『お笑いスター誕生!!』 名鑑【ち】


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名 前
チャーリーカンパニー
初出場
 1980年4月12日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 1週勝ち抜き。
ジャンル
 コント。
プロフィール
 日高てん:本名塚田末人。1946年5月18日生。島根県出身。
 日高のぼる:本名田名部正一。1948年3月1日生。北海道出身。
 リ−ダ−日高てんは浅草(デン助劇団)出身。1975年、日活映画『レイプ25時[暴漢]』に出演、その年のキネマ旬報賞受賞。1975年に日高のぼるとコンビ結成、現在に至る。
 芸名を聞かれた時、「チャーリー・チャップリンのカンパニー」と説明。
ネ タ
 親父と学生のコントや、農村を出たがる若者と父親のコントをやっていました。
 覚えているのは、『テレビ演芸』でやっていた、共同募金とヤクザ募金が競うコント。『笑点』で何度も見た医者コントで、自称名医が、「40度の高熱を瞬時に下げた」というギャグ。
(お笑いスタ誕ではありませんが)
 テキサスコンビの頭を叩いて数を当てるネタは伝統ネタみたいですね。いまではチャリカンがやっています。
エピソード
 第1回出場。
(『ザ・テレビ演芸』対戦相手)
 2週目素人コンビの横浜ヤンボー・マーボーと対戦(だと思う)。工夫をしたチャーリー・カンパニーの勝ち。審査員の高信太郎は「テキサスコンビの石鹸箱マジックよりもこちらの方が上」との評価。
感 想
 お笑いスタ誕の頃はわかりません。なんとなく、コント・レオナルドに近い芸風だと思います。
作 品
 「お笑いタイフーンDVD チャーリーカンパニーの人生再生劇場」(株式会社エンタープレイ 2006.4)
その後・現在
 『テレビ演芸』でも3週勝ち抜いてチャンピョンに。審査員の評も比較的良く、相手も1週目ということで、ストレート勝ち。テキサスコンビの石鹸箱マジックで使ったテクニックよりも、こちらの共同募金で使った方のが素材の使い方として上との審査員の声も。
 最近は時事ネタを中心に活躍、ラジオ、テレビの寄席番組には欠かせない存在。特に(日高てん)演ずる土方風のオヤジと(のぼる)のエリ−ト風人物とのやり取りは絶妙!
 業界では通称“チャリカン”で通っている。
 現在も演芸場、寄席、ライブ、講演等に出演して活躍。円熟の芸を披露してくれます。2003年に独立。(有)パ−クノ−ス所属。ボーイズバラエティ協会協会員。日高てんは理事。社団法人落語芸術協会協会員。
 日高てんは定期的に喜劇芝居の公演を行っている。
 2016年で50周年を迎えた『笑点』の演芸コーナーでは、登場回数10位となる23回出演(2016年5月時点)。お笑いスタ誕出身者で20回以上出演しているのは他におぼん・こぼんマギー司郎のみ。当時新ネタが出来ると、必ず笑点スタッフに見せに行っていたとのこと。
 2010年3月をもって日高のぼるが脱退。日高てんの喜劇芝居に出てた俳優の菊地仁(42)が4月からメンバーに加わって活動を始めた。年の差は21歳。
 日高のぼるは2014年11月8日に死亡。66歳没。病気療養中だった。
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名 前
チャチャ
初出場
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ出場。
実 績
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ2回戦進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 曽川と小西のコンビ。当時は明治大学と東海大学の学生。
ネ タ
 ネタで覚えているのは、ゾンビがコンパに出て、壁に耳あり障子に目あり。
エピソード
 オーディション時は「いそのなかじま」という名前でしたが、PDに改名されました。
 小西は高松の高校時代、落語研究会に所属。1年先輩には、南原清隆がおり、二人で漫才コンビを組んで地元高松市のテレビやラジオに出ていた。
