「新潮45」編集部 『凶悪 ある死刑囚の告発』(新潮社)


発行:2007.1.20



 これから語る失踪者や死者たちのストーリーに共通するもう一つの重要なポイントは、彼らの周辺に、常にある人物の影が仄めくことだ。その様は、さながら死に神のようである。ときには背後にピタリとはりつき、ときには正面に姿を現し、紳士の仮面をつけて優しい言葉をなげかける。滅びゆくものの死臭をかぎとるハイエナや、傷ついた魚の血の臭いを探りあてるサメのように、その影は墜ちてゆく弱者に忍び寄ってくるのだ。
 そして、彼らの失踪や死とともに、唯一残されていた資産はものの見事にきれいさっぱり整理されてしまうのである。その人物は、彼を慕い、その巧みな錬金術をあてにした人間たちからこう呼ばれ、崇め奉られていた。
“先生”と。

ケース一
 六十歳くらいの独身男性。茨城県内を中心の不動産の仕事に従事。ある不動産ブローカーと仕事をすることが多かった。取り引きをする過程で、このブローカーから数百万円の金を借りたが、返済が滞り、トラブルに発展していた。その最中の平成十一年、突如、失踪。

ケース二
 埼玉県大宮市(現・さいまた市見沼区)に、大地主の甥っ子として生を受けた男性。私生児として生まれ、伯父と母親の死後は、兄とふたりで受け継いだ土地を守っていた。
 ところが、三十年ほど前に突然、家を出たきり、蒸発。やがて、兄も冷たいフトンの中で孤独死をとげる。家は主のいないまま荒れ果て、時間の移ろいとともに朽ち果てていった。
 忽然と姿を消した弟の住民票は役所の職権で削除されたが、八年前、人知れず復活されていた。縁もゆかりのないはずの地、茨城県水戸市のマンションの一室に移されていたが、そのマンションの住民で彼の姿を見たものは誰一人としていなかった。
 そしてその直後、大宮の土地は、ある不動産ブローカーの手を経て、業者に転売された。
 失踪したこの男性は生きていれば、八十一歳になる。そう、生きていれば……。

ケース三
 茨城県南部の町でカーテンなどを扱うインテリアショップの経営者。会社経営に行き詰まり、数千万の負債を抱え込む。息子が勤める不動産関連会社の社長からも借金をした。
 この社長の知人に、ある不動産ブローカーがいた。このブローカーのもとで雑用をすることになり、水戸市内にある事務所で、半ば住み込みのような形で起居することになった。ブローカーからは、“カーテン屋”とか“じじい”などと呼ばれ、バカにされていた。
 その後、茨城県笠間市の山の中で、変死体で発見される。しかし、結局、警察は病死か自殺として事案を処理した。享年六十七。死亡時、約八千万円の生命保険に加入していた。

ケース四
 茨城県南部の某市内で造園業を経営する一家。敷地五千平方メートル以上の豪邸に住み、他にも市内数ヶ所に一ヘクタールほどの土地を所有。近所では資産家として知られていた。
 しかし、社長であった主人が亡くなると、とたんに会社が傾く。妻があとを継ぎ、長男が稼業を手伝ったが、赤字経営が続いた。
 妻は土地や屋敷を担保に、借金を重ねた。長男は借金まみれの窮状からなんとか抜け出そうと、あちこちのツテを頼った。そうして紹介されたのが、ある不動産ブローカーだった。
 ブローカーは「俺が借金をきれいにしてやるから、すべて任せろ。君の住む家や仕事も与えてやる」と豪語した。
 その後、確かに彼らの負債は消えた。しかし、その代わり、豪邸は跡形もなく解体され、土地は人手に渡った。ブローカーは多額の売買仲介手数料を手に入れた。
 長男はブローカーの配下の人間となり、水戸市内にある彼の事務所で住み込みで働くようになった。そして、平成十六年十月、将来を悲観して自殺。
 母親は水戸の老人ホームにいるというが、友人でさえ、彼女の消息を知るものはいない。

