ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【2001~2005年】(平成13~平成17年)



【2001年】(平成13年)

日 付事 件
1/6 概 要 <仙台筋弛緩剤点滴混入事件>
 2001年1月6日、宮城県警は、仙台市泉区の病院に腹痛で入院していた女児(11)を昨年10月31日、筋弛緩剤を混入した点滴で殺そうとしたとして当時、病院に勤めていた准看護士、守大助(29)を殺人未遂の疑いで逮捕した。女児は低酸素性脳症とみられ、転院後も意識不明の状態が続いている。
 その後の調べで、1999年7月から2000年11月の間に、少なくとも13名が守から点滴を受け、7人が死亡したことが確認された。ただ立証の関係から、殺人1件、殺人未遂4件につき起訴された。
 守は逮捕当初、病院に対する不満から事件を起こしたと供述したが、9日から全ての容疑を否認。7月11日から始まった仙台地裁公判でも無罪を主張した。
 病院側の管理のずさんさ(後に病院閉鎖)、医療ミス隠しなども発覚。さらに、5人の被害者から採取された血液や投与された点滴パック中の溶液などの物証が、宮城県警から依頼を受けた大阪府警による鑑定で全量が使用され、公判での再鑑定が不可能な状態であることが発覚。
 2004年3月30日、仙台地裁で求刑通り無期懲役判決。2006年3月22日、仙台高裁で控訴棄却。2008年2月25日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 女児と両親は2001年2月、クリニックを運営していた医療法人などに約1億8200万円の損害賠償を求めて提訴。守の一審判決翌日の2004年3月末、クリニック側が1億円を支払うことなどで和解した。
 さらに女児と両親は守に対して約5000万円の損害賠償を求めた。守側は筋弛緩剤を検出した鑑定そのものが誤りであり、自らは無罪と主張したが、2008年5月27日、仙台地裁は請求通りの金額の賠償を命じた。2009年1月28日、仙台高裁は被告側控訴を棄却した。9月18日、最高裁第二小法廷、守受刑者の上告を棄却する決定をし、一審判決が確定した。
 クリニックの運営者は、守受刑者らの著書『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』で運営者が守受刑者を犯人に仕立てたとする内容について1000万円の損害賠償を求めた。2011年7月5日、仙台地裁は共著者の阿部泰雄弁護団長に100万円の支払いを命じた。謝罪広告掲載の請求は退けた。
 2012年2月10日、守大助受刑者は仙台地裁に再審請求を申し立てた。再審請求書には事件性を否定する専門家3人の意見書を新証拠として添付。「患者の急変は(筋弛緩剤の投与という)犯罪によるものではなく、犯人も存在しない」として無罪を訴えた。仙台地裁は2014年3月25日付で請求を棄却。仙台高裁は2018年2月28日、即時抗告を棄却した。2019年11月13日付で最高裁は特別抗告を棄却した。
文 献 阿部泰雄、山口正紀『つくられた恐怖の点滴殺人事件: 守大助さんは無実だ』(現代人文社,2016)

守大助、阿部泰雄『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』(明石書店,2010)

半田康延編集『真実のカルテ―仙台・筋弛緩剤事件 北陵クリニックで何が起きたか』(本の森,2010)
備 考  
2/25 概 要 <名古屋「十七才双子」刺殺事件>
 2001年2月25日、通信制高校生のT(17)は双子の実兄を殺害、自ら警察に電話をし、現行犯逮捕された。Tは兄、母との三人暮らし。兄は高校進学後すぐに不登校になり、2000年5月上旬に首吊り自殺を図った。一命はとりとめたものの、植物状態になり、9月末から自宅で介護されていた。進学先を自主退学し、介護を続けていたが、「自分で食事をとれない兄を十年、二十年と生かすことが可哀想」になり、殺害したものだった。
 一度は身柄を家裁に送られたが、家裁は逆送を決定、名古屋地検に殺人罪で起訴された。同情される点も多く、地元住人から減刑嘆願署名が寄せられるなどであったが、一審判決は懲役2~4年(求刑懲役3~6年)の実刑判決。弁護側は直ちに控訴した。2002年9月17日、名古屋高裁は一審を破棄、懲役3年、執行猶予4年、猶予期間中の保護観察処分を言い渡した。検察側は上告せず、刑は確定した。
文 献 「「心優しき少年」はなぜ兄の胸に刃を立てた―名古屋「十七才双子」刺殺事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
4/7 概 要 <大宮看護婦バラバラ殺人事件>
 2001年4月7日、大宮の病院で看護婦として働いていたK(23)は、同僚であるN(23)を自宅で絞殺。その後、風呂場で解体し、ごみ収集所などに捨てた。KとNは、自動車メーカー勤務の会社員S(29)を巡って三角関係にあった。KとSは6年前から交際を続けていたが、2000年8月からNとも関係を持つようになった。12月頃からKはSとNの関係を疑いだし、翌年2月、3人で話し合いをしてSとNは別れることに同意。ところがその後も付き合っていたため、Kは4月6日夜にNを自宅に誘い、Sとの関係を問いただした。Nは別れるつもりはないと返答したため、殺害したものだった。7月にKは逮捕され、犯行を全面自供した。
 ところがKの弁護士は、Sを証人として呼んだとき、Sの事件前後における不審な行動を追求しだした。Kは逮捕直前の7月14日、Sに別れ話を持ち出したがSは謝罪、翌日に「他の女性と電話しない」などの誓約書を取り交わした。しかも前の公判では、殺害の事実をうち明けられた後にKにプロポーズしたことも証言している。SとKに何らかの約束があったのか。さらには犯人はKではないのか。いろいろな疑惑が浮かび上がっている。
 2003年2月28日、さいたま地裁はKに懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡し、そのまま確定した。
文 献 「看護婦を手玉に取った「優男」の捻れた愛情―埼玉「略奪愛」殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
4/14 概 要 <尼崎小六男児母親刺殺事件>
 2001年4月14日午後6時半頃、兵庫県尼崎市に住む小学6年の男児(11)は、転校で友達と離ればなれになったことがつらくなり、自宅で自殺しようと包丁で人差し指を切っているところを帰ってきた母(44)に見つかり、怒られた。男児は思わず持っていた包丁で母親を数ヶ所刺して逃げ出した。男児は以前に通っていた小学校の近くの交番に駆け込み、母親を刺したと通報。警官らが駆けつけたが、母親は死亡していた。
 兵庫県警は児童の措置について、母親殺害は偶発的なものであり、家裁に送致するほどのケースではないと判断。児童自立支援施設に送るのが相当との意見書を児童相談所に提出した。
 児童相談所は5月25日付で、児童福祉法に基づき処遇を決定した。処遇内容は公表しなかったが、児童自立支援施設に入所したとみられる。
文 献 産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください ~少年犯罪の病理~」(角川書店,2002)
備 考  
4/30 概 要 <レッサーパンダ事件>
 元建設作業員Y(28)は2001年4月30日、わいせつ目的で東京都台東区の路上を徘徊していた。午前10時半頃、女子短大生(19)に背後から近づいたが、振り返った短大生の顔を見て「バカにされた」と思い込み、持っていた包丁で背中や腹部を刺して殺害した。犯行後、かぶっていたレッサーパンダのぬいぐるみの帽子や包丁を近くの公園に捨てて、逃走した。
 Yはその後、東京駅構内で5月7日まで過ごし、その後は手配師によって埼玉県新座市の建設会社で雇われ、偽名を使って働いていた。10日、新聞に出た似顔絵から怪しんだ雇用主が新座署に通報。捜査本部の警部補らが、当日働いていた代々木駅近くの土木工事現場で任意同行を求めたところ素直に応じ、質問をしたらあっさりと自供したため、そのまま逮捕。男は似顔絵が手配されていたことも知らなかった。
 Yには自閉症などの広汎性発達障害と軽い知的障害があり、犯行当時の精神状態が裁判の焦点となったが、2004年11月26日、東京地裁は軽度の知的障害はあるものの完全責任能力を認め、求刑通り一審無期懲役判決。被告は控訴するものの、2005年4月1日に取下げ、確定。
文 献 佐藤幹夫『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(洋泉社,2005)
備 考  
6/8 概 要 <大阪児童殺傷事件>
 2001年6月8日午前10時15分ごろ、元伊丹市職員宅間守(37)は大阪府池田市の小学校に乗用車で乗り付け、校舎1階の教室外側のテラスの引き戸を開けて侵入。刃渡り約15センチの出刃包丁を振り回し、逃げる児童らを追いかけ、約15分にわたって4つの教室と廊下で児童や教諭を1人ずつ刺していった。教諭2人を含む23人が首や背中などを刺され病院へ運ばれたが、2年生の女子7人と1年生の男子1人が死亡、教諭1人を含む7人が重傷、教諭1人を含む8人が軽傷を負った。宅間は教諭ら2人に取り押さえられ、池田署員が殺人未遂容疑の現行犯で逮捕した。
 宅間は1999年3月、技能員として当時勤務していた伊丹市の小学校で、教諭4人に精神安定剤入りのお茶を飲ませたとして、伊丹署に傷害容疑で逮捕されたが処分保留で釈放され、措置入院させられた。最近も「調子が悪いので入院したい」と自分で申し出て、先月23、24日、同じ病院に入院した。
 宅間は「事件直前に精神安定剤を大量に飲んだ」などと事件当初は供述し、犯行を否認していたが、後に精神病者を装って責任を免れようとしたことを供述し犯行を自供。「なにもかもうまくいかないので、周りの人間を困らせるため」「職を失った」「離婚無効訴訟などの裁判がうまくいっていない」などと動機を語る。約730万円の負債を抱えていたことも判明。その後は「早く死刑になりたい」と供述した。
 2003年8月28日、大阪地裁は求刑通り死刑判決。弁護団は控訴するものの、9月26日に本人が控訴取下げ、確定。2004年9月14日、執行。40歳没。確定から1年弱での執行は、近年では異例。
文 献 伊賀興一ほか『なにが幼い命を奪ったのか』(角川書店,2001)

石原慎太郎『凶獣』(幻冬舎,2017)

岩波明『精神鑑定はなぜ間違えるのか? 再考昭和・平成の凶悪犯罪』(光文社新書,2017)

岡江晃『宅間守 精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで』(亜紀書房,2013)

飢餓陣営・佐藤幹夫『『宅間守 精神鑑定書』を読む』(言視舎,2014)

酒井肇『犯罪被害者支援とは何か 附属池田小事件の遺族と支援者による共同発信』(ミネルヴァ書房,2004)

篠田博之『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書,2008)

塚本有紀『いつまでも花菜を抱きしめていたい──「大阪教育大付属池田小児童殺傷事件」から4年』(講談社,2005)

ドーン・アナ、ブルース・ベック、酒井肇、酒井智惠『たましいの共鳴 コロンバイン高校、附属池田小学校の遺族が紡ぐいのちの絆』(明石書店,2013)

本郷由美子『虹とひまわりの娘』(講談社,2003)

「ビビってはいません―素早く処刑―」(佐久間哲『死刑に処す 現代死刑囚ファイル』(自由国民社,2005)所収)

「皆殺しを謀った男の父が語る「わが闘争」―大阪「池田小」児童殺傷事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)

「第一章  なりたくてこんな人間になったんやない」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)

「大阪・小学生殺傷事件 宅間守」(『別冊宝島#1419 死刑囚最後の1時間』(宝島社,2007)所収)
備 考  この事件をきっかけに、重大犯罪を犯した精神障害者への処遇など、刑法他関連法の改定議論が相次いでいる。
6/27 概 要 <徳島自衛官“自殺”事件>
 1999年12月27日、勤務先の広島県から徳島県に帰省中だった海上自衛官(33)は午前2時半頃、阿南市の福井川河原で遺体で見つかった。徳島県警は現場の状況から、国道を車で走行中、発作的に橋から飛び降りて自殺したものと判断、捜査を打ち切った。しかし自衛官の遺族は、自殺した場所が自宅からかけ離れた場所であること、動機がないこと、暴行されたらしい痕があることなどから独自に調査を進め、自衛官が何者かに暴行され殺害されたとの確証を得た。遺族は2001年6月27日、徳島地検に「被疑者不詳のまま殺人」として告訴した。徳島県警もまた再捜査に乗り出した。
 2004年、徳島地検は告訴を不起訴処分。遺族は不当として、徳島検察審査会に審査を申し立てた。2005年、同検察審査会は「警察の初動捜査の不手際に不満は残るが、捜査は徹底しており、第三者の関与は見当たらない」とした。
文 献 三笠貴子『お兄さんは自殺じゃない』(新潮社,2001)

「徳島・自衛官変死事件 真相を追う家族の10年」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備 考  
7/24 概 要 <中国道女子中学生手錠放置事件>
 2001年7月24日午後10時過ぎ、神戸市北区の中国自動車道の路上でKさん(12)が倒れているのを、通りかかったトラック運転手が発見。救急車で運ばれたが、翌日死亡した。体中に擦過傷があり、両手には手錠がはめられていた。
 9月8日、Kさんに手錠をはめたまま高速道路上に放置した容疑で、兵庫県の中学校教師F(34)が逮捕された。Fは手錠マニアで、女子中学生やレイプ行為に執着する性倒錯者だったという。
 7月24日夜、FはKさんとツーショットダイヤルで知り合い、ドライブの途中でKさんに手錠を掛け、催涙スプレーを吹きかけた。中国自動車道の途中でKさんは手錠姿のまま後部座席のドアを開け、時速80kmの車内から飛び降りた。FはKさんの転落に気付いたが、そのまま走り去った。
 自動車道に転落したKさんをひき逃げした疑いで9月25日から事情聴取を受けていた鳥取県在住のトラック運転手(53)が、30日に自殺した。
 検察側は殺人罪で起訴したが、2002年3月25日、神戸地裁は監禁致死罪等で懲役6年(求刑懲役12年)の実刑判決。検察側は控訴したが、2002年11月26日に大阪高裁は控訴を棄却、確定した。
文 献 「高速道で轢死した少女が夢見た「家族の情景」-神戸「女子中学生」手錠放置事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
7/25 概 要 <青梅実姉バラバラ殺人事件>
 2001年7月25日、東京都青梅市に住むK(40)は同居していた実姉(44)の首を絞めたうえ、布団に顔を押し付けて窒息死させた。そして翌日、風呂場で電動ノコギリを用い遺体をバラバラにした。27日、車で9つに分けた遺体を捨てに行こうとしたところを逮捕された。
 Kは内縁関係の男性と破局後、姉夫婦の家に同居していたが、姉の夫が死亡。姉は自宅を処分し、青梅市に土地を購入して家を建てることにした。その間、二人はマンションに同居。さらにその頃、Kが付き合っていた女性もそのマンションに暮らすようになっていた。姉は夫の保険金を家の建設費に充てており、その管理をKに任せていたが、姉はホスト遊びに狂い、たちまち金はなくなった。借金対策に追われたKは購入するはずの家を騙し取られた。こういう目にあったのは姉のせいだと腹を立てたKは7月25日、姉を殺害したものだった。  Kは当初犯行を認めていたが、判決言い渡し前日に「同居の知人女性が姉を殺害し、遺体の損壊を手伝った。女性をかばうつもりで、自分が殺害したと供述した」と一転して否認、審理が再開された。2004年3月17日、東京地裁八王子支部はKに懲役14年(求刑懲役15年)を言い渡した。Kは控訴した。その後は不明。控訴棄却されたものと思われる。
文 献 「姉を電動ノコギリで刻んだ妹が「選んだ女」-青梅「姉妹」バラバラ殺人事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
8/7 概 要 <尼崎「実子虐待」致死事件>
 2001年8月7日、S・T子(24)と三番目の夫であるS・T(24)は、T子の最初の夫の子供であるK君(6)を2日前から殴る、蹴るなどの暴行を加え、死亡させた。K君は夫の祖母に引き取られていたが、2001年1月、T子は三番目の夫であるTとともにK君を強引に家に連れ帰った。しかし半月後、K君は西宮こどもセンターに保護される。全身に著しい虐待の痕があった。K君は嫌がったが、8月1日から10日間の予定で二度目の一時帰宅が認められたところでの事件だった。その後、自宅近くの運河にK君を捨て、T子の母に偽の捜査願いを出させるも、すぐに撤回したことにより事件が発覚。13日、ポリ袋詰めにされたK君の死体が発見され、14日、二人は市内を放浪しているところを逮捕された。
 2003年2月26日、神戸地裁尼崎支部は2人に懲役8年(求刑懲役10年)を言い渡した。そのまま確定したものと思われる。
文 献 「息子を嬲り殺した「鬼女」のおぞましき血―尼崎「実子虐待」致死事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
8/28 概 要 <大和連続主婦強盗殺人事件>
 住所不定、無職のS(46)は交際していた主婦のY(38)と共謀して、2001年8月28日午後2時半頃、神奈川県大和市の主婦(54)の住むマンションに侵入し、暴行を加えて強姦しようとしたが果たせず、ベルトで首を絞めた後出刃包丁で腹部を突き刺して殺害し、現金約23万円やキャッシュカード3枚等在中のリュックサック1個(時価約3,000円相当)を奪った。さらにキャッシュカードを使い、銀行のATMから現金40万9,000円を引き出した。
 さらにSとYは9月19日午前10時40分頃、同市の主婦(42)の住むマンションに侵入し、主婦の両手首及び両足首を粘着テープで緊縛するなどの暴行等を加えて強姦し、さらに顔面全体に粘着テープを幾重にも巻き付けて水を張った浴槽に押しつけて窒息死させ、現金6万円及び通帳等在中のポーチ1個(時価約500円相当)を奪った。
 他にSは単独で2000年5月、東京都江戸川区の知人女性(60)が住むマンションを訪れ、強姦して約1週間の怪我を負わせ、現金約12万円とキャッシュカード2枚を奪い、キャッシュカードを使って銀行のATMから現金425万円を引き出した。
 SとYは指名手配され、9月25日に公開捜査。26日午後3時過ぎ、伊勢原駅で2人を強盗殺人容疑で逮捕した。
 2003年4月30日、横浜地裁でSに求刑通り一審死刑判決、Yに求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2004年9月7日、東京高裁でSの被告側控訴棄却、Yへの検察側控訴棄却。Yは二審で確定。2007年11月6日、被告側上告棄却、確定。
 2019年8月2日執行、64歳没。執行時点で再審請求中であった。
文 献 池田浩士編『深海魚 響野湾子短歌集』(インパクト出版会,2021)
備 考  
9/1 概 要 <歌舞伎町雑居ビル火災>
 2001年9月1日未明、東京都新宿区歌舞伎町の地上5階建て雑居ビルの3階エレベータホール付近から出火。階段などに放置されたおしぼりなどの可燃物に燃え移った。さらに3階と4階の防火扉が閉まらず、多量の煙が店舗内に流入した。自動火災報知設備は設置されていたが、誤作動が多く電源が切られていた。避難器具は3階にはなく、4階のも使えない状況だった。
 3階のマージャンゲーム店の客など男性17名と、4階のセクシーパブの従業員や客など男女27名全員の合計44人が死亡。マージャンゲーム店の従業員3名が逃げ出した際に負傷を負った。
 警視庁では放火の疑いもあるとみて捜査を継続しているが、実行犯などは特定されていない。
 2003年2月15日、警視庁は「防火管理を怠った過失がある」として、ビル所有会社の実質経営者S(61)、社長Y(50)、4階のセクシーパブ店の経営者G(29)、3階のマージャンゲーム店の経営者I(42)、店長M(35)、前店長N(39)を業務上過失致死傷容疑などで逮捕した。火災時に死亡したセクシーパブ店店長G(26)も被疑者死亡のまま書類送検された。
 2月21日、犠牲者のうち25人の遺族が逮捕された6人を相手取り、慰謝料など計12億2,500万円を支払うよう求めて東京地裁に提訴した。後に遺族は追加された。
 2006年4月18日までに、ビル所有会社、S、Yと被害者33人の遺族との間で計8億円余りの和解金を支払うことを条件に、和解が成立した。和解の成立を受け、5月8日よりビルの解体が始まり、6月に終了した。2007年3月3日までに、残り被告4人のうち3人が、計2,400万円の和解金を支払うことなどを条件に和解が成立した。
 2008年7月2日、東京地裁はSとYとGとIに禁固3年執行猶予5年(求刑禁固4年)、Mに禁固2年執行猶予4年(求刑禁固3年)を言い渡した。判決で、出火場所に書きがないことから、放火の可能性が高いことを指摘し、出荷の予見可能性は低かったとした。しかし、ビル所有会社には、各店舗を指導して、煙感知器や防火戸が正常に作動するよう維持・管理をさせたり、階段の可燃物を撤去させたりする義務があったと認定。これらの義務を怠った過失により、4人の死亡という結果をもたらしたと判断した。3、4階の店舗経営者らについても、可燃物の撤去や、防火戸や煙感知器の維持・管理を怠った過失があるとした。しかし、Sらが被害者側に見舞金を払っていることなどを考慮し、執行猶予を付けた。またNについては、経営者を補佐する立場だったとして、防火管理上の責任はなかったとした。検察側、被告側双方とも控訴せず、判決は確定した。
文 献 沖田臥竜『迷宮 三大未解決事件と三つの怪事件』(サイゾー,2020)
備 考  日本で発生した火災としては、当時戦後5番目の被害。
 事件を受け、2002年4月22日、消防法が大幅に改正され、同年10月25日に施行された。自動火災報知設備の設置義務対象の拡大、消防署の立ち入り検査および違反是正の徹底、罰則の強化、防火対象物定期点検報告制度の創設などである。
10/31 概 要 <鹿沼事件>
 栃木県鹿沼市内の産業廃棄物運搬業者社長は、長年にわたり鹿沼市の最高幹部や所管管理職に取り入って様々な権益を享受していた。しかし市長の交代に伴い、鹿沼市環境対策部参事に就いた幹部が、一般廃棄物の許可や不法投棄の防止などについて厳正に対応。社長は他の市幹部を脅したり、幹部本人を恫喝したりしたが、意のままにならなかったことから仕事が停滞し、逆恨みして殺害を決意。社長は下請け業者のSに殺害を持ちかけた。Sは知人である暴力団組員TAに報酬と引き替えの上で殺害実行を依頼。TAは知人の元暴力団組員Yと舎弟分のTを誘った。
 2001年10月31日午後5時45分頃、TA、Y、Tは鹿沼市上殿町の路上で、帰宅途中の幹部(57)を乗用車内に押し込み、11月1日午前3時ころ、群馬県高崎市もしくはその周辺の山中、または同県榛名町もしくはその周辺の山中で、TAとYがロープでその頸部を絞め付け、Tが、拳銃で弾丸1発を発射して幹部の身体に命中させて殺害。Y及びTが、幹部の死体を道路脇の断崖からがけ下に遺棄した。幹部の遺体はまだ見つかっていない。
 2003年2月6日、栃木県警はS、TA、Y、Tを逮捕した。同日午前8時25分頃、逮捕状を取っていた産業廃棄物運搬業者社長(61)の遺体が、鹿沼市池ノ森の工場建設予定地に駐車されたダンプカー内で見つかった。自殺と見られる。
 2月11日、殺害された幹部の前任者である元参事(当時53)が市役所新館から飛び降り自殺した。
 TAは2004年7月15日、宇都宮地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2005年6月15日、東京高裁で被告側控訴棄却。2006年2月8日、被告側上告棄却、確定。Yは一審懲役17年(求刑懲役20年)が最高裁で確定。Tは一審懲役14年(求刑懲役18年)判決の確定後、病死した。Sは一審懲役18年(求刑懲役20年)判決。控訴後取り下げ、確定。
 殺害された幹部の遺族は、市や実行役3人と首謀者である産業廃棄物運搬業者社長の親族3人に計7,000万円の損害賠償を求めた。2008年3月5日、宇都宮地裁にて、遺族と市側の和解が成立した。和解条項は、市側が遺族に見舞金300万円を支払い、不適正な廃棄物処理行政が事件発生原因の一端だったことを認める内容。2008年3月5日、宇都宮地裁は実行犯と首謀者の親族計6人に対し、全額の支払いを命じた。裁判長は「適正な行政執行に努めていたにもかかわらず逆恨みされて殺害された」と指摘した。
文 献 下野新聞「鹿沼事件」取材班『狙われた自治体 ゴミ行政の闇に消えた命』(岩波書店,2005)
備 考  
11/12 概 要 <伊勢崎「主婦暴行」餓死事件>
 2001年11月12日、伊勢崎消防署に「妻が死亡している」との通報があり、3人が駆けつけた。通報したK井(37)が案内した布団の中には、26kgまでやせ細って餓死した女性の遺体があった。K井一家は警察の取り調べを受けることになり、やがて遺体の女性はK井の妻ではなく、邑楽郡の自宅から夫と娘を置いて家出をしていたM子(36)と判明。K井とM子は中学校の特殊学級の同級生であり、M子は1993年にも一度家を出てK井と一緒になっていたことがあった。1998年1月に再びM子は家出をし、K井とともにK井の両親、姉が住む家に転がり込む。反抗的な態度をとったM子に一家総出で暴行、食事抜きの罰などを与え続け、11月10日、M子は死亡したのだった。2002年2月13日、一家4人は逮捕され、事件は全国的に知られるようになった。
 2002年11月25日、前橋地裁はK井に懲役12年(求刑懲役13年)、K井の姉に懲役8年(求刑懲役10年)、K井の母に懲役8年(求刑懲役10年)を言い渡した。2002年12月26日、前橋地裁はK井の父に懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。
文 献 「家族の連帯は「玩具」を手にして生まれた―伊勢崎「主婦暴行」餓死事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  


