大下英治『勝田清孝の冷血』(現代書林)


発行:1983.12.20



 これまで、何人かの殺人者について取材をし、書いてきた。
 八人の女性を暴行したうえ、殺害した大久保清。女子高校生を殺し、新聞社に電話を入れ、得々と殺人について語った小松川女子高校生殺しの李珍宇。日本で初めてともいえる“殺人会社”をつくり、四人も殺した関口政安……。それぞれに凶悪であった。
 しかし、取材をすすめていくうち、彼らの哀しみの核のようなものにつき当たった。彼らの殺人の動機のようなものが、おぼろ気ながらつかめた。殺人、と彼らの日常生活が、どこかでつながっている。
 ところが、勝田清孝を取材し、勝田とはどのような男か……と考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
 消防士として勤勉に働いている真昼の勝田と、つぎつぎに女性を絞殺していった夜の貌が、まったく分断されているとしか思えない。その間に、一本の感情の管のようなものが通じていない。“冷血”というタイトルをあえてつけたのもそのせいである。そのため、解釈不能のままでデータを放り投げたところも何ヶ所かある。おそらく今後、勝田のようなタイプの殺人者は日本の社会にふえていくことだろう。
 本書の後半の殺人事件については、公判においてすでに勝田の自供の一部が明らかにされている。しかし、女性の絞殺については、まだ勝田の自供は明らかにされていない。これから、公判で明らかにされるたびに、機会があればその部分を加筆していきたいと思っている。
 女性の被害者については、あえて仮名にした。ほとんどが暴行を受け殺されたうえ、彼女たちの知られたくない過去までが明るみに出ているからである。
 なお、今回のレポートは、月刊『文藝春秋』昭和58年6月号の『戦後最大の殺人鬼・勝田清孝の冷血』に大幅に加筆訂正したものである。このレポートは、取材に協力してくださった多くの方々と私の友人たちのエネルギッシュな取材あってこそ完成されたものである。取材に協力してくださった東洋大学社会調査室の村田宏雄教授、東北大学文学部社会心理学科の大橋英寿助教授ほか多くの方々、取材に飛び回ってくれた吉田茂久、大宮知信、片瀬裕、そして野中恭太郎、土井洸介の各氏に改めて厚く感謝いたします。(後略)

(「あとがき」より引用)


【目次】
死体の局部に枯れすすきが差しこまれていた
高校時代に勝田の犯罪の原型が?
駆け落ち、そして結婚
銀行勤めのOL殺害後、消防署に
消防士になった直後の殺人
遺されていたセブンスターの吸いがら
殺人鬼と勤勉な市民――二つの顔を持つ男
容疑者にされた男の狂わされた人生
殺人を犯しながらも、テレビに出演する勝田の自己顕示欲
テレビ録画直後の美容指導員殺し
女性殺害から拳銃を使った犯罪へ
愛人をつくる一方、強盗殺人を続ける
暴行もせず盗みもせず女性を絞殺
車上狙いで捕まり、消防組合を免職に
妻と別居し、愛人と同棲、そして警官を襲う
広域重要事件一一三号
夫婦生活の破綻と逮捕
あとがき


 一度に多数の殺人(FBIの定義だと4人以上)を犯す場合を大量殺人と呼ぶ。ある程度の期間を置きながら続けて殺人を犯すことは連続殺人と呼んでいる。そして殺人を犯したものはシリアルキラーと呼ばれる。
 日本でシリアルキラーと呼ばれる人物も多いが、本書で取り上げられている勝田清孝は、日本を代表するシリアルキラーだろう。1972年から1980年の間に7人を殺害。そして1982年10月から1983年1月に起こした警察庁広域重要指定113号事件で1名を殺害。合計8名の殺害は、10人を殺害した古谷惣吉に次ぎ、8人を殺害した小平義雄、大久保清に並ぶものである。
 広域重要指定113号事件で逮捕後に、先の7人の犯行を自供。そのうちの幾つかは別の人物が犯人ではないかと取り調べを受け、容疑者扱いされた結果妻と離婚をしたり、職場を辞める羽目になった者もいる。中には別件の微罪で実刑判決を受けた者もいる。
 報道などでは22人の殺害を自供したとされたが、実際に起訴されたのは8人である。一部では捜査側と勝田が取引をしたとの噂が流れているが、勝田も捜査側も明確に否定している。
 本書は「週刊文春」特派記者を辞めたばかりの大下英治が執筆した。旺盛な取材力を見せる作者であるが、どうも先行報道に惑わされているのか、それとも確信犯なのかは分からないが、本人が自供したとされていない事件まで勝田が犯人であるとした文章が延々と書かれているのである。例えば1972年1月14日に木津町で銀行帰りのOL(当時19)が殺害されている。勝田は容疑者リストにあがっていたが、アリバイがあったということでリストから外されたとしている。そしてこの件については起訴されていない。しかし本書ではすでに勝田が犯人であるという前提で書かれている(「銀行勤めのOL殺害後、消防署に」)。巻末の年表でこそ?になっているが、本文では殺人をほのめかしたなどと完全に犯人扱いしている。
 また、1975年8月27日には大阪市南区でホステスの女性(当時22)を殺害したと書いているが、こちらも起訴されていない。1980年9月9日には名古屋市熱田区でホステスの女性(当時23)を殺害したと書いているが、こちらも起訴されていない。
 他にもミスがある。例えば小平義雄は10人殺害したと書いているが、実際に確定しているのは7人であり、3人については本人も裁判所も否定している。
 それなりに取材が行われたのかどうかは分からないが、書かれていることの多くは当時の事件をなぞるものばかりであり、事件の周辺人物へのインタビュー等はごく一部である。また加害者側である勝田からの視点による取材は全くなされていない。そのくせ、勝田が出演したクイズ番組「夫婦でドンピシャ!」は当時の放送を延々と書き連ねるなど、ある意味一方的な、自らがイメージした勝田清孝に沿って取材を行い、文章を書いているような印象しか受けない。
 ただでさえイメージの悪い(まあ実際に悪いことをしたのだから当然だが)勝田清孝という人物を、得体の知れない冷血な人物であるという印象を与えたという意味では絶大な効果があっただろう。

 本書は2005年7月に新風舎文庫から『勝田清孝事件―冷血・連続殺人鬼』として復刊されたのだが、どこまで修正されたのだろうか。
 また1987年には中山一也主演で映画「連続殺人鬼 冷血」が製作されている。

 作者の大下英治は1944年広島県生まれ。広島大学卒業後、1970年に「週刊文春」の特派記者となる。記者時代に『小説電通』(三一書房 現在は徳間文庫)で作家としてデビュー。1983年に週刊文春から独立する。その後は政財界、経済、芸能、犯罪などの幅広いジャンルにおいて、自らの取材を元にした小説を執筆している。特に著名人の伝記執筆が多い。

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