ミネット・ウォルターズ『氷の家』(創元推理文庫)

 フレッド・フィリプスが走っている……その言葉は八月の静かな午後、さながら牧師のお茶会で誰かが発したおならのように鳴りひびいた。庭師を周到狼狽させたのは、邸の氷室に鎮座していた無残な死骸――性別は男。だが、胴体は何ものかに食い荒らされたその死骸は、人々の嘔吐を誘うばかりで、いっこうに素性を明示しようとしない。はたして彼は何者なのか? 迷走する推理と精妙な人物造形が読む者を八幡の藪知らずに彷徨わせ、伝統的な探偵小説に織りこまれた洞察の数々が清冽な感動を呼ぶ。新しい古典と言うにふさわしい、まさに斬新な物語。英国推理作家協会最優秀新人賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
 1992年、発表。1992年、CWA(英国推理作家協会)最優秀新人賞(ジョン・クリーシー賞)受賞。1994年、翻訳、単行本刊行。1999年5月、文庫化。

 ミステリーの新女王、ミネット・ウォルターズのデビュー作。買うだけ買って、そのままだった一冊。
 屋敷に住む3人の女性。屋敷の主の夫は10年前に失踪したまま。村からは孤立し、村民からはレズだと噂されている。氷室から無残な死骸が発見され、警察が乗り込む。
 警察を含む登場人物の全てが、悪意と皮肉と悪口の応酬になっており、読んでいて憂鬱になってくる。所々で書かれる性の開放の話などは、物語に本当に必要だったのか疑問。そのくせ、イギリスの小説らしいユーモアも出てくるから始末に悪い。
 物語は女主人であるフィービに嫌疑を掛けるウォルシュ首席警部が一応中心となるも、今一つ焦点がピンとこないまま話が進むので疲れる。途中で友人のアンが襲われ、アンとマクロクリン部長刑事が中心となっていく。まあ、会話ばかりでノロノロしたよくある英国ミステリと比べると、テンポは悪くないと言えるかも。ただ、結末は退屈。
 悪くはないが、「新女王」と呼ばれるだけの作品だったのだろうかという疑問がある。好き嫌いがはっきりする作風じゃないだろうか。『女彫刻家』はまあまあ面白かったけれど。




歌野晶午『密室殺人ゲーム・マニアックス』(講談社ノベルス)

 <頭狂人><044APD><ザンギャ君><伴道全教授>。奇妙なハンドルネームを持つ5人がネット上で日夜行う推理バトル。出題者は自ら殺人を犯しそのトリックを解いてみろ、とチャット上で挑発を繰り返す! ゲームに勝つため、凄惨な手段で人を殺しまくる奴らの命運はいつ尽きる!?(粗筋紹介より引用)
「Q1 六人目の探偵士」「Q2 本当に見えない男」「Q3 そして誰もいなかった」「A&Q 予約された出題の記録」を収録。
 『メフィスト』2010〜2011年、掲載。2011年9月、刊行。

「密室殺人ゲーム」シリーズ第3作目。もっとも作者の言葉であるように、「当初のシリーズ構想の中にはなかった外伝的エピソード」であるため、読者の読了後の印象は大きく変わるだろう。そもそも、5人が殺人推理ゲームを行うはずなのに、6人目の謎解き者嵯峨島が現れている点からして、何かあると言っているようなもの。殺人ならびに会議の映像が表に流れ、それを解くという形はあってもおかしくないようではあるが、それが面白いかと言われるとシリーズそのものを否定しているようで、かなり微妙ではあった。
 トリックの方は、今までと比べてもかなり非常識なものがあった。まあ、よほどの知識がないと解くことができないと思う。シリーズ物だからできる、壮大な実験作と言えるかも。ただ、それが面白さにつながらなかったのは残念。
 過去作品を読んでいないと面白くない作品。シリーズだから、それでいいのだろうが。




日向まさみち『本格推理委員会』(角川文庫)

 小・中・高校の一貫教育学校・木ノ花学園の音楽室に、死んだはずの女性が現れたとの噂が流れる。探偵の素質を持った少年少女を選抜して結成された"本格的に推理をしてしまう委員会"『本格推理委員会』に、理事長の命令で入ることになった高校生の城崎修は、その怪談話の発生源を探り始めるが、そこには思わぬ真実が待ち受けていた! 第1回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した、痛いほどに純粋な次世代青春&ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2004年、第1回ボイルドエッグズ新人賞受賞。同年7月、産業編集センターより単行本刊行。2006年12月、角川文庫化。

