死刑確定囚(2016年)



※2016年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
高見素直
事件当時年齢
 41歳
犯行日時
 2009年7月5日
罪 状
 現住建造物等放火、殺人、殺人未遂
事件名
 大阪パチンコ店放火殺人事件
事件概要
 大阪市此花区の無職高見素直(すなお)被告は、2009年7月5日16時頃、自宅から徒歩5分のところにあるパチンコ店で、バケツに入れたガソリンをまいてマッチで火を放った。派遣店員で専門学校生の女性(当時20)、客の男性(当時69)、女性(当時72)、女性(当時62)が焼死。また客の男性(当時50)が、広範囲のやけどで感染症を引き起こしたことによる多臓器不全で8月7日に死亡した。また客10人に重軽傷を負わせた。
 高見被告は夜になって自宅から岡山へ移動。翌日に岩国市へ移動し、12時40分、山口県警岩国署へ出頭。20時50分、大阪府警が逮捕した。
 高見被告は高校卒業後、10以上の職を転々。2009年4月に退社後はブラブラしており、事件当時約200万円の借金があった。
 大阪地検は7月24日、高見素直被告について、正式な精神鑑定を実施するための鑑定留置を大阪地裁に請求し、認められた。10月26日までの3カ月間の精神鑑定で、「統合失調症」と診断されたが、地検は刑事責任能力があると判断し、12月3日に起訴した。
一 審
 2011年10月31日 大阪地裁 和田真裁判長 死刑判決
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控訴審
 2013年7月31日 大阪高裁 中谷雄二郎裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年2月23日 最高裁第三小法廷 山崎敏充裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、高見被告の責任能力の程度と、死刑制度の違憲性が争点となった。公判前整理手続きで、弁護側の求めにより地裁が再鑑定を実施。検察・弁護側の推薦で選んだ医師2人が再鑑定した。
 2011年9月6日の初公判で、高見被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、仕事が見つからず生活苦に陥った高見被告が「だれでもいいから殺して、むしゃくしゃを晴らしたいと考えた」と指摘。簡単に多数の人を殺害できるとの理由でパチンコ店を狙ったとした。争点については、犯行後に逃走したこや公判前の精神鑑定などを踏まえ「違法性の認識はあり、刑事責任能力は完全」と主張。「死刑はこれまでの判例で合憲とされている」と述べた。
 弁護側は冒頭陳述で、高見被告が覚醒剤使用による精神障害で「マーク」という集団や「みひ」という女性に嫌がらせを受けている妄想にとらわれ、「見て見ぬふりをする世間に攻撃しようとした」と動機を説明。「善悪の判断能力が著しく損なわれていた」と主張した。
 高見被告の妄想については、9月22日の第6回公判における被告人質問で、30歳ごろから妄想上の女性の声が聞こえ始め、女性の指示に従わないと嫌がらせを受けるようになった、と主張している。
 9月23日の第7回公判における被害者参加人による直接質問で、高見被告は「当然死刑でいいと思う」と述べ、謝罪を求めた遺族に「今さら謝る気もない」と述べた。
 精神鑑定の結果については10月4~6日の第8~10回公判で証人出廷。起訴前に鑑定した医師は「統合失調症による妄想により、善悪の判断能力などはかなり失われていた」とし、心神耗弱だったとする弁護側の主張に沿う意見を述べた。一方、公判前に鑑定した裁判所選任の医師2人は「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で及んだ」と述べ、完全責任能力があったとする検察側の主張に沿う見解を示した。このうち1人は「困窮などで心理的な負荷がかかり、自らの性格により実行を決めた」と指摘した。
 10月11日~12日の第11~12回公判は、死刑制度が憲法違反か否かをめぐる審理が開かれた。裁判員法は憲法などの法令解釈をめぐる審理は裁判官のみで行うと定めており、この公判については和田裁判長は「裁判員の意見も参考にしたい」として、希望する裁判員の参加を許可する自由参加となっていたが、11日は午前6人・午後5人が、12日は午前5人・午後4人が出席した。
 11日の審理ではまず弁護側が冒頭陳述で、日本の落下式の絞首刑は頭部が切断されるなど、法が予定しない死に方になる可能性があると指摘。残虐な刑罰を禁じた憲法36条に違反すると主張した。その後、オーストリア・インスブルック医大法医学研究所副所長のバルテル・ラブル博士が弁護側証人として出廷。絞首刑の死因については、頸動脈の圧迫による脳の酸欠や窒息だけでなく、まれに首の切断や骨折、神経の損傷による心停止もあると説明し、「何が起こるか予想はつかない」と証言した。そして「首の血管の圧迫が理由なら、意識を失うまで5~8秒、死ぬまで5分程度かかる」、米国の実験結果を基に「人の意識は首を圧迫されて血流が止まると同時に消失するものではない」などと証言した。
 12日の審理では、元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授が弁護側証人として出廷。検事時代に死刑執行に立ち会った経験から「絞首刑は限りなく残虐な刑罰に近く、憲法36条に違反する」と述べた。死刑制度そのものについては「憲法により存置が許されている」との考えを表明したが、世論調査などで死刑賛成が過半数となることについては「正しい現状認識に基づくものなのか」と疑問視。絞首刑を合憲とした1955年の最高裁判例に対しては、土本氏は「当時妥当性があったとしても、今日なおも妥当性を持つとの判断は早計に過ぎる」と述べ、否定的な見解を示した。
 13日の第13回公判では、意見陳述した遺族や被害者ら11人全員が極刑を求めた。ある遺族は死刑の違憲性が争点になっていることに触れ、「犯罪事実と関係ないことで争わないで。償い、責任を取ってもらうため死刑を望む」と訴えた。
 17日の論告で検察側は「被告は仕事が見つからず生活が行き詰まり、無差別殺人を考えた。動機に妄想的な考えが加わっているが、本質は現実問題に対する八つ当たりだ」と指摘。「覚醒剤使用の後遺症による妄想があったが、自らの判断で犯行に及んだ」と述べ、完全責任能力があったと主張した。また、最高裁判例を踏まえ「死刑制度は憲法に違反しないことは明らか」と強調。最高裁が示した被害者数などの死刑の判断基準(永山基準)に照らして「死刑が相当」とした。
 弁護側は最終弁論で「被告は妄想上の女性からさまざまな嫌がらせを受け、それを見て見ぬふりをする不特定多数の人を攻撃することで女性に反撃しようと考えた」と反論し心神耗弱を主張した。オーストリアの法医学者や元最高検検事の証言を基に「絞首刑は頭部が切り離されたり意識が瞬時に失われない可能性があり、不必要な苦痛や損傷が生じる。憲法に違反する残虐な刑罰だ」と主張した。
 高見被告は最終陳述で「法廷はうそをつかないのが原則なのに、みんな(妄想上の)女性の存在を知っていて隠している」などと語り、事件への言及はなかった。
 判決で和田真裁判長は争点となった絞首刑が憲法の禁じる「残虐な刑罰」に当たるかどうかについて、裁判員の意見を踏まえ「最善の方法かどうかは議論があるが、死刑はそもそも生命を奪って罪を償わせる制度で、ある程度の苦痛やむごたらしさは避けがたい」として合憲と判断。また、死刑の執行方法の在り方について「残虐と評価されるのは非人間的な場合に限られ、そうでなければどのような執行方法を選択するかは立法の裁量の問題だ」と述べた。
 事件について和田裁判長は起訴内容通りの犯罪事実を認定。精神鑑定の結果などから「被告は犯行当時、主体的に判断し、行動できていた」と完全責任能力があったと判断した。そして「大量無差別殺人に向けた計画的で残虐非道な無差別殺人事件だ。まれに見る悲惨な事案で動機も身勝手極まりない。生命をもって償わせるしかない」と述べた。

 11月2日、高見素直被告の弁護人は判決を不服として控訴した。弁護人は「量刑は不当で、絞首刑を合憲とした判断にも誤りがある」としている。
 2013年5月23日の控訴審初公判で、弁護側は改めて「妄想の影響を受け、責任能力は限定的だった」と主張。一審判決が合憲と判断した絞首刑についても、「不必要に苦しみを与え続けるのは憲法が禁じる残虐な刑罰にあたる」と訴えた。一審の裁判長が絞首刑の残虐性を検討する審理に裁判員全員の参加を求めなかったことに対しても「適切な手続きをとらなかった」とした。検察側は控訴棄却を求めた。
 6月27日の公判で弁護側は、被告が犯行時、精神疾患による妄想に大きく影響を受け、心神耗弱の状態だったとし、「完全刑事責任能力を認めた一審判決は事実誤認。高裁は慎重に判断すべきだ」と主張。絞首刑を合憲とした一審の判断については、「必要以上の苦痛を与える方法で、憲法が禁じる残虐な刑罰に当たる」と指摘した。検察側は控訴棄却を求めて結審した。
 判決で中谷裁判長は、「犯行時やその前後を通じて特に異常な言動はなく、周囲の状況を正しく認識しながら合理的な行動を取っていた。妄想が直接影響を与えたとまでは言えない」と指摘、一審同様に完全な刑事責任能力を認めた。死刑の違憲性については執行方法が1873(明治6)年の太政官布告で決められたことに触れ、「現行の執行方法は実際には布告と食い違っている。140年前に定められたものが、新たに法整備されず放置されているのは立法政策として望ましくない」と言及したが、「絞首刑で苦痛を感じる時間は短時間にとどまり、残虐とまで評価できない」として合憲と判断した。そして「極めて残虐な犯行で、社会に与えた衝撃は大きい」と述べた。

