『お笑いスター誕生!!』 名鑑【て】


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名 前
テキサスコンビ
初出場
 1980年7月19日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 4週勝ち抜き、銅賞獲得。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 アフロヘアーに眼鏡が兄の三田みつお、ボブヘアーの方が2歳年下の弟三田まさおです。当時のネタはマジック漫才が主でした。
 三田みつお:本名矢田鉄男。1953年5月12日生まれ。大阪市出身。
 三田まさお:本名矢田浩二。1954年7月11日生まれ。大阪市出身。
週刊大衆で見たプロフィール
 高校時代は陸上部で活躍。高校卒業後の1971年11月、コメディアンの三田まさる(京唄子の三人目の旦那)に弟子入り。1973年、上京。1976年、みつおが心臓病に倒れ入院。1980年にコンビで復帰。『お笑いスター誕生!!』『テレビ演芸』に出演。
 コントD51とテキサスコンビの所属していた事務所は、フクダオフィスだったと思います。
ネ タ
 透視術:ボードに書いた数を目隠しして当てる。→数の分だけ殴る。

これだけ見ると何だコリャと思うかもしれない。そうマジックとは名ばかりで本当はマジック以前のインチキ手品なのです。ネタでマジックと呼べるのは石鹸箱をすりかえてどちらの箱に入っているか当てるものぐらいで、それ以外だと、(テレビ演芸時代のネタで)

 テーブルの上にキャラメルの箱(二個)とハイライトの箱があり、まさおが素早く入れ替えてから、
まさお「ハイライトは、どれや?」
みつお「(ちょっと間をおいて)えらく、ムツかしいなあ」
まさお「おまえ、アホか!」

