『お笑いスター誕生!!』 名鑑【き】


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 拙HP「お笑いスター誕生!!」掲示板より転記した情報は青色文字で表記します。
 新規に情報を追加した場合は、赤文字で表記します。

名 前
北口光彦
初出場
 1985年5月11日(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 声帯模写。
プロフィール
 本名北口光彦。1952年1月12日生。
 1967年、15歳で大阪スクールメイツ、OS歌謡学院、劇団東俳(大阪)、大阪ミュージカルアカデミーで芸の勉強を始め、68年、コーラスグループ「パナスターズ」で歌手デビュー、二年後解散。1971年に上京、東映映画第6期生に参加。1974年頃から声帯模写を始める。
 ものまねヨイショ軍団(川口ひろし、はたけんじ、片岡鶴太郎)の一人。
ネ タ
 桂三枝、立川談志などのものまね。当時から見ても、ネタの人選はちょっと古め。演芸場などでやっていた分、ものまねとものまねの間のつなぎや、客席の流れを自分の方に引き戻す話術はうまかった。
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦)
3年かかって完成した真似、つばめ(両手を広げて唇をとがらせるだけ)。
立川談志の物まね、「すべての芸は物まねから始まる」。
女房は観光バスガイドで癖が抜けない。「あなた、お帰り、なさいませ。食事になさいますか、お風呂になさいますか」「風呂、風呂」「あなたの右手をご覧ください。右手にタオルがございます」
寿司屋が藤山寛美、お客が田村正和でやり取り。
サザンの桑田と悪役の梅崎次郎は声が同じ。『いとしのエリー』を歌っている途中で「がたがたぬかすんじゃねぇ」
守谷浩と清水健太郎は似ているが、発声が違う。
小林旭と具志堅用高が似ている。歌っている途中で「ちょっちゅねぇ」
鳳啓助と俵高太郎も似ている。「え、鳳圭介で、〜俵高太郎です」。
郷ひろみと柳家金五郎も似ている。『マイレディー』を歌いながら、「へへへ、柳家金五郎です」。
第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝)
浜田幸一、田中角栄、三木武夫、大平正芳などの政治家のものまね。ものまねとものまねの間のつなぎもうまかったし、面白かった。
 昔、なにかのものまね番組で見た記憶があります。坂本九のものまねや、具志堅用高、西条秀樹など15人連続ものまねをやっていました。
エピソード
 スタ誕出場前に『テレビ演芸』でチャンピョンに。
 北口光彦もバンドを従えて出た事があります。
感 想
 昔見た記憶ですが、“ものまね”というより“声帯模写”といった方がぴったり来るような感じでした。言い方が悪いのですが、ちょっと古めでした。
受賞歴
 1979年 第7回放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞は三遊亭楽太郎)
 1987年6月 第11回国立演芸場花形演芸会金銀賞銀賞受賞(ものまね漫談)
 1987年 第7回国立演芸場花形新人大賞 大賞受賞(ものまね漫談)
レコード
ものまねヨイショ軍団(川口ひろし、はたけんじ、片岡鶴太郎、北口光彦)「がんばれ!!ライパチくん!!」(1979.5)
その後・現在
 現在も声帯模写、司会等でテレビ、寄席等で活躍。1987年、北口幹二彦(みつひこ)に改名。
 1997年の流行語にもなった宝缶チューハイCM「すったもんだ」(宮沢りえ出演)の声を担当。
 現在は水森亜土の未来劇場の常連です。
 北口幹二彦の楽屋に詳細なプロフィールがあります。
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名 前
キッチュ
初出場
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
実 績
 第3回オープントーナメントサバイバル準決勝進出。
ジャンル
 形態、声帯模写。
プロフィール
