死刑確定囚(2020年)



※2020年に確定した、もしくは最高裁判決があった死刑確定囚を載せている。
※一審、控訴審、上告審の日付は、いずれも判決日である。
※事実誤認等がある場合、ご指摘していただけると幸いである。
※事件概要では、死刑確定囚を「被告」表記、その他の人名は出さないことにした(一部共犯を除く)。
※事件当時年齢は、一部推定である。
※没年齢は、新聞に掲載されたものから引用している。

氏 名
植松聖
事件当時年齢
 26歳
犯行日時
 2016年7月26日
罪 状
 殺人、殺人未遂、建造物侵入、逮捕致傷、逮捕、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件名
 相模原障害者施設殺傷事件
事件概要
 神奈川県相模原市の無職、植松聖(さとし)被告は、近所にあって元職員だった重度知的障害者の入所施設に2016年7月26日午前1時43分ごろ、柳刃包丁など刃物5本を持参して施設の通用口から敷地に入り、窓ガラスを割って居住棟に侵入。刃物を見せて「騒いだら殺す」と園にいた男女の職員5人を脅して結束バンドで手すりに縛って拘束し、うち女性職員(当時37)を転倒させて軽傷を負わせ、さらに女性職員(当時39)を殴って重傷を負わせた。さらに刃物で入所者らを次々と襲撃。入所していた19~70歳の男性9人、女性10人を殺害し、23~58歳の男性21人、女性3人の計24人に重軽傷を負わせた(うち重傷8人)。
 植松被告は午前2時48分ごろ逃走。ほぼ同時刻、職員から110番通報。午前3時過ぎ、神奈川県警津久井署に「私がやりました」と植松被告が自分の車に乗って出頭し、同署が最初の犠牲者である女性入所者に対する殺人未遂と建造物侵入容疑で緊急逮捕した。翌日、殺人容疑で送検。8月15日、東棟の女性入所者9人に対する殺人容疑で再逮捕。9月5日、西棟の男性入所者9人の対する殺人容疑で再逮捕。12月19日、負傷した24人に対する殺人未遂容疑で書類送検。2017年1月13日、当直していた職員5人への逮捕致傷や銃刀法違反で書類送検。
 植松聖被告は2012年12月1日に入所施設で非常勤職員として働き始め、2013年4月から常勤職員になった。施設で働く前は運輸系の会社で働いていた。
 植松被告は2015年6月28日、東京都八王子市の路上で面識のない通行人の男性に「死ね」と言われて逆上し、友人の男性とともに男性とけんかになって負傷を負わせた。12月に傷害容疑で書類送検されている。
 2016年2月14日、植松被告は衆院議長宛ての手紙を持参して東京都千代田区の公邸を訪ねたが、公邸職員に受け取りを拒まれた。翌15日に再び訪れ、正門前で座り込むなどしたため、警備に当たる警視庁の警察官と公邸側が相談して受け取り、同庁が県警に情報を伝えた。手紙は直筆で、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と書かれ、襲われた入所施設を含む2施設を「標的」と名指ししていた。警視庁麹町署から連絡を受けた津久井署は、15日中に園周辺のパトロールを開始。植松被告の自宅周辺も見回るようにした。16日、署員が施設を訪れ、植松被告が書いた手紙について説明し、施設にも警戒するよう求めた。施設は植松被告に事情を聞いたが、植松被告は「障害者は生きていても仕方がない」などと発言した。このため施設は18日、津久井署に「本人と面談し、場合によっては解雇する」と連絡。施設が19日に植松被告の面談を行った際には、署は不測の事態に備え、署員を派遣して警戒した。この面談で植松被告は自主退職を決めた。面談で植松被告は「大量抹殺する」などの発言を繰り返したため、署は植松被告の身柄を保護し、精神保健福祉法に基づき相模原市に通報した。同市は植松被告を緊急措置入院させた。署はこの日、市外に住む植松被告の父親も署に呼び、今後の対応について協力を依頼した。22日、診察した2人の精神保健指定医のうち、1人の診断は、他人の権利を侵害することへの罪悪感が薄い「非社会性パーソナリティー障害」と、大麻の摂取で妄想や幻覚の症状が出る「大麻精神病」。もう1人の診断は、疑念や嫉妬から妄想を膨らませる「妄想性障害」と「薬物性精神病性障害」だった。尿検査で大麻が検出されるも大麻の使用だけでは罰則規定がなく、通報の義務はないと判断した指定医は「症状の改善が優先」などとして県警には通報せず、市は措置入院を決定。その後、植松被告は「あの時はおかしかった。大麻吸引が原因だったのではないか」と自己分析するなどしたため、指定医が症状が消え他害の恐れはないと判断し、3月2日、市の決定で退院した。植松被告は市外で両親と同居する旨の書類を市に提出するも、実際には同園の近くに一人で住んでおり、市は把握していなかった。3日、植松被告の退院を知った施設は、代表電話番号を「特定通報」と呼ばれる県警のシステムに登録した。さらに施設は県警の指導を受けて4月26日、防犯カメラを16台増設した。5月30日。退職手続きのために植松被告は施設を訪れたが、特段のトラブルもなく帰宅した。
 植松被告は退院後、3月24日に外来受診し、「抑鬱状態」などと診断された。同日中に失業手当や生活保護の手続きで、ハローワーク相模原と市福祉事務所を訪問。31日にも外来を受診。5月24日にも予約し、その後、6月28日に延期したが、病院には訪れなかった。7月25日、植松被告は相模原市内のファストフード店の駐車場に車を放置して110番通報されており、午後に車を受け取っている。津久井署は事件の直前まで、施設や周辺をパトカーで巡回する対応を取っていた。
 植松被告の逮捕後、自宅から少量の大麻が押収されている。また尿検査で大麻の陽性反応が出ている。
 横浜地検は9月21日から2017年2月20日まで鑑定留置を実施。植松被告は人格障害の一種で自分を特別な存在と思い込む「自己愛性パーソナリティー障害」などと診断されたが、善悪の判断はできる状態だったとの結果が出たことを踏まえ、「完全な刑事責任能力があった」と判断し、横浜地検は2月24日、植松被告を起訴した。
 弁護側は横浜地裁に二度目の精神鑑定を請求。地裁は2月25日までに鑑定の実施を決めた。
一 審
 2020年3月16日 横浜地裁 青沼潔裁判長 死刑判決
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
控訴審
 3月27日に弁護側が控訴するも、3月30日に本人控訴取り下げ。検察側控訴せず、確定。