【2002年】(平成14年)

日 付事 件
1/22 概 要 <三島女子大生焼殺事件>
 建設作業員Hは2002年1月22日午後11時5分ごろ、静岡県三島市の国道136号沿いで、アルバイト先から自転車で帰宅途中の女子短大生(当時19)を見かけ、誘いの声をかけたが、断られたため自分のワゴン車に押し込み、同23日午前2時半ごろまでの間、三島市などを車で連れ回して逮捕・監禁したうえ、同市川原ケ谷の市道で、短大生に灯油をかけてライターで火をつけ、焼死させた。Hと短大生に面識はなかった。
 遺体が見つかった2日後の1月25日、Hは同県函南町で無免許運転で乗用車をUターンさせた際、対向車と衝突し、2人にけがを負わせた上、逃亡。2月28日に逮捕され、業務上過失傷害などで懲役1年6月の実刑判決を受けており、本事件の逮捕・監禁容疑で逮捕された7月23日には、収監中だった。
 求刑は死刑だったが、2004年1月15日、静岡地裁沼津支部で無期懲役判決。検察側と、有期刑を求める被告側の両方が控訴した。2005年3月29日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。2008年2月29日、最高裁は被告側の上告を棄却し、死刑が確定した。
 Hは2012年8月3日、死刑が執行された。40歳没。
文 献 「無抵抗の女に火を放った「三十男」の興味―三島「女子大生」焼殺事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
1/25 概 要 <東村山ホームレス暴行死事件>
 2002年1月24日、東京都東村山市の私立図書館で騒いでいた中学2年生数名を、ホームレスの男性(55)が注意。怒った中学生たちは、図書館前でホームレスに暴行を加えようとしたが、追い払われた。
 中学生は仲間を呼んで、4人で1月25日午後6時過ぎ、男性が眠っていたゲートボール場で暴行、さらに午後7時半頃にも暴行を加えた。
 同日午後10時半頃、中学生4人は新たに中学2年生1名と高校2年生2名を仲間に加え、ホームレス3人が眠っていたところを男性だけ連れだして暴行。角材やパイプいすで殴ったり、金属性ロッカーの下敷きにしたりして死亡させた。また、現場近くにいた他のホームレスの男性2名から、計1250円を脅し取った。
 中学2年だった少年5人のうち3人は傷害致死容疑で逮捕され、初等少年院に送致された。当時13歳だったため刑事責任を問えなかった少年1人は補導され、児童相談所に通告。見張り役だった14歳の少年1人は保護観察処分となった。
 当時高校2年だった少年2名は、それぞれ懲役3年以上5年6月以下、懲役2年6月以上5年以下の不定期刑が言い渡された。
文 献 西村仁美『悔―野宿生活者の死と少年たちの十字架』(現代書館,2005)
備 考  
2/24 概 要 <さいたま実娘虐待殺人事件>
 ピンクサロンで働くS(24)とその無職の夫(31)は2001年12月からSの娘(2)を虐待し続け、2002年2月23日、娘は死亡。翌日、二人は逮捕された。さいたま地検は、2003年2月、Sに懲役9年(求刑懲役12年)、3月には夫に懲役8年(求刑懲役12年)を言い渡し、そのまま確定した。
文 献 「母を想うピンサロ嬢は「虐待日記」を綴った-さいたま「実娘拷問」殺害事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
3/4 概 要 <神戸大学院生リンチ殺人事件>
 指定暴力団組長Sは、2002年3月4日未明、神戸市西区の県営団地敷地で車の駐車位置をめぐり、大学院生(27)と知人(31)に因縁をつけて殴ったが、逆に取り押さえられた。このため配下の組員を呼び集めて数人で暴行。大学院生は駐車トラブルに巻き込まれた直後の110番通報で、約3分間にわたって助けを求め、「ヤクザに脅されている」などと相手が暴力団組員であることも明言していたが、駆けつけた神戸西署員らは大学院生が車に押し込まれたのに気づかずに引きあげ、何の手配も行わなかった。その後、被告らはさらに空き地などで大学院生に暴行し、川に放置して凍死させた。知人もまた重傷を負った。
 2004年8月5日、主犯のSに対し神戸地裁は懲役20年(求刑無期懲役)の判決。2005年6月23日、検察・被告側控訴棄却。Sは上告したが、後に取り下げて確定している。他の組員ら5人は懲役10~14年の実刑が確定している。現場に元組員らを呼び寄せた女性に対しては、「加害行為を拡大させた」として二審懲役3年の実刑が言い渡されている。
 兵庫県警は初動捜査のミスを認めて当時の神戸西署長ら10人を懲戒、訓戒処分にした。被害者の母親は県などを相手に約1億3,700万円の損害賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こした。2004年12月22日、神戸地裁は県警の捜査ミスを認定。殺害との因果関係を認め、県に計約9,700万円の支払いを命じた。2006年1月19日、最高裁は県の上告を退け、一・二審判決が確定した。捜査上の権限を適切に行使しなかった怠慢と殺人の因果関係を認定した判決が、最高裁で確定したのは初めて。
文 献 「「立ち去り警官」は渦巻く怨嗟を目撃していた―神戸「大学院生」リンチ殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)

黒木昭雄『神戸大学院生リンチ殺人事件―警察はなぜ凶行を止めなかったのか』(草思社,2006)
備 考  
3/7 概 要 <北九州連続監禁殺人事件>
 2002年3月7日、福岡県警小倉北署は職業不詳のM(40)とO(40)を、17歳の少女を半月間監禁し、暴行を加えたとした監禁傷害容疑で逮捕。このとき、別のマンションから男児4人も発見。うち2人はふたりの子供であった。
 その後の捜査で二人は、1996年から1998年にかけ、2件の監禁傷害容疑、そして同居していたOの姪(当時10)、甥(当時4)、妹(当時32)、その夫(当時38)、母(当時58)、父(当時61)と、17歳の少女の父親(当時34)の計7人を殺害した容疑で逮捕、起訴された。2005年9月28日、福岡地裁で二人に死刑判決が出された。両被告は控訴した。2007年9月26日、福岡高裁はMの控訴を棄却した。しかしOについては、Mの長年の暴力の影響下にあったことを考慮し、無期懲役に減軽した。Mは2011年12月12日、最高裁で上告棄却、死刑確定。同日、Oは最高裁で検察側の上告棄却、無期懲役が確定した。
 マンションで7年間監禁され、脱出した女性の祖父は一審判決後の2005年9月30日、犯罪被害者等給付金支給法に基づく遺族給付金について福岡県警察安全相談課に問い合わせたところ、「事件を知った日から2年の申請期限が過ぎており、支給できない」と回答した。2月21日、福岡県弁護士会の「犯罪被害者支援に関する委員会」の弁護士が、女性の代理人として給付金支払いを求める申請書を小倉北署に提出した。2007年3月6日までに、福岡県公安委員会は、「支給しない」と裁定した。同給付金支給法は申請期限を「犯罪被害の発生を知ってから2年、または被害の発生から7年」と規定(本事件を受け、2008年7月に改正案が施行され、監禁解放後の6カ月以内に申請できる特例を盛り込んだ)。女性は、昨年2月に支払いを求める申請書を県公安委に提出しており、県公安委は「期限切れ」と判断した。4月12日、女性代理人の弁護士は裁定を不服として国家公安委員会に裁定の取り消しを求める審査請求を行ったが、6月に「不支給裁定は適法で妥当」として棄却された。
 2008年12月18日、女性側は、福岡県公安委員会が犯罪被害者給付金の申請について期限の経過を理由に不支給とした裁定は不当として、県を相手に取り消しを求める訴訟を福岡地裁に起こした。2010年7月8日、福岡地裁は女性側の請求を認め、県公安委の裁定を取り消した。2010年11月30日、福岡高裁は県の控訴を棄却した。2011年9月2日付で最高裁第二小法廷は、県側の上告を棄却し、判決は確定した。9月15日、福岡県公安委員会は、給付金を支給する裁定をした。
文 献 「詐欺師の手に絡め取られた「血族六人」殺意の鎖―北九州「監禁男女」連続殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)

小野一光『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文芸春秋,2023)

佐木隆三『なぜ家族は殺し合ったのか』(青春出版社,2005)

豊田正義『消された一家―北九州・連続監禁殺人事件』(新潮社,2005/新潮文庫,2009)

張江泰之『人殺しの息子と呼ばれて』(KADOKAWA,2018)

「北九州監禁連続殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  
4/14 概 要 <大阪市平野区母子殺害放火事件>
 元府警巡査で大阪刑務所刑務官の男性M(45)は2002年4月14日、大阪市平野区の4階建てマンション3Fに住む養子の会社員宅にて、会社員の妻(当時28)の首を犬の散歩用のひもで絞めて殺害し、長男(当時1)を浴槽に沈めて水死させた。さらに部屋に火をつけ、42平方メートルを全焼させた。Mは妻に対し性的嫌がらせを続けていたとされた。
 Mは捜査段階から犯行を否認し、逮捕後は黙秘を貫いた。公判では無罪を主張。直接証拠がないため、検察側は目撃証言やマンション階段の灰皿で見つかったたばこの吸い殻の唾液が、MのDNA型と一致したという鑑定結果などの状況証拠を提出した。
 2005年8月3日、大阪地裁はMの無罪主張を退けた上で、刑務官時代の勤務状況から改善・更正の余地がないとはいえないとして無期懲役判決(求刑死刑)を言い渡した。
 無罪を訴えるMと、死刑判決を求めた検察側の双方が控訴した。2006年12月15日、大阪高裁は検察側が提示した間接証拠の信用性を認定し、残虐な犯行で何ら反省していないと一審判決を破棄し、死刑判決を言い渡した。Mは上告した。
 2010年4月27日、最高裁は物証となった吸い殻や状況証拠についてMが犯人でなければ合理的に説明できない事実関係があるか疑問とし、審理が尽くされていないとして審理を大阪地裁に差し戻した。
 府警は灰皿から見つかった残り71本の吸い殻を段ボール箱に入れ、平野署4階にあった捜査本部の整理棚に置いていたが、起訴から間もない2002年12月下旬に紛失が判明。府警は、公判で弁護側が吸い殻に関する証拠を開示するよう請求した後の2004年1月ごろまで検察側に紛失を伝えていなかった。また府警と検察はその事実を公表しなかった。弁護側は2003年12月から2004年2月の間に3回、吸い殻関連の証拠を明らかにするよう求めた。これに対し、検察は2004年1月、「開示に応じる理由がないので、開示しない」と回答。同年3月にも「証拠開示すべき具体的必要性が挙げられていない」などとして拒否したが、紛失には一切触れなかった。
 差し戻し一審で、検察側は改めて有罪を主張。新証拠も提出したが、2012年3月15日、大阪地裁は判決でいずれもMを犯人と推認させる事実とは言えないと結論づけ、Mに無罪判決を言い渡した。そして、「紛失がなければ、差し戻し前の審理の帰趨自体が別のものとなっていた可能性も否定できない」と付言をした。また、「物証の適切な保存管理は今後の捜査の最重要課題だ。紛失経緯の究明も不十分で、今一度、経緯を再検討し、組織などのあり方を含めた総合的な再発防止策を希望する」と、大阪府警を厳しく批判した。Mは釈放された。検察側は控訴したが、2017年3月2日、大阪高裁は控訴を棄却した。検察側は上告を断念し、無罪判決が確定した。Mは3月17日、大阪刑務所に復職した。
文 献 「息子の嫁に欲情した刑務官の「男の自信」―大阪「母子」放火殺人事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  Mに対し法務省は懲戒免職処分とはしなかったが、「悪質かつ重大な犯行で、給与支給は到底国民の理解を得られない」として無給としていた。しかし2003年7月に、人事院が名古屋刑務所の受刑者死傷事件で起訴された刑務官への休職給支給を決定したのを受けて、2003年8月4日、給与法に基づき給与の6割以内の「休職給」を支払うこととした。給与法は、国家公務員が刑事事件で起訴され休職にしたときは、休職期間中、給与の6割以内を支給することができる、と定めている。しかし法務省は、公訴権を持つ検察庁を所管しており職員の違法行為に対してより厳正に対応する必要があるとの立場から、1986年に人事課長通達を出し原則無給としていた。
 最高裁で死刑判決が破棄されて差し戻されたのは、1989年6月22日の「山中事件」最高裁判決以来(後に無罪確定)。
4/17 概 要 <新城市会社役員誘拐殺人事件>
 愛知県新城市の給食会社役員G(38)は、フィリピンパブで知り合ったホステスとの結婚資金などを得るために、青年会議所(JC)仲間である新城市の建設会社役員の男性(当時39)を殺して金を奪い、家族から身代金名目の現金を脅し取ろうと、2002年4月17日午後10時10分すぎ、愛知県新城市の市商工会館の駐車場に止めていた乗用車内で、男性の首をロープで絞め殺害、現金約12万円などを奪った。
 翌18日には男性の生存を装い、家族に17回の脅迫電話をかけて身代金1億円を要求。東名高速道路上から現金を投下するよう指示したが失敗。19日、男性の遺体を同県額田町の残土捨て場に遺棄した。
 21、22の両日、捜査かく乱を狙って知人の会社員(脅迫、犯人隠匿罪で懲役2年、執行猶予4年が確定)に、自分が誘拐されたかのような虚偽の脅迫電話を自らの両親にかけさせ、フィリピンへ逃亡を図った。会社員の被告はGが殺害の犯人と知りながら、捜査をかく乱し、フィリピンへの逃亡を助けるためにGの両親に「息子を預かった」などと電話をして身代金3,000万円を要求。21日夜にGをJR浜松駅まで車で送り、JR成田空港駅までの切符を購入して渡した。
 愛知県警はGを身代金目的誘拐容疑などで逮捕したものの、名古屋地検は最終的に誘拐罪の適用を見送った。求刑死刑に対し、2005年5月24日、一審無期懲役判決。2006年12月15日、検察・被告双方の控訴棄却。上告せずに確定。
文 献 「「二人の御曹司」が情熱を傾けたそれぞれの未来―新城「資産家三代目」誘拐殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  
4/28 概 要 <福岡四人組保険金連続殺人>
 福岡県久留米市に住む同じ看護学校出身である元看護師Y、治験コーディネーターT、看護師IK、元看護師IHは共謀して、以下の事件を起こした。

