十一月五日、午前九時、津山真理子は、外泊した夫の浩から「いそぐんだが、現金二千万円をホテル玄海のフロントに預けてくれ」との電話を受け、ホテルに届けた。が、三日経っても浩は帰ってこない。彼は北九州市内にある総合病院の院長で、小倉税務署管内で三位を下ったことがないという高額所得者である。当年六十二歳。四日後に真理子によって小倉北署に捜査願いが出されたことが、事件の発端になった。その犯行の手口の残虐さで、世間の耳目を集めた、バラバラ事件をドキュメンタルタッチで描く新鋭の力作。
長編小説『氷の庭』が昭和40年に第53回直木賞候補になって以来、中村光至が18年ぶりに書き下ろした作品であり、1983年11月にTOKUMA NOVELSより刊行された。1979年11月4日に発生した、北九州病院長バラバラ殺人事件が基となっている。
作者は福岡県警察本部教養課調査官に勤務していたということも有り、警察組織には非常に詳しい。だからこそ、当時流行っていた刑事ドラマとは異なる、本当の警察組織を書きたかったのだろう。筆者があとがきで「私が描きたかったのは、一人の名刑事でも、一人の有能な指揮者でもない。組織捜査と、歯車のごとく動く群像に他ならない」と書いているとおり、現在の警察の組織捜査を警察官の視点から描いた作品である。
ただそれなら、何も実在の事件を扱う必要はなかったのにと思ってしまうのも事実。実在の事件を題材とすることでそれなりの注目を浴びやすくしようと思ったのかも知れないが、安易と思われてしまう危険性も多い。というか、安易としか言い様がないだろう。それこそ、刑事ドラマに出てきそうな事件を現実の警察組織が扱ったらどうなるか、といった視点で書いた方が、作者の狙いがよりはっきりしたのではないだろうか。主に担当した刑事の視点で各章が書かれているのだが、最後の方で唐突に犯人の一人の視点で書かれているのも違和感がある。共同正犯なのだから、双方の視点で書かないと贔屓になるのではないだろうか。
本格警察小説を書きたいという作者の目論見自体は達成できただろうが、それが読者に伝わったかどうかは微妙。やはり実際の事件を扱うべきではなかったと思える作品である。
この事件、裁判では互いに罪をなすり合う展開となった。そのことが裁判官の印象をより悪くしたのか、それとも長時間負傷したまま身代金要求の電話をさせ、命乞いをする被害者を惨殺してバラバラにするという非道さが怒りに触れたのか、1982年3月16日、福岡地裁小倉支部は2人に求刑通り死刑を言い渡した。被害者1名で死刑判決2名という珍しいケースだった。1984年3月14日、福岡高裁で被告側控訴棄却。1988年4月15日、最高裁で被告側上告棄却、死刑確定。1996年7月11日に二人の刑が執行された。
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