吉田俊一『ホームレス暴行死事件 少年たちはなぜ殺してしまったのか』(新風舎文庫)


発行:2004.6.5



 二〇〇二年十一月二十五日夜十時前後、埼玉県熊谷市で一人の路上生活者が市内の中学二年生三人から暴行を受け、死亡した。非行歴もない「普通の少年たち」による残虐で常軌を逸した事件だった。
 少年たちはなぜ殺してしまったのか――。
 少年たちの家庭・学校教育の深淵を見つめ、今日の社会が抱える実状を鋭く描く。
 現役報道記者である著者が事件を生んだ時代背景にメスを入れ、真実を浮かび上がらせた衝撃のルポルタージュ。(粗筋紹介より引用)

「普通の子どもたちによる残虐な事件」
 事件発生当時、自分たちも含めマスコミはそう騒ぎ立てた。
 事件を起こしたのは確かにどこにでもいるような少年たちだった。
「普通の中学生たちがこんなに簡単に人を殺すものだろうか」「学校や親の前では素直で優しかったという少年たち。この暴力性や破壊性はどこから来るものなのか」
「少年たちの間で抑止する力は働かなかったのだろうか」
 いくつもの「なぜ」が頭をよぎった。
 いつもと同じように取材を進めるなかで、ある教育関係者が言った言葉が脳裏から離れなくなった。
「どうせまた、生徒たちの家庭環境や成育歴を調べて記事にするんでしょ」
 軽い気持ちで思わず出たのかもしれない。しかし、私には、安易に原因や結論を求めてはいけないという戒めの言葉に聞こえた。
 少年事件の原因を家庭環境や親の育て方に求める風潮が強い。確かに間違ってはいないと思う。でも、「何かが足りない」と感じていた。
 各地の少年事件を扱ったルポルタージュや裁判記録、親の手記などを読んだ時、漠然とした疑問を持った。
「親たちはどうすればよかったのだろう」「育ってしまった少年たちはどうすることもできないのか」
 いくら読んでも、展望が見えてこない。原因追及が不十分だからなのだろうか。
 今回の取材にあたっては、事件の背景にあるものをできる限り全て暴き出そう、と思った。家庭はもちろん、学校、地域、そして時代。
 何度も現場に行った。少年たちの家や学校、友人たちも訪ねた。事件直後には聞けなかったことも、時間がたつにつれ、話してくれる人も現れるようになった。
 事件を起こした少年たちの親は三者三様だった。当初は、自分たちの子育てが間違っていたとは考えていないようだった。子供への愛情もそれぞれなりに注いでいた。親たちの話に耳を傾けながら、問題はひとつの家庭だけにとどまらないと実感した。普段はなかなか見えにくい学校の内部事情や地域社会の問題にも焦点を当てたほか、少年たちの内面世界を描き出すために、非行を乗り越えた少年少女たちの取材を試みた。地域周辺で過去三十年間に起きた少年事件も洗い出した。
「少年たちはなぜ」という問いに対して、どこまで答えが出せたか分からないが、本書が各地で子どもたちと向き合おうとしている人たちの一助になれば幸いである。

(「まえがき」より引用)


【目 次】
まえがき
第一章 事件
第二章 少年たちの日常
第三章 家庭と学校の断絶と限界
第四章 地域の大人たちは
第五章 少年たちの内面世界
第六章 事件をふりかえって
あとがき


 事件そのものは粗筋を見ていただければわかるだろう。作者が何を考え、取材を続けていったかは「まえがき」を読んでいただければ分かる。では、ここからいったいどのような答えが導き出せたのか。しかしこれもまた作者がいうように、簡単に答えが出せるようなものではない。
 この事件ははっきり言って覚えていなかったが、多分またあったな、程度の意識しか当時はなかったと思う。少年たちによる事件は、ありふれたとまでいうつもりはないが、慣れてしまっていたのだと思う。ということは、過去の事件における検証、得られた教訓というものは役になっていなかったというのだろうか。
 事件の周辺にいる人たちの一部は、必死に答えを求めようとしているだろうが、必要なのは考えて、そしてそれを広く伝えることだと思う。そしてもう一つ、実際の加害者が反省する心の内を大声で伝えることだと思う。事件を一番知っているのは加害者である。そして、罪の意識を知り、罪を犯すことにより様々なものを失うことを広く伝えることが、一番の防止策ではないかと私は考える。しかし、少年が表に出ることは、今の世の中では許されない。例え本人が出ようとしても、「人権」という名の下に、全ては闇の中に葬り去られてしまうのだ。

 本作品は、事件を必死に追う姿に好感が持てる。しかし、結局は他の本と変わらないようにも思える。調べるだけ調べて、そして答えが出せないもどかしさを全面に出して終わるだけ。そう、いつのときでも「なぜ」に答えなどないのである。

 本書は、埼玉新聞に2003年3月17日から2004年1月28日まで、断続的に全55回連載された記事「少年たちはなぜ」を加筆・修正し、文庫化したものである。筆者は1962年生まれ。埼玉新聞の記者である。


<ブラウザの【戻る】ボタンで戻ってください>