ケース五
 茨城県日立市内に住む六十歳代の男性。大地主で、マンションやアパートを何棟も所有していたが、詐欺師にダマされ、億単位の借金を抱え込むハメになる。不動産は次々と切り売りされ、最後は自宅の土地も分割されて数棟の住宅が建てられた。彼には、そのうちの一軒と、隣接する更地だけが唯一の資産として残った。
 この崩壊の過程で、彼はある不動産ブローカーと知り合う。水戸市内のブローカーの事務所に、起居していたこともある。そして、目の前にぶら下げられたわずかばかりの現金欲しさに、最後に残っていた自宅に隣接する土地の権利をブローカーにゆだねてしまった。ブローカーは、この土地の売買を仲介したが、売買代金は全て、地主の彼ではなく、ブローカーの懐に入った。
 その後、彼は一人自宅にいるときに変調をきたし、病院に担ぎ込まれる。翌日、病院で急死。

ケース一
 六十歳くらいの独身男性。茨城県内を中心の不動産の仕事に従事。ある不動産ブローカーと仕事をすることが多かった。取り引きをする過程で、このブローカーから数百万円の金を借りたが、返済が滞り、トラブルに発展していた。その最中の平成十一年、突如、失踪。

ケース六
 茨城県日立市内の設計会社の責任者。仕事の関係で、ある不動産ブローカーと知り合う。
 ブローカーが主導した土地開発で一緒に仕事を組み、設計を請け負った。しかし、この事業の最中に、乗用車に排気ガスのホースを引き込み、自殺をとげた。今もって自殺の本当の理由は明らかになっていない。

ケース七
 茨城県某市のサラリーマン。五十歳を前に夢の一戸建てを購入した直後にリストラにあい、定年前に退職を余儀なくされた。家のローンの支払いに困り、自宅にサラ金の抵当もついて、にっちもさっちもいかなくなったとき、家の内装工事に関係していた不動産ブローカーが現れた。
「借金を整理したうえに、住むところも用意してやる」
 甘言を弄するブローカー。もはや他にすがるもののない家族は、この申し出に応じてしまう。その代償として自宅は失ってしまったが、借金はなくなった。このブローカーは、家族のために市内で格安の貸家を見つけ、賃貸契約の連帯保証人にもなった。そして、ブローカーは、この不動産売買の仲介で、相応の金を手にいれたという。
 その後、家族にも愛想を尽かされ、一人暮らしとなった男性のもとには、たまに不動産ブローカーがコンビニ弁当などを持って来るくらい。やがて、誰も訪ねるものがいなくなり、ドアの前には新聞がたまるようになった。
 警察が踏み込んだときには、男性は骨と皮だけの変わり果てた姿になっていた。警察は変死として扱ったが、事件性はないとして処理した。享年六十四。

(「まえがき」より一部引用)



【目 次】
まえがき
第一章 独房からの手紙
第二章 サイは投げられた
第三章 “先生”VS殺人犯
第四章 驚愕の証言
第五章 “じいさん”の素性
第六章 “カーテン屋”を知る女
第七章 そして、矢は放たれた
第八章 スポットライトを浴びた死刑囚
第九章 第四の殺害計画
第十章 消せない死臭
第十一章 闇に射しこむ光
あとがき