 2016年1月19日の最高裁弁論で弁護側は、「妄想に支配され、心神耗弱状態だった。被告には事件当時から現在まで妄想がある。常識ではあり得ない妄想を持って犯行に及んだ。完全責任能力を認めた一・二審は破棄し、死刑は回避すべきだ」と主張。また、「絞首刑が残虐でないという時代があったかもしれないが、現在は違う。絞首刑は世界的には絶滅にひんしている」と絞首刑は残虐な刑罰を禁止した憲法に反するとも訴えた。検察側は「妄想はあるが犯行への影響は軽微。生活に対する不満を募らせて無差別大量殺人を計画した。極刑はやむを得ない」と上告棄却を求めた。
 判決で山崎裁判長は絞首刑について、「死刑制度が執行方法を含めて合憲なことは判例から明らかだ」と弁護側の主張を退けた。また争点となった被告の責任能力について、「行き詰まりを感じていた被告が妄想上の声を聞くなど、動機形成の過程には妄想が介在するが、一因に過ぎない」と指摘。「現状への不満をきっかけに事件を起こそうと決意した。犯行前後で終始一貫性のある行動をしており、精神症状が犯行に及ぼした影響は間接的だ」と責任能力を認めた。そして「人出が多い日曜日のパチンコ店を狙った計画的な無差別殺人で、極めて残酷かつ悪質。遺族の処罰感情も峻烈だ。刑事責任は極めて大きい」と述べた。
備 考
 本事件を受け、大阪府内のガソリンスタンド事業者でつくる府石油商業組合などは2009年8月から、携行缶でのガソリン購入者に対し、身分証明書で本人確認を行うなどの取り組みを始めた。都道府県単位では全国初。
 一審の裁判員選任9月2日~判決10月31日までの任期60日間は、2011年10月の判決時点では裁判員裁判で最長だった。
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氏 名
高橋明彦
事件当時年齢
 45歳
犯行日時
 2012年7月26日
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 会津美里夫婦強殺事件
事件概要
 住所不定、無職、横倉明彦(旧姓)被告は2012年7月26日午前5時20分ごろ、福島県会津美里町に住む病院職員の男性(当時55)方に侵入し、現金1万円が入った財布や妻のキャッシュカードなどを盗んだ。そして、起きてきた男性を持参したペティナイフで脅したが応じなかったため、ナイフで突き刺して殺害。近くにいた妻(当時56)を脅してネックレス等(時価合計約10,000円)を奪ったが、119番通報したことに気付いてナイフで殺害した。
 横倉被告は2011年11月頃に当時の妻と会津若松市に移住したが、就職したと嘘をつくなどして金に窮した。借家を追い出され、2012年7月23日頃から空き家の敷地を無償で借りて、駐車した自動車内で妻と生活していたが、妻が住居の購入を望んだため、勤め先から購入資金を借りられると嘘をつき、現金強奪に及んだ。横倉被告と夫婦に面識はなかった。
 捜査本部が目撃証言などを基に捜査した結果、横倉被告が浮上し、26日に同町内で発見。任意同行して調べたところ、容疑を認めたため、27日、強盗殺人容疑で逮捕した。
一 審
 2013年3月14日 福島地裁郡山支部 有賀貞博裁判長 死刑判決
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控訴審
 2014年6月3日 仙台高裁 飯渕進裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年3月8日 最高裁第三小法廷 木内道祥裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 仙台拘置支所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2013年3月4日の初公判で、高橋被告は「最初は、殺意はなかった」と一部否認した。
 冒頭陳述で、検察側は「自宅の購入資金が必要になり、最初から住民を殺してでも金を得ようと計画した」と主張。人目につきにくく、貯金があると考えて襲ったと指摘した。一方、弁護側は「具体的な殺害方法は考えておらず、被害者に抵抗されたため殺害した」と訴えた。
 5日の第2回公判で、夫の母親と妻の父親が人として出廷し、極刑を訴えた。弁護側は「反省文などを書いており、被害者のための読経もしている」と情状酌量を求めた。
 8日の論告で検察側は、119番の録音記録などをもとに、高橋被告が、震える声で「お願い」と繰り返した妻を殺害し、消防からの折り返し電話に「大丈夫です」と冷静に応えた行為を「大金強奪のため黙々と事を進めた」と指摘した。さらに、捜査段階と異なる公判中の供述を「真剣に反省しているとは言えない」として更生する余地がないと強調。事件前に困窮した経緯には「無責任な自らの行動が招いた」とし、遺族の感情と最高裁の判例も踏まえ、「強固な殺意に基づく残虐極まる犯行。極刑をもって臨む他なく、それが正義にかなう」と死刑を結論付けた。
 同日の弁論で弁護側は「冷静に答えた公判の供述を信用すべき」と訴え、計画性は実際になかったと主張した。また、反省し更生する意思があるとし「死刑判断を軽々しくしてはいけない。生きて罪を償う真人間になれるか吟味する必要がある」として無期懲役を求めた。
 判決で有賀貞博裁判長は、高橋被告が当時の妻に約束していた住宅購入の資金を得るため犯行に及んだと指摘。「住宅購入用の現金を奪うという動機は利欲的で、更生の余地を考慮しても死刑が相当」と述べた。

 弁護側は即日控訴した。
 2013年11月28日の控訴審初公判において、弁護側は動機について「妻にホームレス生活をさせないため、家を買う資金が必要だという強迫観念にとらわれていた」と訴え、一審判決で事情が十分に酌まれていなかったと主張。また、高橋被告に「認知の歪み」があるとし、常識では考えられないことに固執し、場当たり的な判断をする性格を一審で考慮する必要があったとし、次回公判で心理鑑定を行った専門家の証人尋問を求めた。また一審で裁判員を務めた郡山市の女性が判決後、「急性ストレス障害(ASD)」と診断されたことを踏まえ、同支部は裁判員を解任・辞退させずに「漫然と訴訟手続きを進めた」と批判。「訴訟手続きに法令違反がある」などと主張するとともに、高橋被告に当初から殺意があったと認めた一審判決には事実誤認があると指摘し、一審判決の破棄を求めた。検察側は「(一審審理中に)裁判員が罹患した証拠は認められず、手続きは適切」と反論、弁護側の控訴棄却を求めた。
 2014年3月18日の最終弁論で弁護側は、高橋被告が夫婦のために毎日お経を唱え、死刑になった場合は献体や臓器提供を希望していると述べ、「反省は相当に深まっている」と強調した。検察側は「利欲的で身勝手な犯行。真摯な反省は見られない」と改めて指摘し、控訴棄却を求めた。
 判決で飯渕進裁判長は飯渕裁判長は一審の裁判員がASDと診断されたことについて、「裁判員が心身の不調で職務が困難だったとは認められず、公平誠実に裁判員の職務を全うしたと推認される。違法な点はなかった」と弁護側の主張を退けた。また「騒がれるなどした場合には殺害することを事前に計画していた」と認定。そして夫に続き、助けを求めた妻も殺害したことを「冷酷かつ残虐な犯行。死刑の選択を回避する余地があるとは認められない。一審の死刑判決はやむを得ない」と述べた。

 2016年1月26日の最高裁弁論で弁護側は、一審で裁判員を務めた女性が遺体の写真を見て急性ストレス障害になったと訴えており、弁護側は「公正な判断ができなくなった裁判員を解任しなかったのは手続き違反。死刑を取り消すべきだ」と主張した。さらに「計画性はほとんどなく、殺意の発生時期に事実誤認があり、量刑判断を誤っている。死刑にすべきではない」と無期懲役が妥当と訴えた。検察側は「裁判員が心身の不調で職務を行うことが困難となった事情は見当たらない」などと反論し、「極めて冷酷で残虐な罪の内容や自己中心的な動機、計画性に照らすと、極刑判決は正当」と上告棄却を求めた。
 判決で木内裁判長は、弁護側の手続き違反との主張について、「法令違反はない」と退けた。そして、「多額の金を手に入れる必要に迫られ、民家に押し入って強奪しようと事件を計画した。被害者をめった刺しにしてその場で殺害した非情かつ残酷な犯行で、動機にくむべき点はなく、刑事責任は極めて重大。死刑を是認せざるを得ない」と指摘した。
備 考
 旧姓横倉。起訴後から初公判までの間に姓が高橋に代わっている。
その他
 本事件で裁判員に選任された福島県内の60歳代の女性は、証拠調べで、被害者の遺体や傷口のカラー写真や、被害者が消防署に救助を求める音声などの影響で嘔吐を繰り返し、食欲がなくなり、熟睡できなくなった。突然、映像や音声がフラッシュバックするなどの症状にも苦しむようになった。精神的に不安定な状態が改善せず、県内の病院で3月22日、急性ストレス障害と診断された。深刻な精神的損害を受けたとして、2013年5月7日、国に慰謝料など200万円を求める訴えを仙台地裁に起こした。裁判員経験者が裁判員制度の是非をめぐり提訴するのは全国で初めて。
 この訴訟をきっかけに裁判所は、遺体写真のイラストでの代用を検察に求める▽裁判員候補者に衝撃的な証拠が出ることを伝えて辞退も認める▽衝撃的な証拠を示す際は裁判員に予告する--などと運用を改善した。
 2014年9月30日、福島地裁(潮見直之裁判長)は、請求を棄却した。判決理由で潮見裁判長は「原告が裁判員を務めたことと、ストレス障害を発症したことには、相当因果関係があると認められる」とした。その上で裁判員制度について「司法の国民的基盤の強化を図るものであることに照らせば、裁判員法の立法目的は正当」と指摘。「過重な負担を回避するため、柔軟に対応すべきと指摘していた」として、国会議員の立法行為が違法とはいえないと述べた。さらに「裁判員の辞退を弾力的に認め、日当を支給するなど負担軽減の措置が取られており、国民の負担が合理的な範囲を超えているとはいえない」と、憲法18条が禁じた意に反する苦役に当たらないと判断した。
 2015年10月29日、仙台高裁(古久保正人裁判長)は、請求を退けた一審・福島地裁判決を支持し、控訴を棄却した。控訴審で追加された、検察官と裁判官の訴訟行為や裁判員法の運用が違法だとする請求についても棄却した。
 2016年10月25日付で最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)は、原告側の上告を棄却した。
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氏 名
辻野和史
事件当時年齢
 31歳
犯行日時
 2010年3月24日~25日
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄
事件名
 長野一家3人強殺事件他
事件概要
 リフォーム会社従業員伊藤和史(旧姓)被告は、建設会社従業員松原智浩被告、同I被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業S被告と共謀。2010年3月24日未明、伊藤被告が勤めるリフォーム会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。
 内妻殺害は松原被告とI被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加したS被告が提供した。
 男性は松原被告、I被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。S被告は男性の知人だった。
 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。I被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。S被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。
 他に伊藤和史被告は、神戸市に住むH被告、後に被害者となる長男と共謀。2008年7月21日、兵庫県尼崎市内の駐車場で、沖縄県浦添市出身の知人男性(当時35)の遺体を乗用車に積み、同22日に長野市内へ運んだ。同23日には遺体を箱に入れて鍵をかけ、同市内の空き地に車ごと放置。さらに同年8月20日ごろには、同市にある貸倉庫に車を移して遺棄した。
 殺害された男性と3人は神戸市内の暴力団を通じて面識があり、男性が兄貴分であった。