 本名岸邦浩。1960年5月11日生。兵庫県出身。
 大阪芸術大学を卒業後、1984年芸能界デビュー。当時は大滝エージェンシー所属。ちなみに「キッチュ」とは、ドイツ語で“まがい物”“粗悪品”という意味。
ネ タ
 藤本義一、田原総一郎、俵孝太郎など、文化人の模写。
感 想
 お笑いスタ誕の頃は覚えていません。申し訳ありません。
エピソード
 キッチュは本名の「岸邦浩」で『テレビ演芸』勝ち抜きコーナーに出ていました。1週め勝ち抜いたところでした。その後、改名して関西ローカルでぼちぼち売れ出して、44年間続いてつい先頃終了した大阪朝日放送の30分の刑事ドラマ『部長刑事』シリーズに若手刑事役でレギュラー出演してました。その後、東京進出を機に「松尾貴史」に改名しました。
受賞歴
 1986年 第14回日本放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞はコント山口君と竹田君
 1986年 第6回花王名人大賞新人賞受賞(最優秀新人賞はシティボーイズ
 1987年 第15回日本放送演芸大賞ホープ賞受賞(最優秀ホープ賞はダウンタウン
レコード
アルバム「KITSH」(1985.7)他。
その後・現在
 関西でレギュラー数本持っていました。その後、1989年に古館プロジェクトに移籍し、名前を松尾貴史と改名。「朝まで生テレビ」ものまねパロディ「朝までなめてれば」のビデオが大ヒット。もっとも、この後はあまりお笑いとして認識されなくなり、テレビで見てもつまらなくなりました(私的ですが)。現在もテレビ、舞台、雑誌等で活躍。
 1989年頃、長野智子さん司会のニュース番組のレギュラーになった際「キッチュ(まがい物)て芸名はちょっとあれだから、番組内だけでも日本の名前を語ってくれ」とプロデューサーに頼まれたそうです。
 で、所属してる古舘プロジェクトの社長に相談したところ、社長の下の名前から「貴史」、古舘さんの奥さんの旧姓から「松尾」が出て「松尾貴史」が誕生したそうです。
 所属する古館プロジェクトのオフィシャルサイト、古館プロジェクト Official Home Page内のTalent Filesにプロフィール等が載っています。
 個人HP、松尾貴史敷地があります。
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名 前
キモサベ社中
初出場
 1982年6月26日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 7週勝ち抜き、銀賞獲得。
 第3回ゴールデンルーキー賞敢闘賞。
 サバイバルシリーズ優勝。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 コミックバンド。
プロフィール
 キモサベポン太:本名是枝正彦。1951年10月12日生。鹿児島県出身。
 渡部又兵衛(キモサベ又兵衛):本名渡部由光。1950年4月10日生。北海道出身。
 松崎菊也(キモサベ菊之丞):本名松崎正資。1953年3月9日生。大分県出身。
 3人とも劇団民藝出身。キモサベ、渡部は俳優、松崎は演出部。
 他にバックバンド2名がいました。
 当初はキモサベ、松崎、バックバンド2名と別の男性(現在は劇作家)がキモサベ社中を結成しライブハウスで活動。お笑いスタ誕のオーディションに受かったが、男性がテレビに出たくないと言い出したため、代わりに渡部が加入。(『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』より)。
 「キモサベ」は、海外のドラマが日本語訳されたときにインディアンがしゃべる方言からきたものらしいです。
ネ タ
(1週目)
濡れたよくじょう
「春樹って呼んでください」春樹は出っ歯でがに股だった。
車に乗ってから
「ああ、そこじゃないの。そう、そう。そこ。ああっ、もっともっと、そこの角を右に曲がって」
 ラジオ番組ネタ。水野晴郎の人生相談にキモサベポン太君が悩み事を相談する。
ラジオキモサベから
 ポォーッ!ポォーッ!ポォーッ!(いきなりの汽笛の音真似に会場大爆笑)
