斎藤澪『この子の七つのお祝いに』(カドカワノベルズ)
昭和29年。東京都大森の古い木造アパートに病弱の真弓と娘の真矢が住んでいた。真弓は父親が自分たちを捨てて他の女の所に行ったから、大きくなったら仕返しをしろと、毎晩囁いていた。そして真矢が7歳の正月、真弓は手首と頸動脈を切って自殺した。そして時は流れる。
フリーライターの母田耕一は、現役大臣の秘書で政界の黒幕とも言われている秦一毅の愛人である天才女占い師・青蛾の正体を追っていた。あまりにも占いが当たるので、今では政治家や大物経済人の誰もが彼女の占いを当てにしているという。青蛾の家の元お手伝いだった池畑良子とようやくアポイントを取ることができたが、取材2日前に殺害された。母田は青蛾の周辺に犯人がいると睨み、さらなる調査を続ける。そして青蛾の依頼により、この手相を知っている人はいないかと聞かれた占い師・吉田仙岳も殺害された。そして母田も、取材中に殺害されてしまった。母田の記者時代の後輩である須藤洋史は意志を継ぎ、青蛾の正体を追いかける。
1981年、第1回横溝正史賞受賞作。同年5月、単行本刊行。1982年7月、ノベルス化。
栄えある第1回横溝正史賞受賞作。横溝正史が選考に参加した唯一の回でもある。1982年10月、松竹で映画化されている。監督は増村保造。真弓役の岸田今日子の鬼気迫る演技が話題になっていたと覚えている。
横溝正史と言えば多彩な作品を書いてきたが、本作品は女性の怨念を中心としたサスペンスである。公募の賞は第1回で色が決まると聞いたことがあるが、第1回に本作品が選ばれたことで、以後も多種多様な作品が応募されてきたと思う。
女占い師の正体と、殺人事件の謎を追ううちに、全てのベールがはがされるというサスペンス。女占い師・青蛾にかけられた怨念が物語全体を覆っており、読んでいて寒気がしてくる。タイトルの意味もラストになってわかるが、ここまで恨みを駆り立てた背景が本当に恐ろしい。
ただ、事件の解決に回る渋沢刑事や須藤洋史の存在感が今一つ希薄だったのは残念。また前半の主人公ともいえる母田耕一も感情移入できる人物でなかったこともあり、作品に救いを与えてくれる人物が誰も出てこなかったことは、悪い意味で息苦しい仕上がりに終わっている。母田の元愛人だった瀬川涼子って、必要だったかな。
人物の背景をもっと書きこみ、登場人物を整理すればサスペンス作品としてもっと評価が上がっただろう。それは新人作家だったから仕方がない。「横溝正史」とはちょっと違う作品ではあるが、それでもミステリ公募の新人賞としては十分相応しい作品である。
阿久悠『殺人狂時代ユリエ』(カドカワノベルズ)
アメリカを放浪するジャズ・ピアニスト阿波地明は、西部の田舎町の留置場にいた。その時突然、近郊のドライブ・インでショット・ガン乱射事件が起った。多数の死傷者の中に、十三歳の日本人少女が失神していた。一年後、帰国し歌手としてデビューした少女、ユリエの周辺に、そして、TV視聴者の間に、奇怪な事件が続出する。破滅への序曲か。理由なき大量殺人と集団自殺が、日本列島を浸蝕している‥。現代の狂気を、鮮烈なイメージと筆力で照射する戦慄の長編。(粗筋照会より引用)
1982年、第2回横溝正史賞受賞。同年3月、カドカワノベルズより刊行。
作詞家として有名な阿久悠だが、小説家としても1978年に『ゴリラの首の懸賞金』上下(スポニチ出版)以降、多くの作品を世に出している。この『ゴリラの首の懸賞金』は「スポーツニッポン」で1977年3月~12月31日まで連載されていた。さすがに連載やこちらの版は読んだことがないが、その後『地獄の総統』『悪魔の祝祭』に改題されて角川文庫から出たのは当時読んだ。これがまたセックスばりばりのトンデモバイオレンス小説だったので、まだ女性のことなど何も知らなかった(?)私にとってはあまりにも刺激が強かったのを覚えている。ヒットメーカーのイメージとはあまりにもかけ離れていたので、唖然としたものだ。
