたのかはいまだにわからない。ググってみると、初めて本名で出版した作品とはあったが。
 実は再読。とはいっても前に読んだのは学生の頃だからもう何十年も前。当時あまり面白くなかった思い出しかなかったが、実家を片付けたら出てきたので、200ページちょっとしかないこともあり、読んでみる気になった。
 改めて読んでみると、これだけのページ数でもきちんと背景などを書きこんでいるし、セールスマンのはずのギャレ氏が勤め先にはいないという摩訶不思議な事態から捜査するくだりは地味だが読み応えがある。会話文でどんどん話が進むので、展開もスピーディー。それでいて、人をじっくり書くというシムノンらしさはこの作品でも発揮されているのだから、なぜ当時の私はこれを詰まらないと思ったのだろう、と悔やむぐらい面白く読めた。いや、まあ、ベスト級とまで言うつもりはないけれど、大人が読む作品なのかな、と思ってしまう。
 多分こういう作品は、グラスをゆっくり傾けながら、じっくり読む作品だったのだろう。まだ薄い本が何冊かあるはずだから、手に取ってみようかと思わせる一冊だった。新訳で復刻すればいいのに……。




早坂吝『誰も僕を裁けない』(講談社ノベルス)

 「援交探偵」上木らいちの元に、名門企業の社長から「メイドとして雇いたい」という手紙が届く。東京都にある異形の館には、社長夫妻と子供らがいたが、連続殺人事件が発生! 一方、埼玉県に住む高三の戸田公平は、資産家令嬢・埼と出会い、互いに惹かれていく。そして埼の家に深夜招かれた戸田は、ある理由から逮捕されてしまう。法とは? 正義とは? 驚愕の真相まで一気読み! 「奇才」の新作は、エロミスと社会派を融合させた前代未聞の渾身作!!(粗筋紹介より引用)  2016年3月、書き下ろし刊行。

 メフィスト賞作家、早坂吝の新作だが、早坂を読むのは初めて。表紙のイラストが今時のラノベ風なので引き気味だったが、中身は案外まともだった。
 エロミスなどと謳っているが、過去にはソープ嬢の探偵もいたし、目の付け所は悪くないがそこまで珍しい話でもない。エロミスというのならもっとエロシーンがあるかと思ったが、残念ながら描写も淡泊だし、いまいち。社会派、というほどの問題提起をしているわけでもない。とまあ、出版社の惹句に文句を付けた後、中身に触れてみる。
 九枚の扇形が放射状に突き出た円を、二枚重ねた形の館で、どの扇形に行くためにも一度円形ホールを経由しなければならず、一階と二階を行き来できるのはホールの中心にある螺旋階段のみ。いかにも、という感じの館だし、作中でも揶揄されているぐらい。まあ、これを使ってトリックを仕掛けますよ、と見え見えだし、事実連続殺人事件が発生。まあ、事件のトリックと犯人当てははっきり言って添え物。むしろ作品の肝は、上木らいちの視点で語られる連続殺人事件とは別にある、戸田公平の章がどういう風に重なり合うかという点。一部は想像付いたのだが、さすがに全部は予想つかなかった。それだけでも意外だったが、さらに結末まで読んでかなりびっくり。なるほど、こういう着地点のミステリがあるのか、と感心した。うん、この構成をよく考えた、と言いたい。作者の狙いは、見事成功した、と言っていいだろう。
 ミステリもひねるといろいろ出て来るな、と素直に感心した。この手の作品ばかり読まされるとさすがに腹が立つだろうけれど、たまに読む分にはいいかもしれない。




ハロルド・Q・マスル『霊柩車をもう一台』(ハヤカワ・ポケットミステリ)