 「あー北海道はいいなあ。空気は美味いし、あっクマ君だお友達になろう。クマく〜ん」
 「がぶっむしゃむしゃペロっごくん」
 「お問い合わせは、ラッシュ、ストライキでお馴染みの国(酷)鉄で」
松崎菊也「ジェットストリーム ジェットストリーム
夜間飛行 ジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれて星の瞬きと区別がつかなくなります。夜間から出る湯気は白い壁と交じり合うと壁だか湯気だか見分けがつかなくなります。ラジオキモサベ本日の放送をすべて終了させていただきます。お休み前にはもう一度火の元を確認してください。それでは皆様お休みなさい。」
(第3回ゴールデンルーキー賞)

キモサベポン太で電話をかけて一回切る。
その後別名でかけるが。
ポン太「○○年○○組○○○男」
ディレクター「本当の名前は」
その後やり取りがあり、結局ばれる。
ポン太「三年B組キモサベポン太」
何故か恥ずかしがり相談内容を言おうとしないポン太に水野は・・・。
水野「大丈夫。ここにはぽん太くんとオジサンしかいないんだよ」
ぽん太「本当?」
ディレクター「ぽん太くん、大丈夫ですよ」
ぽん太「今のひと誰!」
ガチャ。ぽん太怒って電話を切る。
その後ポン太は再々度電話をかける。
ポン太の悩みは笑うとおならが出るというものだった。
水野「それはね、腸の働きが悪いんだよねちょう(しょう)がないんだよね」
ポン太「ぶふふふうぅう」
ボムと放屁の音。
水野「あらー、出ちゃいましたね」
ポン太また電話を切る。
(7週目再チャレンジ合格)
 最初は三人でマイクを持って漫才形式で話をはじめ、途中から透明人間が実際にいるという話。司会は松崎。
 一組のカップルが公園にやってきたが、透明人間が悪戯をするため、別れてしまいそうになるも、最後は結ばれる。
 続いて、ある会社の重役室。部下を叱責しようとするが、透明人間が悪戯をしてぐちゃぐちゃに。
 最後は三人で歌って、「有り難うございました」と挨拶した後、三人が透明人間に操られているように両手を挙げてパチンと手を叩き、きょとんとする。
(8週目不合格)
 看護婦になったばかりの松崎。廊下をうろうろするばかりの患者がキモサベ。登場するといきなり「丘を越えて」を歌いだす。続いて登場したのが、盲腸で入院している渡部。
 その後、患者同士が出合い、盲腸の手術の話をして相手を脅かす。

 はっきり言って面白くなかった。講評でも、ドラマになっていて、笑いがなかったと言われて不合格。
(サバイバルシリーズ準決勝)
 松崎司会の「アイドル誕生」。今日の挑戦者は、近藤真彦……ではなくて、キモサベポン太。なぜか帰還兵ルックで少しどもった口調。松崎の質問にも答えは古くさいものばかり。そして歌う唄は「麦と兵隊」。
 そして番組ラスト。松崎「今日のチャンピョンは、キモサベポン太君〜」。喜ぶキモサベ。そこへいきなり現れたのが、キモサベの祖父(渡部)。ネタの半分過ぎになってようやく三人目が登場するコントというのも珍しい。
 アイドルなんかやめろ、と怒る祖父。アイドルになろうとするキモサベと口論になるが、そこからなぜか狂言風、ギリシャ悲劇風、歌舞伎風など色々なスタイルで言い争いを繰り広げる。
 途中までは今一つだったが、最後で一気に盛り返して笑いを取った。
ナレーター・・・松崎菊也、 プロボクサー・・・キモサベポン太、 セコンド・・・渡部又兵衛。

松崎菊也 「この物語は或るプロボクサー(ハッスル・キモサベ)の血と汗と涙によって描かれた愛と感動の青春ドラマである。プロボクサーのハッスル・キモサベは、いつものように早朝のジョギングが終わり、公園で水を飲んでいた。」
キモサベポン太 「あ〜〜っ うぃ〜〜〜っ あ〜気持ちいい〜〜」
松崎菊也 「そこへ1人のオトコ現る。・・・それが 後のハッスル・キモサベのセコンドについてくれるオトコだった。」
渡部又兵衛「おやおや・・・」

・・・といった感じでキモサベポン太と渡部又兵衛がドラマを演じながら、一方の松崎菊也が副音声をしながら効果音を入れるコントをしていた。つまり、2時間サスペンスドラマにありがちなパターンを、そのままコントにしたやり方だった。
