山田風太郎『警視庁草紙』上下(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集1、2)
初代警視総監川路利良を先頭に近代化を進める警視庁と元南町奉行駒井相模守、元同心、元岡っ引の知恵と力を駆使した対決を2冊で送る。大久保利通、岩倉具視、一葉、山田浅右衛門ら実在の人物と架空の人物が銀座煉瓦街を駆けめぐる。(上巻粗筋紹介より引用)
警視庁vs元江戸南町奉行所の面々。広沢真臣、黒田清隆、井上馨、森鴎外、高橋お伝、皇女和宮、清水の次郎長などなど多彩な人物を巻き込む怪事件をめぐり知恵くらべは続く。華やかな明治の舞台うらに流れる去りゆくものたちの悲哀。(下巻粗筋紹介より引用)
『オール讀物』1973年7月号〜1974年12月号連載。1975年3月、文藝春秋より単行本刊行。1978年2月、文春文庫化。1994年3月、河出文庫化。1997年5月、ちくま文庫化。
山田風太郎の明治ものは読んだことが無かった。多分タイミング的なものだろう。だから明治小説全集が出たときにはすぐに購入していたのに、なんとなく読むタイミングを失い、今頃読む結果となった。ただ、山田風太郎が再評価された時に現代ミステリ物を読んで、そこまで絶賛するものかなと首をひねったのが、手を取らなかった原因かもしれない。
本作は西郷隆盛が征韓論で敗れ鹿児島に帰ってから始まる。時代が変わり、江戸も東京に変わるものの、強引すぎる変化に抵抗するかのような元南町奉行駒井相模守信興、元八丁堀同心千羽兵四郎、元岡っ引三河町半七の最後の手先であった冷酒かん八たちが、川路利良率いる警視庁と様々な事件で対立、駆け引きを繰り広げる草紙。歴史上の人物たちが、この事件、この時点ですれ違っていたという手法は今でこそ多くあるものの、元祖は山田風太郎。忍法帖シリーズでも発揮されたその巧みな手腕が、明治物でも存分に振るわれている。ただ、戦国や江戸時代初期ならファンタジーで通用する設定も、明治となると途端に現実臭くなる。そんな狭間にある舞台をどう料理するかが興味あったのだが、そこは熟練の山田風太郎にとっては簡単なことだったのだろう。明治初期の様々な歴史上の人物が縦横無尽に飛び交い、事件に絡んでゆく。
事件そのものは一話完結になっているものが多く、時にはトリッキーな手法も使われ、ミステリファンをも納得させてくれる。
警視庁と駒井相模守一派との対立は読者の興味を惹き、いつしか駒井達に力を入れて読んでしまうものの、薩長を中心とした強引すぎる明治政府のやり方と、変わってゆく時の流れは、たとえどんな抵抗であろうとも押し流してゆく。武士の魂と言われた刀は奪われ、髪はいつしかザンギリに変わる。記者が走るようになり、ガス灯が浮かぶようになる。そんな時の流れの残酷さ、置いていかれるものの無情さを浮かび上がらせてくれる。
ただ、山田風太郎に忍法帖シリーズの頃の奔放さを求めようと思ったら、ちょっと肩透かしを食うかな。どことなく枯れた味わいの方が強いのは、作者が重ねた年齢と人生を思わせるようで、少し物哀しい。
山田風太郎『明治断頭台』(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集7)
太政官弾正台(役人の汚職を調べ糾弾する役所)の大巡察、香月経四郎と川路利良がフランス人美女エスメラルダの力を借りて次々とおこる謎の事件を解明する。明治開化期の社会と新政府を題材にした探偵小説の傑作。(粗筋紹介より引用)
『オール讀物』1978年5月号〜1979年1月号連載(1978年9月号休載)。1979年2月、文藝春秋より単行本刊行。
プロローグと言える「弾正台大巡察」。日本でもギロチンがあったという話だが、ここからすでに伏線を張っているところはすごい。
フランスから来た香月の愛人、エスメラルダが登場する「巫女エスメラルダ」。これまたプロローグその2ともいうべき話であり、ようやく登場人物が出そろう。
築地ホテルの螺旋階段で腹を切られて死んだ小巡察。容疑の濃い人物は、塔の上にいた。「怪談築地ホテル館」。これは絵を見た瞬間、アッと言ってしまった。この時代ならではのトリック。
五稜郭の戦いののちアメリカに逃げたはずの唐津の殿様、小笠原壱岐守の生霊が出て妾を妊娠させる。さらに反壱岐派の家臣の乗った人力車が神田川に落ちて溺死するも、人力車の轍しかなく、車夫の足跡がなかった。「アメリカより愛をこめて」。絵が無いので想像しかできないが、それでもなんとなくわかった気になってしまう。
岩倉具視の腹心の男が、英大場市の欄干で首つり死体となって発見される。二人の容疑者はどちらも片手が使えず、そして二人ともアリバイがあった。「永代橋の首吊り人」。これもトリックには素直に感心。
遠眼鏡で女の足が切断されたという目撃証言があり、駆けつけてみると切断された足が家の前に立てかけてあったのだが、誰の足かわからない。「遠眼鏡足切絵図」。本当に可能かどうか疑問なところもあるが、強引に押し切られてしまった。
陸軍が絡む汚職事件の内偵中、邏卒が張り込みしていた今戸の寮(別荘)で、糞尿にまみれ首を切断された大男の死体が発見された。大男の正体は不明。「おのれの首を抱く屍体」。何ともスッキリしない結末だが、それもまた作者の狙いのうちなのだから何ともはや。
エスメラルダがついに捕まった。作品全体のエピローグ、「正義の政府はあり得るか」。
山田風太郎にしては珍しいぐらい機械トリックにあふれた作品集となっているが、明治初期ならではの混乱もしっかりと書かれていて、非常に興味深い。さらにある驚愕の仕掛けが張り巡らせられているところには非常に感心した。歴史的事実と絡め合わせながらもこれだけの仕掛けを張り巡らせられることができるのだから、やはり作者はすごい。しかも連載形式なのに。
気になるのは、エスメラルダのカタカナ語が非常に読みにくいこと。あれで大分損をしているのではないか。
それを抜きにしても、どことなく読みづらいのはなぜなんだろう。感心はしたのだが、面白いかと言われると、今一つというのが正直なところ。何かもどかしいというか、何か抜けているというか。それが何かは分からないが、山田風太郎が求めたエンタテイメントとは別のところに作品があるような気がして仕方がない。
傑作と言われる理由は分かったけれど、自分には合わなかった。それ以外、言い様がない。