父と母、幼い二人の弟の遺体は顔を砕かれていた。秋葉家を襲った一家惨殺事件。修学旅行でひとり生き残った奏子は、癒しがたい傷を負ったまま大学生に成長する。父に恨みを抱きハンマーを振るった加害者にも同じ年の娘がいたことを知る。正体を隠し、奏子は彼女に会うが!? 吉川英治文学新人賞受賞の衝撃作。(粗筋紹介より引用)
2000年12月、講談社より刊行。2001年、第22回吉川英治文学新人賞受賞。
多数の脚本を書いたヒットメーカーであり、1997年には『破線のマリス』で第43回江戸川乱歩賞を受賞した作者の作品。
作者は特に語っていないが、前半部分は1983年に発生した練馬一家5人殺人事件に類似している。本作品では主人公の両親と2人の弟が殺害され、小学6年生の自分のみが修学旅行に行っていたため生き残った設定になっている。
練馬一家5人殺人事件は、東京都練馬区で起こったバラバラ殺人事件である。不動産鑑定のA(48)が競売物件を2月に約1億円で落札し、4月に不動産業者へ転売した。ところがその家に住んでいた一家は、物件の持ち主であった妻の父親から立退料を吊り上げるよう指示されていたため、その家へ違法に居座り続けていた。Aが立ち退きを求める裁判を引き起こすと、一家の夫は裁判取り下げを条件に立ち退くと言ったため、Aは訴訟を取り下げた。ところがそれは嘘で、その後も居座り続けた。引き渡し期限が6月30日に迫っていたことから、Aは精神的に追い詰められる。Aは6月27日午後、物件の家に入りこんで、妻(41)、次男(1)を金槌で撲殺。三女(6)を扼殺。小学校から帰宅した次女(9)を絞殺した。そして夜に帰宅した夫(45)をまさかりで殺害。その後、風の遺体を浴室でバラバラにした。小学5年生の長女(10)のみ、林間学校に参加していたため、難を逃れている。
Aは翌日逮捕され、1985年12月20日に東京地裁で求刑通り死刑判決。1990年1月23日、東京高裁で被告側控訴棄却。1996年11月14日、最高裁で被告側上告棄却、死刑確定。拘置所内では刑務官に従順だったと言われている。2001年12月27日、死刑が執行された。66歳没。
本作品は、以下のような構成となっている。
第一章は小学6年生である秋葉奏子の視点。何も知らないまま、旅行先から「四時間」かけて東京へ戻る泰子。家族4人の死を知らされ、詳細を知らないまま葬式を迎えるが、テレビで事件の概要を知ってしまう。
第二章は、裁判を通して犯人である都築則夫が事件の概要を語り、死刑判決を受けるまでが語られる。
都築則夫は教育機器会社の課長。被害者である秋葉由紀彦とは、秋葉が大手精密機械メーカーの営業課長だった頃に知り合う。秋葉は後に独立し、OA機器リース業会社を独立。立ち上げ当初の会社は苦しかったが、都築だけはずっと取引を続けており、後に会社は大きく成長する。ある日、都築は秋葉から、取引先である予備校の理事長が背負った借金の連帯保証人になってほしいと頼まれ、言われるがままに白紙同然の借用書へはんこを押すが、実際は自分一人が背負う羽目になってしまい、亡き妻の保険金5000万円をローン会社に支払う羽目になる。いつになっても返そうとせず、のらりくらりと言い訳を続ける秋葉に、少しずつ怒りを溜め込む都築。とうとうハンマーやチェーンソーを持ち、秋葉が自慢する家を破壊しようと乗り込む都築。そこで借金を払った理事長が、秋葉の妻の父親だったことを知り激怒。そのまま妻、二人の子供、秋葉本人を殺害。そしてハンマーやチェーンソーで家を解体。その途中、死体の顔をハンマーでたたきつぶした。
第三章は事件から8年後の話。「四時間」という名の心的外傷後ストレスに悩みながらも、大学へ通う奏子。恋人もおり、肉体関係もあるが、感じたことはない。最高裁が都築の上告を棄却し、死刑が確定した。かつて自分を取材した椎名の長文ルポを見つけた奏子は、事件の第一発見者である元巡査が、自分と同い年の娘・未歩と出会ったことを知る。奏子は元巡査を通じ、未歩の現状を知る。未歩は五反田のバーに勤めていた。未歩はモデルの男と同棲していたが、非道い男だった。
奏子は自分の正体を隠し、未歩に近づいて友達となる。
本作品では臨海学校ではなく、修学旅行の途中で事件を知った学校関係者が、事故に遭ったとだけ知らせて主人公を急遽家まで戻している。現実の事件では殺人の背後に不動産立ち退き問題があり、被害者側は違法のまま居座っていたという実情があったが、本作品ではそこまでの背景はない。事件当時の主人公を小学6年生に設定しているのも、現実との一致を少しでも避けようとした結果だろう。
第一章は、主人公の不安を精密に記載している。そして第二章は都築則夫の視点によって書かれており、これだけを読むとかえって都築に同情してしまいそうだ。このように第一章が被害者遺族側、第二章が加害者側の視点で書くことによって、双方の事情が対比できるようになっている。正直に言うのなら、現実の事件をモデルと知りつつも、ここまでは非常に面白い。
そして第三章は、被害者遺族と加害者遺族が遭遇する。被害者遺族は相手の正体を知っているが、加害者遺族は相手の正体を知らない。そんな二人の遭遇から心を通い合わせるまでを書いている。内面や周囲の状況を詳細に書くためか、その筆致は非常に丁寧であるのだが、展開が緩慢であるためか、退屈といっていいかもしれない。第一章、第二章にあった緊迫感が全く消え去ってしまい、流れが全く別のものとなってしまっている。
やはり、作者が書きたかったのはこの第三章だろう。どちらも抱える苦しみと、世間からの冷たい風。それらを乗り越えた二人の友情というのが、本来のテーマだったと思われる(マスコミ批判も少し入っているようだが)。しかし、それらが本当に書ききれたのだろうか。主人公のような行動が一つの到達点なのかどうかがよくわからないのだ。ただ、被害者遺族にスポットを当て、さらに加害者遺族と交流させようという物語は、現実ですら日本ではわずかという状況であるから、もっと焦点を当てられても良いと思う。海外では実際にそういう交流活動があるけれども。
本作品は、内山理名、水川あさみ主演で映画化され、2005年9月17日より東映系で公開された。
【参考資料】
野沢尚『深紅』(講談社文庫)
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