 最後はTKOで判定待ちとなり レフェリーが・・・「ハッスル・キモサベェ〜〜〜!」と腕を高高と上げて、ゴングが鳴り響き、栄冠をつかむという内容だった。「♪青年よ〜大志を 抱いてぇ〜〜」と3人でミュージカル風に歌ってしめくくる。
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦)
 新撰組のネタ。怠け者の朗士三人の話。はっきり言ってつまらなかった。
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝敗退)
(細かい部分は所々省略)
 最初におじいさん(又兵衛)がポン太の写真を持って応援し、退場。
「クイズでお金持ち」
 司会の松崎が番組紹介。100万円へ挑戦するのは小笠原から来たキモサベポン太。自己紹介で「自動車事故を見ました。事故紹介」と言ってしまうぐらいあがっている。
松崎「海の象と書いてセイウチ。海の豚と書いてイルカ。海の鶏と書いてなんと読むか、はい第一問」
ポン太「シーチキン(番組のスポンサーだった)」
松崎「はい、正解。第二問、楽器の問題(松崎がボタンを押すと、「キンコン」という効果音が入る。以下同様)。倒すと音が出る楽器は何だ」
ポン太「琴」
松崎「コトッが正解。どんどん行ってみよう。土木建築の問題。土の中何かが爆発しました。何が爆発したか」
ポン太「土管」
松崎「ドカン!が正解。芸能音楽の問題。俳優の寺尾聡さんのお父さんは新劇の大御所宇野重吉さんですね。では、宇野重吉さんの息子さんは誰だ」
ポン太「(しばらく考えて)寺尾聡さん。違いますか?」
松崎「それでいいんですよ。全問正解でまいりました。次の問題であなたはいよいよ10万円に挑戦します。頑張ってもらいましょう。社会一般の問題。東北出身の男女がホテルであることをしました。最初の文字は「せ」、最後の文字が「す」。さあ、何をしたでしょう」
ポン太「こんなことテレビで言っていいんですか?」
松崎「言っちゃっていいんですよ」
ポン太「最初の文字が「せ」。最後の文字が「す」。そして二人は東北出身。せけんばなす」
松崎「はい、世間話(せけんばなす)が正解。いやいややりましたね。10万円が君のものになりました。お客さんも笑っている場合じゃないですよ。次の問題であなたは10倍の100万円に挑みます」
ポン太「頑張ります」
松崎「頑張っていただきましょう。100万円の問題は、昆虫に関する三連ちゃんになります」
ポン太「ちょっと待ってください。ぼく、昆虫は苦手ですからね、ほかの問題を選ばせてほしいんですが」
松崎「なるほど。それではなおさら昆虫の問題、行ってみよう(キンコーン。ポン太愕然とする)。砂漠で行き倒れになる昆虫は何だ」
ポン太「バッタ」
松崎「バッタが正解ですね。いつも怒っている昆虫は何だ」
ポン太「か!」
松崎「蚊が正解ですね。世界で一番早く飛べる昆虫は何だ。さあ、100万!」
ポン太「はえー」
松崎「ハエが正解です。やりましたよ100万円です」
ポン太「やったー(とバンザイ)」
松崎「(握手しながら)良かったですね。ポン太君、100万円は何に使いますか」
ポン太「あのね、田園調布に家を建てて、おじいちゃんと一緒に暮らします」
松崎「(怪訝そうな顔で)100万円で?」
ポン太「残りは貯金します」
松崎「それぐらいの金銭感覚があったら、もう一問プレゼントします」
ポン太「まだあるんですか」
松崎「まだあるんです。次の問題であなたが正解しますと、なんと10倍の1000万円」
ポン太「1000万!」
松崎「もしダメだったらあちらにある電気椅子!」
ポン太「電気椅子(とずっこける)」
松崎「に座っていただきます。さあどうするか(口で時間を刻む音)」
ポン太「はい。100万円いただきましたしね、電気椅子は怖いからこれで失礼します。有り難うございました」
松崎「そうですか、やりますか。いっていよう(キンコーン)」
ポン太、ずっこける。
松崎「1000万円の問題です。私の言うとおりに言ってください。ヒマラヤ」
ポン太「ヒマラヤ」
松崎「ヤマラヒ」
ポン太「ヤマラヒ」
松崎「ヒヤマラ」
ポン太「ヒヤマラ」
……途中省略。
松崎「さて問題です」
ポン太「ハイ。エベレスト。世界一高い山は、という問題でエベレスト」
