『お笑いスター誕生!!』 名鑑【お】


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名 前
大木こだま・ひかり
初出場
 1980年11月22日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 ストレートで10週勝ち抜き、グランプリ獲得。ただし、参考記録。幻の4組目。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 大木こだま:本名西山利幸。1951年4月26日生。大阪府出身。
 大木ひびき:本名吉田正純。1955年生。鳥取県出身。
 1978年結成。
当時は弱小事務所に所属。師匠はいない。
ギャグ
 ギャグ:実はそうですねん
 体を揺らして「こんぶ!」というギャグをよく使っていました。
ネ タ
 面白かったです。笑い転げながらみていました。その後、テレビ演芸で同じネタを見たのですが、当時ほど面白くなかった。寿司屋のネタ(黄色いネタがあり「これ卵焼き?」ときいたら「イカが古うなっとんのや」)でしたが、審査員が「汚いよ」と言っていたのを覚えています。
ひかり「これからはファッションにも気ぃ使わんとあかんでぇ」
こだま「あたりまえや。おれなんか靴下までもがファッショナブルやでぇ。これ見てみぃ」
(右足のズボンのすそをあげると、ラインのはいった安物の靴下を履いている)
ひかり「何やそれ、3足1000円くらいの安モンの靴下やないか!」
こだま「何言うとんねん。見てみぃ、この縦の線と横の線の調和!」
ひかり「なんやそれ。そんな安モン履いて何がファッショナブルじゃ!」
こだま「アホゥ、よく見んかい。こっちは履いてへんのじゃ!」
(左足のすそをあげると裸足に靴を履いていた)

こだま「この男なんてセコイですよ。ビンが横に並んでて1本ずつ引き抜くコーラの自動販売機がありまっしゃろ。あれいっぺんに2本引き抜いたら2本飲めるんやないかと思ってやりよって失敗しとんねん。1本もとれへんかったやないか」
ひかり「まぁ、そういう失敗もありましたな」
こだま「せやからおまえはアホやっちゅうねん。俺なんか見てみぃ。タダでコーラ飲めるでぇ」
ひかり「タダでって、どないすんねん」
こだま「アホやなぁ。栓抜き持ってって、栓シパーンと抜いて、下でコップで受け止めるんやないかい!」
ひかり「アホッ、そんなことしたらアカンがな」
こだま「せやけどこれにも欠点があってな、ビン、真横になってるもんやからコーラ半分しかコップにはいらへんねん」
エピソード
 新幹線コンビとして売り出す。グランプリを獲得するものの、大木ひかりがグランプリ獲得収録直後に覚醒剤取締法違反(使用)容疑で逮捕。コンビ、解散。そのため、8週目以降からはテレビで放映されていませんでした。グランプリも剥奪。
 9週目くらいの時にエンディングでこだまさんが、店先に置いてあるような大きなソフトクリームを抱えていた記憶があるのですが、あれはコンブに代わる新ネタだったのでしょうか。どなたかご存知ないですか?
 10週グランプリ本番直前というときに、収録中の山野ホールに刑事がやってきて「大木ひかりを覚醒剤所持容疑で逮捕する」と言う。「グランプリ挑戦なんだからちょっと待って」とPDが頼み込み、番組収録。皆から「おめでとう」と祝福されて、うれし涙で舞台を下りてきてガチャ。グランプリ剥奪。
 10週目ってどんなネタやっていたんでしょうね? たしか10週目の放映見ていたら舞台に沢山紙テープが投げ込まれていて花束を抱えた2人がチラッとだけ映った記憶があります(それ以外は全部カットされていましたが……)。
 大木こだまひかりの6週目以降は、公式本では失格となっていますが、実際は逮捕発覚の時点で6週目はすでに放映されていて、7週目も差し替える隙がなく「この放送は○月○日に収録したものです」のテロップ入りでそのまま放映しました。8週目はちょうど小柳トムがグランプリ挑戦だったので、その直前に過去のグランプリ獲得シーンを挿し込んでお茶を濁し、9週目はギャグシンと小柳トムの3人コント、10週目はおぼんこぼんの音楽コントでした。10週目の審査発表はイッセー尾形の不合格シーンからすぐにおぼんこぼんのハイライト映像に切り替わり(エンディングテーマが流れる)、当然ながらこだまひかりのグランプリ紙吹雪はかけらも見られませんでした。ちなみに差し替えの場面では、こだまひかりの不祥事について中尾ミエが遠回しに説明していました。『こだまさんの方は、相手を替えて、もう1度一週目からチャレンジしたいと言ってるそうですよ』と言っていたのを今でも覚えています。実際は、周知の通りこだま・ひびきになっても出演できませんでしたが……。
 僕も6か7週分までは放送した記憶がうろ覚えながらあります。
 その後は出演のところがカットされて、司会の故“ルパン三世の声”山田康雄さんの悲し気&やりきれなさそうな表情とコメントが印象的でした。
 例の事件後に舞台でこだま・ひびき結成の挨拶をしましたが、テレビではその模様はオンエアされず、出場もしませんでした。
 こだま・ひびきが番組の収録前に登場したシーンはたまたま会場に居たので紹介します。
 中尾さんが、まずこだま・ひびきを紹介して舞台袖に登場、こだまさんがひとことお詫び「前の相方はすっかり更正して飲み物屋さんをやってるようですが、今度から新しい相方と組んでまた1週目から出直してチャレンジします。」と決意表明のあと、ひびきさんを紹介。会場から拍手を浴びました。中尾さんや山田さんはからん・ころんとして番組には出てたひびきさんは覚えていなかったみたいでした。そのあと中尾さんが、「せっかくですから「こんぶ」やってよ」とこだまさんにリクエスト。このときは「こんぶ」をやってくれてました。
 しかし事件を嫌う赤尾PDの判断か? このシーンはオンエアされず、コンビは『テレビ演芸』のほうに流れていきました。
 カウスさんと懇意のたけしさんがNGKに来られる際、出番だったこだまさんと当時の話で盛り上がったと、こだまさん本人がラジオで語っていました。
 カウスさんとたけしさんが懇意で、そのたけしさんが、名古屋(大須演芸場)でこだま(・ひかり)を意識し、さらにこだまさんはデビュー間もないカウスさんのセンスに惚れ込み、弟子入り志願(…あまりにも早急な時期の志願だったのでカウスさんはこれを断りますが、現在でも師弟的関係は続いています)と、東西の強者が最近では微妙なバランスで独特の三角形を保っています。
 この三人、いずれもが「笑いが好きで好きで堪らない」というところが、ファンとしても微笑ましく、また嬉しくもあるのです。
感 想
 なぜ、テレビに映らなくなったということしか覚えていないです。
 大木こだま氏の今の「往生しまっせ」より「じつはそうですねん」のが面白いです。本当惜しいコンビでしたね。
受賞歴
 1978年 第8回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞
(以下は大木こだま・ひびきとして)
 1981年 第2回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞受賞
 1987年 第22回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1991年 第20回上方お笑い大賞金賞受賞
 1992年 第27回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1996年 第25回上方お笑い大賞大賞受賞
 1996年 第31回上方漫才大賞大賞受賞
 2005年 第34回上方お笑い大賞大賞受賞
 2006年 第41回上方漫才大賞大賞受賞
その後・現在
 大木こだまは、次の相方を見付けるために、スポーツ紙で募集。
 大木こだまは古都からん・ころんのからんと1981年5月にコンビを組み、大木こだま・ひびきを結成。当初はケーエー・プロダクション所属。翌年、吉本興業に移籍。
 大木ひかりは普通の仕事人として過ごしているとのこと。
 こだま・ひびきで『テレビ演芸』に出て3週勝ち抜き抜きチャンピョン。グランプリ受賞者のはずが、妙に色褪せていました。審査員の評も辛口で、3週勝ち抜きもきつかった。審査員の方が、『お笑いスター誕生!!』に対抗意識があったのか、それとも、ひかりが凄かったか。
 吉本興業に入ったのは、ザ・ぼんちのまさと(里見まさと)との縁。ひびきはまさとの店の常連だった。もっともまさとは、野球チームを作るために彼らを吉本に入れたらしい。
 関西では人気の高い漫才コンビだったが、「往生しまっせ」が受けて全国区に。2005年は「チッチキチ~」で大ブレイク。吉本看板コンビの一組である。大木こだまは1985年に海原さおりと結婚。