  1. Tの同僚の看護師が点滴を誤って投与したことを知ったYは1997年3月20日、Tを介してその看護師を呼び出し、患者に異常がなかったことを知りつつ患者の家族と交渉すると偽って数日後に500万円を騙し取った。さらに1か月後、患者が亡くなった(点滴ミスとは無関係)ことに付け込み、さらに500万円を騙し取った。そして誓約書を書かせ、毎月4万円を20年間払わせようとしたが、不信に思った看護師が弁護士に相談し、これは失敗した。しかし弁護士からの返済要求についてYは激しい剣幕で反論し、結局有耶無耶となった。(詐欺罪)
  2. Yから金を巻き上げられつつも心酔していたIは、Yから夫(当時39)について「愛人がいる」「保険金目的で(池上被告を)殺そうとしている」などと虚偽の事実を告げられて殺害を決意。Y、T、IKは1998年1月22日0時過ぎ、IKの夫に睡眠剤入りのビールを飲ませ、静脈にカリウムや空気を注射して殺害しようとしたが失敗。24日0時過ぎ、再び睡眠薬入りのビールを飲ませさらに睡眠剤入りのアンプルを注射して眠らせ、IKとTが順に空気を静脈に注射して殺害。保険金約3,498万円を詐取した。YはIをだまし、3,450万円を手にした。(殺人、詐欺罪)
  3. 夫の浮気癖と借金に悩み別居していたIHに目を付けたYはIHをだまし、殺害を決意させた。Y、T、IK、IHは1999年3月27日、IHの夫(当時44)に洋酒や睡眠薬を飲ませ、鼻からチューブで大量の洋酒を注入し、さらに空気を静脈に注射して殺害。保険金約3,250万円を詐取した。保険金のすべてはYにわたっている。(殺人、詐欺罪)
  4. Y、IK、IHは柳川に住むTの母(当時82)が持っている預金に目を付け、2000年5月29日、母親の家に入って殺害しようとしたが、抵抗されて失敗した。(強盗殺人未遂、住居侵入罪)。
  5. IHの実家の土地にYが目を付けたことを恐れたIHは2001年、夫殺害などを警察に相談しようとした。そのことに腹を立てたYはIKとともにIHに脅迫状を送るなど、自首を思いとどまるように脅した。(脅迫罪)
 5の件で脅されたIHはパニックになり2001年8月5日、伯父とともに久留米署へ駈け込んだ。IHは夫殺害を自供。福岡県警はIHを保護しつつ、Yの周辺を慎重に捜査。2002年4月17日、福岡県警はYとTを1の容疑で、IKを5の容疑で逮捕した。IHは4月13日に自殺未遂を起こしたため、21日に4の罪で逮捕されている。
 Yは2004年9月24日、福岡地裁で一審死刑判決。2006年9月14日、福岡高裁で控訴棄却。2010年3月18日、被告側上告棄却、確定。その後、再審請求、棄却。
 Tは2004年8月2日、福岡地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2006年5月16日、検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
 IKは死刑を求刑され、2004年3月8日に結審、判決は8月5日の予定だった。しかし体調が悪化したため、福岡地裁は8月3日、公判手続停止を決定。9月1日、卵巣癌で死去。43歳没。
 IHは求刑無期懲役に対し2004年8月9日、福岡地裁で一審懲役17年判決。2006年5月16日、検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。
 Yは2016年3月25日、死刑が執行された。56歳没。
文 献 森功『黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人』(新潮社,2004/新潮文庫,2007)
備 考  
6/5 概 要 <稚内夫絞殺事件>
 2002年6月5日、北海道稚内市の不動産業者は、2月に買い取った家に残っていた冷凍庫のふたを開け、死体を発見した。翌日、家を売却し5月に引っ越したホステス(40)が逮捕された。死体は、ホステスの夫(当時50)で、5年前の1997年11月26日に精神安定剤を溶かした味噌汁を飲ませて眠らせた後、ネクタイで首を絞めて殺害したものだった。ホステスは、夫は家を出ていったと警察に捜査願いを出しており、4年半もの間、冷凍庫に入れた夫の死体とともに暮らしていた。さらに彼女は1999年4月、自分が産んだ生後二ヶ月の赤ん坊を窒息死させ、5月の引っ越しの際に、自宅近くのゴミステーションに捨てていたことを自供した。乳児の白骨化した遺体は、7月3日、ゴミ処分場から発見された。男性と女性は1980年に結婚。しかし妻の浪費癖があったことと、夫が再三にわたって暴力をふるい倹約生活を強いるなど、トラブルが耐えなかった。数百万円の借金を支払うため、男性の定期預金を奪うことを目的とし、殺害したものだった。
 2003年1月20日、旭川地裁は懲役15年判決(求刑懲役20年)を言い渡した。控訴せず確定したものと思われる。
文 献 「「赤いバスケットの女」、化粧の下の貌-稚内「冷凍庫」夫絞殺事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
7/4 概 要 <宇都宮散弾銃主婦射殺事件>
 2002年7月4日午後1時5分ごろ、栃木県宇都宮市の住宅街で轟音が響いた。T(62)はまず隣家の男性宅に発砲。その後、別の隣家の主婦宅の庭に闖入し、ガラス戸に散弾を浴びせて破壊、二階に駆け上がり主婦(60)を散弾銃で射殺した。さらに騒ぎを知って外へ飛び出してきた隣家に住む主婦の義理の妹の女性に向けて二階から発射し、半身不随の重傷を負わせた。Tはそのまま散弾銃で自殺した。Tと隣家の主婦は数年来、諍いが絶えず、警察や地元自治会、勤務先、保健所、法務局まで巻きこんでいた。事件は被疑者死亡のまま書類送検されて幕を下ろした。
 2006年、主婦の遺族らはTの猟銃所持を許可した当時の宇都宮南署生活安全課長を、宇都宮地検が業務上過失致死傷罪で起訴しないのは不当として、宇都宮検察審査会に不服を申し立てた。審査会は同年10月、不起訴不当を議決。しかし地検は2007年3月、嫌疑不十分として改めて不起訴処分とした。遺族らは2007年4月、改めて検察審査会に不服を申し立てたが、宇都宮検察審査会は6月15日までに、男に猟銃所持の許可を審査した元宇都宮南署員について「予見可能性があったと認めるに足りる証拠はない」として、不起訴相当を議決した。
 主婦の遺族と負傷した主婦らは、栃木県公安委員会が男に猟銃所持を許可したのは違法だったとして、県、当時の県公安委員長、当時の宇都宮南署生活安全課長ら署員2人に総額7,700万円の損害賠償を求めた。2007年5月24日、宇都宮地裁は、Tの猟銃所持許可申請について、主婦の殺傷が目的と認定した上で、「近所とのトラブルなどの事実関係について事前に十分な調査と検討をせずに許可しており、職務行為の違反、過失の程度は相当大きい」と署員の怠慢を指摘し、県に4,700万円を支払うよう命じた。
文 献 「当局をも巻きこんだ「隣人」の不気味な息遣い―宇都宮「散弾銃」主婦射殺事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
7/7 概 要 <和歌山メル友絞殺事件>
 会社員の女性H(23)と無職の男性A(32)は現金を奪う目的で、Hの知人女性(27)の殺害を計画。2002年7月7日未明、Hが女性を呼び出し、Aが和歌山市内でドライブ途中に女性の首をタオルで絞め殺害した。現金約35,000円を奪い、遺体は和歌山県かつらぎ町の山中に運んで焼いた。Hは、殺害した女性の弟とも出会い系サイトで知り合い、交際していた。
 さらにAが以前勤めていた同市内のカー用品店店長(48)から売上金を奪うため、殺害を2人で計画。同月13日夜、Aがサバイバルナイフで刺し、重傷を負わせた。
 HとAは2001年8月、携帯電話の出会い系サイトで知り合った。空き巣や車上狙いなど計5件の窃盗罪でも起訴されている。いずれもHの指示でAが実行した。
 求刑死刑に対し、2004年3月22日に和歌山地裁で無期懲役判決。2005年1月11日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。Hはさらに上告したが、2005年12月12日に棄却され、確定した。
文 献 「モテたい女の声音が騙る「陳腐な恋の物語」―和歌山「メル友」絞殺事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  この事件を基に映画『愛の病』(監督吉田浩太)が制作され、2018年1月6日、公開された。
7/12 概 要 <札幌歯科医嫁殺人事件>
 2002年7月12日午前7時過ぎ、札幌市の歯科医師宅から子供の声で110番通報があった。豊平警察署が駆けつけると、歯科医師(52)の妻(39)が階段登り口で死亡していた。頭部から夥しい血が流れ出ていた。通報したのは息子(7)だった。当初は歯科医師が疑われたが、5日後に歯科医師の母(77)が自首、逮捕された。歯科医師は三度目、妻は二度目の結婚であり、息子が産まれてからは母と妻は冷戦状態になった。特に妻の母に対するいびりはすさまじく、第1回公判での検察側の冒頭陳述でも、妻が母をどれだけいびってきたかが盛り込まれていた。事件は泥酔した妻が階段付近に仰向けで倒れていたのを、夜中に母が発見。これまでの仕打ちに対する恨み、憎しみの念が吹き出て、頭部を階段の角部に何度も力一杯たたきつけたものだった。歯科医師はそれを発見したものの、母を庇うために妻を放置、隠蔽工作を行っていた。
 歯科医師は保護責任者遺棄致死罪で起訴された。2003年、母に対して一審懲役8年、医師に対して懲役2年6ヶ月が言い渡された。共に控訴し、2004年3月18日、母に対し札幌高裁は懲役7年を言い渡し、確定した。医師はその後控訴棄却、上告も棄却され確定した。
文 献 「「くそババァ」と罵られ馬乗りになった老婆の涙―札幌「歯科医」嫁惨殺事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
8/5 概 要 <マブチモーター社長宅強盗放火殺人事件>
 獄中で知り合った小田島鐵男とMは2002年8月5日午後3時ごろ、千葉県松戸市にある小型モーターの世界的トップメーカー・マブチモーター社長方で、社長の妻(当時66)と長女(当時40)を絞殺。高級腕時計や指輪など966万円相当を奪った上、2部屋に混合ガソリンをまいて放火し、木造2階建て住宅延べ約170平方メートルを半焼させた。さらに小田島とMは2002年9月24日、二人は東京都目黒区に住む歯科医師の男性(当時71)宅に侵入。自宅1階居間で男性を電気コードで縛ったうえ、ナイフで胸部や腹部などを突き刺し、タオルなどで首を絞めて殺害。現金約35万円や指輪を奪った。そして2002年11月22日、二人は千葉県我孫子市の金券ショップ社長(当時69)方に侵入。社長の妻(当時64)を殺害し、現金100万円を奪った。
 二人はその後、群馬県などで空き巣を繰り返していた。2004年12月、二人の知り合いがマブチモーター事件の関与を証言。二人は2005年1月、群馬県警に窃盗容疑で逮捕され、小田島は前橋地裁で懲役4年の判決(控訴中)を、Mは前橋簡裁で懲役2年8月の判決(服役中)を受けた。捜査本部は9月に二人を聴取、犯行を認めたため逮捕した。さらにMは他2件の犯行に関与した上申書を提出した。
 分離公判となり、小田島は2007年3月22日、千葉地裁で死刑判決。11月1日、控訴取り下げ、確定。Mは2006年12月19日、千葉地裁で死刑判決。2008年3月3日、東京高裁で控訴棄却。2011年11月22日、上告棄却、確定。Mは再審請求中。
 小田島は2017年9月16日午後10時半ごろ、食道がんのため東京拘置所で病死。74歳没。2017年1月にのどの違和感を訴え、検査で食道がんと診断。本人が積極的な治療を望まなかったため、拘置所内で痛み止めなどの治療を続けていた。
文 献 小田島鐵男『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版,2009)

斎藤充功『死刑囚小田島鐡男 "モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間』(ミリオン出版,2017)
備 考  小田島鐵男は1990年6月2日、2人組で東京都内の社長一家7人を2昼夜監禁し、現金3億円と貴金属を奪った。約3カ月後に香港から帰国したところを逮捕され、懲役12年の実刑判決を受け、2002年6月に仮出所していた。
 Mはタイ人女性殺人事件で懲役12年の判決を受け、1989年に入所していた。
 小田島鐵男はノンフィクション・ライター斎藤充功を通し、インターネット上でブログを連載。評判となった。
10/12 概 要 <人気AV女優怪死事件>
 2002年10月12日夜、長野県塩尻市の奈良井川の堤防脇で一台の車が焼け、中から二人のカップルの死体が見つかった。男性は市内に住む会社員(24)、女性は東京から遊びに来た人気AV女優(24)だった。男女ともに刺し傷が認められ、車内からは包丁が発見された。塩尻警察署は「無理心中、他殺の両面で捜査」と発表しながら、捜査本部は立ち上がらなかった。11月25日、男性の両親は塩尻警察署に「息子はなにものかに殺害された」と告訴状を提出した。塩尻警察署は形式不備などを理由に受け取りを拒否。2003年1月、ようやく告訴状を受け取った。
 会社員の母親は、「住友生命」を相手取り、死亡時の生命保険金約3,500万円の支払いを求めて訴訟を起こした。同社は心中による自殺を主張していたが、2007年1月23日、長野千紗飯田支部は「男性の死は他殺と認められる」と、保険金全額の支払いを命じた。
文 献 「「普通の二十四歳」カップルは心中したのか―塩尻「人気AV女優」怪死事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
11/17 概 要 <ベネズエラ日本人誘拐事件>
 山梨県牧丘町(現・山梨市)出身で、ベネズエラのタチラ州サンクリストバル市で雑貨店を営んでいたAAさん(当時67)と、妻で塩山市(現・甲州市)出身のAYさん(60)は2002年11月17日、「ゲリラ」を名乗るグループに誘拐され、同市近郊の住宅地に監禁された。2日後に国家警備隊の隊員が監禁先を突き止めたが、犯人グループは逃走する際にAAさんを射殺、AYさんは拉致され行方が分からなくなった。AYさんは8カ月近く監禁。次男が交渉し、家族が用立てた身代金と交換で2003年7月4日夜、解放された。犯人は捕まっていない。
文 献 雨宮洋子、雨宮正明『カミーラと呼ばれた230日-ベネズエラで誘拐されて生還した私と、その間の息子達の行動の記録』(東京図書出版,2015)
備 考  カミーラとは、監禁中に洋子さんが犯人グループに呼ばれていた名前である。
11/23 概 要 <日中混成強盗団事件>
 約30人からなる日中混成強盗団は2000年頃から全国各地で資産家宅を襲い、主に日本人が運転主役、情報提供役であり、中国人が実行犯。宅配業者などを装って押し入り、家人を粘着テープで縛り上げ、ナイフやスタンガンなどで現金や株券などを脅し取っていた。名古屋市出身の暴力団組員Tはその主犯格だった。Tは2002年8月~2003年3月に起きた強盗団による事件の主犯格として、各地の暴力団組員らから集めた資産家の情報を基にターゲットを決め、東京、静岡、愛知、福井、滋賀、和歌山、兵庫、福岡、大分の9都県で計17件の強盗事件を起こし、被害額は約6億円とされる。
 約30人のうち25人が逮捕されたが、Tは2002年11月23日、名古屋空港から中国へ出国した。Tは愛知、福岡、福井、大分、和歌山の5県警から国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、国際手配された。
文 献 織川隆『中国人連続強盗団―日本人ボスと30人の凶悪犯』(講談社,2004)
備 考  Tはその後、中国で覚せい剤密輸グループの元締めとして活動。2004年6月、Tは広東省のホテルで覚せい剤約3.1kgを所持していたとして中国公安局に拘束された。その後、相次いで日本人17人を含む日中両国の共犯者10数人が拘束された。Tは他に2003年6月、中国遼寧省大連市で中国人から覚せい剤5kgを購入、7月に運び屋の日本人ら5人に小分けして渡した県でも起訴。麻薬密輸罪によって2007年1月18日、大連市中級人民法院(地裁に相当)で死刑判決。8月20日、大連市省高級人民法院(高裁に相当)でUとともに控訴が棄却され、死刑が確定した。1972年の国交正常化以降、日本人が中国で死刑が確定したのは初めて。
 2010年4月1日、遼寧省の外事弁公室は瀋陽の日本総領事館に対し、T、U、M死刑囚の死刑を7日後に執行すると通告した。4月9日午前9時(日本時間午前10時)、Tは大連市看守所で執行された。67歳没。
11/25 概 要 <熊谷市ホームレス暴行死事件>
 2002年11月25日午後9時半過ぎ、埼玉県熊谷市で市内の中学2年生3人(いずれも14)がからかってやろうと、現場に落ちていた木材や水道管などでホームレスの男性(45)を暴行。そのまま放置した。男性は急性硬膜下血腫で死亡した。
 3人は4日後に逮捕。傷害致死で家裁送致され、初等少年院送致となった。
文 献 吉田俊一『ホームレス暴行死事件 少年たちはなぜ殺してしまったのか』(新風舎文庫,2004)
備 考  
12/7 概 要 <板橋精神科医事務員殺害事件>
 東京都板橋区の精神科医O(46)は2002年12月7日午前9時頃、交際していた病院事務員(28)から別れ話を持ち出されてかっとなり、首を絞めて殺害した。Oは直後に首をつって自殺を図って重体となったが、容体が回復した19日に逮捕された。女性は元々うつ病患者としてOの病院に通っており、そこから交際が始まっていた。
 2004年6月17日、東京地裁で懲役10年(求刑懲役13年)判決。控訴して懲役9年に減刑され、確定している。
文 献 「「十八歳年下」女に嵌った男が見た奈落―板橋「精神科医」患者絞殺事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  
12/21 概 要 <足立区強盗殺人事件>
 2002年12月21日頃、東京都足立区のアパートでの一室で、住人である会社員の男性(当時23)が部屋のインターホーンを聞いて応対に出たところを刃物で切り付けられ、さらに両手両足を電気コードで縛られ、頭を鈍器で殴られて殺害され、現金が入った財布と鍵が奪われた。
 男性は2002年春に大学を卒業して都内の会社に就職。事件当時は一人暮らしだった。21日午後3時頃に千葉県の実家に今から帰ると連絡を入れていたが帰ってこなかったため、心配した家族が翌日にアパートを訪れ、事件が発覚した。男性はリュックサックを背負っており、帰宅直前だった。
 捜査は難航。2010年に強盗殺人の公訴時効は廃止された。
 2018年12月8日午後11時頃、警視庁浅草署に台東区に住む無職男性K(当時47)が出頭し、事件に関与したと説明。任意の事情聴取に「他人に頭の中を見られ、人を殺したことがばれたので出頭した」と話したため、警視庁は本人の同意を得て入院させた。捜査の結果、事件現場に残されていた、包丁を包んでいた紙に残っていた指紋を、2014年に新たに導入された指紋検出装置で調べたところ一致した。21日、退院したKを強盗殺人と住居侵入の容疑で逮捕した。
 Kは現場近くに父親と住んでいたが、事件数日前からはアパートから約450m離れた公園で野宿生活を送っていたが金に困り、空腹と寒さに耐えかね事件を計画。Kはアパートに単身者が多いことを知っており、インターホーンを片っ端から鳴らして、出てきた人物に切り付けたものであり、被害者との面識はなかった。
 Kは事件後、持参していた包丁や鍵、現金を抜き取った財布は投げ捨て、奪った現金で台東区内のビジネスホテルなどに滞在し、その後は生活保護を申請して同区内のアパートなどで生活していた。
 Kは2022年2月2日、東京地裁の裁判員裁判で求刑通り一審無期懲役判決。9月29日、東京高裁で被告側控訴棄却。2023年1月10日、被告側上告棄却、確定。
文 献 沖田臥竜『迷宮 三大未解決事件と三つの怪事件』(サイゾー,2020)
備 考  