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2020年1月8日の初公判で、植松聖被告は罪状認否で起訴内容に間違いがないか問われ、「ありません」と述べて認めた。弁護側は、植松被告には精神障害があり、事件当時は心神喪失か心神耗弱状態だったとして、無罪もしくは刑の減軽が相当とした。弁護側の申し立てを受けて裁判長が植松被告の発言を許可。証言台の前に立っていた植松被告は小声で「皆さまに深くおわびいたします」と述べた後、前かがみになり、口の中に両手の指を入れ、右手の小指をかみ切ろうとしるような動作をしたといい、4人の刑務官がすぐに取り押さえようとしたが暴れ、床に転がり1分以上抵抗を続けた。青沼裁判長が11時40分に休廷を宣言した。
 13時20分に再開したが、植松被告は出廷しなかった。
 検察側は冒頭陳述で、被告が園で働き始めた当初は障害者のことを「かわいい」と感じていたのに、勤務経験や見聞きした社会情勢を踏まえて「意思疎通のできない障害者は不幸を生み出す」「障害者は殺した方がいい、殺す」と考えが特異に変化したと指摘した。事件前にハンマーを購入するなど計画性があり、職員に見つからない場所から侵入して意思疎通のできないと判断した障害者を選んで事件に及んだ点などから一貫性もあったと強調。植松被告が事件の約5カ月前に措置入院した際に大麻精神病と診断され、事件後の尿鑑定でも大麻の陽性反応が出たことを踏まえても、大麻の影響は犯行時期を早めたに過ぎず、動機がつくられた過程は正常な心理の範囲内で完全責任能力があったとした。さらに「動機は反人道的。反省態度がなく更生可能性がない」とも述べた。
 弁護側は冒頭陳述で、植松被告が大学時代には教師になるために努力していたことや、2012年12月に園に就職した当初は障害者について「こうしたら喜んでくれる」などと身ぶりを加えて友人らに話していたことを挙げ、「本来は明るく優しい性格だった」と述べた。しかし、ほぼ同時期から大麻を使用し始め、事件の直前まで多い時は日に数回、乱用し続けたため、精神障害になったと主張した。弁護側はさらに、被告が「政府の代わりに殺すんだから100億円をもらえる」「自分はヒーローになる」などと次第に不可解な発言をするようになり、幻聴もあったと指摘。大麻は長期常用で幻覚や妄想が起こる大麻精神病と呼ばれる状態になるとして「大麻精神病、あるいはその他の精神疾患が与えた影響で、善悪を判断する能力、あるいは行動をコントロールする能力もなかった」と訴えた。
 10日の第2回公判において、植松被告は自傷防止のために分厚い手袋を両手につけてきた。続いて、事件当時植松被告と遭遇した6人の職員の供述調書が読まれた。各部屋へ連れまわした職員に「しゃべれるか」と問いかけ、しゃべれないと答えた人物を指していった。しかしそのことに気づいた職員が「しゃべれる」と答えるようになると、職員を手すりに縛り付けたと証言した。
 15日の第3回公判の冒頭で青沼裁判長は、遺族側からの要望を受けて、匿名で「甲A」と呼んできた被害者について、法廷での呼称を「〇〇さん」と変更すると述べた。検察側と弁護側に対し、「依然として氏名(実名)ではなく呼称であり、被害者が特定されないよう注意されたい」と求めた。この日は殺害された19人のうち12人の遺族らの供述調書が読み上げられた。また植松被告の幼なじみで園の同僚が、事件前に被告から「(入所者は)要らなくないか」と言われたとする内容の調書が読み上げられた。
 16日の第4回公判で、亡くなった入所者7人の遺族並びにけがをした入所者全24人分の家族から聞き取った供述調書を朗読した。
 17日の第5回公判で、事件当時に植松被告と交際していた女性が検察側証人として出廷。女性は検察官の質問に対し、2014年夏から冬の1度目の交際期間中の被告は、ドライブ中に施設の近くを通った際、入所者を見かけて「かわいいんだよ」と話していたが、2015年冬から2度目の交際を始めてからは「重度の障害者は生産性がない。人間じゃない」と差別的な発言をするようになったと証言した。
 20日の第6回公判で、弁護側が植松被告の幼馴染2人の供述を朗読。被告の高校時代の様子、大学中に脱法ハーブに手を出し2014年ごろから大麻を吸うようになったこと、事件の約半年前、障害者を殺害する計画をしたためた安倍晋三首相宛ての手紙の代筆を頼んだり、一緒に実行しようと誘ったりしていたことなどが明らかにされた。
 21日の第7回公判で、弁護側は事件の数時間前に植松被告と会っていた知人らの証言を読み上げ、事件の計画を話したり、協力するよう誘ったりしていたことを明らかにした。
 24日の第8回公判から被告人質問が始まり、弁護側からの質問に対し被告は「自分には責任能力があると考えている」と述べ、心神喪失状態により刑事責任能力が認められず無罪としている弁護側の主張を否定した。動機について「意思疎通を取れない人間は安楽死させるべき。障害者を殺すことが社会の役に立つことだと思った」と持論を展開。精神障害による強制的な入院時(措置入院)に襲撃を決意したことを明らかにした。また身勝手な持論を繰り広げた。
 27日の第9回公判における被告人質問で、弁護側の質問に対し、大麻を使い続ける中で浮かんだ一番の考えが「重度障害者を殺害した方がいいということだった」と述べた。「裁判で一番言いたいこと」を問われた被告は、被害者を匿名とした今回の審理を挙げ、「匿名裁判は重度障害者の問題を浮き彫りにしている。施設に預けるということは、家族の負担になっているということ」と主張した。
続いて検察側の被告人質問が行われ、被告は事件後に津久井署に出頭した理由を、「現行犯逮捕されるより潔いと思った」と話した。被告は事件の動機について、重度障害者を安楽死させた方がいいという主張を社会に伝えるためにやったと改めて説明。事件後に自ら出頭することで、そうした動機が「伝わりやすいと思った」と述べた。なぜ伝わりやすくなるのか尋ねられると、「(自分が)錯乱していないことが(警察にも)分かるから」とした。施設職員を拘束する際にけがをさせたことに対しては「申し訳ございませんでした」と謝罪した。
 2月5日の第10回公判で、死亡した入所者の遺族らによる被告人質問が行われた。姉を亡くした男性が「なぜ殺さないといけなかったのか」と問うと、植松被告は「社会にとって迷惑になっていると思った」と淡々と回答。重傷を負った男性の父から「あなたがした犯罪は社会に受け入れられないと思うし、私たち家族も受け入れることはできない」と言われると「仕方がないと思います」と述べた。午後には裁判長や裁判員の被告人質問が行われた。裁判員から「事件から約3年半が過ぎ、当初考えていた社会になったか」と問われた植松被告は「重度障害者との共生社会に傾いてしまった」と話し、思惑が外れたことを明らかにした。「(共生は)『やっぱり無理』となってほしい」とも述べた。
 6日の第11回公判で、被害者参加制度に基づき、犠牲者や負傷者らの代理人弁護士が質問。被告は、犯行をほのめかす話を両親にした際「悲しむ人がたくさんいる」と止められたことなどを明かす一方、「障害者はいらない」という従来の差別的な主張を繰り返した。
