死刑確定囚(2001年)



※2001年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
瀬川光三
事件当時年齢
 44歳
犯行日時
 1991年5月7日
罪 状
 詐欺、窃盗、昏睡盗、住居侵入、強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反
事件名
 富山社長夫婦殺人事件
事件概要
 歯科医院事務長瀬川光三被告はアルバイトの金融業の行き詰まりで約1000万円の借金を抱え、穴埋めに勤務先の歯科医院長に無断で振り出した約束手形2通(額面各300万円)の処理に追われていた。暴力団幹部O被告(当時40)は消費者金融などに約1000万円の借金があった。瀬川被告が、馬主でもあった富山市人材派遣会社社長宅に馬の売却代金があるのを聞き込み、暴力団組長を通じて知り合ったO被告に犯行を持ちかけた。
 1991年5月7日午前4時ごろ、両被告は富山市に住む人材派遣会社社長(当時54)方に侵入し、瀬川被告がO被告の用意した短銃を使って、社長と妻(当時37)の二人を射殺し、現金約1200万円が入ったバッグを奪った。
 両被告は共謀し1990年8月8日、富山市内の不動産業者の車の中から現金1000万円を盗んだり、1991年4月、金沢市内のアパートで女性に睡眠薬を飲ませて眠らせ、キーホルダーを盗んで複製、悪用した。
 瀬川被告は詐欺の疑いで逮捕され、その後7月29日に強盗殺人で再逮捕された。
 他に詐欺3件。
一 審
 1993年7月15日 富山地裁 下山保男裁判長 死刑判決
控訴審
 1997年3月11日 名古屋高裁金沢支部 高木実裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2001年1月30日 最高裁第三小法廷 元原利文裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 検察側は、「短絡的、自己中心的で矯正の余地はない」と死刑を求刑した。
 一審で下山裁判長は「自己中心的に窃盗、強盗を繰り返した末の強盗殺人で社会に衝撃を与えた」とした。またO被告に対しては検察側が主張する共謀共同正犯を認めた。

 弁護側が量刑不当で控訴。控訴審で瀬川被告の弁護側は「両被告人の犯情や情状には差がないにもかかわらず、量刑には天と地の差がある」と控訴趣意書を陳述し、死刑を宣告した一審判決を批判した。
 瀬川被告は犯行を認めたうえで「死刑廃止の観点からも減刑を」と情状酌量を訴えた。
 控訴審で高木裁判長は、瀬川被告の量刑不当の主張について、「原判決に事実誤認はない。犯行の残虐性、結果の重大性をかんがみれば、極刑の選択はやむを得ない」と判断した。