【2003年】(平成15年)

日 付事 件
1/17 概 要 <神戸「風俗王」惨殺事件>
 会社社長Kは、神戸市内の風俗店グループを実質経営していた広告会社社長(47)に風俗店の運営を任せてもらおうと申し出たが断られたため、自分に好意を抱いていた社長の秘書兼愛人のFや元従業員のIと乗っ取りを計画。2003年1月17日午後8時ごろ、殺害を引き受けたR(中国籍)、Mは神戸市内のFの自宅マンションで、社長を粘着テープで縛り、腹部を包丁で突き刺して失血死させた。さらに現金70万円を奪い、店の経営権を奪った。
 18日午後6時ごろ、会社関係者が男性の遺体と縛られた格好のFを部屋で発見、110番通報。Fは「男性と食事から帰宅した際、男3人組が押し入った。殴られ、翌朝気づいたときには縛られていた」などと証言していた。
 殺害された社長は神戸三宮を中心に数十店舗を経営する風俗店グループのオーナーで、“風俗王”と呼ばれていた。Kは社長の右腕とも呼ばれ、グループのNo.2で社長だった。Fは、社長が経営する風俗店でトップレベルを誇る人気「フードル」だった。
 検察側は強盗殺人で起訴、5人に無期懲役を求刑した。神戸地裁裁判長は「周到に計画された残忍な犯行」と認定したが、「社長を殺害しても、実質的に経営していた風俗店グループの後継者になれるとは限らず、強盗罪の要件の財産上の利益には当たらない」として、5人に殺人罪を適用した。2005年4月26日、K:懲役15年、I、R:懲役14年、F:懲役11年、M:懲役10年の判決が神戸地裁で言い渡された。
文 献 「洗礼名「カタリナ」を持つ聖女、夢見た愛の報奨―神戸「風俗王」惨殺事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  
1/25 概 要 <前橋スナック銃乱射事件>
 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治らは、対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(55 後に稲川会から絶縁)の殺害を計画。
 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部小日向将人(33)は、同幹部Y(36)とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(53)、パート職員(66)、会社員(50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。
 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部(後に殺人予備容疑で逮捕)を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。
 前橋市のスナック乱射事件は、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件がきっかけになったとされる。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙ったとみられる。
 2002年2月21日の大前田一家元総長宅(前橋市)発砲事件にかかわった矢野睦会幹部が、4日後に入院先の日医大病院(東京都文京区)で射殺された。元総長宅襲撃失敗の口封じが目的で、警視庁は同会会長の矢野治被告ら3人を2003年9月に逮捕した。
 矢野睦会の襲撃はその後も続き、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶が投げ込まれ、2002年10月14日には白沢村の銃撃事件も発生。こうした流れの中で2003年1月にスナック発砲事件が起きた。
 小日向は事件後、フィリピンに逃亡するなどしていた。2003年10月30日、不法滞在容疑でフィリピンで身柄拘束され、翌日に強制送還後、警視庁が旅券法違反容疑で逮捕した。長野県警は盗品等有償譲り受け容疑で指名手配していた。
 矢野は2003年7月8日に元組長宅への放火容疑で逮捕された。矢野らとともに小日向は前橋事件への関与を追求された。小日向は2004年2月に、「会長の指示で2人でやった」などと供述を始める。本事件で矢野と小日向は2004年2月17日に逮捕された。山田被告は5月7日に逮捕された。
 小日向将人は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り一審死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告棄却、確定。
 山田健一郎は2008年1月21日、前橋地裁で求刑通り一審死刑判決。2009年9月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2013年6月7日、被告側上告棄却、確定。
 矢野治は日医大暴力団組長射殺事件などでも起訴された。2007年12月10日、東京地裁で求刑通り一審死刑判決。2009年11月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。2014年3月14日、被告側上告棄却、確定。2020年1月26日、東京拘置所で自殺、71歳没。
文 献 小日向将人『死刑囚になったヒットマン 「前橋スナック銃乱射事件」実行犯・獄中手記』(文藝春秋,2024)
備 考  矢野治は2014年9月7日付で警視庁目白署に別の殺人事件を告白する手紙を送付。同年12月には週刊新潮編集部にも手紙を送った。さらに2015年5月28日付で、別の殺人事件について関与したことを告白する手紙を渋谷警察署に送った。週刊新潮編集部は取材を続け、当時死体を埋めた男性と接触し、証言を得た。そして『週刊新潮』2016年2月25日号(2月18日発売)にて、記事を発表。記事が表に出ることが分かった瞬間、警視庁は捜査を始め、2人の死体を発見した。
 矢野は2件の殺人容疑で起訴されたが、2018年12月13日、東京地裁で無罪判決(求刑無期懲役)。裁判長は「死刑執行を引き延ばす目的でうその上申書を書いた疑いがあり、2件とも殺人への関与を認定できない」と述べた。検察側は控訴せず、確定。検察側は、一部の遺族が「早期執行」のために控訴を求めない意向を示したことや、殺害の関与を裏付ける新証拠を提出することが難しいことなどを考慮したとみられる。
5/22 概 要 <湖東記念病院事件>
 2003年5月22日未明、滋賀県東近江市の湖東記念病院で男性患者(当時72)が死亡しているのが看護師に発見された。滋賀県警は人工呼吸器のチューブが外れていたことから、職員が異常を伝えるアラームを聞き逃したとする過失致死事件の線で捜査を始めた。誰もアラームは鳴らなかったと証言し、当時一緒に当直勤務をしていた看護助手の西山美香さんも任意聴取で同様の証言を行った。しかし男性刑事から過酷な取り調べを受けた西山さんは2004年5月、「アラームは鳴っていた」と証言。男性刑事は急に優しくなり、身の上話を聞いてくれるようになった。西山さんは男性刑事に好意を抱くようになり、5~6月、任意聴取は25回あり、うち7回は男性刑事に会いたくて自ら警察へ出向いた。さらに西山さんは発見者の看護師が厳しい取り調べを受けているのを知り、証言を撤回するも受け入れてもらえず、さらに男性刑事が素っ気なくなったことから7月2日、新たに「わざと、チューブを外しました」と自白。県警は7月6日、殺人容疑で西山さん(24)を逮捕した。
 西山さんは公判では一貫して無罪を主張したが、2005年11月29日、大津地裁は自白は任意かつ自発的で信用できるとして懲役12年(求刑懲役13年)を言い渡した。2006年10月5日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2007年5月21日付で最高裁第一小法廷は被告側の上告を棄却、確定した。
 西山さんと弁護団は2010年9月21日、大津地裁へ再審請求。2011年3月30日、大津地裁は請求を棄却。5月23日、大阪高裁は即時抗告を棄却。8月24日付で最高裁は特別抗告を棄却。
 西山さんと弁護団は2012年9月28日、大津地裁へ第二次再審請求を提出。弁護側は新証拠として致死性不整脈で病死した可能性を指摘した法医学者の鑑定書を提出した。2015年9月30日、大津地裁は請求を棄却。2017年8月、西山さんは満期出所。2017年12月20日、大阪高裁は「不整脈による自然死の可能性」を指摘する医師の鑑定書を新証拠と認め、西山さんの自白についても虚偽の可能性を指摘して再審開始を決定した。検察側は特別抗告するも、2019年3月18日付で最高裁第二小法廷は広告を棄却し、再審が確定した。
 2019年4月の第1回三者協議、6月12日の第2回協議でも検察側は有罪立証方針を具体的に示さなかったが、地裁から再提出を求められ、26日に従来通り、男性患者の死因が呼吸器が外されたことによる酸素供給途絶であることを立証する方針を提出した。しかし9月30日の協議で検察側は有罪主張の根拠とする新証拠を出さない方針を示した。さらに10月18日付で検察側は、新証拠による有罪立証や証人尋問を行わず、西山さんの自白調書などを地裁が証拠から排除しても異議を申し立てない旨の書類を提出した。11月、弁護側が開示請求した証拠の中に、他殺でない可能性があるとした鑑定医の所見を記した2004年3月の捜査報告書や、西山さんが恋に外していないという自供書があったことが明らかになった。
 2020年2月3日、大津地裁で再審初公判が開かれ、10日に結審した。3月31日、大津地裁は西山さんに無罪を言い渡した。大西直樹裁判長は当初の医学鑑定について「人工呼吸器のチューブが外れたという真偽が疑わしい事実を前提としている」と信用性を否定。不整脈やたんの詰まりで死亡した具体性があると指摘した。そして「他の死因が考えられ、事件性はなく犯罪の証明がない」とし、「西山さんの自白調書を証拠採用しない」とした。さらに取り調べの担当刑事が、軽度の知的障害などがある西山さんの特性や西山さんの恋愛感情を利用し、「強い影響力を独占して供述をコントロールしていた」と言及。「不当、不適切な捜査によって誘発された自白だ」と指弾した。大西裁判長は判決言い渡し後に説諭。滋賀県警などのずさんとも言える捜査手法に触れて「これまでの手続きが一つでも適切に行われていれば、(西山さんが)このような経過をたどることはなかった」と指摘し、「刑事司法に携わる全員が自分の問題として考えるべきだ」と求めた。大津地検は4月2日、上訴権を放棄したため、西山さんの無罪が確定した。
 4月17日の定例記者会見で滝沢依子県警本部長は、「真摯に受け止めて、今後の捜査に生かしたい」と述べた。具体的な再発防止策には言及しなかった。6月29日の県議会本会議で滝沢本部長は、「結果として大きな負担をおかけし、大変申し訳ない気持ち」と述べるも、直接の謝罪については「現時点で西山さんからそうした申し出を受けていないので、答えを差し控える」とした。7月3日の本会議で滝沢本部長は、「事件解決に向け必要な捜査を尽くした。指摘されたような不適切な取り調べ、恣意的な証拠開示、予断に基づく死因鑑定は確認していない」と答弁した。
 10月27日、大津地裁は刑事訴訟法に基づき、西山さんが逮捕されてから2017年に刑務所を満期出所するまでの4,798日を拘束期間とし、1日当たりの請求上限額の1万2500円を掛けた額5,997万5千円を補償金として交付する決定をした。西山さんが請求した上限額を認めた。
 12月25日、西山さんは滋賀県警や検察の違法な捜査などで損害を受けたとし、国や県に約4,300万円を求める国家賠償請求訴訟を大津地裁に起こした。
 2021年5月21日、大津地裁は再審無罪が確定するまでの弁護活動費などで733万6,655円の費用補償を支給する決定をした。
 9月15日、滋賀県側が大津地裁に提出した国家賠償請求訴訟の準備書面で、「心肺停止状態に陥らせたのは原告(西山さん)である」などと主張したほか、再審で認定された滋賀県警の捜査の不当性についても反論した。16日、進行協議で原告側は撤回を求める意見書を提出。17日、滋賀県の三日月大造知事は記者会見で西山さんに謝罪。28日、県警の滝澤依子本部長は県議会本会議で謝罪した。10月5日、県側は訂正した文書を大津地裁に提出した。
文 献 中日新聞編集局『私は殺ろしていません 無実の訴え12年 滋賀・呼吸器事件』(中日新聞社,2020)

中日新聞編集局『冤罪をほどく: “供述弱者”とは誰か』(風媒社,2021)

「東近江患者死亡事件――裁判官は検事の主張を疑わない」(吉弘光男『犯罪の証明なき有罪判決 23件の暗黒裁判』(九州大学出版会,2022)所収)
備 考  
3/30 概 要 <名古屋連続通り魔殺傷事件>
 名古屋市守山区に住む無職女性Iは10数年前から仕事に就かず、岐阜県内に住む父親らから月40数万円の仕送りを受けていた。だが、父親は70歳と高齢のため将来的に不安があり、蓄える金が欲しかったため強盗を計画。
 2003年3月30日夜、I(38)は名古屋市北区で赤色系の自転車に乗りながら近くに住む女性看護士(当時22)と友人女性に近づき、包丁で看護士の腹を指した後、友人が路上に落としたバッグを拾って逃走。バッグには現金約6000円や化粧道具、キーホルダーなどがあった。看護士は2日後に死亡した。
 2003年4月1日午後0時20分頃、Iは名古屋市千種区の路上で、歩いて出勤途中だった女性店員(当時23)の左胸を刃渡り約20センチの包丁で刺して重傷を負わせたうえ、現金4万円入りのバッグを奪って自転車で逃走した。
 他にIは、6月30日に守山区内で婦人用自転車を盗んだ。8月28日、守山区の民家物置で食器を盗んだとして、窃盗の現行犯で逮捕され、その後2件の事件について再逮捕された。
 Iは犯行当時、医師から睡眠薬を処方されていたとされるが、簡易鑑定の結果、地検は刑事責任能力があると判断した。
 Iは名古屋地裁の初公判で殺意を否認。1件目の事件では強盗の意志についても否認した。精神鑑定の結果、「反社会性人格障害、軽度の精神障害があり、事件当時、不安や憤怒などを呈する社会的不適応状態にあった」として、人格的なゆがみを認められた。しかし、「物事の是非をわきまえ、衝動を抑える能力はあり、責任能力に問題はない」と結論付けられた。2006年2月24日、名古屋地裁は責任能力と殺意を認め、求刑通り無期懲役を言い渡した。Iは控訴せず、そのまま確定した。
文 献 「「お嬢さん」を狙った"赤い自転車の女"の性と生―名古屋「通り魔」連続殺傷事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
6/10 概 要 <横浜恋人一家惨殺事件>
 2003年6月10日夕、配管工U(24)は横浜市鶴見区に住むIさん一家を母親とともに訪問。Iさんの二女(19)との交際についてIさん側と話し合っていたが、興奮したUは午後9時半頃に窓の格子を開けて室内に侵入。Iさん(49)、妻(48)、二女を持参したナイフで殺害、さらにその場でUは自殺した。二女はUと同棲して妊娠したが、Uの暴力が恐ろしくなり、実家へ逃げ帰っていた。
文 献 「二つの家族の団欒は「妊婦殺し」と自死で終わった―横浜「恋人一家」惨殺事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  
6/20 概 要 <福岡一家4人殺人事件>
 中国・河南省出身の元専門学校生W(当時23)は、吉林省出身の中国人元日本語学校生O(当時21)、元私立大留学生Y(当時23)ともに、2003年6月20日未明、福岡市東区の衣料品販売業者の男性(41)が外出するのを確認して男性宅に侵入。妻(40)、長男(11)、長女(8)の首を次々と絞めた。長男と長女はそのまま窒息死、妻は仮死状態になった。さらに帰宅した男性も首を絞めて仮死状態にした。現金37,000円などを強奪した後、4人に手錠をかけ、男性の車を使って遺体を博多港内の海中に投げ入れた。男性と妻は水死した。
 OとYは6月24日に帰国。中国公安省は8月15日、北京の日本大使館を通じて事件の状況について聴き、海外で重要犯罪を犯した自国民への刑事処分を定める「国民の国外犯規定」に基づいて8月19日に遼寧省瀋陽市でO、27日に北京市内でYの身柄を拘束した。Wは9月13日、別件の傷害容疑で逮捕された。
 Wらは男性がベンツを運転していることから一家に数千万円の預金があると考え、一家をロープで殺し遺体を山に捨てるため、ツルハシや作業服を購入。翌朝にキャッシュカードで金を引き出すことを計画していたことを明らかにした。事件を提案したのはWである。
 2005年1月24日、中国遼寧省遼陽市の中級人民法院(日本の地裁に相当)は「残虐な犯行で、証拠は明白」として、Yに死刑、Oには自首を認定し無期懲役を言い渡した。Oは控訴せず確定。2005年7月12日、Yの控訴棄却、執行。
 Wは2005年5月20日、福岡地裁で求刑通り死刑判決。2007年3月8日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2011年10月20日、最高裁で被告側上告棄却、確定。2019年12月26日、執行。40歳没。再審請求中だった。
文 献 「福岡一家4人殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  
6/27 概 要 <福岡「殺人教師」事件>
 2003年6月27日、朝日新聞西部本社版に、「小4の母『曾祖父は米国人』 教諭、直後からいじめ」という記事が載った。さらに10月9日号の「週刊文春」で、「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『殺人教師』」というタイトルの記事を、教師の実名をあげて報道。ワイドショーが飛びついて、連日報道合戦を繰り広げた。
 記事によると、福岡市の公立小学校の男性教諭(46)は、家庭訪問で男児(9)の母親からアメリカ人の曾祖父を持つことを聞き出し翌日から、男児に対する虐待を始めた。体罰を繰り返し、差別発言を男児に投げつけた。さらに自殺を強要し、男児が自殺を図ったこともあった。保護者の抗議で学校側は教諭を担任から外した。
 教諭はいじめを否定するも、福岡市教育委員会は同じクラスの児童の証言などから、いじめ行為は事実と判断し、2003年8月に停職6ヶ月の懲戒処分とした。
 男児は重いPTSDを発祥し、精神病院に約半年入院。そのため2003年10月、児童の両親は教諭と福岡市に約5,800万円の損害賠償を求めた。両親の弁護団は550人に上った。ただ裁判の過程で、両親の家系にアメリカ人はいないことなどの不審な点も明らかになった。
 2006年7月28日、福岡地裁は暴言や暴行などの不法行為を一部認め、福岡市に約220万円の支払いを命じた。教諭に対しては「公務員の不法行為の責任は地方公共団体が負う」として請求を棄却した。PTSDといじめの関連性を否定されたことなど両親の訴えの多くが認められず、教諭本人への損害賠償請求も退けられたことから、両親が「原告の『でっち上げ』と認定された判決」(控訴理由書に書いてある)を不服として控訴。福岡市側も控訴した。しかし2007年3月5日、両親は教諭への控訴を取り下げた。2008年11月25日、福岡高裁は一審地裁判決を変更し、市の賠償額を330万円に増額した。判決は、教諭が男子に耳を引っ張るなどの体罰やいじめ行為をしたと認定したが「PTSDを発症させるような外傷体験にあたるとはいえない」と発症を否定。自殺強要の事実についても認めなかった。一方、男子の通院治療の必要性を新たに認め、一定の交通費分を一審の損害賠償額に上積みした。双方が上告せず、判決は確定した。
文 献 福田ますみ『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社,2007)
備 考  本事件はマスコミが両親の訴えを鵜呑みにし、教諭の反論に耳を貸さず、事件に仕立て上げた「でっち上げ」である、と教諭側は訴え、当時の週刊誌に反論記事を載せ、福田ますみが著書にしている。
7/1 概 要 <駿くん殺人事件>
 2003年7月1日午後7時頃、長崎市内の大型電器店に両親らと一緒に来た駿くん(4)は「ゲームをしてくる」と言って1人で2階のゲームコーナーに向かった。7時20分頃、中学1年の少年(12)がいたずら目的で駿くんを誘い、路面電車で移動。午後9時15分頃、少年は、約4キロ離れた市内の駐車場ビルの屋上から駿くんを突き落として殺害した。遺体は2日に発見され、駐車場ビルの防犯カメラに映っていた映像などから少年は9日午後に補導された。
 また少年は、2003年4月に別の男児へわいせつ行為をしたことを認めた。
 14歳未満の少年は刑事責任を問えないため、長崎署捜査本部は少年の殺害非行事実を児童相談所に通告。児童相談所は家庭裁判所に送致し、16日、審判開始を決定した。
 少年審判の精神鑑定で、少年は人とのコミュニケーションが苦手で特定の物事に強いこだわりを見せる発達障害「アスペルガー症候群」と診断され、家裁は決定で「障害は事件に影響しているが、直接結び付くものではない」とした。少年は児童自立支援施設の国立武蔵野学院(さいたま市)に送致された。施設内で行動の自由を制限する「強制的措置」を受けている。
 少年は2007年9月で、「強制的措置」を終えた。長崎こども・女性・障害者支援センター(旧児童相談所)の大塚俊弘所長は「罪を償おうという意識や、再犯しないことへの自覚が深まっている」と述べた。施設入所は継続されるという。
 少年は2008年9月に児童自立支援施設を退所後、県職員2人とともに九州の里親へ向かった。ところが9月17日未明、泊まったホテルから失踪。県は長崎県警に家出人捜索願を提出。19日夕方、長崎市内の路上を歩いているところを保護された。少年は生まれ故郷を見たかったと告白。遺書を残していたことから自殺の恐れがあると、支援センターは長崎家裁に強制的措置を申請。家裁は2008年10月、措置を許可した。2012 or 2013年に福祉関係者の支援を受けて社会復帰し、長崎県外で暮らしている。
文 献 大沼孝次編『駿くん殺人事件、12歳少年の犯罪心理 少年たちの心に宿る狂気のメカニズムの検証』(長崎出版,2003)