 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。
 知人男性の遺体について5月31日、長野県警は死体遺棄容疑でH被告を逮捕、伊藤和史被告を再逮捕している。8月27日、H被告と伊藤被告が殺人容疑で追送検、長男が殺人と死体遺棄容疑で容疑者死亡のまま書類送検された。しかし犯行に使われたとされる拳銃は発見されず、遺体の損傷が激しいため、銃弾による傷の特定も困難なことなどから、捜査本部は両被告の再逮捕の見送りを決めた。伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。
一 審
 2011年12月27日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年2月20日 東京高裁 村瀬均裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年4月26日 最高裁第三小法廷 大橋正春裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2011年12月7日の初公判で、伊藤和史被告は「内容はおおむね認めるが、現金を取る目的で殺害したわけではない」と述べ、起訴事実を一部否認した。奪ったとされた現金約416万円について「(遺体の遺棄を依頼したS被告へ報酬として)100万円分は共謀を認めるが、(取ったことを知らない)他の金は他被告と共謀したわけではない」と述べた。
 冒頭手続きで、奪われたとされる現金の一部について、弁護人は「事前共謀はなかった」と主張したが、高木裁判長と検察側は「公判前整理手続きに出ていない主張だ」と釈明を求め、審理が一時中断した。
 検察側は冒頭陳述で、伊藤被告が男性宅に住み込みで働く中、長時間労働や休日が少ないことに不満を募らせ、男性と長男を「死んでほしい」と思うようになったと動機を指摘。「事前に現金を奪うことを共犯者間で話し合っていた」と強盗殺人罪の成立を主張した。期待可能性に関しては「生死にかかわるような暴力はなく、被告には行動の自由があった」とした。「被害者を殺害しなければ生きていけない」という極限状態ではなく、犯罪を思い止まる期待可能性があったと主張した。
 弁護側は冒頭陳述で、知人男性の死体遺棄事件で、現場に居合わせた伊藤被告が、長男に遺体運搬を手伝わされた後、住み込みで働くよう強要されたと説明。長男から「あいつみたいになってもいいのか」と脅されるなど、親子から日常的に暴力や脅迫を受けていたと強調し、「逃れるためには殺害するしかなかった。現金目的ではなく強盗殺人は成立しない」と反論した。
 12日の公判で、松原智浩被告が証人出廷し「伊藤被告と『男性から奪った金は分けよう』と話し合った」と述べ、事前に現金分配を計画していたと証言した。弁護側は松原被告に「現金を奪いたくて3人を殺害したのか」と問うと「あくまで動機は2人と縁を切るため」と金目当てを否定した。
 15日の公判における被告人質問で検察側は、松原智浩被告が証人尋問で「現金を分ける話をした」と述べた真偽を質問。伊藤被告は会話自体を否定した上で「(男性らから逃げる)努力をしようがなかった。心の中で(逃げたいと)叫ぶしかできなかった」と束縛感の強さを強調した。伊藤被告は、弁護側に現在の心境を聞かれ「法的に悪いことをしたと思う。でも男性と長男には暴行などひどいことをされ、間違ったことはしていないと思う。殺すか殺されるしかなかった」と訴えた。また、男性裁判員が内妻殺害を避ける方法がなかったかどうかを尋ねると「長男に睡眠導入剤を飲ませたことがばれると思い、その場では考える余裕がなかった」と釈明した。
 16日の論告で検察側は、争点の強盗目的の有無について、従業員仲間だった松原智浩被告が「現金を奪うことを(伊藤被告と)話した」と述べた証言を挙げ「(松原被告は)不利な事も逮捕後、一貫して話しており、信用できる」と述べ、強盗殺人罪が成立すると主張した。殺害方法について「無抵抗な被害者が苦しむ姿を見ながら首を絞め続け、冷酷非情で残虐極まりない」と非難。動機も「『自由になりたい』という欲望を人命より優先し、あまりにも身勝手」と指摘し、役割は「殺害・遺棄の全ての行為を主導して実行し、正に首謀者」と位置付け、「極刑を回避する事情はありません。死刑に処すべきだと考えます」と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は、金を取ったことは認めつつ「現金を目的に殺害したのではない。男性宅に同居していた被告が、親子の暴行や拘束から逃れるためだった」と主張し、、強盗目的を否定。強盗殺人罪ではなく、3人への殺人罪の適用を主張した。死体遺棄事件については、伊藤被告が「長男が知人男性を射殺した」と述べた点を強調し「長男から『言うことを聞かないと殺すぞ』と言われ、親子から逃れるには殺害するしか方法がなかった」と主張した。弁護人は裁判員に向かい「伊藤被告は理不尽な拘束をされた。死刑は究極の刑罰。今回、伊藤被告を死刑にするのをちゅうちょすべきではないか」と死刑回避を呼び掛けた。
 伊藤被告は最終陳述で「お金を目的としていません。(殺害の)目的は、自分自身を取り戻して家族の元に帰りたかったことです」と涙ながらに訴え、裁判員や傍聴席に深々と頭を下げた。
 高木裁判長は判決理由で「事前に共犯被告と奪った現金を分配することを話し合い、分配金を得ている」として、強盗殺人罪の成立を認定。伊藤被告が犯行を計画し、3人の殺害を率先して行ったことなどを挙げ、「同一機会に3人の命が奪われた結果は重大で犯行は残忍」と指摘。「(事件を主導した)役割の重要性などから死刑をもって臨まざるを得ない」と述べた。

 2013年5月14日の控訴審初公判で弁護側は、「伊藤被告は財物を奪うためではなく、家族から日常的に受けていた暴行や脅迫を免れようとして殺害した」と主張。「強盗殺人罪が本来予定しているような利欲犯とは性質が異なる」などとして、強盗殺人罪の適用は不適当としたうえ、「強盗殺人罪が成立したとしても、死刑判決は量刑が不当」などと主張した。検察側は控訴棄却を求めた。
 9月19日の第5回公判で結審の予定だったが、自首の正否を巡り次回に延期した。さらに10月24日の公判でも弁護人の被告人質問が行われ、自首の経緯についての取り調べがあり、検察側の被告人質問は次回継続となった。
 12月3日の第7回公判における最終弁論で弁護側は自首の成立を主張し、減刑を求めた。検察側は、自首は成立せず、また成立したとしても減刑の理由にならないと控訴棄却を求めた。
 判決で村瀬裁判長は、現金を奪うことが主な目的ではなくても強盗殺人罪は成立するとし、「原判決の判断は正当」と述べた。伊藤被告が親子に無給で働かされていたり、自由に外出もできず、暴力を頻繁に受けていた状況について「過酷で常軌を逸したものだった」とした一方、「殺害以外の方策を選択することが可能だった」と指摘した。そのうえで、伊藤被告が松原智浩被告と具体的な犯行計画を話し合って決め、殺害に使われた睡眠導入剤を入手し、ロープを購入するなどしていたと認定。伊藤被告が犯行を主導したとする判断を示した。焦点である自首の成立を村瀬裁判等は認めたが、伊藤被告が事件発生直後から警察に事情聴取を受け続け、うそを続けることができなくなったため―とし、「自発性は低く、量刑上、大きく斟酌できない」とした。そして、「3人もの命を奪い多額の現金を強奪した結果は極めて重大。被告は事件を首謀し、死刑はやむを得ない」と述べた。

 2016年3月29日の上告審弁論で弁護側は「被害者親子から日常的暴力的な扱いで過酷な支配を受けていた。被害者から殺害されるかもしれないという恐怖があった」と強調。「追い詰められた末の犯行だった」と死刑回避を主張した。検察側は「被害者の支配から逃げ出さず、状況を悪化させた。犯行の発案者で極刑はやむを得ない」と死刑維持を求めた。
 判決で大橋裁判長は、伊藤被告が長年、経営者の男性と長男から暴力を受けていたことなど「動機にくむべき事情はある」と認めた。しかし「他の解決策を何ら試みておらず、安易かつ短絡的。3人の命を奪った結果は重大だ。被告はみずから準備を進めて率先して殺害を行うなど終始犯行を主導しており、刑事責任は極めて大きい。、反省の態度を示していることを考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
備 考
 松原智浩被告は2011年3月25日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2012年3月22日、東京高裁(井上弘通裁判長)で被告側控訴棄却。2014年9月2日、最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 I被告は2011年12月6日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。2014年2月27日、東京高裁(村瀬均裁判長)で一審破棄、無期懲役判決。2015年2月9日、最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 S被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。2013年5月28日、東京高裁(村瀬均裁判長)で強盗殺人罪の共謀を認めた一審長野地裁の裁判員裁判判決を破棄、ほう助罪にとどまると判断して懲役18年判決(判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)。2013年9月30日、最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で被告側上告棄却、確定。
 H被告は2010年9月16日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役2年(求刑懲役2年6月)判決。控訴せず確定。
現 在
 旧姓伊藤。2018?年、改姓。
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氏 名
浅山克己
事件当時年齢
 44歳
犯行日時
 2010年10月2日/2011年11月24日
罪 状
 住居侵入、逮捕監禁、殺人、現住建造物等放火、有印私文書偽造・同行使、ストーカー行為等の規制等に関する法律違反
事件名
 山形・東京連続放火殺人事件
事件概要
 名古屋市の無職浅山克己被告は2010年10月2日午後10時10分頃、元交際相手である男性Aの両親が住む、山形市の木造二階建てに、殺意を持って、建物一階の書斎の外壁と、近くに置かれていたゴミ袋に灯油をまいた上、ライターで火を付けたティッシュを放り投げて放火。住宅を全焼させ、男性Aの父(当時71)と母(当時69)を殺害した。
 同性愛者である浅山被告と男性Aは2008年10月、名古屋市で知人の紹介で知り合い、交際を始めた。しかし浅山被告の暴力に悩んだ男性Aは別れ話を切り出したが、浅山被告から職場に暴露すると脅され、1年半の交際が続いた。男性Aは2010年5月に実家のある山形市に転居すると、浅山被告は電話やメールを送り続け、9月には浅山被告が押しかけ、男性Aを無理やり名古屋市まで連れ帰った。男性Aは「母親の介助をしなければならない」と実家に戻ったが、浅山被告はその後も大量のメールや電話を続けた。さらに放火後も浅山被告は山形市を訪れ、男性Aの自宅のガラスを割るなどした。
 山形県警はストーカー行為を把握していたものの、出火原因の特定には至らず、失火の可能性が高いとして処理していた。