 被告側は、量刑不当を訴えて上告した。
 元原利文裁判長は「計画的で強固な殺意に基づき、無防備な人を急襲、惨殺した犯行。主導的立場だった被告の責任は誠に重く、死刑はやむを得ない」とした。
備 考
 O被告は従犯を主張したが、求刑通り無期懲役判決。上告を取り下げて確定。
 富山地裁管内で死刑判決が言い渡され、確定したのは同地裁判決が1960年6月にあった強盗殺人事件の今村一郎被告、1988年2月にあった富山・長野連続誘拐殺人事件の宮崎知子被告に続いて三人目となる。
執 行
 2007年8月23日 60歳没
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氏 名
岩本義雄
事件当時年齢
 51歳
犯行日時
 1996年6月10日/1999年7月8日
罪 状
 強盗殺人、住居侵入
事件名
 東京連続強盗殺人事件
事件概要
 1996年6月10日、岩本義雄被告はパチンコで負けて所持金がなくなったため、強盗を計画。午後7時40分頃、豊島区のマンションエレベーター内で、帰宅途中の損害保険代理店役員の女性(当時40)から現金を奪おうと果物ナイフで胸や首を刺して殺害したが、突然エレベーターの扉が開いたため、何も取らずに逃走した。
 1999年7月8日午後9時頃、台東区に住む遠縁のメッキ会社社長(当時92)宅に侵入。室内で待ち伏せし、帰宅した社長の胸や首をナイフで数回刺し失血死させたうえ、背広の内ポケットから現金約24万円入りの財布を奪った。岩本被告は社長の妻(当時82)からそれまでに500万円以上を借りていたが、パチンコなどにつぎ込んで使い果たしていた。
 名古屋市で遊んでいたが、所持金がなくなったため、7月30日午前、千葉県船橋市の知人宅に立ち寄ろうとしたところを捜査員に見つかり、逮捕された。その後指紋が一致したため、女性殺人事件で8月26日に再逮捕された。
一 審
 2001年2月1日 東京地裁 木村烈裁判長 死刑判決
控訴審
 弁護側控訴するも、2月5日に本人控訴取り下げ。検察側控訴せず、確定。
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 岩本被告は公判で起訴事実を認め、「極刑で大罪の償いをさせてほしい」などと死刑判決を求めていた。
 一審で木村裁判長は「若いころから金を寸借しながらギャンブルに明け暮れる生活を送り続けた金銭感覚のまひは深刻で、わずかな金のために強盗殺人を2件実行したことは、もはや人間性を喪失している」と述べ、「遅まきながら被告なりに反省していることなど酌むべき事情を考慮しても、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。
執 行
 2007年8月23日 63歳没
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氏 名
上田大
事件当時年齢
 23歳
犯行日時
 1993年2月16日/3月3日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄、強盗致傷、窃盗
事件名
 愛知連続殺人死体遺棄事件
事件概要
 スナック従業員上田大(まさる 23)被告は当時交際していたフィリピン人女性に送金するため、1993年2月16日、元同僚の大工の男性(当時26)を、木曽川町にある男性の自宅近くで金属バットで殴って殺害。現金4,000円を奪い、19日に遺体を木曽川に捨てた。
 大工からわずかな現金しか奪えなかったことから、同年3月3日に、当時住んでいた借家近くの一宮市内の駐車場で、屋台ラーメン店主の男性(当時58)から売上金を奪おうとしたが、顔を見られたため、持参した金属バットで店主を殴り、売上金約135,000円を奪った上、木曽川に投げ入れ殺害した。4月15日に同僚殺人の容疑で逮捕、5月1日にラーメン店主殺人も自供した。
 他に3月25日、駐車場に止めてあった乗用車から給油ポンプでガソリンを盗もうとしていたところ、出勤のため車を取りに来た所有者の会社員(当時51)に見つかった。このため、会社員を殴って、あごの骨を折る2カ月の大けがをさせた。
 他に窃盗5件。
一 審
 1994年5月25日 名古屋地裁 伊藤邦晴裁判長 死刑判決
控訴審
 1996年7月2日 名古屋高裁 松本光雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2001年9月20日 最高裁第一小法廷 藤井正雄裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 名古屋拘置所
裁判焦点
 上田被告は公判で起訴事実をほぼ認めていた。
 弁護側は「上田被告には確定的な殺害計画はなかった」と主張していたが、名古屋地裁判決は「犯行は熟慮の上、計画的に行われており、最も悪質」と指摘。動機についても「身勝手で同情の余地はない」と述べ、「捜査、公判を通じ一貫して事実を認め、犯行を悔悟するなど、被告に有利な事情を最大限に考慮しても、まれにみる非道、重大な事件で、極刑をもって臨むほかない」と断じた。

 被告・弁護側は▽死刑は違憲▽一審は犯行の計画性の認定に事実誤認がある−−などと主張し、「死刑は重すぎる」として控訴した。
 控訴審で弁護側は「被告は犯行当時、結婚相手のフィリピン人女性から送金を催促されたため心神耗弱状態で、十分な責任能力がなかった」などと情状酌量を求めた。
 松本裁判長は判決理由で、「一審判決の事実認定に誤りはない。犯行は身勝手で短絡的。被告人にためらいがなかったわけではないが、犯行の態様は悪質で情状酌量の余地はない」と述べた。さらに、弁護側が主張した「死刑の違憲性」については「最高裁の判例通りで憲法違反ではない」とした。

