神丈正『峠の惨劇』(文芸社)




 1994年10月末、雪の降りしきる夜、北海道唐沢峠の橋の上から、丸裸にされ下半身を焼かれた男が、3人の男たちによって谷底へ突き落とされた。そして突き落とされた男の妻が、同じ橋の上から投身自殺をする。
 両親の死によって孤児にされた中学2年の大原里見は、札幌の伯母夫婦に引き取られて高校を卒業、大学生になるとすぐに故郷の仁野町を訪れ、父のレストランの常連客だった3人の男と出会う。彼らは自分たちが殺した男の娘だとは気づかぬまま、気がかりなことを喋る。
 父が惨殺されて5年も経つというのに、まだ逮捕されない犯人への関心のなかで、里見は彼らの言葉に強い疑いを抱いていく…。(「概要」より引用)

 『峠の惨劇』は2002年4月15日に文芸社から出版された。神丈正という人は初めて聞く名であり、本にも一切のプロフィールは書かれていない。文芸社という出版社は、持ち込みの原稿を本にすることで有名な出版社なので、たぶん本書もそうなのであろう。
 作者のあとがきにこう書かれている。

 この小説の殺人シーン(頭髪をトラ刈りにされ、下半身を灯油で焼かれ、必死に命乞いをする男を、初冬の峠の橋の上から三人の男が谷底へ突き落とすというもの)と、殺人に至るまでの経緯(身内に女遊びを告げられた男が、告げた男に慰謝料として借用書を書かせ、金を奪おうとした)、それに高校生を集団リンチで死亡させる場面は、いずれも1999年に北海道で発生した、殺人事件を参考にしたものである。
 著者は物語の構成上、それを五年前に遡って、1994年から進めることにした。


 暴行を受けた男性が橋の上から落とされる殺人事件は、1999年10月に起きた事件だ。本書では北海道古丹町唐沢峠打志橋が舞台となっているが、この地名は仮名である。北海道の人なら、どこの街が舞台か、すぐに見当が付くだろう。知り合いだった無職の男性、漁船員2名の合計3名が逮捕され、それぞれ懲役14、13、12年の一審判決を2000年に受けている(そのまま確定か?)。
 殺人に至るまでの経緯となった事件はわからないが、高校生を集団リンチで死亡させる場面は、1999年8月に実際に中標津町であった事件だ。

 本書は、殺害された父、自殺した母の復讐を誓った娘が、事件の五年後、三人に復讐を果たそうとする物語である。"異色バイオレンス・ミステリー"とあるが、どこがバイオレンスなのかよくわからない。
 物語そのものは単純だ。ご都合主義が激しいといってもいいか。たまたま訪れたときにきっかけをぽろっと喋ったり、クライミングの練習をしているところでかち合ったり、仲間となりそうな女性と知り合ったりなど、もう少し工夫をしろよといいたくなる。
 一応最後にちょっとした"意外なトリック"がある。"意外なトリック"というのは帯に書かれていた言葉だが、こういうのをトリックとはいわないと思うが。

 通常なら、感想をちょこっと書いただけで終わりにするんだが、なぜこの作品をわざわざ取り上げたのか。実在事件のこんな使用方法は、やめてほしいと思ったからである。
 私には、なぜこの殺人事件を取り上げたのかわからない。
 未解決や冤罪事件というわけではない。元となった事件はすでに犯人は捕まっており、判決も出ている。無罪を主張しているわけでもない。
 犯人の心理を追うものでもない。この物語の主眼は、娘による復讐劇である。
 峠にある橋を舞台にした復讐劇を書くのなら、わざわざ実在事件を流用する理由はない。その方が、いくらでも面白い小説を書けるだろう。
 では、なぜ事件をそのまま流用したのか。
 ただ一つ考えられるのは、リアリティのある設定を描く能力がないから、安易に実在事件をそのまま流用したとしか考えられない。
 プロだったら、このように実際の事件がすぐにわかるような使い方をしないだろう(とは言い切れないかもしれないが)。最低でも、物語の本筋に使うということはしない。使うとしても、シチュエーションを変えたり、もっと脚色を加えたりする。それが本書ではどうだ。冒頭の残虐なシーンは、実際の事件そのままだ。これでは何のひねりもない。
 さらに気に入らないのは、実際にあった高校生リンチ殺人事件を場面として付け加えていること。これこそ、物語とは全く関係のない一場面であり、実際の事件を使用する意味は全くない。

 作者は事件から2年後、なぜこのような作品を描いたのだろうか。たぶん、実際の事件を記事で見て、こんな風にしたら面白いだろうな、と思った程度で書き上げ、自ら出版したのだろう。自費出版に近い形だし、たぶん遺族や読者の目に触れることはほとんどないだろう。ただ、実在事件をこのような描き方で取り上げるのは、誰にとっても苦痛でしかない。苦言を呈したく、このような文章を書き上げた次第である。


 誰も読まないような本のことを、不特定多数の眼が光っているインターネット上に書くな、と言われそうだ。



【参考資料】
 北海道新聞

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