 所属する吉本興業のオフィシャルサイト内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
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名 前
大阪湿地帯ジャン・種吉
初出場
 1982年5月22日(第2期グランプリシリーズ)
実 績
 3週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 男性二人組のコントコンビ。
プロフィール
 大阪にある劇団プロメテ出身。出演当時は松竹芸能所属。出演時、26歳と28歳。新花月でデビューして2年半が経っていたといわれた。
 「スタ誕」に出る前は花乃ジャン・種吉という芸名でした。芸風はそのまんまでしたけど。
ネ タ
 無愛想な暗いコントをやっていた記憶があります。
(3週目合格 No.111 1982年5月29日放送)

 野球部の生徒が万引きを自首しようとする。それを引き止める教師。
教師「それじゃあ、お前は本気で万引きを自首すると言うのか」
部員「はい」
教師「自首すると、謹慎処分で甲子園に行けなくなる。そうすると部員の怒りはどこに向けられると思う。それはお前に向けられるんじゃないかなあ(と教師笑う)」「ピッチャーの大熊。身長3メートル体重200kg。素手で熊を殺した経験を持つ」「キャッチャーの○○こいつは手は早いが頭が足りない」
部員「先生、野球部は皆頭が足りません」
教師「大胆なご意見ありがとうございます」(当時のCMネタ)
再度似たようなやり取りの後
部員「先生、野球部は皆馬鹿です」
教師「大胆なご意見……。なんべんも言わすな!」
 その後部員は自首を取りやめるが、……。
部員「先生。大変です。野球部とラグビー部が衝突してます」
教師「いやあ、元気があって良いなあ」
部員「先生、大熊が大木を掴んで校舎を壊しています」
教師「このパワーで甲子園に行けるだろう」
部員「行ける訳ないだろ」

 多分人名や細かいやり取りは違うかも知れません。
 愛想の無い国鉄マン(現JR)のみどりの窓口でのコントをやっていた。
エピソード
 『お笑いスター誕生!!』の登場のテロップは、名前の下に( )で笑いのジャンル(コント、漫才、漫談など)が書いてあります。彼らの場合、最初の頃は「大阪湿地帯ジャン・種吉」と名前が書かれ、(コント)とあったのだが、4週目は「大阪湿地帯」とあって、下には(ジャン・種吉)と出ていました。何ででしょう?
 『テレビ演芸』では1週めに上方の落語家のユニット露の家団志郎・団六と対戦。どちらも同じくらい笑いが少なかったが、社会批評性があるという理由でジャン種吉の勝利に。その時のネタは覆面パトカーが人生相談をするというもので、唯一笑いの起こったシーンは覆面パトカー「これじゃあ覆面レスラーですよ~」と泣き顔で語ったくだりだけでした。2週めは負けました。
 1週目、京唄子さんが「あんたらこの前たまたまテレビで見たんだけど、不思議な人たちやな~って思ったのよ」と感想を述べていました。
感 想
 暗いイメージがありましたね。それしか思い出せません。
 スタ誕前に『テレビ演芸』2週勝ち。覆面パトカーの人生相談というネタをかけていた。対戦相手に救われて勝ちましたが面白くなかった。暗い芸風はあいかわらずで、2週どまりでした。
レコード
 東京丸・京平『第1回紅白ヨイショ歌合戦』(紅組サイド)(1983.11)のB面西ブービー・オービーの同名曲(白組サイド)の西ブービーのプロフィールとして、「昭和54年「ザ・テレビ演芸」「お笑いスター誕生」などに漫才コンビジャン・種吉"として出演」と書かれてあります。
その後・現在
 不明。ジャンの方は俳優を一時期していたらしい。
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名 前
鳳らん太・みい子
初出場
 1980年4月26日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 2週勝ち抜き。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 鳳らん太:本名市井忠彦。1945年8月12日生。石川県出身。
 鳳みい子:本名:竹中美佐子
 鳳啓介・京唄子の弟子。らん太は鳳らん太・ゆう太で1968年初舞台。1975年に解散後、1976年にらん太・みい子を結成。
ネ タ
 師匠鳳啓介の唄(「父と娘の詩」)をネタにした漫才をしていました。らん太が鳳啓介の真似をしていました。
感 想
 あか抜けない漫才だった気がしました。
受賞歴
 1970年 第5回上方漫才大賞新人賞受賞(鳳らん太・ゆう太として)
レコード
 レコードを昭和57年頃、出してはりました。A面がらん太の「宿六の唄」(演歌)、B面がみい子の「チェッ!いやな夜」(ロッコ調の歌)でした。「宿六の唄」は当時角座の舞台で1度聞きました。なかなかええ歌でした。

 鳳らん太「大峯修行」(1980)~監修:大峯山桜本坊巽良乗、後援:大峯山行者講本部。ジャケは、「ただ今修行中」と全身でアピールするものものしい格好をしてひきしまった表情をしている鳳らん太。これ、マジものです。笑うと呪い殺されそう。構成:鳳啓助。って一体何を「構成」したのでしょうか~
その後・現在
 現在、鳳らん太は猿回しとして、関西を拠点に活動。相棒の猿は「花子」。オフィスらん太代表として活動中。
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名 前
岡けん太・ゆう太
初出場
 1985年10月12日(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ)
実 績
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 岡けん太:本名龝山隆(あきやまたかし)。1961年3月28日生。大阪府出身。
 岡ゆう太:本名井元保則。1962年6月11日生。鹿児島県出身。
 吉本興業所属。ともに師匠は岡八郎。ゆう太は弟子入り後、新喜劇に出演していた。けん太はNSC1期生で、卒業後、うめだ花月の進行係を経て出祖悪露。名前は岡八郎の子供から取った。1983年1月結成、6月初舞台。
ネ タ
 当時のつかみネタとして、けん太の方が、ドナルドダックの物まねをしていました(自分の頬を掴んで揺らしながら適当に発声する)。
 でもこれ、既に関東では、テレビ東京の素人物まね番組で同じネタやってる人(石黒力)がいたので、個人的にあまり新鮮味はなかったのですが、会場ではそこそこ受けてました。
(第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦 87点〇 No.291 1985年12月14日放送)