 7日の第12回公判で、被告の起訴後、弁護側の請求を認めた地裁からの依頼で精神鑑定を行った男性医師が証人として出廷した。医師は「『意思疎通の出来ない障害者を殺す』という動機は被告個人の強い考えに基づくもので、妄想ではない」と証言し、被告が常用していた大麻が事件に与えた影響を否定した。尋問で医師は「入れ墨など、大学時代から反社会的な行動は強まっていた。人格の連続性がある」と述べた。
 10日の第13回公判で、植松被告を診断した弁護側証人の精神科医が出廷。犯行当時の被告は「大麻精神病の状態だった」と証言、大麻の影響はないとした精神鑑定結果を否定する考えを示した。植松被告が犯行の約1年前から大麻の使用頻度が増え、会員制交流サイト(SNS)で過激な主張を発信したり自身を「選ばれた存在」と語るなど、異常な行動が際立つようになったと指摘。幻聴や被害妄想といった症状が認められ、大麻による高揚感が「障害者を殺す」という発想などに影響を与えたとした。医師は「(それまでと)明らかに不連続で異質な状態。この変化が自然に生じたとは考えられない」とも指摘、植松被告が現在も障害者に対する差別的な発言を続けていることから、大麻精神病の状態が持続している可能性も示唆した。
 12日の第14回公判で、遺族や被害者家族らの心情意見陳述が行われ、遺族らは極刑を訴えた。
 17日の第15回公判で、殺害された女性の母親が心情意見陳述を行い、極刑を訴えた。
 同日の論告で検察側は、被告を精神障害ではなく、人格の偏りに分類されるパーソナリティー障害と診断した鑑定医の所見について信頼性の高さを強調。「意思疎通の取れない障害者を殺す」との動機は、こうした元来のゆがんだ思考に、「園での勤務経験や見聞きした世界情勢が影響して形成された特異な考え方に過ぎない」と述べた。その上で、凶器や拘束バンドを事前に準備し、襲撃中には致命傷を負わせやすい殺傷方法に途中から変更するなどした点を指摘。そうした計画性、一貫性、合理性から「善悪を判断し行動をコントロールする能力が被告にあることは明らかで、大麻の影響は小さかった。完全責任能力は認められる」と話した。独善的な主張を繰り返す被告には、「障害者を一人の人間として扱い、権利を尊重する社会一般の価値観とは相いれない。反人道的かつ反社会的で酌量の余地は全くない」と指弾。「更生の意欲も可能性も皆無だ」と断じて、結果の重大性以外の要素を検討しても極刑以外の選択はあり得ないとした。
 19日の第16回公判で最終弁論が行われ、植松被告の犯行直前の言動や、診断を行った精神科医の証言などから、大麻の乱用による「大麻精神病」の状態であったと指摘。「自らの行為の意味を真に理解していたとは思えない」「善悪を判断する能力はなかった」とした。また、犯行当時の植松被告を「ブレーキが壊れて、アクセルが入りっぱなしの状態だった」などと、たとえを用いて説明。「この事件がどれほど悲惨でも、被告には無罪が言い渡されるべきだ」と強調した。
 同日の最終意見陳述で、植松被告は証言台前に座ったが、「どんな判決でも控訴はしません」と述べた。このほかにも、「裁判はとても疲れるので負の感情が生まれる」「やくざは気合の入った実業家です」「重度障害者の親はすぐに死ぬと知りました。病は気から。人生に疲れて死んでしまう」「この裁判の本当の争点は、自分の意思疎通が図れなくなることを考えること」などと大声でまくしたて、話し終えると満足したように周囲に頭を下げた。
 判決で青沼裁判長は、被告が園で働く中で、激しい行動をとる障害者と接したことや、同僚が障害者を人間として扱っていないと感じたことから、重度障害者は家族や周囲を不幸にすると考えるようになったと指摘。過激な言動を重ねる海外の政治家を知り、「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使えるようになり世界平和につながる」と考えたと動機を認定した。そして被告が語った「意思疎通のとれない重度障害者が不幸を生む不要な存在だから、自分が抹殺する」という動機について、到底認めることはできないが、施設で勤務した実体験から生じた形成過程は理解でき、「病的な飛躍はない」と指摘。職員が少ない夜間を狙い、犯行直後に警察署に出頭したことなどから、行動に計画性、合理性があり、違法性の認識もあったとし、「大麻の合法化を考えていることからヤクザに狙われている」といった妄想もあったが限定的で、「大麻などによる精神障害の影響があったとは言えず、責任能力が喪失または著しく低下していた疑いは生じない」と結論づけた。青沼裁判長は19人もの命を奪った結果を「他の事例と比較できないほど甚だしく重大だ」と指摘。「酌量の余地はまったくなく、死刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

 植松被告の弁護側は、3月27日、東京高裁へ控訴した。しかし植松被告は30日、控訴を取り下げた。控訴期限は同日で、31日午前0時をもって死刑が確定した。
備 考
 現場に居合わせた施設職員3人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などで一時的に仕事ができなくなり、相模原労働基準監督署が労災認定している。
 事件現場の居住棟は解体され、入所者約120人は仮移転先の横浜市内の園舎などで生活している。神奈川県は施設を横浜、相模原両市内に分散させる形で再生し、21年度中に再開する計画。
 神奈川県警は「遺族の強い要望」を理由に被害者の氏名を公表しない異例の措置を取った。横浜地裁も個人の特定につながる情報を伏せる「被害者特定事項秘匿制度」を適用した。死亡や負傷程度などによって被害者を甲、乙、丙の3グループに分けたうえ、それぞれにアルファベットを割り当てて「甲A」「乙B」などと呼んだ。ただし、家族の了承が得られた負傷者2名については実名が公表された。法廷では、被害者参加制度を利用し傍聴した遺族や被害者らの姿が他の傍聴者や被告から見えないよう、傍聴席の3分の1程度が間仕切りで遮蔽された。
 2020年1月14日、最初に殺害された女性の母親は上申書を提出。横浜地裁は15日の裁判よりこの女性について、姓は伏せて名前で呼ぶことを決めた。

 2016年8月23日、相模原市の加山俊夫市長は定例記者会見で、市が植松被告の措置入院解除(退院)後の生活拠点を把握していなかったことについて、対応のまずさを認めた。
 2016年9月、強制入院などの判断を行う「精神保健指定医」の資格について、聖マリアンナ医大病院(川崎市)で2015年に組織的な不正取得が発覚したことを受けて厚生労働省が調査。全国の複数の医療機関の精神科医が、資格を不正に取得していた疑いがあることが判明し、10月26日、国の指定医89人が処分された。うち、本事件で植松被告の診察に関わった1人が含まれていた。