長崎新聞社報道部少年事件取材班『闇を照らす―なぜ子どもが子どもを殺したのか』(長崎新聞社,2017)
備 考  
7/16 概 要 <愛知交際女性連続バラバラ殺人事件>
 すしチェーン店職員だった男性Kは1999年8月15日、愛知県蟹江町のアパートに住んでいる、同じ店で働いていて交際していた女性(当時43)の部屋で、女性の首を手で絞めて殺害し、遺体をバラバラにして捨てた。女性の頭部は小牧市の造園業者の焼却炉の中から燃えて白骨化した状態で見つかり、愛知県警が死体損壊・遺棄容疑で捜査したが、身元は分からないままだった。
 その後名古屋市の焼肉チェーン店部長となったKは一宮市に住む女性と2002年3月から交際し、9月に一宮市にて共同で清掃管理会社を設立。女性が社長となり、男性が実質的に経営した。しかしKは女性から結婚を迫られたため疎ましくなり、犯行を決意。2003年5月25日午前1時半頃、Kは女性(当時49)方で、女性の首を手で絞めて窒息死させ、遺体を工作用カッターナイフでバラバラにした。さらに黒いごみ袋に入れ、26日未明に岐阜県柳津町の境川に捨てた。
 K(45)は一宮市の事件で2003年7月16日、死体損壊・遺棄容疑で逮捕。後に殺人で再逮捕された。
 Kは2003年10月末の初公判で起訴事実を認めた。その数日後、1999年の事件を自供し、再逮捕された。公判は併合されたが、2004年11月8日以降の公判では1999年の事件における死体遺棄は認めたものの、殺人を否認し自殺であると主張した。さらに2003年の事件は突発的な犯行であると主張した。しかし2007年2月23日、岐阜地裁は2件とも計画的な犯行であるという検察側の主張を全面的に認め、求刑通り死刑判決を言い渡した。
 控訴審でKは1999年の事件について再び自殺を主張。さらに2003年の事件については女性が包丁を持ったから反撃しただけの正当防衛もしくは過剰防衛であると主張した。しかし名古屋高裁は被告側の訴えを全面的に退け、2008年9月12日に控訴を棄却した。2011年11月29日、上告棄却、死刑確定。
文 献 「エリート焼肉部長が殺めた二人の愛人―愛知「連続女性バラバラ」事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
8/18 概 要 <熊谷男女4人拉致殺傷事件>
 埼玉県大里郡から家出した無職少女(16)は2003年7月10日、熊谷市の元暴力団組員でゲーム喫茶店経営のO(26)と知り合い、同日、肉体関係を持って交際を始めた。ところが少女は飲食店従業員の男性(28)と知り合っており、肉体関係はなかったものの、男性方に泊まっていた。男性は少女との交際を望んだが、少女は拒否。男性のことを疎ましく感じた少女はOに相談した。7月末、Oは男性に交際を断念するように要求し、男性は了承した。しかし少女は行くところがなく、男性の部屋を出入りしていた。
 8月18日朝、少女は数日前に知り合った少年(15)、Oと食事をしているとき、少女は男性に「やられそうになった」と話を持ち出した。憤慨したOは「やっちまうか」と言い、少年、少女とも同意。Oは自宅から包丁を持ち出し、現場に向かった。
 午後1時頃、男性は同じアパートに住む同僚女性Yさん(25)の部屋にいたが、少女に伴われ自室に戻った。OはYさんを男性の部屋に連れ込んだ後、男性を暴行。男性は謝罪したが少女は「やっちゃえ」とけしかけ、Oは包丁でめった刺しにして殺害した。少女はYさんの部屋から現金3万円を盗んだ。
 さらにOは男性の様子を見に来た別の同僚女性Sさん(21)と、いっしょにいたフリーターの女性Tさん(19)も部屋に連れ込み暴行を加えた後、包丁を突きつけて自分の車に乗せ、Yさんを含めて3人を拉致した。
 Oは午後3時30分頃、秩父市の公園トイレ内でTさんの首をタオルで絞めた。さらに包丁で背中を刺そうとしたが便器に当たり、目的を遂げることはできなかった。動かなくなったTさんを見てOは死んだものと勘違いし、そのまま逃走。Tさんは肋骨が折れるなど全治6週間の重傷を負った。そしてOは公園脇の道路で、Sさんの首をタオルで絞めて殺害した。さらに午後5時40分頃、Oは熊谷市内の資材置場で、Yさんの首をビニールロープで絞めた後、包丁で胸を数回刺し、そのまま逃走した。
 午後4時45分頃、秩父市の公園で重傷のTさんが保護された。Tさんの話から熊谷署員が男性の遺体を発見。さらに午後8時50分頃、熊谷市の資材置場で胸を刺されて重体のYさんを発見。19日午前6時過ぎ、秩父市の道路脇で絞殺されたSさんの遺体を発見。
 21日、逮捕監禁容疑でOが逮捕された。22日、逮捕監禁容疑で少年が逮捕。23日、逮捕監禁容疑で少女が逮捕された。Oは結婚して子供もおり、少女とは不倫関係だった。少女と少年の間には、交際関係はなかった。
 事件の発端を作った少女は殺人ほう助、殺人未遂ほう助容疑でさいたま家裁から地裁へ逆送された。2004年11月18日、さいたま地裁は求刑通り懲役5~10年の不定期刑を言い渡し、そのまま確定した。少年は同容疑で中等少年院へ送致(相当長期処遇)された。
 Oは公判で殺意はなかったと主張。弁護側は過去に吸っていたシンナーによる幻覚の影響があると主張し、精神鑑定が行われ、「男性殺害時には、弁別能力(事物の是非・善悪を識別する能力)が著しく低下していた」との鑑定結果が証拠採用された。しかし検察側は、この鑑定結果を不服として再鑑定を求め、「飲酒や、過去に吸っていたシンナーが犯行に影響を与えたとは考えられない」と相反する鑑定書が証拠採用された。
 2007年4月26日、さいたま地裁はOの完全責任能力と殺意を認め、求刑通り死刑を言い渡した。弁護人が控訴したが、Oは7月18日付で控訴を取り下げ、一審死刑判決が確定した。
 2010年7月28日、Oは死刑を執行された。33歳没。
文 献 青木理『絞首刑』(講談社,2009/講談社文庫,2012)

「「やっちゃえ!」十六歳少女が開けた地獄の釜の蓋―熊谷「男女四人」拉致殺傷事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
9/30 概 要 <生坂ダム公訴時効告白事件>
 1980年3月1日朝、長野県麻績)村の会社員Oさん(当時21)は母親に「帰って来たら茶わん蒸し食べるから。取っておいて」と告げて、家を出た。午後7時ごろ、「白い車に乗った兄さん、帰ってきたか」と不審な電話がかかってきた。Oさんはこの日、白の乗用車で女性と出かけていた。母親は男性に名前を尋ねたが明かさず、「友達です」と答えるだけ。そのうち、受話器から「ギャー」という叫び声が聞こえた。30分後、南安曇郡穂高町にある知り合いの喫茶店の店主から電話が入った。「女性がO君の車で1人で来た。様子がおかしい」。駆けつけた母親が居場所を尋ねると、女性は「(松本空港近くの)公園に2人でいたら、男が来て(Oさんを)黒っぽい車に乗せていった」と説明した。母親はその後、松本署に捜索願を出した。
 約1カ月後の3月29日、東筑摩郡生坂村の生坂ダムでOさんは遺体で発見された。当時の新聞は「目立った外傷はなかった」と報じているが、遺体を確認した母親は「ほおにあざもあった」と言う。首や手足が物干し用の青いビニールロープで縛られるなど不審な点が多かったが、司法解剖などの結果、「自殺」と断定された。「自殺はおかしい。殺されたはずだ」と母親は訴えたが、聞き入れられなかった。
 当時の記者は「状況から自殺とは考えられなかった。当時、警察は長野・富山連続誘拐事件の捜査に追われていた。料理屋で捜査関係者同士が『すぐに自殺と決め込んで良かったのか』と話していたのを聞いたという証言もあった」と振り返った。
 2000年4月、覚せい剤取締法違反の罪で愛知県内の刑務所に服役中の男(54)が「私が殺した」と犯行をうち明ける手紙を長野県警に郵送した。捜査員が男に面会、再捜査した結果、男がOさんをロープで縛り、生きたままダムに投げ込んだと断定した。犯行に使われたと見られるロープを購入した店も特定した。
 松本署は2003年9月30日、Oさんの母親(67)に初めて経緯を説明し、謝罪した。男の供述によると、80年3月1日、知人と2人で車に乗っていたところ、松本空港近くで女性と車に乗っていたOさんとトラブルになった。女性を残したまま、Oさんを自分たちの車に乗せたという。
 小口彰夫県警刑事部長は「当時の資料がなく、捜査員も辞めているため、再捜査に3年かかった。男から話を聞いたら、犯人しか知り得ない事実があったため、殺人事件と断定した。母親には申し訳ないことをした」と話している。同県警は男を殺人容疑で書類送検した。事件から15年で時効が成立しているため、起訴はできない。
 2003年10月9日、Oさんの母親は殺害を告白した男と面会した。「直接会って真相を聞きたい」という母の願いがかなった異例の面会は、男が服役している香川県高松刑務所で実現した。面会は約2時間にわたった。死の真相を知りたいという被害者の遺族の思いは、00年に成立した犯罪被害者保護2法の中でもくみ取られているものの、遺族が刑務所にいる加害者と直接会うのは極めて異例だ。母親の強い希望を、長野県警が仲介し、男も受け入れた。最後に、男は謝罪した。「23年間追い続けてきた真相が分かった。これでもう十分です」と母親は話した。
 男性は10月11日に高松刑務所を出所したが、16日に覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで愛知県警新城署に逮捕された。
文 献 小山順『犯人よ、話してくれてありがとう 長野生坂ダム事件の真相を追った母の23年』(朝日新聞社,2004)
備 考  
10/1 概 要 <千葉16歳女性撲殺事件>
 千葉市の運転手Sは、姓を変えることで借金の取り立てから逃れるとともに、新たな借金をする目的で、2003年7月に飲食店アルバイト女性(当時16)に謝礼として10万円を払い偽装結婚をした。このとき女性は両親に無断で婚姻届を出しており、親の同意書はSが偽造していた。Sは詐欺と窃盗の罪で有罪判決を受けて執行猶予中だった。ちなみにSは3度目の入籍だった。
 新しい姓での借金が限度に達したため女性に離婚を申し入れたが、了承を得られなかった。さらに女性に結婚同意書を偽造したことを警察にばらすといわれ、執行猶予が停止することを恐れ犯行を決意。S(21)は遊び仲間である16~18歳の少年4人と共謀し、2003年10月1日未明、「離婚について話し合おう」と女性を千葉市若葉区の墓地駐車場まで誘いだし、ハンマーや石で額や後頭部を殴るなどして殺害。元専門学校生を除く4人が、遺体にライター用オイルをかけて焼いた。
 Sは2005年2月22日、千葉地裁で求刑通り無期懲役判決。控訴したが取り下げ、確定した。共謀した少年4人は千葉家裁の少年審判の後、千葉地検に逆送。2004年8月12日、千葉地裁は少年3人に求刑通り懲役5年以上10年以下、遺体を焼く行為には加わらなかった元専門学校生には懲役3年6月以上7年以下(求刑・懲役4年以上8年以下)の実刑を言い渡した。少年4人はいずれも控訴せず、刑は確定している。
 被害者女性の両親は、Sと当時少年だった共犯の男2人、その親の計5人に対し、慰謝料など総額約1億2,000万円の損害賠償を求めた。2007年6月20日、千葉地裁は5人に対し、計約7,500万円を支払うように命じた。また別の少年2人については、原告側に1,000万円を支払うことで和解が成立している。
文 献 「墓場で嬲り殺された「十六歳少女」が甘受した青春―千葉「キャバクラ嬢」撲殺事件」(「新潮45」編集部編『殺戮者は二度わらう』(新潮文庫,2004)所収)
備 考  
10/8 概 要 <木更津年下夫殺人事件>
 当時袖ヶ浦市役所に務めていた看護士の女性MMと市役所勤務の男性MKは1997年に結婚。MMは離婚歴があり、長女がいた。年齢差は14歳もあったが長男も生まれて、平凡な暮らしをしていたが、MMはたびたび暴力を受けてもいた。MKは2003年5月中旬に知り合った女性と不倫関係になり、その後MMに離婚を示唆。怒ったMM(43)は2003年10月8日午前0時頃、木更津市の自宅でMK(29)のお茶に薬を入れ眠らせた。そしてガムテープで手足を縛った後薬を注射して自然死に見せかけようとしたが、痛みで目を覚まして揉み合いになったが、薬が効いてMKは眠ってしまった。揉み合ったときに額に傷ができたことから自然死に見せかけることを断念し、包丁で刺殺。遺体を車に隠して訪問介護先に向かったが途中で早退。遺体に重しをつけてため池に捨てた。そして深夜、夫の車を公園で焼いた。警察が捜査に乗り出し、MMの両手に擦過傷があることから容疑を深め、さらに自宅から血痕などが見つかったことによりMMは犯行を自供した。
 MMは夫から家庭内暴力(DV)を受け続けており犯行当時、心神耗弱だったと主張。千葉地裁木更津支部は2004年9月16日、懲役14年(求刑懲役18年)を言い渡した。判決ではDVを認めたものの、責任能力があったと認定した。
文 献 「夫の心変わりに牙を剥いた般若の姉さん女房―木更津「年下夫」刺殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  


【2004年】(平成16年)

日 付事 件
2/16 概 要 <大阪地裁所長襲撃事件>
 2004年2月16日午後8時30分頃、大阪市住吉区の路上で帰宅途中の大阪地裁所長(61)が襲われて現金約63,000円を奪われ、腰の骨を折る重傷を負った。大阪府警住吉署は5~6月、S(29)、O(26)、兄弟(16,14)、少年(13)の5人を逮捕・補導した。検察側はOを指示役、Sら4人を実行犯とした。しかし5人全員が無罪を主張した。
 OとSは2006年3月20日、大阪地裁で無罪判決(求刑懲役8年)。2008年4月17日、大阪高裁で検察側控訴棄却。上告せず、無罪が確定した。
 16歳の少年は2004年7月2日に大阪家裁が中等少年院送致を決定(約1年8ヶ月収容される)。2005年11月25日、再審請求に当たる保護処分取り消しを家裁に申立。2008年2月28日、大阪家裁は無罪を言い渡した。9月18日、大阪高裁は検察側の抗告を棄却。少年法では検察側の再抗告が規定されていないため、再審無罪が確定した。
 14歳の少年は2006年3月23日、少年審判で大阪家裁が中等少年院送致を決定。2007年5月14日、大阪高裁は家裁決定を取り消し、差し戻した。12月17日、大阪家裁は差し戻し審で不処分(無罪)を言い渡した。しかし2008年3月25日、大阪高裁は家裁決定を取り消し、差し戻した。しかし元少年側が抗告。2008年7月11日付で最高裁第三小法廷は高裁の判断を覆し、不処分とした大阪家裁決定を支持。不処分(無罪)が確定した。
 13歳の少年は2004年6月30日、児童自立支援施設に送致された。
 5人は、国と大阪府、大阪市を相手取り計約6,900万円の損害賠償を求めた。2011年1月20日、大阪地裁(吉田徹裁判長)は「取り調べ中に警察官の暴行や不当な誘導があった」と5人全員について大阪府警の違法捜査を認定。計約1,520万円の賠償を府に命じた。刑事処罰の対象とならない当時13歳の少年も含まれるが、判決はこの少年にも児童相談所(児相)内で暴行があったと認定した。大阪地検(国)と児童相談所(市)に対する請求は棄却した。双方が控訴。2011年10月28日、大阪高裁(坂本倫城裁判長)は大阪府警の捜査の違法性を認めたが、賠償額を約1,450万円に変更した。国と大阪市に対する請求は棄却した。双方が上告せず、刑は確定した。大阪府警からの謝罪は一切なかった。また一審では、当時取り調べなどを担当した大阪府警の複数の警察官が「今でもクロだと思う」などと証言している。
文 献 一ノ宮美成『自白調書の闇 大阪地裁所長襲撃事件「冤罪」の全記録』(現代書館,2009)

「地裁所長襲撃事件――調書は自由自在に作出される」(吉弘光男『犯罪の証明なき有罪判決 23件の暗黒裁判』(九州大学出版会,2022)所収)
備 考  
4/1 概 要 <千葉・インシュリン殺害未遂事件>
 2004年4月1日夜、東京都台東区で風俗店を経営する中国出身の女性(31)は、千葉県光町で農業兼左官業を営む夫(52)に糖尿病治療用のインシュリンを通常の数十倍の量を注射して殺害しようとした。夫は急激な血糖値低下で脳障害に陥り病院に搬送され、現在も意識不明で重体のまま。
 女性はさらに2003年10月18日、自宅で男性の背中に鍋の熱湯をかけ、全身火傷で5ヶ月の重傷を負わせていた。
 2006年2月、火傷の傷害事件で女性は逮捕され、起訴された。さらに3月10日、殺人未遂容疑で逮捕された。同日、中国人女性にインシュリンを手渡し、大量投与で夫を殺害する方法を教えて報酬60万円を得たとして、成田市の無職女性(41)が逮捕された。
 中国人女性は黒竜江省出身。夫が上海へお見合い旅行に行った1993年10月に知り合って1994年9月に結婚。しかし、自由に使える金がなかったことに不満を募らせていた。
 2002年5月に中国へ里帰りした際、子供二人を中国に残してきた。その後は養育費を巡る仕送り等で揉め、さらに日本へ連れてこないことに腹を立てた夫は離婚を仄めかしたため、財産を得られないと考えていた。女性は2003年4月に日本国籍を取得した。女性は夫が入院後の2005年7月頃から東京に転居。台東区で風俗店を経営し、自らも働いていた。
 2006年9月7日の初公判で、中国人女性は起訴事実を否認。熱湯をかけたのは不慮の事故として無罪を主張し、インシュリンを注射したことは重傷になるとは思わなかったと述べ、殺人未遂の成立を否定した。
 2007年2月26日、中国人女性にインシュリンを渡して殺人未遂に問われた女性に、千葉地裁は懲役8年(求刑懲役10年)を言い渡した。そのまま確定と思われる。3月9日、殺人未遂や傷害などに問われた中国人女性に、千葉地裁は懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。12月26日、東京高裁は被告側の控訴を棄却し、その後刑は確定した。
文 献 田村建雄『中国人「毒婦」の告白』(文芸春秋,2011)