 互いの悪口ネタ(発泡スチロールを細かく斬って塩掛けてポップコーンを食べているとか)→歌手ネタ(賞レース、歌手の真似)→テレビの冒険番組ネタ
感 想
 若手らしいフレッシュさはありましたが、それでも達者でしたね。舞台慣れしているというか。
エピソード
 審査員ガッツ石松の息子の名前がけん太とゆう太(字は忘れた)。審査総評の時、岡けん太・ゆう太さんに御子息の名前と一緒である事を言って笑いを取りました。断言できます。
 ガッツさんの総評って、3週に一度のペースで小ボケが入ってましたネ。
受賞歴
 1987年 第17回NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞
 1997年 第32回上方漫才大賞奨励賞受賞
 1999年 第34回上方漫才大賞大賞受賞
その後・現在
 1987年に放送が開始された毎日放送『4時ですよーだ』にレギュラー出演して人気を博す。1992年におかけんた・ゆうたと改名。現在も関西を中心に活躍中。
 所属する吉本興業のオフィシャルサイト内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
 2020年ごろ、ゆうたが体調を崩してコンビの活動が休止状態となった。けんたは後に、ゆうたが糖尿病で、週3回人工透析を受けていたことを明かしている。
 おかゆうたは2023年8月22日、脳内出血のため、大阪市内で死亡。61歳没。
 8月15日、YES THEATER『よしもとお笑いライブ』で、これから始まるコンビ結成40周年のプロローグとして3年半ぶりに漫才を披露。これがゆうたの最後の舞台になった。
 2024年3月29日、大阪・なんばグランド花月で開催された『ノスタルジック寄席』で、おかけんたはピン芸人としての初舞台に立った。
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名 前
小倉三郎
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週落ち。
ジャンル
 多分ものまね。
プロフィール
 アマチュア挑戦。
ネ タ
 ものまね?
エピソード
 第1回出場。
感 想
 不明。
その後・現在
 今年の春のスペシャル番組でマサイ族と日本人の家族が互いにホームスティし合う企画があり、日本人家族の代表として、小倉三郎さん一家が紹介されていました。これなら、ただの同姓同名かもしれない。ただ、気になる事がひとつ、小倉さんは現在、大門三郎という芸名の演歌歌手だそうです。ものまねでお笑いスター誕生に出てから、演歌歌手に転身、ありそうですよね。まだ、憶測レベルです。
 2000年8月1日、TBS系『ジャングルTV タモリの法則』の1コーナー「美人妻の夫を探せ」に演歌歌手の大門三郎さん(50)が出演しました。16年前に経営していたタイル会社を弟に譲って演歌歌手に転向したら、弟が急死して借金だけが残ったとか、夢は出身地の鹿児島県種子島にホテルを建てることなどを話したあと、23年前の1977年、『ぎんざNOW』のものまね対決で3週勝ち抜き、4週目で小堺一機に破れるというエピソードが出ました。三甲さんの憶測、小倉三郎→大門三郎は、ビンゴみたいですね。
 大門三郎は1949年8月10日生まれ、鹿児島県西之表市出身。高校卒業後、横浜でタイル職人として働き、後に会社設立。その後会社を弟に譲り、1979年?に牧伸二の弟子となる。その後、演歌歌手としてデビュー。2008年9月、新曲『幸せじゃん』をPRするため、神奈川県平塚駅前に立つ。そこで応援されたことからお返しとして、駅北口で黄色のジャケットに紅白の縦じまズボンというど派手な衣装のピエロの格好で「幸せ配達人」として毎日毎朝、通勤・通学の人たちにエールを送るようになる。2009年、同じ種子島出身の川商ハウス西田隆昭社長と出会い、同社CMに「大門ちゃん」として出演。故郷の種子島へ帰るため、2018年いっぱいで幸せ配達人の活動を終了した。
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名 前
おぼん★こぼん
初出場
 1980年6月7日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 ストレートで10週勝ち抜き、グランプリ獲得。2組目。
ジャンル
 本来は漫才だが、お笑いスタ誕ではコントで挑戦。
プロフィール
 おぼん:本名井上博一。1949年2月2日生。大阪府出身。
 こぼん:本名馬場添良一。1948年12月24日生。兵庫県出身。
 高校の同級生。こぼんがおぼんを誘い、学生漫才として1965年にデビュー。高校時代にアマチュアのチャレンジ番組『素人名人会』(毎日放送)に出演し、名人賞を受賞。おぼん・こぼんと名乗っていたが、名前は視聴者に付けてもらった。芸名の由来は、「大きいボンボン」「小さいボンボン」から。どこの師匠にもついていないというのだから驚き。『素人名人会』で勝ち抜いたことから、ディレクターに誘われプロに。高校卒業後、こぼんがおぼんを誘い、上京。こぼんの家族は上京に賛成していたが、おぼんは銀行に就職が決まっていたので家族が大反対したため、おぼんは散歩に行くといってそのまま上京した。大阪の芸人が東京へ行った先駆者。ただしこのころは、関西弁は全く分かってもらえなかったとのこと。
 なお最初は「青春コンビ おぼんこぼん」という名前だったの事。所属の会社から取って「堀おぼん・こぼん」になったり、大坂で仕事をやる時だけ「横山おぼん・こぼん」になったりしていたと本人たちは語っている。“月見”の屋号は1969年に『NHK漫才コンクール』に参加するとき、局の方から「漫才師なら屋号がないとおかしい」と言われたため、付けたとのこと。(『昭和40年男』(ヘリテージ)2023年10月号掲載のインタビューより)
 最初はキャバレーや歌謡ショーの司会で全国を回る。また、鈴本演芸場、浅草演芸ホール等で活動。1970年から1980年まで、赤坂の高級ナイトクラブ「コルドンブルー」に出演。
 師匠持たずとありますが、以前ゲスト出演されていたNHK第一『話芸笑芸当たり芸』で、大阪時代一時、漫画トリオ時代の横山ノック門下にいたことがあって、何度か吉本の花月劇場にも「横山おぼん・こぼん」として出演したことがあると語っていました。
 しかし、このことを上岡龍太郎さんのラジオにFAXで確認しますと、「記憶にない…」とのこと。
 ということは、横山プリンや、横山やっさんほど、正式な弟子でもなかったのかもしれませんね。


 自伝『東京漫才』によると、こぼんは中学卒業前に自宅近くに住んでいた放送作家の尾上たかしに紹介してもらい、横山ノックに弟子入りの直談判をしたが、さすがに高校ぐらいは出た方がいいと諭されるも学校に行きながら他の芸人の舞台を見ることは許され、大阪中の演芸場で舞台袖などから先輩芸人たちのステージを見るとともに、ノックのかばん持ちみたいなことをやらせてもらったったとのこと。このとき、ノックのかばん持ちをしていたのが横山やすしで、当時から仲が良く、一度は相方にと誘われたとのこと。
ネ タ
 元々は漫才だが、『お笑いスター誕生!!』ではコントが中心。タップダンス、楽器演奏などのネタもこなす。ジャズを歌っていましたが、レパートリーは60曲以上あるとのこと。
1週:TVワイドショーネタ、蒸発した夫を探して。「父ちゃんが蒸発して2年、お腹の赤ちゃん、もうこんなになっちゃった。父ちゃん、帰ってけれ」
2週:オーディションコント。
3週:医者と患者のコント。
4週:ドラキュラのコント。ドラキュラ退治に出てくるのは玉ねぎ、キューピー人形、おまけに印籠。
5週:バレーのプリマドンナのコント。
6週:ディーン・マーチンの影武者、ヒン・マーチンのコント。タップダンスを披露。
7週:恐山の霊媒師のコント。左ト全や田中角栄の物まね。
8週:代表作「港のマサ」のコント。おぼんはヒロシとみっちゃんの二役。
9週:海外ツアーのコント。「アラウンド・ザ・ワールド」を披露。
10週:柔道のコント。
(3週目合格 No.11 1980年6月21日放送)

