深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』(原書房 ミステリー・リーグ)

 ミステリー研究会のOB、OGが今年も年次会と称して鞠子の別荘に集まる。しかし大雨で川の橋が冠水し、通ることができなくなった。そんな閉ざされた陸の孤島の別荘で、鞠子がナイフで刺されて死んでいるのが発見される。当然犯人は集まったメンバーの中に。
 これは実は、大晦日夜恒例の大型番組、「推理闘技場(ミステリー・アリーナ)」の今年の問題である。キャリーオーバーされた賞金はついに20億円。ミステリーヲタクたちによる早押しバトル、犯人は誰か。
 2015年6月、書き下ろし刊行。

 うーん、これは何というべきか。「多重解決の極北!」と紹介文にあるとおり、多くの推理が披露される。しかも早押し形式にしたことから、ボタンを押した回答者がどんどん"答え"を述べていく。まあ、よくぞこんな形式の作品を考えたものだ。その努力には恐れ入る。
 ただ、読者からしたらほんの残りページ数から、回答が誤りであることがあっさりとわかってしまうし、問題文が続くこともわかってしまう。そこが小説中の回答者との乖離に繋がっている。第一正解者総取りだから、思いついた時点ですぐにボタンを押してしまうという設定もわかるのだが、背景となるルールがルールなので、首をひねってしまうところでもある。
 とまあ、実際の人間心理などを考慮する必要は無い。要するにこの作品は、叙述トリックと多重推理物を徹底的におちょくった作品だからだ。作者にその意図があったかどうかは別として。途中でそういうものだと理解して読み進めると、ギャグとして最後のオチまで十分に楽しめる。物語の序盤から推理を披露するのも、わかったふりをするミステリーヲタクをデフォルメしているようなもの。司会者のふざけた煽りも、読者をそういう意識へ導こうとするテクニックだろう。作者にそんな意図があったかどうかはともかく。
 要するに、本格ミステリではなく、本格ミステリを題材にしたギャグ。そう思えば間違いない作品。ここまで辻褄を合わせて組み立てるのには苦労しただろうな。ダイイング・メッセージの長いSとか、とろろめしの下りなんかは結構感心した。こういうのが含まれているから、まだ読むことができたと思う。
 気になったのだが、問題側の登場人物って何歳の設定なんだ? 解決があまりにも予想外だったので。
 どうでもいいけれど、読んでいる途中で相馬康幸「迷路」を思い出したのは、私だけ? 意味合いは正反対だろうが。




泡坂妻夫他『あなたが名探偵』(創元推理文庫)

 スキー場とホテルに隣接した蚊取湖畔の氷上で、男性の死体が発見された。男の首には、包帯が巻きつけられていた――。前日に、病院で作家を名乗る被害者を見かけた慶子と美那。警察から犯行を疑われる二人が、その濡れ衣を晴らすために向かったのは……。「蚊取湖殺人事件」。泡坂妻夫、西澤保彦、小林泰三、麻耶雄嵩、法月綸太郎、芦辺拓、霞流一と、七名の人気ミステリ作家があなたに贈る七つの挑戦状。伏線を鏤めた、トリッキーで精緻な問題編それぞれの記述から、作中の名探偵より先に犯人を推理できますか? 犯人当てミステリ待望の文庫化。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』vol.1(2003年6月号)〜vol.7(2004年10月号)まで掲載。2005年8月、創元クライム・クラブより単行本刊行。2009年4月、文庫化。