 「ボイルドエッグズは早川書房の編集者であった村上達朗が、欧米の出版界では一般的である著作権エージェント会社として1998年12月に創業した」(Wikipediaより引用)とのことだ。その会社が主催しているのが、ボイルドエッグズ新人賞。本作品は、その第1回受賞作である。
 単行本で出ていた頃から、本格ミステリファンをくすぐるタイトルと、今で言うラノベ風の表紙のイラストが気になっていたのだが、今頃になって読んでみた。とはいえ、読み終わってみると微妙。
 一貫校で起きた噂を解決するべく結成された「本格推理委員会」が謎解きに挑むのだが、どちらかと言えば自分探しに近い話。途中から想像着いたけれど、"あれ"が出てきたところで投げ飛ばそうかと思った。うーん、ここでこれをやるか。
 登場人物や舞台の紹介がとても長いので、読んでいてまどろっこしいし、物語のテンポを削いでいる。登場人物も多い割に、動きは少ない。ヒロインであるはずの幼馴染み・木下梢の影の薄さは一体何なんだ。特に委員会を結成した学園長が、自分の考えを押しつけるばかりで、読んでいて腹が立ってくる。それで心を変える方も変える方だと思ってしまった。
 青春ミステリを目指すなら、もっと軽いテンポのノリが必要。シリアスが不要だとは言わないけれど、使うべきところは限定すべき。主人公の周りを女性で固めるなら、もっとそれっぽい展開も用意すべきだろう。
 それにしても、シリーズ化されるの前提、で受賞したのだと思っていたのだが、これ1冊で終わっているとのこと。それだけはちょっと勿体ない。




別冊宝島編集部『プロレス 仮面の告白』(別冊宝島2543)

 毎度おなじみプロレス界の裏を追った暴露本。特集は「ノア「身売り」の深層」。ノアがIT企業エストビーに身売りした話や、ノア旗揚げメンバー23人の現在、永源遙死去に伴う女詐欺師元夫の回想が載っている。それに関連した新日本のノア切りと株式上場計画、別雑誌でみごとに外れた第三世代による新団体設立説、スポンサーが見つかった秋山全日本、猪木IGFの崩壊、引退できない中高年レスラーの悲哀に加え、ストロング小林独白、格闘技界に続々登場する山本ファミリー、女子格闘家に瞬殺される中年女子プロレスラー。さらに笑えるのは『プロレス入門』(小学館)の感想文。最後には原田久仁近の劇画も復活。
 今回は話題も豊富だが、何といってもノアの身売りに永源死去というタイムリーな話題が続いたから、原稿を作る方も楽だっただろう。IT企業エストビーに実体がないという話はネットでも頻繁に出ていたが、身売り直前まで資本金100万円だった(今は1000万円)とは知らなかった(面倒くさくて、2chとか見ていないので)。今ではフリー選手を大量にいれて何とか格好をつけていると思ったら、いつの間にかTNAと提携していた。おいおい、大丈夫か。全日本やW−1でもTNAが集客に一役買ったとはとても思えなかったのだが。どうしても見たい、というレスラーがいるわけでもないし。今の状況を喜んでいるのは、曲がりなりにも元メジャー団体に上がってプロレス誌に名前が載るようになったフリーレスラーぐらいじゃないだろうか。3年もてば感心するが。
 他は大して語るほどのものはないが、ストロング小林はよく担ぎ出した。「新日本には使い捨てされた」というのは、周囲も思っていたことだけど、本人もそう思っていたのだな、とちょっと悲しくなった。それと、グレート草津は大嫌いなんだなというのがひしひしと伝わってきた。できればもうちょっと詳細なインタビューを読みたいところだが。いっそのこと、マイティ井上にインタビューさせたらどうだ。大喧嘩になるか。
 次は泉田純死去とピーアールエヌ社の倒産の話で書けるだろう。案外すぐに出るかもしれない。




ハリントン・ヘクスト『テンプラー家の惨劇』(国書刊行会 世界探偵小説全集42)

 イングランド南部の丘陵地に宏壮な屋敷を構える名門テンプラー家を突如襲った黒い影。渓谷の小道で、石楠花の咲き乱れる湖岸で、ロンドンの裏通りで、一族皆殺しを図るかのように次々に凶行を重ねていく謎の殺人者に、警察もまったく為す術がなかった。事件ごとに現場付近で目撃される黒衣の男の正体とは? そもそも犯人の目的は何なのか? 数多の恐ろしい謎を秘め、運命の歯車は回り続ける。バーザン&テイラー『犯罪カタログ』や森英俊『世界ミステリ作家事典』が「類例のない傑作」と口を揃えて激賞するヘクスト=フィルポッツの異色ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 1922年、発表。2003年5月、邦訳刊行。