患者:こぼん
医者:おぼん

おぼん「えー、頭が痛い?」
こぼん「昨日の夜あたりから熱が出まして咳き込んで、ゴホッゴホッ」
おぼん「咳き込んで」
こぼん「ええ」
おぼん「それでお医者さんは行ったんですか?」
こぼん「(思わず呆れる)」
おぼん「とりあえず、熱を測りましょう。昨日は38度6分」
こぼん「5分か、6分」
おぼん「かなり厳しいとこですな」
こぼん「そうですか」
おぼん「(右手の人差し指を口の中に入れる)」
こぼん「(思わず吸う)」
おぼん「吸わないで、吸わないで(と言いながら指を外す)」
こぼん「いくらぐらいありますか」
おぼん「相当ありますな。9度6分くらいある」
こぼん「あーあ」
おぼん「頭がんがんするでしょう」
こぼん「重くてしょうがないです」
おぼん「じゃあ、聴診器で見ましょう。はい、裸になって、裸に」
こぼん「(上着を脱いで、上半身裸になる)」
おぼん「大丈夫ですよ。(聴診器をつけて)あ、あ、あ、テスト、テスト。ただいま、聴診器のテスト中。(いきなり大平首相の真似で)まあ、そのう」
こぼん「(思わず頭をはたく)」
(中略)
こぼん「注射一本お願いできますか。そうすれば熱が下がると思うんです」
おぼん「皆さんもご存じの通り、学会の方でもあまり注射を打たないようにと厳しく言われているんですがね」
こぼん「そうなんですか」
おぼん「患者さんがどうしてもというのでしたらしょうがない、一本打ちましょう」
こぼん「お願いします」
おぼん「すぐに下がりますから。あとは気持ちの問題です」
こぼん「はい」
おぼん「ファイト、ファイト」
こぼん「はい」
おぼん「すぐに下がりますからね(と注射器を準備する)」
こぼん「(袖をまくりながら)頭が痛いんですよ」
おぼん「(頭に注射器を刺す)」
こぼん「(おもわず飛び上がる)あなた、なんで頭に打つんですか」
おぼん「あなた、頭が痛いんでしょう。これでぴしーッと」
こぼん「そういうもんじゃないでしょう。(腕を叩きながら)普通はここに打つもんでしょう」
おぼん「座んなさい、座んなさい。(腕をさすりながら)ほう、立派な腕をしてらっしゃいますな。じゃあ、ここでいいですか」
こぼん「いいですよ」
おぼん「(いきなり顔を近づける)」
こぼん「(腕を引っ込めながら)ちょっと、なんですか。あなた、そう簡単に打とうとしないでください。ゴムで血管を止めたり、消毒したりするでしょう」
おぼん「うち、ゴムないんですよ。いつも患者さんに血管つまんでもらっていますから」
こぼん「(腕をつまむ)」
おぼん「ほらほら、立派な血管が出てきましたね。(注射を打つところにいきなり唾を吐きかける)」
こぼん「(腕を引っ込めながら)汚い」
おぼん「(注射器の先を口でしゃぶる)」
こぼん「あなた、なめたら汚いでしょう」
おぼん「消毒しとるんじゃないか」
こぼん「消毒って言ったって」
おぼん「あなた、医者に対して汚いとは何か」
こぼん「汚いじゃないですか」
おぼん「医者は綺麗なもんだよ。朝晩、クレゾール飲んでいるんだから。(注射器を腕に挿す)いやあ、もうすぐ夏ですね」
こぼん「そうですね」
おぼん「夏はどこか行くんですか」
こぼん「いやー一応旅行に行く予定なんですけどね」
おぼん「どこに」
こぼん「伊豆の方に」
おぼん「伊豆は良いとこですよ」
こぼん「あなた休憩しないで打ってください。お話はあとでゆっくり伺いますから」
おぼん「大丈夫ですよ(と言いながら、注射器をグルングルン回す)」
こぼん「回さないで下さいよ、痛いです」
おぼん「大丈夫です。回せば回すほど気持ちがよくなります」
こぼん「いいですから。早く打ってください」
おぼん「うるさい患者だな(と、プランジャーを押す)」
こぼん「痛いですから」
おぼん「ここまで来たら戻す(と、プランジャーを引っ張る)」
こぼん「戻さないで下さいよ」
(4週目合格 ドラキュラコント No.12 1980年6月28日放送)

ドラキュラ:こぼん
娘:おぼん

ドラキュラ:私の名はドラキュラ伯爵。世界を股にかけ、美女の生き血を吸うドラキュラ伯爵。北海道から九州・沖縄まで、日本もずいぶん歩き回ったが、なかなか美人は少なかった。代々木というところは美女が集まる場所だと聞いてきたが、キッチリ騙された。おやっ、女が来た。よし、コウモリになって様子を見よう。
 といいながら、舞台工法の鉄棒に、足から逆吊りにぶら下がる。
娘:あら! 何してるの、赤い顔して。ああ、わかった。これ、新しい健康法でしょ。逆さぶら下がり器っていうのよ。とっても内蔵にいいのよね。あたしも頑張ろうっと。
 と、ドラキュラと並んで逆さにぶら下がる娘。スカートがめくれ、パンツ丸見え。
娘:ああ。とってもいい気分。ああ、いい気持ち。
 ドラキュラ、鉄棒から降りる。娘も落ちる。起きあがってドラキュラを見て
娘:あー。あんた、もしかして、間違ってたらごめんなさいね。あんた、もしかしたらドラえもん?
ドラキュラ:私の名はドラキュラ伯爵。
娘:そうよねえ。あなたをどっかで見たことがあると思ったのよ。ねえ、ドラキュラさん、ちょっとお願いがあるんですけど……。ちょっと血を吸っていただけませんか。あたし、鼻血が出そうで、ダメなのよ。
ドラキュラ:ドラキュラは美しい方のみ吸う。
娘:そんな言い方ないじゃない。あたし、凄く傷ついちゃじゃないの。ねえ、お願い!
ドラキュラ:ダメだダメだ。帰れ!
娘:あ、そう。あたしがここまで頼んでるのにダメなの!
ドラキュラ:邪魔だ、ブス。
娘:ああ、そうなの。あんたがそこまで意地張るんなら、あたしにも考えがあるわ。
ドラキュラ:どんな考えなんだ。
娘:こうなったら徹底的にドラキュラいじめしてやるわ。あたしだって、ドラキュラの弱点ぐらい知ってるんですからね!
ドラキュラ:なに! 私の弱点。
娘:こうなったら徹底的にいじめてやるわよ。ジャンジャジャーン。
 とポケットからタマネギを取り出し、ドラキュラに突きつける。ドラキュラ、オーバーに驚くが、
ドラキュラ:何でドラキュラがタマネギでびっくりしなければならないんだ!
娘:今のは冗談よ。これではどう。ジャンジャジャーン。
 と人形のキューピーを出す。
ドラキュラ:なんだバカめ。それで十字架のつもりか? そんなマヨネーズに負けてたまるか。消えろ、消えろ、消え失せろ!
娘:なんのなんの、こうなったら徹底的に痛めつけてやるんだから。(ポケットから印籠を出し)ひかえい。ここにおわせられるお方を誰と心得る。先の中納言水戸光圀公であるぞ。
 ドラキュラ、ハハァーとひれ伏そうとするが、
ドラキュラ:おまえなんぞ、何を出してきても怖くはない。消えろ、消えろ。
娘:それじゃ、最後のものを出すわよ。ドラキュラの最後だ。
ドラキュラ:やめろ!
娘:(数珠を取り出して拝みながら)ナンミョーホーレンゲキョー
ドラキュラ:ウウ~(床に腰を落として後ずさりして)しまえ、しまってくれ!
娘:ねえ、ドラキュラさん、血を吸ってくれる?
ドラキュラ:不本意ながら吸おう。
娘:不本意? (ポケットから数珠を出す仕草)
ドラキュラ:喜んで吸うよ。
娘:じゃあ、お願いします。
 と、首筋を突き出す娘。ドラキュラ、ポケットから脱脂綿を取り出し、娘の首筋を消毒する。
娘:待ちなさい。どこのドラキュラが血を吸う前に消毒したりするのよ。あたしはばい菌じゃないですからね。
 ドラキュラ、娘の首筋に口を近づけて、吸おうかどうか迷ってもじもじする。鼻息が娘の首筋にかかる。
娘:早く吸いなさいよ! なんで吸う前に息吹きかけるのよ。ゾーッとするじゃないの。気持ち悪いな、もう。早くお願いしますよ。
 ドラキュラ、娘の首筋に顔を近づけつつ、今度は娘の後方から手を回してお尻に触る。
娘:ムヒヒヒ、ヒャー。何でお尻をさするのよ。カパッといきゃいいでしょ。
 なおも吸おうとしてもじもじするドラキュラ。
娘:ムハハハ、オエー。もういいよ、つばでズルズルじゃないか。何で舌を使うんだよ。まいったなあ、もう。
ドラキュラ:何か、気分が悪くなっちゃったよ。
娘:ど、どうしたの。何か悪いもの食べてきたんじゃないの。大丈夫?
ドラキュラ:大丈夫、この日のためにドラキュラは、正露丸という強い味方があったのだ!