 強盗致死や殺人の罪で一・二審死刑判決を受け、上告中だった元暴力団組長、後藤良次(ごとうりょうじ)被告が2005年10月17日、「他に3件の殺人事件に関与した」する上申書を、弁護士を介して茨城県警に提出した。上申書に書かれた3件の殺人事件は、ケース一〜三であり、後藤被告は2件の殺人と1件の死体遺棄に関与したと告白している。
 この動きをキャッチしたNHKは、夜七時のニュースでこの件を大きく報道した。
 10月18日付の新聞で、毎日、朝日、読売など各紙がこの件について大きな紙面を割いて報道した。そして18日に発売された「新潮45」では、「誰も知らない『3つの殺人』――首謀者は塀の外にいる!」という本事件の経緯を書いた記事が掲載された。
 本書は、死刑判決を受けた被告が別の殺人事件を3件告発する上申書を提出したということで、警察やマスコミが色めき立った「上申書事件」の経緯を書き記したものである。
 「新潮45」の記者である私は、取材を通した知人であり、一・二審に死刑判決を受けて上告中だった高橋義博被告(2006年10月に最高裁で死刑が確定)からとんでもない手紙が届いた。同じ東拘(東京拘置所)にいる殺人事件の被告から、とんでもない相談を受けた。面会にきてください、と。
 1995年2月、面会に訪れた私に高橋被告は、後藤被告が他にも人を殺していて、しかも警察が気付いていない事件があり、それをマスコミで公表したいと言っていると伝えた。そして一ヶ月後、高橋被告を介して届けられた後藤被告の手紙には、彼が犯した三つの事件の概略が書かれていた。
 私は、2005年3月16日、後藤被告と初めて面会した。後藤被告は告発した動機として、舎弟として可愛がっていた人物(ケース四の男性)を、後藤被告逮捕直前の約束を反故にして見放し、自殺させてしまったことをあげた。
 二回目の面会で、後藤被告はさらに詳しい動機を語る。最大の目的は、“先生"に対する復讐である、と。

 以後、三件の事件について、私たちによる必死の捜査が始まる。薄れている記憶の掘り起こし、隠滅されている証拠、事実関係の調査。今まで警察に把握されていなかった事件を追いかけるのだ。たとえ出版社というバックがあるとはいえ、並大抵の苦労ではなかったことが本書から読みとれる。
 本書は、真実を追い求めようとする記者の努力と、復讐という動機に燃えて告発した殺人者の怨念が混ざり合った一冊である。もしここに文学的要素を付け加えようとしたら、240ページという厚さの倍のページを必要としたに違いない。しかし本書は、あくまでノンフィクションである。私情は極力排除し、取材の過程を克明に書き記していく。その乾いた筆致が、残酷な事件の全容をかえってえぐり出す結果となっている。取材に携わる人たちの覚悟と執念を感じさせる一冊である。

 2007年10月上旬、私は茨城警察本部を訪ね、取材の結果をまとめた50枚ほどのレポートを手渡した。組織犯罪対策課の二人は厳しい目つきで査読していった。一人は「すぐに上にもあげます」と語った後、捜査で立証するとなると相当の時間が必要になるだろうとも語った。その言葉は現実となった。
 上申書の記事が出てから1年後の2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、ケース三で死亡した男性の家族5人を詐欺の疑いで逮捕した。さらに県警は2006年12月9日、“先生”を別件の強要容疑で逮捕した。
 そして2007年1月26日、県警はケース三の妻、娘、娘婿と後藤被告、さらに“先生”を殺人容疑で逮捕した。後藤被告や取材陣の執念は、こうして一つの形として実ることとなった。妻、娘、娘婿は既に実刑判決を受け、確定している。
 だが、ケース二の被害者の遺体は、懸命の捜査にも係わらず見つかっていない。そしてケース一の場合は、被害者すら特定されていない。
 “先生”が語ることのない限り、“先生”の疑惑が全て明らかになることはないだろう。さらに後藤被告は“先生”とは関係のない、別の殺人事件も告白した。
 後藤被告は2007年9月に最高裁で死刑が確定したが、ケース三の事件における殺人容疑での裁判が始まる。


 執筆者の宮本太一は1966年、和歌山県出身。新潮社入社後、「FOCUS」「週刊新潮」を経て「新潮45」編集部に所属。週刊誌在籍時に、オウム真理教の女性元幹部の麻原教祖との訣別手記を報道。中川秀直官房長官の疑惑取材班の中心メンバーとして、捜査情報漏洩疑惑などで同氏を辞任に追い込んだ。


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