 蚊取山へスキーに来た美奈と慶子だったが、慶子が足首を怪我して、小田桐外科に運ばれた。そこでは、自称小説家の長沼が受付で保険証がないと揉めていた。翌日、蚊取湖の岸辺の氷の上で、包帯で首を絞められて殺された長沼が発見される。警察は事件現場の近くにいた美奈と慶子を疑っているという。泡坂妻夫「蚊取湖殺人事件」。
 失業中の藤川光司が真っ昼間、自宅のフライパンで殴られて殺害された。発見者は保険会社の訪問外交員の女性。家の裏の蔵にあった古美術品百数十点が無くなっていた。容疑者は光司の代わりに働きに出ていた妻の小夜、近所に住む一人息子の允やその妻修子。疑問に挙がったのは、小夜が用意していたまずい弁当がきれいに無くなっていたのに、光司の胃袋には何も入っていなかったことだった。西澤保彦「お弁当ぐるぐる」。
 金貸しの蓮井錬治が森の奥深くに住む別荘へ来た男女5人+近所に住む老人・岡崎。昼飯だからと待たされたため、近くを散歩していた5人だったが、戻ってきてみると蓮井の部屋のドアに何かが引っかかって開かない。皆で押すとドアが開き、血だまりの中に蓮井の死体があった。ドアに引っかかっていたのは蓮井の死体だった。窓も鍵がかかっており、部屋は密室だった。小林泰三「大きな森の小さな密室」。
 マンション三階の部屋で、大学三年生の緑川が絞殺された。部屋の中にあったヘリオス神像三体のうち二体が打ち砕かれていた。緑川は神像を50000円で購入後色々とついており、二体を買い足すとともに、恋人にも一体購入していた。死体はエアコンの熱風に曝されていた。ドアはガムテープで目張りされていた密室状態。ガスコンロも開き、流し台の蛇口も開きっぱなしだった。発見者は、恋人を含むゼミの仲間3人。麻耶雄嵩「ヘリオスの神像」。
 小説家の法月綸太郎がカンヅメにされた山中湖畔のリゾートホテルで、ルポライターもどきのプロの恐喝屋が殺された。彼が脅していたのは、ホテルのオーナーだったらしい。法月綸太郎「ゼウスの息子たち」。
 犯人当て短編小説の〆切が過ぎて困っていた芦辺拓は、森江春策との会話中、彼がかつて解いた「顔なし館」の事件を思い出す。高原のペンションに来た森江を含む男女5人。深夜、展示室の外から亀尾は、鉄仮面をかぶった裸の女性の絞殺死体を発見する。しかし中に入ろうとするとドアが閉まり、開かなくなった。慌ててオーナーの竜堂を起こし、鍵を開けて中に入るも死体は無かった。しかしこれだけの騒ぎなのに客の1人、かすみの姿が見当たらない。翌朝、雑木林でかすみの死体が発見された。芦辺拓「読者よ欺かれておくれ」。
 私立探偵紅門福助は、知人で、映画やドラマの衣装のデザイン、製作などを行う会社を経営している倉石千夏に誘われ、八ヶ岳の別荘にやってきた。2か月前に自作のガラス細工が盗まれて2日後に戻ってきたという奇妙な事件があったため、紛失したときの調査も頼まれていた。ところが夕食のバーベキューの準備中、千夏の夫が殺害された。しかも発見時にはあった左手首が、各方面への連絡中に切断されていた。左手首は、準備されていたバーベキューの火炉で焼かれていた。霞流一「左手でバーベキュー」。

 全編犯人当て小説であり、【読者への挑戦】の後、解答が書かれた形式となっている。雑誌掲載時は、解答編は翌号掲載だった。そのためか、いずれも凝ったトリックがあるわけでなく、問題文を読んで推理すれば犯人が推察できるようになっている……はずなんだけど、実際はそうもいかない作品もあるので、やはり犯人当ては難しいというか。
 泡坂は、トリック……というよりは偶然の結果による不可思議状況がかなり流動的というか。そこまで都合よくいくのかどうか、ちょっと疑問。
 西澤は推理というよりも、一番しっくりくる仮説、と言った方が正しい。単に流れ者の犯人が殺害した後弁当をどこかに捨てた、という説でも間違いではないわけで。どうでもいいが、無駄にキャラの立った刑事たちは余計じゃないか。
 小林はあまりにもストレートでわかりやすいというか。
 麻耶は本作品中で一番力が入っているように感じた。麻耶作品にしては珍しい、ストレートな謎解き作品で、現場の状況から消去法で犯人がわかる。
 法月はなかなか凝った作品。謎解きにこそなっているが、犯人を当てるのは結構難しい。
 芦部はさすがに反則。いや、もしかしたらとは思ったけれどね。犯人にあてはまる条件を満たすのは、確かに1人しかいなかったし。
 霞は難しい、というかやっぱりバカミスか、と言った感じ。これは解けないだろう。
 それでも、各作家が犯人当てに挑んだというのがよく見えてくる作品集。たまにはこういうお遊びもいいだろうと思うし、いつになっても需要があるのだろうと思ってしまう。気楽に謎解きを楽しむには最適。




北重人『夏の椿』(文春文庫)