 キングオブコントに挑戦した時にもやったらしい。
(8週目合格 名作「港のマサ」 No.16 1980年7月26日放送)
(爆笑オンステージ No.162 1983年5月28日放送)
(五周年記念特別企画 傑作・名作特集パート1 No.257 1985年4月13日放送)

ヒロシ、みっちゃん(二役):おぼん
マサ:こぼん

ヒロシ:(ナレーター口調)みなさん、こんにちは。さて、これからお届けする物語はフィクションであり、登場する人物・団体等は全て架空のものです。それでは、まず一人の男をご紹介しましょう。
 マドロススタイルのマサ、肩に着古した背広を引っかけて登場。
ヒロシ:この男です。名前は“港のマサ”。十年ぶりに故郷の港に帰ってきました。
マサ:久しぶりの港、十年前と何一つ変わっちゃいねえ。あの汽笛の音だって変わっちゃいねえ。
ヒロシ:(口まねで)ヴォーッ。
マサ:そして、あのブイの音。
ヒロシ:ブイッ、ブイッ。
マサ:波の音だって変わっちゃいねえ。
ヒロシ:ザブーン、ザブーン。
マサ:そしてあのポンポン船の音も懐かしい。
ヒロシ:ポンポンポンポンポンポンポン船。
マサ:カモメがよく鳴いてたっけなあ。
ヒロシ:えっ?
マサ:カモメがよく鳴いてたじゃねえか。
ヒロシ:カモメ? カモメって鳴いたっけ?
マサ:カモメだよ!
ヒロシ(苦し紛れに)カモメ、カモメ。
マサ:(無視して)十年前に別れたみっちゃんは、今頃どうしてるだろうか。おらぁ、あいつに会いたくて、この浜に帰ってきたんだ。
 ヒロシ、サングラスをかけて、港の男っぽい雰囲気で。
ヒロシ:(小林旭の真似で)夜がまた来る……
 マサとすれ違いざま、肩がぶつかる。
ヒロシ:お前さん、ちょっと待ちな。この浜で俺の肩に触れて、生きて帰れると思ってるのかい。俺の肩に触れたために、この港には三人浮いているんだよ。俺は短気だぜ。
マサ:ヒロシ、ヒロシじゃねえか!
ヒロシ:お前さん、何で俺の名前をしってるんだい?
マサ:しばらくだなあ、ヒロシ。
ヒロシ:人の名前を気安く呼ぶんじゃねえ! 俺は確かにヒロシだ。お前さんは誰なんだい。
マサ:俺じゃねえか。
ヒロシ:オレくんかい?
マサ:俺はお前の名前を思い出したんだぜ。俺の名前を思い出してくれ。
ヒロシ:おまえ、福田かい?
マサ:福田じゃねえ。
ヒロシ:三木かい?
マサ:ちがうぜ。
ヒロシ:中曽根かい?
マサ:政治家ばっかりじゃねえか!
ヒロシ:誰なんだい、お前さんは。
マサ:マサだよっ!
ヒロシ:まさか!
マサ:ヒロシ!
ヒロシ:マサかい! 久しぶりだねえ。今までどこへ行ってたんだい。
マサ:ちょっとやばいことがあってよぉ。ロンドン、ブラジルを経由して、春日部の方に行ってたんだ。
ヒロシ:苦労したんだねえ。兄貴よぉ、どうしてもっと早くこの浜に帰れなかったんだい。
マサ:それよりお前、十年前に別れたみっちゃん、どうしてるか知らないか?
ヒロシ:兄貴、まだみっちゃんのこと覚えていたのかい。
マサ:あいつに会いたくて、この浜に戻ってきたんだ。
ヒロシ:その言葉、みっちゃん聞いたら喜ぶぜ。みっちゃん、ずっと待ってたんだよ。兄貴の帰りをただひたすらに。覚えてるかい。十年前、この岸壁で兄貴とみっちゃんと、二人でよく歌ってたじゃないか。
マサ:そうだなあ。そんな昔もあったけなあ。
ヒロシ:いまだにみっちゃん、道の真ん中で大きな声で歌っているぜ。(ウンチングスタイルで)みっちゃん、ミチミチ……
マサ:悪いけどよ、ヒロシ。みっちゃん呼んできてくれないか。
ヒロシ:会ってやるかい! どれほどみっちゃん喜ぶかわかんねえぜ。俺、ひとっ走り行って来るぜ。
 ヒロシ、舞台の袖へ。
マサ:あいつ、昔とちっとも変わっちゃいねえなあ。みっちゃんか。いい女だったぜ。よく二人で歌ったもんだ。海はよ~
 女装したみっちゃん、登場。
マサ:みっちゃん!
みっちゃん:マサちゃん!
 互いにしっかりと抱き合う二人。
みっちゃん:マサちゃん、会いたかったわ。
マサ:みっちゃん、会っていきなりこんな話するのは何だけど。おまえ、守ってくれたかい。
みっちゃん:守るって何を。
マサ:女の操だよ。
みっちゃん:マサちゃん(と、マサの頬を張る)
みっちゃん:あんた、十年ぶりにあって、出る言葉がそれなの。女ってそんな言葉を待ってないわ。どうしてもっと優しい言葉をかけてくれないの。私は貞淑な女です。十年間、ずっと守り通したわ。
マサ:悪かったなあ。
みっちゃん:でも、人間って魔が差すときもあるわ。わたし、毎晩魔が差してたわ。
マサ:(怒って)俺の前から消えろ。
 みっちゃん、舞台の袖へ消える。考え込むマサ。そしてヒロシが登場。
ヒロシ:兄貴、何か言ったのかい。みっちゃん、泣きながら向こうへ行ったぜ。
マサ:俺との約束を守らなかったんだ。あいつは操を守っていなかったんだ。
ヒロシ:そんなことはどうでもいいじゃねえか。どうして「十年間苦労をかけた、これからは決して苦労かけねえ」と、ひとこと言ってやれないんだい。それが男ってものじゃねえか。
マサ:たしかに、お前の言うとおりだ。悪いけど、もう一度みっちゃん呼んできてくれねえか。
ヒロシ:会ってやるかい。それじゃ、ひとっ走り行って来るぜ。優しい言葉かけてやんなよ。どこへも行かず待ってろよ。
 といってヒロシ、舞台の袖へ。
マサ:あいつの言うとおりだぜ。つい興奮しちまった俺がバカだった。よし、今度会ったら、ちゃんと抱きしめて。
 そこへみっちゃん登場。
みっちゃん:今、ヒロシに来たわ。あたしうれしい! うれしい、マサちゃん。
 マサの胸に飛び込み、その顔をじっと見つめるみっちゃん。ところがマサ、急に突き放し、
マサ:お前の顔を見たら、その気がなくなってきた。もう一度ヒロシを呼んできてくれ。
みっちゃん:言う方は簡単よ! あたしの身にもなってよ。(気落ちして)いいわよ、わかったわ。男ってみんなそうなのよね。
 と舞台の袖に消え、ヒロシになって登場。
マサ:やっぱりヒロシ、みっちゃんを呼んできてくれ。
 慌てて引っ込もうとするヒロシ。
マサ:やっぱりヒロシがいいな。
 戻りかけるヒロシ。
マサ:いや、みっちゃんがいいな。
 引っ込もうとするヒロシ。
マサ:やっぱりヒロシ、みっちゃん、ヒロシ、みっちゃん……(うろうろするヒロシ)。なあ、いっそのこと三人で会わないか。
ヒロシ:できるわけないだろ!
(10週目合格 グランプリ獲得 No.18 1980年8月9日放送)