(不正解の音楽が流れる)
松崎「10番目に私はなんと言ったか(口で時間を刻む)」
ポン太「(しばらく考え)はい」
松崎「どうぞ」
ポン太「ヤマラヒ」
すでに青い手術服を付けた男(又兵衛)が待っている。
松崎「フフフ、残念でした」
 手術服の男がポン太を連れていく。
松崎「さようなら〜」
 舞台の影からポン太の絶叫が! 再び手術服の男が現れ、エンディングテーマが流れる。
松崎「当番組では皆様方からの挑戦者を募集しております。最近どういうわけだか減ってまいりました。考えてご覧なさい。1000万円を手にするか、いっそさっぱり死んじゃうか。電気椅子なんて怖くない。勇気を出してトライアル&エラー。出場するのは(二人で画面を指さして)あなたです」
感 想
 ネタの面白さに結構ムラがあったことを覚えています。
著 書
(松崎菊也)
『一瞬の沈黙』『巷は勘違いに満ちている』(三五館)
『コメディアン』(実業之日本社)
『男が捨てられた夜』(三五館 小説)
『松崎菊也のひとり天誅!』(毎日新聞社 毎日新聞に連載していたコラムを纏めたもの)
(渡部又兵衛)
『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』(グラフ社)
その後・現在
 1984年に解散。その経緯は渡部又兵衛『お笑い芸人 糖尿病と二人連れ』(グラフ社)に詳しく書かれていますが、喧嘩別れです。
 キモサベポン太は別メンバーでキモサベ社中(新生)を再結成。その後の活動状況はそちらを参照。
 松崎菊也、渡部又兵衛は有本まことと組んでキャラバンを結成。お笑いスタ誕などで活躍。
 解散後、松崎、渡部は笑パーティー、ジョージボーイズの計8人で社会派コント集団ザ・ニュースペーパーを1988年に結成。人気を得る。
 渡部は今もザ・ニュースペーパーの重鎮として頑張っています。プロデューサーを務めていた杉浦正士の会社である(株)トリックスターに所属していたが、2007年に杉浦と袂を分かち独立(原因は杉浦の多角経営失敗?)。現在、(株)TNPカンパニー所属。HPザ・ニュースペーパーがあります。
 松崎菊也は1998年に退団。ラジオのパーソナリティをやりながら、作家として小説、エッセイを執筆中。現在は「戯(ざ)れ言を書くから『戯作者』」と自ら名乗る。辛口の時事ネタを得意とし、毎日新聞などにコラムも執筆。
 2001年あたりから松崎菊也は「他言無用プロジェクト」と称して元笑パーティー、ザ・ニュースペーパーの石倉チョッキ、すわ親治とともにライブ活動を定期的に開いている。プロジェクトは2007年4月より「はだかの王様」と改名。2012年4月、活動終了。
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名 前
キモサベ社中(新生)
初出場
 1985年5月11日(第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 コミックバンド。
プロフィール
 4名編成。
 キモサベポン太(ボーカル):本名是枝正彦。1951年10月12日生。鹿児島県出身。
 カンパーマン寺門(ギター):本名寺門一憲。1956年生。茨城県出身。多分この人がキモサベ社中バックバンドから昇格。舞台ではジュンと呼ばれていた。
 リンゴ(キーボード):本名末永明光。1948年生。福岡県出身。
 マッハ(ベース):ちょっと禿げていた人。
 寺門は法政大学時代からフォークグループで活動していた。
 リンゴはポン太の大学(桐朋学園大学演劇専攻科)の先輩。俳優などとして活動していた。
 マッハは不明。
ネ タ
 キモサベ社中を解散して、キモサベ社中(新生)が誕生するまでを、バンド+コント仕立てで見せる。
感 想
 これから個性を作り上げていくという感じでした。
その後・現在
 引き続き「キモサベ社中」として活動。バンドよりも劇団としての活動が多かった。数年後に解散。
 その後、1988年にキモサベと寺門は(有)パン・プランニングを設立。年に数本の講演や演劇の企画などを行う。キモサベは作家、演出(是枝正彦名義)、俳優として活動、寺門は演出、音響(寺門一憲名義)で活動。キモサベ主演時は「キモサベ・パン・セッション」という題が謳われている。