 最高裁で弁護側は「被告は一審段階で、十分な弁護が受けられず弁護権が侵害された状態となっていた。極刑で臨むことは著しく正義に反する」と主張。さらに「犯行に計画性はなく、うち一人については殺意もなかった。無期懲役が相当」と死刑を回避するよう求めた。
 これに対し、藤井裁判長は「事実誤認や量刑不当の主張で、適法な上告理由に当たらない」と退けた。そして「何ら落ち度のない被害者2人の生命を奪ったもので、結果は極めて重大。態様も冷酷非道で、死刑もやむを得ない」と述べた。
その後
 2003年2月28日午前2時ごろ、上田死刑確定囚が問いかけに反応しないことに、巡回中の職員が気付いた。職員が救命措置をしたが、同25分ごろ、死亡を確認した。33歳没。
 上田死刑確定囚は27日朝から、「調子が悪い」などとめまいや頭痛などの症状を訴えたため、医師の診察を受けており、朝食と昼食もほとんど食べなかった。夜には食事をとったので、問題ないと判断したという。
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氏 名
関光彦
事件当時年齢
 19歳
犯行日時
 1992年3月5日
罪 状
 傷害、強姦、強姦致傷、強盗殺人、殺人、強盗強姦、恐喝、窃盗
事件名
 市川一家四人殺害事件
事件概要
 店員関光彦(てるひこ)被告は、知り合いのホステスを自室に泊まらせたことを暴力団員に脅され、200万円を要求されたため、強盗を決意。2月中旬、市川市内でたまたま通りかかった会社経営者の男性(当時42)の長女(当時15)を暴行し、奪っていた身分証明書から経営者一家の住所を知っており、押し入ることにした。
 1992年3月5日16時半頃に押し入り、寝ていた母親(当時83)から現金8万円を奪ったうえ、首をビニール製コードで絞めて殺した。長女が帰宅したところで監禁。長女の目の前で、19時ごろ帰宅した妻(当時36)の背中を包丁で刺して殺した。同21時半すぎ、帰宅した男性から預金通帳などを奪ったうえで刺し殺し、翌6日6時半すぎには泣き出した次女(当時4)を刺殺。長女にも切りつけて背中などに約2週間のけがを負わせた。
 関被告は奪った数十万円に満足せず、午前1時ごろ、監禁していた長女に、男性の会社に「金が必要だから通帳を取りに行く」と電話させたうえ、市川市内の会社に連れだし貯金通帳や印鑑などを会社に残っていた知人から受け取らせていたこともわかった。その際、長女は知人に「雑誌で記事をかいたことで脅されている」と説明。助けは特にもとめなかったという。不審に思った知人は派出所に連絡、午前1時半前後に署員が役員宅に出向いたがその時は電気が消えており、応答もなかったため不在と思って引き揚げた。
 午前9時過ぎ、男性の知人から「社長宅の様子がおかしい」と近くの派出所に届け出があり、署員が現場に駆けつけた。玄関のかぎがかかっていたため、隣室のベランダをつたって窓から入ったところ、4人が別の部屋で死んでおり、部屋の中で関被告と長女が呆然と立ちつくしているのを発見し、関被告を連行。深夜、逮捕状を請求、逮捕した。
 長女は関被告に脅されただけであり、事件とは無関係である。
 関被告はほかに、行きずりの女性を強姦したり、路上ですれ違った車の運転手に傷害を与えたりするなど、1991年10月から一家殺害直後に逮捕されるまでの約5カ月間に計14の犯罪を繰り返した。
一 審
 1994年8月8日 千葉地裁 神作良二裁判長 死刑判決
控訴審
 1996年7月2日 東京高裁 神田忠治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2001年12月3日 最高裁第二小法廷 亀山継夫裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 検察側は論告求刑で、「強盗殺人事件の中でも特に悪質。真摯に反省しているとは到底認められない」として死刑を求刑した。
 弁護側は最終弁論で、(1)死刑廃止は世界的な潮流であり、死刑の適用は避けるべき。(2)少年法は18歳未満の被告に対しては、死刑が相当の事案でも無期懲役とすることを定めている。被告は当時19歳1カ月で、少年の矯正を目的とする法の精神を考えると、量刑は重い。(3)父親の虐待による心的外傷や、少年の胎児期に母親が流産予防薬を大量に使用したため、攻撃的な性格が強まり、行動を抑制する能力が減退していたとの精神鑑定結果が出ている。と訴え、無期懲役が相当と主張した。
 神作良二裁判長は、判決の中で死刑の運用基準を示した「永山事件」の最高裁判決(1983年7月)を引用。その基準である殺害手段の残虐性、被害者の数、被害者の感情、社会的影響−−などに照らし合わせても、告の犯行は「たぐいまれな凶悪事犯」と断定した。また、事件時少年であった点については、「身体的に十分発育を遂げ、知能も中位で、酒・たばこを常用するなど生活習慣は成人と変わりない」とした。
 死刑判決について、神作裁判長は「少年への極刑の適用はとりわけ慎重になされるべきだが、被害者の数、遺族の被害感情や社会的影響などを考えると、被告の刑事責任は誠に重大。極刑をもって臨むしかない」と述べた。ただし、被害者4人全員について強盗殺人罪が成立するとの検察側主張については、3人に関して同罪の成立を認めたが、当時4歳の二女殺害については単純殺人罪を適用、弁護側主張の一部を認めた。
 殺意については、弁護側が訴えた「未必の故意もしくは不確定」との主張を退け、いずれも確定的殺意があったと認定。被告の刑事責任能力については、「精神病質は認められるが、刑事責任能力に影響をきたす根拠にはならない」とした。被告の情状について「冷酷で人間性も見られず、自己中心的で短絡的。悔恨の情も見られない」と厳しく論じた。
 また国内外での死刑廃止論の高まりを追認しながらも、「死刑制度が存置している現法制下で、死刑は極めて抑制的に行われており、生命は尊いものであるからこそ、自己の命で償わなければならないケースもある」とした。少年事件に対する死刑についても「異なることではない」と述べた。
 最後に神作裁判長は、「極めて残忍な犯行で、遺族も極刑を望んでいる。社会的影響は甚大で、被告の反社会性は顕著」「生命は尊いものであり、自己の命で償わなければならない」としたうえで死刑を宣告した。