 同じ名前ではチャチャも松竹の女漫才師で同時期にいましたね。
感 想
 不明。
著 書
 小西マサテル『キン肉マン2世SP 伝説超人全滅!』(集英社 JUMP jBOOKS,2002)(原作ゆでたまご)
その後・現在
 曽川修二は現在ホリプロ所属。つぶやきシローなど、お笑い担当のマネージャーを経て、現在は制作の方に所属。『恋するハニカミ!』『ウンナンの気分は上々。』『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などを担当した。
 曽川さんについては『ホリプロの法則』(メディアファクトリー,2000)に詳しく出ています。
 小西は現在、小西マサテルの名前で、放送作家。『ナインティナインのオールナイトニッポン』などを担当。
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名 前
ちゃらんぽらん
初出場
 1980年11月29日(第1期グランプリシリーズ)
実 績
 9週勝ち抜き、金賞獲得。
 第2回ゴールデンルーキー賞<激突シリーズ>敗退。
 サバイバルシリーズ1回戦負け。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第3回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ第4位(敢闘賞)
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝。
 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ1回戦負け。
 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ準決勝進出。
ジャンル
 漫才。
プロフィール
 ちゃらん→大西浩仁(ヒゲの方):本名同じ。1961年1月17日生。兵庫県出身。
 ぽらん→富好真(小さい方):本名同じ。1960年10月6日生。兵庫県出身。
 1979年結成。高校時代の同級生。当時は学生で、大西は京都精華大学美術学部造形学科洋画コースに所属。コンビ名は「ザ・ちゃらんぽらん」。冨吉が大西を誘ったらしい。アマチュア挑戦。
ネ タ
 出だしの挨拶は「ちゃらんでーす」「ぽらんでーす」「二人合わせてちゃらんぽらん」
(3週目ぐらい?)
ぽらん「世の中、漫才ブームやで。歌手なんか目指したらあかん」
ちゃらん「じゃあ、僕らの芸名かて、ちゃらんぽらんじゃなくて、ざ・ぼんちのライバルみたいだな、みたいな芸名を考えなあかん」
ぽらん「ぼんちに対抗してね、ざ・うんち」
ちゃらん「アホか」
ぽらん「完璧やないか。これで飯食っていけるやないか」
ちゃらん「アホ、滅茶苦茶汚いやないか。じゃあ何か、二人出てきて」
二人「ざ・うんちでーす(とポージング)」
ぽらん「トイレット博士か」
ちゃらん「自分で言ったんやないか。それに、ぼんちに対抗してできなああかん」
ちゃらん「視聴者、対面コーナーです。今日の視聴者、この方です」
ぽらん、泣きながら登場。おさむがよくやっていた頭を叩いて擬音を発するポーズ。
ちゃらん「どなたを探しにまいりましたか」
ぽらん「おかあさーん」
ちゃらん「松田聖子か」
ぽらん「涙出ていますか」
ちゃらん「出ている、出ている」
ぽらん「最近、よく言われるものでね」
ちゃらん「どんなおかあさんですか」
ぽらん「かあ、かあ、かあさんが夜なべをして、うわあ」
ちゃらん「やめい。おとうさんは」
ぽらん「うわあ」
ちゃらん「なんで、うわあばかりするんや」
ぽらん「思ったよりうけていたもので」
ちゃらん「何言っているんや」
ぽらん「(おさむの真似で)怒ったどー」
ちゃらん「こらこら。ここで橋行男の真似もってこなければあかんのや。できるのか」
ぽらん「ち、ちちいのは、ちちいので、潮来の伊太郎〜」
ちゃらん「こらこら、歌は橋幸男だが、声は武田鉄也になっているやないか」
ぽらん「こらあ、そんなことないだろ」
ちゃらん「なら、もう一回やってみろ」
