悪女<ワル>――同じ看護学校を出た看護婦仲間。一見、平凡な中年女性たちは、身近な人々を次々に脅し、騙し、そして医療知識を駆使した殺人にまで手を染めていた。何が、女たちをかくも冷酷な犯罪へと走らせたのか。事件の背後には、四人組の特殊な人間関係、なかでも他の三人から「吉田様」と呼ばれ、女王然と振舞う吉田和子の特異な個性があった。戦慄の犯罪ドキュメンタリー。(粗筋紹介より引用)
2004年11月、新潮社より刊行。2007年6月、文庫化。
【目次】
第一章 四人組の結成
第二章 結婚生活
第三章 詐欺事件
第四章 最初の殺人
第五章 レズビアン
第六章 狂気の連鎖
第七章 決裂
第八章 塀のなかの指令
福岡県で起きた看護師4人組による連続保険金殺人事件のノンフィクション。事件は以下のような経緯をたどっている。
福岡県久留米市に住む同じ看護学校出身である元看護師Y、治験コーディネーターT、看護師IK、元看護師IHは共謀して、以下の事件を起こした。
5の件で脅されたIHはパニックになり2001年8月5日、伯父とともに久留米署へ駈け込んだ。IHは夫殺害を自供。福岡県警はIHを保護しつつ、Yの周辺を慎重に捜査。2002年4月17日、福岡県警はYとTを1の容疑で、IKを5の容疑で逮捕した。IHは4月13日に自殺未遂を起こしたため、21日に4の罪で逮捕されている。
Yは2004年9月24日、福岡地裁で一審死刑判決。2006年9月14日、福岡高裁で控訴棄却。2010年3月18日、被告側上告棄却、確定。その後、再審請求。
Tは2004年8月2日、福岡地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2006年5月16日、検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
IKは死刑を求刑され、2004年3月8日に結審、判決は8月5日の予定だった。しかし体調が悪化したため、福岡地裁は8月3日、公判手続停止を決定。9月1日、卵巣癌で死去。43歳没。
IHは求刑無期懲役に対し2004年8月9日、福岡地裁で一審懲役17年判決。2006年5月16日、検察・被告側控訴棄却。上告せず確定。
吉田純子には、人間の弱みを瞬時に嗅ぎわける才能がある。いったん相手の弱みを発見すると、そこを徹底的に責める。そうすれば誰しも脆い。これまでの人生でそれを実感してきた。(文庫版281頁より)
巻末直前で出てくるこの言葉がこの事件を如実に表していると言えよう。金と土地に異常なまで執着を見せる吉田純子はどのような女のか。共犯の3名はなぜ吉田純子に易々と従うようになったのか。本書はこの事件と吉田純子の虚像に迫った一冊である。
吉田純子の吐く嘘は、こうして言葉として見てしまうと誰もがなぜこんな嘘を信じてしまうのだろうと思うほどの内容である。しかし、吉田純子は人の弱みを掴むことには非常に長けている。弱みを突いて相手を絡め取り、思うがままにあやつる姿は、マインドコントロールと同じものである。これもまた、才能の一つなのだろう。
本書は取材を重ね、四人の看護師がなぜ殺人事件まで起こしてしまうかを丁寧に追っている。新聞記事だけではわからない人の奥底が表に抉り出されるのが、ノンフィクションならではの醍醐味だろう。
それにしても、看護師の知識があればこうも簡単に警察をだませてしまうというのは問題だろう。もしIHが警察に駆け込まなかったら、事件の発覚はもっと遅かった。そのとき、誰が犠牲者のラインナップに加わっていたのだろうか。
単行本は一審判決が出るまで、文庫版ではあとがきで控訴審判決について触れられている。その後、吉田純子は死刑判決が確定し、これを書いている2014年現在は再審請求中である。死刑が確定してから、既に4年が過ぎた。いったい彼女は何を思っているのか。何を根拠に再審請求しているのか。未だに生きている彼女を、共犯だったTとIHはどう見ているのだろうか。できれば作者には増補版を書いてほしいところである。
作者の森功は1961年、福岡県生まれ。伊勢新聞社、テーミス社などを経て、1992年に新潮社へ入社。2003年『週刊新潮』次長からフリーランスのノンフィクション作家に転進した。
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