そんな作者が横溝正史賞を受賞したのが本作品。元々は応募した作品ではなく、第2回の応募作に目玉が無かったから、編集者が作者に頼み込んで受賞を前提に応募作に回したと聞いたことがある。本当かどうかはわからないが、受賞後の言葉を見ても「よ」の字すら出てこないところを見ると、間違いないだろう。
「ニュー・オカルト・サスペンス」とあるが、今ならホラーというべき作品。乱射事件の中で失神していた十三歳の少女ユリエ。十四歳の誕生会では、大量の鴉が招待されたユリエの友人たちを襲う。ユリエがデビューすると、ユリエの歌をテレビで見た人が不快感を抱き、さらに自殺する人が続出する。そして起きる、動機なき大量殺人。
それにしても、どう形容したらいいのかわからない作品。ナメクジがはい回るような不快感とは違うが、背中が寒くなるような不気味さとおぞましさが語られる。作者のことばにある「ザワザワとした生理感覚」というのがぴったりくるかも。ただ、物語自体は何も解決されず、何が何だかわからない物足りなさも残る。
もちろん小説の完成度は問題なし。まあ、今更賞に応募する理由もなかっただろうに。
ユリエが歌っている「さだめのように川は流れる」は、1971年代に杏真理子が歌ったデビュー曲。杏真理子は1973年に引退し渡米するも、1974年、ロサンゼルスで元恋人に殺害された。
平龍生『脱獄情死行』(カドカワノベルズ)
「逃げてやる、あの人のために…」ガチャリと音を立てて、シリンダー錠が閉じられた。ただ一人、冷たい独居房に残された女死刑囚玉江。父を知らず、母も幼くして失くした。そして、木地師の義父と夫婦同然に暮らした異常な日々。だがある日、玉江は義父の胸を錐状の鉋で一突きに殺してしまった。それ以来、玉江は男の命を吸い取ってしか生きられない、奔放な女になっていった。そんな玉江が、初めて男の愛を知った時、その体も手も、拭いきれないほどの血で汚れていた。そしていま、激情のままに生きた女の、決死の脱獄が始まった。選考委員の激賞を浴びた大型新人の衝撃のデビュー。第三回横溝正史賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1983年5月、カドカワノベルズより刊行。
物語の始まりは、玉江が捕まって神戸市の北神拘置所に連れて行かれる1945年2月5日。つまり、戦時下の物語である。こういう時期でもなければ、拘置所からの脱獄などそう簡単にできるわけがない。そして中身は、女の情念と性を書いた作品、としか言いようがない。戦争という状況に背を向け、ひたすら性におぼれる主人公の姿には、お国のためという言葉の裏に隠された様々な犯罪などのデータを表に出して反映させることで、一種の反戦小説と思えるほどの清々しさもある。ただ、ここまでセックスを描写しなくてもと思うところもあるし、肝心の脱獄以降がわずかな文章で終わっているところも不満である。異色のミステリとは言えるだろうが、受賞作の名に相応しいかどうかというと首をひねる部分もあった。
広告会社のディレクターを経て、約10年間フリーライターとして活動するとともに、「真夜中の少年」で第40回オール読物新人賞を受賞しており、文章や小説創りの面でいえば達者。当時の時代背景や風土などもしっかりと書き込まれており、作品自体はなかなかの仕上がりと言えるだろう。先にも書いたが、脱獄以降のことをもっとしっかり書き込んでほしかった。終盤がもっと盛り上がれば、この作品の評価も違ったものとなっていただろう。
石井竜生・井原まなみ『見返り美人を消せ』(角川文庫)