 天明六年。江戸が大雨に襲われた日、甥の定次郎を何者かに斬殺された旗本の三男坊である立原周乃介は、その原因を調べるうちに、定次郎が米問屋柏木屋のことを探っていたことを知る。柏木屋の主人、仁三郎には暗い陰が見え隠れしているようだ。核心に迫りだした周乃介の周りで不審な事件が起きはじめた。(粗筋紹介より引用)
 2004年、第11回松本清張賞最終候補(受賞作は山本兼一『火天の城』)。応募時タイトル『天明、彦十店(げんじゅうだな)始末』。改題、加筆修正のうえ、2004年12月、文藝春秋より単行本刊行。2008年1月、文庫化。

 作者は1999年、「超高層に懸かる月と、骨と」で第38回オール讀物推理小説新人賞を受賞している。松本清張賞の最終候補作となるも惜しくも受賞できなかったが、選考委員だった伊集院静と大沢在昌の強い推薦により出版された。しかもタイトルを付けたのは、伊集院静である。
 読んでみると、これが本当に面白い。なぜこれが受賞できなかったのか、不思議なくらい(受賞作は読んでいないので、比較できないが)。
 主人公は、旗本の妾腹の子ということで家を出ている三男坊の立原周乃介。刀剣の仲介、道場の師範代、そして世の中の揉め事の処理で生きている。住んでいるのは元鳥越、鳥越明神のそばにある彦十店(げんじゅうだな)。舞台は田沼意次から松平定信に実権が移る直前。甥の定次郎が惨殺されたことを知り、定次郎が探っていた米問屋柏木屋のことを探っていくうちに、事件に巻き込まれていく。
 この作品のすごいところは、江戸の長屋を舞台にした人情話があり、越後までの旅話があり、悪徳商人を追いつめる捕り物があり、そして凄腕の剣の闘いがあり、恋物語話があり……それらが絶妙なくらいブレンドされていて、一つの長編として成り立っている点だ。なぜこれだけの枚数で、こんな濃い内容の作品が書けるのだろう。とても新人が書いた作品とは思えない。しかも味わいがあって、どことなく切なくて……。
 ここの所、作者の作品を少しずつ読み進めているのだが、本当にすごい。傑作ぞろい。派手ではなく、地味に見えるところもあるが温かみがあって、登場人物が際立っている。誉めてばかりだが、誉めるところしかないのだから仕方がない。なぜ出版当時、こんな傑作を読み落としていたのだろう。これからも少しずつ読んでいこう。




福井晴敏『川の深さは』(講談社文庫)

 「彼女を守る。それがおれの任務だ」傷だらけで、追手から逃げ延びてきた少年。彼の中に忘れていた熱いたぎりを見た元警官は、少年を匿い、底なしの川に引き込まれてゆく。やがて浮かび上がる敵の正体。風化しかけた地下鉄テロ事件の真相が教える、この国の暗部とは。出版界の話題を独占した必涙の処女作。(粗筋紹介より引用)
 1997年、第43回江戸川乱歩賞最終候補作。加筆修正の上、2000年9月、単行本刊行。一部加筆の上、2003年8月、講談社文庫化。

 激戦となった第43回江戸川乱歩賞最終候補作。受賞作は野沢尚『破線のマリス』で、最終候補作家は他に池井戸潤、高嶋哲夫、釣巻礼公といずれもプロになっている。
 福井晴敏の実質的な処女作。オウム真理教の地下鉄サリン事件を彷彿させる地下鉄テロ事件の裏に隠された日本の暗部に巻き込まれてしまう主人公。組織としての警察に絶望したまま責任をとらされて今ではグータラ警備員なれど、追われる二人の少年少女を助けるうちについつい熱くなってしまう。うーん、あまりにもステレオタイプ。とはいえ、読んでいる方もついつい熱くなってしまうので、これはこれで良いのかも。
 増村保、須藤葵の二人の少年少女にもついつい感情移入してしまう。敵であるはずの城崎涼子も悪くない。暴力団幹部である金谷稔も魅力的だ。ただ、いずれも"よくある"造形で終わっているのがちょっと残念。
 最期の展開がちょっと漫画的だったのは失敗ではなかったか。主人公にグータラ警備員を配置することで現実との乖離を防いでいたのに。ここは惜しまれるところ。逃れるためとはいえ、もう少し現実的な手段を考えてほしかった。
 作者の原点ともいえる作品であり、後の作品にも出てくる登場人物がここでも出てきているらしい。そういう観点で見たら、もう少し楽しめたのかもしれない。面白いのは事実だが、完成度という点ではやや劣る。乱歩賞に届かなかったのも、仕方のないところだったか。