永瀬隼介『黒龍江省から来た女』(新潮社,2008)
備 考  1995年12月28日、中国人女性や夫と同じ敷地に住んでいた、夫の両親宅が全焼。焼け跡から、首を圧迫された父(当時78)、頭を鈍器で殴られた母(当時73)が見つかった。第一発見者は、中国人女性だった。千葉県警は殺人放火事件として捜査本部を設置したが、犯人は捕まっていない。
5/5 概 要 <小牧市保冷車殺人事件>
 2002年ごろ、Kは同棲していた男の寮の隣に住んでいたHと知り合い、一緒に住むようになる。2年ほど全国を転々としたが、それはKがトラブルを起こし、そこに住めなくなったからであった。Kは2004年2月に実家に戻り、小学校を卒業した次男を連れて3月29日から愛知県小牧市のアパートで三人暮らしを始める。次男は、Kと別れた夫との子どもであったが、Hに懐いた。4月からHは近くの工場で派遣社員として働き、次男は地元の公立中学校に通い始めるが、Kは部屋で酒を続ける毎日だった。アルコール依存が進行して次男はKに近づかないようになり、それを怒ったKは二人に暴力を振るうようになる。5月5日、映画を見にHと次男が外出中、Kは次男の学生服を切り刻む。虐待に耐えきれなくなったH(37)は午後11時ごろ、酒を飲んで寝ていたK(35)の首を絞めて殺害。15日、遺体を毛布でくるみ、アパート駐車場に放置されていた保冷車に遺棄した。7月31日、不審を抱いた近所の女性が扉を開けて遺体を発見した。
 遺体は腐敗して捜査は難航したが、勝手に実家を出たKの母親が4月7日に家出人捜索願を出していたこともあり、歯型から身許がわかった。8月5日、Hは逮捕された。また次男(13)は死体遺棄を手伝った容疑で補導された。夏休みが始まるまで二人は仲良く暮らし、学校や仕事に出ていた。夏休み後はKの実家に戻っていた。
 2006年2月8日、名古屋地裁で懲役12年判決(求刑懲役15年)。8月17日、名古屋高裁で情状が酌量され、懲役10年判決。そのまま確定したものと思われる。
文 献 「第五章  自分が自分でないような感覚だった」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)
備 考  
5/7 概 要 <少女沖縄連れ去り事件>
 無職男性(47)は2004年5月7日午後6時頃、千葉市に住む知り合いの小学5年の女児(10)に声を掛け、千葉市内へ連れ去った。10日には羽田空港から飛行機で那覇へ向かい、沖縄県内を連れ回した。
 15日午後1時頃、沖縄市内の駐車場にいた男性を捜査員が発見し逮捕。同日午後5時半頃、海岸にいた女児を保護した。
 2005年5月2日、千葉地裁は「少女と一緒にいたいというゆがんだ感情の果てに誘拐に及んだ。少女の健全な成育に与えた悪影響は重大」と懲役2年6月(求刑懲役5年)を男性に言い渡した。弁護側は「少女は家庭で虐待を受けており、自ら被告に一緒に行動するよう要求。沖縄への航空券手配なども少女がした」と無罪を主張したが、判決は「少女が被告人と一緒に過ごすことを望んだ節は認められるが、少女を家族から引き離すことが必要なほどの虐待はなかった」と退けた。
 また、男性の部屋から児童ポルノビデオが見つかっており、有料で貸し出した千葉市のビデオレンタル会社、同社営業店店長、アルバイトの計6人の男性が児童買春禁止法違反容疑で書類送検されている。
文 献 河合香織『誘拐逃避行 少女沖縄「連れ去り」事件』(新潮社,2007)(後に『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(新潮文庫,2010)と増補改題)
備 考  実刑判決を受けた誘拐犯は、『週刊新潮』2017年9月28日号に実名+顔写真入りでインタビューを受けている。
5/27 概 要 <宮崎母娘放火殺人事件>
 宮崎市の会社員T(37)は2004年5月27日午前0時半ごろ、宮崎市永楽町に住む輸入タイル取次業の男性(48)方に侵入。1階で現金約56万円が入ったバッグを盗んだ後、ライターで火をつけ、木造2階建て延べ約200平方メートルを全焼させ、妻(46)と二女(12)を焼死させた。この火災では、隣接する住宅4棟も全半焼した。Tは2003年1月から2004年6月まで、ほかに4件の現住建造物等放火、同未遂事件などを起こした。
 妻と娘を喪った男性は公判で「二度と社会に出てこないでほしい」と、求刑後には「無期懲役ではいつか社会に出てくる。極刑を求める」と訴えたが、2005年6月30日、宮崎地裁で求刑通り無期懲役判決。そのまま刑は確定した。
 イタリア系スイス人である男性は判決後、終身刑の設立、時効法の廃止などを求め、署名活動を行いながら日本全国をバイクで走り回った。
文 献 ストッキ・アルベルト『生きてこそ 妻子の鎮魂、そして終身刑の設立を求めて旅した全国20万キロの記録』(ビジネス社,2010)
備 考  
6/1 概 要 <佐世保小6女児同級生殺害事件>
 2004年6月1日、長崎県佐世保市の市立小学校で、給食準備中に6年生の女児(11)が、同じクラスの女児(12)を別室に呼び出し、カッターナイフで首などを切りつけて殺害した。インターネットの掲示板に、名指しこそされなかったが、悪口を書かれたと思いこんだのが動機とされている。
 長崎家裁佐世保支部は3ヶ月間の精神鑑定を経て、同年9月、加害女児を児童自立支援施設に入所させ、2年間行動の自由を制限できる「強制的措置」を認める保護処分を決定した。同決定を受け、女児は国内で唯一、個別処遇の設備がある女子用施設「国立きぬ川学院」(栃木県)に送致された。2006年9月、通算50日間を限度に2年間の延長を許可した。
 2008年5月29日、県佐世保こども・女性・障害者支援センター(旧佐世保児童相談所)は、栃木県の児童自立支援施設に入所している加害少女(15)について、行動の自由を制限できる強制措置を延長しないことを正式に発表した。支援センターは、栃木県さくら市の児童自立支援施設「国立きぬ川学院」内の中学を今春卒業した加害少女の更生状況や心身の成長具合を検討し、9月14日で期限が切れる強制措置の延長を長崎家裁佐世保支部に申請しないと4月15日に決定。会見した鶴田純子所長は「(加害少女には)しょく罪意識の向上を含めて一定の改善がみられ、事件への直面化作業を今後続ける中でも情緒不安定な状態には陥らない」と決定理由を説明した。
 事件の約1週間前、加害女性と同じクラスだった少年が教室でカッターナイフを振り上げられた事実について、校長が事件後の記者会見で「何かあれば報告するよう子供たちに指導していたが、報告がなく残念」と発言。それを知った少年は「自分のせいで事件が起きた」と自分を責め、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。少年は人権救済を申立。九州弁護士会連合会は2010年3月31日、県教委に少年の人権への配慮を求める勧告をした。勧告書は「あたかも少年の行動が事件の要因になっているような印象を与える」と指摘。同日午後、市教委と元校長にも同様に勧告した。
文 献 朝日新聞西部本社編『11歳の衝動 佐世保同級生殺害事件』(雲母書房,2005)

岡崎勝、保坂展人『佐世保事件からわたしたちが考えたこと―思春期の子どもと向きあう』(ジャパンマシニスト社,2005)

川名壮志『謝るなら、いつでもおいで』(集英社,2014/新潮文庫,2018)

川名壮志『僕とぼく 妹の命が奪われた「あの日」から』(新潮社,2019)

草薙厚子『追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」』(講談社,2005)

長崎新聞社報道部少年事件取材班『闇を照らす―なぜ子どもが子どもを殺したのか』(長崎新聞社,2017)
備 考  長崎県は2003年の男児誘拐事件や本事件を受け、毎年「長崎っ子の心を見つめる教育週間」を設け、各校で命の教育に取り組んできた。佐世保市でも「思いやりの心を育てる」取り組みを続けてきた。しかし2014年7月26日、佐世保市で高校1年女子(16)が自宅マンションで同級生の女子(15)を殺害し、遺体を一部切断した事件が起きている。
7/22 概 要 <福岡中州ママ連続保険金殺人事件>
 福岡・中州でスナックを経営している女性Tは1994年10月22日午前3時ごろ、2番目に結婚し離婚していた元夫(当時34)の自宅で酒を飲ませて眠らせ、包丁で突き刺して殺害した。元夫は建築設計会社を経営していたが不渡りを出して倒産し、1億3,000万円の負債があった。不渡りを出す前後に2度排ガス自殺を図っていたこと、現場に走り書きの遺書があったことから県警は自殺と判断した。Tは1億6000万円の保険金と、事務所兼自宅の売却代金5,000万円を得た。Tはお金を会社の債務整理や福岡市内のマンション購入、福岡・中洲のスナック開業資金などに使った。
 スナック経営が悪化したことや浪費により金が底をついたため、Tは再び保険金殺人を計画。2000年11月12日午前4時ごろ、3番目の夫(当時54)のマンションで、酒や酢民導入剤を飲ませて朦朧としていた夫を入浴させるとともに肩を押さえつけて沈め、水死させた。夫には5件総額1億3,740万円の保険金契約を締結させていた。
 不審な点があったものの、夫には糖尿の持病があったことから、検視した福岡南署は持病の発作により、浴槽内でおぼれて水死したと判断した。司法解剖は行われていない。
 Tは3社から保険金2,740万円を受け取ったものの、約8,000万円を契約した会社からは糖尿病の申告漏れがあったとして支払いを拒否。福岡地裁に提訴したものの、請求は棄却された。
 T(49)は2004年7月22日、別の恐喝容疑で逮捕され起訴された。その後保険金殺人を自供し、9月15日に再逮捕された。このとき、1件目の殺人事件の共犯者として、かつて子供の家庭教師をしていた愛人男性(33)も逮捕された。
 Tは初公判で起訴事実を認めたものの、2回目の公判では2件目の保険金殺人を否認。さらに1件目の殺人については共犯の男性が首謀者、実行犯であると主張した。共犯男性は無罪を主張した。
 2007年7月19日、福岡地裁は1件目の殺人についてTが単独で行ったと認定、2件目の殺人については嘱託殺人であると認定し、求刑通り無期懲役を言い渡した。共犯男性については殺人ほう助を認定し、懲役3年6月(求刑懲役12年)を言い渡した。
 共犯男性は2008年4月22日、福岡高裁で無罪を言い渡された。判決理由で裁判長は「殺人のほう助犯を認定したにもかかわらず、公判で事後処理の協力の意思があったかどうかについて質問されず、被告人の防御が尽くされてない。一審の訴訟手続きには法令違反がある」と判断。さらに、「被告がTのために、何とか力になりたいと思っていたとしても、事後に協力しようと思っていた証拠はない」と、理由を述べた。判決はそのまま確定した。
 控訴審でもTは一審同様の主張を行ったが、2008年12月18日、福岡高裁は被告側主張を退け、被告側控訴を棄却した。2011年4月26日、最高裁第一小法廷で被告側上告が棄却され、刑は確定した。
文 献 「虚飾に塗れた美人ママのカマキリ人生―福岡「連続夫殺し」」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)

「中州スナックママ連続保険金殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  
8/2 概 要 <加古川7人殺人事件>
 兵庫県加古川市に住む無職F(47)は2004年8月2日午前3時半頃、自宅東隣に住むおば(80)宅を襲い、おばと次男(46)を牛刀で刺し、次男を殺害した。続いて自宅西隣にある親類の男性宅を襲撃。男性(64)、妻(64)、長男(27)、長女(26)を牛刀で殺害した。その後、もっとも恨んでいたおばにとどめを刺すためにおば宅へ戻り、まだ息があったおばにとどめを刺した。そこへおば宅の隣に住む長男(55)と妻(50)が駆けつけてきたため、牛刀で刺して長男を殺害、妻に重傷を負わせた。
 その後、Fは自宅に戻り、用意していたガソリンをまいて放火し、自宅は全焼した。一緒に住んでいた母(73)は就寝中だったが、事件中に目を覚まして近くの交番に保護を求めたため、怪我はなかった。
 Fは事件後、自家用車で逃走。同市内の弟宅に立ち寄り、犯行を打ち明けた後、ガソリンで焼身自殺しようとして止められた。そして現場から南に約1km離れた国道バイパスの交差点で停止中、後から来たパトカーに気づいて車を急発進させ、高架の橋脚に衝突して炎上。両腕に重度のやけどを負って神戸市内の病院に入院していた。救出された際、警察官に犯行を示唆したため、県警は殺人容疑で逮捕状を取り、事情を聴いていた。 回復後の8月31日に逮捕された。
 Fは3年前から近所の人を包丁で追い回すトラブルを再三起こしていた。粗暴であったことから周囲より邪魔者のように扱われたため、20年以上も恨みを抱いていた。
 裁判では刑事責任能力が問われたが、2009年5月29日、神戸地裁で求刑通り一審死刑判決。2013年4月26日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2015年5月25日、最高裁で被告側上告棄却、死刑確定。
 2021年12月21日、Fへの死刑が執行された。65歳没。
文 献 「加古川7人殺害事件(平成16年)――両隣の2家族を深夜に襲撃」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)

「“火の玉殺人”で一族7人を殺した死刑囚」(斎藤充功『戦後日本の大量猟奇殺人』(ミリオン出版,2014)所収)
備 考  
9/16 概 要 <大牟田市4人連続殺害事件>
 福岡県大牟田市の暴力団幹部である父K・S(60)と母K・M(45)は6,600万円以上の借金を抱え、暴力団上部団体への上納金や生活費に困窮するなどしていたため、貸金業を営んでいる友人の女性(当時58)にうその土地購入話を持ちかけて約2,600万円の現金を用意させたうえで殺害しようと計画。長男K・T(23)も加えて殺害の機会をうかがったが、母がためらっている間に、長男は両親を出し抜いて女性の家の金品を奪うために女性の二男殺害を計画。500万円の報酬を条件に次男K・T(20)を誘い込んだ。
 長男、次男は父らには内緒で2004年9月16日夜、女性二男(当時15)を絞殺し、遺体に重しをつけて川に遺棄。女性宅から指輪などの貴金属数十点(398万円相当)が入った金庫を強奪した。ただし、金庫の中に現金はなかった。次男は17日午後、自分の身分証明書を用いて指輪6個を計10万8,000円で質入れし、現金を長男に渡した。長男は4万円を次男に分配した。
 母は17日午後、長男に殺害協力を依頼。金庫に現金が入っていなかったため長男は依頼を受け、次男を誘った。
 4人は9月17日深夜、次男らが使っていた大牟田市のアパートで女性に睡眠導入剤入りの弁当を食べさせて眠らせた後、ワゴン車に乗せて大牟田港まで移動。翌18日午前0時半ごろ、ひも状のもので首を絞めて殺害し現金26万円などが入ったバッグを奪った。絞殺したのは次男とされる。
 犯行後に父らは、女性の軽乗用車に乗って行方不明の女性二男を捜していた女性長男(18)と友人男性(17)を自宅近くで呼び止め、大牟田港から約1km離れた埋め立て地に連れて行き、午前2時20分頃、長男の指示で、次男が父の拳銃を使って二人を撃ち、女性長男を殺害した。さらに次男は重傷を負っている友人の胸にアイスピックを刺して殺害した。4人は女性宅を探したが現金は見つからなかった。その後4人は同日午前3時半頃、3人の遺体を乗せた女性の軽乗用車を同市の諏訪川に沈めた。
 女性二男の遺体は21日午前、通りがかった人が川に浮いているのを見つけ、110番通報。消防署員らが同11時ごろ、遺体を引き揚げた。福岡県警は22日午前1時前、死体遺棄容疑で母を逮捕。23日午後6時すぎ、女性二男が見つかった現場近くの川底から、女性の軽乗用車を発見、車内から男女三人の遺体を収容した。
 9月25日、死体遺棄容疑で次男を逮捕。10月2日、長男を死体遺棄容疑で逮捕。10月8日、拳銃自殺を図って入院していた父を死体遺棄容疑で逮捕。10月26日、女性強殺容疑で4人を再逮捕。11月17日、女性長男と友人殺害で4人を再逮捕。12月7日、女性二男強盗殺害容疑で長男、次男を再逮捕した。
 殺害された女性は違法な高利で金を貸しており、母は取り立て役を担当する一方、女性に数百万円の借金があった。さらに依頼されて取り立てた金を着服するなどのトラブルになっていた。犠牲となった女性長男や女性二男、友人男性はもともと次男と親しい間柄だった。しかし、女性長男の女友達をめぐり次男との関係が悪化するなど複数のトラブルが起きていた。
 起訴事実を認めていた母と次男は2006年10月17日、福岡地裁久留米支部で求刑通り死刑判決。2007年12月25日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2011年10月3日、被告側上告棄却、死刑確定。
 一審では単独犯行を主張した父と、一・二審で無罪を主張した長男は2007年2月27日、福岡地裁久留米支部で求刑通り死刑判決。2008年3月27日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2011年10月17日、被告側上告棄却、死刑確定。長男は再審請求中。
文 献 鈴木智彦『我が一家全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』(コアマガジン,2010/『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』と改題、小学館文庫,2017)