 文章で書いても面白く無いかもしれないが、テレビで見ると、ミエミエで逆におかしい。司会の横山やすし師匠いわく
「なんや、詐欺みたいなマジックやな」

【ネタリスト】
◆マジック漫才
 空手の試し割り・透視術(数字当て)・催眠術(動物に変える)・催眠術(意のままに操る)・石鹸箱マジック・ハイライト当て・風船を割ってカードを出す・カンボジアマジック(たねも仕掛けも無い)
◆漫才
 宇宙人襲来について・守護霊について・守護霊を換える方法・ノストラダムスの大予言・世相ガイダンス1・2
◆ギャグ
 ちゃかちゃんりんのすっぽんぽん・ふんじゃかまんじゃかごきげんさん・くさいの歌 「♪一里歩いても臭い。二里歩いても臭い。臭い臭いとおもったら。鼻の頭にうんこ乗せてた」という変な歌
相手を意のままに操る催眠術。
まさお、みつおを椅子に座らせて催眠術をはじめる。
まさお「はい、呼吸がゆっくりゆっくり楽になって、だんだんまぶたが閉じてくる」
みつおが眠りそうになると、
まさお「おきろっ!ねるなー!おきろー」
と怒鳴りハリセンでみつおをどつきまくる。驚くみつおをほったらかしにして次のネタに進む。
みつおの驚きぶりが可笑しく、何度見ても笑ってしまった。
空手の試し割り
 テーブルの上にビールビンが並べてあって、まさおが神妙な顔つきで立っている。みつおが試し割りの口上を述べる「これが割れなくてもネモ艦長(大山館長とのギャグ?)は関知しません」
 まさおが手刀を振り下ろす。みつおの「やりました。割った!割った!」との声。見るとビールビンは見事に二本と二本に別れて(割れて)いた。
催眠術
「あなたはカニになる」
 相方がピースサインをして「カニカニカニ」といいながら横に歩く。
 兄貴が黒い布を頭からかぶり、弟がその頭に包丁を突き刺すネタ。黒い布の中にはキャベツがまるごと1個はいっていて、最後は包丁の刺さったキャベツをお客さんに見せて「ふ、ふしぎやな~」でオチ。
 NHKの敬老の日の寄席中継番組『寿寄席』にマギー司郎とペアで出演。テキサスコンビはお客様のリクエストにお応えする紙きりをやっていました。
みつお「紙きりなら得意やで、ボールやろ雪だるまやろ」とちゃちゃをいれる。
 そこで、会場のお客様からリクエストを受ける事になり、出たお題は虎。まさおの切ったのは虎の鼻だけだった。
 最後にマギー司郎からマジックを教わりちゃんちゃん。
エピソード
 芸名は「テキサスコンビ」「てきさすコンビ」「てきさすパート2」「てきさすpart2」「三田まさお・てつお」「矢田鉄男・浩二」などと変えている。
【マスコミ露出】週刊大衆『南ももこの本番対談』。
(「ザ・テレビ演芸」対戦相手) ◆一回目ザ・まんだらーず
 東海大学落研の春風亭昇太が所属のアマチュアコンビに対し十八番の石鹸箱マジックをかけたが4対1で敗退。当時のまんだらーずはセンスが時代の先端をいっていた。また、審査員に寄席演芸の通、高信太郎がいたのも敗退の一因でしょう。まんだらーずは、グランドチャンピオン大会で、並み居るプロを押しのけて優勝。
◆二回目美男子モノマネのあたりとしおとの対戦。
 新ネタの猫はインベーダー(猫のヒゲはアンテナでザラザラした舌は磁気テープ)をかけるもギャグの練り込み不足で敗退。花井伸夫氏のコメント「また見てみたい」が救いでした。当時のあたりとしおはモノマネの人選がユニークで(雑誌『ニュートン』の編集長など)番組の方でも売り出そうという意欲がありありでした。竹中直人という怪物がいなければ、グラチャンにもなっていたし、売れたと思います。
感 想
 一見素人芸か?と思わせる野師の芸なので、学生にしては達者だなと思っていた。5週目の催眠術のネタを家族から聞いて(お前はカニになる~と、かけられた方が「カニカニ」と言ってカニのゼスチャーをしながら横に歩く)何だコリャと思った。当時は彼らの芸が、何だコリャからかけあいで笑わせる事を知らず、観客の予想を裏切る芸だと思っていました。
 テキサスコンビはよく芸名のマイナーチェンジを繰り返していたが何か理由があったのだろうか。姓名判断と照らし合わせてみたのだが、テキサスコンビは19画で運勢としては悪い。
 改名後てきさすパート2になった。数字の画数が不明だが。2を1画で判断すると総数19画で改名前と変わらず、2画で判断すると20画となって、これも運勢は悪い。そして、最後にテキサスこんびと改名するのだが結局19画に戻ってしまった。姓名判断は関係ないのかもしれない。心機一転の為の改名なのか?
その他
 ルックス:『テレビ演芸時代』三田みつお氏は、1ジェリーのトキオのようなミニタリールック。2定番の中国服。3チョッキにてきさすパートⅡの名前入りネクタイ。三田まさお氏は中国服が多かった。審査員に松鶴家千とせと林家ぺーのコンビと呼ばれていたが、三田みつお氏は中条きよしに似ていた。
 NHK漫才コンクールの歴史をたどる番組に出ていました。アナウンサーの「漫才合唱団のみなさんです」との掛け声と共に、ひな壇に数十組の漫才コンビが並び、めくり絵をやって番組が終わった。その中にテキサスコンビがいました。他には青空ネットワークの顔が見えた。どうも、漫才協団のメンツを集めたらしい。
 1982年ごろは、矢田鉄男(三田みつお)が天皇陛下の真似をする漫才をしていた。
その後・現在
 その後、てきさすpartⅡと名を変え、『テレビ演芸』に登場。1回目は、ザ・まんだらーず(春風亭昇太が所属)に敗れ、2回目で、あたりとしおに負けて、3度目で合格しました。そのころは、霊界ネタの漫才をやっていて、持病の心臓病もカムアウトしていました。三田みつお氏が「手術中に臨死体験があった」と言ってましたが。その中のギャグをひとつ。

 「ワシ、霊能力あるから、会場の客が二重に見えるワ!」
 1983年、3度目のチャレンジで合格。組み合わせで損をしている部分もあった。マジック漫才は高信太郎に「末広亭でさんざん見てきたネタですが」とよく言われていた。全般的に審査員の要求は厳しかった。司会の横山やすしからは「面白かった」と褒められていた。