男のひしゃげた後頭部から血が滴っていた。マンションの四階から落下した花鉢が頭を直撃したのである。被害者は下を通りかかった付近の住人で、鉢を落としたのは、405号室に住む美人の切手商、朝海雅子だった。
刑事と部屋に戻った雅子はさらに青ざめた。昨夜、部屋に泊めた男が姿を消していたのだ。イトウと名乗るその男と、ベランダで揉み合っているうちに花鉢が落下したのだったが…。
事件が過失として処理されかかったころ、箱根芦ノ湖畔でイトウの刺殺体が見つかった。ポケットには高価な「見返り美人」のシートが…。
暗号に、トリックに切手趣味をちりばめ、卓抜な着想と斬新な趣向で絶賛を博した、第五回横溝正史賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1985年、第5回横溝正史賞受賞作。同年5月、ハードカバー刊行。1986年4月、角川文庫化。
横溝正史賞が第5回になってようやく出てきた本格ミステリ作品。当時の選評でも、横溝賞ならやはり本格ミステリがほしいというのがあったと記憶しているので、そういう意味では待望の作品だったとも言える。夫婦合作という日本では珍しい形式も話題となったが、中身も切手の知識をふんだんに盛り込みつつも、単なる調査結果の披露に終わってしまうお勉強ミステリとは異なり、物語に上手く融合させており好感が持てる。
近くの運送会社の警備員・柴山吉夫が日課の神社へ行く途中にマンションの4階から落下した鉢に当たって死亡する事件が発生。不運な過失致死かと思われたが、鉢を落とした切手商・朝海雅子と同日夜を過ごした自称画家・福井修が殺人事件の被害者となって発見される。福井は「見返り美人」の切手シートを持っていた。切手収集が趣味の寺田刑事は聞き込みで、雅子の階下に住む少年から「事件が起こったとき、見返り美人切手が空を舞うのを見た」という証言を得る。
高額取引で私でも知っている「見返り美人」、珍品切手「玉六のヨ」、アフリカで発行された岩手名物図案のニッポニカ切手など様々な切手は出てくるし、切手を使った暗号などもあって盛り沢山。出てくる登場人物も切手商や切手コレクター、切手趣味の刑事など、切手尽くし。おまけに各章のタイトルも切手の名前。作者の二人は切手に興味が無いというが、よくぞこれだけ切手を絡め、しかも物語のキーとして盛り込むことができたものと素直に関心。切手を使った政治工作などは本当に上手いと思った。
残念なのは、登場人物が多すぎて整理できていないところだろうか。地元政治家の件なんかはページを減らし、その分を犯人の描写に当ててほしかった。
アリバイトリックは大したことが無いが、犯人を巡る謎がそんな不満を十分に補ってくれる。何よりも切手が事件のきっかけから犯人を特定する手掛かりになるまで、小説の全編に関わってくるのが非常に心地よい。これで事件の解決役がエキセントリックな切手趣味の素人探偵あたりだったら、もっと注目されたのではないだろうか(単なる偏見か)。
一応文春の年末ベストでは2位だったものの、やや地味なところと、社会派というか通俗的な題材を中心に据えている部分があるため、あまり取りあげられることが少ない作品。しかし、特定の題材を物語に絡ませた本格ミステリとしては、過去に発表された作品の中でも上位に入る出来である。もっと注目されてもいい。
森雅裕『画狂人ラプソディ』(カドカワノベルズ)
芸大教授、七裂鉄人が研究室で殺害され、江戸の絵師、画狂人・北斎に関する未発表の新資料が盗まれた。芸大生二人組、周一と哲平は、教授から託された資料のコピーから、北斎の「富岳三十六景」中に重大な秘密が隠されていることを知った。徳川幕府が血眼で捜し求めた結城の埋蔵金、その隠し場所が「三十六景」中に示されているらしいのだ。二人が北斎の謎に迫り始めた頃、七裂の娘・奈都子が失踪した。そして第二の殺人が……。第五回横溝正史賞佳作入選作。(粗筋紹介より引用)
