1986年8月の月夜、13歳の辻圭子は兄の後を付けていた。兄の悠二は神戸市須磨区の雑木林で同級生の首を切断し、ハート山の頂上にある獅子の石像に首を呑み込ませる。慌てて家に帰った圭子は、剥き出しになった床下から腐乱死体を発見する。圭子の証言で兵庫県警捜査一課の鯉口たちは、悠二を逮捕した。しかし悠二は核心部分を一切語らず、少年院へ収容された。人権侵害ともいえるマスコミの追求。近所や会社、学校で受ける悪意と差別。それから三年後、圭子の母は自殺した。圭子は鯉口の紹介で女性占い師の所に引き取られ、いつしか自身も占い師として生きるようになる。雪御所圭子という新しい名前で。それは事件の起きる15年前の話。
摩山隆介は、阪神淡路大震災で買ったばかりの自宅が全壊し、とじ込められた。それからはパニック障碍で満足に働くこともできず退社、以後の就職先でも同様だった。内縁の妻とは既に亀裂が入っている。摩山はぶらぶらしている時間を利用し、治療のために通っている診療所の心理療法士、御久羅百合子からも了解を得て小説を書くことにした。三年前に起きた酒鬼薔薇事件の動機を探るためである。書き始めた超越推理小説のタイトルは『赫い月照』。
そして2001年、殺人事件は起きる。被害者は摩山の友人の息子だった。そして机の上を見て愕然とする。書いた記憶のない『赫い月照』が既にあったからだ。しかも主人公・血飛沫零は、現実に殺害された友人の息子を殺害していた。マスコミには発表されていない、詳細な部分まで実際と小説は一致していた。摩山は記憶のない時に殺人事件を起こし、それを小説に書いたのか。疑念が深まる中、第二の殺人事件が起きる。圭子は友人の探偵有希とともに、鯉口から捜査の情報を得ながら事件の真相に迫るのだが。
2003年4月、講談社より書き下ろしで刊行。
読了後の感想はひとこと、「疲れた」。力作だとは思う。話の展開が強引すぎるし、不必要と思われる部分も多い。無駄に長いと思えるのだが、それすらも強引な力業でねじ伏せてしまう。一つ一つをピックアップすると、トリックや暗号などはつまらないものが多いのだが、全体を覆う不気味なムードが全てを包み隠し、独特の仕上がりになっている。不満なところも多いが、圧倒されるのは間違いない。
本書の大きな特徴は、未だ解明されていない部分が残る「酒鬼薔薇事件」への謎に、本格ミステリという手法を用いてアプローチしているところである。相容れないと思われる二つの分野を結びつけ、しかも強引に解き明かしてしまおうという発想はすごい。しかも成立しているように読めるのだから大したものである。下手に評論家や学者が語るよりも、説得力がありそうな書き方になっている。これは取り扱っている事件が、社会をにぎわせたが犯人の精神年齢は低いと思われるものだったからこそ成り立ったのではないだろうか。事件の幼さが、「リアリティがない」といわれがちな本格ミステリの稚気な部分にマッチしたのだろう。
この作品の最大の欠点は、読みづらいことだろう。読者を無視するかのように物語がポンポン変わり、事件の展開についていく余裕がない。もう少しスマートな書き方もあっただろう。このごちゃまぜ感が作品のパワーにつながっていることは否定できないのだが。
雪御所圭子、有希真一、鯉口純平はデビュー作『未明の悪夢』、ならびに『恋霊館事件』に登場するレギュラーキャラクターであることは後に知った。だからこその本作の結末なのだろうが、その部分は蛇足だったと思う。
【参考資料】
谺健二『赫い月照』(講談社)
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