 1986年、NHK新人漫才コンクールに出場、そのころは世相ガイダンスという普通の漫才で、昔話のパロディといったその当時でも使い古されたネタをやっていた。その年は、巨人の吉村をべたホメした漫才をした新山絵里・真里が賞をとった。
 翌年のNHK新人演芸コンクールにも出場。今回のネタも普通のしゃべくり漫才でした。唯一笑えたのは、「ワシ、よく子供に言われんねん、『便所のタワシが歩いとる』」でした。他に、山田雅人、笑パーティーキャラバンらが出場。結果はキャラバン笑パーティーのダブル受賞。
 三田みつおさんが、1987年12月4日にお亡くなりになられた後、芸能界紳士録に男女ペアで見つけたが、翌年事務所ごと記載が消えていた。
 イーストウエストは元2代目チグハグコンビにいたベテランの芸人さんが、清水英明と組んだコンビでした。テレビ演芸で破れ、すぐに解散。清水がテキサスの三田まさおに拾われ、ニューテキサスコンビ、もう一人加えてテキサススリーなどの芸名でやってましたが、テレビには出ませんでした。清水英明は現在、清水英彰という名で地味に活動中。
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名 前
でんでん
初出場
 1980年10月25日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 8週勝ち抜き、金賞獲得。
 第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>敗退。
 サバイバルシリーズ第3位。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
ジャンル
 漫談。スタンダップ・コメディだった。
プロフィール
 本名緒方義博。1952年1月23日生。福岡県出身。
 アマチュア出場。芸名はでんでん虫のように可愛くありたいということから。しかし実際のところは、カタツムリが殻に閉じ籠もるような姿で麻雀を打つので、「緒方デンデン」と呼ばれていたことから。
 渥美清が好きで弟子になりたく、高校卒業後に福岡から上京。しかし渥美清には会えず、そのまま就職。サラリーマンやプータローの人生を続けているうちに、『うわさのチャンネル』のオーディションの最終審査まで進んだ。しかし番組そのものがなくなってしまった。ただ最終審査の委員長が赤尾PDであり、ネタ見せに行くと覚えてくれており、番組に出演することとなった。
ギャグ(というか、芸風)
 幕が開くと背中を向け、手を開いたポーズで立っている。ディーン・マーチン「Everybody Loves Somebody」の音楽(たま~に曲を変えて笑いを取ることもある)にのってゆっくりと階段を下りてくる。
 挨拶は必ず、「よお、みんな、ハッピーかい」。
 サングラスを外すときの「どうだい、美しいだろ」
がおなじみのギャグ。
 漫談終了時には「どうだ。楽しかったろ。じゃあな。バーイ、センキュー」。
 他に、「俺としたことが、古いネタを使ってしまったぜ」というのもありました。
ネ タ
(1週目? 1週目ならNo.29 1980年10月25日放送)

 よーみんな、ハッピーかい。こんな世の中、楽しいことばかりありゃしないが、くよくよしたって仕方ないぜ。パーッと明るく、行こうや。
 そこの彼女、かわいい顔をしているじゃないか。おいらのこと、そんなに潤んだ目で、見るんじゃねえよ。そっちの彼女。どうしたんだ。寂しそうな顔をしてるじゃねえか。今晩、おいらが、(サングラスを外しながら)可愛がってやるぜ。
(途中略)
 歌と踊りのミュージカル。決めてみせようか。行くぜ。ワン、ツー、あ、ワンツースリーフォー! 「あなたのくれた 帯どめの達磨の模様が チョイト気にかかる」(久保幸江・楠木繁夫『トンコ節』)(両足広げ、中腰で、手をくねくねさせて踊る)どうだい、決まってねえだろ。だがな、おいら、ちっとも焦っちゃいねえぜ。同じことやっても、売れてからやりゃ、それが決まるってもんだ。そんなもんだぜ。じゃあな、また会おうぜ。礼を言うぜ、センキュー。
 オレの踊りはエイトビートだぜ!「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー」と指を鳴らして格好良く決めた後、タコ踊りを踊るバージョンもあり。
 「♪あなたのリードで 島田も揺れる~」って、『芸者ワルツ』をやるバージョンもあり。
 おれがこんな(田舎臭い)こといったら嫌だろう
「よぉ。ハッピーだって」
 風呂に入って
「よう見ろよ。スターの垢が浮いてるぜ」
「俺は熊本と山形のハーフだ」
 原宿(六本木?)は駄目だ。田舎者があふれてる。よくアマンドの前で、「あっ。アマンドだ。写真とそっくりだ」(そこから、銀座ネタに続くと思われる)
 他国(=アメリカとか?)の国歌は勇ましくて元気が出る、だけど「君が代」はジト~ッとしていてイライラして、思わず人を殴りたくなる。
 だからボクシングの試合の前には「君が代」を流すんだぜ!
 (芸名ネタで)「小柳トムコロッケ、まともなセンスのやつが考える名前じゃない……。オレか、虫の名前だよぉ」
(5週目再挑戦合格 No.46 1981年2月21日放送)
よぉ、みんなハッピーかい?
久しぶりだったなぁ~、会いたかったぜ!
おいら5週で落っこたりして悪かったなぁ
おいらの出なかった番組なんて……つまらなかっただろ?
あの時、海外旅行のスケジュールが詰まっていてワザと落っこったのよぉ
それからみんなに断っておくが、外国生活が長かったせいか
言葉の端端にアメリカ訛りがでるんだ
その時はエキュズキューズミーよぉ
もう出ちまったぜ、ゴメンなぁ