ぽらん「(再び武田鉄也の真似で)ちっちのが、ちっちいので、〜あれ〜(ここだけおさむのまね」
(Gルーキー賞で)
初めてコントをしたちゃらんぽらんの得点が、噂の33点だと思ってました。
設定は恋人同士の待ち合わせ。
大西さん(多分女装)の第一声が「あ〜ら、お待たせぇ〜」
京唄子先生が「何故漫才しなかったの」と酷評・・・…という記憶があります。
 8週目の頃のよくあったギャグが、「街角でひよこ売ってまんねん」。
 初期の頃から長く使ったギャグが、ぽらん(富吉)がちゃらん(大西)の眼を見て、「この、十円玉の投入口」とけなすもの。
(9週目再挑戦合格)

 プロになって5か月、アマのと来きは「プロ顔負けだね」と言われたけれど、今では「素人顔負けだね」あほか。さらに「お笑いスタ誕で2週は勝ち抜けるわ」「8週勝ち抜いているわ」
 つづいて大西が京都の美術大学卒業と言う話から、美術大学なら画家の名前を言えるだろうという話になり、最初はゴッホ、ピカソ、シャガールなどと美術家だったのに、いつのまにかラインバック、シピン、マニエル、マルカーノと野球の外人選手になっている。
冨吉「マルカーノって、阪急の外人だろうが」
大西「あれは画家や」
富吉「なんでや」
大西「デーゲームになると、必ず目の下に黒い墨を塗るだろう」
富吉「違うだろう。あれはみんなやっているんや」
大西「そんなことない」
富吉「この間、岡田も塗っていただろう」
大西「違う、あれは人を笑かすためにやっているんや」
富吉「南海の香川も塗っているだろう」
大西「あれはわけもわからんまま塗っているんや」
大西「野球選手はみんなあほや。僕から野球を取ったら何も残りません。ほら、アホやろ」
富吉「俺に謝れ。こう見えても俺は高校時代、野球部で、甲子園に出ていたんや」
大西「えーーーーーっ! どこ守ったんや」
富吉「三塁でサード」
大西「なんやそりゃ」

 その後、熱湯甲子園の真似になり、富吉が池田高校対中京高校の実況、横で大西がジェスチャーで表現。さらにインタビューで、大西が蔦監督の真似。最後は成績の話。

 内容はともかく、二人のやり取りがいい、テンポがいい、面白い、大人っぽくなった、間が良くなった、と高評価。
(10週目不合格)

 衣装を決めてきたというが、富吉は靴が派手、大西は靴下をはいていない。
 プロになったけれど大丈夫だろうかという話になって、色々脇道を通った後、売れるために歌手になる。
 その後、男らしい名前を付ける。
 ちゃらんぽらんと言う名前は明るい。暗い名前を付けなければならない。あみんに対抗して、みんみん。「待つわ」に対して、「ほっとくわ」。
 暗い歌を歌って終わり。

 最初と終わりはいいが、途中が中途半端(この頃から言われていたんかい)。昔に比べたら大進歩と言われた(その後、中尾ミエに昔がひどかったと言われるも)。
ちゃらんぽらん大西 お笑いスタ誕当時のマイナーギャグ
(切なそうに……)おっ、おっ、お姉ちゃんが欲し〜〜〜いっ!!
二人のマイナーギャグ
「そうともいう」大西
「完璧やないか、完璧やないか」2人
「感謝!感謝!ホッ!感謝!感謝!ホッ!」2人
 「サザエさんのネタ」で
大西「イクラちゃんいつまでたっても「ハ〜イ」と「バブ〜」しか言えへんねん」
大西「ワカメちゃんいつまでたってもパンツ見せてんねん」
「河合奈保子のネタ」
富好「最近のアイドルで河合奈保子っていう歌手いてるやろ!なあ知ってる?」
大西「ああ知っとる。あの「♪大きな大きな 大きな胸の小さな乳首」とかいう歌 うたっとるやつやろ」(胸と乳首のジェスチャーをして)
富好「違うわ!!「大きな森の小さなお家」や!!」
大西「田原俊彦やろ、松田聖子やろ、城みちるやろ、ザ・ピーナッツやろ」
二人で「ヒッパレード、ヒッパレード、みんなでヒッパレード」
大西が紐を引っ張る真似、冨吉が下半身を動かす。
 ぽらん(小さい方)の制止も聞かずにCMネタをまくしたてる西川のりおチックな漫才。「良日の釣りはリョービ〜馬のマークの参考書〜今日は、はなおかじったくんです。では、じったくんどうぞ。ぼぼぼぼくは〜船橋へルスセンタァーおやまゆうえんち〜♪チキチキマシンチキチキマシンもうれーすうぅーうぅーうぅーのケンケン!ウッシシシシシ」