 著作権代理業者アダム・コールマンは、共同経営者のダン・ヴァーニーにハリウッドの映画会社に売った小説の代金5万ドルを持ち逃げされたうえ、そのことで小説の作者からは訴えられるというていたらくだった。彼は友人の弁護士スカット・ジョーダンを訪ね、ヴァーニーの行方の調査を頼んだ。その小説はフレッド・ダンカンと言う元警官が書いた、四年前の実在事件をモデルに警察内部の腐敗事実を数えあげた暴露ものだった。そこで小説が映画になり、一般に公開されると、当時事件に関係した警官たち――今では指導者的立場にある彼らを窮地に陥れることになる。当然、その上映を禁止しようとする策動が始まり、ダンカンにも脅迫の手がのびた。じつは彼もその事件にかかわった一人であったが、膝に怪我をしたのをきっかけに警察をやめ、信託銀行の貸金庫の守衛で営々としていたのだ。今度、あえて彼が暴露小説を書いたのは金がほしかったからだ。一方、コールマン家では父親が病死し、肝心の遺書が見つからないために4百万ドルの遺産相続をめぐって大騒動だった――。
 5万ドル拐帯事件、脅迫事件、遺産相続争いをめぐる二つの殺人! 巧みな構成とテンポの速い筋の展開、メイスンものに劣らぬ面白さ。マスルの1960年の最新作!(粗筋紹介より引用)
 1960年、発表。1961年、邦訳発売。

 当時の米国の人気作家、ハロルド・Q・マスルの第八長編。邦訳はこれが初めてで、その後何冊も訳された。長編には何れもニューヨークの弁護士、スカット・ジョーダンが出てくる。
 解説で書かれている「ガードナーよりも、いっそう読みやすく、いっそう大衆化を進めた」作品である。作者はガードナーと同様、弁護士開業の経験がある。登場人物も、弁護士のジョーダン、秘書のキャシティ、私立探偵のマックス・ターナーという登場人物の並びも、メイスンものと同じ。もっともメイスンは刑事専門だが、ジョーダンは民事専門だ。さらに秘書のキャシティはデラ・ストリートと異なり、ジョーダンが引き継いだ弁護士事務所に、先代から勤めているという立場である。
 本作品は小説の映画化の権利金を持ち逃げした友人の共同経営者を追う事件、小説の作者を当時の関係者が脅迫する事件、さらに友人の遺産相続をめぐる争いの3つの事件が絡み合い、テンポよく物語が進んでいく。ガードナーをより通俗化したような作風で、最後に意外な解決が待ち受け、事件は大団円となる。
 少なくとも読んでいるときは面白い。この続きはどうなるだろうという楽しさがある。事件がどんどん起きるので、読んでいて飽きが来ない。そして読み終わってああよかった、楽しかった、はい、おしまい。はっきり言って、読んでいるときだけ楽しめて、読み終われば忘れてしまえばいい。そんな作品である。
 なるほど、時間に追われる人にはうってつけの作品である。短めの長編だし、時間つぶしにはもってこい。娯楽に徹するという点では、作者にお見事と言いたい。ただ、何も第八作目から訳さなくてもいいだろう、と言いたい。シリーズで読んでいれば、もうちょっと驚いたのに、という箇所がある。




横山秀夫『64(ロクヨン)』(文藝春秋)

 D県警察本部警務部秘書課調査官(広報官)の三上義信警視は、娘のあゆみが家を出たまま行方不明の状態であり、妻の美奈子と心配する毎日。46歳で20年ぶりに戻った広報室では、脇見運転で老人をはねて重傷を負わせた主婦の実名を伏せて発表したことで、記者クラブと戦争状態になっていた。口の重い刑事部と、情報を求めるマスコミとの板挟みに悩む毎日の三上。そんなある日、赤間警務部長は、警察庁長官が視察に来るので、14年前の誘拐事件の被害者宅を訪れるよう渡りをつけてほしいと言われた。14年前、昭和最後のわずか7日間で発生した誘拐事件は今も未解決で、D県警の喉仏に刺さった骨のような存在であり、県警内部では今も「64(ロクヨン)」と呼ばれていた。一方、同じ警務課で同期の二渡調査官が、64に携わって辞めた刑事のメモを探して警察内部を動き回っていた。彼の目的は何か。そしてD県警に疑心暗鬼の嵐が吹き荒れる。
 『別冊文藝春秋』251(2004年5月号)、253~260、262~263(2006年5月)号掲載。全面改稿の上、2012年10月、単行本発売。