そうだ、みんなおいらの素敵な笑顔早く見たかったんだよな~
またせたなぁ
久しぶりの山野ホールはやっぱりイイなぁ~
みんなが心から歓迎してくれる
特に女からの笑いは嬉しいぜ
おいら生まれつき女が好きなんだ
どうだ好きそうな顔しているだろ?
軽い冗談聞き流してくれ
おいらの顔って見たとおり彫りが深いだろ…
(6週目合格 No.47 1981年2月28日放送)

ようみんなハッピーかい?
また会っちまったなぁ。
こうちょいちょい会うと他人のような気がしねえ。

悩みがあったら言ってきな、何でも相談に乗るぜ。
金が必要な時、言って来な、10や20の金だったらいつだって回すぜ。
今もここに50は用意してある。
5回は電話かけることが出来るぜ。

(今回はファッションネタです)

さっきからおいらのウエストでキラキラ光るグッチのベストがまぶしかったろう。
これはそこいらにあるグッチじゃないんだぜ。
香港製なんだ。
みんな笑ってるが、世界中に何本もないという貴重なニセモノよ。

それが男のオシャレというもんだぜ。
下着だってそうだよ、みんな。
見えない所には気を使えよ。
パンツは4日おきには履き替えようや。

等々、結構爆笑でした。
 最近の渋谷や新宿、原宿は田舎者であふれているという話から……。
「今、ナウい街、それは銀座だ。ただし東京の銀座じゃないぞ、あそこも田舎者であふれてる」
「ナウい銀座は、上板橋銀座、○○商店街銀座」というネタ。(ゲスト時に)
 なあみんな、毎日酒ばかり飲んでいるのもいいことばかりじゃないぜ。  昨日おいらが新宿で酒を飲んでその帰り、タクシー乗り場に行ったところ、ひとりの可愛い女の子をチンピラ五人がいじめてるじゃないか。  だからおいら言ってやった。 「やいやいやいてめえら、大の男がよってたかって一人の可愛い女の子をどうしようと思ってんだ。  ポンポンポンとおいら、タンカを切ったよ。  五分たったらおいら、タンカで運ばれたぜ。
 今日はみんなにオイラのすばらしい歌を聞かせてやるぜ。本場で勉強してきたソウルミュージックだ。いいか、いくぜぇ。
 アーリラン、アーリラン、アーリーラリラー……
 どうだ、韓国のソウルの歌だ。
 いつまでも変わらないものは、山口百恵の人気と、おいらのこの美しい顔だけだぜ。
 ほら見ろ、どうだ、おいらの顔って見たとおり、彫りが深いだろう。
(右、左と顔を横に向けてじっくりと見せる)
 よくみんなにでんでんさんて、ハーフなんですか、って聞かれるんだけど。
 ま、ハーフといや、おいらのオヤジが熊本で、お袋が福岡のハーフだけどな。
 でも、おいら、心は日本人だぜ。
 自分でも何言ってるのか、わからなくなっちまった。
 おいら、庶民の中に飛び込めねえ体になっちまった。
 大学のキャンパスを歩くと「若大将」、銀座を歩くと「旋風児」。
 若い女が声を掛けるんだ。
 これじゃ、さりげなく生きるコメディアンとしてのおいらのポリシーが死んでしまう。
 そりゃ確かにサングラスを掛け変装したところで、
 おいらの体からにじみ出るスターの香りってやつはどうしようもないな。
 おいらその匂いを消すために、贅沢とは知りつつも、10日に一度は風呂に入る。
 それでも風呂から上がった後、湯船を見ると、スターの垢が浮いているんだ。
 どうだ、気持ち悪いだろう。
(8週目落選 No.49 1981年3月14日放送)

 タキシードを着て登場。
(第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>2回目 40点 No.68 1982年7月25日放送)