 弁護側は、一審で提出した「被告の母親は、被告を懐妊中に流産予防のための黄体ホルモンを多量に摂取し、そのため被告は攻撃性が強い性格になった」とする精神鑑定書に、アメリカの心理学者の論文を添えて補強した。「犯行時には自分を抑えられない心神耗弱の状態だった」と主張、刑事責任能力を肯定した一審判決を「事実誤認」と訴えた。
 さらに、被告が犯行時に19歳1ヶ月だったことから、「無計画な犯行は未成熟さを示しており、少年の矯正を目的とする少年法の精神が生かされるべきだ」として、死刑を減刑し懲役刑にするよう求めていた。
 判決は、黄体ホルモンの影響による「心神耗弱」の主張について、「黄体ホルモンの学者の研究は、あくまで性格的な傾向を見るにとどまり、攻撃性の異常な増加を示してはいない。被告は強盗殺人の犯行時も、状況に対応した冷静な行動を取っており、行動制御能力の減退はなかった」として退けた。
 さらに、被告が犯行時少年だったことには、「今後の矯正教育により改善の可能性があることは否定出来ない」としながらも、「死刑が究極の刑罰であることに思いを致しても、犯した罪の重大性にかんがみると、死刑はやむを得ない」との判断を示した。
 神田裁判長は「犯行は卑劣、残虐で、冷酷さと非情さが認められる。少年時の犯行であることなどを考慮しても、被告を死刑にすることは誠にやむをえない」と述べ、控訴を棄却した。

