女子銀行員による、史上最大、9億円もの巨額を横領着服した、滋賀銀行O事件――発端は、バスの中で10歳も年下のタクシー運転手・Yとの再会だった。預金をしてもよいという甘言につられて、何度か会ううち、いつしか、肉体関係を結び、35歳という女盛りの情熱を激しく燃やしていったのだった……。
世間の耳目を集めた空前の事件を、綿密な現地取材を重ね、公判記録を渉猟して、Oの悲劇的事件の全貌を浮き彫りにしたノンフィクション・ノベルの力作長編。(粗筋紹介より引用)。
1978年、刊行。1981年、角川文庫化。
好きな男へ貢ぐために、自分が働く銀行から金を横領する。しかし男には別の女がいて、自分はただの金づるにすぎないのだが、女はそれに気付かない。同じようなパターンの横領事件が昭和で3つ続いた。
・1966年12月-1973年2月の滋賀銀行9億円横領事件。
・1973年9月-1975年7月の足利銀行2億円横領事件。
・1981年3月25日、三和銀行1億3000万円横領事件(オンライン横領事件)。
時代が進むにつれ犯行期間が短くなっていることは時代の進化ということで興味深いが、犯行手段はどうであれ、その性格は全く変わらない。それにしても、足利銀行のOも、三和銀行のIも、過去の事件のことを知っていた。それでも同じように男に騙され、同じような犯罪に手を染めてしまうのは納得いかない。それが男に狂うということなのかもしれないが。
本作品は、9億円を横領し、そのほとんど全てを年下の男に貢いだことで話題になった滋賀銀行9億円横領事件についてのノンフィクション・ノベルである。
事件は、下記のような経緯をたどった。
Oは1948年12月、滋賀銀行京都市店に入行。縁談の話もあったが、夫が愛人を作って別れたことから男嫌いになった母親がいたためか、まとまらなかった。1965年5月、北野支店に勤務していたOは、職場の懇談会後に乗ったタクシーで10歳年下のYと知り合う。そのときはそれで別れたが、Oが山科支店へ転勤となった1966年春、帰宅途中のバスで偶然会ったYに声を掛けられた。当初は大きな商売をしているという親族に大口預金をお願いするために電話を掛けていたが、その後付き合うようになった。Yはギャンブル好きで売上金を誤魔化すことからタクシー会社を転々としており、当時は無職だった。
Oと付き合うようになったYは金を無心するようになり、捨てられたくなかったYは貯金を切り崩すようになった。秋にOは普通預金係から定期・通知預金係に異動。Oが知り合った老人が銀行に預けた金をYに渡すようになり、合計約1200万円が渡された。Yはさらに無心するようになり、Oは定期の中途解約を偽造するようになる。それでも間に合わなくなり、架空名義を作ることで100万単位の金を引き出し、Yに貢ぎ続けた。1972年10月、Oは定期・通知預金事務決済者となっている。Yはその金で外車、モーターボートを複数購入し、豪邸を建て、1000万円単位でギャンブルをするようになった。Yの兄や母親にも金を融通していた。さらにYは1970年に結婚し、別に愛人が2人もいたが、Oはそのことを知らなかった。
1973年2月1日、O(42)は山科支店から東山支店へ異動する。8日頃より山科支店から帳簿が合わないと呼び出しを受けるようになり、13日夜にOは姿を消した。山科支店でOの横領が発覚し、2月18日付で銀行から滋賀県警へ捜査の依頼があり、21日、告訴とOへの逮捕状が請求され、全国指名手配された。10月15日、Yが贓物罪(収受)容疑で逮捕される。YがOの居所を供述したため、10月21日、Oが潜伏先の大阪で逮捕された。
裁判で認定されたのは、過去6年で約1300回、合計8億9400万円が横領されたと判明した。この金額は一行員による犯行としては当時の最高額であった。
Yは競艇に3億円、遊興費に7000万円、実兄の金融会社に5000万円、自宅の購入費と改造に6500万円、電気器具などに1000万円、モーターボート5隻に1000万円、実家の庭園改造に1000万円などを使ったと自供した。Oが自ら使ったのは、宝石を買った2000万円だけだった。
裁判でOはYに騙されたと主張。YはOからもらっただけと共謀関係を否認した。また裁判でOの弁護側は、銀行の管理体制の甘さにメスを入れた。1976年6月29日、大津地裁は詐欺、横領でOに懲役8年+賠償1000万円、Yに懲役10年+賠償3000万円の判決を言い渡した。共に控訴せず、判決は確定した。
判決から5年後に出版された本書ではOとYに実名が使われているが、ここではあえてイニシャルに修正する。もっとも、インターネットで調べればすぐに名前なんかわかってしまうだろうが。