1985年、第5回横溝正史賞佳作受賞。同年8月、刊行。
1985年に江戸川乱歩賞を受賞する森雅裕のデビュー作。佳作止まりで出版予定はなかったが、乱歩賞を受賞したから先んじて出版したという経緯があったと記憶している。
芸大教授殺害、北斎未発表資料盗難、結城家埋蔵金、教授の娘失踪、楽器鑑定書偽造、業者との癒着に賄賂、暗号解読……おまけにちょっと恋愛混じりの青春物語。これでもかというぐらい盛り込まれているのだが、そのお陰で印象が散漫になっていることは否めない。せっかくの北斎というおいしい題材が最後の方では単なる刺身のツマ扱いになっているのは非常に残念。殺害現場が水道垂れ流し状態というアリバイトリックも拍子抜けだったし、暗号の方も今一つ。力の入れどころを間違ったとしか思えない。作者がいう通り、「いささか“意あまって力足りず”の感がある」作品である。
主人公の斜に構えた態度とかは、作者を投影しているのだろうなあ、という気がする。ちょっと個性的なヒロインももう少し扱いようがあったのにと思ってしまうし、後味の悪さはどうにかならなかったのだろうか。
江戸時代の絵師を使うという点で『写楽殺人事件』と被ってしまったところはあり、それも評価を落とした結果になったようだが、それを抜きにしても佳作止まりは仕方のないところだったと思う。典型的な、ネタを積め込みすぎて失敗した作品。
服部まゆみ『時のアラベスク』(角川文庫)
東京、冬。出版記念会の席上に届けられた一本の真紅の薔薇から、惨劇の幕が開く。舞台は、ロンドン、ブリュージュ、パリを経て、再び東京の冬へ。相次いで奇怪な事件が続発し、事態は混迷の度を深めていく。精緻な文体と巧妙なトリックを駆使して、人生の虚飾と愛憎を描く、本格長編推理。第七回、横溝正史賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1987年、第7回横溝正史賞受賞作。
耽美的というか、幻想的というか。奇怪な事件が連続して発生しているのに、霧のようなつかみ所のないもどかしさが、作品全体を覆い隠している。そのくせ、エキセントリックな人物ばかりが登場しているから、本来モノトーンで描かれるべき絵の中で一点だけけばけばしい色で描かれているような違和感が目立つ。登場人物がなにもせず、ただ苛立ってばかりいるのを見ると、読む方も苛々としてくるものだ。
登場人物、背景、推理部分など、それぞれを切り取って見てみると面白いのに、それらを組み合わせてみると、どうしても違和感を抱いてしまう、バランスの悪さが目立つ。特に文章はいいから、余計に目立つ。激情的な動機も含めて、もう少しトーンをそろえてみることを考えて描くべきではなかっただろうか。
第一作から自分の世界を描いている構成力と技術力は素晴らしいが、俗っぽさがないから、誰もが夢の世界の出来事のような言動ばかりを取っているとしか思えない。それが、結末とのアンバランスさも招いている。その辺は、横溝賞を狙ったがためのミスではないだろうか。
それでも受賞に相応しいだけの実力は十分に兼ね備えている作者であり、作品ではある。
浦山翔『鉄条網を越えてきた女』(カドカワノベルズ)
昭和59年8月、ジャズのメッカ、ニューオリンズで、コルク・ヘレナというポーランド系ユダヤ人女性が病死。遺産のうち百万ドルが日本の財界の大御所、渋沢栄一の秘書役黒岩喜一にのこされた。又、遺言状には遺産の残りをアウシュビッツ博物館に寄贈する、とあった。黒岩は既に死亡。長男に調査依頼された新聞記者、清瀬徹準がヘレナの正体を追う。コルク・ヘレナとは一体、何ものか? 彼女の自宅に残された「メンゲレ殺人計画書」とは何か?