(ナレーション)
 多彩な芸と技で、苦難の道を9週間突破。そして今、このステージに、全てを賭けるは、月見おぼん・こぼん。

(グランプリ受賞後)
京唄子「今までの苦労が実ったような、これからだけどね」
(グランプリ全員集合(那須の特番) No.121 1982年8月7日放送)

 音楽が流れて格好よく登場するが、「レディース、エン、ジェントルメン。THIS IS a PEN」。ふたり、ずっこける。
 お笑いスタ誕も2年4ヶ月、初めて外に出た。予算無い番組だから、とちょっといじる。
 ミルス・ブラザーズの真似をして、おぼんがトロンボーンの口真似の模写、こぼんがタップを踊る。1曲目はアンドリューズ・シスターズ「素敵なあなた」だが、途中からなぜか数え歌になってしまう。アダルトなミュージカルっぽい曲で、というこぼんのリクエストで、2曲目はジーン・ケリー「雨に唄えば」。静かに流れる音楽に合わせ、軽快にこぼんが躍るが、なぜか途中から軍艦マーチに変わってしまう。3曲目は日本人は日本の歌で、というおぼんのリクエストで「岩壁の母」。踊りづらいと言うこぼんの文句にも「プロならできるはず」といってやってみるが、やはりうまくいかない。
 続いておぼんが、なんでも歌にできます、といってお題をもらう。「お笑いスター誕生」「栃木県」「青森県」の三つのお題をもらい、おぼんが五木ひろしになり切る。まず伴奏を、ということでこぼんが伴奏を口真似し、おぼんが出てくるが、お約束で伴奏が長く続いておぼんが突っ込む。おぼんが伴奏は四小節ぐらいだ、といって見本を見せるが、なぜか「すん、たっ、すん、たっ、すんたらず」と歌ってこぼんが突っ込む。おぼんが即興で歌を披露(ただ、三つのお題はつながりがなく、ただ歌っただけ)。
 最後は二人でジャズナンバーを披露(タイトル、わからなかった。ジョーカー、みたいな曲だった)。
(グランプリコーナー No.133 1982年10月30日放送)

『洒落男』の替え歌に乗せて登場。「タップを躍らせたらこれまた一番、歌を歌わせたら、これまた一番、漫才やらせればこれまた一番、ほらを吹かせれば一番」。歌ってタップダンスを披露。
おぼん「どうも皆さま、お昼のひと時、いかがお過ごしでしょうか。私がおぼんでございます」
こぼん「そして私が」
おぼん「珍念でございます」
こぼん「よろしくお願いします」
 今日は音楽会ということで、我々の楽器演奏を見てもらいたい。こぼんが脇からギターケースを持ってくる。得意分野だと言って開けて出したのはハーモニカ。
 ラスベガスで3年頑張ってきたといって、空気入れでハーモニカを演奏する芸を見せる。おぼんがホースの先をハーモニカに当てて動かし、こぼんが空気入れを動かす。1曲目は「七つの子」。意外と拍手が多く、二人、とまどう。続いて「聖者の行進」。こぼん、空気入れとホースが外れていて慌てているのに、おぼんがホースの先をあてて曲が流れる。二人気まずい雰囲気の中、笑い声があふれる。
 空気入れは空気を吹くだけなので、数ということができないから、演奏なんかできるわけがない、というネタばらし。
(グランプリコーナー No.156 1983年4月16日)

おぼん:初めて飛行機に乗り、海外出張に行くセールスマン
こぼん:空港の係員

 初めて飛行機に乗るので焦っているおぼん。そこへこぼんが通りかかり、色々と教える。そして、
こぼん「出発するために荷物をチェックしなければなりません」
 と勝手に鞄を開け、荷物を放り出す。
おぼん「なんてことをするんですか。普通X線でしらべるんじゃないんですか?」
こぼん「いやあ、最近は麻薬など悪質な持ち込みが多いので、こうやってじかに調べるんですよ」
おぼん「これ、だれが片付けるんですか。私ですよ」
こぼん「検査のためです。しかし、あなた不思議な人ですね。海外出張なのに、着替えも持っていないんですか?」(鞄の荷物はほとんどなかった。コントだからしょうがない)
おぼん「そんなの、人の勝手でしょう。向こうで買うつもりだったんですよ。ほんとにもう」
こぼん「それでは、危険物の持ち込みがないか、このゲートを通ってください。金属物の反応がありましたら、ピンポンと鳴ります」
 とあるが、ただの鉄枠のゲートに玄関の押しボタン用のチャイムがついているだけ。おぼん、しぶしぶ通ると、こぼんがチャイムを押す。「ピンポン~」
こぼん「何か、金属物を持ち込んでいますね。ボディチェックをさせてもらいます」
おぼん「何も持っていませんけれどねえ」
 こぼん、体全体をチェック。そのうち、股間を触り出す。
おぼん「どこを触っているんですか」
こぼん「いやあ、この金属が反応したかと思って」
おぼん「これは金であって、金属じゃないですよ」
こぼん「あ、この時計ですよ。これが反応したんです。外してください」
 と無理矢理外し、先ほどの荷物の方に放り出す。
おぼん「ああ、人の時計をなんだと思っているんですか」
こぼん「いいから、いいから。さあ、通って」
 おぼんがしぶしぶゲートを通ると、こぼんがチャイムを押して「ピンポン~」
こぼん「まだなにかありますね」
おぼん「何もありませんよ。私は早く飛行機に乗らなければならないんです」
こぼん「検査官として、危険人物を飛行機に乗せるわけには行きません。そうだ、その上着を脱いで下さい」
 おぼん、しぶしぶ上着を脱いて、再びゲートを通る。こぼん慌ててチャイムのそばに近づき「ピンポン~」
おぼん「なんであなたそこへ走ってゆくんですか」
こぼん「いいからいいから。まだなにかありますね。しょうがない、シャツも脱いでください」
おぼん「いい加減にして下さいよ、本当に。飛行機飛んじゃうじゃないですか」
こぼん「いいから、ゲートを通って」
 上半身裸になったおぼん、ゲートの前で立ち止まる。こぼん、おもわずチャイムを押す。
おぼん「私が通る前にチャイム鳴りましたよ。本当に金属探知器なんですか?」
こぼん「どうやらズボンのチャックが反応したのかな。ズボンも脱いで」
おぼん「わかっているのなら、脱ぐ必要ないじゃないですか」
 と言いながら、しぶしぶズボンも脱いで、パンツ一丁になる。
おぼん「寒いですよ、本当に」
こぼん「いいから通って」
 おぼんが通ると「ピンポーンー」
こぼん「じゃあ、これも脱いで」
おぼん「いいかげんにしろ」
(グランプリコーナー)