 さらに2011年11月24日、会社員の妻と共謀し、元交際相手の男性Bの母親(当時76)が住む東京都江東区の12階建てマンションの9階にベランダから侵入。帰宅してきた母親を縛った上、大きなたらいをかぶせて炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒にして殺害。室内に灯油をまき、全焼させた。
 男性Bは2010年2月以降に計3か月間、浅山夫婦と同居していたが、浅山夫婦からの暴力に耐えかねて逃げ出していた。浅山被告は、9月以降、何度も母親宅を訪れ、男性Bに会わせるように迫っていた。

 浅山被告とその妻は、男性Bの行方を調べようと区役所で長男を装って住民票の写しを受け取ったり、付きまとったりしたとして、2012年1月5日、有印私文書偽造とストーカー規制法違反容疑で逮捕された。1月18日、江東区の事件で殺人、現住建造物等放火などの容疑で逮捕された。
 浅山被告は山形市の事件についても関与を認め、3月7日、殺人と現住建造物等放火の容疑で再逮捕された。
 浅山被告は3月25日、留置場で首吊り自殺を図り、意識不明の重体となった。後に意識が回復し、30日、追起訴された。
一 審
 2013年6月11日 東京地裁 平木正洋裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年10月1日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年6月13日 最高裁第二小法廷 千葉勝美裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2013年5月9日の初公判で、浅山被告は山形市の事件について「殺害するつもりはありませんでした」と殺意を否認した。東京の事件については起訴内容を認めた。
 検察側は、冒頭陳述で「被害者を死亡させる危険性がある行為と認識して行っていれば、殺意があると認められる。確実に殺害できるとまで考えている必要はない」と説明した。その上で、山形市の事件について「浅山被告は住宅に夫婦がいるかもしれないと思っていた」として殺人罪は成立すると主張。根拠として「生活介助を必要とする夫婦が午後9時には就寝している」と認識し、放火したことなどを挙げた。また、浅山被告は事件当時、「以前、交際していた男性を自分の元に連れ戻すには、両親の存在が障害である」と考えており、夫婦を殺害する動機があったとした。
 一方、弁護側は、「住宅に隣接する(夫婦の)染め物工場を燃やすつもりで放火した。夫婦が在宅していたことや亡くなってしまうことは、想定していなかった」と訴えた。「職場がなくなれば、『仕事が忙しい』と話していた長男が、自分の元に戻ると思っていた。夫婦への恨みはなく、殺害する動機はない」と主張し、殺人罪には当たらないとした。当時の様子を「家や工場に明かりがついておらず、人の気配もなかったため、留守だと思っていた」とも述べた。浅山被告も「母屋の隣の工場を燃やそうとした。敷地内に車がなく、家の明かりもついていなかったので留守だと思っていた」と述べ、殺意はなかったと強調した。
 元交際相手である男性(長男)は初、10日の第2回公判で当時の状況を証言。第2回公判では被害者参加制度を利用して次男が極刑を訴えた。
 13日の第3回公判で、浅山被告の妻が証人尋問で、「浅山被告は放火の理由を『元交際相手の仕事がなくなれば名古屋に戻ってくる』と話していた」と述べた。一方、同性愛者の浅山被告と結婚した理由を問われ、「断ったら飼い犬を殺すと脅された。自分の命よりも大事な犬だったので結婚した。恋愛感情はなかった」と語った。
 14日の第4回公判における被告人質問で、浅山被告は「家に誰もいないと思った」と殺意を否定する一方、「(隣接する工場だけでなく)家も燃えていいと思った」とも述べた。
 21日の公判における被告人質問で浅山被告は、「悪いことをしたので死刑でも構わない」と述べた。
 23日の論告で検察側は、元交際相手が浅山被告に両親の生活パターンを詳しく教えていたことから、「両親がいるかもしれないと思って火を付けた。殺意は明らか」と主張。「元交際相手を支配するため、邪魔になる両親を殺害した」として死刑を求刑した。同日の最終弁論で弁護側は、「自宅に接する工場を燃やすつもりだった。自宅には誰もいないと思っていた」と反論。殺人罪は成立しないと訴えた。浅山被告は最終意見陳述で「本当に申し訳ありませんでした」と、消え入りそうな声で話した。
 判決で平木裁判長は、争点となっていた山形事件での殺意の有無について、家の壁にも灯油がまかれている点を指摘。「死亡した夫婦が身体の具合が悪いことを認識していた」と判断し、「避難能力の劣る夫婦が死亡する危険性が高いことを認識しながら放火したと推認できる」として、殺意を認定した。さらに東京事件については「命ごいを無視して殺害しており、残忍極まりない」と指摘。その上で、「交際相手への強い執着心から山形事件を起こし、その後、別の交際相手の家族への逆恨みから重大事件を再び起こした」と指摘。「全く落ち度のない被害者が3人も殺害され、社会に与えた衝撃も大きい。交際相手を連れ戻したいという願望を実現するために重大な犯行を繰り返しており、犯情は極めて重い」とし、被告が山形の事件以外は罪を認めているといった有利な事情があっても、死刑はやむを得ないと結論付けた。

 2014年5月2日の控訴審初公判で、弁護側は控訴趣意書で、(山県市の事件の)元交際相手は浅山被告に激しい処罰感情を持っており、その証言を基に殺意を認定するのは「危険」と主張。浅山被告は被害者の長男が家業の染物屋を継ぐため、自分のもとを離れていったと考えたと主張。仕事場がなくなれば、戻ってくると思い、被害者の自宅と隣接する染め物工場に火を付けたとして、「被告は両親を排除しようと思っておらず、午後10時頃に電気が消えていて車もなかったことから、家に誰もいないと安心しうる状況だった」と述べた。そして一審判決について「十分な証拠調べをせず(山県市の事件の)夫妻への殺意を認定しており、誤った判断だ。極刑は重すぎる」として死刑回避を求めた。検察側は、弁護側は一審での主張を蒸し返しているに過ぎないなどとして、控訴棄却を訴えた。また、弁護側が浅山被告がうつ病だったとして精神鑑定の実施を申請したが、八木正一裁判長は「理由がない」として却下した。当時の精神状態などを示す書証の取り調べも却下した。次回公判での被告人質問と証人尋問は認めた。
 7月7日の第2回公判で、弁護側は2人が死亡した山形市の放火事件について「殺意はなかった」と主張し、死刑は重過ぎると主張して結審した。被告人質問で浅山被告は「どうもすみませんという気持ちです」と述べた。
 判決で八木正一裁判長は、山形の事件で被告が被害者の生活状況を事前に把握していた点を指摘し、殺意を認定した。しかし、「確定的とは言えず、未必の殺意だった」とも認定した。その上で判決は東京で同様の事件を起こしていることから、「用意周到に計画して完全犯罪をもくろむなど、犯行の悪質さや重大性が際立っている。死刑判決はやむを得ない」と述べた。