 上告理由で弁護側は、十八歳未満には死刑を適用しない少年法の規定に触れ「被告は犯行時に19歳1ヶ月で、1年1ヶ月の経過が生死を分けるほど大きな意味を持つ年齢差とはならない。改善の可能性も高い」と主張。
 さらに「幼児期に父親から虐待を受けた影響などで、行為を制御する能力が著しく劣った心神耗弱の状態だった」と死刑を回避するよう求めていた。
 亀山裁判長は「暴力団関係者から要求された金銭を工面するための犯行で、動機に酌量の余地はなく4人の生命を奪った結果は極めて重大」と指摘。「犯行時、被告が少年だったことなどの事情を考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
その他
 事件当時、「週刊新潮」と「フォーカス」は、関被告を実名報道した。「少年法に対する問題提起」という理由だったが、東京弁護士会は「人権を損なう行為」であると、要望書を新潮社に郵送した。
 一審で神作裁判長は「国際的にみると、それぞれの国の歴史的、政治的、文化的その他の諸事情から現在死刑制度を採用していない国が多く、わが国においても一部に根強い死刑反対論がある」と述べ、死刑事件では初めて死刑制度をめぐる国内外の議論に言及した。
 少年被告の死刑確定は、統計を取った1966年以降、9人目。
その後
 再審請求中。
執 行
 2017年12月19日 44歳没  第三次再審請求中の執行。法務省は2007年12月から、執行された死刑囚の氏名や執行場所を公表するようになったが、元少年である関死刑囚について、実名で執行を発表した。
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氏 名
萬谷義幸
事件当時年齢
 48歳
犯行日時
 1988年1月15日
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗傷人、強盗予備
事件名
 地下鉄短大生殺人事件
事件概要
 無職萬谷義幸(まんたに・よしゆき)被告は1988年1月15日午後10時半頃、大阪市にある地下鉄の駅の階段で通行人から金を奪おうと待ちかまえていたところ、女子短大生(当時19)が近づいてきた。包丁を突きつけて「騒ぐな」と脅したが「助けて」と大声を上げたので、左右の胸を数回突き刺して殺した。悲鳴で駆け付けて来た通行人の足音を聞いて、何も取らずに逃げている。
 他にも、1987年8月16日、大阪市のマンションのエレベーターホールで女性(当時19)の背中を果物ナイフで突き刺し25日間のけがを負わせて、逃走した。同年9月17日、別のマンションの廊下で女性(当時18)の頭を金属パイプで殴り10日間のけがをさせたうえ、現金600円入りのセカンドバッグを奪った。
 1月31日、逮捕された。短大生とは面識がなかった。殺害後も、ナイフを持って彷徨いていた。
 萬谷被告は1968年頃、若い売春婦から病気をうつされたことがあり、若い女性に恨みを抱き続けていた。
一 審
 1991年2月7日 大阪地裁 米田俊昭裁判長 死刑判決
控訴審
 1997年4月10日 大阪高裁 内匠和彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2001年12月6日 最高裁第一小法廷 深澤武久裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 一審公判で萬谷被告は殺害などの事実は認めたが、「若い女性が憎いから襲っただけで、強盗目的ではない」と主張。同地裁が行った異例の性格・心理鑑定でも「親類の幼女を極端に理想化、思春期の不幸な性的体験もあり、他の女性に敵意を抱き犯行に至った」と結果が出ていた。
 判決理由で、大阪地裁米田裁判長は(1)被告は仮釈放後働かず、金に困っていた(2)実際にバッグを奪うなどしている(3)捜査段階の「強盗目的で殺した」との自白は一貫性があり、信用できる――と4件のうち3件を強盗目的と認めた。そして「通り魔的な犯行で社会に不安を与え極刑で臨まざるを得ない」とした。

 控訴審公判では、萬谷被告は一審同様、殺害などの事実は認めたが、「若い女性が憎いから襲った」と強盗目的を否認、殺害の動機をめぐって争われた。
 内匠裁判長は「若い女性に憎しみを募らせるという人格障害が認められるが、責任能力はあった」と判断したうえで、「被告は仮釈放中で金に困っており、実際にバッグを奪っていることなどから強盗目的が認められる」と認定。「人格の改善は困難」と一審判決を支持した。

 最高裁で弁護側は「被告は人格障害で、若い女性への攻撃衝動を抑えきれずに起こした発作的な犯行。強盗目的や殺意はなく、無期懲役が相当」などと死刑を回避するよう求めていた。
 深沢武久裁判長は「被告は別の強盗殺人で服役しながら、仮出所後に短期間で再び同様の犯行に及んでおり、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
特記事項
 1968年9月19日、大阪市のビル4階で金を奪おうとして24歳の女性を刺殺。強盗殺人容疑で逮捕された。1970年3月に最高裁で無期懲役が確定し、1987年4月30日に大阪刑務所を仮出所していた。
その他
 1996年9月25日、大阪弁護士会は萬谷義幸被告と、死刑廃止運動を進める団体のメンバーとの手紙のやり取りや面会を認めない大阪拘置所に対し、人権侵害だとする警告書を送った。
 萬谷被告は、刑事被告人であると同時に、無期懲役刑の受刑者でもあったため、大阪拘置所は「受刑者には原則として親族以外との通信や面会を認めない」という監獄法の規定を適用。死刑廃止運動団体と連絡を取りたいという萬谷被告の要請を不許可にしていた。
その後
 2004年9月頃、第一次再審請求(本人申請)。2004年10月28日、請求棄却。
 2006年9月20日、第二次再審請求(本人申請)。2008年7月24日、最高裁で請求棄却。
 いずれも強盗目的を否認しての請求。
執 行
 2008年9月11日 68歳没
 第三次再審請求準備中だった。
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