 イーデン・フィルポッツが別名義で出した長編。名作『赤毛のレドメイン家』より1年後、2冊あとの長編となる。
 イングランドの地方名家の一族が次々に殺害されるのだが、立て続けというわけではなく、週から月単位で間隔が開いているので、どことなく間が抜けている感がある。形式は本格ミステリ風なのだが、これといったトリックやロジックがあるわけでもない。さらに第三人称視点の本作品ではとても見過ごせないアンフェアな記述があり、少なくとも物理的に犯人を特定するのは不可能。解説「フィルポッツ問答」の中で真田啓介が、「フィルポッツはそのあたりの意識は低かった」と書いているぐらいだから、もうどうしようもない。というか、フィルポッツ自身、本格ミステリかどうかなんて、意識していないよな、きっと。
 結局本作品の特徴は、連続殺人の異様な動機なのだが、残念ながら執筆当時のイギリスだから「異様」と言えるわけで、現代の視点で見ればこの程度の動機はいくらでも転がっている。
 さらに警察も間抜けとしか言いようがないぐらい無能なので、読んでいて腹が立ってくる。
 とまあ、欠点だらけと言っていいような作品だし、最初の頃なんてただの人物紹介を並べているだけじゃないかと言うぐらい素っ気ない文章なのだが、それでも読んでいくうちに引き込まれていくものがあるのは、やはり文章そのものに筆力があるからだろう。いや、読み終わって腹が立ったのは同じだけど(苦笑)。ただ、「類例のない傑作」とはとても思えない。時代とともに古くなっていった作品であった。




三上延『ビブリア古書堂の事件手帖7 栞子さんと果てない舞台』(メディアワークス文庫)

 ビブリア古書堂に迫る影。太宰治自家用の『晩年』をめぐり、取り引きに訪れた老獪な道具商の男。彼はある一冊の古書を残していく―。奇妙な縁に導かれ、対峙することになった劇作家ウィリアム・シェイクスピアの古書と謎多き仕掛け。青年店員と美しき女店主は、彼女の祖父によって張り巡らされていた巧妙な罠へと嵌っていくのだった……。人から人へと受け継がれる古書と、脈々と続く家族の縁。その物語に幕引きのときがおとずれる。(粗筋紹介より引用)
 2017年2月、書き下ろし刊行。

 大ヒットシリーズ、約2年ぶりの新刊、かつ完結巻。といっても、私が読んだのは1年前なので、それほど待たされたという気もしなかったが。
五浦大輔と篠川栞子の恋の結末、そして母・智恵子の失踪の理由といった、物語の根幹をなす部分についてはきちんと結末がついている。まだ残っている謎とかもあったような気もするが、スピンオフも書かれるそうだし、もういいや、という感じではある。
今回出てくるのはシェイクスピアのファースト・フォリオ。なるほど、最後だから超大物を持ってきた。なんと言っても億単位の古本である。シェイクスピアの蘊蓄も色々。ちょっと多すぎる気もしたが、『ヴェニスの商人』が喜劇だとは知らず、勉強になった。
 いろいろ文句も言ったシリーズだったが、最後は見事に大団円。ハッピーエンドに終わってよかった、よかった、といった一冊だった。




井上真偽『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』(講談社ノベルス)

 聖女伝説が伝わる地方で結婚式中に発生した、毒殺事件。それは、同じ盃を回し飲みした八人のうち三人(+犬)だけが殺害されるという不可解なものだった。参列した中国人美女のフーリンと、才気煥発な少年探偵・八ツ星は事件の捜査に乗り出す。数多の推理と論理的否定の果て、突然、真犯人の名乗りが!? 青髪の探偵・上苙は、進化した「奇蹟の実在」を証明できるのか?(粗筋紹介より引用)
 2016年7月、書き下ろし刊行。