 2016年4月15日の最高裁弁論で弁護側は、山形市の事件について「浅山被告は犯行当時、服用した薬の影響で強い緊張感や焦燥感などを持っており、元交際相手から『両親は午後9時頃に就寝する』と言われたことを冷静に考えていたとするのは不自然」とした。また、元交際相手は浅山被告に激しい憎悪を抱いていたと指摘。「両親の生活内容を詳細に浅山被告に話していた」との元交際相手の証言は、捜査当局の誘導や思い込みによる可能性があり、その証言を基に殺意を認定することはできないと主張した。そして「殺人について計画性はなく綿密でもない。悪質性は低い。精神状態が通常ではなく、確定的な殺意もなかった。人が死んでも仕方ないという『未必の殺意』を認定した二審判決は誤りだ」と指摘し、死刑回避を主張した。検察側は、「元交際相手の証言は自然で一貫しており、メールなどの客観的事実とも符合する」と信用性を改めて主張。「危険な態様の連続殺人事件で、死刑とした一・二審の判断は正当で上告する理由がなく、極刑はやむを得ない」と上告棄却を求めた。  判決で千葉裁判長は、「家の中に元交際相手の両親がいるかもしれず、放火すれば死亡するかもしれないことを認識しながら、あえて建物付近に灯油をまいて放火し、焼死させた」と未必の殺意を認定。弁護側の主張を退けた。そして「わずか1年余りの間に、交際相手を連れ戻したいという思いから放火や殺人を重ねたことは、身勝手極まりない人命軽視の態度だ」と指摘。「3人の生命を奪った結果は極めて重大」と述べた。
備 考
 山形県警の大竹孝幸刑事部長は2012年4月24日の記者会見で、事件当時の捜査は不十分だったとの認識を示した。大竹刑事部長は「当時の捜査では、明らかに放火と断定できる痕跡がなく、放火、失火の両面で調べていた。火元とみていた室内を重点的に調べていたが、屋外を含めた広範囲な鑑識活動を行うべきだった」などと述べた。
 殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた浅山被告の妻は2012年11月13日、東京地裁(近藤宏子裁判長)の裁判員裁判で懲役18年(求刑懲役22年)が言い渡され、控訴せず確定した。
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氏 名
千葉祐太郎
事件当時年齢
 18歳
犯行日時
 2010年2月10日
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃刀法違反、未成年者略取、傷害
事件名
 石巻3人殺傷事件
事件概要
 宮城県東松島市に住む解体工の千葉祐太郎被告(当時18)は同市に住む無職少年(当時17)を連れ2010年2月10日午前6時40分ごろ、宮城県石巻市の男性宅に合鍵を使って侵入。交際していた男性の次女(当時18)と話をさせるよう長女(当時20)に求めたが断られため、持っていた牛刀(刃渡り約18cm)で長女の腹部を刺して殺害した。さらに悲鳴を上げておびえる知人の女子高校生(当時18)の肩をつかんで立たせ、腹部を何回も突き刺して殺害。救急車を呼ぼうとした友人男性(当時20)も刺して大けがを負わせた。
 さらに少年2人は、2階にいた次女を連れ出し、約6時間にわたり、知人から借りた乗用車2台を使い、石巻市や東松島市などを逃げ回った。2人は10日午後1時過ぎ、石巻市内の知人宅を出たところを拉致と監禁容疑で現行犯逮捕された。
 また2月4日~5日には当時同居していた次女の全身を鉄棒で殴るなどして重傷を負わせた。
 凶器の牛刀と手袋は無職少年が千葉被告に指示され、石巻市内のホームセンターで万引きしたものだった。
 千葉被告と次女は2008年8月ごろから交際し、一時期同棲していた。しかし2~3週間後から暴行が始まったため、次女は2009年2月以降、石巻署に相談。石巻署は千葉被告に警告していた。次女は同時期、同署の紹介で、家庭内暴力(DV)の保護施設に入ったが、間もなく、同署に「(千葉被告と)よりを戻した」と連絡した。2009年10月には女児が誕生。しかし暴力は続き、2010年1月以降、石巻署への相談が再び増加。女性は6日に実家へ戻ったが、9日夜にも千葉被告が女性宅に入り込んで長女に警察を呼ばれて追い出されており、10日に診断書と傷害の被害届を出す予定だった。事件当時、家には男性、男性の母親、次女の娘(4ヶ月)が居たが無事だった。女子高生と知人男性は日頃から姉妹の相談を受けており、この日も相談にのるために居合わせていた。
 千葉被告は市内のアパートで30代の母親と同居したり家出したりを繰り返していた。2009年4月にはアパートの階段で母親に殴る蹴るの暴行を加え、肋骨を折るなど全治約4週間の重傷を負わせた。5月に逮捕され、6月に保護観察処分となり、事件当時も観察中だった。
 共犯の少年は千葉被告に普段から使い走りをさせられており、事件時も「やらないならお前も殺す」と脅されていた。事件時には殺害現場の部屋の入り口で次女らの逃げ道をふさぐなどし、事件後には「お前が罪をかぶれ」と脅され、凶器の牛刀に指紋を付けさせられ、犯行後には返り血のついたダウンジャケットを着させられていた。
 少年2人は3月4日、殺人、殺人未遂容疑などで再逮捕され、6日に送検された。26日、千葉被告を殺人他容疑で、共犯少年は殺人ほう助他容疑で仙台家裁に送致された。4月19日、仙台家裁は共犯少年を殺人ほう助、殺人未遂ほう助の非行事実で検察官送致(逆送)を決定した。21日、千葉被告を殺人他の非行事実で検察官送致を決定した。仙台地検は28日、共犯少年を殺人ほう助罪などで仙台地裁に起訴した。30日、千葉被告を殺人罪などで仙台地裁に起訴した。
一 審
 2010年11月25日 仙台地裁 鈴木信行裁判長 死刑判決
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控訴審
 2014年1月31日 仙台高裁 飯渕進裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年6月16日 最高裁第一小法廷 大谷直人裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先
 仙台拘置支所
裁判焦点
 裁判員裁判。千葉祐太郎被告は事件当時18歳7ヶ月。公判前整理手続きで主な争点は(1)刑事処分ではなく、少年法に基づく保護処分が妥当か(2)殺意の程度(3)略取の故意の有無――に絞られた。
 2010年11月15日の初公判で千葉被告は罪状認否で殺人の計画性や略取など起訴事実の一部を否認したが、殺人などについては「間違いない」と述べ、大筋で認めた。
 冒頭陳述で検察側は、3人殺傷の状況を「無抵抗の長女を深々と牛刀で刺した」などと詳述し「残忍で悪質」と非難。動機に関し「女性との仲を引き裂こうとしている姉を殺そうとした。強固な殺意があった」と指摘した。「被害者遺族の処罰感情がしゅん烈。犯罪性向が根深く、もはや更生の可能性はない」と述べた。
 一方、弁護側は「次女と話したいと思って自宅を訪れた時に殺意はなかった」として、現場で突発的に殺意が生じたと反論。「深く反省し謝罪の気持ちを持っている」と述べ、保護処分が相当で家裁への移送を主張した。
 16日の第2回公判で重傷を負った男性が事件当時の状況を説明するとともに、「千葉被告は絶対に許せない。極刑を望みます」と語った。当日は共犯少年の証人尋問が行われ、事件直前、千葉被告に「おまえが罪をかぶれ」と言われたと証言。千葉被告が返り血を浴びることを想定し、少年のダウンジャケットを着て女性宅に入った状況を明らかにし、千葉被告を「ひきょう者」と批判した。
 17日の第3回公判で、千葉被告と交際していた女性が、少年から受けた激しい家庭内暴力(DV)について証言した。「(千葉被告は)人間を人間と思っていない。姉と友人を返して」と声を震わせた。そして「極刑を望みます」と答えた。弁護側は同日、少年鑑別所が作成した所見を朗読した。所見は、少年が両親の愛情を受けられずに育った結果、暴力を肯定する価値観を身につけたと分析。公判を通じ、罪の意識を自覚させることが重要と結論づけていた。
 18日の公判で千葉被告への被告人質問が行われ、殺害された2人について、「身勝手な考えで、命を奪ってしまい申し訳ない」と涙を流しながら謝罪した。争点になっていた殺人の計画性については、「(事件)前日に一瞬芽生えたが、本気で考えたのは刺す時」と話した。牛刀を万引きさせたことには「脅すため」と答えた。証人尋問で千葉被告の母親は「息子とともに一生償う気持ち」と語った。
 19日の論告で検察側は「事前に準備した牛刀で、命ごいする被害者をメッタ刺しにするなど残虐で冷酷。共犯者に罪をかぶせようとした」などと指弾。「保護観察処分中に事件を起こしており更生は期待できない。遺族も極刑を求めている」とした。光市母子殺害事件の広島高裁での差し戻し控訴審で事件当時18歳1か月の福田孝行死刑囚に出された死刑判決を挙げ、「いずれも殺害されたのは2人だが、本件は殺人未遂の1人が加わる」などと量刑判断を説明した。
 弁護側は、3人殺傷を認めたうえで「殺意は犯行直前に突発的に生じた。反省しており、千葉被告は人格がこれから変わり、更生する可能性は十分ある」と述べ、「死刑は、人間の生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な究極の刑罰。少年法の理念とはかけ離れている」と極刑の回避を訴えた。そして少年院送致などの保護処分が相当と訴えた。
 千葉被告は最終陳述で「どんなに反省しても、悔やんでも、絶対に帰ってこない。遺族の傷跡は深く、僕のことをずっと恨んで、許せないと思っています」。数十秒の沈黙を挟み、千葉被告は、「僕みたいな最低なことをしてしまう人が現れないように、今後のためにも、厳しく処罰してください」と頭を下げた。
 判決理由で鈴木裁判長は「(最高裁が示した死刑適用基準の)永山基準に照らし、遺族感情に考慮した。事件当時18歳7ヶ月だったことは刑を決める上で相応の考慮は払うべきだが、死刑を回避する理由にならない」と断じた。また千葉被告が否認していた未成年者略取罪などについても全面的に認定した。犯行態様について「無抵抗な被害者にためらいなく牛刀を何度も突き刺し、傷の深さは肺にまで達するなど、極めて執拗かつ残虐で冷酷さが際立っている」と指摘。交際相手の少女を手元に置きたかったとした動機も「身勝手」と非難。3人殺傷の結果も極めて重大とした上で、「被害者や遺族の処罰感情も厳しく、この点も量刑上考慮するのが相当だ」と述べた。別の事件で保護観察中だったことや元交際相手の少女に日常的に暴力を振るっていたことにも触れ、「犯罪傾向は根深く、他人の痛みや苦しみに対する共感性も全くない」と指弾。公判で語った反省の言葉について「自分の言葉で反省していない。事件の重大性を十分認識しておらず、反省に深みがあるとは言えない。更生可能性は著しく低い」と認定し、死刑が相当と結論づけた。