 9月14日、厚生労働省の検証チーム(座長=山本輝之・成城大教授)は、植松被告の措置入院前から入院中、退院後と時系列に沿って対応を評価した中間報告を発表。措置入院やその解除に関する指定医の医学的判断はいずれも妥当との評価をしたが、「入院中に加え通院時も薬物の再使用防止の対応が不十分」「退院後の居住先について家族と認識を共有せず」「病院、市とも退院後の医療などの支援を検討せず措置を解除」など、診療や情報共有、支援の検討などについて多数の問題点を指摘した。再発防止の方向性として、患者が措置入院を解除され退院した後、全国どこに移動しても継続的支援を受けることのできる制度的な対応を求めた。一方で報告書は「設備面の対応には限界がある」としている。
 11月25日、神奈川県の第三者検証委員会は「施設側が植松聖容疑者(当時)に関する情報を県に報告していなかったのは非常に不適切で、報告していれば被害の発生や拡大を防止できた可能性もある」「事件を予告した容疑者の手紙を県警津久井署が見せていれば、施設側の危機意識はより大きくなったのではないかと推察される」「再発防止策として、福祉施設に危機管理の責任者と対応チームを置くことや、フェンスや常時監視できる防犯カメラ、ブザーの設置などが必要」「県警と施設、相模原市はそれぞれ情報を持っていた。県を含めた情報共有のあり方について協議する場があれば、防止策が講じられた。県と県警の情報共有も検討されるべきだ」などといった報告書を取りまとめた。
 12月8日、厚生労働省の検証チームは最終報告書をまとめ、精神障害によって自分や他人を傷つける恐れがあるとして強制入院の措置が取られた患者を退院後まで支援する仕組みを作り、自治体に全患者の退院後支援計画の作成を求めた。
現 在
 一審の弁護人は2020年4月2日、控訴取り下げの効力を争う旨の申し入れ書を東京高裁に提出した。東京高裁は2022年5月、「控訴は取り下げにより終了した」と決定。弁護側は高裁に異議を申し立てたが2022年9月、東京高裁の別の裁判部は決定を支持し、申し立て棄却。2022年12月12日付で最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、特別抗告を棄却した。

 2022年4月1日付で横浜地裁に再審請求。弁護人によると、植松死刑囚は当初、請求の理由について「(現在は制限されている)外部の人との面会ができるようになると思った。再審で新たに主張したいことはない」などと説明していた。しかしその後は「1審の裁判は責任能力の問題に縛られて、(障害者に対する)自分の考えについて受け止めてもらえなかった。事件後も社会は変わっていない。死刑になることは怖くないが、裁判をやり直して改めて(持論を)主張したい」などと話しているという。
 2023年4月18日付で横浜地裁は請求を棄却。地裁は「独自の見解であって、再審の理由に当たらない」と理由を説明している。弁護人は24日、棄却の決定を不服として即時抗告した。
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氏 名
溝上浩二
事件当時年齢
 45歳
犯行日時
 2015年8月13日
罪 状
 殺人
事件名
 寝屋川中一男女殺害事件
事件概要
 寝屋川市の契約社員、山田浩二(旧姓)被告は2015年8月13日午後7時ごろから11時10分ごろまでの間、寝屋川市の中学1年の少女(当時13)の首を手などで圧迫し、顔に粘着テープを何重にも巻き付けた上、鼻と口をふさぐなどして窒息させて殺害。同日ごろ、同市の中学1年の少年(当時12)の首を何らかの方法で圧迫し、窒息させて殺害した。その後、少女の遺体を高槻市の駐車場に遺棄。少年の遺体は柏原市の竹林に遺棄した。
 少年と少女は12日夜、自宅を外出。13日午前5時、寝屋川市駅の商店街の防犯カメラに2人の姿が映っていた。
 13日に少女の遺体が、21日に少年の遺体が発見された。2人の顔や手には粘着テープが巻かれ、少女の体には約50カ所の切り傷があった。少年の遺体は白骨化していた。府警は同日、少女の死体遺棄容疑(不起訴)で山田浩二被告を逮捕。9月12日、少女への殺人容疑で再逮捕。10月2日、少女への殺人罪で大阪地検が起訴、死体遺棄容疑は処分保留。12月1日、少年への殺人容疑で再逮捕。12月22日、少年への殺人罪で地検が追起訴、少女の死体遺棄容疑は不起訴になった。
一 審
 2018年12月19日 大阪地裁 浅香竜太裁判長 死刑判決
控訴審
 2020年3月24日 本人控訴取り下げ、確定
拘置先
 大阪拘置所
裁判焦点
 裁判員裁判。山田被告は逮捕当初、少女を車に連れ込んだことは認めたが、捜査段階の途中で黙秘に転じた。犯行に使われた凶器や目撃証言といった直接証拠は得られていない。
 2018年11月1日の初公判で、山田浩二被告は「このたびは、経緯はどうであれ、死の結果を招いてしまい、申し訳ありませんでした」と土下座して遺族に謝罪したが、罪状認否では「殺すつもりはありませんでした」と起訴内容を否認した上で「気がついたら、私の手が少女の首に触れていました」と述べた。
 検察側は冒頭陳述で、山田被告には完全責任能力があると主張。そして、2人の体内から睡眠薬の成分が検出されたことを明らかにした。さらに、山田被告がスマートフォンを使い、睡眠導入剤「ハルシオン」の子どもへの効力を検索していたと指摘した。さらに、少年についても窒息死の特徴がみられたと指摘。山田被告は13日午後9時ごろまで同府柏原市内に滞在し、そのころまでに少年の遺体を竹林に遺棄したと主張した。
 弁護側は、山田被告は2人を商店街で見つけ、家出を心配して声をかけると「遊びに連れて行って」と車に乗ってきたと説明。車内で少年がたくさん汗をかいていることに気付き、少女んの助言で睡眠導入剤を渡した後、亡くなったと主張した。少女はその後も「帰りたくない」と話していたが、大きな声を出したので口を押さえ、気付くと手が首にあったとして、いずれも殺意を否定した。少女は首を圧迫したことで死亡したと認めたが、量刑の軽い傷害致死罪の適用を求めた。「生き返らせようと思ってカッターナイフで傷つけた」「死に顔を見たくなくて顔に粘着テープを貼った」とも述べた。さらに、相手の感情を感じ取ることなどが苦手な発達障害「自閉スペクトラム症」の影響で責任能力が著しく低下していたと主張。心神耗弱状態にあったとして責任能力についても争う。少年については、熱中症などによる体調不良で死亡したと主張。車内で汗をかき、けいれんして息をしなくなったのを被告が見ており、死因は熱中症の可能性があり、例え刑事責任があったとしても保護責任者遺棄致死罪だとと訴えた。
 2日の第2回公判で、少女の母親が出廷。「あの男(被告)は最低です。人間じゃないです」と話した。少年の母親は「持病はなく、健康に問題はなかった」と証言した。
