福田洋『近畿・東海連続殺人』(双葉文庫)




 10年4カ月にわたって、近畿・東海地方を舞台に女5人、男3人を殺害した勝田晴孝の犯罪。単純な窃盗常習者が、捜査網をくぐり、どのようにして冷血無比の強盗・強姦・殺人鬼に変貌していったか!? 事件現場を丹念にたどり、模範的消防士の仮面の下に隠された虚栄と欺瞞の半生を、家族・友人の目をとおして解剖した、長編ドキュメント・ノベル!(粗筋紹介より引用)
 1986年8月、『連続殺人』のタイトルでFUTABA NOVELSより刊行。1988年8月、改題して双葉社より文庫化。

 10年間に亘り合計8人を殺害し、強盗殺人7件、殺人1件、強盗殺人未遂1件、強盗致傷3件、強盗強姦1件、強盗2件、強盗未遂1件、窃盗10件、公務執行妨害1件、住居侵入2件、銃刀法違反1件、火薬類取締法違反1件の合計27件について起訴された勝田清孝の半生を書いたドキュメント・ノベル。
 第一章では1977年12月13日の神戸市での強盗殺人事件から、1981年1月に車上狙いの窃盗犯として執行猶予付きの有罪判決を受けるまでが書かれている。第二章以降は勝田の生い立ちから犯行に手を染め、刹那的な快楽を追い続ける様が書かれる。第五章以降は、警察庁広域重要指定113号事件に指定された事件群が書かれる。第七章で勝田は逮捕され、一審判決までが書かれる。そして第八章は、この事件にたずさわった警察庁刑事局、関東、中部、近畿の各警察局、愛知、岐阜、京都、大阪、兵庫の各府県警の幹部が顔そろえての1985年末に行われた座談会の内容が書かれた。
「家族・友人の目をとおして解剖した」とあるが、作者のあとがきが文庫版には見当たらないため、取材源がどこまであるのかが分からないのが難点。とはいえ、当時の新聞記事なども参考にできるかぎり詳細に追おうとしているのは分かるし、一部のノンフィクションで書かれた、起訴人数より多く殺害しているなどの断定的な表現はここでは出てこないだけ、良心的な書き方をしていると言えるのではないだろうか。勝田の心情にどこまで辿り着くことができたかは分からないが、外部から見た勝田という形ではそれなりのところまで迫っているだろう。
 本書で一番面白かったのは、第七章の後半の方で、勝田清孝が何人殺害したかと言う点についての報道の下りだろう。特に朝日新聞の「犠牲者23人?」には、その真相を見て大笑いした。朝日の記者がある捜査幹部に予想を聞き、いまわかっている以外に2,3人出てきそうだという意味で指を二、三本動かしたら、合計23人だと即断して書いた記事だという。派手な見出しを出さないと売れない、そのためには他紙より被害者の数を増やすのが一番、と記者が語っているが、これがマスコミの実態と言えるのだろう。他にも読売では3月29日に「犠牲者11人に」と書かれており、47年に加茂町の第一勧銀OL殺し、55年の名古屋のキャバレーホステス殺人、57年4月の一宮市のマンションにおける主婦絞殺事件が上がっているが、これについては起訴されていない。また翌々日には「12人目の犠牲者浮上」と出ているが、この大阪南区のマンションのホステス殺害についても起訴されていない。
 なお起訴自体は33件だが、判決で認定されたのは27件となっている。

 裁判ではそれ以前の7件の強盗殺人などと、それ以降の短銃強奪による一連の警察庁指定113号事件の2グループに分け、検察側はその両方について死刑を求刑した。1986年3月24日、名古屋地裁で2件とも死刑判決。1988年2月19日、名古屋高裁で被告側控訴棄却。1994年1月17日、最高裁で被告側上告棄却、確定。1人が2つの死刑判決を受けたのは、戦後2人目だった。
 文通をしていた女性の母親と養子縁組を行い、藤原に改姓。獄中では点字翻訳のボランティアを行っていた。
 2000年11月30日、死刑執行。52歳没。

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