 『その可能性はすでに考えた』で話題となった作者のシリーズ続編。作者紹介のところで、本作は「続編」と明確に謳われていたが、実は前作を読んでいない。某氏より昨年では一番傑作だったと聞いたので、読んでみることにした。前作を読んでいないでも、どうにかなるだろうと思いつつ。奇蹟の存在を証明しようとする探偵・上苙丞や元中国黒社会の幹部である中国人美女のヤオ・フーリン、上苙の元弟子で、頭脳明晰な少年探偵である八ツ星聯といった個性的すぎるキャラクターを把握するのに少々手間取ったが、途中からはそれほど気にならず、読み進めることができた。
 「聖女伝説」といっても、結構怖いもの。美しい娘のカズミ様を殿様が見初め、城に召し上げようとしたが断られたため立腹し、娘の父親である家臣に命じてしかりつけ、無理やり連れてこさせた。娘は七日七番泣き明かした後、殿様の前に姿を現し、城下の庭園で開く茶席に殿様たちを招く。娘は庭で育った夾竹桃の小枝を似た湯で茶を淹れ、夾竹桃から出てきた毒で参加した両家の男衆を皆殺しにした、という話である。事件は、悪徳不動産屋に騙され娘を差し出した結婚式で事件が起こる。同じ盃を回し飲みした八人のうち両家の男だけ三人(+犬)だけが殺害されるという不可能犯罪だったが、それをめぐって残された者たちや八つ星による仮説が立ちあげられ、推理が繰り広げられる。
 まあ、これだけだったら不可能犯罪の内容はともかく、単なる推理合戦だったのだが、第一部で衝撃的な告白があり、さらに第二部では容疑者たちがとある人物たちの前に集められ、フーリンたちは誰が犯人かを見つけなければならなくなる。このスリリングな展開は、かなりの無茶があるとはいえ、面白い。まあ、容疑者たちを一編に連れてきてしまったら、警察がどう反応するのか気になるところだが。
 ただ残念なのは、事件のトリックが、仮説も含めてちゃちなものが多すぎること。特に真相については、まず最初に考えそうなものなのに、なぜ誰も考えないのだろうと思ったぐらい、唖然としてしまった。ポットのトリックも、かなり苦しい。まあ、バカバカしいトリックを、真面目然として論理で否定するその姿は、逆にコントかと思えてしまった。冒頭からしっかり伏線を張られている点には感心したが。
 結局は推理合戦を楽しめるかどうか、という点に本作はかかっているわけだが、推理合戦を繰り広げるシチュエーションのみが面白く、いくら奇跡を証明するためとはいえ、バカバカしいことまで持ち出さなければならない点は興醒め。まあ、本格ミステリのトリックなんてある意味ファンタジーな部分があるのだから、それを含めて楽しめる人だったら、喜びそうな一冊だ。私は駄目だったが。




麻耶雄嵩『貴族探偵』(集英社文庫)

 信州の山荘で、鍵の掛かった密室状態の部屋から会社社長の遺体が発見された。自殺か、他殺か? 捜査に乗り出した警察の前に、突如あらわれた男がいた。その名も「貴族探偵」。警察上部への強力なコネと、執事やメイドら使用人を駆使して、数々の難事件を解決してゆく。斬新かつ精緻なトリックと強烈なキャラクターが融合した、かつてないディテクティブ・ミステリ、ここに誕生! 傑作5編を収録。(粗筋紹介より引用)
 2001年から2009年にかけ、『小説すばる』に掲載。2010年5月、集英社より単行本刊行。2013年10月、文庫化。