「大牟田連続4人殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  長男は母と前夫の息子であり、父との間で養子縁組を結んでいる。
 長男は2004年10月13日午後5時40分ごろ、福岡地検久留米支部で取調中の夕食時に逃走。客を装ってタクシーに乗り熊本県方面に向かったが、福岡県警は緊急配備を敷いて行方を追い、約3時間後の同8時55分ごろ、南に約35km離れた熊本県荒尾市上井手の駐車場内で、タクシー車内にいた長男の身柄を確保した。
 次男は2000年6月、友人ら6人とともに、同県城島町中牟田の路上で、大牟田市の元建設作業員の少年(当時18)に木刀で殴るなどの暴行を加えて、水路に転落死させる傷害致死事件を起こし、懲役3年6月の判決を受け、出所していた。
9/30 概 要 <運送会社営業所長殺害事件>
 運送会社東京営業所社員Yは住み込みで働き、経理を担当。2003年1月以降、クラブでの遊興費などに充てるため会社から計約5,500万円を横領した。Y(39)は使い込みを同営業所所長の男性(当時72)のせいにして、男性が失跡したように見せかけようと企て、2004年9月30日、同営業所で男性の首を両手で絞めて殺害し、10月5日に遺体を福島県内の山林に捨てた。遺体は夜になって発見。翌日、Yが逮捕された。
 Yは2005年9月29日、東京地裁で求刑通り無期懲役判決。2006年3月30日、東京高裁で被告側控訴棄却。上告せず確定。
文 献 菅谷恵美子『一生分の慈愛(あい)―主人正之に捧げる鎮魂歌』(文芸社,2006)
備 考  
10/1 概 要 <東北保険金殺人事件>
 無職Kは、NTが働いていた青森県今別町の旅館に宿泊して一家と知り合い、2003年8月初旬ごろ、NTの長男に「老犬の養護施設をつくる」とうその商売話を持ちかけた。彼女らは話を信じ、用地確保の名目で1億7,300万円の架空の借金を負った。また準備金として450万円をKに支払った。Kは事業を進める気などなく、2004年1月に事業打ち切りを伝え、借金の返済を迫った。KはNTの夫を交通事故死に見せかけ、自動車保険金で返済するよう迫り、長男は両親にそのことを告げて母親のNTは承諾し、父親は絶句。2004年6~7月、父親は長男に連れられ、県内各地で走行中の車へ飛び込むよう迫られたが果たせず、そのたびにKから殴る蹴るの暴行や脅迫を受ける。
 Kは事故の保険金だけでは足りないと考え、父親を約8.800万円の生命保険などに加入させた。9月下旬には秋田県で死ぬように指示するが失敗、再び暴行を加えた。10月1日、秋田県から帰宅途中だった父親と長男を藤崎町の河川敷に呼び出し、父親を鉄パイプのようなものでめった打ちにした。自宅に連れ帰った長男は、母親とともに放置したため、約5時間後、外傷性ショックで死亡した。Kはその後、郵政公社分の保険金800万円をだまし取ろうとした。11月15日、Kは詐欺容疑で逮捕、後に殺人容疑で逮捕された。
 2005年7月22日、青森地裁は母親に懲役14年(求刑懲役16年)を、長男に同16年(同18年)を言い渡した。両被告は起訴事実を全面的に認めており、控訴せずに確定した。
 Kは無実を主張。2006年2月17日、青森地裁は求刑通り無期懲役を言い渡した。2006年7月27日、被告側控訴棄却。2006年11月28日、被告側上告棄却、確定。
文 献 阿部恭子『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス,2022)
備 考  
11/17 概 要 <奈良市女児誘拐殺人事件>
 奈良市三郷町に住む新聞販売店従業員小林薫(36)は、2004年11月17日午後1時50分頃、下校途中の小1女児(当時7)に声をかけて車に乗せ、自宅マンションに連れ込んで暴行した。さらに暴行が発覚することを恐れ、午後3時20分頃、自室の浴槽に女児の顔をつけて殺害した。女児の遺体から歯を抜くなどした後、午後10時頃、平群町の道路脇側溝に死体を遺棄した。遺体は18日午前0時6分、遺体が発見された。
 さらに小林は11月17日午後8時4分、女児の携帯から、女児を撮影した写真付きメールと「娘はもらった」の言葉を女児の母親の携帯に送った。さらに12月14日午前0時頃には「今度は妹をもらう」というメールを送った。
 2004年12月30日、小林は逮捕された。
 小林は他にも2004年9月26日、奈良県北西部で別の女児に声を掛け、体に触るなどのわいせつな行為をした。また2004年6月~11月、奈良県や滋賀県内で女性用下着など31枚を盗んだ。
 小林は、かつて勤務していた大阪市東住吉区の販売店から新聞代金20数万円を持ち逃げしたとして、東住吉署は11月17日に業務上横領容疑で逮捕状をとっていた。2005年3月、東住吉署は小林を書類送検した。4月1日、半分程度を弁償していることなどを理由に起訴猶予となった。東住吉区の販売店は、小林が奈良県の販売店で勤務していることを知りながら、東住吉署に報告しなかったとして、新聞社から取引解除されている。  わいせつ目的誘拐、殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄、死体損壊、脅迫、強制わいせつ、窃盗の罪で起訴。2006年9月26日、奈良地裁で死刑判決。弁護人が即日控訴するも、10月10日に本人控訴取り下げ、そのまま確定した。
 2007年6月16日付で、小林薫死刑囚の弁護人が「控訴の取り下げは無効」として、控訴審の期日指定を求める申し立てを大阪高裁に行った。小林死刑囚も控訴審での審理を望む意向を示している。
 2008年4月21日付で奈良地裁は、「取り下げの際に弁護人がいなくても憲法に違反するとはいえない」と判断。さらに、弁護人が取り下げ時の小林死刑囚の精神状態について「追い詰められた状態にあった」と主張したことについても「判断に影響を及ぼすような精神障害があったとはうかがえない」として退けた。弁護人は決定を不服とし、大阪高裁に抗告申立書を提出した。5月19日、大阪高裁は抗告を棄却した。大渕敏和裁判長は決定で「それまでの言動から、判断能力があったことは明らか」とした。弁護人は決定を不服とし、最高裁へ特別抗告した。7月7日付で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は、「判例から違憲主張に理由がないのは明らか」と訴えを退ける決定を出した。控訴の取り下げが有効であることが確定した。2008年12月17日、小林薫死刑囚は再審請求を提出したが棄却され、2009年12月15日に最高裁で特別抗告が棄却されている。
 小林死刑囚は2013年2月21日、死刑が執行された。44歳没。
文 献 篠田博之『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書,2008)

「第九章  命日の十一月十七日までに刑を執行してほしい」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)

「奈良・女児誘拐殺人事件 小林薫」(『別冊宝島#1419 死刑囚最後の1時間』(宝島社,2007)所収)
備 考  
11/24 概 要 <土浦市家族3人殺害事件>
 茨城県土浦市の無職男性I(28)は2004年11月24日正午頃、土浦市内の自宅で母(当時54)、姉(当時31)を包丁や金鎚で殺害。さらに、同日午後5時半頃に帰宅した同市立博物館副館長の父(当時57)の頭を金鎚で殴るなどして殺害した。母親の遺体近くには、おいにあたる姉の長男(11ヶ月)が座っていた。Iは専門学校中退後、19歳ごろから自宅に引きこもっていた。職に就かないことを巡って父から叱責され、口論になったことから殺害を考えるようになり、包丁や金鎚を購入。犯行当日は、里帰り中の姉と口論になり、暴力をふるったのをきっかけに殺害を決意した。
 検察側は約4ヶ月の鑑定留置の結果、「刑事責任能力は問える」と判断して起訴。弁護側が請求した精神鑑定では、Iは24歳ごろから統合失調症に罹患して現在も悪化しており、また事件当時は心神耗弱状態で、心神喪失だった可能性も否定できないと指摘された。
 2008年6月27日、水戸地裁土浦支部はIに対し、「被告は統合失調症で、心神喪失だった」として無罪(求刑死刑)を言い渡した。2009年9月16日、東京高裁は「犯行当時は心神耗弱で、善悪を判断して行動する能力が完全に失われていたわけではない」と被告が統合失調症だったと認めた上で責任能力の存在を部分的に認定。一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。2012年2月6日、最高裁は被告側の上告を棄却し、刑が確定した。
文 献 「鬼が爪を研ぐ血染めの家―中津川「一家五人」絞殺・刺殺事件 土浦「両親・姉」撲殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  


【2005年】(平成17年)

日 付事 件
1/9 概 要 <姫路2女性バラバラ殺人事件>
 兵庫県相生市の無職男性T(38)は2005年1月9日、自宅和室で、交際していた姫路市に住む会社員の女性(23)と購入を約束していたバッグの資金などを巡って口論になり、ハンマーで頭を殴って殺害。騒ぎに気づいて別室から出てきた、女性の友人であり大阪市に住む専門学校生徒の女性(23)も殺害した。その後ノコギリで2人の遺体をバラバラにし、1月11日から16日の間に姫路市の飾磨港や上郡町の山中などに遺棄した。Tは女性二人が勤めていた店の客であり、会社員女性とは2004年12月に知り合った。Tは資産家である旨うそをついて高額な買物をするなどしていた。専門学校生は高校時代の同級生である会社員女性から「仕事を紹介する」と言われたため、1月7日に3人で会った。女性二人は高校時代の同級生だった。
 会社員女性の両親が姫路警察署に捜査願を提出したが、警察は全く動こうとしなかった。両親は知人から紹介された元刑事の飛松五男に相談。飛松は独自にTを発見し、姫路警察署にその後を託した。しかし2005年1月30日にTの自宅を任意捜査した姫路警察署員は、家の中に入るもすぐに帰ろうとした。女性の母親が部屋に入り、拘束器具や薬物、さらに血痕を発見。中にいた別の女性(19)の意識が朦朧としていたことも含め、署員に訴えたが、署員はそのままその場を立ち去った。そのため母親は飛松を現場に呼んだ。飛松はTの口の中から覚せい剤の臭いをかぎ取り、追求し認めたため、所轄の相生警察署に相談して、ようやくTは逮捕された。後に署は職務怠慢を遺族に土下座謝罪した。
 複数の血痕のDNA鑑定の結果、女性二人のものと一致したため、行方について何らかの事情を知っているとみてTを追及し、後に犯行を自供。4月17日、飾磨港から若い女性の骨盤や肩甲骨などの複数の骨が見つかった。そのうちの一つが、DNA鑑定の結果、2人のものと一致した。Tは5月10日に死体遺棄容疑で逮捕、5月20日に殺人容疑で逮捕された。
 2009年3月17日、神戸地裁姫路支部で求刑通り一審死刑判決。2010年10月15日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2013年11月25日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「兵庫2女性バラバラ殺害事件(平成17年)――警察の不手際も大問題に」(片岡健『平成監獄面会記』(笠倉出版社,2019)所収)
備 考  
2/12 概 要 <石川グループホーム虐待死事件>
 2005年2月12日午前1時過ぎ、石川県かほく市の認知症高齢者介護施設で、入居者の女性(84)が何度も石油ファンヒーターを蹴って消火させたことに、同施設非常勤職員の男性(28)が立腹。女性の頭などに至近距離からヒーターの熱風を当て続け、熱傷性ショックで死亡させた。男性は無資格だったが、夜勤専従の非常勤職員で週3回、1人で夜勤を続けていた。
 男性は一審から一貫して殺意を否認した。2005年8月10日、金沢地裁は「当初から殺意があったわけではなく、衝動的に熱風をあてたのち、未必的な殺意を抱いた」として懲役12年(求刑懲役13年)を言い渡した。2006年9月28日、名古屋高裁金沢支部は一審判決を破棄し、懲役10年を言い渡した。未必の殺意による殺人罪は認定したが、認知症高齢者の夜間介護に関する法整備やグループホームの管理体制の不備を指摘した。
文 献 下村恵美子、高口光子、三好春樹『あれは自分ではなかったか グループホーム虐待致死事件を考える』(ブリコラージュ,2005)
備 考  事件を「他人事ではない」と感じた介護職員らが、被告の減刑を求めて集めた署名は6,000通以上に達した。
2/14 概 要 <寝屋川市立中央小学校教職員殺傷事件>
 2005年2月14日午後3時10分頃、大阪府寝屋川市の寝屋川市立中央小学校の南門から少年(17)が侵入。1階廊下で少年に気付いて声をかけた男性教諭(52)に職員室に連れていってほしいと尋ねたが、不審者と気づいて教諭は嘘を言って外に連れ出そうとした。それに気づいた少年は、教諭の背中を刺身包丁で刺した。教諭は目前の技能職員室に駆け込んで不法侵入者がいることを伝えたまま倒れた。少年は2階の職員室へ行き、中にいた女性教諭(57)と女性栄養士(45)の腹部を包丁で刺した。2人は警報ベルを押し、保健室に逃げた。少年は、職員室で他の教職員とにらみ合い。別の教職員は警察と救急に通報。さらに校内放送が職員室に会って使えなかったため、自ら回って授業中の児童らに教室の外に出ないように呼び掛けた。午後3時20分ごろ、駆け付けた寝屋川署員が殺人未遂で少年を現行犯逮捕。署員が職員室で煙草を吸っていた少年に刃物を捨てるように言うと、自ら包丁を手放した。男性教諭は病院に搬送されたが死亡。女性教諭と女性栄養士は重傷を負った。児童に被害はなく、その後集団下校した。
 少年は小学校の出身で、小学3年からいじめに遭っていて、担任が助けてくれなかったことを恨んでいたと動機を語った。しかし当時の担任は心当たりがなく、大阪府警の捜査でも事実関係を確認できなかった。また被害に遭った教職員は少年との接点はなかった。
 2006年10月19日、大阪地裁で懲役12年(求刑無期懲役)判決。少年は精神鑑定で広汎性発達障害と診断された。裁判長は傷害の影響を認めながらも責任能力は合ったと判断。さらに殺意も認定した。そしてすでに18歳を超えていることから、保護処分ではなく少年刑務所の処遇を選択した。さらに裁判長は、少年刑務所で障害にに配慮し、適切な処遇を希望するとの意見を付け加えた。
 検察、弁護双方が量刑不当を理由に控訴。2007年10月25日、大阪高裁で一審破棄、懲役15年判決。裁判長は少年の障害について「類型の中でも最も軽度であり、責任能力の減退を示すものではない」と判断。量刑については「無期刑を選択するかどうかの限界線上にある」と指摘。「有期刑を選んだ時点で、被告に有利な事情を考慮したとみなすことができ、有期刑の上限である15年が相当」とした。双方上告せず、確定。
文 献 佐藤幹夫『十七歳の自閉症裁判 寝屋川事件の遺したもの』(岩波現代文庫,2010)
備 考  寝屋川小学校では校門に監視カメラをつけていたが、監視担当の校長・教頭が出張中のため、監視者はいなかった。太田房江大阪府知事は2月18日、大阪市を除く府内の全公立小学校に警備員を配置する方針を表明した。大阪市は財源があるとのことで対象外とした。
2/19 概 要 <自殺サイト利用3人連続殺人事件>
 大阪府堺市に住む派遣会社社員の男性M(36)は、インターネットの自殺サイトで知り合った大阪府豊中市の無職女性(当時25)を「練炭で自殺しよう」と誘い、2005年2月19日、社内で女性の手足を縛った上、多数回に渡って鼻や口などを手でふさぐなどして女性を苦しめて失神させることを繰り返した後、最後は窒息死させた。遺体は衣服を剥ぎ取った後、河内長野市の山中で、あらかじめスコップで掘ってあった穴に埋めて遺棄した。
 Mは2005年5月21日に神戸市の男子中学3年生(当時14)を、2005年6月10日には三重県出身で東大阪市に住む男子大学生(当時21)を同様の手口で誘い出し、何度も鼻や口などを手でふさぐなどして失神させることを繰り返した後、最後は窒息死させ、遺体から服を剥ぎ取って遺棄した。男子中学生の事件では、自宅に身代金300万円の脅迫電話をかけているが、受け渡しの指定場所には現れていない。
 Mは最初の事件で2005年8月5日、逮捕された。その後残り2件を自供した。
 Mは小学4・5年の頃、推理小説にあった麻酔薬を染み込ませた布を少女の口に押し当てて失神させて誘拐するという場面に性的興奮を感じ、それ以来一貫して、男女を問わず様々な人の鼻と口を、手や薬品を染み込ませたガーゼで塞いで、人が苦悶する表情を見ることで性的興奮を感じていた。2001年11月27日には大阪地裁堺市で通行中の女性と少女にベンジンを染み込ませたタオルを口及び鼻に押し当てた傷害、暴行の罪で懲役1年執行猶予3年の判決を受けた。2002年8月9日には通行中の中学生ら6人の口を次々とふさいでけがをさせた傷害の罪で懲役10月の判決を受けた。同時に執行猶予が取り消され、2004年3月29日、満期出所していた。
 Mは起訴事実を全て認めたが、弁護側は精神鑑定を請求。Mは犯行時、性的サディズム、フェティシズム(性的倒錯の一種)、反社会性人格障害の混合状態であり、心神耗弱状態にはなかったと結論づけられた。
 2007年3月28日、大阪地裁はMの性癖について非はなく不幸であると言及したが、刑事責任能力を認め、求刑通り死刑を言い渡した。
 弁護人は即日控訴。Mは当初から死刑判決を求め、さらに刑事訴訟法の規定通り半年以内の執行を希望していた。ただ、Mの依頼による東海学院大学臨床心理学の教授と面会・手紙を続けるために先延ばしにしていたが、2007年7月5日に控訴を取り下げた。一審弁護人は控訴趣意書で被告による控訴取り下げの有効性を判断するように事前に求めていたが、Mとの面会後、申し入れをしないことを決め、死刑判決が確定した。
 Mは2009年7月28日、執行された。40歳没。
文 献 「断末魔の声に昂奮した「自殺サイトの死神」―堺「三人連続」殺人」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)