 千葉被告は当初控訴に消極的であったが、弁護団の説得に応じ控訴した。控訴審では弁護士15人からなる弁護団で千葉被告の弁護にあたった。
 2011年11月1日の控訴審初公判で、弁護側は一審判決判決が3人の殺傷が計画的犯行としたことについて、「警察に通報されたと思いこみ、感情のコントロールを失って、強い情動に突き動かされて犯行に及んだ」と反論。量刑についても、「成長発達途上にある少年には、更生可能性があるものと推定されるべき」と述べ、「命を持って償わせるべき事件でないことは明らか」と訴えた。一方、検察側は「犯行後、共犯者らに被害者の身体のどの部分を何回刺したかについて説明するなど、感情のコントロールを失い、強い情動に動かされて犯行に及んだものではない」と指摘。「自己の行為を十分認識しつつ殺害行為を行った」と述べ、計画的な犯行と改めて主張。一審判決は「詳細に検討した上での結論であり、判断は適切」と支持した。
 12月16日の第2回公判で、殺害された長女の司法解剖を担当した男性医師が証人として出廷し、腹部の傷について、「(傷の形は)複数回の牛刀の抜き差しでできるが、確定ではない」と述べた。その上で、「被害者の体が大きく動いた場合にも同様の形になり得る」などとし、「複数回の抜き差しがなかったとしても説明は可能」と指摘した。一審判決では「長女を牛刀で刺した状態のまま、2、3回前後に動かした」とし、犯行態様の残虐性の証拠としている。弁護側は控訴趣意書で「客観的証拠がない」と指摘、控訴審の争点の一つとなっている。
 2012年2月9日の第3回公判では、弁護側の依頼で2011年4~6月に被告を精神鑑定した医師が証人として出廷した。犯行について医師は、「犯行は突発的な感情の変化による爆発的行動である情動行為で、意識障害に陥った」と証言した。情動行為が起きた原因として、過去の被虐待歴や元交際相手との過剰な共依存関係などを挙げた。一審判決が「更生可能性は著しく低い」とした点についても、更生は可能との見方を示した。
 7月25日の第4回公判で、検察側証人の国立精神・神経医療研究センターの岡田幸之・司法精神医学研究部長は「千葉被告に医学的な意味での精神障害はない」と述べた。
 10月23日の第5回公判で弁護側は、共犯の元少年が2012年1月、自分の裁判の弁護人だった弁護士あてに、「(千葉被告が)『殺す』と言っていなかった場面でも、言っていたことにして証言した」などとする手紙を送っていたと述べた。弁護側は、この手紙を証拠として申請したが、高裁は却下。弁護側は「事件に計画性がないことは明らか。共犯の元少年の供述は検察官の作為によって作り出された」として、元少年を証人申請した。高裁は採否の決定を留保した。
 12月6日の第6回公判における被告人質問で、千葉被告は一審で認めていた殺意を否定した。
 2013年4月26日の第9回公判で、共犯者の元少年が弁護側の証人として出廷し、「被害者宅に入ったのは殺害ではなく脅す目的。被告は突発的に被害者を刺した」などと一審時の証言を覆し、犯行の計画性を否定した。「証人テスト」といわれる検察官との打ち合わせで「被害者を非難するようなことを言ってはいけない」と言われたため、被害者の通報が殺害のきっかけになったと捉えられないよう、一審では偽りの証言をしたという。
 5月30日の第10回公判で、千葉被告は一審で認めていなかった事件直前の元交際相手の次女への暴行などに対して、「共犯が本当のことを言ってくれたから、自分も言う」と前置きし、一転して認める供述をした。
 7月12日の第12回公判における証人尋問で、殺害された知人高校生の父親は「そばにいた交際女性は認識し、刺していない。被害者の体の重要な部分を狙って刺している」と述べ、衝動的な犯行との見方を否定した。大けがを負った友人男性も、「心的外傷後ストレス障害になり、完治していない。死刑を望む」と話した。また仙台高裁は、弁護側による新たな精神鑑定を却下した。
 8月29日の第13回公判で、千葉被告は「償うために生きたい」と訴えた。
 11月21日の第14回公判における最終弁論で弁護側は、共犯の元少年が一審での証言を翻し、「(元交際相手の女性宅に行ったのは)脅すつもりで、殺意はなかった」と述べ、千葉被告も「刺した時の記憶はない」と証言したことを強調。千葉被告を精神鑑定した医師の証言などと併せ、「情動による衝動的犯行」とし、計画性を改めて否定し、死刑判決の破棄を求めた。一方、検察側は「殺傷能力の高い牛刀を共犯者に万引きさせたり、手袋を着けたりした行為は脅し目的とは矛盾する。元交際相手や共犯者は刺しておらず、相手を選別していた」と弁護側の情動説を否定し、控訴棄却を求めた。
 判決で飯渕裁判長は共犯の元少年が、検察官から虚偽の証言を強要されたと主張したことについて、「一審時の証言は十分に信用に値する。証言の強要があったとは認められない」と判断した。殺害の計画性についても、「殺意が(元交際相手の連れ去りを妨害された場合という)条件付きだったとしても、相応の計画性があった」と認定した。そして飯渕裁判長は、最高裁が死刑判断の基準として示した「永山基準」に沿い、被害者を何度も牛刀で刺した殺害方法の残虐さや、若年の3人の男女を殺傷した結果の重大性について強調。千葉被告が当時18歳7カ月だったことや、幼少期に虐待を受けて育ったことなど「酌むべき事情は最大限考慮した」上で「人命軽視の態度は顕著。動機は身勝手で酌むべき余地は全くない。死刑の選択を回避する余地があると評価することはできない」と結論付けた。

 2016年4月25日の上告審弁論で弁護側は、「殺害は衝動的で、犯行時は意識障害があり、記憶がない」と主張。千葉被告が犯行当時18歳7カ月だった点について「二審判決は少年という特性に配慮していない。未成熟さが背景にある犯行は、死刑選択に慎重であるべきだ」「千葉被告の更生可能性などに重大な事実誤認がある」などとして、死刑は重すぎると訴えた。検察側は「具体的な計画に基づき、犯行後の記憶もあった。犯行時が少年とはいえ、執拗かつ残忍な犯行で結果は重大だ。極刑をもって臨むほかない」と上告棄却を求めて結審した。
 判決で大谷裁判長は、「邪魔する者は殺害も辞さないと思い定めた」と指摘。元少年の暴力から少女を守ろうとした姉や友人女性を次々に刺した行為を批判し「罪質、結果とも誠に重大。被害者に責められる点はなく、殺害行為は冷酷かつ残忍だ」とした。そして被害者の数や犯行の残虐性など、死刑を適用する基準として最高裁が1983年に示した「永山基準」に沿って検討。結果の重大性や犯行の残虐性を挙げ、「犯行時に少年で、前科がないとはいえ、動機や態様を総合すると被告の深い犯罪性に根ざした犯行というほかない」と述べた。その上で、遺族の処罰感情が激しいことにも触れ、「謝罪の意思を表明したことなど、酌むべき事情を考慮しても刑事責任は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と結論付けた。一方、被告の生い立ちや成育歴、更生の可能性については触れなかった。裁判官5人の一致した意見。
備 考
 裁判員裁判で2例目の死刑判決。少年被告では初めて。一審判決時19歳4か月。一審判決時少年である被告への死刑判決は1969年2月28日、東京地裁八王子支部で19歳11ヶ月(誕生日1日前)の少年に死刑判決が出て以来41年ぶり(二審で無期懲役に減軽)。
 平成生まれで初めての死刑囚。

 共犯の無職少年は2010年12月17日、仙台地裁で懲役3年以上6年以下の不定期刑判決(求刑懲役4年以上8年以下の不定期刑)。弁護側は「(元解体工少年の)命令に逆らうと、自分や家族が暴行を受ける危険があった」と、少年法による保護処分を求めていたが、川本清巌裁判長は「弁護人が指摘する点を最大限考慮しても、保護処分は社会的に許容されるものではない」と退けた。そして「(被害者の逃走を困難にするため、事件現場の)寝室の出入り口ドアを閉めるなどして元解体工少年の犯行を容易にした。だが、元解体工少年から服従関係を強いられていた」と述べた。検察・被告側控訴せず確定。
 殺害された長女の祖母は、元解体工の元少年と共犯の元少年に対し、慰謝料など1,100万円の損害賠償を求める訴訟を2013年2月7日付で仙台地裁に起こした。しかし祖母は亡くなったため、提訴は取り下げられた。
現 在
 2017年12月18日、仙台地裁に再審請求。2018年12月、仙台地裁は請求を棄却。2020年11月、仙台高裁は即時抗告を棄却。2021年10月11日付で最高裁第三小法廷(渡辺恵理子裁判長)は、特別抗告を棄却する決定をした。裁判官5人全員一致の結論。
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氏 名
筒井郷太
事件当時年齢
 27歳
犯行日時
 2011年12月16日
罪 状
 殺人、住居侵入、窃盗、傷害、脅迫
事件名
 長崎ストーカー殺人事件
事件概要
 三重県桑名市の無職筒井郷太被告は、千葉県習志野市で同居していた女性(三女(当時23))が、家族によって西海市の実家に連れ戻されたと思い込み、家族を殺害して連れ戻そうと計画。2011年12月16日午後6時ごろ、西海市の実家の敷地内にある別宅に窓ガラスを割って侵入し、祖母(当時77)を包丁で刺殺。さらに午後6時20分ごろ、実家に侵入し、母(当時56)を包丁で刺殺し財布などを盗んだ。そして二人の死体を、母のワゴン車に押し込んで隠した。
 2011年9~10月に習志野市内で三女の顔を殴るなどして約3週間のけがをさせたほか、2011年11~12月、三女の姉弟や同僚ら8人に「お前は必ず殺す」などとメールを送って脅した。