 またキモサベは俳優としてテレビ、舞台に登場。寺門は俳優、作曲活動も行っている。
 ホームページ(有)パン・プランニングがあります。
 キモサベポン太のブログ考える人 劇作家・是枝正彦が日々思う珍なるコトがあります。
 リンゴこと末永明光は「NATURAL AGENCY」(元TEN LITTLE INDIANS CLUB)という芸能会社の社長をしていた(出演当時も?)。脚本、舞台演出などを担当。元妻は音楽家、演出家、女優のいまむら直子(2003年に離婚)。
 2008年?に亡くなっているそうです。
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名 前
ギャグ・シンセサイザー
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 10週勝ち抜き、グランプリ獲得。3組目。アマチュアからの挑戦では初めて。
 第1回ゴールデンルーキー賞優勝。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 長谷川嘉昭:本名同じ。1957年9月24日生。東京都出身。
 松園洋:本名同じ。1959年8月17日生。愛知県出身。
 共に法政大学在学中。“落研”の先輩・後輩。アマチュア挑戦。
ネ タ
 暴走族ネタをよくやっていた気がします。
 二チブツのアーケードゲーム『クレイジークライマー』ネタのコントをしてた記憶があります。
リーダー「オレ、暴走族ミナコマシのリーダー長谷川ってんだ」
子  分「ボクチャン、松園デース」
リーダー「近頃、オレっちのシマ荒らしている奴がいるって本当か?」
子  分「そうなんですよ」
リーダー「誰だ、ふてえヤローだぜ!」
子  分「誰だろナー」
リーダー「誰だろナー」
子  分「白バイかナー」
リーダー「白バイなんて、チョロイチョロイ」
子  分「ミニパトかナー」
リーダー「ミニパトなんて、チョロイチョロイ」
子  分「ゼットかナー」
リーダー「ゼットなんて、チョロイチョロイ。ところで本当は誰なんだ?」
子  分「実は宿敵森永エンペラーなんスよ。しかも、最近は“ヨコハマ・カナブン”なんて改名して勢力拡大を図ってます」
リーダー「なに! ギンバエじゃなくてカナブン! 強そーだなあ。よしっ、俺たちも新しい名前にしよう」
子  分「何てつけますか?」
リーダー「決まってるだろう。“ヨコハマ・モンシロチョウ”……」

子  分「リーダー! 大変だ・ヨコハマ・カナブンがやってきた!」
リーダー「よしっ! ここで一気に決着付けてやる」
子  分「だ、大丈夫ですか」
リーダー「おまえ、オレの実力知らないのか?」
子  分「いいえ、例の十六文キックで決めるんでしょ」
リーダー「いいや」
子  分「じゃ、ウェスタンラリアートか、フライング・クロスチョップでしょ。リーダーは強いんだから……」
リーダー「あれはもう古い。今日は新しい戦法で決めてやる」
子  分「どんなの?」
リーダー「馬乗りだ!」
(2週目)
ロック歌手:おれ、矢沢エータロー。みんなオレのこと“エーチャン”って呼ぶけど、ま、そんなことエージャン。きょうのステージ、もう最高! これでまたカーネギーホールに一歩近づいたぜ。しかし、疲れたなあ。オイ、ボーヤ! 椅子持ってこい。
ボーヤ:はいはい。
ロック歌手:よーし。ああ……疲れたぜ。(椅子に腰を下ろし、足を組む)
ボーヤ:他に何か?
ロック歌手:わかってるだろ、これだよ、これ(とVサイン)。
ボーヤ:あ、わかった。そいじゃいきますよ。セーノ! 軍艦軍艦、沈没沈没、ハーワイッ……。
ロック歌手:バカ! じゃんけんじゃねえよ。 ほら、いつものやつだよ。
ボーヤ:えっ? あれなの。
ロック歌手:そうだよ。あれサ。
ボーヤ:でもボク恥ずかしいな、人前で。
ロック歌手:いいから持ってこいよ。
ボーヤ:それではお言葉に甘えて、どうぞ……(と鼻をVサインの歌手の手にすりつける)
ロック歌手:何するんだ! 鼻くそぐらい自分の指でほじくれ!
ボーヤ:何だっけ?
ロック歌手:タバコなの!