 6日の第3回公判で少年の遺体の写真などを鑑定した法医学者2人の証人尋問があり、いずれも「首の圧迫による窒息死の可能性が高い」と証言した。熱中症の可能性については、2人とも「考えにくい」と否定した。少女について、血管に血液がたまる「うっ血」が顔にあり、首の筋肉にも出血があることなどを根拠に「首を強く圧迫されて死亡した。呼吸停止まで数分間圧迫したとみられる」と語った。また車の下に置かれていた少女の遺体の左半身にあった約50カ所の切り傷について、「死後に車の下で切りつけられた可能性が高い」と述べた。
 7日の第4回公判で熱中症の専門家への証人尋問があり、専門家は熱中症に関するデータや事件当日の府内の気温がそれほど高くなかったことを挙げた上で、少年は健康で、夏休み中も屋外で部活動をしていたと指摘。山田被告が少年らを乗せた車もエアコンが正常に作動する状況だった点などを踏まえ、「熱中症の危険性はほぼなく、命に関わるほどの熱中症に罹患した可能性はない」と述べた。
 14日の第5回公判で山田被告への被告人質問が初めて行われ、2人を車で連れて行った経緯を説明し、「家まで送るため声をかけた。無理やり乗せたのではない」と述べた。少年については、車内で大量の汗をかいて動かなくなったと説明した。一方、男子生徒の遺体周辺に他人の体液が付いたティッシュを置く偽装工作をしたと認めた。
 15日の第6回公判で被告の精神鑑定をした医師の鑑定人尋問があり、被告の性格について、演技的、衝動的で、攻撃性もあったと指摘。反社会性パーソナリティー障害(人格の偏り)がみられ、事件に影響したが、治療が必要な統合失調症やうつ病などの精神障害の所見はないとした。
 19日の第7回公判における被告人質問で山田被告は、逮捕当初「車内に同乗者がいた」と供述したことについて「当時は頭の中が混乱していた」と述べ、供述が虚偽だったと認めた。検察側が「わいせつ目的で2人に声を掛けたのではないか」と質問したが、山田被告は明確に否定した。
 20日の第8回公判における被告人質問で山田被告は、「申し訳ありませんでした」と改めて遺族に謝罪した。一方、取り調べについては「一言でいえば違法」「ごっついひどいことを言われた」と訴えた。ただ、弁護側は公判でこれまで違法捜査などは主張していない。逮捕後は弁護人の指示で黙秘したと明かし、「それが正しいのか葛藤があった」と当時の心境も語った。検察側は、山田被告が過去に未成年者を監禁するなどの事件を起こしたことを問うと、「どんな事件かも記憶にない」などと述べた。同日は2人の母親ら遺族3人が意見陳述し、わが子の思い出を涙ながらに話す一方、山田被告については「被害者への配慮が全くなく、自分のことしか考えていない」「死刑を強く望む」と憤りをぶつけた。
 21日、被害者参加制度に基づき、各遺族を代理する弁護士はそれぞれ死刑を求める意見を述べた。
 同日の論告で検察側は遺体を鑑定した医師の証言などから、2人の死因が窒息で他殺だと指摘。一緒に行動していた被告が犯人とした上で、窒息には数分間首を圧迫し続ける必要があり、殺意があったと強調した。死亡の経緯について、少女は頸部に皮下出血などがあり、強く圧迫された証拠と主張。体の切り傷は「被告の残忍な加虐行為で暴力的性格の表れだ」とした。犯行動機は、「少年と何らかのトラブルが生じて殺害し、発覚を免れようと、口封じのため少女も殺した」と主張し、刑事責任能力にも問題はないとした。その上で量刑を検討。「動機は身勝手で、殺害方法も残虐」とし、「2人が死亡した結果は重大。遺族に与えた精神的苦痛も大きい」と説明した。「出会った日に2人を殺害しており、生命軽視の度合いも高い」と続け、これまでに何度も服役していることなどから、「犯罪傾向は顕著で更生は困難」と主張。犯行後の状況は「凶器や2人の所持品を廃棄し、第三者の体液を遺体付近に放置した。証拠隠滅行為は悪質だ」と述べた。また、遺族の処罰感情は峻烈で、「公判では言いたい放題、矛盾に満ちた弁解をし、形だけの土下座のパフォーマンスをした」と公判の姿勢を非難。「生命への敬意がみじんも感じられず、2人を殺した中でも極めて重い部類。誰もが被害者になり得た事件で、社会に与えた不安は大きい」とも述べ、死刑を求めた。
 同日の最終弁論で弁護側は、少年は熱中症などの体調不良で急死したとして無罪を求めた。少女の顔には粘着テープが何重にも巻かれ、左半身には50カ所に上る切り傷があったが、「普通の人はこんなことをしない。パニック状態だった」と主張。当時は心神耗弱状態だったと訴えた。少女に対しては傷害致死罪にとどまるとして懲役12年に相当すると主張した。
 最終意見陳述で山田被告は、遺族に対しては「聞きたくない話ばかりだったと思う」「表現の仕方が悪かったところもあった」としながらも、「法廷では当時の記憶に基づいて本当のことを話した」と強調。最後には「本当に申し訳ありませんでした」と改めて謝罪の言葉を口にした。
 判決で浅香竜太裁判長は、少年の死因について「健康な中学生が突然死するとは考えられない」と指摘。「歯や骨に窒息死の特徴である変色があった」とした法医学者の証言に基づき他殺と判断した。2人に対する殺意については、窒息死させるには首を数分間にわたり圧迫する必要があると指摘。「体格差のある子供の急所を押さえ続けており、殺意があったのは明らかだ」と述べた。2人の殺害順序は特定しなかった一方、動機は「1人目は身勝手とか自己中心的なことしか考えられず、2人目は口封じ」と認定した。少女死亡時の刑事責任能力について「発達障害の傾向はあるが、事件に与えた影響は限定的だった」として完全責任能力を認めた。その上で量刑を検討。浅香裁判長は「計画性は認定できない」とする一方、面識のない中学生2人を次々と殺害したとし、「生命軽視の度合いが著しい。被害者2人の他の事件と比べても類をみない」と指摘した。さらに被告が未成年7人に対する逮捕監禁罪などで服役した約10か月後に事件を起こしていたことから、「犯罪傾向は深化している」と言及。被告の公判供述を虚偽と断定し、「罪に向き合っておらず、更生はかなり困難だ」として死刑が相当と結論付けた。

 弁護側は即日控訴した。本人もその後自ら控訴した。
 2019年5月18日付で控訴を取り下げた。取り下げ後に面会した篠田博之氏(月刊『創』編集長)が語った山田被告の言葉では、山田被告は大阪拘置所で刑務官と険悪になっていたらしい。そして5月18日、貸出されていたボールペンを時間内に戻さなかったとかで刑務官にとがめられ、山田被告が反論したために、喧嘩になったらしい。その挙句、懲罰処分を食らいそうになって、山田被告曰く「パニックになってしまった」。そんな問題になるようなことはしてないじゃないか、などと彼も強く反発したらしい。そしてパニック状態のまま、控訴取り下げをしてしまったとのことである。
 5月30日付で弁護人が、取り下げ無効を求める申し入れ書を大阪高裁に提出した。