大西「なぁなぁ、お笑いスター誕生の合格すると開く回転カプセル知ってるやろ」
富好「ああ、それがどないしたん?」
大西「あれ最新の技術を駆使してると思うやろ……あれ本当は手動やねん!!」
富好「嘘つけ!!」
大西「あれ番組スタッフが、後ろで一生懸命ロープ引いて回してんねんぞ」
(オープントーナメントサバイバルシリーズの頃の枕)
ぽらんが何か話そうとすると、
ちゃらん「(ハイジの歌)口笛はなぜ、遠くまで聞こえるの。あの雲はなぜ、私を待っているの。教えて、おじいさん。教えて、おじいさん。おじいさん、教えて」
ぽらん「だれがおじいさんや」
ちゃらん「まあ、生意気なヨーゼフ」

(別パターン)
ちゃらん「ねえ、ムーミン、こっち向いて。恥ずかしがらないで。ねえ、ムーミン」
ぽらん「だれがムーミンや」
ちゃらん「まあ、生意気なスナフキン」
(別パターン)
ちゃらん「バーカボンボン、バカボンボン、ねえバカボン」
ぽらん「だれがバカボンや」
ちゃらん「まあ、生意気なレレレのおじさん」
ぽらん「レレレのレー」
エピソード
 1983年3月大学卒業。プロ転向。
 初のグランプリ挑戦時、ネタを演じ、審査員の講評が終わって舞台裏に引っ込もうとしたとき、グランプリのトロフィーを盗もうとした。
 1984年1月、「ちゃらんぽらん」に改名。
 第1回オープントーナメントサバイバルシリーズの前夜祭ではまだ「ザ・ちゃらんぽらん」だったが、1回戦登場時には「ちゃらんぽらん」と改名していた。
 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズの優勝賞金を元手に、東京で初ライブを開催。ところがその日は大雪で交通がストップするほど。結局大赤字になった。
 そこで再度ライブができるようにと意気込んだものの、第6回オープントーナメントサバイバルシリーズでは、1回戦負けで大ヒンシュクをかったのを覚えてます。
 その後、富好は頭を丸めました。
 ぼんは「ちゃらんぽらん」と仲が良いらしく、「ちゃらんぽらん」にぼんの大学の先輩である「飛鳥涼」を紹介したらしく、「ちゃらんぽらん」は今でも「飛鳥涼」に相談を持ちかけたり一緒に飲みに行ったりするらしい。
感 想
 銀賞を取る頃はまだアマチュアっぽさが抜けていなかったのですが、再登場後は急に面白くなったのでびっくりしました。
受賞歴
 1985年 第15回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞受賞
 1985年 第6回ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞受賞
 1985年 第20回上方漫才大賞新人賞受賞
 2000年 第35回上方漫才大賞大賞受賞
C M
 ニッスイのちくわのCM出演。
その後・現在
 大学卒業後、無所属のままプロで頑張っていました。それから、やしきたかじんの事務所に入った。林正之助社長(当時)直々にスカウトされ、1987年、吉本興業に所属。自分たちよりキャリアがあって上手い後輩が入ったと、吉本の若手が嘆いたとか。
 ちゃらんぽらんの2人は所属事務所がまだ無い時(吉本興業に入る前)、ライブ会場を借りる資金がない為、地元兵庫県尼崎市の今福の「銭湯」を貸切にして「今福温泉寄席」なる特設ステージを作って、地元今福の皆さんをお客さんに漫才をやって楽しませていた。
 企画・チケット販売・舞台製作はもちろんの事、何から何まで自分達の手作リであった。
 その後も中堅として頑張っていまたが、もう一つブレイクせず。一時は解散寸前だったらしいが、1998年に「中途半端やなぁ〜〜!!」のギャグが大受けして大ヒット。吉本の中堅としての地位を確立する。大西は絵の方でも活躍。
 「中途半端やなあ〜〜!!」のギャグができた経緯は、ボケ担当の富好はものすごい馬鹿でもないし、ものすごい賢いわけでもない。ツッコミ担当の大西は悩みに悩んだ。漫才のボケにしては突っ込むところが無い。大西から見てみれば富好のボケは芸人泣かせ。そんな中、富好の中途半端さをそのまま突っ込んだら大ウケしたそうです。
 ちゃらんぽらん、2002年10月27日国立演芸場でやるそうです。