(4週目再挑戦)
銀行強盗コント。長谷川のやけに低姿勢の行員の演技がよかった。
長谷川が女装をしてウェイトレスをするネタ。
エピソード
 金賞を獲得した時点でプロ入り宣言をした(1980年9月27日)。
 グランプリ受賞時の映像は、パパリンと武三さんのHPにあります。
 松園が病気で倒れたとき、長谷川と小柳トムがコントを番組内でやりました(銀行ギャングコント)。
 ギャグシンセサイザーと赤信号が大阪進出した時、ギャグシンの作家さんがついていったのですが、ギャグシンは実力不足でほとんど受けなかったのに対し、赤信号は「面白いのだが、大阪人は東京のものを認めようとはしないので笑いをこらえていた」と書いていました。この台本作家さんはその後、赤信号に興味を持ち赤信号の方に行ってしまいました、というのを何かの本で読んだ(確か、赤信号のリーダーの書いた自伝だったと思います)。
 ギャグシンのコントの作家は、現在放送作家の植竹公和氏。法政の落語研究会の同期だった。
感 想
 あまり覚えていません。そんなに面白かったのかなあという気がします。
ラジオ他
 「ギャグシンの食いしん坊漫才」:『所ジョージのオールナイトニッポン』内の1コーナー。1981年4月〜9月。
「ギャグ・シンセサイザーの落ちこぼれ受験突破術」:『GORO』1980年?月号
その後・現在
 松園が病気で倒れ、しばらく長谷川がピンで活動、松園が復帰したものの、交通事故等などにより解散、芸能界から引退。

 新聞記事の記憶ですが、たしかとんねるずアゴ&キンゾーがグランプリとった時の記事に「なかにはギャグ・シンセサイザーのように解散したコンビもある」と書かれていたので、82年の前半にはすでに解散していたはずです。
 後にグランプリ取り消しにされています。長谷川さんが交通事故を起こしたのが原因です。番組末期での受賞者紹介の中で彼らは省かれていました。
 恐怖の追跡お笑い芸人部門に、長谷川さんからの直接の返事が載っていました。松園さんは現在サラブレッドを育てる仕事をしています。長谷川さんは、中野区の沼袋で父親の跡を継いで建築業を営んでいるそうです。
 2008年11月10日の『うたばん』は、再結成したバブルガムブラザースがゲスト。そこで登場したのは、元ギャグ・シンセサイザーの長谷川さん。すぐ昔に戻ってのタカさん、トムさんとのトークは呼び捨てでも全然平気。タカさんの嬉しそうな顔が何とも言えませんでした。
 株式会社ギャグ・シンセサイザーという会社が、2014年7月に設立されていました。テレビ、映画、CM、舞台や各種イベントなどの企画・制作・演出や芸能タレント、歌手、スポーツ選手、その他の著名人のマネジメント及びプロモートを行っています。2017年4月現在、三遊亭とむ(旧名末高斗夢、三遊亭こうもり)が所属。社長の名前はご本人ではありませんでしたが、苗字が同じなので、何らかの関係があるかもしれません。
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名 前
ギャグどんぶり
初出場
 1982年10月16日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 男女漫才。
プロフィール
 アマチュア挑戦。
 視聴者参加番組で、有名な女性が(名前も知らないが、顔だけは見飽きてました)突然男女コンビで挑戦した(相方は子供っぽかった)。
 ギャグどんぶりの女性は、あのねのねがやってた「飛び出せものまね大作戦」出身でした。
ネ タ
 バレー部のスポ根ネタだったと思いますが、こんなレベルで番組に出すなと当時思いました。
 相方の男のへんな声がうけてましたが、ネタはしょぼかった。
エピソード
 終了後、京唄子に不満があったらしく、かみついてました。
感 想
 訳のわからないことをして、すべってました。
その後・現在
 不明。女性の方はその後も素人番組等に出演していたらしい。
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名 前
キャラバン
初出場
 1985年10月12日(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ第3位。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 元キモサベ社中の松崎菊也、渡部又兵衛に、ミュージカル劇団音楽座の有本まことが加わって結成。
 有本まこと:本名有本誠。1954年4月14日生。京都府出身。
 有本は桐朋学園芸術短期大学出身で、同級生に高畑淳子がいる。音楽座の結成メンバーであり、キャラバンは並行活動だった。
ネ タ
 NHK新人演芸コンクールでは、モリアオガエルとおおむらさきの自然破壊反対コントで賞を取る。確かに、おおむらさきの羽化シーンはきれいでしたが、彼らの学校巡回芝居風教育臭さが嫌でした。ギリシャ悲劇のパターンで又兵衛が、「おお、全能の神であるじっちゃよ」というのは好きでしたが。
