佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫)


発行:1999.6.10



 警備実施機関、2月19日から28日まで10日間、218時間。
 動員兵力のべ34949人。
 2月17日の群馬県内山岳アジト発見からの検問、山狩りなどに28日までの間に動員された警察官の数、16都県、のべ122700人。
 死傷した警察官、民間人の総数は、死亡3人、重軽傷27人(内一人報道関係者)。
 使用した武器、規制用具は、拳銃22初、内訳「さつき山荘」関係、長野県機6発、「あさま山荘」警視庁16発(威嚇射撃)。
 催涙ガス弾3126発。
 発煙筒326発。
 ゴム弾96発。
 現示球83発。
 擬音弾107発。
 催涙ガス銃82挺。
 放水量2時間30分25秒(158500リットル)。そのほとんどが28日当日で、2時間22分25秒(148500リットル)。
 予算総額9659万3千円(国費2675万6千円、県費6983万7千円)。ただし、「集団リンチ殺人」の捜査費を除く。

 以上は、連合赤軍「あさま山荘事件」のデータを総括したものである。他に書くとすれば、報道陣約600人、テレビ中継の視聴率は最高89.7%。

 本書は、1972年2月19日、連合赤軍のメンバー坂口弘(25)、坂東国男(25)、吉野雅邦(23)、N・K(19)、弟のM・K(16)が逃走中に警官隊と銃撃戦を交えた後、「あさま山荘」に逃げ込み、管理人の妻を人質に取り籠城した、いわゆる「あさま山荘事件」において、後藤田正晴警察庁長官から、現場派遣幕僚として現場で指揮をした佐々淳行が、自らのメモをもとに、10日間に渡って繰り広げられた事件の一部始終を、警察側の動きを中心に克明に再現したノンフィクションである。
 警察側の縄張り争い、報道のみを優先する報道陣、混乱する現場、なにも知らない一般大衆からの声など、すべてを隠さず(かどうかはわからないが)、克明に書き記しているため、当時の緊迫感、臨場感がリアルに浮かび上がってくる。
 事件を解決しようとする警察官の心意気と勇気が伝わってくるし、現場で無責任な指示を出す上司には読者でも怒りを覚えてくる。状況を考えずに自らのスクープばかりを追い求める一部報道陣には呆れるばかりであった。とくに、A紙の記者が救出された人質のベットに盗聴器を仕掛けたという件は、さすがに非道すぎる。
 「危機管理」という言葉を作った作者らしい、一冊である。解説で露木茂が、「戦記」と書いたのも間違いではない。これは貴重な「戦記」なのである。

 当時、佐々に与えられた後藤田長官指示は以下であった。

  1. 人質は必ず救出せよ。これが本警備の最高目的である。
  2. 犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく。国が必ず公正な裁判により処罰するから殺すな。
  3. 身代り人質交換の要求には応じない。とくに警察官の身代りはたとえ本人が志願しても認めない。殺される恐れあり。
  4. 火器、とくに高性能ライフルの使用は警察庁許可事項とする。
  5. 報道関係と良好な関係を保つように努めよ。
  6. 警察官に犠牲者を出さないように慎重に。

 「あさま山荘事件」で終わりを告げた連合赤軍事件では、合計17人が逮捕された。内、リーダーである森恒夫は1973年1月1日、初公判を前に東京拘置所で首吊り自殺。吉野雅邦は無期懲役判決で、今(2007年現在)も獄中らしい。12人は懲役3年〜20年の判決を受け、すでに全員が出所している。
 永田洋子、坂口弘は1993年に死刑判決が言い渡されたが、今も執行されず拘置所の中にいる。そして坂東国男はクアラルンプール事件の超法規措置で釈放され、今も海外にいる。
 後藤田長官(当時)は、「国が必ず公正な裁判により処罰する」と言ったが、リーダー格や中央委員であった彼らはまだ罰せられていない(死刑判決は、執行されて初めて罰せられたといえる)。この事実を、当時戦った警察官たちはどう思うであろうか。

 本書は1993年1月に、文藝春秋より刊行された作品の文庫化である。
 作者の佐々淳行は、1930年、東京生まれ。東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部(現警察庁)に入庁。「東大安田講堂事件」「連合赤軍浅間山荘事件」等では警備幕僚長として危機管理に携わる。1986年より初代内閣安全保障室長をつとめ、昭和天皇大喪の礼警備を最後に退官。以後は文筆、講演、テレビ出演と幅広く活躍。「危機管理」という言葉のワード・メイカーでもある。1993年、『東大落城』(文藝春秋)で、文藝春秋読者賞を受賞。(著者紹介は、本書より引用)


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