「第三章  ボクを徹底的に調べてください」(長谷川博一『殺人者はいかにして誕生したか』(新潮社,2010/新潮文庫,2017)所収)
備 考  
2/27 概 要 <中津川一家六人殺傷事件>
 岐阜県中津川市の市職員である男性H(57)は2005年2月27日午前7時半頃、自宅で寝ていた整体業の長男(当時33)、母(当時85)の首をネクタイで絞めて殺害。同日午前11時頃、近くに住む長女(当時30)と長女の長男(当時2)と長女(当時3ヶ月)の3人を車で自宅に連れてきて、ネクタイで首を絞めて殺害した。さらに約2時間後、長女の夫(当時39)も包丁で刺し、2週間の軽傷を負わせた。他に飼い犬2匹も殺害している。Hはその後、自分の首を包丁で刺し自殺を図り重傷を負った。Hの妻は不在だった。
 動機についてHは、同居を始めた1999年頃から母親が妻へ執拗な嫌がらせを続けたため殺意を抱いていたと話している。長男殺害は母を殺害する邪魔をされたくなかったから、長女と孫殺害は殺人者の家族と見られるのが可哀想だったと供述している。
 裁判では事実関係については争われず、責任能力の有無が焦点となった。弁護側、検察側がそれぞれ精神鑑定を請求。限定的だったという結果と完全責任能力があったという二つの鑑定結果が提出された。
 2009年1月13日、岐阜地裁は「完全責任能力があった」とする鑑定を採用したものの、「精神的に追い詰められた末の一家心中で、私利私欲に基づいておらず、一抹の酌量の余地がある」として無期懲役判決(求刑死刑)を言い渡した。2010年1月26日、名古屋高裁は検察・被告側の控訴を棄却。2012年12月3日、最高裁で検察・被告側上告棄却、無期懲役判決が確定。
文 献 「鬼が爪を研ぐ血染めの家―中津川「一家五人」絞殺・刺殺事件 土浦「両親・姉」撲殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
3/8 概 要 <福岡3女性連続強盗殺人事件>
 福岡県直方市のトラック運転手Sは以下の事件を起こした。
 2004年12月12日午後11時40分頃、飯塚市の公園で専門学校生の女性(当時18)を強姦したうえ、女性の首をマフラーで絞めて殺害した。さらに財布を奪おうとしたが通行人が現れたため何もとらずに逃走した。
 2004年12月31日午前7時頃、北九州市の路上でパート従業員の女性(当時62)の胸や背中を包丁で刺し殺害、約6,000円入りの財布などが入ったバッグを奪った。
 2005年1月18日午前5時半頃、福岡市の公園で会社員の女性(当時23)を強姦しようとしたが、通行人に目撃されることを恐れ断念。女性の腹などを包丁で刺して殺害し、携帯電話や財布(約1,000円)が入ったカバン(総額約45,000円)を奪った。
 2005年3月8日午前1時頃、捜査本部は福岡市で殺害した女性の携帯電話を持っていたSを直方市内で見つけ、占有離脱物横領の現行犯で逮捕した。犯行を自供したSを、3月10日に強盗殺人容疑で逮捕した。Sは事件当時、飲み代やパチンコ、携帯電話の出会い系サイト料金の支払いなどのため計800万円の借金を抱えており、結婚生活が破綻していた。
 Sは裁判で殺意を否認。法廷で、「若い人に犯罪に走らないよう伝えたい」「命の大切さを伝えるためにも死刑にはなりたくない」などと訴えた。最終意見陳述では、謝罪の言葉を述べる一方、「取り調べでは、捜査側の考えを押しつけられた」「裁判長の質問に、とげがあるように感じるのは私だけでしょうか」などと、約1時間にわたって捜査や裁判批判を展開した。2006年11月13日、福岡地裁で求刑通り死刑判決。2008年2月7日、福岡高裁で被告側控訴棄却。2011年3月8日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 2019年8月2日、執行。50歳没。
文 献 「福岡3女性連続強盗殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)
備 考  
3/22 概 要 <名古屋市民生委員強殺事件>
 民生委員の女性E(54)は2005年3月22日夜、自らが担当していた名古屋市北区の市営住宅に住む1人暮らしの無職女性(当時83)に睡眠薬を飲ませ、さらに首を絞めて殺害。翌日、女性のキャッシュカードでATMから現金53000円を引き出した。
 遺体は翌日発見され、当初は病死と判断されたが、カードから現金が引き出されていたことが判明したため詳しく遺体を調べたところ、首に細い紐で絞められた後があったことから強盗殺人事件として捜査が始まった。
 ATMの防犯ビデオの映像から愛知県警はEに任意の事情聴取を続けたが、Eは被害者から頼まれて現金を引き出しただけであり、カードと現金は葬儀後に返したと容疑を否認した。愛知県警は7月6日、窃盗容疑でEを逮捕。さらに8月10日に強盗殺人容疑で再逮捕した。
 Eは被害者の近所に住んでおり、2004年まで交通指導員を22年間務めていたことから推薦され、民生委員に委嘱された。Eは消費者金融に約300万円の借金があった。
 Eは犯行を否認。2006年1月の初公判で、弁護側は詐欺と詐欺未遂のみ起訴事実を認め、残りは無罪を主張するとともに「公訴自体が違法」と訴えた。さらに3月の第2回公判で、検察側が提出した証拠すべてを不同意したため、検察側が約140人の証人を呼ぶなどと応酬。弁護側は期日間整理手続きを申し立て、名古屋地裁は適用を決定した。
 2007年7月10日、1年4ヶ月ぶりに公判が開かれ、強盗殺人についてはEが犯人かどうか、被害者の死因、死亡時刻の3点が争点として整理されたことが明らかにされた。しかし弁護側の質問は取り調べ時における違法性に集中しているため裁判はなかなか進まず、裁判長はが「期日間整理手続きで決めた通りに進むのが望ましい」と述べ「今後は必要な質問項目を吟味するように」と弁護側にうながしたにもかかわらず、当初は6期日を予定していた弁護側の被告人質問は29期日を数えた。初公判から判決までの公判期日は計67回になる。
 2009年9月3日、名古屋地裁は求刑通り無期懲役判決を言い渡した。2011年2月23日、名古屋高裁は被告側控訴を棄却。2013年2月5日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「独居老人キラー「女民生委員」の殺人奉仕―名古屋「絞殺」事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  初公判で検察側は、Eが過去に交際していた男性2人が死亡し、うち1人の死亡直後に男性の時計や金塊などを売却していた事実を指摘したが、事件に関連性がないという弁護側の削除要請に応じ、立証しないと明らかにしている。
4/13 概 要 <名古屋ネット依頼夫殺人事件>
 名古屋市の主婦Tは1988年、91年に亡くなった両親の保険金を得て浪費癖が付き、趣味のパチンコにも金を使って2001年までに借金が500万円までふくらんだ。2002年に夫が借金を肩代わりしたが、その後は闇金融業者からの借金も増えた。Tは会社員である夫の保険金が入れば借金が全て返済できると考えた。事件当時、Tは約200万円の借金があった。
 愛知県蟹江町の工務店従業員Mは父の会社で勤務していたが倒産。出会い系サイトで知り合った女性との遊興にふけった。2004年夏、女性の気を引こうと「いらない旦那処分します」と出会い系サイトに掲示。反応があったうちの1人がTであった。Mは「副業で殺人をしている」「1本(1,000万円)でどうですか」と持ちかけ、Tは応じた。Mは当時住宅ローンを含め約2,000万円の借金があった。
 2005年3月、Tの夫は退職金で借金を返済すると寛容な態度を示し、Tは殺害計画を中止。ところが闇金融業者が自宅に押しかけた4月12日、夫が爆発するかもしれないと不安に駆られたTは計画を実行することとした。
 同日夜、T(48)は自宅マンションで夫(51)に睡眠導入剤を入れた発泡酒を飲ませたが、夫は「えらくにがい」と気づいたため、Tも一口飲んだ。夫はそのまま眠り込み、Tも別室で寝てしまった。翌13日午前4時30分頃、T宅に進入したM(39)は持参した手製のナイフ2本で夫の右胸と右脇腹を刺して殺害した。
 夫は3月末で辞めた会社の退職金約2,000万円を持っており、さらにTを受取人とした7,000万円以上の生命保険金がかかっていた。
 6月2日、愛知県警中川署捜査本部はTとMを殺人容疑で逮捕した。
 裁判でTは夫と再婚した20年前から様々な暴力を受けていたと主張。Tによると、夫から避妊を拒否され、約8年間で4回の堕胎。他に流産も数回経験。肉体的暴力も日常茶飯事。前夫との間にできた子供を救うために消費者金融から借金をしたことが原因で夫から生活費を渡されなくなり、保険の外交や売春等で生活費を賄っていた。前夫との子供の件で過去に公的機関からイヤな思いをさせられたことがあったため相談することができなかった。また長年のDVにより首吊り自殺未遂2回、飛び降り自殺未遂1回を引き起こしている。
 2006年1月24日、名古屋地裁は心神耗弱状態だったとの主張を退け、Mに懲役18年(求刑懲役20年)を言い渡した。Mは控訴せず、そのまま確定。
 2007年3月9日、名古屋地裁は夫からのDVから逃れるための犯行という主張を退け、保険金を狙った殺人と認定。Tに求刑通り懲役20年を言い渡した。10月31日、名古屋高裁はMがTの言いなりであったという一審判決の認定を否定し、Mとの刑事責任は大差ないとして懲役18年に減刑した。TのDVから逃れるための犯行という主張は退けた。
 Tは上告したがすでに退けられ、二審判決が確定している。
文 献 北村朋子『DV・被害者のなかの殺意―ネット依頼殺人の真実』(現代書館,2009)
備 考  警察庁によると、インターネットで殺人の実行役を調達し、狙われた相手が実際に殺害された事件は国内で初めて。
5/29 概 要 <横浜中華街店主銃殺事件>
 Kは1996年1月、横浜市中区で銀行嘱託社員を工具で襲い、小切手を奪った強盗傷害事件で実刑判決を受け、2004年4月に出所。ディスコの開店資金を得るために強盗を計画。
 2004年5月6日、K(当時64)は東京駅のキヨスク集金所を拳銃で襲撃するつもりだったが、目的の集金所を見つけることができず、腹いせのため午後5時頃、東京駅地下3階の機械室に灯油をまいてライターで放火。廃棄するため置いてあったエアコンやペンキ缶などを焼いた。この火事で、東京駅地下5階にある総武快速・横須賀線ホームに白煙が立ちこめ、乗客約300人が避難する騒ぎになった。
 Kは2004年5月29日深夜、横浜中華街の中華レストラン経営者(当時77)を横浜市中区の自宅前で待ち伏せし、頭を拳銃で撃ち殺害。経営者が持っていた売上金約44万円入りのバックを奪った。
 2004年6月23日朝、Kは東京メトロ渋谷駅構内で駅員(当時32)の腹を拳銃で撃ち重傷を負わせ、持っていた洗面用具などの入った紙袋を奪って逃走した。
 Kは6月26日、渋谷駅銃撃事件について警視庁に出頭。その後、横浜市の強盗殺人事件で家の周辺に残された指紋が一致したこと、銃弾に残された線条痕が酷似していることから神奈川県警が追求、犯行を自供した。出頭当時、所持金は数百円だった。
 Kは死刑を求刑されたが、2006年4月17日、東京地裁で無期懲役判決。検察側が控訴し、2007年4月25日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。2011年3月1日、最高裁で上告棄却、死刑確定。
 2013年9月12日、Kは死刑を執行された。73歳没。
文 献 熊谷徳久『奈落―ピストル強盗殺人犯の手記』(展望社,2006)
備 考  
6/20 概 要 <板橋両親殺人事件>
 2005年6月20日早朝、高校1年生の男子(15)は、東京都板橋区にある建設会社の社員寮で管理人をしていた父親(44)を就寝中に鉄アレイで頭を殴り、首を包丁で刺して殺害。さらに犯行を見た母親(42)の胸や頭を包丁で刺して殺害した。同日昼、自宅管理人室の台所で電気コンロの上に殺虫剤のスプレー缶を置き、約4時間後に加熱するようタイマーをセット。ガスホースを切って室内にガスを充満させ、午後4時39分ごろ爆発させた。2日後、男子は草津温泉の旅館にいたところを逮捕された。動機として、小さい頃から父親に寮管理人の仕事を手伝わされたりゲーム機を壊されたりして恨んでいたこと、母親はいつも仕事がハードで死にたいと言っていたことを挙げた。  男子は家庭裁判所に送られたものの、検察官送致(逆送)され、殺人と激発物破裂罪で起訴された。
 一審で弁護側は父親が寮の仕事を手伝いさせていたことなどを虐待と主張し、「不適切に養育された少年は精神的に未熟」なため、保護処分相当として家裁移送決定を求めた。2006年12月1日、東京地裁は虐待の事実を退け、「強固な殺意に基づく計画的な犯行。様態も執ようかつ残忍で、刑罰を与えることで社会が納得し、将来社会復帰した際、社会が被告を受容するのに資する」として、無期懲役を選択。「18歳未満の少年を無期刑とすべきときであっても、有期の懲役・禁固を10年以上15年以下で科すことができる」と定めた少年法の規定に基づき、有期刑を相当として、懲役14年(求刑懲役15年)を言い渡した。
 男子側は控訴。2007年12月17日、東京高裁は弁護側の家裁移送を退けたものの、「父親による不適切な養育や心理的虐待があった」と指摘した上で「反省も深めている」と減軽し、懲役12年を言い渡した。被告側は上告せずに確定した。
文 献 佐久間真弓、藤崎りょう『親の愛は、なぜ伝わらないのか!?』(宝島社,2008)
備 考  2001年に改正少年法が施行され、14歳以上の少年に刑事罰を科すことができるようになってから、犯行時16歳未満の少年の殺人罪での実刑判決は初めて。
10/17 概 要 <上申書事件>
 2000年7月30日の殺人事件、8月20日の強盗致死他事件で死刑判決を受け、上告中だった元暴力団組長G被告(2007年9月28日、最高裁で上告が棄却され、死刑が確定)は2005年10月17日、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を茨城県警に提出した。
 【上申書第1の殺人】
 1999年11月中旬頃、不動産ブローカーMと「大塚」という姓の60歳くらいの男性の間の金銭トラブルで、頭にきたMがネクタイで男性の首を絞めて殺害。遺体は、G、M両容疑者、工務店経営の男の3人で、Gの乗用車に乗せて茨城県石岡市の男の会社に運び、敷地内の焼却場で、Mが新聞紙を丸めて火を付け廃材と一緒に焼いた。

 【上申書第2の殺人】
 1999年11月下旬頃、G、Mら4人が埼玉県大宮市(現さいたま市)の資産家男性を水戸市の駐車場で拉致、縛って後藤被告の乗用車のトランクに押し込み、北茨城市にあるMの所有地まで運んだ。スコップで深さ150センチくらいの穴を掘って中に入れ、生き埋めにして殺害した。男性の土地はいったんM名義にし、その後売却した。

 【上申書第3の殺人】
 2000年8月頃、GとMが茨城県阿見町カーテン店を経営する60~70代の糖尿病にかかった男性に大量の酒を飲ませて殺害し、遺体を路上に放置。死亡保険金8,000万円をだまし取った。

 第1の事件は、被害者の特定に至っていない。
 第2の事件は被害者の男性が特定されているが、独居老人で現在も行方がわからない。上申書の記述とおり、男性の住民票は1999年11月下旬にさいたま市から水戸市に移されていた。男性が所有していた土地は12月1日にMが購入。28日に不動産会社に転売されていた。2007年3月29日、茨城県警は男性の生き埋め場所を特定するため、Gを北茨城市の現場に同行。4月18日から重機などを使って空き地一帯の掘削を続けたが、遺体は見つからず、25日に遺体捜査を打ち切った。
 第3の事件で茨城県警は捜査を進めた。第3の事件の概要は以下である。
 社長が経営する会社は経営難に陥り、負債が6,000万円に上った。そこで2000年6月頃、社長の娘婿が工務店を経営する男性に借金を申し込んだ際、Mに預け殺害し、保険金で借金を整理するしかないと提案された。社長の妻、娘と相談の上、了承した。社長は水戸市内にあるMの事務所で生活を始めたが、連日焼酎などを飲まされて衰弱した。8月12日夜、MやGは日立市内の自宅で、社長にウオッカを無理やり飲ませ、13日未明に死亡させた。二人は遺体を洗った後、城里町内の林道に遺棄した。妻らは14日、土浦署に捜索願を提出。遺体は15日に見つかったが、事件としては扱われなかった。死亡保険金など約9,800万円のうち、約6,600万円が工務店経営の男性に渡り、ほとんどがMの手元に渡った。約3,000万円は社長の妻に渡り、妻たちは借金の返済に充てた。
 2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、殺人事件の被害者とされたカーテン販売会社社長男性(当時67)の妻(74)、娘(49)、その夫(51)、夫の兄(58)と妻(54)を逮捕した。5人は共謀の上、2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通をだまし取った疑い。同課はこの口座が男性の生命保険金の受け取りに使われたとみている。
 2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとしてMを強要容疑で逮捕した。
 2006年12月31日、工務店経営の男性が交通事故で死亡した。
 2007年1月26日、カーテン販売会社社長殺人容疑で、G、M、妻、娘、娘婿と、Gの知人である受刑囚3人が逮捕された。3受刑囚は後に起訴猶予処分となった。また工務店経営の男性は書類送検され、不起訴となった。
 7月26日、水戸地裁で妻と娘に懲役13年(求刑懲役16年)、娘婿に懲役15年(求刑懲役18年)が言い渡された。3人はいずれも控訴したが、後に取り下げ、確定した。
 Mは無罪を訴えたが、2009年2月26日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年8月24日、東京高裁で被告側控訴棄却。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。
 Gは自首が認められ、2009年6月30日、水戸地裁で懲役20年(求刑無期懲役)が言い渡された。ただし死刑判決が優先するため、懲役は科せられない。2010年3月17日、東京高裁で被告側控訴棄却。2012年2月20日、被告側上告棄却、確定。
文 献 「新潮45」編集部 『凶悪 ある死刑囚の告発』(新潮社,2007/新潮文庫,2009)
備 考  
10/21 概 要 <大阪市三角関係猟奇殺人>
 無職男性(22)と無職女性(32)はカラオケ店店員の男性(当時19)と大阪市淀川区のマンションで同居していたが、交際を巡ってトラブルが浮上。女性が寝ている間に店員男性に暴行されたと嘘をついたことから、無職男性が監禁を提案。二人は共謀して2005年10月21日から店員男性の手足を紐で縛って室内で監禁。抵抗しないよう向精神薬などを飲ませ衰弱させ、刃物で顔や手を切るなど暴行した。店員男性が死亡したと判断した2人は11月1日午後10時頃、店員男性を淀川区にある淀川の浅瀬に連れて行って押さえつけ、背中にダンベルや石を針金で巻き付けて水中に放置し、溺死させた。
 川底から遺体が見つかり、大阪府警捜査1課は自殺、他殺両面で捜査。店員男性の胃に残された水分を調べた結果、溺れてから死亡までに長時間かかっていたと分析。干潮時の川底に放置された後、水かさが徐々に増して水死したと断定した。また、遺体発見時の店員男性の体重が10kg近く減少していることや、熱湯をかけられたようなやけどの跡があったこと、そして店員男性から検出された向精神薬や睡眠剤の成分が女性の常用しているものと一致したため、2006年5月23日に二人を逮捕した。
 二人とも犯行は認めたが、互いに「指示されてやった」と供述し、殺意を否認した。
 2007年9月27日、大阪地裁は女性が主犯であると認定し、求刑通り懲役25年を言い渡した。共犯の男性は従属的、消極的であったとして懲役12年(求刑懲役22年)を言い渡した。2008年9月25日、大阪高裁は女性の控訴を棄却するとともに、共犯であった男性に対しては自らの意志で犯行に荷担したとして一審を破棄し、懲役20年を言い渡した。
文 献 「ウリセンボーイを切り裂いたサド女と童貞男―大阪「三角関係」猟奇殺人」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
11/17 概 要 <大阪姉妹強盗殺人事件>
 無職Y(22)は2005年11月17日未明、大阪市浪速区のマンションの一室に侵入。午前2時半頃、帰宅した姉(27)と妹(19)を強姦後に殺害し、現金5,000円や小銭入れ、貯金箱などを奪ったうえ、証拠を隠すために室内に放火するなどした。
 隣接する食品会社やマンションの外壁や排水管などからYの指紋が発見されたため、大阪府警浪速署は12月3日に隣接する食品会社への建造物侵入容疑で指名手配し、5日に大阪市内で逮捕した。19日、強盗殺人容疑で再逮捕した。
 Yは16歳だった2000年7月29日、山口市で母親(当時50)と口論になり、バットで殴って殺害し、9月に中等少年院に送致された。少年院で3年1ヶ月の矯正教育を受けて2003年10月に仮退院。2004年3月の本退院(期間満了)まで保護観察下にあった。その後、山口県内のパチンコ店などで働いていたが、2005年に入り、パチスロで不正に稼ぐゴト師仲間に加わるようになった。2005年3月には岡山県のパチンコ店で不正が発覚し、窃盗未遂容疑で逮捕され、起訴猶予になっていた。
 Yは2005年夏から、パチスロ機から不正にコインを引き出す「ゴト師」仲間とともにマンション内の知人宅で数ヶ月間暮らしていた。いったん出て行ったが、11月11日から再びこの部屋に身を寄せたが、「稼ぎが悪い」と言われ、2、3日後、行方がわからなくなった。
 Yは大阪地裁の公判で起訴事実を全面的に認めたが、弁護側は「被告は犯行時、心神耗弱状態だった。強盗の故意もなく、強盗殺人罪、強盗強姦罪は成立しない」と主張し、「真の更生のためにも無期懲役を」と訴えた。Yは被告人質問で「人を殺すことと物を壊すことは全く同じこと」「人を殺したいという欲求を晴らしたかった」などと証言している。
 判決で裁判長は、公判段階の精神鑑定に沿って、Yを人格の偏りが極端な「人格障害」や性的サディズム障害としたが、「犯行は計画的に周到に実行された」などと完全責任能力を認定した。また、「主たる目的は殺人だが、強盗の故意を認めた被告の供述の信用性は高い」と強盗殺人罪などの成立を認め、弁護側の主張を退けた。「2人の命を奪った残忍、冷酷、非道な犯行で結果は重大。被告の殺人を欲求する特異な性格・性癖は相当に強固といえ、何ら反省せずに、更生への期待は難しく、責任は余りにも重い。極刑をもって臨むしかない」と述べた。
 弁護人が控訴したが、2007年5月31日にY本人が収監先に控訴取り下げ書を提出し、死刑が確定した。弁護人は取り下げの効力について異議申し立てしない方針という。弁護士の接見には淡々と「生きていても仕方がない」などと話し、被害者や遺族には「何もありません」とだけ述べたという。
 Yは2009年7月28日、執行された。25歳没。20歳代の執行は30年ぶり。
文 献 粟野仁雄『大阪美人姉妹殺害事件―神さんに嫁入りした娘たち―』(扶桑社,2007)

池谷孝司編著『死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人』(共同通信社,2009/新潮文庫,2013)

小川善照『我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人』(小学館,2009)

片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)

「大阪姉妹殺人事件」(小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋,2015)所収)

「大阪姉妹殺人事件」(高木瑞穂、You Tube「日影のこえ」取材班『日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』(鉄人社,2022)所収)
備 考  
12/6 概 要 <香川町男性刺殺事件>
 2005年12月6日昼過ぎ、高松市香川町のスーパー駐車場で、会社役員男性(28)が無職の入院患者男性(36)に胸を包丁で刺され、死亡した。殺害された男性と、入院患者男性に面識はなかった。入院患者男性は総合失調症などで2004年10月、本人の希望で香川県内の病院の精神科に入院し、当日は社会復帰訓練のため病院の許可を得て外出中だった。
 検察側は男性を起訴。2006年6月23日、高松地裁で求刑懲役30年に対し、総合失調症による心神耗弱と認定したうえで懲役25年の判決。控訴せず確定。同日、殺害された男性の両親は、入院患者男性と事件当時に入院していた精神科の病院を経営する高松市の医療法人を相手に、「誤った外出許可が事件につながった」として計4億3,000万円の損害賠償を求める訴訟を高松地裁に起こした。2008年11月には受刑者の両親も提訴した。
 2013年3月27日、高松地裁は医療法人に過失はなかったとして請求を棄却。受刑者に対しては、受刑者の両親に計1億2,000万円の支払いを命じた。2016年2月26日、高松高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却した。
文 献 矢野啓司・千恵『凶刃-ああ、我が子・真木人は精神障害者に刺し殺された!!』(ロゼッタストーン,2006)
備 考  


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