 信州の山荘で、社長を自殺に見せかけて殺害。針と糸を使ったトリックで鍵を社長のポケットに入れたまではよかったが、回収中に糸が切れてしまった。朝、社長が殺害されたと大さわぎする皆の前に現れたのは、貴族探偵。「ウィーンの森の物語」。超古典的トリックから始まってどうなるかと思われたが、そこからの展開と、切れた糸の使い方が見事。ちなみに謎を解いたのは、執事の山本。
 東北地方の小都市で、女性のバラバラ死体の一部が倉庫から発見され、二日後、高校教諭が被害者の頭部を河原に埋めていたところを目撃された。教諭は女性に生徒との恋愛を見つけられ恐喝されていた。当然犯人かと思われたが、女生徒とは卒業する一か月後に結婚する予定なので、動機はないと主張。さらにアリバイが成立した。女性は他にも恐喝していたが、その証拠は犯人によって奪われていた。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。アリバイトリックは大胆ながらも前例のあるものだが、犯人像が意外だったので驚かされる。ちなみに謎を解いたのは、メイドの田中。
 北陸の老舗旅館へ早めの卒業旅行に来た女子大生の紀子と絵美は、テレビで人気の作家、大杉道雄と堂島尚樹と遭遇。大杉夫妻、大杉妻の妹である水島夫妻、堂島と交流するようになるが、行われていた蝶陣祭の最中に水島の妻・佐和子が殺害された。佐和子と堂島はかつて付き合っており、水島は佐和子の浮気を疑り、さらに佐和子の密会相手と思われる松島もこの旅館に来ていた。しかし、その3人のいずれも、佐和子を殺害する機会はなかった。「こうもり」。これまたアリバイトリックは古くから使われていたものだが、その伏線の張り方はうまく、まさかこんな使われ方をしているとは思わなかった。本作品中のベスト。ちなみに謎を解いたのは、メイドの田中。
 編集者の日岡美咲は、予定していたイタリア旅行が親友の食中毒でキャンセルになり、恋人がいる吉美ヶ原の別荘にサプライズで向かったら浮気相手と遭遇、と散々な結果。しかも帰り道の運転中、目の前に石が落ちてきて、それを避けようとしてガードレールに衝突。偶然通りかかった貴族探偵の車に乗り、人為的に落とされたと思われる石がある富士山が見える別荘へ向かったら、そこは美咲が担当しているミステリ作家・厄神春柾のものであり、しかも中には厄神の惨殺死体があった。「加速度円舞曲」。トリック自体はよくあるもので意外性には欠けるが、ここは日岡美咲の不幸から救われていく過程を楽しむ作品。ちなみに謎を解いたのは、運転手の佐藤。
 奈良の南部にある小さな町に住む元伯爵家で中央にも影響をもつ桜川家では、当主・鷹亮がただ一人の直系の孫であり後継でもある弥生の婿候補三人が集まっていた。どれも下品で器量不足で、成り上がりの家柄の息子だが、鷹亮が苦境の頃に助けてもらった家でもあるので、邪険にもできなかった。そんな状況を苦々しく見守る、弥生の従姉妹の豊郷皐月。そして客として来ていた貴族探偵。選びようがない弥生に鷹亮は、三日以内に選べと命令する。しかしその夜、三人とも殺害された。「春の声」。結末はかなり強引なもので、力技としか言いようがないものだが、シリーズ最後ということで、貴族探偵のテリトリーである上流社会を舞台にし、力の入れた作品になっている。ちなみに謎を解いたのは、山本、田中、佐藤がそれぞれ一人ずつの事件を担当した。
 ひねくれた本格ミステリ作家、麻耶雄嵩が作り出した新しいキャラクターが、貴族探偵。姿かたち言動は貴族と思わせるもので、「労働は家人に任せる」の言葉通り、捜査から推理まで全て任せてしまうため、どこが探偵なのかさっぱりわからない、とひねくれるのもほどがある、と言いたくなるキャラクター。正直言うと、それぞれの作品は「貴族探偵」と名乗るだけの別人かと思っていた。舞台はばらばらだし、おつきの人物も一部を除いて別々。もっとも最後の作品で、やっぱり同一人物だったのかと知り、ちょっとがっくりきた。それにしても、全ての作品で女性を口説いたり恋人がいたり、という状況だし、最後の作品でぬけぬけと「一度は喜びを共有した間柄です。不幸にさせることは決してありません」と言っているようでは、ただの女たらしか、と言いたくなる。もっとも付き合っている女性もそういう点はしっかり見ているようだから、問題はないのだろうなあ。羨ましい話だ。
 作品の方はいずれも古いトリックを三つぐらいひねくったようなもので、これをこう使うのかという驚きを与えつつも、その料理の仕方はさすがといえる仕上がりとなっている。ただそのひねくりぶりは、本格ミステリ初心者には少々受け入れられないかもしれない。本格ミステリを読みつけている読者ほど、驚くだろう。
 キャラクターの突飛さに目を奪われがちだが、本格ミステリとして読み応えのある短編集である。それにしても、作者は本当に巧くなったものだ。




米澤穂信『春季限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)

 小鳩くんと小山内さんは、恋愛関係にも依存関係にもないが互恵関係にある高校一年生。きょうも二人は手に手を取って清く慎ましい小市民を目指す。それなのに、二人の前には頻繁に奇妙な謎が現れる。消えたポシェット、意図不明の二枚の絵、おいしいココアの謎、テスト中に割れたガラス瓶。名探偵面をして目立ちたくないというのに、気がつけば謎を解く必要に迫られてしまう小鳩くんは果たして小市民の星を掴み取ることができるのか? 『さよなら妖精』の著者が新たに放つ、コメディ・タッチのライトなミステリ。
 2004年12月、文庫書下ろしで刊行。