スコット・トゥロー『有罪答弁』上下(文春文庫)

 妻に逃げられ一人息子は非行に、警官あがりの中年弁護士マックは560万ドルの金と共に行方をくらました変りものの僚友バートの捜索を命じられる。自分を敵と狙う警官時代の元相棒ピッグアイの執拗な妨害をかわし、弁護士らしからぬ手口でバートの家に侵入し、冷蔵庫を開けたマックをにらみ返したのは、脚を曲げた死人だった。(上巻粗筋より引用)
 さまざまな思惑が蠢く巨大弁護士事務所のなかで、どうやら自分だけが知らないことがある―トゥロー得意の物語展開はいよいよ冴えわたる。行方不明の同僚を探すさえない中年弁護士マックの前に予想もつかなかった意外な事実が次々に展開される。そしてついにすべてのパイを握ったマックに、壮大な人生の決断が待っていた。(下巻粗筋より引用)
 1995年6月、邦訳単行本刊行。1997年6月、文春文庫化。

 『推定無罪』は面白かったよな……と思いながら手に取った一冊、いや二冊か。タイトルから法廷ものかと思ったら、元警官の落ちこぼれ弁護士が調査を続けるうちに意外な事実を発見しているストーリー。こんな癖の強い人物ばかりよくぞ集めたものだと言いたいぐらいだが、それを難なく描き分けているのは、さすがベストセラー作家。スピーディーな展開は読者を飽きさせないし、読者の予想を上回る真相は素直に驚かせてくれる。それにしても、こんな法律事務所、いやだなあ。
 世界を股に掛けたベストセラーは、読んでみて損はない、と思わせる作品。何となく避けていたけれど、他も読んでみようっと。
 ちなみにタイトルにある有罪答弁制度とは、被告人が、公判廷において起訴事実に対し有罪答弁をした場合に、通常の事実審理を経ずに直ちに量刑手続に入ることができる制度だそううだ。




似鳥鶏『さよならの次にくる <新学期編>』(創元推理文庫)

 名探偵の伊神さんは卒業、葉山君は二年に進級、そして迎えた新学期。曲がり角で衝突したことがきっかけで、可愛い一年女子の佐藤さんと知り合った。入学以来、怪しい男に後をつけられているという佐藤さんのために、葉山君は柳瀬さん以下演劇部有志の力を借りてストーカー撃退に奔走することになる……。第五話「ハムスターの騎士」ほか、職員室から鍵を盗み出す役目を押し付けられる羽目になった葉山君の悪戦苦闘を描く「ミッションS」などを収録。山あり谷ありの学園探偵ライフを満喫(?)する葉山君は、やがてある意外な事実を知ることに……爽快なフィナーレまで一気呵成に突き進む、コミカルな学園ミステリ、後編。(粗筋紹介より引用)
 2009年8月、文庫書下ろし。

 粗筋紹介にある通り、演劇部とストーカー撃退作戦を繰り広げる「第五話 ハムスターの騎士」。トリック自体はすぐに予想ついたが、曲がり角で美少女とぶつかるという超古典的シチュエーションの方に萌えた(笑)。
 「第六話 ミッションS」は、モザイク消しの処理をしていたエロDVDを回収するために、職員室にあるシステム管理室の鍵をすり替える依頼を受けた葉山君の悪戦苦闘が描かれる。真相や動機が高校生らしいなと思いつつ、葉山君ってよほどの巻き込まれ体質なんだと妙に感心。
 「第七話 春の日の不審な彼女」は、演劇部の出張公演に荷物持ちとしてつき合わされた葉山君が宿屋の自室で目を覚ますと、首のもげたマネキン人形がテーブルの上にあったという話。ドアも窓も鍵がかかっている、という密室のシチュエーション。トリックなどは簡単なものだが、どうしても葉山君と柳瀬さんと佐藤さんの三角関係?の方に目を取られがちで、あまり気にならない。上下二巻本のクライマックスとしてはなかなかの盛り上がりである。
 「第八話 And I'd give the world」は、本編全体に隠されていた謎が明かされる話。なんだかんだ言っても、葉山君が物語の主人公なんだと思わせる。
 「第九話 「よろしく」」はエピローグ。しっかり続編も書けますよ的な終わり方という気もするが、収まるところに収まるのは読んでいて気持ちいい。
 まあ、ラノベだなと言ってしまえばそれまでだが、一創元推理文庫から出ているだけの仕掛けが一応はあることも事実。ベタとはいえラブコメもあるし、謎解きもある。何も無理して上下巻に分けなくても、という気はする。いやむしろ、一巻本にすべきじゃなかったか、これは。上巻のいくつかの話はいらないという気もするし。
 下巻を読んで、もう少し付き合ってみてもいい、という気になってきた。まあ実際にはあと4冊ぐらい出ているわけだが。