 三女と筒井被告はインターネットの会員制交流サイトで2010年9月に知り合った。2011年5月から三女の住む習志野市のマンションで同居を始めたが、筒井被告は三女のメールを先にチェックする、勝手に家族や友人たちと連絡をとらせない、勤務中の出来事について10~15分おきにメールや電話で報告させる、など厳しく束縛した。6月下旬以降、連絡や帰宅が遅れたといった理由で三女の頭や顔を殴る蹴る等の暴行を加えた。「俺から離れたら、絶対にお前の家族を殺す。先輩、友達も殺すし、みんな殺す」などと脅迫した。三女は逃げ出すことも、家族や警察に相談もできない被虐待女性症候群となった。そして三女は事実上の監禁状態にされた。
 2011年10月29日、三女の父親から相談を受けた長崎県警西海署が、千葉県習志野署に通報。30日、三女の部屋に長女、会社上司と習志野署員2人が突入。署員が筒井被告を傷害容疑で任意同行したが、「二度と近づかない」との誓約書を書かせて帰した。三女宅にはその後も筒井被告から電話があった。31日、父親が三女を西海市の自宅に連れて帰った。
 11月1日、父親は西海署に「傷害の被害届を出したい」と相談したが、「事件が起こった場所の警察署へ」と言われた。同日、習志野署は筒井被告に2回目の警告を行った。父親は4日、習志野署に「被害届を出したい」と電話をする。5日、西海署に「無言電話が続く」と相談した。8日、神族が習志野署に「三女の部屋に侵入の跡がある」と通報したが、同署は対応しなかった。13日頃から、筒井被告は三女の知人らに脅迫メールを送り続けた。21日、父親は西海署、習志野署に脅迫メールについて相談。両署とも「被害者の居住地の警察署に相談を」と言うのみであった。そこで父親は桑名署に脅迫メールを伝え「筒井の実家巡回を」と要求。同署は「西海、習志野署に確認する」と回答したものの、その後連絡はなかった。いずれの署もメール内容を詳しく確認しなかった。
 12月1日、三女が習志野署に「被害届を出したい」と電話し、生活安全課は「いつでもいい」と回答した。そこで6日、父親と三女が習志野署で傷害の被害届を出そうとしたが、応対した刑事課の係長は別事件の対応を理由に「被害届の提出は一週間待ってほしい」と伝え、捜査を始めなかった。その理由は、12月8日から10日まで、生活安全課長を班長とする当直勤務のグループ単位で行う北海道への慰安旅行に参加するためだった。他メンバーは刑事課の係長を含む4人、生活安全課、地域課、交通課から2人、警備課の1人で合計12人だった。
 7日、三女の知人が脅迫メールについて県警に相談をしている。8日、桑名市の実家に戻っていた筒井被告は家を飛び出し、翌9日、未明から三女宅のチャイムを鳴らしたりベランダを叩いたりした。父親は習志野署に通報したが、警察官は「顔を確認したのか」「逮捕はできない」と言って帰った。その後、女性の自宅に筒井被告の両親が来て「(息子を)早く逮捕してほしい」と訴え、女性の父親が署に連絡した。刑事課員が「逮捕状が出ていない。現行犯でない限り困難」と説明した後、筒井被告らしき男を自宅前で発見。追跡するも見逃した。刑事課長は筒井被告を電話で呼び出し署で事情を聴くが、暴行を否認。逮捕を検討したが、捜査を先送りして三女への事情聴取が始まっておらず不可能と判断。生安課へ引き継いだ。生安課係長は女性宅周辺を徘徊した人物を筒井被告と確認できず、ストーカー規制法による検挙も断念。警告だけで済ませ、迎えに来た筒井被告の両親に連れ帰るよう指示した。
 12日、習志野署は三女と父親から事情聴取を始めた。14日、習志野署はようやく被害届を受理した。同日夜、桑名市の実家に戻っていた筒井被告は、父親を殴り、母親の携帯電話を奪って家出した。筒井被告の父親が「息子に殴られた」と119番。署員が駆け付けた際には筒井被告の所在は不明となった。なお筒井被告の両親もこれまでに計3回、相談したり通報している。筒井被告は金を持って、長崎に向かっていた。三重県警から連絡を受けた千葉県警は三女の安全を確かめたが、長崎県警には筒井被告の動きを伝えていなかった。
 16日の事件当日、三女と父親は長女とともに東京にいた。午後9時ごろ、学校から帰宅した次男が、室内が荒らされている状況を知り、ワゴン車の荷台から2人の死体を発見した。
 家族らの説明から筒井被告が浮上。捜査員が17日午前9時20分頃、長崎市内のホテルにいた筒井被告に任意同行を求め、事情聴取し、同日、殺人、住居侵入容疑で逮捕した。この日、千葉県警は傷害容疑で筒井被告の逮捕状を取っていた。
 2012年1月、筒井被告を鑑定留置。4月24日、鑑定が終了し、26日に殺人、住居侵入、窃盗の罪で筒井被告を起訴。5月1日、長崎県警が傷害容疑で筒井被告を再逮捕。21日、脅迫容疑で筒井被告を再逮捕した。
一 審
 2013年6月14日 長崎地裁 重富朗裁判長 死刑判決
控訴審
 2014年6月24日 福岡高裁 古田浩裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2016年7月21日 最高裁第一小法廷 池上政幸裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 福岡拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。筒井被告は逮捕当初、容疑を認め、接見した弁護人に謝罪の言葉を述べていた。しかし起訴後の2012年6月、弁護人に「本当はよく覚えていない」と言い始めた。弁護人によると、供述はその後さらに変わり、最終的には「自分は犯人ではない。自白調書は言ってもいないことを書かれた」との主張に変わった。2013年4月3日に行われた最後の公判前整理手続で、殺人や住居侵入、窃盗罪については無罪を主張する一方、脅迫罪は認め、傷害罪は暴行の回数や程度を争うとしていた。その後、弁護人が接見した際、筒井被告はすべての罪について、全面否認の意向を示した。
 2013年6月14日の初公判で、筒井被告は、「否認します」と全面無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で、筒井被告は大学時代から交際相手にストーカーや暴力行為をしており、三女に対しても冷静な判断ができなくなるほど筒井被告が日常的な暴力で支配していた経緯を指摘。三女が千葉県習志野市から西海市の実家に戻った際、家族に無理やり連れ戻されたと思い込み、「三女の家族を皆殺しにして奪い返す」と決意。殺人事件の8日前に包丁を購入し、手袋を準備するなど計画的な犯行だったと指摘した。
 弁護側は冒頭陳述で「被告は三女が病気になった時に看病するなど、三女との関係は良好だった」と反論し、無罪を主張。刑事責任能力についても争う姿勢を示し、今後、被告人質問や三女に対する証人尋問などで立証していく考えを明らかにした。
 検察側は殺人事件の約2か月前、三女が住んでいた千葉県習志野市のマンションで、隣人が被告と三女の会話を録音したという音声を証拠として約10分間再生した。また検察側は、三女の部屋のクローゼットの大きな穴や血痕のついたシーツの写真などを証拠として提出。筒井被告に殴られてできたとする三女の左目付近の打撲痕や頭の切り傷なども写真で示した。
 15日の第2回公判で検察側は、事件翌日に筒井被告が任意同行された際に着ていたコート、ズボンなどから検出した血痕のDNA型が、被害者の二人と一致。所持していた包丁の血痕のDNA型は母と一致したという捜査報告書を提出した。また、犯行現場に残された足跡が、県警科捜研の鑑定の結果、被告が任意同行時に履いていた革靴と一致したとする捜査報告書や、被告のウエストポーチの中から、被害者2人の財布などが出てきたとする写真撮影報告書も調べられた。また、脅迫罪の立証のためとして、筒井被告が使っていたとするソーシャル・ネットワーキング・サービスに関する証拠も提出された。
 16日の第3回公判では、任意同行や凶器、着衣を鑑定した警察官ら5人が出廷し、当時の捜査の様子を証言した。
 17日の第4回公判で、ストーカー被害を受けた三女の証人尋問がビデオリンク方式で行われた。三女は「束縛は厳しかった。手錠をかけられ正座をさせられ、蹴り飛ばされたこともあった」「家族を殺すと言われていたので、死ぬことも逃げることもできなかった」と涙声で証言。また警察に何度訴えても被告が逮捕されなかったことについて「何で誰も守ってくれないのか」と当時の絶望感を振り返った上で、「(被告を)死刑にしてください」と強い処罰感情を訴えた。
 20日の第5回公判で、長女は三女を筒井被告の元から連れ出す3日前、約4か月ぶりに再会したとし、三女は顔のあざを化粧で隠しており、食事中も常に携帯電話を気にしているそぶりを見せ、会話も上の空だったと証言。「この時、暴力を受けていると確信した」と助け出す決意をした経緯について説明した。また、連れ出したときのことについて、「アパート内は、いろんな物が散乱し、壁に血が付いており、監禁部屋のようだった。私も被告から殺されると思い、遺書を通勤カバンに入れていた」などと語った。次女は、被虐待女性症候群症状に陥った三女が、実家へ避難後、無気力になり、なかなか筒井被告の行為を説明しなかったと証言。1、2週間かけて家族全員で三女の心のケアに努めたところ、ようやく語り始めたという。そして「(望む判決は)死刑しかない」と語った。
 21日の第6回公判で、逮捕翌日の2011年12月18日及び23日に行われた検察官と警察官の取り調べの様子を計約1時間にわたり収録したが映像が廷内で流された。三女に配慮し、廷内では音声が全て消され、裁判員らはイヤホンでやり取りを聞いた。被告は落ち着いた様子で取り調べに応じ、包丁を振り下ろして殺害する様子を再現したり、調書に署名したりする姿が映し出された。
 同日の被告人質問で、筒井被告は自白調書に署名した理由を、「刑事から『死ね、くず』とどなられたり、机をたたかれたりして脅され、警察の意に沿う供述をした」と説明した。検察側から、捜査段階で作成された54通の供述調書全てで犯行を自供している点を指摘されると、「『調書にサインしないと、共犯者と疑われて取り調べを受けている女姓やお前の家族が裸にされるぞ』と脅された」などと繰り返した。
 23日の第7回公判で、争点の一つだった捜査段階の自白調書について、地裁は任意性を認め、証拠採用し、検察側が朗読した。検察側は筒井被告が拘置所内で書いたノートも証拠提出した。
 24日の第8回公判における被告人質問で筒井被告は、自白調書はデタラメであると無罪を主張。事件当日の行動については、「夜7時くらいに長崎駅に着いた。三女の父から傷害で訴えると言われ、自分の父を殴って実家を出てきていたので、いろいろと不安な気持ちがあり、駅周辺を歩き回っていた」などとし、犯行を否定した。女性への連絡強要、暴力も全て否定した。
 27日の第9回公判における被告人質問で、被害者とDNA型が一致する血痕が付着したコートや包丁、現場に残った足跡など殺人事件の証拠について筒井被告は「警察が偽造した。全部うそだ」と主張した。女性の顔や足などにアザの痕が残った写真も提示したが、筒井被告は「暴力は振るっていない」と主張した。
 28日の第10回公判では、鑑定留置と再鑑定を行った精神科医が出廷し、「被告は他人の感情に無関心で暴力を振るうハードルが低い『非社会性パーソナリティー障害』。人格障害の一つで、善悪の判断に影響はない。刑事責任能力はある」と述べた。
 6月3日、論告に先立ち、三女の父親は被害者参加制度に基づき別室から「ビデオリンク方式」で意見陳述し、「事件を境に、私たちの楽しい日常が一変してしまった。死刑以外は考えられない」と時折声を詰まらせながら、厳しい処罰感情を訴えた。
 論告で検察側は、被害者のDNA型と一致する血痕が付いた被告のコートなど物証の存在を強調。捜査段階での筒井被告の自白調書を「詳細かつ具体的、合理的」と主張する一方、「証拠を偽造した」との公判での筒井被告の主張を「荒唐無稽」と批判した。刑事責任能力については「非社会性パーソナリティー障害」との鑑定結果から「完全責任能力が認められるのは明らか」とした。動機については「三女を取り戻すため、実家にいる家族を皆殺しにすると決意した」とした。また、「2人が殺害されたのは自分のせいだ」と、三女が事件から約1年半たった今も苦しみ続けていることに触れ、「結果はあまりに重大だ」と指摘。さらに、被告が過去にもストーカー事件を起こしたことを挙げ、「やり直すチャンスを何度も与えられながら、生かさなかった」と述べた。「被告には他人の痛みや苦しみを共感する心が欠如している。被告は現時点でも三女を取り戻したいという願望を持っており、万が一にも刑務所から出てきたら、再犯に及ぶことは確実」と強調した。そして「強固な殺意に基づき、執拗かつ残虐で計画的。更生の可能性はない。命をもって償うべきだ」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は、「取り調べで『死刑にしてやる』など脅迫的な言葉を言われた」などとして自白調書を「任意性も信用性も存在しない」と主張。刑事責任能力については「心神喪失あるいは心神耗弱状態だった」と訴えた。そして「被告は現場に行っていない」と無罪を主張した。
 最終意見陳述で筒井被告は「警察と検察が都合良く証拠を作り変えている。時間がないのですべては言えないが、犯人は別にいる」と訴え無罪を主張した。また初公判前に裁判長に無罪を訴える100枚を超える手記を送っていたことを明らかにし、「僕の気持ちを細かく書いているので読んでほしい」と訴えた。
 判決で重富裁判長は、被告が事件翌日に被害者の血の付いた包丁を持っていたことや、服に被害者の血がついていたことを「被告が犯人でなければ合理的に説明できない」と指摘。被害者の財布を持っていたことや、被害者宅に被告の靴と似た足跡があったことからも「犯人だと認められる」とした。捜査段階での自白については、殺害の経緯や様子を具体的に述べているとして信用性を認め「脅迫など違法な取り調べがなされた事実はない」と判断。公判での被告の主張は「多くの証拠と矛盾する」と退けた。また、被告には人格障害があるが精神病ではなく、行動は計画的で自己防衛的な言動も多いとして、刑事責任能力があると認めた。その上で「遺族の処罰感情は厳しい。公判では不合理な弁解に終始し、改悛の情は全く見いだせない。何の落ち度も無い2人の命を理不尽に奪った責任は重い。犯行は冷酷、残虐で更生の可能性も低い。死刑を科すほかない」と死刑とした理由を述べた。

