佐木隆三『闇の中の光』(徳間書店)


発行:1993.9.30




 1981年7月16日深夜、島根県邑智郡石見町(現邑南町)のドライブイン兼自宅から、経営者夫婦の娘(当時6歳)がいなくなった。近隣住民の捜索により、翌日午前9時55分頃、付近の梅林で娘の遺体が発見された。何者かによっていたずらされたうえ絞殺されていた。現場に残されていた靴跡から、ドライブインの常連だった塗装工見習いの男性(当時38)が同日午前11時頃に任意同行を受けた。男性は当初、酔っていて記憶がないと供述していたが、その後犯行を自供したため、翌日午前2時に殺人罪で緊急逮捕された。男性は16日にドライブインで酒を飲み、午後11時30分に店を出て、17日午前2時頃、隣の農協ガソリンスタンド内で横になっているところを捜索中の被害者の母親らに見られていた。そして17日午前に帰宅後、住民とともに女児の捜索に当たっていた。
 男性は強姦致傷、殺人罪で起訴された。しかし9月29日から始まった裁判では、大量の飲酒で記憶がないと主張し、無実を主張した。物証に乏しく、現場には足跡こそあったものの男性の指紋も精液も検出されなかった。精神鑑定の結果で、男性は当時急性アルコール中毒による記憶欠損状態であったとされた。
 1990年3月15日、松江地裁は男性の自白について変遷が多いことから捜査員の誘導が疑われ、かつ証拠と矛盾があることから信用性を否定。現場の足跡についても決定的な証拠でないとし、無罪を言い渡した。検察側は控訴せず、そのまま確定した。

【目次】
 第一章 長いトンネルの入口
 第二章 麻生弁護人の賭け
 第三章 早期結審への動き
 第四章 かすかに見える光
 第五章 泥まみれの人形
 第六章 いざ、記憶の闇へ
 第七章 「ブラックアウト」
 第八章 鑑定を巡る攻防
 第九章 証言台の検察官
 第十章 どのような"自白"か
 第十一章 「被告人は無罪」
 巻末対談
 島根県邑智郡の「幼女強姦殺人事件」関係年表

 本書は、1981年に島根県で発生した石見町幼女殺害事件の事件発生から無罪判決が確定するまでを詳細に記したノンフィクション・ノベルである。『週刊時事』1992年3月31日号〜1993年6月12日号まで59回に渡って連載され、単行本時に大幅に加筆削除を行い、徳間書店より1993年9月、単行本で発売された。
 佐木は全国の地方紙に、裁判官を主人公にした『正義の剣』(講談社文庫)という作品を連載している時、「松江の裁判を取り上げたらどうですか」と言われ、1989年に取材を始め、この事件を題材にしたシリーズ短編「藪のなか」を執筆した。一審判決終了後、連載を始めている。
 そのほとんどが裁判記録とそれに纏わる人々の動きを記したものとなっている。
 第一章で、1981年9月21日に開かれた松江地裁の初公判において川田芳広被告が否認し、国選弁護人である麻生和良が予想もしない展開に頭を抱えている姿が描かれている。警察が発表したであろう事件の概要を見る限りでは、彼が犯人であっても何らおかしくはない。やる気のない弁護士だったら、せいぜい飲酒の影響による情状酌量を求める程度だっただろう。麻生も事実、最初は情状面を訴えるしかなかったといっている。それにしても麻生はよく付き合ったものだ。後に私選弁護人となり、他に4人の弁護人が着くようになった。裁判の弁護など金にもならないのに、よくぞ付き合った、真実と向かい合おうとしたと言えるであろう。そういう意味で本書は、弁護人の苦闘の記録と言ってよい。
 それにしてもこの事件では、地元で「公正な裁判を受けさせる会」が結成され、地元で支援運動が盛り上がったというのも無罪への大きな要因の一つだったと思われる。何事も日頃の行いが大事だということだろうか。
 一審判決が出たのは1990年3月15日。初公判から8年半かかっているのである。川田の無罪確定後、「弁護人費用の補償」として裁判所から全額認められたのは、わずか91万5000円である。勾留日数が3163日に及んだ川田には、刑事補償額2973万2200円が支払われたが、そのうち1000万円を川田は弁護団への謝礼として渡したという。検察と戦った8年半に対する報酬として、あなたはどう思うだろうか。

 巻末対談は佐木と、麻生和良の実名である吾郷計宜によるものである。裁判における苦労話はもちろんだが、裁判そのものの裏話も聞けて非常に興味深いものとなっている。

 「公正な裁判を受けさせる会」は、1980年4月28日に邑智郡で発生した保険金殺害事件の主犯Tが犯人であると名指しで裁判長に直訴状を送っている。裁判では、当時の取り調べをした検事がTにアリバイがあったと証言しているが、同時に裏付け捜査を行っていないとも証言している。またTは、1980年7月14日に幼女の父親方へ侵入して現金等を盗んでいたとも証言している。
 保険金殺害事件でTは1983年3月22日、松江地裁で死刑判決。1985年9月30日に広島高裁松江支部で無期懲役に減刑され、そのまま確定している。


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