松下竜一『松下竜一その仕事24 汝を子に迎えん』(河出書房新社)


発行:2000.10.10




 1985年12月6日付の朝日新聞朝刊に載った「母恋し……一転恨みに 幸せな家庭へ怒り噴出」という見出しの付けられた解説記事を笠井孝子は見た。
 前田陽一(24)は11月29日、姫路市で主婦山際好江(30)と長男(3)を刺身包丁で滅多刺しにして殺害、さらに12月3日には神戸市で主婦光岡睦子(34)を同様に殺害した。その6時間後、現場近くの派出所に返り血を浴びた服のまま自首。刑務所の方がずっといいと言った前田は、その夜ぐっすりと眠った。前田は3歳の時に母親が男と知り合って家を出、17歳で父親を事故で失った。その後母親のもとに引き取られたが、すぐに家出。以後、転々としながら窃盗などで刑務所を入ったり出たりの日々。事件は、幸せな母子に対する復讐であり、母親に捨てられた恨み、幸せな家庭への怒りが噴出した犯行であった。
 孝子は夫とともに牧師であった。宇部にいたころ、仁保事件を知り救援活動に携わる。さらに、牟礼事件の救援活動にもかかわった。前田夫婦は1976年に宝塚へ移るが、孝子は次々と獄中者に関わるようになる。
 孝子が前田陽一に初めて手紙を出したのは1986年6月14日のこと。「死刑にしてほしい」と嘯く陽一の深い心の傷と、事件の残虐さにたじろぎながらも、陽一のことをすべて受け止めようと、孝子は陽一を養子に迎える。
 心の傷がもたらす不安さに揺れる陽一に振り回されながらも、孝子は陽一を光の中へ導くとともに、彼の更生を信じて何とか死刑判決を免れようと動く。
 本書は、一審の死刑判決までを詳細に描き、エピローグでは二審判決後の上告中に発生した阪神大震災後の二人の手紙が載せられている。
 解説として山口泉「「贖罪」の功利性をめぐる、簡略な覚書」が、描き下ろしエッセイとして松下竜一「私を引き出した人」が、ゲストエッセイとして早瀬圭一「死刑制度のおろかさ」が載っている。

 1997年4月、河出書房新社より刊行。本巻は小説化、家人である松下竜一の全集である「松下竜一その仕事」の第二期14巻(本物のノンフィクション)の最後に刊行された。
 本文では名前が変わっているが、あとがきでは実名が出ている。向井伸二(旧姓前原)元死刑囚の養母となった向井武子を取り扱ったノンフィクションである。仮名を用いているのは、後記で「そうせざるをえないほどに、まだ日本の死刑制度をめぐる世情は暗く閉ざされている」とだけ書いている。確かに死刑囚の養母となったなどと周囲に知られれば、一部から非難の声が上がるだろうし、本文中にある通り長女に結婚の話が起きれば戸籍が問題になりかねない、ということもあるだろう。その点に関しては、責めるほうがおかしいと思うが、気にする人がいることも事実だろう。
 内容としては、見返りなど全く求めず、頑なだった陽一の心を少しずつ解きほぐそうとする牧師の姿を描いたものであり、松下自身が死刑制度そのものへ反対を訴えているわけではない。その導こうとする姿は崇高であると思うし、大変立派な行為であると思う。ただし、加害者である陽一には献身的に尽くすものの、被害者遺族へは赦しを強制する(私にはそうとしか読み取れない)その姿は傲慢であるともいえる。一人を救うためには、他人が犠牲になってもよい、そういう風に見えて仕方がないのだ。その矛盾点について松下は触れようとしていない。多分考えてもいないのだろう。
 この中でもよく出てくる言葉だが、「生きて償いたい」とはいったんなんなのか。加害者もそれを支援する人も、そして弁護士ですら簡単に口にする言葉だが、この言葉の意味へ明確な回答が出されたことはない。生きることによって、被害者やその遺族はどう償われるのだろうか。加害者に弔われたって、被害者や遺族には何も届かない。加害者が生きていたからって、被害者遺族への一生の責任を負うことなど到底できるわけでもない。本文中でも「どんな償いといわれても……ぼくは二人の命を返してほしいだけですから……」と被害者の遺族が言葉を返している。盗んだものなら返せば償えるかもしれない。しかし、人の命を奪ったら返すことはできないし、償うことなど簡単にできるはずがないのだ。そんな単純なこともわからず、「生きて償う」などと簡単に口に出す人たちが、私には信じられない。

 この本を読んで、苛立ちを覚えてしまうのは私だけだろうか。犯罪加害者の心を救おうという姿が悪いとは思わない。しかし、そこに被害者遺族への押し付けがあってはいけない。その点を無視している人が多いことも事実だと思う。


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