“戦争”が介在して、謎は意外な様相を呈していた!! 国際的スケールで描く、感動の大型ミステリー。(粗筋紹介より引用)
1987年、第7回横溝正史賞佳作受賞作。
新聞記者が国際的な謎を追うという、在りがちな展開の冒険小説。作者は現役の新聞記者ということで、読ませる実力はなかなかのもの。もっとも、小説というよりは、新聞記事みたいな展開と文章ではあるのだが。
謎そのものは面白いのだが、結局は海外のあちらこちらを追いかけるだけで、この手の冒険小説によくある妨害工作などがほとんど存在しない。この辺も、新聞記事そのものを読まされているようなという印象の大きな原因となっている。
題材としては面白いかな、という程度。佳作止まりなのも無理はないかな。
阿部智『消された航跡』(角川書店)
悲劇は海に始まった。
海の安全を守るために奔走する海上保安庁の巡視船。その任務は、厳しく、忙しい。前夜は貨物船の衝突事故の救助と捜索に夜を徹し、今日は海難防止週間の安全指導の任務につく。事件はその夜起こった。こともあろうに、当の巡視船「ともえ」の船長である鈴木順治が、自分の船室で殺されたのだ。
洋上に停泊する船は完全な密室となる。犯人は乗組員の中にいるにちがいない。被害者以外、20数名の男たちはすべて容疑者となり得る。清水海上保安警備救難課長である野上純一を筆頭に、捜査が始まった。凶器であるナイフが見つかり、持ち主である和板井俊夫が最有力容疑者となるが、なぜナイフを海に投げて証拠隠滅しなかったという疑問を解くことができず、捜査は難航した。そして事件発生から7日目、自宅に帰っていた和板井が包丁で刺されて殺された。最後に生きているところを確認した恋人や、もう一人の有力容疑者にはアリバイが成立した。
現役海上保安官が、海に生きる男たちへの熱い共感をこめて書き下ろす大型ミステリー。(粗筋紹介に一部加筆)
1989年、第9回横溝正史賞受賞作。1989年5月刊行。
受賞当時の作者は、現役海上保安官。27歳とまだ若かった。この後角川から2冊出版。1993年には『慟哭の錨――関門海峡シージャック事件』を第39回江戸川乱歩賞に応募し、最終選考まで残っている(受賞作は桐野夏生『顔に降りかかる雨』)。その後『海峡に死す』と改題し、1994年に講談社ノベルスから出版されているが、本業が忙しいのか、それ以降の出版は無い。
読み終わって最初に思ったことは、よくこれが受賞できたな、ということ。本格推理小説としての出来は悪い。いくらか推理小説を読んでいる人なら、登場人物一覧と冒頭を読んで、誰が犯人か想像が付いてしまう。作者もそんなことはわかっていたのかも知れないが、もう少し犯人を隠す工夫ぐらいするべきだと思う。
第1の殺人については、この犯人が本当に実現することができたのかどうか疑問。普通に考えた物音がするだろうし、そもそもそんなことができるほど力を入れることができるだろうか。逆に実現可能だというのなら、この犯行トリック(というほどのものでもないが)ぐらい、プロの海上保安官なら想像つかない方がおかしいと思う。
第2の殺人については、警察の捜査がずさんすぎ。この程度のアリバイトリック、きちんと比較すればすぐに見破ることができるだろうし、それをしない警察官や鑑識医がいないはずがない。容疑者になりうる周辺人物の経歴すら、まともに捜査していない。ここまで来ると、作者の都合もいい加減にしろよと言いたくなる。
事件を解決するのは、被害者和板井の同僚で親友の人物。9か月も捜査してわからなかった謎を、いくらアドバンテージがあったとはいえ、素人がわずか5日間で解決してしまうというのは興醒め。出鱈目にもほどがある。
さらにこの作品が面白くないのは、殺害の動機。どう見ても、ただの逆恨み。仮にも現役の海上保安官が、このような動機を持ち出してはいけないだろう。
作者が若いことと、海上保安官という設定だけが珍しい。この作品で見られる点はそれだけ。本格推理小説としては失敗作。大賞なのに文庫化されない時点で、この作品のレベルが予想できるだろう。このような作品を受賞させていたから、当時の横溝賞のランクが落ちて行ったのだと思う。
姉小路祐『真実の合奏』(光文社文庫)
大阪で、警備員が刺殺され、金庫が破られる凄惨な事件が! 逮捕されたのは、前科があり、被害者と顔見知りだった塩川邦夫という男だった。関与を否定していた塩川だが、執拗な取調べに、ついに自白する……。
有罪確定か? だが、法廷は揺れた。朝日岳之助弁護人が検察に敢然と挑んだからだ!