 ここ数年、米澤穂信作品が絶好調なのだが、最初の印象が悪く、どうも読む気が起きない。それだったらライトな作品から呼んでリハビリをして、それから挑もう、と思って読み始めた作品。「羊の着ぐるみ」「For your eyes only」「おいしいココアの作り方」「はらふくるるわざ」「孤老の心」を収録。
 いわゆる連作短編集だが、一冊の中全体を通した謎があるわけではない。もっとも、途中で盗まれた自転車が絡む話が、最後に出てきて、なぜ二人が小市民を目指しているのかがわかる。ここまでくれば、もう恋愛関係でいいじゃないか、その方がよっぽど小市民だぞ、などと思うのだが、それはおじさんの感想か。
 目の前に現れる奇妙な謎は、本当に小さな日常の謎ばかりであり、「おいしいココアの作り方」なんかは気にしない人には本当に気にしないだろう、という程度のものでしかない。一応推理はあるけれど、そこまでドラマティックな解決方法があるわけでもなく、本格ミステリファンから見たらやや不満の残る仕上がりではないか。
 気のせいかも知れないが、作者の方が勝手に先走りしているんじゃないか、という印象をもった。なんかもっと描写を足せばいいのに、と思うところが多々ある。
 いかにも、という感のライトノベルな仕上がりのように見えるが、今時のライトノベルから見たら、かなりおとなし目の印象。昔のジュニア小説といった方がピンと来そうだ。まあ、そういう意味では楽しめることができる作品かもしれない。小山内さんの過去は、さすがに気になるし。




ヘンリー・デンカー『判事スペンサー 異議あり』(文春文庫)

 連邦地方裁判所のハリー・スペンサー判事は、世間におもねらず思いきった判決を下すことで知られている。いつしか名物となったが面白くないのは一向に脚光のあたらぬ同僚判事たちである。不隠な空気のたかまるなかで、スペンサーの真価を問われる裁判が回ってきたが……傑作『復讐法廷』の著者が女性パワー過剰の風潮を斬る快作。(粗筋紹介より引用)
 1986年、発表。1990年2月、邦訳刊行。

 73歳になる連邦地方裁判所のハリー・スペンサー判事は、公判や弁論でも型破りな行動を取り、判決では世間など関係なく思い切った判決を下すことで有名。しかし今回の民事訴訟では、スペイン語で判決理由を書いたのだ。英語がアメリカの公用語だという規定はないことから、スペイン語で書くことは違法ではない。このことが『ロー・ジャーナル』の一面に取り上げられたため、首席判事のオーガスト・カートライトはとうとう怒りだし、司法審議会の委員会を開催し、スペンサーを辞めさせようとした。当然スペンサーは対抗手段を取る。一方、スペンサーは最後の裁判となるかもしれない裁判に取り掛かる。それは、女性労働者は男性より報酬、賃金は低く差別されているため、過去数年にわたって被った経済的損失を賠償してほしい、と州に訴えた裁判である。
 スペンサーは、愛弟子ウォルター・コーナブル、孫娘シルヴィア、秘書ベッツィー・ノーランなどを巻き込みながら、この二つの難題に立ち向かう。
 法廷ものの傑作『復讐法廷』と比べると、皮肉とユーモアにあふれた作品に仕上がっている。同じ作者とは思えないくらいだ。
 スペンサーの言動は一見突飛に見えるが、よくよく接してみると、法廷がもつ正義に真正面から向かっている。時には皮肉たっぷりのジョークが誤解を招いているのかもしれないが、自分の信じる正義に基づいた行動を取っている。そんな姿が、世間の目を気にする判事たちからは憎くてたまらないのだろう。スペンサーは、同じく世間の目を気にしてしまいがちな我々が共感する姿である。そして読者は喝采を上げるのだ。
 終盤からの怒涛の展開は、笑いをこらえることができなかった。これほどまでにマスコミを皮肉った作品もないだろう。そして、世間の目と世論に弱い者たちへの哀悼のメロディーが流れ出すのだ。
 ミステリというよりも風刺小説に近い仕上がりなので、傑作かと聞かれるとそうではないと答えるだろうが、法廷ものでこんな(いい意味で)笑える作品も久しぶりに読んだ。当時、評判にならなかったのだろうか。疲れを忘れさせてくれた作品で、とても面白かった。



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