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ 2回戦)

 中世ヨーロッパのドラキュラ伯爵の館の地下室。博士(有本)と助手ゴルゴダ(松崎)が薬を作っていた。そこへ現れたドラキュラ伯爵(渡部)。作っていたクスリは、吸血鬼が人間になる薬だった。日向ぼっこをしてみたい、ギョーザを食べてみたい。
 薬を飲みほして、本当に吸血鬼から人間になったかを確認。十字架クリア、日光クリア。
 最後は十字架の杭を持ってきて、身体に打ち付けたら、死んでしまった。
「まだ吸血鬼だったか。悔い(杭とのシャレ)が残る」
「博士、人間でも杭を打ったら死んでしまうのでは?」
 茫然とした博士と助手。そのまま逃げてしまい、渡部が壇上に残される。

 笑いはそこそこあった程度だが、ストーリーはきちんとできていました。芝居はさすがに達者でした。
第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ 決勝戦優勝)

 松崎が出来の悪い中学生、渡部がその母親、有本が家庭教師のネタ。渡部の耳元で有本がクラッカーをならすなど、コントとしては今ひとつだったと思う。
(オープントーナメントサバイバルシリーズ)
 子供が誘拐された家族のコント。母親が渡部、刑事が松崎と有本。
感 想
 なんとなく新劇臭かったですね。一定の笑いは取れても、大爆笑は難しいタイプだったと思います。
受賞歴
 1986年 第1回NHK新人演芸コンクール<演芸部門>最優秀賞受賞
その後・現在
 音楽座が大手企業に買収されるなど色々あってバラバラになってしまったため、有本まことは1987年に音楽座を退団するとともにキャラバンからも脱退し、そのまま芸能界を引退した。
 松崎、渡部はキモサベ社中の項参照。
 有本まことは山形のログハウス会社に就職。再婚し、介護福祉士の資格を取得し老人ホームで働いた後、奥さんの母の介護を続けた。そして奥さんの知人のツテで、56歳の時酒造りの世界に飛び込んだ。
 2018年現在は、俳優・佐々木蔵之介の実家である『佐々木酒造』で蔵人として働いている。2018年6月27日、『あいつ今何してる?』(テレビ朝日)3時間SPで、高畑淳子の探し人として登場した。
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名 前
銀次・政二
初出場
 1984年1月28日(第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ
実 績
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 銀次:本名菅野銀次?
 政二:本名前田浩章。1965年2月23日生。大阪府出身。
 吉本興業所属。吉本NSC1期生。『笑ってる場合ですよ』の「君こそスターだ!」にNSC1期生達に出場依頼が来た際に、同期生でもあった銀次からピン芸人として活動していた政二にコンビ結成の誘いがあり「銀次・政二」を1982年8月に結成。5週勝ち抜き、チャンピョンとなる。1983年6月、うめだ花月下席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏み、劇場デビュー。
ネ タ
第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦)
 大阪のヤンキーネタ。それなりに観客の笑いもあったが、残念ながら1回戦落ち。京唄子がとても残念がっていた。
感 想
 面白いのだが、銀次と政二のキャラクターが今一つ噛み合っていない感じもした。
受賞歴
 1983年 第4回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞受賞
その後・現在
 1984年11月、約1年8ヶ月でコンビ解散。ほとんど喧嘩別れ状態でした。
 政二は、後に何人トリオの前田政二。関東でたこ焼き屋を経営していたこともあったが、現在は放送作家(前田大地名義の時もあり)。吉本総合芸能学院(NSC)で講師も行っていた。
 銀次は吉本新喜劇に出演。太平サブロー・シローに弟子入りし、タイヘイ銀次と名乗っていた。その後、吉本芸能を退社。
 銀次は2000年、東秀典・佑典の東秀典と漫才コンビ「銀秀」を結成。松竹芸能に所属。所属する松竹芸能のオフィシャルサイト、松竹芸能 オフィシャルサイト内のタレントプロフィールに「銀秀」が載っていたが、2000年12月にタレントプロフィール欄から「銀秀」が消えてしまったため、解散したと思われる。芸能界は引退。
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