冤罪をテーマとした社会派ミステリーの力作、ついに文庫化。(粗筋紹介より引用)
1989年、第9回横溝正史賞佳作受賞作。同年5月、カドカワノベルズより発売された作品を、1999年4月文庫化。
作者のデビュー作であり、かつシリーズキャラクターでもある朝日岳之助弁護士のデビュー作でもある。朝日弁護士は、日本テレビの火曜サスペンス劇場で、1989年から2005年まで、合計23作作られたとのこと(Wikipedia参照)。小林桂樹が朝日弁護士を演じていた。
強盗殺人事件で捕まった前科者が、最初こそ否認していたものの、後に自白。しかし物的証拠に乏しく、裁判では無罪を主張。検察側の矛盾点を指摘する朝日弁護士だったが、裁判は無罪と有罪で大きく揺れる展開。法廷ものではありがちな展開で、新味はないと思ったのだが、二転三転する展開と、事件の意外な真相はなかなかのもの。ただ、冤罪に関するレクチャー的な文章は少々しつこく、不要だった。作者の冤罪に対する思いが、悪い方に働いた感がある。また、初めて殺人事件に取り組む風城拓之の描写が多いが、警察側の想いを伝えるための登場人物とはいえ、行数を使いすぎである。
結末が駆け足なところは仕方が無いのだが、その方向性には疑問。プライドだってあるだろうし、弁護人の説得にそう簡単に応じるとは思えない。むしろ隠蔽する方向に回るだろう。展開がセンチメンタリズムに流れてしまったのは、冤罪というテーマを浮き彫りするためとはいえ、安直すぎる。このあたりが、プロの作家には受けず、大賞には届かなかった要因の一つでは無いだろうか。
本作は佳作止まりだったが、少なくとも正賞の『消された航跡』よりは面白いし、(書き直しがあったのだろうが)出来は上。作者は2年後、『動く不動産』で第11回横溝正史賞を受賞して雪辱を果たすのだが、それも実力があったからだろう。
水城嶺子『世紀末ロンドン・ラプソディ』(角川書店)
同志社大学大学院文学部英文学専攻の森瑞希は、1989年1月5日の夜、研究室に突然現れた機械に座ってみると突然動きだし、100年前の世界にタイムスリップしてしまった。その機械の名前はタイムマシン。そして作者は、当時私立校の科学教師だったH.G.ウェルズ。ウェルズの誘拐、タイムマシン強奪に巻きこまれた瑞希は、シャーロック・ホームズとワトソン博士に出会う。世間を騒がしている盗賊が宝石「レディ・ヴァイオレット」を盗むという予告状を受け取った屋敷の主人はホームズに警護を依頼。瑞希はホームズやワトソンに着いていき、晩餐会に参加する。
1990年、第10回横溝正史賞優秀作受賞。同年6月、刊行。
副題はA Study in Violet。邦題にすると「紫色の研究」といったところか。この年の大賞受賞は無し。この年の最終候補作である残り2作品、鈴木光司『リング』、吉村達也『ゴーストライター』(『幽霊作家殺人事件』を改題)は後に出版されている。受賞者はその後『銀笛の夜』1冊しか作品を出さず、他の2人がどちらも人気作家となっていることを考えると、選考委員に見る目が無かったか。特に『リング』を落としたことについては、後に色々と叩かれていたなあ。選ぶ側にも色々言い分があるだろうけれど、あの『殺人狂時代ユリエ』を第2回に選んでいる賞だから、『リング』を選んだって問題は無かっただろうに。
昔読んだ記憶があるよな、と思いつつすっかり筋を忘れていたので読んでみたのだが、今風に言うと「ホームズ萌え~!」(既に死語か?)な作品である。女性だったら架空のヒーローとの恋に憧れるだろうが、それをここまで露骨に書くか、と言いたくなるような作品である。ウェルズまで出てきて、本当のタイムマシンで過去に行くという展開はまだ許せるが、主人公の瑞希が未来のことをぺらぺら喋るというのは、数多くのSF作品のお約束を蔑ろにしているようにしか見えない。ウォークマンをホームズたちに聴かせるわ、ホームズに近い推理力は見せるわ、いきなり忍者に昔から興味があったという設定が出てくるわ、やりたい放題。マイクロフト、ディオゲネス・クラブ、語られざる事件として有名なフィリモア氏の話を絡めたのは頑張ったといえるだろうが、ホームズの過去の恋愛まで創作してしまったのはやり過ぎだった気もする。
この作品の根本的な問題点は、内外含めて山ほどあるホームズのパスティーシュ作品(パロディ含む)の枠から一歩も外へ出ていないこと。新味がゼロなので、普通だったら優秀賞でも受賞できなかっただろうと思ってしまう。2010年代だったら、ライトノベル風味で売り出す方法があったかも知れない。
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