 12月17日、大阪高裁第6刑事部の村山浩昭裁判長は、取り下げを無効として控訴審を再開する決定をした。決定は、死刑囚が控訴を取り下げた経緯について、拘置所内で貸し出されたボールペンを時間内に返却しなかったことを刑務官にとがめられて口論になった末、懲罰になると困ると考えて自暴自棄になったと指摘した。そのうえで、こうした軽率な態度が直ちに精神障害の影響だったとみるのは困難だとする一方、死刑判決が命を奪う究極の刑罰であることを踏まえ、「死刑判決に対する不服に耳を貸さずに、ただちに確定させてしまうことは強い違和感と深いちゅうちょを覚える」などとして、取り下げを無効と結論づけた。大阪高検は12月20日、取り下げを無効とした12月17日の大阪高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告した。刑事訴訟法には取り下げ無効に関する手続きの規定はなく、高検は再び高裁の判断を求める異議申し立ても行った。
 2020年2月25日付で最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は、取り下げを無効とした大阪高裁決定に対する検察側の特別抗告を棄却する決定をした。小法廷は「高裁に異議申し立てができるため、最高裁への特別抗告は不適法」と述べた。判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)。
 3月16日、大阪高裁第1刑事部の異議審(和田真裁判長)は、「判断には誤りがあり是認できない」として、審理を差し戻す決定をした。和田裁判長は、第6刑事部決定について「(無効とする)合理的な根拠を示していない」と指摘。「法解釈の枠を超えるといわざるを得ない」として、決定を取り消すとともに審理を第6刑事部に差し戻すべきだと判断した。山田被告側は23日付で特別抗告した。
 しかし山田被告は3月24日付で、2度目の控訴取り下げの書面を提出した。その直後に山田被告は弁護士の説得を受けて再び「控訴取り下げ無効」を高裁に申し出た。5月14日付で弁護人は、2度目の取り下げも無効とするよう大阪高裁に申し入れた。
 6月17日付で最高裁第一小法廷(池上政幸裁判長)は、控訴取り下げを無効とした大阪高裁の判断を覆して審理を差し戻すとした別の高裁決定を支持した。
 11月26日、大阪高裁第6刑事部は、控訴取り下げを有効とする決定を出した。決定で村山浩昭裁判長は2度目の書面を中心に、被告の精神状態などを検討。被告が拘置所職員から「このまま高裁に届けることになるがいいのか」と念を押され、「このままでいい」と返答した経緯などを踏まえ、「不備を承知しながらあえて出した」と弁護側の主張を退けた。そして「2度目の取り下げであることは軽視できない」と指摘。1回目の取り下げの効力については判断せず、2回目を有効と判断した。そして「取り下げ当時、自分の思い通りにならない拘置所内の生活への焦りやいら立ちなどは認められるものの、訴訟能力に疑問を抱かせるような異常は認められない」と指摘。「拘置所側の措置が不快だったから取り下げたのであって、意思表示の効力に影響を及ぼすようなものとはいえない」とした。弁護人は30日に異議を申し立てた。
 2021年3月22日、高裁の異議審は、決定を不服とした弁護人の異議申し立てを棄却した。決定理由で、異議審の高裁第1刑事部(和田真裁判長)は、被告の手紙に取り下げの経緯が正しく記載されるなど、「控訴取り下げがもたらす効果について十分に理解していた」と指摘。精神障害の影響を疑わせるものもなく、意思表示に誤りはないと判断した。弁護人は29日付で最高裁に特別抗告した。
 8月25日付で最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)は、大阪地裁で死刑判決を受けた山田(水海に改姓)浩二被告(51)の控訴取り下げを有効とした大阪高裁決定を支持し、弁護側の特別抗告を棄却した。大阪地裁の死刑判決が確定した。決定は「抗告理由に当たらない」とのみ述べた。裁判官4人全員一致の意見。
備 考
 山田浩二被告は2002年にも中学生ら7人に対する同様の強盗や監禁事件を起こし、2003年5月に大阪地裁で懲役12年(求刑懲役15年)の判決を受け、後に控訴棄却、確定。服役していた。それ以前にも少年刑務所を含め4度、刑務所に送られている。
現 在
 2020年5月付で養子縁組をして受理され、戸籍上の姓は山田から上田に変更したが、相手側の都合でその養子縁組が無効になってしまい、再び山田に戻る。9月、養母(元嫁の姉)との縁組が受理となり、9月15日付で姓は山田ではなくなり、同時に、名古屋拘置所に収容されている松井広志被告を養子にした。10月30日付で交際している女性(刑事施設に収容中)との婚姻届けの提出をし、受理されたことで正式に入籍をするとともに、妻側の意向で、妻方の戸籍に入る事となり、姓も妻の水海を名乗る事となった。 その後、2022年に溝上姓となっている。
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氏 名
土屋和也
事件当時年齢
 25歳
犯行日時
 2014年11月10日/12月16日
罪 状
 強盗殺人、強盗殺人未遂、住居侵入、窃盗
事件名
 前橋連続強盗殺傷事件
事件概要
 前橋市の無職土屋和也被告は2014年11月10日未明、同市に住む日吉町の女性(当時93)宅に侵入し、女性をバールで殴って殺害し、現金合計7,000円とリュックサック、パンと菓子などを奪った。土屋被告のマンションから約1kmの距離だった。
 12月16日午前3時30分ごろ、同市に住む夫婦宅に出窓を破って侵入し、林檎2個を盗んだ。トイレに潜伏し、侵入から約8時間20分後、鉢合わせした妻(当時80)を包丁で刺して2~3か月の重傷を負わせた。妻は逃げ出したが、騒ぎに気付いた夫(当時81)の胸や首を包丁で刺して殺害した。土屋被告のマンションから約1.6kmの距離だった。
 土屋和也被告は12月21日、6月まで働いていた前橋市のラーメン店に侵入しチャーシューとメンマ、ひき肉、バター(約7,900円相当)を盗んだが、防犯カメラに映っており、23日、建造物侵入容疑で逮捕された。足跡が、夫婦宅に残された足跡と一致。さらに夫婦宅に残されていた林檎に付着していたDNAが土屋被告と一致したため、群馬県警は12月26日、16日の事件の妻への殺人未遂容疑で逮捕。2015年1月15日、夫への殺人容疑で再逮捕。2月5日、女性への強盗殺人容疑で再逮捕。同日、前橋地検は林檎が財物に当たり、殺害は強盗の手段だったと判断し、夫への強盗殺人容疑で起訴した。
