日付 |
出来事 |
1974年9月 |
宮沢は69年に結婚したセールスマンと離婚し、富山へ帰る。 |
1975年 |
宮沢は結婚相談所に足を運び、再婚相手を捜すため10人近くの男性を紹介してもらった。同時にコールガールの仕事を始める。 |
1977年1月 |
北尾、結婚。 |
1977年9月 |
北尾は別のコールガールから宮沢を紹介してもらう。その後、付き合い始める。 |
1978年2月 |
2人は100万円ずつ出資し、贈答品販売業「北陸企画」を設立。 |
1979年2月 |
北尾のネフローゼが悪化。宮沢は大宮の儲け話を持ちかける。 |
1979年8月9日 |
宮沢が9000万円の保険金を掛けた運転手を海岸で殺人未遂。 |
9月5日 |
赤いフェアレディZを230万円で購入。 |
暮 |
北陸企画が休業状態に陥る。借金は約500万円。 |
1980年2月 |
閉店準備を始める。 |
2月23日 |
富山駅で高校三年生Nさん(18)が宮沢にバイトへ誘われ、「北陸企画」に連れて行かれる。 |
2月24日 |
Nさんは家族に「アルバイトに誘われて北陸企画にいる」との電話をする。 |
2月25日 |
深夜、岐阜県の山林でNさんが絞殺される。宮沢は一度Nさんの家へ連絡を取ったものの、身代金の要求はしていない。 |
2月26日 |
Nさんの母親と警官が「北陸企画」を訪れるも、宮沢、北尾はNさんを知らないと否定した。 |
2月27日 |
宮沢がNさん宅へ「娘のことがある」と電話。 |
3月5日 |
長野市で帰宅途中の銀行員Tさん(20)を宮沢が誘い、松本市で食事。 |
3月6日 |
早朝、長野県小県郡の林道に止めた車内でTさんが絞殺された。Tさんの家に女の声で3000万円要求の電話。同日、Nさんの死体が発見される(翌日にNさんと判明) |
3月7日 |
Tさんの家へ2000万円要求の電話があった。指名されたTさんの姉が指定された高崎駅の喫茶店に向かうも、犯人は現れず、翌日の場所を指定される。 |
3月8日 |
指定場所に向かうも、連絡はなし。同日から10日まで富山・岐阜合同捜査本部が宮沢、北尾をNさんの事件で事情聴取を行う。 |
3月26日 |
本事件および重要参考人をスクープした『週刊新潮』が発売される。 |
3月27日 |
Tさんの事件を公開捜査。 |
3月29日 |
Nさんの事件で富山・岐阜合同捜査本部が二人を事情聴取。 |
3月30日 |
警察庁は広域重要指定111号事件に指定。同日午後9時、長野県警捜査本部がTさん誘拐事件で宮沢、北尾を逮捕。 |
4月2日 |
Tさんの遺体が発見。宮沢、全面自供。このときは単独実行を認めていた。 |
9月11日 |
富山地裁の初公判。検察側は冒頭陳述で、「両事件とも、両被告が身代金目的の誘拐を事前共謀し、誘拐を宮沢被告、殺害は北尾被告、死体遺棄は両被告が実行した」と述べ、殺害実行犯は北尾被告とした。宮沢被告は富山事件の被害者を「北尾さんに頼まれて迎えに行っただけ」と、誘拐の事実そのものを否定、北尾被告単独犯行説を打ち出した。逆に北尾被告は全面無罪を主張した。北尾は私選弁護団4名、宮沢は国選弁護人2名。 |
1982年10月30日 |
北尾夫婦が協議離婚。 |
1985年3月6日 |
検察側は冒頭陳述を変更し、「事前共謀は両被告だが、誘拐、殺害、死体遺棄、身代金要求の実行行為はすべて宮沢被告」と犯行の構図を一転させ、冒頭陳述を18か所変更し、実行正犯は宮沢被告、北尾被告は共謀共同正犯とした。 |
1986年4月30日 |
宮沢が子宮筋腫と診断され、八王子医療刑務所で手術。 |
1987年4月30日 |
検察側論告。宮沢に死刑、北尾に無期懲役を求刑。 |