 被告側は即日控訴した。
 2014年3月3日の控訴審初公判で、筒井被告は一審に続き「僕は犯人じゃない。自分は誰かに、はめられているとしか思えない」などと無罪を主張した。
 この日に行われた弁護側の被告人質問で、筒井被告は「現場に行っていない。アリバイとなる長崎市内のコンビニのレシートを警察に捨てられた」などと供述。凶器とされた包丁や衣服に付いた血痕、犯行現場の足跡などについても無関係と主張した。女性に対する傷害など他の四つの罪についても「はめられた」と否認した。弁護側は一審に続き、捜査段階の自白の信用性や任意性はないと主張。検察側は「取り調べを録音・録画したDVDでは殺害状況など詳細な内容を自発的に供述している。任意で自由な態度で調べに応じている」と調書の信用性を主張する書面を提出した。一審で争った責任能力については、筒井被告が「自分には責任能力がある」と話したため、控訴審では争点にしなかった。
 4月8日の公判で検察官が、捜査段階で一度容疑を認めた理由について筒井被告に問うと、「刑事に脅され、言いなりになり、認めてしまった」と一審の主張を繰り返した。そして「真犯人を必ず世の中に出す」と話した。「裁判で発言できるのは最後かもしれないが、真実を話さなくていいのか」との問いかけに対しては「本当のことを話している」と反論した。筒井被告からのストーカー被害を訴えていた女性について、古田裁判長が「今どう思っているか」と問いかけると、しばらく沈黙し、「頭が真っ白で分からない」と答えた。検察側は女性の父親の意見陳述書を読み上げた。その中で、父親は元交際相手に殺害される事件が後を絶たない現状に触れ、「反省もせず、人の痛みが分からない人間を生かしておくための裁判をいつまで我慢すればいいのでしょうか」と訴えた。裁判はこの日で結審した。
 古田裁判長は判決で、「被告の服や靴に被害者とDNAの型が一致する血痕がついていたことや、捜査段階の自白は信用できるとして、被告の犯行だと判断した一審に不合理な点はない」と指摘。凶器の所持などを「警察官の捏造」とする筒井被告の主張を、「根拠を欠く荒唐無稽な主張」と退けた。その上で、「強固な犯意に基づく無慈悲な犯行」と批判。捜査段階で認めながら公判で否認に転じたことについて「不合理な弁解で、更生可能性は乏しい」と言及し、「人命軽視の態度は顕著で、その思考と経緯に酌量の余地はない。刑事責任は極めて重く、究極の刑であることを踏まえても、死刑を認めざるを得ない」と結論付けた。

 2016年6月20日の最高裁弁論で、弁護側は、「捜査段階の自白は任意性がなく、他の状況証拠では犯人性の証明がない。いずれも合理的疑いがある」として、いずれの罪でも無罪を主張。筒井被告自身が「犯行当時のアリバイを証明するもの」として作成した上告趣意書を提出した。検察側は、警察と検察の取り調べの記録などから「自白の任意性に疑いはない」と述べ、事件の翌朝、長崎市内で警察官が職務質問した際、筒井被告が被害者のDNA型と一致する血痕が付着した出刃包丁を所持していたことなどから「犯人と認定できる」と指摘。筒井被告が「客観的証拠」として添付した書面については「いずれも偽造文書」とした。そして「強い殺意に基づく残虐な犯行で、更生の余地はない」と上告棄却を求めた。
 判決で池上裁判長は、「客観証拠に基づき犯人と認定した一、二審は正当」と被告側の無罪主張を退けた。その上で「動機は交際女性を取り戻すことへの一方的な執着と、その障害と考える家族を殺害してでも排除しようとするもので、酌量の余地はない。何の落ち度もない2人の生命が奪われた結果は重大だ」と指摘した。
備 考
 2012年2月1日、千葉県警の刑事部参事官ら刑事部、生活安全部の幹部3人が西海市を訪れ、事件を防げなかったことを遺族に謝罪した。
 3月5日、千葉、三重、長崎3県警幹部が、連携不足を認める検証結果を遺族に報告、発表した。父親が11月21日、習志野と西海、桑名の3署に相談した際、筒井被告から三女の知人らに脅迫メールが届いていることを伝えたのに、どの署も内容を確認していなかった点を指摘。その上で、「内容を確認すれば、切迫性があると判断し、早期の事件化を図れた」とした。また、10月30日、三女が習志野市のマンションを借りたまま帰郷したことで、習志野、西海両署がいずれも「管内のことではない」と考え、ストーカー規制法を積極的に適用しなかったことも反省点とした。筒井被告は殺害の2日前に行方不明になったが、この情報を習志野署が西海署へ伝えなかったことも連携不足とした。3県警の合同検証では、習志野署の問題点として、〈1〉ストーカー被害を受けた女性の父親から相談を受けながら、切迫感を持つことのないまま他の事件捜査を優先するなど危機意識が薄かった〈2〉ストーカー規制法に基づき、一歩踏み込んだ対応がなされなかった〈3〉署長が適切に指揮するだけの情報が上がっておらず、生活安全課と刑事課の連携も十分ではなかった--といった点が指摘された。そして再発防止策も挙げ、男女間トラブルが重大事件に発展することの周知や、組織的対応の徹底などを図るとした。
 同日、警察庁は、再発防止策を都道府県警に通達し、ストーカー事案では初期段階から警察署長が積極的に指揮し、他県警との連絡を緊密にするよう指示した。また暴力に発展する恐れのある男女のトラブルに関する全相談と110番について警察本部と署長が把握して指揮することなどを、全国の警察に通達で指示した。
 しかし22日、習志野署員の慰安旅行が発覚。警察庁は、旅行が捜査に与えた影響などを徹底的に追加調査するよう県警に指示した。千葉県警の幹部は22日夜、一部の遺族に慰安旅行の事実を説明し謝罪した。26日、遺族は第三者機関による再検証を要請した。だが千葉県警は、内部で再検証を行った。
 4月23日、千葉県警が再検証結果を発表。3月に公表した事件対応の検証結果に旅行の事実が盛り込まれなかった点について、「事実を伏せておくような指示や協議はなく、旅行の影響を過小評価していた」として、組織的な隠蔽の意図はなかったと結論づけた。またストーカー被害を受けていた女性に被害届受理の先送りを伝えた同署刑事課係長や、ストーカー対策の責任者である同署生活安全課長が旅行に参加しなければ、「より踏み込んだ対応ができた」と指摘。さらに署長や副署長らも積極的に対応していれば「(殺害の)発生は回避できる可能性があった」と言及し、「幹部としての役割を果たしていない」とした。同日、会見で鎌田聡本部長が遺族へ謝罪するとともに、前回の検証で外部からの評価が欠けていた点や、署全体が最大限対応していれば2女性殺害が回避できた可能性も認めた。
 同日、鎌田聡本部長が訓戒処分を受けるなど千葉県警で21人が処分を受け、7人が口頭厳重注意などを受けた。処分発表と合わせて、警察庁などは生活安全部長を千葉県警地域部長に、刑事部長を警察庁長官官房調査官に27日付で異動させる事実上の更迭人事を決めた。戒告処分を受けた当時の習志野署長は23日付で退職した。
 同日、三重県警は当時の桑名署長(3月23日付、31日に定年退職)に口頭厳重注意、同署生活安全課長と同課の前係長2人に対し、同様の事案について適切な対応をするよう口頭で業務指導した。長崎県警でも数名に口頭厳重注意などの処分がされている。
 千葉県警は、ストーカー事案に対応した習志野署を含む中規模署数か所に、刑事課と生活安全課にまたがるストーカー事案などについて迅速に対応することを目的とした、警視クラスの「刑事官」の配置を2012年9月より始めた。
その他
 裁判で長崎地検は、三女に地検の被害者支援員が付き添い、裁判の手続きや不安などの相談を受けることで精神面のサポートを行った。
現 在
 2020年3月30日付で長崎地裁に再審請求。
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