 土屋被告は幼い頃に両親が離婚し、4歳から中学校卒業まで児童養護施設で暮らした。高校卒業後も職を転々とし2014年10月以降無職で、親しい知人や身寄りもなかった。携帯電話の課金ゲームが原因で消費者金融に約120万円の借金があり、10月末には料金滞納でスマートフォンが停止したが、無料公衆無線LANを使用してネット接続し、ゲームをしていた。11月上旬に自室のガスを、12月中旬には電気を未払いのため止められた。逮捕時の所持金は100円程度だった。
一 審
 2016年7月20日 前橋地裁 鈴木秀行裁判長 死刑判決
控訴審
 2018年2月14日 東京高裁 栃木力裁判長 被告側控訴棄却 死刑判決支持
上告審
 2020年9月8日 最高裁第三小法廷 林道晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 公判前整理手続きは計14回行われた。弁護側は土屋被告が4~15歳まで児童福祉施設に入っていたことなどから、生育環境が事件に影響した可能性もあるとして影響を調べる情状鑑定の実施を要請。裁判長の交代などもあり、事件から1年半余りたった2016年5月に裁判の日程が決定した。争点は主に(1)殺害の計画性の有無(2)犯行の悪質性(3)犯行に至る経緯や動機-の3つが主に争点となる。被告は事件後、相続した父の遺産から150万円を贖罪寄付している。
 裁判員裁判。
 2016年6月30日の初公判で土屋和也被告は、検察官が起訴状を読み上げるのを、証言台の前に立ってうつむきながら聞いた。鈴木秀行裁判長が認否を問うと沈黙。再度認否を尋ねられると、体の芯を失ったかのように崩れ落ちた。係官に抱えられ、いすに座らされた。鈴木裁判長から「今は答弁できないか」と問われると、黙ってうなずいた。認否は弁護人が代わりに応じた。2人の殺害については結果として殺害したものの検察の指摘する強固な殺意はなかったとした。1人に重傷を負わせた強盗殺人未遂罪には「殺意はなく、切りつけて逃げる目的だった」として、事後強盗傷害罪にとどまると主張した。
 冒頭陳述で検察側は「土屋被告が課金制ゲームのために借金を重ね、金品を奪う目的で民家に侵入した」と指摘。事前に凶器を準備し侵入方法の練習を重ねていたことなどから、「殺害も想定し強盗を計画した。高齢で小柄な被害者を何度も殴り、刺すなど、一方的に攻撃を加えたことは執拗かつ残虐」と述べた。そしてバールや包丁で何回も首や胸を刺した点などから「強固な殺意があった」と指摘した。また男性を殺害後、大金を奪えなかったことから再び犯行を計画し、窓を火で熱した後に冷やして割る「焼き破り」の手口を調べて練習したり、自分の携帯電話に「覚悟を決めろ」と記し、気持ちを奮い立たせていたとした。
 弁護側は土屋被告が侵入後、犯行までに時間を要し、逃げ出すことを考えていた点などを挙げ、「犯行前に殺意はなく逃げようと夢中で、殺意は弱かった」として未必の故意によるものと主張した。さらに土屋被告が適応力に欠けるパーソナリティー障害や軽度の発達障害と診断され、犯行や犯行に至る経緯に影響したと主張した。
 7月1日の公判における被告人質問で、土屋被告は「取り返しのつかないことをしてしまった」と述べた。殺傷時の具体的な状況については、黙ったり、「覚えていない」と答えたりする場面が目立った。また、土屋被告の生い立ちや事件までの経緯が明らかになった。小学生の時、机に花瓶を置かれる「葬式ごっこ」の標的にされ、机に「ばい菌」などと落書きされた。中学校では所属していた野球部内で持ち物を隠されたり、ボールをぶつけられたりした。当時入所していた児童養護施設の職員や学校の教員に相談したが、その後も変わらなかったという。2014年9月に警備会社を辞めて、ひきこもり生活をしていた。借金70万円を抱える原因となった課金ゲーム上では、チャット機能を使い、ゲーム利用者と趣味や日常生活の愚痴を話していたと明かした。ただ、「ゲーム以外でそういう話ができる人はいましたか」と問われ、「いませんでした」。さらに虐めにあった経験から「どこかに相談することは考えられなかった。考える気がなかったのかもしれません」と述べた。
 4日の公判で、前回に続き被告人質問が行われた。土屋被告は事件の状況について、「覚えていません」といった曖昧な答弁を繰り返した。検察側は、土屋被告に8時間近い質問を行ったものの十分な回答は得られず供述書の信用性を高めることができなかったとして、新たな証拠を提出、警察が作成した土屋被告の供述書を読み上げた。ラーメン店勤務中にストレスがたまり課金ゲームに没頭、「ゲームではコミュニケーションに問題はなく、レベルを上げれば人に頼られ必要とされた」と話していた。当初は月額2万円ほどの課金は次第に増え、20万円余になったこともあったという。そして検察側は、「捜査段階では通常の応答をしていた」と指摘し、取り調べの録音録画の映像を証拠申請した。
 5日の公判で、情状鑑定した医師が出廷。土屋被告は軽度の「広汎性発達障害」と、ものの考え方や対人関係機能などが著しく偏っている「パーソナリティー障害」と診断された。そしてこれらの障害が、2人を殺傷したことに影響を与えたと証言した。その上で、被告のパーソナリティー障害は「元々粗暴なものではなかった」とした上で、「環境をうまく作ってあげられれば事件には至らなかったのではないか」と支援体制の必要性を指摘した。
 医師は女性殺害と女性に重傷を負わせた2件について、土屋被告が家の中で長時間待機し、「どう行動したらいいのか葛藤する中、女性が起きるなどの突発的状況の変化に感情が大きく動揺。衝動性が表われ、犯行に及んだ」と指摘、障害の影響があったと述べた。一方、殺害された男性については「顔を見られたことから保身の気持ちが強く作用した」として障害の影響を否定した。検察側からは「包丁やバールを持って侵入した点や2度目の犯行を計画、練習し、侵入したことは障害と関係あるのか」と問われ、「ないと思う」と答えた。医師によると、広汎性発達障害は対人関係がうまくいかず物事を全体でとらえ予想するのが困難な点が特徴。パーソナリティー障害は教育や環境などによる後天的な症状。感情が不安定で衝動的な行動に走るという。土屋被告は周囲になじめず相談できないまま職を転々とし、ゲームにはまり借金を重ねたとしている。検察側から「広汎性発達障害を持つ人が必ず刑事事件を起こすか」と問われると、「それはありません」と答えた。
 同日、検察側が土屋被告から十分な回答が得られなかったとして、被告の取り調べの録音・録画記録を証拠として採用するよう裁判所に求めたことに弁護側は、「一部不同意」の意向を回答。裁判所が証拠採用するか決定する。
 7日の公判で、検察官による取り調べ時の様子を録音・録画した映像証拠採用されるとともに、約70分間再生され、公判とは違って「通常の応答」をする被告の姿が映し出された。弁護側は、膨大な取り調べのうち一部を流したことに対し「被告の『悪性格』の立証に近い」と指摘した。