有栖川有栖『狩人の悪夢』(KADOKAWA)

 人気ホラー小説家・白布施に誘われ、ミステリ作家の有栖川有栖は、京都・亀岡にある彼の家、「夢守荘」を訪問することに。そこには、「眠ると必ず悪夢を見る部屋」があるという。しかしアリスがその部屋に泊まった翌日、白布施のアシスタントが住んでいた「獏ハウス」と呼ばれる家で、右手首のない女性の死体が発見されて……。(粗筋紹介より引用)
 『文芸カドカワ』2016年5月号〜2017年1月号連載。加筆修正のうえ、2017年1月、単行本刊行。

 火村英生シリーズ長編。結果的にクローズド・サークルものに近くなった状況下において、本格ミステリならではのロジックが楽しめる作品。せっかくの「悪夢」「狩人」というキーワードがうまく生かされてなかったのは残念だが、なぜ手首が斬られていたかという推理は圧巻。さすが有栖川、と言っていいだろう。犯人と動機にもう少し意外性があるとよかったのだが、それは無いものねだりか。事情を話せば殺人を犯さなくても相手は分かってくれたんじゃないか、という気がしなくもないが。
 ファンからしたら「俺が撃つのは人間だけだ」「あなたにとっては喧嘩かもしれませんが、私にとっては“狩り”です」といった火村の言葉に騒ぐのだろうなと思ってしまう。有栖川の巧いところは、さり気なく殺し文句を用意しているところという気がしてきた。
 連載のせいかもしれないが、前半部分が少々長い。キャラクター小説の部分も大事にしているからだろう。とはいえ、もうちょっと削ることができれば、もっとすっきりとした仕上がりになったに違いない。それはそれとして、面白かった本格ミステリ、と言っていい。本格ミステリの安定した面白さを作り出す、という部分では随一だと思う。




道尾秀介『カラスの親指』(講談社文庫)

 人生に敗れ、詐欺を生業として生きる中年二人組。ある日、彼らの生活に一人の少女が舞い込む。やがて同居人は増え、5人と1匹に。「他人同士」の奇妙な生活が始まったが、残酷な過去は彼らを離さない。各々の人生を懸け、彼らが企てた大計画とは? 息もつかせぬ驚愕の逆転劇、そして感動の結末。道尾秀介の真骨頂がここに!(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』2007年9月号〜2008年5月号連載。2008年7月、単行本刊行。2009年、第62回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。2011年7月、文庫化。2012年には映画化されている。

 道尾秀介の日本推理作家協会賞受賞作。いつかは双葉から出るだろうと思っていたのだが、近年の刊行ペースの遅さにさすがにしびれを切らして購入してしまった。
 人にはあまり言えないくらい過去を持ち、人生に敗れた詐欺常習犯の中年男二人が遭遇した姉妹と姉の恋人、そして猫。一発逆転の大仕掛けを企てる、というコン・ゲームもの。
 バックグラウンドが暗いとはいえ、幸せ指数が高そうな作品を書くなんて、道尾秀介にしては珍しいと思ったら、やっぱりいろいろ仕掛けがあった。とはいえ、これは余計な事を考えずに、素直に騙された方がいいかな。ただ、登場人物、素直すぎ(苦笑)。所々のたとえもよかったかな。特にお父さん指の話はなかなか。
 これは作者のテクニックを素直に受け入れる作品、と言っていいだろうか。その気になればいくらでもどんでん返しが効きそうだが、ここで止めておくのが無難なところか。何事もやりすぎない方がいい。