 口ひげ、あごひげ姿で登場(この回のみ)。1回目より高評価を得る。
(9週目落選 No.93 1982年1月23日放送)

 今の芸人はダサイよ。昔はかっこいいボードビリアンがたくさんいたぜ。その中でも一番好きだったのが東京ぼん太だ。まずは出てくるところから。
(真似をする)「ゆめもチボ-も無いよ」
 どうだ、田舎臭いだろ。
 それからたった三ヶ月だが、一世を風靡したのが松鶴家千とせ。イエー
(真似をする)
「ゆーやけこやけーの イエー」
「俺が昔ゆうやけだったころ、妹はこやけだった イエー」
「俺のおやじが焼酎飲み過ぎて胸焼けだった頃、お袋はしもやけだった」
 どうだ、今聞いても面白くないだろ。
 歌を歌わしたら天下一品だったのがこの人、榎本健一、エノケンだ。知ってるかい。この歌を聴けば思い出すぜ。
(真似をする)
「ほいでほいで……渡辺のジュースのもとです」
 最高のミュージカルだぜ。
 みんな、この人はちょっと古いぜ。ただ、歩き方にちょっと特徴がある。
(歩く真似をする)
 花菱あたる(なぜか中尾ミエだけ大笑い)。物真似をやっても、古すぎて、しても似てるかどうか分からないだろ。
 みんな、今年はスターの物真似をしてビューティフルに生きようぜ。
(サバイバルシリーズ1回戦 82点〇 No.190 1983年12月10日放送)