 同日、被害者参加制度を利用した遺族が意見陳述を行った。第一発見者であり、殺害された女性の長女は、「まじめな母が、なぜ残虐に殺されなければいけなかったのか。身勝手な犯行で、極刑を望む」と語った。殺傷された夫婦の長男は、「家族の大切な多くのものを奪ったことや、私たちの苦しみを深く考えてほしい」と述べた。重傷を負った妻は「自分がお父さんを呼んだことで、(土屋被告が)気付いて刺したと思うと、罪悪感がある。重い罪を犯した者は、重い罰を受けるのは当然だ」と訴えた。
 同日、土屋被告の母親が情状証人として出廷。弁護人から「最後に土屋君に一言」と求められ、「生きてください」と答えた瞬間、頭を机に付けるように首を垂れて座っていた被告の目から涙がこぼれた。
 11日の論告で検察側は、二つの事件について、被害者を何度も殴打し包丁で刺すなどした犯行の残虐性を指摘し、捜査段階で殺意を認める供述をしていることなどから「強固な殺意や、(見つかった場合には、という)条件付きで殺害を想定していたことは明らか」と主張した。そして土屋被告のパーソナリティー障害や広汎性発達障害については、離職に影響したことで「一定程度考慮すべき点もある」としたものの、「殺害と障害とは関係はない」と断じた。その上で、「永山基準」に照らし、殺害を悔い改めずに同様の事件を起こし犯行が悪質▽何の落ち度もない2人の命が奪われ、1人が後遺症が残る重症を負い、犯行結果が極めて重大などと指摘。犯行当時25、26歳という被告の年齢について「未成年ではなく、分別を持ってしかるべき年齢。人格形成期を越えている上、パーソナリティーの特性を変えたいという意志は見受けられない。将来的に変化する可能性は低い」として「刑事責任は重大。命をもって自らの罪を償うべきだ」と死刑を求刑した。
 同日の最終弁論で弁護側は、被害者への攻撃行為は「障害に由来する衝動性が表れ、パニックに近い状態になったからだ」として、改めて障害の影響を主張。また、証拠採用された検察側の供述調書や再生されたDVDについても「(被告自身が)実際に起こったことと考えていることの区別がつきにくくなっている」として再度、信用性に疑問を示した。そして被告は元々、凶悪な犯罪傾向を持っておらず、自身の障害をすでに把握していることなどから「更生の可能性が残されている」と無期懲役を求めた。
 最終陳述で証言台に座った土屋被告は、裁判長から「何か言いたいことはありますか」と問われ突然、ふらふらと立ち上がり、「すいませんでした」と遺族らに向かって約10秒間、頭を下げ、謝罪を口にした。
 判決で鈴木裁判長は、4歳で養護施設に入り、高校卒業後も転職を繰り返し借金を重ねた経緯に触れながら、「障害は不遇な成育歴等の影響で同情を禁じ得ないが、犯行に影響はしていない。パーソナリティー障害は性格の偏りであって、被告に対する非難を大きく低下させるとはいえない」と指摘し、弁護側の主張を退けた。そして動機について「仕事を辞め、借金返済に窮して大金を得ようとした」と指摘。争点となった計画性を巡り、取り調べ時の録画映像によって供述調書の信用性が十分と判断。用意した凶器で頭部などを複数回殴ったり、包丁で首を狙ったりするなどの殺害方法から「強固な殺意」を認定したうえで、「自分よりもはるかに小柄で非力な高齢者に対する一方的な凶行で、卑劣かつ冷酷」と非難した。さらに「犯した罪を悔い改めることなく人命軽視の強盗殺人を2回行った。厳しい非難は免れない」と指摘。「稚拙だが計画的で、強固な殺意に基づく執拗で残虐な殺害方法」と厳しく非難した。高齢者の多い住宅街での無差別犯行で、社会的影響も大きかったとした。土屋被告が150万円を贖罪寄付したことや、更生の可能性がわずかに残されている点を考慮しても「死刑をもって臨むことがやむを得ない」と結論付けた。
 判決の言い渡し後、土屋被告に向かって、「悩みに悩んでこの選択をしました」と述べた。

 2017年9月6日の控訴審初公判で、土屋和也被告は、「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と謝罪する一方、殺害状況については「覚えていない」と繰り返した。
 土屋被告は被告人質問で、侵入した際、包丁を持参した理由を問われると、「騒がれたり抵抗されたりしたら、場合によっては傷つけようと思ったから」と説明。殺害状況については記憶にないとし、質問に黙り込む場面もあった。
 公判では、女性の長女が「被告は許せません。改めて死刑を願います」と意見陳述。男性の長男も「被告の口から真実を知りたいと思っていたが、ただただあきれるしかなかった。死刑が確定することだけを望んでいる」と極刑を求めた。
 11月1日の第2回公判で、弁護側は「いずれの事件も住宅に侵入して金や物を奪うことを計画していたが、殺害行為には計画性がない。反省を深めており、更生する可能性が残されている」「犯行にはパーソナリティー障害が影響しており、確定的な殺意はなかった」と訴えた。検察側は「一審の判断に誤りはない」と控訴棄却を求め、結審した。
 判決で栃木裁判長は、被害者らに繰り返し包丁を突き刺したことなどから「殺害を想定して複数の凶器を持参し、住人に気づかれたら、ちゅうちょなく犯行に及んでいる。被害者を殺害する意思で攻撃を加えたことは明らか」と判断し、計画性がないという弁護側の主張を退けた。パーソナリティー障害に対しては「直接的な影響は認められず、犯行は被告の自由意思によるもの」と結論づけた。そして、「命を奪ったことを認識しながら悔い改めず、再度強盗殺人に及んだ。強固な殺意に基づく執拗、残虐な行為で、犯情は誠に重い。社会的影響が大きいことも明らかだ」とした。

 最高裁弁論が2020年4月14日に指定されたが、新型コロナウイルスの感染急増に伴う緊急事態宣言を受け、最高裁は取り消した。
 7月7日の上告審弁論で弁護側は、「金品を目的に住宅に侵入していて、殺害は当初からの目的ではなく、計画されたものではなかった。犯行の背景には、不遇な生い立ちによるパーソナリティー障害が犯行に与えた影響もある。死刑の基準に照らして、無期懲役にすべきだ」と述べ、死刑回避を求めた。検察側は「複数の包丁を持ち、被害者宅で躊躇なく殺害した。稚拙だが計画的で強固な殺意に基づく犯行だった」などとして、上告棄却を主張した。
 判決で林裁判長は、「被告は職場に適応できず仕事を辞め、課金ゲームで借金を作り、強盗を決意した」と指摘。生活苦に陥ったのは不遇な成育歴などで形成されたパーソナリティー障害が影響したとしたが、「殺害を実行したのは被告自身の意思によるもので、障害の特性ではない」とした。また、凶器のバールや包丁を持参して高齢者方を狙ったことを挙げ、「強固な殺意に基づき、残虐。刑事責任は極めて重大」と指摘。。1件目の事件からわずか1カ月余りで再び強盗殺人に及んだ点を重視し、「人命軽視の態度は強い非難を免れない」と述べた。裁判官5人全員一致の意見。
備 考
 
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