本書は、OとYの出会いからYに騙されて金を貢ぐようになり、犯行が発覚して捕まり、裁判で判決を受けるまでを克明につづったノンフィクション・ノベルである。小説の後半で作者はYに対し、「そこまで彼女を追いこんだYのエゴに、私は限りない怒りをおぼえるのだ」「どたん場になってOを冷酷に捨て去り、自分だけが涼しい顔で逃げのびようとした卑劣なY」「自分の手を汚さずに、女から不正な金を吸い上げ、役にたたくなったとわかった瞬間、奈落の底へ蹴落としてはばからないYに対して、私は、やりきれない憤懣をおぼえるのだ」とまで書いて非難している。一方、Oについては「彼女ほど哀れな女はいない」と同情の視線を投げている。そのせいか、流れとしてはYへの非難とOへの同情に満ちた内容となっている。やや偏りすぎではないかという気がしないでもないが、やはりOに対するYの仕打ちを考えると、このような描き方になってしまうのは仕方ないことだろう。
それにしてもYのやり方はひどすぎた。Oから巨額の現金を横領させるも、自らは妻子を持ち、愛人2人を抱え、そのうちの一人にはバーをやらせていたという(もっとも、そのバーは事件後に閉じられたが)。一方Oは不正行為の発覚を恐れ、日曜休日も出勤し、夜も残業して書類のつじつまを合わせていた。そのあとは、Yとのあわただしい情事があった。付き合っていた7年間、Oは一度も下関へ行ったことがなかった。
ちなみにOの手口は以下のようなものであった。本書では、その一覧表が文庫本にして85ページに渡り掲載されている。
Oは1972年だけで4億6000万円を横領。ひどい時には1日600万円を貢いでいたという。
横領が発覚しつつあった1973年2月7日夜、OはにYへ電話し、翌日、プロパリンを持って京都のホテルで会ったが、Oが心中しようという求めにYは尻込みしたまま。11日には飛行機で北九州へ飛び、Yへ一緒に死ぬかかくまってほしいと哀願するもYは言い訳をするだけ。この時、Oは持参した200万円のうち、150万円をYに与えている。明後日、Oは再び北九州へ飛ぶものの、このときもYはOの求めを拒否し、Oは京都へ戻った。しかし山科支店から行員が訪ねてきたことを家族から知らされ、支店へ行くと言い残し、手元にあった現金や指輪などを持って逃亡生活に入った。16日、大阪でYを呼び出し、住み込みで働く旨を伝えたら、Yは時価数百万円の指環を取り上げてしまった。この時初めて、Yは自分に妻子がいることを告げており、Oは騙されていたことに気付く。
なお逃亡後、Oは大阪旅館を転々としたが、所持金を使い果たしたため、26日に安アパートの部屋を借りた。Oは逃亡するとき、降鼻術で容貌を変えており、普段はあえて派手な化粧と恰好をして捜査の目を誤魔化していた。Oはスタンド割烹の洗い場で皿洗いの仕事をするようになったが、途中紹介を受けて売春を数回している。4月末、店で知り合った男性(40)と知り合い、5月から同棲するようになった。この真面目な男性は、Oの詳しい事情を何一つ聞かずに、Oのことを愛して働いていた。Oは逮捕後、本当の男がどういうものか初めて知ったと後に語っている。
なおYの豪遊ぶりであるが、下関署は農協強盗事件でマークしていた時期があり、京都府警は3億円事件の犯人ではないかと追跡していたとのことである。Yはファミリーを引き連れて、一レースに二百万円から三百万円を賭けていた。Yが競艇場に姿を現すと、その日の予想が大きく狂い、舟券の売上高が大きく上昇した。各競艇場の予想者や窓口の女性までがYの顔を知っていた。後の捜査で売上金の額を調べれば、Yが出現した日が見当がついたというほどである。
詐欺、横領の最高刑は当時10年であり、Yは最高刑を課せられたことになる。しかし、Yのやってきたことは、わずか10年で許されるようなことだったのだろうか。家族はだれも捕まらなかったが、一緒に豪遊していてYの詐欺を本当に知らなかったのだろうか。
この本を読んで、Oのことをどう思うだろうか。男に騙された愚かな女と思うのだろうか、それとも哀れな女だと思うのだろうか。Oは1981年6月、仮出所したとのことである。
本書は後に土曜ワイド劇場でドラマ化されている。主人公のOには大楠道代、Yには火野正平が扮した。
なお一行員による横領については本事件が最高金額だったが、2005年11月に更新された。
2005年11月、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)港北ニュータウン支店の派遣社員だったK(55)が顧客に架空の高金利定期預金への切り替えを勧め、実際には自分で開設した顧客名義の普通預金口座に金を移し替える手口で、過去12年で9億9千万円を横領したとして逮捕されている。2006年5月30日、横浜地裁はKに懲役8年(求刑懲役12年)、Kの夫(後に離婚)に懲役7年(求刑懲役10年)を言い渡して、そのまま確定している。半分以上は時効となり、裁判では総額約4億8000万円分について問われている。夫が勤務していた自動車会社の接待で多額の借金を重ね、相談を受けたKが顧客の預金に手をつけたのが始まりだった。
【参考資料】
和久峻三『裁かれた銀行−滋賀銀行九億円横領事件』(角川文庫)
【「事実は小説の元なり」に戻る】