ワインレッドのフェアレディZが、富山、長野を駆けめぐった。ロングヘアー、サングラスのシャレた女とイキな青年が、国道に街中に、TOKYOの香りをまきちらした。二人は共同で会社を経営し、ベッドを共にしていた。1980年春、女子行員の死体が発見された。マスコミがどっと二人を囲んだ。二人の企業名が、蒸発事件で浮かんでいたからだ。女は知らぬ、といった。青年には寝耳に水のことだった。次いで女高生が殺され死体が発見された。二つの殺害事件の回りにフェアレティZが目撃され続け、警察が、二人の前に現れた! 密やかな女と男の関係が暴きたれられ、愛人関係は一転、敵対関係と化した!
―男と女の愛欲の果てを抉る書き下ろし犯罪小説。(粗筋紹介より引用)
粗筋を読めばわかるとおり、富山・長野連続誘拐殺人事件を扱った作品。1988年7月、双葉社の双葉ノベルスより書き下ろしで刊行されている。1988年2月9日に富山地裁で一審判決があったことから、それを受けて書いた作品だろう。
この事件を題材とした小説は、すでに井口泰子や佐木隆三が書いている。一審判決が出てから事件を書いたとしても、何の新味もない。言ってしまえば二番煎じだ。だからだろう、作者は「登場人物については思い切った造形を試みました。その目的は、現代社会の投影としての犯罪、犯罪者に対する、著者なりの解釈を盛り込むためでした」というコメントを残している。
事件の主役である二人は、成田博保、黒木輝子と名前を変えられている。第六章が逮捕まで。第十一章「侠気の責任」は成田の"自供"。そして第十二章「狂熱の素顔」では、裁判での殊勝な態度(ただし成田主犯を主張)とは裏腹に、成田に罪を着せて軽い罪で逃れようとする女の冷酷な"素顔"が描かれ、一審判決が言い渡されたところで終わっている。
作者が言う「思い切った造形」というのがよくわからない。多分「シャレた女とイキな青年」というところがその思い切った造形なのだろう。もしくは第十二章で見せた黒木之素顔のことを指しているのかも知れない。どちらにしても、たいした変更ではない。登場人物を多少デフォルメしたに過ぎない。
新聞記事などでは「男の責任」と書かれているところを、あえて「侠気の責任」と書き直している所など、先行作品とは異なるところを何とか見せようとしているのが見え見えである。はっきり言えば、あざとい。
作者の本心はわからない。もしかしたら出版社からの要請で慌てて書いたのかも知れない。ただいずれにせよ、二番煎じで終わっていることは事実である。もうちょっと何とかならなかったのだろうか。
【参考資料】
福田洋『紅の火車』(双葉ノベルス)
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