小杉健治『死者の威嚇』(講談社文庫)

 昭和57年9月――東京・荒川の河川敷で、関東大震災直後に故なく虐殺された朝鮮人を慰霊するための遺骨発掘作業が行なわれた。だが、遺骨は見つからず、3年後、別の白骨死体が隅田公園で発見された。身元捜査が開始される……。過去と現在が交錯する二重、三重の深い謎を描く、本格社会派ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 1986年6月、講談社より単行本刊行。1989年7月、講談社文庫化。

 関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件と、現代の殺人事件を絡めた社会派ミステリ。小杉健治が傑作を連発していた時期に書かれた一冊であり、非常に読みごたえがある。
 朝鮮人虐殺はさすがに有名な事実だろうが、方言のせいで朝鮮人に間違われ、東北出身の人たちが虐殺されていたとは知らなかった。人間の狂気というのは恐ろしいが、それ以上に恐ろしいのは、人の偏見である。そういった事実にスポットを当てつつ、現代の事件と絡めた点は非常に巧い。その絡ませ方も意外性のあるもの。犯行がばれてしまう恐れがあるのに、そういう行動を取ってしまうところも非常に納得してしまう。
 登場人物の造形も悪くない。別れた恋人を吹っ切ろうとしても、いまだに心を動かされてしまうヒロインがあまりにも哀しすぎる。ただ、現代のドライな女性に比べると、あまりにも男視点で書かれているような気がするが、執筆当時のことを考えると仕方がないところか。
 本書の残念なところは、現代の殺人事件パート。謎自体は悪くないのだが、トリックがあまりにも雑すぎる。犯人が馬脚を現す点は悪くないので、アリバイトリックにもう少し力を入れてくれたら、傑作になっていただろう。




アーナルデュル・インドリダソン『湿地』(東京創元社)

 雨交じりの風が吹く、十月のレイキャヴィク。北の湿地(ノルデュルミリ)にあるアパートで、老人の死体が発見された。被害者によって招き入れられた何者かが、突発的に殺害し、そのまま逃走したものと思われた。ずさんで不器用、典型的なアイスランドの殺人。
 だが、現場に残された三つの単語からなるメッセージが事件の様相を変えた。
 計画的な殺人なのか?
 しだいに明らかになる被害者の老人の隠された過去。
 レイキャヴィク警察犯罪捜査官エーレンデュルがたどり着いた衝撃の犯人、そして肺腑をえぐる真相とは。
 世界40ヵ国で紹介され、シリーズ全体で700万部突破。
 ガラスの鍵賞を2年連続受賞、CWAゴールドダガー賞を受賞した、いま世界のミステリ読者が最も注目する北欧の巨人、ついに日本上陸。(粗筋紹介より引用)  2000年、刊行。2002年、国際推理作家協会の北欧支部であるスカンジナヴィア推理作家協会のガラスの鍵賞受賞。2012年6月、邦訳、単行本刊行。

 アイスランド警察の犯罪捜査官エーレンデュル・スヴェインソンを主役にしたシリーズの三作目。邦訳はこれが初めて。評判を聞いて読んでみたら、結構面白かった。
 主人公のエーレンデュルは50歳。20年前に離婚。二人の子供は最低。本作で出てくる娘のエヴァ=リンドは麻薬中毒患者で妊娠中である。孤独な老人の殺人の真相をエーレンデュルが追ううちに、老人の暗い過去が明らかになっていくのだが、エーレンデュルのの執拗、というか偏執的なぐらいの捜査が日本じゃ無理だろうなあ、などと思いつつ、徐々に明らかになっていく過程は読んでいて楽しい。今時の小説のような無駄に長い描写がなく、物語がテンポよく進んでいくので、非常に読みやすい。隠された真相はとても哀しいものであり、思わず犯人に同情してしまう。そのテンポの良さが逆に物足りない、という人もいるかもしれない。
 アイスランドという国の日常は全く知らないので、読んでいて新鮮だった。「イアン・ランキンは、どこかの国を知りたかったら、ミステリ小説を読めばいい、一番的確な案内書だと言っていますが、私も同感です」と作者が言うように、優れた警察小説はその国や街が持つ表と裏の部分を浮かび上がらせてくれる。それを実践した一冊と言えよう。シリーズの次の作品も読んでみようと思う。



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