 おぼんが京都の舞妓、こぼんが学生のコント。
 最後は一緒に死のうとするが、どっちが先に死ぬかでもめる。
(爆笑オンステージ No.170 1983年7月23日放送)

 夏の話から、夏の歌を歌いたい、海外旅行の話となり、パリの舞台にようこそ、ということで映画『八十日間世界一周』の主題歌、「Around the World」を披露。
 その後、二人でフランス語で愛を語り合おうとするが、わけがわからなかったり、日本語になったりなど滅茶苦茶でおしまい。

 これ、9週目のネタと同じですかね?
(爆笑オンステージ No.179 1983年9月24日放送)

 おぼんが医者。名前を書いた人を呼びますので、大きく返事をしてほしい。鈴木さん(客席からはいの声)。できればもっと大きな声で、と言った後、山田さん(はい)。これが素人と玄人の差ですね。中尾さん(はい)。赤尾さん(さすがに返事無)。
 続いて、患者としてこぼんを呼び出す。

 後は医者と患者のコント。椅子に座らせようとして、椅子を引いてしまってこぼんがずっこける、体温を測ると言って、相手に指を吸わせて温度を言う。浣腸をすると言って相手をひかせる。注射器を取り出して頭にさす、消毒もせず刺そうとして、自分で押さえてとセルフサービスでさせる。注射器を刺して世間話を始めたり、ぐりぐり回したり。最後はよくある、針がどこかに行った、と言う話。

 これ、3週目のネタと同じですかね?
(爆笑オンステージ No.184 1983年10月29日放送)

こぼん:CMディレクター
おぼん:芸能生活三十周年の大スター、三波夏生

 三波夏生が歌いながら登場。CMに出ないというのがスターたる秘訣だと言いながら、ディレクターから金をもらってあっさりと引きうける。スタミナドリンクのCMだが、台本を渡され、激怒。台本なんか受け取ったことが無いと豪語するも、どこかで見たことがあるようなセリフや行動を取ってディレクターから呆れられる。いつものようなアットホームな雰囲気で、といわれてやったら、オカマの真似。最後、いいセリフで飲んだが、まずそうな顔で台無し。
(サバイバルシリーズのゲストコーナー No.188 1983年11月26日放送)

 公開番組「クイズ・ファソラシドン」のコント。
 司会者おぼんがまず登場。客席に向かってイントロクイズを出す。曲が流れると、まっさきに手を挙げたのは審査員席に座っていた内海好江師匠。「さざんかの宿」と見事正解。
 おぼんのアドリブが冴えた後、9週勝ち抜きのチャンピョン(こぼん)が登場。今週勝ち抜くと、10週勝ち抜きで100万円がもらえる(どこかで見たようなシステム……)。
 続けて出されるイントロを次々と正解するこぼん。そして最後の問題。みごとこぼんが正解を言ったかと思ったら……。

 よくあるネタでも、彼らの手に掛かると不思議と笑えた。
エピソード
 この番組を最後にお笑いを捨てる決心をしてきたらしい。
 と書かれている著書もあるが、本人たちは当初は素人と一緒にテレビに出る必要はないと思っていたが、「海外旅行に行ける」とか「100万円もらえる」とか甘い話につられて出演したが全部嘘だったと後年語っている。
 9週目まで『月見おぼん★こぼん』とクレジットされていました。これは、10週目の放映直前(or収録直前?)に所属事務所が変わったため(これは10週勝ち抜きを報じる新聞記事で読みました)。
 オーディションのネタ見せの順番は挙手制だったが、おぼん・こぼんは笑いを取りまくっていたためその後は誰も手を挙げなかったが、でんでんが終わった後は一斉に手を挙げていたとのこと。
 名作「港のマサ」で金賞を受賞した瞬間、おぼんさんがカプセル内で感涙の余りうずくまり、出て来ようとしたらドアに顔が上手い事挟まって出られず、こぼんさんがこじ開けたシーンを覚えてます。
 今で言えば「笑いの神様」が降りて来たって感じか?