 ようみんな、ハッピーかい?
 なにげないコスチュームの中にも、都会の刺激が漂う男、でんでん。こんな男、ざらにはいないぜ。男のやさしさが香り、時代をとらえたダイヤモンドの輝きを放つ。正面が美しいのは当たり前だ。おいらの美しい後ろ姿、じっくり見てくれ(後ろを振り向く)。どうだ、背中が長いだろ。おいらの体形、生まれつきなんだ。うらやましいだろ。
 今日はみんなに、悪い知らせがあるんだ。女の子はがっかりするかもしれないが、実はおいら、結婚してるんだ。がっかりさせてごめんな。おいらだって寂しいんだよ。でもな、泣き顔なんて見せないぜ。ほら見ろ。(サングラス外す)どうだ、この愛嬌ある笑顔が、たまんねえだろ。結婚式はまだ挙げていない。おいらの結婚式はスターにふさわしい、派手で豪華な結婚式を挙げようと思っているんだ。だって、そうだろ。この人気、この仕事のスケジュール。今挙げてみなよ、マスコミが来ないぜ。
 健全なる精神は、健康な体に宿るというが、体には気をつけろ。おいらもこれから忙しくなる仕事に備え、人一倍気を使ってる。体が資本だからな。食べ物にも神経使ってる。みんな、牛肉食ったことあるか。おいらはあるぜ。それもそんじょそこらの牛肉とはわけが違う。北欧風の味付け。バイキング料理さ。大人1,200円、子供600円。魅力的な値段だろ。だがおいらがこの料理好きなのは、安いからというわけじゃないぜ。おいらがバイキング料理を好きなのは、食べ放題だからさ。食べ放題、子供のころからの夢なんだよ。みんな、夢はでっかく持てよ。でもな、毎日肉ばかり食べてるわけじゃないんだ。栄養のバランスがある。バランスは肝心なんだよ。おいらの顔見てくれ。目、鼻、口。一つずつはまあまあだが、全体のバランスがいいだろ。
 もし仮に、おいらが主演映画を撮るとする。相手役の女性は、中森明菜だ。作品は格調高く、シェイクスピアの男と女の恋物語、ロミオとジュリエット。中森明菜がバルコニーでおいらのことを待っている。おいらはあの、体の線がはっきりする網タイツを履いて、「おお、愛しのジュリエット」。名場面だよ。どうだみんな。想像しただけで、気持ち悪いだろ。
 バランスなんだよ。毎日肉ばかり食べていると、体が酸性になり、良くないから、たまに野菜を食べているんだ。野菜にはビタミンが含まれている。ほうれん草にはビタミンA。にんじんにはビタミンB。レモンとイチゴにはビタミンC。それからサツマイモには、ビタミンブー。まあこうやって日常会話に、このような気の利いたジョークを入れると、血行が良くなり、健康にいいんだ。でもな、これだけ健康に気を使っていても、煙草なんか吸っちゃ、何にもなんないぜ。体に悪いからな。どうしても、止めるべきだ。止められないやつは、今市販されている禁煙飴とか、禁煙茶を嘗めたり飲んだりするといい。おいらも試しに禁煙飴を嘗めてみる。するとどうだい、煙草がやけにまずくなるじゃないか。おいら次の日からきっぱり、禁煙飴舐めるの止めちまったよ。どうだ、意志が弱いだろ。
 まあ、こんなおいらだけど、体だけはあらゆるスポーツをやってきて鍛えている。だから筋肉は、鋼鉄のようになっているんだ。嘘じゃない。証拠見せようか。よし。(体操をしながら)一、二、三四、二、二、三四。(体を前後に曲げながら)三、二、三四。どうだ、体が硬いだろ。
 用意は万全だい。後は来た仕事をこなすだけだ。そこでおいら、考えた。今の芸名、でんでん。これを変えようと思う。でんでん、悪くはない。むしろ素晴らしい名前だ。でも一つ欠点がある。漢字が入ってないんだ。知性を感じさせないだろ。そこでおいら、本名の緒方と、芸名のでんでんをミックスして、緒方でん、いい名前だろ。緒方でん、ひょっとして緒形拳と間違えられて、仕事が来るかもしれないからな。
 じゃあな、みんな。バーイ、センキュー。
感 想
 男の格好良さと鈍くささの落差を楽しむ芸風。あまりネタの幅が広くないと思いました。
エピソード
 『うわさのチャンネル!!』のオーディション当時はガードマンをしていた。最終審査に残してくれた審査員が、劇作家の水谷龍二。お笑いスタ誕では、水谷龍二と作戦を練り、芸風を完成させた。水谷龍二は後に舞台「星屑の会」を主宰し、でんでんも参加する。
 もともとはお笑い志望ではなかったためネタが続かず、4本目以降は内緒で放送作家にネタを書いてもらっており、すると赤尾PDは「ネタらしくなってきた」とほめてくれたとのこと。お笑いは難しく、それまで舞台等にも出たことがなかったため、営業先で客をいじるのもうまくできなかったという。
 オーディションのネタ見せの順番は挙手制で、おぼん・こぼんは笑いを取りまくっていたためその後は誰も手を挙げなかったが、でんでんが終わった後は一斉に手を挙げていたとのこと。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ(第4回かも)は、Wコミックの田口れんじが腰痛で辞退したため、代打で出場した。
その後・現在
 一時期コメディアンとしてテレビに出ていたが、その後は役者に転身。テレビ、芝居などの喜劇役として貴重な存在。現在はアルファエージェンシー所属。
 他番組:『俺たちひょうきん族』「ひょうきんベストテン」に田原俊彦役で登場。猪の豚のぬいぐるみを来て猪の豚の群れに突っ込み「ぼくも仲間に入れてよー」と叫ぶのを見た。
 春風亭小朝と共演で森下仁丹のCM出演。
 俳優デビューは、1981年『の・ようなもの』(森田芳光監督)。当時は素人で所属事務所もなかったため、番組宛てにオファーが来ていたとのこと。
 1995年にはラサール石井、小宮孝泰らと劇団「星屑の会」に参加。作家は水谷龍二。もっとも、正式にはプロデュース・ユニットという形である。年に数回、喜劇を公演。売れないコーラスグループの珍騒動を描くシリーズ『星屑の町』は特に人気。
 NHK2003年朝の連続テレビ小説『てるてる家族』に、九十九一とともに出演。
 2010年製作、2011年公開の映画『冷たい熱帯魚』(園子温監督)では、連続殺人鬼の顔を隠し持つ二面性のある男・村田幸雄を好演。第36回報知映画賞・助演男優賞を受賞した。
 12月21日に東京・港区のザ・プリンス パークタワー東京で行われた表彰式で壇上に立ったでんでんは、ハイテンションでいきなり「よう! みんなー、ハッピーかい? おいら見てのとおりハッピーだ。どうだい、かっこいいだろ?」、とお笑いスタ誕のネタをフルで披露し、「こんなこと言ってせっかくの賞を剥奪されたら大変」と笑いを誘った。
 同作で、第33回ヨコハマ映画祭助演男優賞受賞、第21回東京スポーツ映画大賞助演男優賞、第85回キネマ旬報ベスト・テン助演男優賞、第66回毎日映画コンクール最優秀助演男優賞、第35回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。
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