 15年前にコメディシアターでの東京初ライブが大雪で交通ストップ。大赤字になったそうです。
 文字どおり雪辱なるかですね。
 タレント島田紳助(50)の命令で、若手コンビのライセンスが「ザ・ちゃらんぽらん」に改名することが15日、分かった。すでに所属の吉本興業には、「ちゅ〜〜〜と半端やな〜」のフレーズで人気の漫才コンビ「ちゃらんぽらん」がおり、同時に2組の「ちゃらんぽらん」が誕生する。
 きっかけは、先月24日放送のTBS系「世界バリバリ★バリュー」(水曜午後10時)。紳助が「前世は森光子の息子だった」と発言した。ライセンスら出演者は「うそやろ〜」。気を悪くした紳助が「森光子さんが言うてんねん!」。紳助は、森が「紳助を息子」と認めるなら、ライセンスに改名するように命じた。後日、コンビが森を訪ねると、あっさり認めた。
 しかし、本家の「ちゃらんぽらん」は上方漫才大賞も受賞する大先輩。改名は無理だと思われたが、本家もノリはよく「ええで、4人でがんばろ」。混乱を避けるため、新コンビを「ザ・ちゃらんぽらん」とした。
 吉本では会議の末、13日に改名を正式決定。コンビは18日のTBSテレビ「アッコにおまかせ!」から、「ザ−」で活動し、21日放送の「世界−」で、紳助に改名を報告する。ちなみに、本家も結成当初は「ザ・ちゃらんぽらん」。これを直撃すると、吉本社員は「あ…そうでしたね…いや…」。紛らわしいのは間違いない。
(2007年2月16日 日刊スポーツ紙面から)

 2007年9月28日、「ザ・ちゃらんぽらん」は「ライセンス」に名前を戻した。
「ちゅ〜とハンパやなあ」のギャグを持つ漫才コンビ「ちゃらんぽらん」が6月末で解散する。おおにしこうじん(47)が12日、自筆のファクスを報道各社に送り「絵と漫才をやってまいりましたが、自分の小さな頃からの夢、絵で世界を目指して頑張ろうと決意しました」と報告。79年に結成したコンビを解消すると同時に吉本興業を退社する。相方の富好真(47)は今後も同社所属で活動。同社広報は「寝耳に水で全く把握していない。今後調査して何らかの形で報告する」と困惑している。
(2008年2月13日 スポニチ紙面から)
 大西は画家としても活動を続け、1996年の神戸二紀展、関西二紀展で入選。2000年の二紀展(全国大会)で初入選と着実に評価を高め、2006年、かつて実家の温泉があってその後テナントビルに改築したビルの1Fに太陽美術館をオープンした。
 名前を大西幸仁に改名。解散後は画家一本で活動。高野山真言宗別格本山・宝亀院の宮武峯雄大僧正に命名してもらった雅号は『太陽』。
 ちゃらんぽらん解散後、富好真はちゃらんぽらん富好の名前でピン芸人として活動。所属する吉本興業のオフィシャルサイト、よしもとシーオージェーピー内のタレントプロフィールに、活動情報などが載っています。
 富吉は兄・和幸(2016年死去)がボートレーサーだったため、そちら関連のテレビやイベントの司会等も多かった。また、息子の祐真もボートレーサーとなった。
 2008年、オール阪神に一目惚れした歌手の三善英史(「雨」の大ヒットで有名)が、浅草花月に出演中の阪神に差し入れ。支配人の強い要望で、浅草花月で歌った(浅草花月で歌手が歌ったのは初めて)。このとき司会を引き受けた富好との掛け合いが観客に大受け。舞台袖で見ていた阪神がコンビ結成を提案。漫才コンビ「みよしとみよし」を結成。2008年10月13日、大阪・なんばグランド花月(NGK)で初舞台。さらにM-1グランプリ2008へ参戦し、1回戦を突破したが2回戦で敗退。翌年も参加。
 2009年、R-1ぐらんぷりで準決勝進出。フジテレビ『爆笑レッドカーペット』にも若手に混じって出演。2010年もR-1ぐらんぷりで準決勝進出。ネタとして、「知らんわ〜」。といいながらEXILEの真似をするものがある。
 オフィシャルブログTO・MA・TOがあります。
 犬の遊び場であるROKKO ROYAL FIELDのゼネラル・マネージャー、富好鶴子さんはちゃらんぽらん富好の奥様。
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