 このコンビは偶数週の勝ちぬきの時は二人でガッツポーズをしてからカプセルを出たのですが、この時はおぼんさんがポーズを長くしすぎてカプセルの扉に挟まってしまい、こぼんさんが慌てて助けに行ったのが本当です。
 10週目の柔道コントを演じた後、審査員の評を聞く前におぼん泣き出す。緊張が抜けたか、10週が終わった安堵感か。
感 想
 とにかく面白かったです。芸達者でした。プロの芸とはこういう芸だという二人です。
受賞歴
 1969年 NHK漫才コンクール努力賞受賞
 1975年 第3回放送演芸大賞ホープ賞受賞
レコード
「渚のミステリー・ギャル」(1982.3)
「街のカモメ(ロマンを求めて)」(1982.12)
CM
 三菱電機 「ルピカエース」(1984)
著書
おぼん・こぼん『東京漫才』(飛鳥新社,2022)
DVD
『水曜日のダウンタウン11 おぼん・こぼんSP』(よしもとアール・アンド・シー,2022)
その後・現在
 漫才ブームの一員として活躍。ブーム終了後もテレビの演芸番組や寄席などで活躍。
 ものまねブームの頃は清水アキラやビジーフォーなどと一緒にものまねコンサートで回っていたこともあった。とくにおぼんの植木等は絶品である。テレビ東京のものまね番組でも優勝していました。
 アニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』、テレビアニメ『美味しんぼ』では声優にもチャレンジ。『美味しんぼ』では漫才コンビ「すべったころんだ」の役でした。
 現在でも各地に営業に回ったり、寄席やテレビなどに出演したりとその笑いは健在。2009年9月19日にはザ・還暦スペシャル「日本一のビックバンドとまるごとおぼん★こぼん」を北沢タウンホールで開催。漫才、タップダンス、JAZZボーカル、バンド演奏などを披露。
 株式会社 トービック所属。社団法人 漫才協会協会員。おぼんは副会長、こぼんは理事。
 2015年6月6日、青空球児・好児とおぼん・こぼんの結成50周年を祝った漫才協会特別公演が、東京のパルテノン多摩大ホールで開かれた。トロンボーンやアルトサックス、タップダンスも採り入れた軽やかな漫才を披露した。2組にコンビの長続きの秘訣を聞くと、「お互い干渉しない。夫婦と一緒」と答えた。
 2015年6月12日、おぼんは副会長を辞め、こぼんが副会長に就任した。おぼんは後に漫才協会を辞めたが復帰した。
 こぼんさんの公式ブログがあります。
 おぼんの長女ちひろ(17)、こぼんの二女いづみ(17)がお笑いコンビ「くれよん」を結成し、2000年8月13日から、東京・浅草の木馬亭で開かれる寄席「お笑い浅草21世紀」で初舞台を踏むことになった。ちひろが「お父さんたち、心配そうだけど、早く超えたいな」と言えば、こぼんの二女、いづみも「バレエやジャズダンスを生かして、歌って踊れるお笑いを目指します」。
 「二世」をネタにした処女台本を書いた作家、山田康浩氏(26)は、おぼん・こぼんが売れるきっかけをつかんだ日本テレビ系「お笑いスター誕生」の司会者で声優だった故山田康雄さんの息子という縁がある。初舞台は橋達也、関敬六、青空球児・好児ら大ベテランの合間のわずか5分間だが、気が気ではない父2人は客席で見届ける予定だ。
 ちなみにくれよんのつかみネタは「くれよんだけに、笑ってクレヨン」。
 『笑点』ではおぼん・こぼんとくれよんによる親子漫才が披露された。
 いづみが俳優活動をめざすため、「くれよん」は2002年に解散。ちなみに喧嘩別れとのこと。
 2004年3月、おぼんの長女ちひろは、妹まいが高校卒業と同時に『りぼん』を結成、漫才デビュー。2008年末、ちひろが結婚のため解散。
 いづみは現在歌手として活動。OffecialBlogいづみの宴があります。
 近年は不仲で業界で有名となり、2016年1月3日に放送されたNHK総合テレビの『初笑い東西寄席』では、司会だった爆笑問題の太田光がそのことに触れた。
 2016年で50周年を迎えた『笑点』の演芸コーナーでは、登場回数4位となる37回出演(2016年5月時点)。
 2019年2月27日放送のTBS『水曜日のダウンタウン』の「芸人解散ドッキリ 師匠クラスの方が切ない説」に登場。浅草の師匠芸人をターゲットにした解散ドッキリ企画で、ナイツの協力を得て実現。「仲が良い、悪いを繰り返していて今は『悪い』状態。8年間私語をしていない」と検証前から戦々恐々のナイツ。
 マネージャーからの連絡を受け、仕掛け人のおぼんが待つ飲み屋の座敷にマネージャーと訪れたこぼん。しかし二人は口をきこうとしない。ドッキリが始まり、おぼんが「俺が何に怒っているのか分からないか。俺に対して謝るのか謝らないのか」とけんか腰で切り出すと、こぼんも「何を偉そうに言ってるねん」と応戦。マネージャーは居た堪れなくなり、席を外す始末。結成当時からの互いの不満を爆発させ、ついにこぼんの方から「スッキリしよ。辞めましょう。それでいいじゃん」と解散を提案し、おぼんも頷いてしまう。慌てたナイツが二人のもとに向かい、ドッキリであることを説明するも、こぼんは「シャレになるドッキリとならへんドッキリがあるで」と激怒しお絞りを投げつける。ナイツは平謝りの状態となった。おぼんが帰った後もこぼんは正座しているナイツの二人に説教。ただ謝るだけの二人だった。
 その後の話し合いで解散は免れ、舞台に立ったことがナレーションで語られた。さすがのダウンタウンも顔面蒼白となり、最後に松本がなんとかフォローする始末。ネット上でも賛否両論で大きな話題となった。この番組放送後、二人が出演する東洋館に若い客が来るようになったとのこと。東洋館の漫才では、上手と下手から別々に登場し、互いにハンドマイクを持つ。2m以上の距離を取って目を合わせないまま正面を向いて漫才を行い、爆笑を取っている。
 4月1日、ナイツの土屋伸之のところへおぼんから「君たちのせいで解散することになりました」とのメールが入り、土屋は絶句。しかしそれはエイプリルフールのネタであり、思わず土屋は「勘弁してくださいよ!」と返信してしまった。
 その後も不仲ネタでテレビやラジオ、舞台に出ている。
 2019年7月3日には同番組内の「催眠術で仲直りできるのか?」で仲直り企画を行ったが、失敗した。
 2021年9月29日、10月6日放送のTBS『水曜日のダウンタウン』で、2週連続の大型企画「おぼん・こぼんTHE FINAL」が放送された。2人に仲直りしてもらおうという企画。まずは「おぼん・こぼんヒストリー」として、おぼんとこぼんを別々に映画館に呼び出し、単独でVTRを見てもらった。高校時代の同級生の頃、コンビ結成、ともに状況、赤坂湖ルドン・ブルー、『お笑いスター誕生!!』でグランプリ獲得、漫才ブームでの人気、お互いの家族一緒の旅行などの仲の良さを紹介するとともに、当時の同級生やB&Bの島田洋七の証言なども紹介。二人の娘(元くれよん)も登場した(ちなみに久しぶりの再会だったとのこと)。
 そして40年マネージャーを務めている谷川金市氏やプレゼンターのナイツによって、二人の仲が決定的に悪くなった原因を紹介。一つ目が2015年の漫才協会理事選挙事件で、2年に1回行われていた協会の理事選挙で、それまでは必ずおぼんがこぼんより上だったが、2015年の選挙ではこぼんが3位、おぼんが4位となり、おぼんが激怒。さらに舞台で横山やすしの話になり、おぼんがすごい世話になったと話すとこぼんがそんなに世話になっていないと話したことでおぼんが激怒し、舞台上でこぼんを無言で殴り、こぼんもおぼんを殴り返す事態となった。
 そしてこぼんの娘、泉水いづみが結婚式を挙げるので、父親のこぼんだけでなく、もう一人の父親でもあるおぼんにも披露宴に参加してほしいという話になった。これが2019年の話であったが、コロナ禍で披露宴が延期され、2021年に改めて披露宴を行うことになった。
 いづみの披露宴にはこぼんとおぼんが出席。その後仲直りしかけるも、結局喧嘩になり、解散するという話になったが、式場を出て行ったおぼんにナイツの2人が説得し、さらに谷川氏が激怒。家族の説得なども含め、最終的に2人は仲直りし、漫才を続けることを決意。式場で即興の漫才を行った。後日、東洋館で身内や漫才協会の関係者を前に漫才を行った。不仲の時は一切相談せず、衣装もばらばらだったが、今回は二人がそろいの衣装。そして今までは互いにハンドマイクで距離を取り、目を合わせず漫才を行っていたが、今回はセンターマイクで漫才。ネタは19年ぶりに披露する「献血」で、おぼんは仲直りしたときはこのネタをやると決めていたとのこと。ネタの冒頭部分はナイツの塙が新たに作り、部屋で二人がネタ合わせをした。
 放送後の10月7日から11日まで東京・浅草フランス座演芸場東洋館におぼん・こぼんが出演。水ダウ効果もあり、久しぶりに満員。おぼんのtwitterのプロフィールが、「日本一仲が悪い漫才師おぼんこぼんのおぼん」という表記から「日本一仲の良い漫才師おぼんこぼんのおぼん」に変更された。また若手芸人が、おぼん・こぼんとの3ショットを初めて撮影できて喜んでいる。おぼん・こぼんも再ブレイクし、テレビやラジオなどにも多数出演している。

 上記番組は、放送批評懇談会が選ぶ「ギャラクシー賞」10月度月間賞を受賞した。選評では「2年前の『解散ドッキリ』だけで終わらせずに長期にわたって仲直りを試み、その過程を見事にエンターテインメントに昇華させた。意地とプライドが邪魔をして和解できない2人に果敢な"仕掛け"と必死の説得を繰り返す。『水曜日のダウンタウン』だからこそ撮れた緊張感と説明し難い人間の複雑な感情に溢れた人間ドキュメンタリーだった」と評価した。
 2022年6月7日、「おぼん・こぼん THE FINAL」が第48回放送文化基金賞の番組部門・テレビエンターテインメント番組で最優秀賞を受賞したことが発表された。選考理由として「解散寸前の危機に陥ったベテラン漫才コンビおぼん・こぼん。2年をかけてその仲直りを応援する企画の最終章である。果敢な仕掛けと必死の説得から生まれる奇跡の展開は、予定調和をよしとしない同番組ならではの緊迫感に満ちていた。深まる溝、意地とプライド、修復と和解…。心の奥底の感情をすくい上げ、赦しへの希望も描き出す、出色の人間ドキュメントにもなっていた。時にはバッドエンドもいとわず、テレビバラエティの限界に挑むその姿勢が高く評価され、最優秀賞に輝いた」とつづられている。
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