横川和夫『仮面の家 先生夫婦はなぜ息子を殺したのか』(共同通信社)


発行:1993.7.30



 92年6月、浦和の高校教師とその妻が、家庭内暴力の長男を刺殺した。長男はなぜ高校・大学を中退し、家庭内暴力をふるうようになったのか。父、母はなぜ息子を殺さねばならなかったのか。立派な教師、理想的な親という幻想にふり回され、共感と自信を喪失した現代の家庭の悲劇を克明にたどる追跡ルポ。(「BOOK」データベースより引用)
 全国43紙に3、4月の2か月にわたって連載されたものに大幅加筆し、再構成したもの。1993年7月、単行本刊行。

【目 次】
 第1章 自立できない長男
 第2章 貧しさの中で
 第3章 自立への途上で
 第4章 家族病理という視点から
 第5章 ある夫婦の軌跡


 1992年6月4日、埼玉県浦和市の高校教師の夫(54)と妻(49)が、息子(23)の家庭内暴力に困り果てた上、自室で寝ていた息子を出刃包丁などで約10回刺すなどして殺害した。息子は4日午前8時前、アルバイト先から帰宅。ビールを飲んで暴れ出したため、妻が近くの実家に避難。電話で高校にいた夫を呼び出した。二人は連れたって帰宅したが、家庭が滅茶苦茶になると、夫が息子を刺し、妻が抵抗する息子の頭をモデルガンで殴った。
 二人はその後、自宅から110番通報。駆けつけた浦和署員が現行犯で逮捕した。
 息子は県立高校を中退した後、大学入学資格検定に合格して都内の私立大学に進んだが、中退。その後、アルバイトをしていたが、女性との交際がうまくいかないことから1991年の夏頃から酒を飲むと暴れ出すようになった。夫と妻は粗暴な言動に戸惑いながら、自立させようとしたが、家庭内暴力はひどくなるばかりで「万策尽きた」と殺害を決意したものだった。
 父親はまじめな高校教師で信望も厚く、教え子を中心に85000通近くの減刑嘆願書が浦和地裁に提出された。
 1993年3月4日、浦和地裁は「長男の甘えが事件の第一の要因だった」と弁護側主張を全面的に認め、夫に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役7年)、妻に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役6年)の有罪判決を言い渡した。事件後、すぐに自首しており、社会的制裁も受けていることや、残された二人の子供への責務が残っていることを指摘し、「もはや実刑をもって臨むことを考慮する余地はなく、社会生活の中で長男のめい福を祈りつつ余生を誠実に歩むことが最良」と、弁護側の主張を全面的に認めた。
 量刑不当と検察側は控訴した。1994年2月2日、東京高裁は夫の一審判決を破棄、懲役4年の実刑判決を言い渡した。妻については検察側の控訴を棄却した。判決で裁判長は「長男の精神的な症状は、一審判決の言うように回復不可能な状態ではなく、治ったり軽くなる可能性が十分あった。親としてもっと忍耐強く、対話・交流を試みるべきだった」と指摘した。また「長男の家庭内暴力に対し、尽くすべき手立ては残されており、殺すまでのことはなかった。また、犯行の責任の大半は夫が負うべきだ」と述べた。
 検察側、被告側は上告せず、確定した。

 本作品は、1992年6月4日に発生した、浦和市の高校教諭による息子殺人事件を題材としたルポルタージュ。一審判決後に出版されている。タイトルにあるとおり、「先生夫婦はなぜ息子を殺したのか」を追いかけている。
 東大卒ながらも、いつまでも生徒と接したいとあえて平教師のままだった父親。良妻賢母を地でいくような母親。そして父親と読み方が違う同じ名前をつけられた長男。長男は両親の期待に応え進学校に進むも、成績はどんどん下がり、やがて中退。一念発起して大検、大学に合格するも、遊びに明け暮れて2年で中退。酒びたりとなって遊び回り、目指していた音楽の道もうまくいかず、さらには不能であったことから結局恋人と別れ、家庭内暴力に明け暮れるようになる。

 親と子の確執、子供による家庭内暴力など、有り触れた話かもしれない。しかし当事者にとっては深刻な悩みであり、簡単に解決することが出来ない問題である。いったいどこに問題があったのか。本書では、殺人に手を染める結果となった父親の生い立ちから追いかけている。両親の愛情を受けて育ったはずの長男。同じ名前をつけられたことによる期待が重すぎたのだろうか。それとも挫折に耐えられなかったのだろうか。しかし、答えは出てこない。学識経験者によるいろいろな意見が載せられているが、どれが正しい答えなのか、確認することが出来ない。
 結局答えを出すのは、私たちでしかない。しかし裁判では、答えを出さざるを得ない。一審では長男に第一の原因があったとして、両親に執行猶予の判決が出される。本書の第1部で語られているとおりにだ。もっともこの本が出版された後の控訴審では、もっと対話・交流を試みるべきだったとして、父親に実刑判決を言い渡している。なんでも一審判決が出るまでは両親に同情的なコメントが多かったのに、執行猶予判決が出されると今度は批判的なコメントが増えていったとのことだ。世間が流されやすいのか、マスコミがあおりたいだけなのか、それはわからない。

 本ルポルタージュは、冒頭に一審の結果が出される。第1章は事件が起きるまでがダイジェストで書かれる。ある医師の言葉が重い。「患者さんとお父さんの名前が、たとえ字が違っていたにせよ、同じ呼び名である。これも息子さんにたいする思いが強く、子どもにとっては、大きな重荷、つまり不安となる要因になるのです(以下略)」。第2章は、主に父親の過去について。第3章は事件が起きるまでを、主に長男がどういう人物だったかを中心に書かれる。
 ここまではわかるのだが……。第4章は第3章までを読んだ東京都精神医学総合研究所社会病理研究室の斎藤学による分析結果が書かれる。著者は家族病理という新しい視点から、斎藤にアドバイスと分析をしてもらっていた。そして第5章は息子が高校時代に登校拒否や家庭内暴力をひき起こしたうえ、精神分裂病の疑いという診断を受けて一家がパニックになったという別の夫婦について書かれる。
 つまり本書は、浦和市の高校教諭による息子殺人事件から、親と子供がどう付き合うべきかという話にまで発展しているのである。そこに書かれている内容の是非については判断しない。しかし、本事件のルポを読みたいという人にとっては、より深い思索を得る結果となったか、余計なことまで書かれたかと思うか、判断が分かれるところだろう。
 いずれにせよ、これを読んで親と子についてどう思うか、それは私たちである。

 作者の横川和夫は1937年生まれのジャーナリスト。1960年、共同通信入社。1985年、論説兼編集委員に。編著、共著に『かげろうの家』、『ぼくたちやってない』、『少女期・夢を抱きしめて』などの著書がある。

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