 いわゆる「D県警シリーズ」の一冊。横山自身の作品としても、『震度0』以来7年ぶりとなる。本作品も改稿に改稿を重ね、当初は2009年に発売するはずが、作者自身が納得いかず、結局ほとんど書き直したという経緯がある。週刊文春、このミスいずれも1位を獲得。
 ようやく出た一冊だったが、読むのは今頃。毎度のパターン。
 それにしても、前半は重い。ページが重い。三上があまりにも空回りしていて、さすがに同情してしまう。元々警察とマスコミなんて持ちつ持たれつだっただろうに、今では腹芸なんてできない記者が多いんだろうなあ。途中からは物語が動き出して、ここからは俄然調子が良くなる。それでも三上の空回り自体は変わっていないが。それでも、仕事を見る上司がいるってことを書きたかったんだろうなあ。
 対立中の事件勃発という展開にも驚いたが、この真相がさらに強烈。これには思わず唸ってしまった。こういう話の持って行き方もあるんだね、うん。
 元新聞記者だった作者だから書けた話だろうなあ、とは思うが、逆に誘拐事件のみのストーリーも読んでみたかった気がする。ちょっと重すぎて、胃がもたれてしまったかな。




井沢元彦『隠された帝―天智天皇暗殺事件』(ノン・ノベル)

 人気キャスターの五条広臣は、戦争や天皇の問題を問い続けている新聞記者を殺害し続けている「昭和群狼団」に対し「人間のクズ」と発言した。放送後、テレビ局に「お前を処刑する」とのファックスが、昭和群狼団から届く。その夜、テレビ局長との宴席の帰り、ロケット・ランチャーの火の玉が五条の乗る車を襲い、運転していたアシスタントの市原純が即死、五条も重傷を負う。五条はベッドの中で、市原と一緒に研究をしていた天地天皇暗殺の謎に迫る。一方、市原の祖母とその甥は、元傭兵の私立探偵、加賀美に、犯人の捜査と、殺害を依頼する。
 『日本書紀』で病死と記される天智と壬申の乱後、正当に皇位を継いだ天武――それが歴史の定説である。だが、史書『扶桑略記』では"天智消失説"。書記に遅れること四〇〇年、個人の手による史料としてそれは無視されてきた。しかし、もし正史が暗殺者による自己正当書であり、さらに天智・天武が兄弟でなかったならば……。数々の問題作を発表し続ける著者が実在の史料をもとに、天地天皇暗殺説に挑む衝撃の歴史推理!(粗筋紹介より引用)
 1990年、祥伝社より単行本刊行。1994年、ノベルス化。

 当時の資料から、日本書紀には書かれていない天智天皇暗殺説を取り上げた一冊。天武天皇は天智天皇の兄弟ではなく、しかも天武天皇が天智天皇を殺害した、という仮説である。天武天皇が天智天皇より年上である、兄弟ではない、という仮説は近年出てきたものだが、暗殺説は井沢元彦が初めてかもしれない。後に書かれる『逆説の日本史2 古代怨霊編』(小学館)では、二人は異父兄弟であり、天武天皇の父親は新羅人であるという説を主張するとともに、暗殺説を引き続き取り上げている。
 本書は作者が得意とする歴史ミステリ。日本史を学んだ人なら誰でも知っている天智天皇、天武天皇の裏側を推理するという点については、説の正しさはどうであれ、読んでいて面白い。登場人物に素人を配置したベッド・ディティクティブのため、わかりやすく説明されているところも、ポイントが高い。残念ながら説自体については強引な部分(『扶桑略記』の正当性など)が目立つため、「歴史の真実を解き明かした!」と言える内容になっていないけれど、新羅と百済の関係や、三井寺と延暦寺の関係などを絡めたあたりはさすがと思わせるものがある。
 しかし、この人の弱点は乱歩賞受賞作『猿丸幻視行』でもいわれているのだが、過去の部分に比べ、現代の謎の方が弱すぎること。現代に起きた事件の犯人を追う探偵側のパートが、章ごとにレポート形式でわずか数ページしかないため、非常につまらない。登場人物もわずかで犯人が簡単に予想できる。最後の動機についてはアンフェアじゃないのかと言いたくなったし、被害者の心理に矛盾を感じる。ロケット・ランチャーなんて簡単に手に入らないものだろうし、入手ルートを探せば犯人にたどり着くのは簡単。プロである警察が、素人の探偵に先を越されるとはとうてい思えない。はっきりいって不要だと思うのだが、これがないと『逆説の日本史』になってしまうしなあ。過去の謎と現代とをもう少し結びつける物があればよいと思うのだが。
 現実と過去の謎が巧く絡み合えば傑作になるのだろうが、残念ながらそこには一歩及ばず。それでも歴史推理小説としては読んでいて面白い作品。



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