激しい雨の中、西原は国分寺街道を見張っていた。九時十七分、黒い乗用車が姿を見せた。ナンバーも間違いない。西原は身を翻して車に戻ると白ヘルメットをかぶり、準備しておいた白バイにまたがると一気に走り出した。
目の前を現金輸送車がのろのろと走っている。学園通りに入った時、西原は赤いストップランプをつけると追い抜きざま、左手を上げて停止を命じた。そして白バイから降りると現金輸送車の方へゆっくりと歩いて行った……。
あの三億円強奪犯人は今どこに? 信頼しうる資料を入手した著者が徹底的に犯人の軌跡を追った衝撃の問題作!(粗筋紹介より引用)
前半部の「強奪篇」が『週刊現代』に連載され、1975年に講談社より刊行。その後、完結篇を書き加え、1979年に「全完結」として角川文庫より刊行(途中の版があるかどうかは不明)。1975年11月22日には石井輝男監督「実録三億円事件・時効成立」で映画が公開されている。
1968年12月10日に発生し、未解決のまま1975年12月10日に時効を迎えた三億円事件を題材にした作品。その手際の鮮やかさと、多数の証拠が残り、多数の容疑者が浮かび上がりながらも犯人未逮捕のまま時効を迎えたことから、この事件を題材にした小説は数多く執筆されているが、本書もその一つ。
表向きは犬屋でありながらも、実態はほとんど仕事をしないヒモであった西原房夫と、かつては医者の妻だったが房夫に籠絡されて離婚し、房夫とくっつく羽目になった孝子の二人を主人公としている。三億円事件に至るまでの二人の生活が長々と書かれており、正直言って読んでいて疲れる。掲載誌の影響もあるかも知れないし、主人公のヒモという側面もあるからか、ベッドシーンも濃密に書かれている。
女たらしで無責任という典型的なダメ男である房夫だが、現金輸送車からの現金強奪を立案。穴だらけの計画だったが、孝子が少しずつ修正。見事に強奪に成功する。房夫と孝子は計画的に離婚したが、結局元の鞘に収まる。1971年3月には代々木の参宮橋近くにコーポが完成。建設資金の不足分9000万円は犬で知り合った商社の幹部を通して融資してもらったが、一週間後にキャッシュで返済。女とばくちの日々だったが、コーポの家賃などで十分暮らすことができた。8月、コーポの管理人室にいた房夫の元へ刑事が訪れる。金回りの良さに対する密告が原因だった。しかし女に依頼されて土地を売却した時のリベートや謝礼などを話し、三日間の取り調べでそれが裏付けられた。
実際のところ、これだけ派手に金を動かしてばれないというのも少々不思議な話だが、誤認逮捕があってマスコミに追求されたことがあったことからか、取り調べが慎重になったという理由も書かれている。
特に房夫の前半部のヒモぶりからして、とても三億円事件を引き起こすほどの度胸があるようには見えないのだが、それについては何も言うまい。
なお本書であるが、角川文庫の武蔵野次郎の解説に興味深い話が書かれている。
三億円事件の容疑者のうち、特に嫌疑濃厚な男女二人の後を徹底的に追跡し、絶対この二人が犯人に違いないと確信していた刑事(すでに定年退職)の書いた手記が、著者のもとに届けられたという。著者と取材グループの綿密な取材によって、秋期に出ている男女が犯人に間違いないと確信し、本篇が執筆されたと言うことである。男女から告訴されても構わないという態度で本篇を書いたとのことだが、結局男女は告訴しないまま行方不明になったという。勁文社から1975年12月に清水一行・井口民樹著で『容疑者斎藤正男 三億円事件犯人告発』という本が出ているが、それがこの調査の結果なのかも知れない。
個人的には、特に前半部のベッドシーンの多さに辟易してしまった。正直、三億円事件の「真相」に迫った作品なのかどうかの判断も付かない。犯人像に迫るなら、もう少し抑えた書き方をしてもよかったのにと思う。
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